TOA ~突き進め、我が道を!~   作:あきあ

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第十一話 月の明かりに照らされて

パァーン……と、それはそれは気持ちいいほど透き通った綺麗な音が鳴り響いた。そして間髪おかずに打ち出される、二度目の音。

 

……マジかよ、おい。

 

頬に受けた衝撃で肌がビリビリと振動することによりも、俺は直後に鳴り響いたその音に驚愕していた。

 

脆弱な平手で張られた頬をそのままに、俺は右手を振り抜いた体勢で毅然と立つシュザンヌ様と、同じく頬を叩かれた衝撃で全くの無表情な顔を横に反らしているリグレットに交互に視線をやる。

 

シュザンヌ様の表情はひたすら厳しく、何時もの儚く穏やかな雰囲気など欠片も残っちゃあいない。

 

場所はバチカル――ファブレ公爵邸の無駄に豪華で広大な客間。三日前の馬鹿騒ぎがとりあえず一旦収まり、陛下に現在の状況と今後の展望を一通り説明し終え、ナタリアとアッシュとラルゴの貸し出し許可を得た後に、せっかくだから挨拶でもして行くかと立ち寄ってみれば、通された客間で待っていた公爵夫人ことシュザンヌ様に、いきなり平手打ちによる歓迎を受けたのだった。

 

……俺とリグレットだけ。

 

廊下と客間を繋ぐ扉は、すでに公爵お抱えの部隊である白光騎士団によって閉鎖されてる。つまり要するに、先に客間に入った俺とリグレットのみが、シュザンヌ様が君臨する場に隔離されちまったのである。

 

「わかりますね? 私の怒りの理由は」

 

静かな怒気を湛えた緑色の瞳が俺たちを射抜く。何時もはどうしようもないほどおっとりとした、深窓の令嬢がそのまま大きくなったような人だが、しかし今のシュザンヌ様が纏う空気には確かな貫禄と威厳があり、王族の証たる真紅の髪は、天井の音素灯の光を重く映し出していた。

 

あー、やばい……混乱しすぎて頭が回らねえや。

 

正直に言うと俺って、生まれてこの方お袋に殴られたこと以前に叱られたことがねえのだ。まさかの展開に思考が停止しちまってる。

 

だがしかし、シュザンヌ様がお怒りの理由なんて考えるまでもない。先日の人類抹殺計画のことに決まってる。

 

「一歩間違えれば、取り返しのつかないことになっていたでしょう。あなた達が選んだ手段は、間違えていました」

 

その解が出たと俺たちの表情から悟ったのだろう、閉ざしていた口を開いたシュザンヌ様ははっきりとそう断言した。はっきりと俺たちを否定した。

 

一つ大きく息を吐き出し、俺はシュザンヌ様の瞳を見つめ返す。

 

「確かに俺は自分の行動に、後悔するかもしれない。だけどあれが間違いだったとは思わないし、自分たちのために俺に命を賭けろなんてほざく野郎は許せないんだよ。俺に死んで下さいなんて笑顔で当然のように言う奴らを、俺が笑顔で殺しちゃあいけないはずがねえだろ」

 

「そうですか……あなたは全くわかっていないのですね」

 

嘘偽りなく明かした胸の内を、俺を動かす行動原理を、シュザンヌ様は頭っから否定する。悲しげな瞳で俺たちを見つめ、そして再び右の手の平を上に掲げた。

 

……やっぱり、こうなるか。

 

あれだけの破壊、あれだけの混沌をもたらして許されるはずがないとは理解していたが、それでも俺は俺が俺らしく生きるために行動を起こした。

 

例え人に否定されようとも、自分を否定するよりかはましだ。俺は俺の意志でしか動かない。都合のいい道具なんかじゃあないのだから。

 

確固たる信念を突き通すためにシュザンヌ様の平手を甘んじて受けようと、俺は特に身構えることもなく立ち尽くす。世界に否定されようとも生きることを止めないと誓った俺だ、たった一つの否定に立ち向かわないでいいわけがない。

 

――しかし、予想していた衝撃は来なかった。持ち上げられた右の手の平は俺を打つことはなく、ただそっと俺の頬を包み込むように添えられた。

 

「――あんな危ないことをして……あなた達は怪我をしていたかもしれないのですよ?」

 

「……………………」

 

「……………………」

 

…………は? いや……、え? ……怪我?

 

ああ、なるほどなるほど。シュザンヌ様が怒ってたのは、俺とリグレットが怪我するかもしれん危ないことをやったからだったのか。まったく、とんだ勘違いだったぜ。これで晴れてすっきり問題解決、文句なしの大円満だ。

 

――とか言える問題じゃあ全っ然ねえ。

 

あれか? この人はあの事件を、子供がちょっと危ない悪戯した程度としか認識してなかったりすんのか? さっきのビンタも、「めっ、危ないことしちゃダメでしょっ!」レベルだったりしちまうのか?

 

常人と感性がずれまくってるシュザンヌ様に、否定も罵倒も怨嗟の声も真剣に受け止める覚悟をもって対面してた俺たちは、冗談抜きに唖然としていた。リグレットなんかもう、唖然というかむしろ頭が痛むのか、額に手を当てて苦い顔をしてる。

 

「あー、えっと……シュザンヌ様? 手段が強引すぎたとか暴力的すぎたとか、城が全壊したり巻き添えを食らって怪我した人がいたんだぞとか……そういうのは一体全体どうなってるんでしょうか?」

 

「間違いなく、私は加害者なのですから」

 

頭をポリポリと掻きながら、何故か自分自身で怒られるための材料を並び立て始めた俺。リグレットも深く深く頷いて同意してる。

 

もうマジで意味不明な状況だ。

 

さっきまでの緊張感が、今や見る影もない。完全に崩壊してしまった空気にげんなりする俺とリグレットは――しかし再びシュザンヌ様の鋭く重い視線に貫かれ、思わず息を呑んだ。

 

「そのような心配は不要です――あなた達は決して人を殺さないのですから。現に今回の騒動で、誰一人として命を落としていません。私は戦を知りませんが、命を賭け合う場において、敵対者の命を慮る行為が、足枷に、重荷になるということはわかります。その荊の道を歩めるだけの力を、あなた達は持っているのでしょう。それを得るために、相応の対価も支払ったのでしょう。ですから確かに、あの場における強者は、一方的な加害者は、あなた達二人でした」

 

ですが――と、シュザンヌ様は続ける。厳しい面持ちで、咎めるような口調で、だけど泣きそうな声で、シュザンヌ様は続ける。

 

「あなた達が受けようとしていたのは、紛い物ではない鋭い刃です。例えあなた達がどれだけ強くとも、無傷ではいられません。英雄とて、何時かは必ず死ぬのです。忘れないで下さい、ルーク、そしてリグレット。あなた達を無敵の英雄と信じていた人間がいるのと同様に、自身を顧みない生き方をするあなた達が傷つくことを恐れている人間がいることを」

 

 

「で、二人してシュザンヌ様に説教されてたわけか。何をやってるんだか……」

 

ガイの乾いた声が、長い廊下に響いて静かに虚しく消える。床に敷かれたくすんだ赤い絨毯が、足音もろとも声までも殺してるかのようだった。

 

人の気配が極めて微かな屋敷に、俺とガイ、そしてリグレットとティアは足を踏み入れていた。

 

ファブレ公爵邸にも劣らない、細部に至るまで豪勢に作り込まれた屋敷なのだが、如何せん寂れてしまっている。掃除も手入れも行き届いていて廃屋って感じではないのだが、広大な屋敷に比べて人の数が少なすぎるので、若干幽霊屋敷的な空気がある。

 

年配の執事さんの後ろを歩きながら、何とはなしに物寂しい雰囲気の廊下を観察しつつ、俺は適当にガイに返答した。

 

「説教の方がマシだっつーの。言っちまえば悪気なく笑顔で脅迫してるようなもんだぜ、ありゃあ」

 

「私もあの方は苦手だ。罵倒混じりにでも説教されていたほうが、まだ気楽でいられただろうな」

 

本気で辟易してるらしく、珍しくもリグレットが人前で本気の弱音を吐く。本人どころかトレードマークの赤いスカーフまでぐったりとヘタってんのは、心配性のシュザンヌ様に抱き締められてたからだったりする。

 

そんなくたびれてるリグレットに追い討ちをかけるように、ティアが満足げに頷いた。

 

「いい薬です。教官もルークも無茶をしすぎなんです。少しは心配する私たちの身にもなって下さい」

 

「……ティア、何か冷たいぞ」

 

「知りません、そんなこと」

 

「…………」

 

ティアに冷たくあしらわれ、リグレットは酷く傷ついたらしく押し黙ってしまった。

 

うん、何でティアは機嫌が悪いのかはしらねぇが、リグレットの落ち込む姿ってのは貴重なので得した気分だ。

 

「……それにしても、アポも取らずにいきなり乗り込むって、そんなことしていいのかねぇ」

 

顎を右手でさすり、難しい顔で首を傾げながら、しみじみとボヤくガイに、俺は至って軽く「別にいいんじゃねえの」と返した。

 

「お前の従姉なんだろ? それにまあ、ファブレとも無関係ってわけじゃねえんだからよ」

 

「関係ないって……あの噂のことか」

 

顔をしかめて呟いたガイに、俺は思わず失笑した。

 

「事実だろ、噂じゃなくて。そもそも今回はそのことで来たんだぜ、ここに」

 

俺たちが歩く廊下、踏み込んだ邸宅は、件のセシル少将の家だ。ガイの母親筋の従姉にあたり、かつてはファブレと並ぶ公爵家の娘で、つい最近マルクトのフリングス少将に絶縁を言い渡し、そして一応俺の親であるファブレ公爵とよい子には言ってはいけないような関係にあった、セシル少将その人だ。

 

「従妹だろうが表立って言えない関係にあろうが、暴力にものを言わせて屋敷に押し入るのは犯罪だ」

 

「お前もその愉快な犯罪者集団の一員なんだがな」

 

「ふっ、冗談を。私たちは暴走したお前に巻き込まれた、同情されるべき被害者だ」

 

「…………」

 

涼しい顔して挑発的に笑うリグレットに、俺は何も言い返せずに黙り込む。

 

確かに、積極的に行動を起こしたのは俺で、逆に言えば俺以外は何もせずにただ付いてきてるだけなのだ。しかもガイは俺によって強制連行、たまたまガイと一緒にティアはそのガイによって道連れに、リグレットは……まあ、シュザンヌ様から逃げてきただけなのだが……一応ティアに泣きつかれているという言い訳があったりしちまってる。

 

だがしかし俺だって、ただフリングス少将との約束を思い出し、そのまま特に迷いも考えもせずにガイを連れてこの屋敷に押し掛け、出てきた明らかに訝しげにしてる執事さんに、本当に真面目に真剣にちょっとだけ無理を言って、セシル少将には話を通さずに中に上がり込んだだけなのだから、そんな悪いことをしてるわけではない。

 

「ガイ、イトコ! オレ、ツキソイ! サプライズ、バンザイ! イエニイレテ!」

 

たまたま何故か持っていた木刀を片手に、必死に両手を忙しく動かしながらそうやって一生懸命説得したら、難色を示してた執事さんも最後には快くオーケーしてくれたのだから、俺は何も悪くない。きっと。

 

「ルーク……あなた、棍棒外交って知ってる?」

 

とか苦々しい苦笑いのティアに言われたが、ほめ言葉に決まってるのだ。たぶん。

 

「それにしても、何でわざわざ少将に秘密にするんだ? 普通に取り次いでもらえばよかったじゃないか」

 

「俺が来たって知られたら、逃げられちまうかもしれねえだろ? あんまり時間もないわけだし、これが一番確実なんだよ」

 

ガイの当然と言えば当然の質問に、俺は苦笑しながらそう答えた。どういう意味だと眉を寄せるガイとティアに、俺はひらひらと適当に手をふってみせる。

 

「まあ、見てりゃあわかるだろうよ」

 

なあ? とリグレットに問い掛ければ、彼女は僅かに微笑んで「そうだな」とだけ答えた。

 

そのやり取りは、至って何時も通り。思わず違和感を覚えてしまうほど、何時も通りだった。

 

つい先日の、砂漠の街でのあの夜のことは、目が覚めれば忘れてしまう泡沫の夢のようなもの――それが俺とリグレット、両者の暗黙にして共通の認識。

 

――そう、何もなかったことは事実で、何もなかったことは同時に真実だ。

 

だからこそ、過程は捨て置き結果的に何もなかったと認識してる俺たちは、平然な顔をして今からセシル少将と、フリングス少将、ファブレ公爵、そして世間体についての議論を交わすのだ。

 

まったくもって笑えるぜ。一体全体、今度はどんな皮肉だよ。

 

執事さんに案内された一室、そこの扉を俺はガンガン叩く。

 

「セシル少将ー、勝手にお邪魔してまーす。こちらはルークでーす。話したいことがあるんで、扉あけてくださーい」

 

正直自分でもひいちまうような頭の悪そうなな敬語で挨拶しつつ、扉を叩き続ける。人間は大概にしてノックの音に弱いものなのだ。耳を塞いでも振動がはっきり伝わるし、出入口である扉をおさえられてるって事実は、かなりのストレスになる。

 

「少将ー、いるのはわかってるんで、開けてもらえませんかねー? 聞こえてるんでしょー、セシル少将ー」

 

ガンガンガンガン扉を叩きながらも、意識は部屋の内へと集中させる。窓から逃げられたら終わり、ちょっとでもそういう気配があれば迷わず突入しないといけないのだ。

 

努力の甲斐あって、扉はすぐに開いた。中から出てきたのは当然ながらセシル少将なのだが、キムラスカの赤い軍服を着ているから、案外今から仕事だったりするかも知れない。

 

……うん、仕方ないが認めよう。我ながら無計画すぎた。

 

仕事があろうがなかろうが黙ってたって仕方ないので、俺はとりあえず率直に要件から切り出してみて、

 

「フリングス少将が、セシル少将が結婚してくれないと嫌だってダダこねるから訪ねてきたしだ――ってぇっ!」

 

突然の激痛に悲鳴をあげた。

 

後ろから盛大に頭を叩かれたらしく、ちょっと痛いとかじゃあすまないレベルの衝撃に、俺は頭を押さえてその場にうずくまる。

 

いや、久しぶりにきた。マジで痛い。これはもうあれだ、ちょっとくらい泣いたって許されるに決まってる。

 

「お忙しいのにすみません、少将。以前お世話になりました、オラクル騎士団のティア・グランツです。お久しぶりです」

 

「ご無沙汰してました。突然ですみませんが、ちょっとだけ時間をあけてもらえませんか? ルークが話があるって聞かなくて……ほんとにすみません」

 

くぐもった奇声をあげる俺を無視する形で、頭上をティアとガイの挨拶が飛ぶ。セシル少将は突然過ぎる訪問に戸惑ってるらしく、「ええ」や「こちらこそ」などほとんど反射的に挨拶を返してるが、うずくまる俺にドスの利いた声を浴びせるリグレットに、若干ひいてる感じだ。

 

「貴様、やる気がないのか? むしろ破綻させる気なのか? いくら藁にも縋る思いでの苦し紛れだろうと、流石にダダをこねたなどと言われたら、縋るべきものを間違えた本人の自己責任ではあるが、フリングス少将が哀れすぎるだろう」

 

「いや、ちょっ……わかったから、わかったからやめろ、マジで痛いから」

 

手のひらでばしばしと頭を叩くリグレットに、ちょっと殺意がわく。この女、わざと同じ場所を叩いてやがるのだ。

 

「立ち話しも何ですので、客間へご案内します。よろしいでしょうか、お二方」

 

「ご覧の通り、私たち三人はこの男の監視のために付いて来たに過ぎません。さらに言えばこの男は不法侵入者、客ですらありませんので、客間などと気を使って頂かなくとも結構です。また立場なども気にしないで下さい。何せこの場にいてはならない人間なのですから。無理に我慢せずに言いたいことを言って、言って聞かないのなら暴力に訴えることをお勧めします」

 

ご立腹のリグレットさんはもう俺に嫌がらせしてるとしか思えねえが、それでも正論は正論なので俺も頷くことしかできなかったりする。

 

「そうそう、話なんて廊下でもできる。時間は取らせねえから――問題ないだろ?」

 

「……そういうことでしたら」

 

しぶしぶと言った感じでだが少将は了承して、後ろ手に扉を閉めて廊下に出てきた。

 

身なりはきちんとしていて、化粧で隠してはいるが、それにしても顔色が悪く体調が悪そうだ。

 

気の利くガイは瞬時にそれに気づいたらしく、少将に心配そうな視線を送ってる。

 

「セシル少将、体調が優れないようなら、出直させますが」

 

「お構いなく、今し方勤務を終えたばかりというだけですから」

 

「あー、あれの後片付けか。お疲れ様です」

 

俺たちが壊した城やら広場やらの残骸の撤去に駆り出されてたのだろう。流石にガイには劣るものの、気が利くことで有名な気がする俺は、瞬時にそのことを悟って相槌を打ったのだが、返ってきたのは不思議なことに皆の冷めに冷めきった視線だった。

 

首を捻りながらもまあいいかと諦め、本題に入る。

 

「さっきも言ったけどよ、フリングス少将とヨリ戻してほしい。ファブレ公爵とのことなら、むこうも承知の上だってよ。あんたが気にしてんのは、そのことなんだろ?」

 

「……お言葉ですが、あなたには人間としての心遣いというものがないのでしょうか」

 

からからと笑いながら言う俺に、セシル少将は押し殺した声で淡々と非難の声をあげる。急に押し掛けてきて無神経なことを無神経に語る、過去に関係を持っていた男の息子への対応としては、まあ相応のものなんじゃないだろうか。

 

自分が真剣に考え悩んで出した結論を、ぽっと出の中途半端にその問題と関わりのある野郎に笑いながら否定されたら、俺ならとりあえずぶん殴ってるとこだぜ。マジで。

 

初っ端から漂ってる不穏すぎる空気にティアとガイは焦ってるが、そんなことは関係ないと俺はへらへらと笑う。

 

「心遣い? 俺は落ち込んでたフリングス少将を思って、あんたと話しに来たんだぜ。心遣いならちゃんとあるじゃねえか。不倫……じゃねえや、正確には身売りだが、そのくらいのことで悩んでるあんたが、神経質すぎるんだよ」

 

「そのくらいのこと、ですか……。あなたは、本当に押し付けがましい」

 

あくまでも淡々と、あくまでも冷静なまま俺の言葉を繰り返した少将だが、煮えくり返ってる心中なんて語るまでもなかった。

 

「あなたは、本当に押し付けがましい。今回のことも――そうです。結局あなたは、他人のことなど何も考えていない」

 

さっき少し話題に上がったが、正直に率直に言ってしまえばセシル少将は俺のことを忌み嫌い、そして人間と見なしていない。いや、人間と見なしていないどころか、オールドラントという危険が去れば排除すべきだと、俺が一度死ぬ前からそう思うことが出来ていた、優れた先見力を持つ数少ない良識人だ。

 

何を隠そう彼女は、実質的には国王と並ぶ権能を握るファブレ公爵から命を受け、キムラスカという大国の補助を十二分に活用し、この俺が赤い悪魔と呼ばれるまでに歩んだ邪道外道を調べ上げた張本人なのだから。

 

……まあ、そういうの以前の問題の方が、よっぽど問題な気がするが。

 

苦笑と失笑が混じったような自分でもよくわからない笑いをもらし、俺は肩をすくめて見せる。

 

「俺がどうしようもないほど自分勝手な人間だなんて、そんなことはとうの昔から知ってるさ。ついでに言えば俺がやることなすこと全てが自己満足で、俺の生き方自体が世界が嫌がるほど迷惑なもんで、俺の存在自体が否定されてるってこともな。更についでに言えば、悲劇のヒーロー気取ってることも知ってるぜ。ぶっちゃけあんた一人に否定されようと、俺はすでに嬉しいとしか思えねえわ」

 

だがよ、そんなことはどうでもいい――と、俺はセシル少将に一歩近づく。

 

「じゅう……じゃねえや、過去の何も知らなかった俺でさえ、あんたと親父の関係は知ってたっつーか気付かざるを得なかったんだぜ。ドロドロしたいい材料になる噂話が大好物な社交界の連中なら無理はねえとしても、それが普通じゃあ考えられねえほどの信憑性をもって世界中に広まっちまってる。――こりゃあ一体全体、どういうことだよ?」

 

目と鼻の先、どうしようもないほど至近距離に迫る邪悪な笑みを浮かべる俺に、セシル少将は一歩も下がることなく、全くその表示を揺るがすことなく、しかし確かに怯む。

 

「仰る意味が――」

 

「――わかってるだろう、仰る意味はよ。あんたはそもそも、隠すつもりなんてなかったんだろ?」

 

忌み嫌い恐れ慄く俺をこの距離にして、表面上は驚くほど平然を装えている少将に、俺は喉を鳴らして笑いながら続ける。

 

「あんたは貶されようが軽蔑されようが、泥に塗れて這い蹲ろうが、胸を張って自信を持って信念を貫いてきたんだろう? 逆賊なんて呼ばれようが、大事なもん守るために命はって家族を守ろうとしたガイの母親、あんたの叔母みたいに、あんただって家族を守るために、元公爵家セシル一族を復興させるために、ファブレっつー一族の仇に体売ったんだろう? 自分を削ってまで誇りを奪い返そうとしたあんたに――恥ずべきとこなんてあるわけねえだろうが。ついでにフリングスの兄ちゃんを見くびりすぎだぜ、あんた。あのお人好しが口を開けば惚気話しかでねえ上に、その惚気話のほとんどがあんたが如何に素晴らしくて気高い人間かっつー、俺にしちゃあつい勢い余って海に沈めたくなるような褒め殺しで構成されてんだ。あんたが国家の一つや二つを転覆させたっておかしくない危険性ありって判断した俺を、軽々と動かしたフリングス少将の鬱陶しさ、軽く見てたら後悔するぞ…………マジで」

 

途中からはもう心の赴くままに、フリングス少将の面倒くささに愚痴を吐き出しちまったが、言うことは言ったから満足だ。

 

それにしたって幸せになることが悪いとは言わねーが、人様に微笑ましいを通り越して殺意を抱かせるような態度だけはとっちゃあダメだと思うんだよな、俺は。別に独り身が寂しいとかじゃなくて、俺ほどの気高い心を持つ人間からしたら当然の意見だ。俺だったら惚気話で他人を鬱病寸前まで追い込むような真似は絶対にしないね。神に誓って。

 

「……言いたいことだけを言って、勝手に自分の世界に引きこもっている馬鹿の話は全てなかったことにするとしても――」

 

「――ちょ、てめぇ、リグレット! ふざけんな、なかったことにしてんじゃねえよ! 今回はかなりいこと言ったぞ、俺!!」

 

「黙れ。それは何があっても絶対に言ってはならない類いの言葉だ。かなりいい、などと自画自賛した時点で全て台無し、お前はお終いだ」

 

「言わせたのお前じゃねえかっ!」

 

「今まで、そこそこ楽しかった。さよなら、ルーク」

 

「さっきの失言だけで俺の人生まで終わらせんな! ちょっとおい、もう手加減冗談抜きにマジで本気で泣かしていいですか!?」

 

「ああ、先程のは失言だったと認めたわけか」

 

「な、泣かす! 絶対に何時か、泣いて謝ったって泣かし続けてやる!」

 

非道すぎることを、眉一つ動かさずにほざいてくれやがるリグレットに怒鳴り返してると、ティアにリグレット共々肩を掴まれ後ろに引きずられる。ティアは心底疲れたような顔で、俺とリグレットを引きずったまま、ぺこりと少将に頭を下げた。

 

「……本当に、本当にすみません、許してやってください。もうこの二人のことは気にしないでもらえたら……本当にすみません。病気みたいなものなんで」

 

少将からある程度の距離を取らされた俺たちの前に、死んだ魚のような目をして謝罪するガイが、両手を広げて陣取る。もう黙っててくれと、哀愁漂う背中がそう語っていた。

 

「総長の話の続きですが、キムラスカ、マルクトの両陛下も、あなた方の婚約を望んでいると思います。両国民のいがみ合いが、完全になくなったわけではありませんから。無責任な発言はするべきではないと思いますが、ナタリア王女も協力を惜しまないはずです」

 

それでは勝手ながら、私たちはこれで失礼させて頂きます――早口に事務的にそう告げたティアが再度一礼、そして、教え子に台詞を奪われ少し悲しげな顔をしてるリグレットには敢えて視線を合わせずに、瞳だけでもう帰るぞと指示を出した。

 

適当に会釈して少将に背を向け歩き出しながら、俺は落ち込んでるリグレットの肩を叩いてやる。

 

「ま、元気出せよ」

 

「……少し、泣きたい。お前に励まされるなど……」

 

「…………」

 

不本意にも程があるが、止めをさしちまったらしい。何時もはつり上がってる鋭い目尻が下がってて、マジで落ち込んでる。

 

……いや、何かもう俺もちょっと泣きたくなってきた。ひどすぎるだろ、本気で。

 

「少し……待っていただけないでしょうか」

 

流石に我ながらやりすぎだと思わないでもない気がする程度に好き勝手やらかし、切れ気味かつ呆れ果ててるティアとガイに連行されてそのまま帰ろうとしていた俺を、少将が静かに呼び止めた。

 

うん、まあ一言物申されたって仕方はないぜ。俺だったらこんなウザい珍客、とりあえずしばき倒してるとこだし……。

 

「勘違いしているようですが、私はあなたを嫌っているわけではありません」

 

若干身構えちまった俺に向けて、少将はどこか安堵の表情を浮かべる。

 

そして、緊張が解けた体を素早く的確に動かし、少将は赤い軍服の内に隠していた刃渡りの短いナイフを右手に持ち――最短距離で半身を向けて立つ俺へと突き出す。

 

「あー……聞くのも変な話なんだが、大丈夫か?」

 

その煌めく刃に俺は、半歩前へと踏み込み、片手で少将の手首を掴み捻り上げ、背中に回して肩の関節を決めることで対処した。

 

「報告書の通り、体術の方も素晴らしい完成度ですね。完全に子供扱いですか……」

 

「……いや、今のシンクに習ったやつだし、こういう繊細なのはまだまだだ――っつーか、ちょっと待ってろ、やっぱり力みすぎて関節外しちまってる……こっちも訓練しねえと」

 

無理に使い慣れないシンク直伝の方の体術を使ったことが裏目に出て、ちゃっかりしっかり勢い余って少将の肩が外れちまった。そりゃあもう、ゴキッと景気良く。

 

自分でやっておいて痛そうだなー、とか無責任なこと思ってると、苦痛をかみ殺した声で少将は言う。

 

「私はただ――あなたが恐ろしいだけです。訓練された軍人をこのようにあしらえるあなたが、世界を敵に回せるあなたが、世界を自らを中心に回せるあなたが――いえ、世界を敵に回さなければ、生きていけないあなたが、自分が自分であるためだけに、自分ではなく世界を変えようとするあなたが……恐ろしいだけです」

 

飾らずにそう言う少将。僅かに微笑さえ浮かべてそう言う少将に、俺も笑って答えた。

 

「俺は俺らしく生きたいんだよ。ただ、それだけだ」

 

「あの頃と、あの閉ざされた世界にいた頃と、あなたは変わりませんね。変わらずに傲慢で、横暴で、自分勝手で、子どものようで――どこまでも甘くて、変に優しい」

 

可笑しそうに笑う少将の顔なんて、ぶっちゃけ始めて見た気がする。昔屋敷でちょくちょく会っていた少将は、何時も陰があって何となく怖かったし。

 

「皮肉混じりの励ましの言葉、素直に感謝します。あなたが私の行いを認めて下さったのですから、私も謝罪しなければなりません。――家族間に皹を入れるような真似をして、すみませんでした。幼い頃のあなたが私に見せていた、怯えた表情はまだ覚えています。僅かでも復讐になれば、とも思っていました」

 

……まあ、愛人と名高い少将が仕事とは言え親父に会いに来るのは、幼心に多少だが響いていた。

 

そのうち家庭崩壊するんじゃね? みたいな感じで。

 

ハハハハハ、と引きつった顔で笑う俺に、少将は一つ咳払いをして、肩を片手で押さえながら、真剣な瞳を向けてくる。

 

「ですから、謝礼と謝罪の代わりとして、一つ忠告させて頂きます。己が望むがままに在ることを信条とするあなたは、一歩間違えれば巷で騒がれ始めたように、悪魔を通り越した存在へと身を落とすことになるでしょう。現実は童話の世界へと変貌し、人々は存在しえないはず絶対悪に怯える日々を過ごす。あなたは、御伽噺にだけ存在を許された魔王にだってなれる資格を有しています。――ですから、どうかこの世界に絶望しないで下さい。願わくば、存在することさえ許されないあなたに、報われ続けないあなたに、希望の手が差し伸べられることを」

 

真面目に親身になって、俺に励ましの言葉を贈ってくれやがった少将に、俺は呆れ果てて、鼻で笑って返した。

 

「まったくもって笑えるぜ。忠告になってねえじゃねえか、馬鹿野郎」

 

最終決戦――人類の存亡を俺が独断で勝手に賭けた戦いは、既に一月と数日後にまで迫っていた。

 

俺達救世主一行は、現在世界を周りながら各地で訓練したり鍛錬したり修行したり、不安定な世界情勢のため発生する鬱陶しい事件を迅速に暴力的に解決したりしていた。……救世主一行とか、自分で言ってて抱腹絶倒しそうだが、世間的にはマジでそう言われてるのだから仕方ない。

 

ここ数日は、毎日のように家畜と戯れてるマルクト帝国皇帝ピオニーが治めるグランコクマに滞在しつつ、国軍の兵士さん達の協力のもと、人海戦術を駆使して主にアッシュを扱きまくってたりする。

 

「く、屑どもがっ! いい加減にしやがれぇええええええええっ!!」

 

平原に柵をぶっ刺しただけの野外訓練所に仰向けになって倒れたまま、ぴくりとも動かなくなったガイとシンクの横に座り、俺は欠伸混じりに絶賛サボり中の駄目皇帝を見やる。十数人の兵士に囲まれ絶叫してるアッシュは、心の底からどうでもいいので放置だ。

 

奇声を発しているアッシュの向こう側では、リグレットがティア、ナタリア、アニス、アリエッタの四人を同時に相手取ってたりする。流石にきつそうだが、本人曰わく「これくらいしなければ意味がない」とのこと。

 

毎日毎日よくやるぜ、マジで。

 

「……それに引き換え、毎日毎日執務室から脱走してくる皇帝……世も末だな、おい」

 

「脱獄と言ってくれ、脱獄と。それよりルーク、お前のその服、随分とまた赤いな。さっき遠くから見た時なんか、キムラスカの軍服かと思ったほどだぞ」

 

軍人になっちまったのかと心配したぜ、と俺の冷たい視線も何のその、肩まである金髪を揺らして駄目皇帝は勝手に一人で頷きながら安心していた。

 

改めて自分の服装を見てみれば……うん、確かに真っ赤だった。

 

「何かよくわかんねぇんだけどよ、バチカルの大通り歩いてたら、知らねえおっさんに声かけられて渡されたんだよ、このコート」

 

これは修羅の道を突き進む君にこそ相応しいよっ! ――とか何とか、ぶっちゃけ大半は忘れちまったが、とにかくそんな感じの危ないことを喚くおっさんから、コートやらブーツやらグローブやら服一式を無理やり押し付けられたのだ。

 

意味不明な危ないおっさんを憲兵に突き出そうか真剣に迷ったが、戦闘を想定された丈夫で動きやすい服だったので、今は素直に感謝してる。腕のある職人さんに作って貰ったオーダーメイドの戦闘服だろうから、結構値がはったんじゃないだろうか。

 

「むむ、服か……そうだなぁ、大舞台には晴れ着が必要不可欠……だがここは敢えて……いや、そうすると…………」

 

何かしら思うところがあるのか、ピオニーは仕事もしないで無駄に悩みだす。しかし正直この皇帝の考えることなんてどうせろくでもないだろうから、無視する方向で決定。少し回復したらしく何やら口をパクパクさせ始めたガイに向き直り、俺は耳を近づけた。

 

「ル……そ、服……ベルセ、ルク……むかし……バチカ……うわさ……狂戦士…………」

 

掠れ掠れにそれだけ告げ、ガイは再び動かなくなった。……うん、ダイイングメッセージだ。何を言いたいのかまるでわからなかったが、一応ガイの最後の言葉は聞き遂げたので俺は悪くない。ガイはただの過労死だ。

 

むぅ……実際問題、無理し過ぎたかもしれない。ガイとシンクは疲れすぎで、今日はもうまともに動けない可能性大だ。

 

適当に二人の口に水筒を突っ込んだりして乱暴に介抱してたら、訓練に一区切りついたらしいリグレット達が歩いてきた。……まあ、全員ボロボロで、足取りがかなり危ういが。

 

「おう、大丈夫か?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

俺の心配の声を皆は完全に無視、無言のまま死人のような目を閉じてガイとシンクの横に次々と倒れ込んでいった。プライドが許さなかったのか、唯一普通に俺の隣に腰をおろしたリグレットも、何だかんだで死にそうになってる。

 

……今日から訓練メニューを大幅に変更したのだが、明らかに失敗だ。オーバーワーク過ぎて話になってねえ。

 

「おう、お疲れさん。俺は先に宮殿に戻る。訓練が終わったら……いや、夕食後にでも全員で俺の部屋に顔出してくれ……まあもっとも、今日はもう訓練は無理だと思うがな」

 

先程まで一人でぶつぶつと呟いてたピオニーだが、何やらそれだけ告げて颯爽と街の方へと駆けていった。サボりは終了ということらしい。つーかそろそろ追っ手がやって来ると踏んだのだろう。流石に手慣れてやがる。

 

「……さて、と」

 

「どうかしたか?」

 

疲れ果てたリグレットが小さく首を傾げてくるが、俺はそれに答えずにリグレットの肩を押して横にさせる。案の定すんなりと仰向けに倒れたリグレットは、納得したように瞳を閉じた。

 

「悪いな、相手をしてやれなくて」

 

「気にすんな。今終わらせたら、今日の夜はゆっくりと休めるしな」

 

俺は木刀を手に取りながら立ち上がり、壊滅してる皆に視線を落とす。

 

マジで重傷だな、こりぁあ。

 

苦笑気味に全員の様子を伺ってると、アリエッタに腕を抱き枕にされてるシンクが首だけをこちらに向けてきた。

 

「……何、今からまだやるの? あんた……本当に人間?」

 

「お子様はお昼寝でもしてな。音無し子守歌で寝かしつけてやるからよ」

 

 

言って、俺は瞳を閉じて精神を集中する。

 

俺が司りし第七音素によって干渉するのは、闇の力第一音素。

 

俺を中心に渦巻き始める暗黒の粒子が静かに暗く輝き、世界は闇に包まれる。

 

数瞬の後、訓練所一帯に降りた闇の帳が晴れたころには、例外なく全員が深い眠りについていた。

 

治癒術では傷を癒やすことが出来ても、疲労を取ることは出来ない。休息とは闇によってもたらされるものである。

 

そういうわけで深い深い眠りについた、戦闘中だったアッシュと兵士さん達を脇に退け、俺は訓練所の中央に立った。

 

今からは俺自信の訓練の時間――異端者共との殺戮合戦だ。

 

脳裏に自然と浮かび上がる地獄の日々が、俺の支配下に置かれたこの領域にて再現される。

 

「よっしゃ。それじゃあ今日も元気に頑張って――仲良く殺し合うとするか」

 

歴戦の亡者の群れを従える長い亜麻色の髪の白い少女が、くすりと笑った。

 

 

 

「ルーク……大丈夫?」

 

「…………ん」

 

夕日が赤く染め上げる宮殿への道すがら、ライガの背に跨りそのまま倒れ伏してる俺は、横をとことこと歩くアリエッタに、呻き声でもって返した。

 

……ダメだ……これ以上体力使ったら死にそうだ。

 

汗をだらだらと垂れ流す俺を背に乗せるライガが、不快そうにぐるぐる鳴いてるが、俺は冗談抜きに一歩たりとも動けないので……うん、ほんと見捨てないで我慢してほしい。

 

つーかそれよりだ。

 

「……あー、うー」

 

「……? ごめんなさい……アリエッタ、わからないです」

 

「熱いそうだ。アリエッタ、髪を括ってやれば喜ぶぞ。涼しくなるからな」

 

 

相変わらず呻き声以外を発さない俺に戸惑っていたアリエッタは、リグレットの素っ気ないアドバイスに嬉しそうに大きく頷き、ライガの背でうつ伏せになってる俺の頭に手を伸ばす。

 

乗せてくれてるライガには悪いが、正直熱くてやってらんねえのである。もふもふしてて、寒いところでは完璧な暖房器具として機能する黄色の毛皮も、今は拷問にしかならないのだ。加えて汗で首筋にへばりつく自前の長髪……不快過ぎてストレスが尋常じゃない。

 

アリエッタがいそいそと俺の髪を梳いて、頭の上で縛ってくれたおかげで、多少風通しがよくなった。

 

「相っ変わらず慣れてるな、ルークの扱いに……」

 

「リグレットってば飼い主じゃん、もう」

 

最近毎日訓練と称した虐待に合ってるから、一眠りしたことで回復したガイとアニスが復讐とばかりにニタニタ笑いながら俺に噛み付いてくる。

 

今日はジェイドがラルゴと共に、軍の本部で一般兵相手に講習を行ってるから、変に油を注がれた上に爆弾を投下される心配はないが、それにしたって今の動けない俺にはどうすることも出来ない。

 

出来ることはただ一つ――明日の訓練メニューの変更のみだ。

 

突っ伏したまま不気味に喉を鳴らす俺に気付いたのか、呆れ顔のシンクがさり気なくアリエッタを俺から遠ざけるのが横目に見えた。

 

「夕食までにはまだ少し時間があるな。先に用事を済ませに行くか」

 

「用事って、陛下の部屋に行くんですか?」

 

我関せずと宮殿を睨むリグレットにティアが首を傾げれば、リグレットは瞳を細めて真面目に言い切った。

 

「嫌なことはなるべく早く済ませたい」

 

とまあリグレットの一存で、俺たちは皇帝の部屋に向かうことになったのだった。

 

相変わらずライガの上で死んでる俺も、ブタ箱に強制連行される。駄目皇帝の部屋はマジでブウサギ小屋なのだ。あの野郎は常軌を逸したことに、わざわざ自分の部屋を家畜小屋にしてやがる。正直臭いから、なるべく踏み込みたくねえのだ。

 

だからこそ、俺が願望をバカ正直に実行に移せない今だからこそ、リグレットは敢えて自ら魔窟に挑戦するなど言い出したのだろう。つまりは言外に、どうせ自分だけ逃げるつもりだったのだろう、と非難してるのだ。

 

そんなこんなで恐い魔女さんに脳天に銃口を突き付けられたような状態で到着した、やたらと高級な作りのブタ箱への扉の前。

 

どうやら中に五人程いるっぽいが……マジで何でか知らねえが、嫌な予感がする。

 

…………これは、仕方ねえな。

 

俺は自分の直感に絶大の信頼を寄せている。過去に崩落確実の橋を幾度と渡って来たが、その度に俺が生き延びることが出来たのは直感のおかげに他ならない。その橋はきっと落ちないと告げてきたのも直感だが、それはもうちょっとした悪戯心に決まってる。

 

だから俺は――そう、逃げることにした。

 

ぼそりと誰にも気付かれないようにライガに耳打ちをする。

 

アリエッタの将来について、森で狩った獲物を肴に朝まで語り明かそう、と。

 

純粋な人間の言葉だが、アリエッタを見守る隊に所属する同志の間に不可能はない。熱いパトスがあれば、種族の壁なんてあってないようなもんだ。

 

もはや当然の結果として――

 

ライガは吼えた。そして駆け出す、宮殿の出口へと。

 

「く、不覚! 普通に魔物を丸め込むな!!」

 

「あいつ……本当に人間やめたんだな……」

 

「そうでしたの?」

 

後ろからはリグレットの怒声と、アッシュのしみじみとした間抜けな声と、ナタリアの真面目な疑問の声が聞こえた。

 

地味にナタリアに傷を負わせられた気分だ。

 

 

その晩、俺たちは騒いだ。月の明かりに照らされた森の中、集ったアリエッタの友達と騒ぎ通した。

 

死んでた時にユリアをぶっ殺すため、割と真剣に磨き上げた本職の方もびっくりな暗殺術を駆使して捕まえた動物を肴に大議論をし、とりあえずシンクは殺さない方向で賛成多数で可決した。

 

シンクを喰い殺すとマジで言ってたアリエッタを見守る隊の隊員を、俺がボディランゲージを駆使して必死に説得したのだから感謝してほしい。殺すのは、シンクがアリエッタを傷つける寸前でいいだろうと。

 

異種属間交流はそれなりに有意義で楽しかったが――……

 

「いや、うん……本当に後悔してますから……ね? 勘弁してください、悪いことしてごめんなさい……」

 

――結果だけみれば俺の人生でも稀にみる失敗だった。

 

キレたみんなが、俺を置いて旅立ってしまおうとしていた。飛び立つ寸前のアルビオールにしがみつけたのはいいが、行き先が鬼畜なことに雪国だったので、甲板の上にへばりついてた俺は凍傷で軽く死んでる。つーか俺じゃなかったら普通にリアルに死んでる。雪国なんて大っ嫌いだ。

 

星の北端に近いため、年間通して平均気温がマイナスをきってるっていう、温室育ちの俺からしたら正気の沙汰じゃない国ケテルブルグ。俺はそのとち狂った街のシンボルであり、吹雪で遭難しそうな旅人を導く灯台のような役割も果たす超巨大建築物でもあるセレブ御用達の高級ホテルの前で、惨めに扉を叩きながら叫んでた。

 

「開けてくだせぇー! 俺が悪かったんです! 寒いし腹減ったし周りの目が痛いし、扉を開けてくだせぇー!」

 

銀世界での締め出しは、真剣に辛いからやめて欲しい。寝不足だし半日中拷問くらってたようなもんだし朝から何も食ってないし、日が暮れた今、もはや俺に「俺は悪くねえ」と言える元気はなかった。

 

「く、くそっ! ホテル側まで抱き込むなんて……」

 

いくら謝ろうが門前払い―これじゃあもう、開き直るしかねえじゃねえか。

 

芯まで凍えた身体に鞭を打ち、俺は拳を握り締めめて二本の足でしっかりと雪の大地に立つ。

 

いいぜ――そっちがその気なら、俺にだって考えがある。

 

「上等だ、そんなに俺を凍死させたいんなら、手伝ってやるよ。雪山で山篭もりして来てやる!!」

 

最近は他人の訓練ばかりに手間をかけて、自分のことはあまり出来てなかった。残り一カ月をきった今、そろそろ個々人で自分のためだけの訓練をした方がいい。

 

――とまあそんなわけで、俺は雪山に篭もって最終調整を始めることにしたのだった。

 

……これはあくまでも最終決戦に向けて選んだ、最善と思われる選択肢なわけであって、別に無視されて拗ねたわけではない。

 

うん、断じて違う。

 

「……やはりここにいたか」

 

時刻は正午過ぎ、焚き火で橙色に照らされた洞窟内で飯を食ってると、入口に雪男が現れた。

 

意外と広い洞窟内で寝そべっていた狼形の魔物が、侵入者に牙を剥き低く唸り威嚇する。今にも逆行で影しか見えない雪男に飛びかかろとする、鋭い美しさの淡い青色の魔物の頭を撫でてやり、落ち着かせる。

 

敵ではないと理解したらしく、火の粉を散らす焚き火で毛並みを赤く染めた魔物は、ぐるぐると鳴きながら鼻先を俺の手の平にすり付けてきた。

 

「まったく……よくもまあ、この雪山の魔物を手懐けれるな。一応凶悪なことで有名なんだがな」

 

頭に降り積もった雪を払いながら、重い足取りで俺たちに近づいてくる雪男――ラルゴに、俺はへらへらと笑いながら手を振った。

 

「よう、久しぶりだな。だいたい三十日ぶりくらいか?」

 

「ああ。迎えにきたぞ、ルーク。そろそろお前がいないと、オールドラント戦に向けた訓練を終えられないからな」

 

ラルゴは雪山では命取りになる何時もの全身鎧は脱ぎ去り、暖かそうな黒色の毛皮を使ったコートを着込んでいた。重装備ではあるが、生憎今日の天気は猛吹雪だ、ここまで来るのに結構苦労したんじゃないだろうか。

 

寒そうに火に近づいてきたラルゴに、俺は串にぶっ刺して焼いた魔物の肉を手渡してやる。俺の昼飯だが、まだ保存食があるから心配はない。

 

「みんなの仕上がり、どんな感じだ?」

 

「上々だ。やり返されないように気をつけておいたほうがいいぞ」

 

「俺も結構鍛えたからな、まったくこれっぽっちも問題ねえよ」

 

どうやら俺が雪山に引きこもってた三十日の間、皆はラルゴが認めるほど頑張ってたらしい。途中で勢いだけで皆との訓練を放棄する形になってたので、どうなってるのか心配と言えば心配だったのだ。

 

俺の昼飯にかぶりつきながら、ラルゴは感心したような呆れたような、複雑な表情を俺に向けてくる。

 

「おおよそ人間が生きていける環境じゃあないが、お前はここで一体何をしてたんだ? ここじゃあまともに訓練することもできないだろうが」

 

「あー……、人がいない場所の方が、色々と都合が良かったからな。あと、丁度セフィロトにも用があったし」

 

「アリエッタが寂しがってたぞ、お前がいなくて。リグレットも最近元気がなかった。いくら何でも三十日は長すぎだぞ、小僧」

 

肉を食い終わったラルゴが、言外に一緒に山を降りろと言ってくる。別に俺もすでに用事を終えてるし、そろそろ戻るつもりだったのでそんなに警戒しないで欲しかったりする。

 

「……つーか、リグレットの元気がないって、完全完璧に嘘だろ、おい」

 

「…………そう思うんなら、思ってろ。まあ少なくとも、公衆の面前で相棒云々と言い合ってた相手が勝手にいなくなれば、いい気はしないんじゃないか?」

 

「…………」

 

まさしく正論だった。ぐうの音もでねえぜ。

 

無言で押し黙る俺に小さく苦笑して、ラルゴは俺が半月の間拠点にしてきた洞窟を、感慨深そうにゆっくりと見回した。

 

「懐かしいな、この場所は」

 

「そうだな……くはははは、今度リグレットも連れてきて、三人で飲んでみるのも悪くねえな」

 

この場所は、かつて雪崩に巻き込まれ、ラルゴとリグレットと共に遭難した時に、ビバークした洞窟だ。

 

あの時はまだ一応敵対関係にあったのだから、今からしたら笑うしかない。

 

「人生の分岐点……」

 

「ん?」

 

ここで生活するうちに仲良くなった狼形の魔物うーちゃんの頭を撫でる俺にではなく、ラルゴは何処か遠くを見るような目をして呟いた。

 

「スコア、運命、定められた未来――オールドラントが綴ったというシナリオ……とにかくそういった俺の預かり知らないところにある、俺の人生の分岐点は、あの時この場所でのことだったんだろうな」

 

「どうしたんだよ、急に。あれが分岐点って……俺、そこまで大袈裟なことやったつもりはねえんだが。つーか本当に、ただ会話しただけじゃねえか」

 

「そうだな。俺自身が俺の意思で歩んできた人生で考えると、確かにもっと大きなことがあった。俺の中での俺の人生の分岐点は、娘と妻を失った時だろう。そこから俺の人生は面白いほど狂い出した」

 

人類を一度滅亡させることで正そうとした男に出会った。そしてその男に仕え、人を殺した。

 

自分を殺し続けてまで人を守ろうとした少年に出会った。そして今では成長したその少年と、一緒に生き残るために戦っている。

 

他にも様々な人間に出会った。

 

今じゃあどれも捨てがたい思い出だ、と豪快に笑うラルゴは、しかし次の瞬間には驚くほど真剣な瞳を俺に向けていた。

 

「だがな、俺には確信がある。間違いない、あの時だ。まだ弱く弱く、ひたすら脆弱だったお前に敗れ、そしてここで怒鳴られた時――あの時にこそ、大局の中での俺の人生は変わったんだ。……まあ、俺が生きるのは俺の人生だ。俺にとってはその分岐点、運命の別れ道も、等しく思い出の一つなんだがな」

 

「……なんか、いまいち何が言いたいのかわかんねえな。人生を主観と客観で見比べてみたらって話……なんだよな?」

 

うん、だから何なんだよとしか言えねえぜ。運命だろうがオールドラントのシナリオだろうが、すでにもうそれは狂ってるのだから、そういう視点で見るんなら、毎日毎時間毎分毎秒――一瞬一瞬が分岐点で別れ道だろうに。

 

「俺にもよくわからん感覚的な話だ、共感できはせんだろう。まあ、とにかくどちらにせよ、言い換えればお前が俺の人生にいい影響を与えてくれたってだけの、そういう簡単な話だ」

 

「…………ふーん。お前だって俺の人生に、いい影響を与えてくれたけどな。お前ら親子を見てて、家族ってのがどういうもんか何となくわかって、親の気持ちってのもやっぱり馬鹿には出来ねえって思うようになったんだからな」

 

「俺がお前に……か。大したことはしてやれなかったがな、お前には特に。何時の間にか戦士足り得ていて、何時の間にか一人前になっていた。ふん、お前がナタリアの婚約者だった時があったと考えると、少々惜しい気がするな」

 

楽しそうに冗談めかして笑うラルゴに、俺も笑って返してやる。

 

「ハッ、お前にだけは殴られたくねえよ。死ぬほど痛いだろうからな」

 

「そりゃあ残念だな。お前のような男が息子になったら、色々と楽しかっただろうがな」

 

……まったく、よくもまあこれだけ堂々と、思ってもいないことを言えるぜ。

 

ラルゴはアッシュの奴をちゃんと認めてるし、それ以上にナタリアの意志を何よりも尊重する。結局のところラルゴは超弩級の親バカではあるが、言い換えれば色々な意味で本当に素晴らしい父親なのだ。

 

だからさっきのは、どちらかと言えば寡黙なラルゴにしては珍しいが、完全完璧にただのタチの悪い冗談だ。

 

「さてと……そろそろ山からおりるか。今からなら、天気も崩れねえだろうしな」

 

「わかるのか?」

 

「半月ここで暮らしてたんだ、ある程度ならな。それに……まあ、ちょっとした裏技もあるしな」

 

適当にラルゴに答えて、俺は横で寝ていたうーちゃんの頭を叩いて立ち上がる。久しぶりの人里だ、温かくて美味い飯が楽しみだぜ。

 

焚き火はどうせすぐに消えるから放置し、保存食として作っていたそれなりの量の干し肉を手に取り、暖を取るために使っていた魔物の毛皮を道具袋に詰め込む。

 

簡単に荷物を纏めた俺は、半月間だけの住まいに心の中で別れを告げ、ラルゴと共に出口へと向かった。

 

「その魔物はどうするんだ? 連れて行くのか」

「いいや、こいつらの住処はこの山だ。今までの生活捨ててまで、わざわざ俺についてくるほどの仲じゃねえよ」

 

「こいつ、ら?」

 

眉を寄せて、俺と後ろから付いて来るうーちゃんを交互に見るラルゴに、そういえば何も言ってなかったと、今になって思い出した。

 

洞窟の出口、今や吹雪がおさまり静かに小粒の雪が舞う外には、数多くの魔物達が揃い踏みしている。大小種族問わない、この近辺に生息する様々な魔物達。

 

十数匹はいる、そこそこ仲良くなった奴ら。実際は仕留めた俺一人では食べきれない獲物のおこぼれを狙う奴らが大半なのだが――ともかくそのご近所さん達は、俺に向かって様々な鳴き声を発する。

 

「まあ、言葉通じねえから言っても無駄なんだが、とりあえず短い間でしたがお世話になりました。今日限りで引っ越すことになったんで……まあ、餞別代わりに余った食材の処理でもしてくれや」

 

まったく必要性のない別れの言葉と共に、俺は盛大に抱えていた干し肉をばらまいたのだった。

 

「よし、行こうぜラルゴ」

 

「…………」

 

後処理を済ませてラルゴに向き直れば、何かめっちゃ引きつった顔をされた挙げ句、目をそらされた。

 

……地味に傷つくんですけど、明らかに引かれると。

 

 

ラルゴは徒歩で山を登って来たわけではなく、ディストの譜業兵器に乗って来ていたので、俺達は洞窟から少し離れた場所で待っていた翼のある譜業兵器に乗り込んだ。

 

この鳥形の譜業、前にアルビオールの上でやりあったものと同じシリーズらしいが、少し大きめに作ってあり、ぎりぎりで三人までは乗り込める設計だ。しかしそこは雪男もびっくりの巨漢ラルゴ、当然中に入りきらないので、今は例の透明な球形におさまり、素で檻の中の獣をやってる。

 

だから俺は今、狭い機内でディストと二人っきりだったりするのだが……。

 

うん、俺だって流石にもう気づいてる。何故かよくわからんことに、俺はディストに怖がられてるのだ。さっきから俺がほんの少し動くだけで、ディストがビクッと大袈裟に肩を跳ね上げてたりする。

 

いや、ここまであからさまだと何かな……。

 

「あー……、あれだ、悪いな、迎えに来させちまって」

 

「い、いえ……構いません、新作の試運転も出来ましたし……はい、気にしないで下さい、本当に」

 

「…………」

 

ここまで下に出られると困ります、マジで。

 

びっくりするほどの空気の悪さに嫌になりながらも、ここまでの態度を取られる理由が気になるので、とりあえず俺は率直に聞いてみることにした。

 

「あのさ、何でディストってそんなに俺を怖がるわけ?」

 

「…………殺されかけましたから」

 

とてつもなく納得できる答えだった。

 

考えてみればかつてのヴァンの部下――六神将の中で一番最後まで敵対していたのは、ディストだった。

 

直接戦り合った回数は数回だが、それにしたって下手したら死んでただろうし、それに加えて俺は過去にディストの研究所を爆破してたりする。精神面や経済面でも殺しかけたのかもしれない。

 

トラウマの原因としちゃあ、確かに十分すぎだ。

 

「私はあなたが苦手……というより、私はあなたが憎いのかもしれません」

 

妙に納得してしまい、こりゃあもうどうしようもないと諦めて、固いシートに体重を預けてると、ディストが突然語り始めた。憎いとか……まあそりゃあ、研究データとかを一瞬で消し炭にされたら殺意の一つや二つはわくだろう。

 

「私は生涯の目的のために、手段である譜業を研究してきました。たかが目的のための手段、道具ではありますが、心血を注いで獲得した私の技術や知識は、誇りでもあります」

 

「…………」

 

話が全く見えない。自分で言うように、ディストは世界最高峰の発明家で研究者で技術者だ。そのことは、ディストが如何に優れた人間かということは、言われなくたって嫌になるほどわかってる。

 

後部座席の眉を寄せる俺には一瞥もくれず、ディストは操縦桿を握りしめ前を見据えたまま続けた。

 

「誇りを、プライドを、私の価値を……あなたは簡単に消し去って行く。だから、憎いんです」

 

「俺が……? 意味わかんねえよ、何を――」

 

「だって、そうではないですか。あなたの知識は私より遥かに深く、あなたの技術は私より遥かに洗練されたもので、あなたの発想力は異常です。私の譜業を簡単に解体できるということは……そういうことでしょう」

 

あなたの前では私は無価値だ――と、ディストは歪に平坦に言い切った。悔しさを隠し切れないほどの思いを持って、そう言い切った。

 

「…………ったく、そりゃあ俺の台詞だっての」

 

ため息を吐き、俺は拳を握る。悔しいのは俺の方だ。

 

「あのな、俺の知識じゃあ、お前みたいに何かを作ることなんてできねえし、俺の技術は壊すことにしか使えねえよ。発想力だって、偶然俺の立ち位置が妙な場所だっただけだ」

 

「嘘なんて――」

 

「嘘じゃねえよ。人の役に立つものを生み出せるお前と違って、俺は壊すことしかまともにできねえ。いや、壊すことすらまともにできてねえかもな。世界が平和になれば、非生産的でしかない俺なんてただの迷惑人間だよ――プラネットストームが止まって資源が根本から代わりつつある今、絶対に必要とされるお前と違ってな」

 

 

それから俺達の間に会話はなかった。無事に街に到着して、俺はディストの譜業から降りた。

 

ディストの作品の乗り心地は、とても良かった。

 

 

 

 

しばらく人間らしい生活から離れてたので、とりあえず俺は件の高級ホテルの一室で、備え付けのシャワーを浴びた。久しぶりの心置きなくお湯を使えるという状況に、ちょっと感動してしまったりしたが、とにかくさっぱりしたので気分がいい。

 

俺が勝手に離脱した後、皆は一度この街から離れていたらしい。そしてつい先日に俺を迎えにくるため、この街に帰ってきたと言うわけだ。

 

とりあえず皆に挨拶でもしとこうかと、濡れた頭をガシガシとタオルでふきながら廊下に出る。誰がどこにいるかは知らないが、そろそろ夕飯の時間だし、レストランで飯でも食ってたら誰かは来るだろう。

 

部屋もそうだが、赤い絨毯が敷かれた廊下もいちいち作りが高級だ。洞窟暮らしがべったりと板についた俺からすれば、ちょっとばかり人工的すぎて違和感を覚えちまう。

 

不審者そのままに何故か廊下に敵意を振り撒く俺。むぅ……なんかそれっぽい生活をしてる間に、野生に近づいてしまった気がしないでもない。

 

と、カーブを描いて先が見えない廊下の先から、扉の開く音が聞こえた。ラルゴの話だと、このフロアに全員の部屋があるとのことだったので、少し足を早め確認に向かう。

 

見えてきたのは金糸の刺繍で飾られた、ゆったりとした白いローブに包まれた背中に緑色の頭。今頃ダアトで、世界各地で起こる面倒事に頭を悩ませてるはずの導師イオン様だった。

 

ローブについた飾りをシャラシャラ鳴らして歩くイオンに、俺は後ろから声をかけた。

 

「よ、イオン。久しぶりだな」

 

「あ、ルーク。お久しぶりです。帰ってきていたんですね」

 

イオンは俺の声にゆっくりと振り返って、嬉しそうに満面の笑顔を浮かべた。

 

「用事は無事に終わったんですか?」

 

「あ? 別に用事なんてなかったぞ」

 

「隠さなくてもいいじゃないですか。今の状況であなたが無駄なことをするはずがありませんよ。あなたの目的のために、どうしても欠かせない過程だったんでしょう?」

 

「…………」

 

相も変わらずにっこにっことしながら、純粋に俺に信頼を向けてくるイオン。全く濁りのない瞳がマジで痛いので、とりあえず話題を変える方向で決定。

 

「イオンは何でここにいるんだ? 仕事ってわけじゃねえだろ」

 

「休暇ですよ、明日にはダアトに戻ります。アルビオールは本当に便利ですよね、たった二日の休暇でここまで遠出が出来るのですから」

 

「まあ、その便利なアルビオールもそろそろ使えなくなるんだけどな。プラネットストームが止まっちまったから」

 

従来のやり方、大気中の音素をエネルギーとして使う方法はもう使えなくなる。無尽蔵に音素を供給する(まあ、実際は無尽蔵じゃないんだが)プラネットストームが停止した以上は、使いすぎれば音素は枯渇し、大気中に溢れる音素など微々たるものとなる。自然のサイクルじゃあ、人間の今までの暮らしを支えることは出来ないのだ。

 

「転換期……どちらにしろ僕達人間は、今までの生き方を変えなければならないんですね」

 

「そうだな。まあ、大変だろうが頑張ってくれ」

 

「はい。僕の仕事は、戦いが終わった後からが本番ですからね。ルークも、僕の出番がなくならないように頑張ってください」

 

導師を名乗る以上、イオンの未来は困難で彩られることになる。変質する文明、移り変わる時代、その境目になる戦後を、イオンは人々を支えながら生きる。

 

それがどれだけ大変なことか理解してるから、俺には頑張ってくれとしか言いようがなかった。

 

互いに無責任な言葉を吐きつつも、まあそれでも悪意なく笑いあえるくらいには、信頼関係が築けてるんだろう。

 

円を描く長い廊下を歩き、俺達はエレベーターの扉の前まで来た。

 

「じゃあ、また後でな」

 

「はい、もしかすると僕達も、行くことになるかもしれませんけど」

 

下に降りて飯を食いに行く俺はここまでだが、イオンはアニスに用事があるらしく、この先にある部屋に向かう。だからここでお別れだ。

 

「ルーク」

 

扉が開くのを待つ俺に、イオンはどこか儚い笑みを見せる。

 

「あなたは、やはりもう戦いの後の生き方を決めているんですね」

 

「……まあな。多分お前の予想通りだが、俺は好き勝手に生きるつもりだよ」

 

「そうですか……あと少しでお別れなんですね」

 

生き方を変えるつもりはないんですか――と、イオンは少し困ったような、そして悲しんでるような顔を浮かべて、俺を見てきた。

 

……その聞き方は、ちょっと卑怯なんじゃねえだろうか。

 

俺は小さく溜め息を吐き、イオンの頭を軽くはたいた。

 

「俺は英雄に祭り上げられるのなんて、嫌だって言ってるだろうが。英雄なんて所詮はヒエラルキーの一番下、それを祭り上げた人間の最大の敵と同列で、奴隷だ。勇者と魔王の違いなんて、それを定義する奴らに服従するか我を通すかだけだろ。オールドラントって敵が消えれば、英雄なんてただの災害にしかならねえよ」

 

過ぎた暴力は、持ち主の意志とは無関係に排除される。排除されたくないなら、従うか逆らうか――隠れるしかないってだけの話だ。

 

そう告げた俺に、「そうですか」とイオンは小さく呟き、俯く。

 

そして、

 

「ルーク……あなたがどのような道を歩こうと、僕はあなたの幸せを願っています」

 

開いた扉に入ろうと背を向けた俺に、イオンは静かに穏やかに言った。だから俺も、素直に思うままを言ってやった。

 

「俺もだよ」

 

 

 

 

レストランのある階に出てすぐに、茶色の紙袋を両腕で抱えたアニスに出くわした。小柄なアニスは大きな紙袋のせいで視界が確保出来ないらしく、両サイドでくくった黒髪を揺らして体を斜めにしながら歩いて来る。

 

俺からもアニスの顔はあまり見えないが、導師付を示す桃色ベースの教団服は間違いなく彼女のものだ。

 

どうでもいいが、そのうち前方不注意で人にぶつかるんじゃねえだろうか。巨大な紙袋抱えて何をやってんだか……って、

 

「アニス、さっきイオンがお前の部屋に行こうとしてたぞ」

 

「え、うそっ!? イオン様ってばもう――って、ルークじゃん! なになに、何時戻って来てたの!?」

 

ていうか今まで何してたの!? と、アニスは危なっかしくガサガサと紙袋を揺らしながら、俺に小走りで近づいてきた。

 

相変わらず元気いっぱいすぎる奴だと、その勢いに若干後退しながら答える。

 

「ついさっきここに来て、今までは修行山篭もり編をやってた」

 

「うわ、相変わらず意味不明だね、ルークってば。雪山で山篭もりする必要性がまったく感じられないよ、アニスちゃんは」

 

「いや、ちゃんと強くなったはずだぜ。流石は俺」

 

「一応人間ならせめてちゃんと衰弱して帰って来てよね! 雪山なんだよ、雪山! 遭難したことのある人に土下座して謝って!」

 

「ハッ、安心しろ。俺も歴とした遭難経験者だ」

 

盛大に胸を張って自慢する俺の腹に、アニスがにっこにっこと嬉しそうに笑いながら思いっきり全力で平手打ちをかました。

 

「おかえり、久しぶりだね」

 

「おう、ただいま」

 

とりあえず再開の挨拶を終えて、俺たちは再び笑い合ったのだった。

 

「今からイオンと飯か?」

 

「そうだよ。このホテルっていい食材が売ってあるから、料理のしがいがあるんだ」

 

紙袋の中にぎっしりと詰まった様々な食材を見る俺に、やたらと高いのが難点だけどとアニスがぼやく。まあ、安くて美味い料理を志すアニスにしちゃあ、ここの高級食材の暴力的な価格設定は受け入れがたいんだろう。

 

俺だって家庭料理に数万も払いたくない。

 

「まあ、あれか。イオンと飯食うのも久しぶりなんだよな、手料理で奮発ってのもアニスらしいか」

 

「そうそう、愛情を込めて手間暇かけつつも豪勢に、一石二鳥だね。きゃーっ、もうルークってばアニスちゃんに何言わせるのーっ!?」

 

「地獄でも巡ってろ」

 

勝手に両手を頬にあてて悶えてるアニス。うん、そのまま悶え死ねばいい。

 

「……って、ちょっとちょっと、ルークどこ行っちゃうの!?」

 

「飯食ってくる。一人で楽しく」

 

「うわ、寂し」

 

笑いながら馬鹿にされた。本気で寂しい。

 

「酒も飲んでくる。一人で楽しく」

 

「うわ、虚し」

 

真剣な顔で言われた。本気で……死にたい。

 

アニスに背を向けて歩いていた俺は足を止め、そして気づけばアニスを睨んで叫んでいた。

 

「…………黙れ幸せ者!! お前に俺の何がわかる!? お前に俺の、独り身の辛さがわかるのかよ!? こんなことなら雪山に籠もってた方がよかったっつーの! 現実の方が寒いって何なんだよ、マジで!!」

 

「え、えっと……ゴメン」

 

衝動に駆られるまま叫んだら、冗談抜きにマジで引かれた。可哀想なものを見る目を向けて来るアニス……うん、泣けてくるから止めてくれ。

 

「じゃあな、アニス。お幸せに」

 

「いや……うん、何か本当にごめんね」

 

背後でアニスが困ったように笑う気配に、俺はさらに落ち込む。同情されても嬉しくねえよ。

 

大きく息を吐き出して気を取り直す。今からは楽しい楽しい飯の時間だ、嫌なことはさっさと記憶から消し去るに限る。

 

「ねえ、ルーク」

 

幸い金には余裕があるし、一人で豪遊を決め込もうと、何かよくわからんが涙で滲んできた目を擦っていると、アニスに呼び止められた。これ以上俺を傷つけて何の徳があるってんだ。

 

「全部終わったら、みんなで美味しいもの食べに行ったり、買い物したり、一緒に楽しいこといっぱいしようね」

 

「…………」

 

「ルークはさ、私と違って一人でも生きて行けるよ。……ううん、私だけじゃなくて大抵の人はね、やっぱり結局は周りの人と一緒に、意見が合わなくったって折り合いをつけて生きていくしかないし、それが自然な生き方で、幸せな生き方なんだと思う。でもさ、ルークは自分勝手とか自己中心的とか、そういう言葉じゃあ足りないほど、自分を曲げない――曲げられないでしょ?」

 

 

急に真面目な声色で、僅かにだが悲しみすら感じさせる口調でもって、アニスは語る。何も答えない俺を訝しがることもなく、淡々と語る。

 

「私ね、ルークの信念っていうか、そういう自分の中にある絶対的な強さみたいなものは好きだけど――その不器用で歪んじゃってる生き方は、ちょっと恐いかも」

 

「おいこらアニス、てめぇ人の性格を恐いとか言うなよ」

 

「……笑いごとじゃあ、ないんだけどね」

 

悪口に耐えられなくなり、くるりと後ろを振り返ってアニスを睨み付けた俺に、彼女は苦笑して、そして俺に背中を向けた。

 

「まあ、色々なことがあったしね。ルークがちょっと歪んじゃったのも、ある意味仕方ないことだと思うよ、アニスちゃんはね」

 

「おーい、あんまり歪んでる歪んでる言ってんじゃねえよ。グレるぞ」

 

「十分グレてるって、もう」

 

はぁ、とあからさまな溜め息が聞こえた。それからアニスは俺の方を振り返ることなく、エレベーターの入口へと歩いていく。

 

「とにかく、アニスちゃんが言いたいことは、全部全部ルークが背負っちゃった重たい荷物がおろせた時は、ちょっとでもその捻くれた性格を治すためにも、みんなで一緒に普通に楽しく遊んでみようよってこと。全部終わったら、ちょっとくらいなら肩の力抜いても――生きていけると思うよ」

 

そんな言葉を残して。

 

 

 

 

「やあ、人里に下りてきてたんだ。洞窟は快適だっただろうけど、こっちは何かと不便でしょ、文明が発達しすぎてて。ところで言葉通じてる?」

 

「え? ルークさん夕飯をご一緒に如何ですか、もちろん僕の奢りで? いやー悪いなシンク君、ありがとう。さっそく頂きます」

 

「山に帰りなよ。あんたの原始的な舌にあう雑な食べ物なんて、ここにはないからさ」

 

「黙れ食道楽。てめぇ仮にも世界平和を謳ってる教団の重鎮なら、貧困で苦しんでる皆様に土下座して謝って俺に飯を寄越せ」

 

「世界平和のために戦うには栄養が必要なのさ。ついでにあんたに恵んでやる理由も意味もない」

 

頭が悪いとしか思えない量を絶えず食い続けながら、シンクは俺の視線の先にあった皿を高速で引き寄せ保護した。

 

六人掛けの大きなテーブルを一人で占拠し、しかも数々の料理の皿で埋め尽くしている馬鹿。入ったレストランでやたらと目立っている食欲に溺れた馬鹿に、周囲の皆様方と同じく呆れようとしたら、思いっきり知り合いだったと気づいた俺の哀れさは、そりゃあもう半端じゃない。

 

無視しようとかと悩んでたらあら不思議、シンクからの売り言葉に買い言葉で何時の間にやら俺も馬鹿の仲間入りを果たしていたのだった。

 

テーブルの上には、メニューの上から下までありそうな色とりどりの皿。照明が抑えられ、少し薄暗くなっている落ち着いた雰囲気の店内で、明らかに浮いている。

 

俺は一度溜め息を吐いて、対面に座る食の手を休めないシンクを見やる。

 

「つーかお前さ、皮肉とか抜きによくそんなに食えるな。胃もそうだけどよ、主に財布の容量的な意味で」

 

「試食だから無料に決まってるじゃないか。シェフに味のチェックをしてくれって、依頼されてね。ほら、育ちがいい誰かの舌とは違うから」

 

「…………」

 

そういえばシンクは、一流レストランのシェフに依頼される料理評論家だった。意味不明過ぎて笑える肩書きだが、冗談じゃなくてマジなのだからやっぱり意味不明過ぎて笑える。

 

自然と顔が引きつるのを感じながらも、俺はなるべく顔に出さないようにしつつ、シンクの近くに控えていたウェイターさんを呼ぶ。そして目の前にある、何か良くわからんがとりあえず美味そうな肉料理の皿を指差した。

 

「これと同じのと、あとパン追加で」

 

適当過ぎる注文をする俺に全く嫌な顔をせずに、快く了承してくれたウェイターさんはぺこりと一礼して去っていく。

 

何とはなしに厨房へと向かうウェイターさんの背中を眺めてたのだが、一つ注文し忘れてたことに気づいて俺は声を張り上げた。

 

「すいませーん、あと適当なワイン、ボトルで! できれば今すぐ!」

 

「あのさ、恥ずかしいからやめてくれない? 酒場じゃないんだから」

 

「いや、もう恥を上塗りできる余地からしてねえんだから、心配すんなって」

 

俺に向かって再び一礼してくれたウェイターさんを確認し、俺はシンクを適当にあしらい料理の皿を引き寄せる。

 

「人のもの勝手に取らないでくれない。ダアト式譜術で吹き飛ばすよ?」

 

うん、マジ切れされた。

 

不穏過ぎる空気に生存本能を刺激されたらしく、ガタガタッと席から立ち上がり身構える周囲のお客様方。

 

……ぬぅ、まさかたかが料理で秘伝の必殺技まで持ち出されるとは。これって結果的に立派な営業妨害になってる気がするが、もしや悪いのって俺になるのだろうか。

 

シンクの低すぎる沸点に呆れながら、俺は若干店側の対応を気にしつつシンクを宥める。

 

「同じのが後からくるんだからいいじゃねえか。お前だって微妙に冷めたのより、熱々の方が食いたいだろ?」

 

「…………確かに」

 

もうこいつ駄目だわ、ほんとに。飯を食ってる時の視野の狭さはすでに異常の域だ。半月ほど魔物と半端共同生活をしてきたばっかりだが、シンクの反応は若干その魔物と似通ってる。

 

うん、アリエッタに気に入られるはずだ。それなら疑う余地もなく納得できるってもんだぜ。

 

俺は長らくの疑問がようやく解決した爽快感から、迷惑極まりない客へも、迅速な対応でもって接してくれるウェイターさんが早速持ってきてくれたワインのコルクを、意気揚々と引っこ抜く。

 

多分高級であろうワインをグラスにたっぷりと注ぐ俺に、シンクが刺々しい半眼を向けて来た。

 

「何だよ?」

 

「いや……うん、何でかな。僕は今、絶対にあんたを殴り倒さないといけないっていう使命感に駆られてるんだけど……まあ、それはおいておくとして、あんたそれ一人で全部飲む気?」

 

「あー……どうするかな、一人で酔っ払うってのもな……」

 

とりあえず料理にありつきながら、この先のことを考える。まだ並々と残ってるワイン、これを全部飲めば、潰れることはないがそれなりには酔いが回る。かと言って一度開けちまったのを放っておくのも……。

 

うん、それはともかくこの肉、めちゃくちゃ美味いな。

 

途中で考えることを放棄した俺に、呆れたような眼差しを向けてくるシンクが小さく溜め息を吐く。

 

「僕が言いたいのはさ、帰ってくるなり挨拶も抜きに酒飲んでたら、他の奴に……特にどこかの鬼教官とかに蜂の巣にされないかってことなんだけど」

 

「あ、それだ。リグレットってどこにいるかわかるか? 渡さなきゃいけないものもあるし、ついでにこれ持って行って飲むわ」

 

「僕が知ってるわけないじゃないか」

 

ていうかまたそれか、とまたしても大きく溜め息を吐かれた。やれやれと疲れたように首を振りながらも、やっぱり食の手を休めないシンクは、どうやら俺のことを飲んでばっかりの屑野郎だと勘違いしてるらしい。

 

半月間も酒を飲んでなかった俺は、勘違いも甚だしいぜとシンクを睨みつけてやった。

 

「言っとくがな、俺は極々たまーにしか飲まねえんだぞ。これでも人に迷惑は――」

 

「――知ってるさ、そんなことは」

 

シンクは平坦な声で俺の台詞を遮った。そして今まで一度たりとも止めなかった食の手を止め、正面から俺の目を真っ直ぐに見据える。

 

「ついでにあんたは、人前で本気で酔っ払うまで飲んだこともない」

 

「そりゃあ、意識が飛ぶまでは飲ま――」

 

「そうじゃないよ。あんたは絶対に人前じゃあ、瞬時に治癒術で毒素を分解できる量までしか飲まないんだ」

 

「…………」

 

酔ってる最中に命を狙われた時のことを考えてね、と押し黙る俺に嘲るような笑みを浮かべ、シンクは続けた。

 

「それどころかあんたは、人前じゃあ熟睡することもできない。最初はあんたの情報を、ヴァンに流すつもりで一緒に行動していた僕が言えることじゃないけど、あんたは根本的なところで、他人を信じることが出来ないんでしょ? ――例えばあんたの頭は、今この瞬間にも僕に命を狙われる光景を夢想している」

 

「…………別に、そういうわけじゃねえさ」

 

さり気なく裏切りをぶっちゃけやがったシンクだが、最初から裏切られることを前提として動いてた俺だ、何も言うことは出来ない。

 

口では否定したものの、シンクの言ったことは間違っちゃあいないのだ。確かに俺は、不意を突かれないように寝首をかかれないように、安心出来る場所以外では、酔う気にも寝る気にもなれない。

 

常に可能な限り最悪の状況を考え、絶対にどこかで保険をかけてしまうことが、習慣になってる。

 

図星を指されて自然と機嫌が悪くなる俺に、シンクは明らかな嘲笑を見せた。

 

「まあ、仕方ないんじゃないの? 絶対的に信頼してた人間に、あれほど見事に裏切られたんだからさ」

 

絶対的な信頼……考えるまでもなく、ヴァンのことに決まっている。真実俺は過去に、ヴァンによってどうしようもないほど徹底的に裏切られているのだから。

 

……それにしても、人間不信か。

 

シンクは俺が根本的な人間不信だというが、そんなことはない。確かに信仰とも言えるような信頼を裏切られはしたが、だからと言って身内も含め、全ての人間を頭っから疑ってかかるかと言えば、断じて否と言い切ることができる。

 

グラスのワインを煽って、俺はらしくもなく生温いことを言うシンクを、若干冷めた目で見た。

 

「絶大の信頼ならよせてもいいだろうが、絶対の信頼なんてよせるもんじゃねえだろ。俺はヴァンを殺したいほど憎んでるけど、それは裏切られたからじゃなくて、アクゼリュスを俺に落とさせたからだぞ。裏切られたことはあくまでも俺の落ち度だ。勝手にあいつを信じた俺が、あいつの企みに気づけなかっただけ。あいつとの戦いに、俺が負けたってだけの話だろ」

 

ヴァンは俺を利用してあの結果を出すために、何年間にも渡って準備をした。俺を懐柔するためだけに、膨大な時間を使った。

 

その努力と忍耐力だけは、殺意とは関係なく認めている。

 

「裏切りに何も思わない人間なんていないさ。あんたの言うことも当然理解できるし納得できるけど、そもそも論点が違ってきてる」

 

それだけ熱くなってるのがいい証拠じゃないか、とシンクが小さく溜め息を吐いた。

 

……まあ、むかつくが否定はできねえな。

 

ヴァンとの勝負に負けたことは、ただ俺に力がなかっただけで、殺意を抱く理由にはならない。それはただ、一回勝っただけでこの俺を侮ってるあいつに、敗北と地獄を同時に見せてやりたいと思わせているだけに過ぎない。

 

しかしアクゼリュスのことだけが、殺意の理由かと言えばそうではない。

 

やっぱり俺は、師弟関係にあった過去を否定された事実と、あいつが吐いた俺を都合よく利用するための嘘を、許せていない。

 

信頼を易々と裏切られたこも、立派な憎悪の理由だ。

 

「ああ、そうだな……そうだった。ありがとうな、シンク。小難しい言い訳なんて必要なく、俺はヴァンを殺すほど憎んでるんだった。俺はあいつが、あいつの全部が、ただ気に入らねえだけなんだった」

 

「うん。僕が言いたかったのは、そういうことじゃないんだけどね。一瞬一瞬が常に殺し合いだとか痛いことを疑いもせずに思っちゃってるその痛い頭を、少しはなんとかしろっていうことなんだよ? なに憎悪を新たにしちゃってるのさ」

 

 

やたらと回りくどい上に、何を言いたいのかいまいちわからんシンクの話を聞き終え、俺はさっさと席を立った。

 

簡単に飯を済ませたせいで、微妙な物足りなさを感じつつも、俺は酒の瓶を片手に自室に向かって廊下を歩く。リグレットを探すにしても、一旦この酒を置いてこないと色々ダメな気がする。

 

酒を片手に廊下をさ迷う男……うん、ただの酔っ払いじゃねえか。

 

それにしたってシンクの話は何時も妙にフィルターがかかってて、うねうねと曲がりくねってる。

 

もっと思ったことを、素直に率直に簡潔に言うべきだと思うんだよな、俺は。じゃないとあらぬ誤解を招いたりしそうだし、何より俺が疲れるからやめてほしい。

 

と、つらつらとそんなことを考えてると、廊下の少し先の扉が開いてナタリアが姿を表した。

 

そして俺は漂ってきた異臭に、迷わず大きく後ろに飛んだ。

 

ぐぅ……何だこれ、匂いだけで吐き気が……。

 

「そんな取り扱いに資格がいりそうな危険物持って、お前は何してんだよ? つーかその黒いの、マジで何? テロ?」

 

「ル、ルーク……! あなたは、あなたはいきなり何を仰いますの!? 私の渾身の力作を……力作を…………!!」

 

胃がむせかえる異臭に眉を寄せ、白い皿の上に鎮座する謎の黒い物体を睨みつければ、ナタリアに激怒されて、しかも若干泣かれそうになった。

 

まあ、泣きそうになる程度には、自分の実力のほどを理解できてるんだろう。

 

ナタリアは若干涙で瞳を潤ませながらも、毒物を持ったまま近づいてきて、拗ねたように俺を睨みつけてきた。

 

「ルーク、あなたはいくらなんでも物事をストレートに言い過ぎですわ! 少しは柔らかく包みこむことを覚えてくださいまし!!」

 

「い、いや、俺だってそれが料理だって気づけてたら――――」

 

「あ、あなたという方は……! ルークなんて、ルークなんてもう知りませんわ――って、どうして後ろにさがるのですか!?」

 

「臭いで胃が……うぅっ……」

 

「えずかないで下さいまし!!」

 

食欲が吹き飛ぶ臭いから遠ざかってみたが、うん、だめだった。焦げ臭いくせに何故か生臭いとんでも物質は、本気で何なのか理解できない。

 

俺は斬撃も打撃も譜術もどんとこいな超高性能マフラーを、鼻が隠れるまでずり上げる。

 

くっ、まさかこれを、マスク代わりに使う日が来るとは思ってなかったぜ。つーかどうでもいいがこのマフラー、性能の割にはマジで役に立ってねえ。防寒以外の使用例なんて、リグレットがもふもふして喜んでただけだぞ。

 

「あの……ルーク……」

 

眉を寄せて胸中で設計者の無能っぷりに悪態をついてたら、俯いたナタリアがむちゃくちゃ落ち込んだ様子で俺を上目遣いで見つめてきた。

 

「私のシチューは……それほどまでに酷い出来なのでしょうか……」

 

「!!?」

 

シ、シチュー!? これが、シチュー……?

 

えっと……確かに黒いけど、底の浅い白い皿にへばりついてるものは、固形物なんですけど……。

 

「シチューは、煮込めば煮込むほど美味しくなると聞きましたわ。スパイスもアニスに以前教えていただいた量だけを入れましたのに……」

 

「煮込めばって……焦がすと煮込むは違うとか以前に、材料が炭化してるんですけど」

 

つまりあれか、美味しくなれ美味しくなれとじっくり煮込んだ結果、水分が全部飛んで焦げに焦げたのか。

 

「いやまて、じゃあ何で生臭いんだよ」

 

「生臭い……魚を入れたのがいけなかったのでしょうか。私にもわかりませんわ」

 

俺にお前の奇跡的な調理法を聞くなよ。つーか普通にレシピ見て作れ。

 

「…………お前さ、頑張るのはいいけど、最初に方向性だけは決めとこうぜ。せっかくの熱意も努力も無駄骨だぞ」

 

「あう……返す言葉もございませんわ……」

 

ナタリアは完全に俯いて、肩を落として溜め息をついた。もう何かあれだ、あたかも俺が悪いことをしてしまったのかと勘違いするほどの落ち込みっぷりだ。

 

非常に納得いかないが、覚えてしまった罪悪感を何とかするために、俺は虚ろな目を危険ぶ……料理にむけるナタリアの肩を叩く。

 

「まあ、ほら、あれだ。気持ちだけなら嬉しいんじゃねえの? アッシュなら完食するかもしれねえけど」

 

「気持ちだけなら、ですか。……私、今日はもう寝ますわ」

 

あ、ヤバい。勢い余ってとどめさしちまった。

 

ナタリアはくるりと俺に背を向け、さっき出てきたばかりの扉に戻ろうとする。うん、何でこうなるのか意味不明だ。あれか、世界は溶けない出来損なったようなオブラートにしか包まないシンクが正しいとか、そんな寝ぼけたことをほざきやがるのか。

 

「ああ、ルーク。そういえばここ最近、ティアがあなたに聞きたいことがあるのにと、嘆いておりましたわ。彼女の部屋は私の部屋の隣ですので、後で挨拶もかねて訪ねてあげて下さいまし」

 

ティアが俺に聞きたいこと……む、もしやこれは来たかもしれない。

 

「――って、ナタリア、ちょっと待てよ。お前泣くなよ、俺が苛めたみたいじゃねえか」

 

「泣いてなどおりませんわ。ええ、決して泣いてなど……ぐすっ……」

 

扉に手をかけたナタリアは本気で涙を瞳いっぱいに溜めていた。もう何なんだよこれ……俺が泣きたくなるんですけど。

 

やりきれない思いを溜め息と共に大きく吐き出し、俺は乱暴に後ろ頭をがりがりと掻いた。

 

「アッシュって、お前と違って料理上手いんだろ? ならいいじゃねえか」

 

「…………」

 

喧嘩を売っておりますの? 半泣きながらも瞳を剣呑に光らせ、ナタリアは俺を生ゴミを見るような目で睨みつけてきた。正直そのまま後ろを振り向いて、全力で逃げ出そうかと真剣に悩んだが、流石は俺、頑張って耐えた。

 

俺はやれば出来る男なんだ。だからナタリアさんなんて怖くない……きっと。

 

「お前らにはさ、たっぷり時間があるんだ。苦手なことがあっても、二人で一緒に協力して克服していけばいいだけの話だろ?」

 

我ながら教科書にのりそうなくらい、むしろのってそうなくらいいい事を言った気がするが、使いどころを果てしなく間違ってる気がしないでもない。逃げるためとは言え、歯が浮きそうな台詞だぜ。

 

「…………あなたには、時間がないような言い方をされるのですね」

 

と、自己嫌悪してる俺に、ナタリアがどこか陰のある表情でそう呟いた。

 

まったく……何を言ってんのかね、こいつは。

 

「ばーか、変に疑うなよ。俺にないのは時間じゃなくて、一緒にやる相手の方だっての」

 

「……本当ですわね? あなたがいなくなったことで酷く傷ついた方がいることを、あなたは決して忘れてはなりませんわ」

 

先ほどまでの腑抜けた様子が嘘のように、ナタリアは瞳に強い意志を込めて俺を見据えた。そして確かに感じる人の上に立つ者の資質、王者の風格をもって宣言する。

 

「今度の戦い、私はあなたの足を引っ張るような真似はいたしませんわ。自らの力のほどは自覚しております。ですがあなたは――私を助けるような真似をしてはなりません。いざという時は、迷わずに私を切り捨てなさい」

 

その代わり――と、ナタリアは俺に告げた。弱者という立場に胡座をかくことなく、弱者だからこその覚悟をもって、俺に告げた。

 

「あなたが死ぬことを、私は禁じます。あの時のように、約束を破るなどという言葉を残して逝くことを、禁じます。あなたが――」

 

「――いい、知ってるよ」

 

俺はナタリアの言葉を遮った。言われるまでもなく、そんなことは知っている。

 

「俺はもう二度と、心の底から誓った約束を破らない。ヴァンみたいに、信頼を裏切らない。それが俺が俺であるってことで、多分、あいつとの契約なんだ。だから安心しろ――俺が俺であるために、いざという時はお前を切り捨てないで、敵を切り捨ててやるよ」

 

 

 

 

それにしても今日の説教された回数は異常だと思うんですよ、はい。

 

何か最後の語らい的なノリで、明日にも世界の命運をかけた戦いが始まっちゃったりしそうな勢いだが、しかし実際にはまだあと半月程度の時間があったするのだ、人類滅亡まで。

 

人類滅亡が半月後とか、ぶっちゃけ差し迫り過ぎてて全く笑えないが、二年前から街一つが丸ごと消滅したり、天下分け目の戦争が始まりかけたり、赤い悪魔とかいう痛い名前の人間兵器が世界征服を目論んだり、宙に浮いていた大地が落ちるというびっくり現象が起こったり……などなど、上げるのが面倒くさくなるほどの危機に晒されまくった世界中の人間は、いい具合に神経が麻痺ってきてるようで、世界規模の大混乱がおこるような気配は今のところなかったりする。

 

ちなみにここ二年の間に起こった、そのカオスすぎる危険な大惨事の数々に関わった……つーか大惨事を引き起こした張本人たちの内の一人が俺だということは内緒――にしたいけど、周知の事実だったりしちまうので、軽く泣きたい。

 

「あの……ルーク、私の話聞いてる?」

 

「はい、聞いてます。もう雪山に引きこもったりしません、みんなに迷惑かけません」

 

「ど、どうしたの? 急に落ち込んで……」

 

私そんなに強く言ってないのに、とティアが少し困ったように首を傾げるのだった。

 

ティアの部屋を訪ねてそうそう「勝手にいなくなってみんなを心配させたらダメでしょ」と、悪戯ばかりする困った子を注意する、年上のお姉さん的な雰囲気を出して俺を叱ったティアの年齢は十七歳、叱られた困った子な俺は二二歳。うん、もう死にたいです。

 

よくわからないけど、とうなだれる俺を不思議そうに見ながら、ティアは申し訳なさそうに切り出した。

 

「少し時間を取ってもらっていい? あなたに教えてもらいたいことがあるの」

 

「ん? ああ、いいぜ」

真剣さが滲み出る申し出に頷き返せば、ティアはほっと安堵の息を吐いて「よかった」と呟く。

 

「前にあなたに言われた譜歌のことなんだけど、どうすればいいかよくわからないの。私のための私だけの譜歌の旋律を作る。色々試してはみたの。でも、なかなか上手くいかなくて……」

 

うむ、やはり予想通りだった。俺はシングルのくせにやたらとでかいベッドに腰掛けたまま、対面の鏡台付きの椅子に座るティアに手招きをする。

 

この部屋はティアが使ってる寝室で、でかすぎるベッドと絢爛豪華なキラキラとした装飾が施してある鏡台の他には、これまた高級そうなクローゼットくらいしかない。この寝室は、ティアとリグレットが使ってるらしい家族用の部屋の一室なのだ。開かれたままの扉の向こうには、リビングやらキッチンやら、兎に角他数部屋が廊下で繋がってる。

 

もう何かホテルの部屋って言うよりかは、民家が丸々一軒収まってるかのような部屋割りだ。流石世界一金をかけたホテル、無駄に壮大だぜ。

 

立ち上がりはしたものの、首を傾げて何をすればいいのか分からず困ってるティアに小さく笑いつつ、俺は自分の膝を指差す。

 

「ここに座って、フォンスロット開いて音素の流れを感じてみろ。俺が第七音素の使い方ってのを実践してやるから、頑張って感覚を掴めよ」

 

「す、座れって、あなたの膝に……!?」

 

「別に座んなくてもいいけど、なるべく近くにいた方がやりやすいと思うぞ」

 

顔を真っ赤にして恥ずかしがるティアに、全く他意がなかった俺も吊られて少々照れてしまう。しかしだ、ふざけて言ってるんじゃなくて、真剣に効率を考えた上での判断なのだから、我慢してほしい。

 

何時もの黒い軍服を着てるティアは、軍人らしからぬ年相応の女の子そのものの反応を取る。つまり俯いたまま真っ赤な顔で「で、でも……そんな、膝に座るなんて……」と、もごもごと消え入りそうな声で呟いてるのだ。

 

これが照れからくる反応じゃなくて、怒りに顔を赤く染めて罵詈雑言を押し殺してるんだとしたら、俺はセクハラで訴えられそうだが……うん、きっと大丈夫だと思いたい。ていうか大丈夫であれ!

 

「……わ、わかったわ。これは訓練なんだもの、仕方ないのよね」

 

かなり真剣に痴漢の冤罪の恐ろしさについて考えてた俺に、ティアは意を決したように可哀想なくらい真っ赤な顔で頷き、ぎこちない動作でよちよちどベッドに上がってくる。そしてヘッドボードに体重を預けて片膝を立てて座る俺の足の間に、小動物のように体を小さくして、ちょこんと収まった。

 

むう……なんかいきなり幼くなってしまったようなティアに、妙に庇護欲をそそられて仕方がない。アリエッタにしてるように、ついつい思いっきり抱き締めて、胸元にある頭を撫で回したくなってくるぜ。

 

「ル、ルーク……お願い、始めて……?」

 

ティアの裏返ったか細い声にふと現実に戻され、俺は気合いを入れ直してティアを緩く抱き締める。

 

「じゃあ、第一音素から順に行くぞ。今からやるのが、第七音素で他の音素の力を最大限に引き出す術の理想形だ。それになるべく近づくように、譜歌の旋律を修正してみろ」

 

一度大きく深呼吸し、俺自身を第七音素の集合体と化す。そして世界に語りかけた。

 

 

 

 

「ねえ、ルーク」

 

集った第六音素の白色の粒子が静かにたゆたう部屋に、ティアが発した穏やかな声が、溶けるようにして消える。最初は緊張していたティアだが、今ではすっかりと落ち着いて音素の流れに身を任せていた。

 

「ん、できたのか?」

 

「ええ。でも、もう少しこのままでいてほしいの」

 

集中をといてほっと一息吐き、ティアを抱いていた腕を外そうとしたのだが、やんわりとティアに腕を押さえられた。

 

「別にいいけどよ、どうしたんだ?」

 

組んだ両腕に重ねられたティアの手に、少しだけ力がこもる。外そうと思えば簡単に外せる程度の、弱々しい力だ。

 

「あなたにね、言っておきたいことがあるの」

 

まるで甘えるように体重を預けて、もう少し強く抱き締めてくれとせがむように俺の両腕を自らに引き寄せるティア。

 

マジかよ、おい。これって……。

 

青天の霹靂ともいえる展開だが、流石に俺でもティアが何を言おうとしてるかわかる。何と言ったって、あのティアがここまでの行動に出てるのだから。

 

 

予想もしてなかった展開に唖然とする俺に、ティアは穏やかな声で――本当に穏やかで、俺からは見えない顔は、微笑んでるに違いないと確信が持てるほど優しい声で、その言葉を言った。

 

「私ね、ルークのことが好きだった」

 

「ティア……俺は――――」

 

ふふ、とティアが小さな笑い声を漏らした。苦々しい声しか出せない俺を可笑しがるようで、同時に苦笑してるような、そんな不思議な響きを持つ笑い声だった。

 

「言ったでしょう? 好きだったって。今でもルークのことは好きだけど、昔みたいな恋愛感情じゃないと思うの。…………いえ、でもやっぱり私、ルークのこと今でも好きなのかしら?」

 

「あ、あの、ティアさん……」

 

平然と凄まじいことを告白してきたティアに、俺はもう何が何だかで絶賛混乱中。それってつまり何か? ティアは昔は俺に惚れていて、今も惚れてるかもしれないと……って、結局俺は現在進行形で告白を受けてるかもしれなかったりする真っ最中で――もう意味分からん。

 

混乱しすぎて結局思考を止めた俺は、ティアの頭をはたいた。

 

「あのな、ちょっとは貞操の危機とか考えなさい。死ぬ前の俺だったら襲ってるぞ、マジで」

 

「?」

 

きょとんと不思議そうに首を傾げ、後にある俺の顔を見上げてくるティア。ぱちぱちと瞬きをするティアの横顔は、俺がまだルーク・フォン・ファブレだった頃によく見ていたものよりも、少しだけ大人になっていた。

 

「ルーク・フォン・ファブレならお前に惚れて、それでお前を愛してたかもなってことだよ」

 

「……何となくだけど、ルークの言いたいこと、わかるわ。そういう未来も、あったのかもね」

 

ルーク・フォン・ファブレが生きている世界も、可能性としてはあったのかもしれない。ヴァンがあの時に語った世界、オールドラントが綴った世界、その中に登場するルーク・フォン・ファブレがティアを好きになることは、不思議と簡単に想像できて、不思議と容易に当然のことだと納得できる。

 

「でもルークは、ルークなんだものね。ちょっと惜しくて悔しい気もするけど、教官が相手なら諦められるわ」

 

「!?」

 

…………は?

 

「教官は別に必要ないとか言うかもしれないけど、全部終わったらちゃんと式を挙げないとダメよ。教官を幸せにしなかったら、私、ルークのこと許さないから」

 

「!!!?」

 

…………はい?

 

謎の前提の上に成り立つ謎の呪文に驚愕の表情で固まる俺に、ティアははっとして怒りに眉を顰めて目を細める。

 

「あ、あなたまさか、教官に手を出したのに――」

 

「手なんて出してねえですよ!? つーかそれ、どんな噂!?」

 

「だ、だって、あの晩にケセドニアで一緒の部屋で寝たって聞いて…………そ、それで、首に、教官の首に赤い…………」

 

「あ、あ……あれかぁぁぁあああああぁぁぁぁああああああ!! 違う、あれは未遂だ、ちゃんと、ちゃんと踏みとどまったよ、俺!! 約束破ってないし、裏切ってもないから!!」

 

痛々しく絶叫してしまったが、幸いこのホテルの部屋は譜術的防音加工済み。俺の魂からの叫びが外にもれた心配なない。このホテルじゃなかったら死んでたかもしれない、マジで。

 

荒々しく肩で息をする俺と、自らの言葉に顔を真っ赤に染めてるティア。必死に誤解をとくために叫んでたら、何時の間にやらティアの肩を掴んでベッドに押し倒していた。ティアが言っていた夜のことが、今の似通った状況のせいでフラッシュバックして、自分の幼稚な愚行に死にたくなる。

 

「あのなぁ、ティア……」

 

クールダウンどころか、一瞬でテンションがマイナスまで突き抜けた俺は、溜め息混じりにぼやく。

 

「お前にだから言うけど、確かに俺、リグレットのこと好きだ」

 

「う、うん……それは……」

 

「でもさ、あいつはヴァンを愛してる。ヴァンのために、世界を壊そうとしたくらい愛してるんだ。だからお前が思ってるようなことは、絶対に起きない」

 

「…………」

 

押し黙ったティアに、俺はもう一度大きく溜め息を吐いて続ける。

 

「第一約束しちまったんだよ、俺。ヴァンをあいつの前に連れ戻して、無理やりにでも一緒にこの世界で幸せに生きさせてやるって。ほんっと、何でこんな約束しちまったんだろうな。ぶっちゃけこれだけ不愉快な思いをする羽目になるなんて、まったくこれっぽっちも予想してなかったぜ」

 

俺がリグレットを求めることからして即アウト。憎しみに任せてヴァンを殺しても終わり。超低確率だが、もしもヴァンがリグレットと一緒になることを渋ったら、俺はめでたく恋のキューピットに大変身。余裕で死ねるぜ。

 

「ルーク」

 

ままならない人生を愚痴り終えた俺の両頬に、優しく微笑むティアがそっと手を添え、

 

「ばか」

 

ぐにーっと力強く頬をつねった。仰向けのまま、両手でぐにぐに俺の頬を引っ張って来るティア。

 

「あにふんだよ、こら」

 

「知らないわよ、ばか。私が応援するって言ってるのに、ばかばかばかばかばか」

 

「てめぇ、バカバカ言ってんじゃねえよ」

 

さらにぐにぐにしてくるティアの手を掴み強引に引き剥がし、俺は組み伏せたティアを半眼で睨む。名誉毀損で訴えたいが、しかし俺が暴行罪で牢屋にぶち込まれそうな状況だな。

 

「…………」

 

「…………」

 

「ハッ」

 

「ふふ」

 

しばらく睨み合いが続いたが、両者とも馬鹿らしくなって小さく吹き出す。

 

まったく、と呆れたように苦笑したティアが口を開いて、

 

「ルーク、そろそろ――」

 

ゴト、と絨毯に何かが落ちる鈍い音が、部屋の中に静かに響いた。

 

そして弾かれるようにして見た音源、開きっぱなしだったドアの向こうには、リグレットが立っていた。

 

「あ…………」

 

大きく見開かれた何時もは涼しげな青い瞳が、困惑に揺れている。幾度も何かを言いかけた口が、何も言わずに閉じられる。

 

足元に茶色の紙袋を落としたことにも気づいていない様子の彼女は、ベッドの上の俺とティアを交互に見る。

 

「……わ、悪い………邪魔したな、扉は閉めておくから、続けてくれ」

 

「ちょ、リグ……ちが……」

 

そしてそれだけ言って、俺の言葉が終わる前に勢いよく踵を返しながらリグレットは扉を閉めた。

 

「…………ったく、何が違うんだよ」

 

咄嗟に言い訳の言葉を吐こうとした自分に、苛立ちまぎれに悪態を吐く。そしてティアから離れて、ベッドの上に寝転んだ。

 

誤解されたからって……何だってんだよ。誤解をといたって、何にもならねえだろ。

 

「何してるの!」

 

「…………」

 

いきなり怒鳴り始めたティアに、俺は無言で返す。起き上がるのも、何かよくわからんがダルい。

 

「早く教官を追いなさい!」

 

「……何でだよ」

 

「いいから行くの! あなた、教官に誤解されたままでいいの?」

 

「別に、いいんじゃねえの? 無駄な希望持たなくてすむようになるし。あの約束がなかったら、ゼロに近い可能性でも血相変えて飛んで行ってたかもだけどな」

 

俺はもう二度と大切な約束を破りたくない。だから、こうした方が絶対にいい。

 

「…………っ!」

 

「……ってぇ! てぇめえティア、何しやがる!!」

 

唇を噛んだティアに、俺はベッドから蹴り落とされた。そして睨みつけられる。

 

「ほんっっとうに、あなた達二人は!! いいから行きなさい! 私はあなたと違って、誤解されるのが嫌なの。だから早く行って、誤解をといてきなさい」

 

「……ちっ、わかったよ。行けばいいんだろ、行けば」

 

尋常じゃないティアの様子に、これ以上言っても無駄だと悟り、俺はのろのろと立ち上がる。そんなに嫌なんなら自分で行けってんだ。

 

頭をガリガリと掻きながら、俺は大きく息を吐き出して歩き出す。

 

「ルーク、一つだけ言わせてもらうわ」

 

背中にかけられたティアの言葉に、俺は扉を開けながら聞き返した。

 

「なんだよ」

 

「あなたが言う約束があっても、教官を好きになったことは悪いことではないわ」

 

「好きになった俺の頭は悪すぎるけどな」

 

「そういうことは言わなくていいの」

 

呆れて溜め息を吐いたティアは、疲れたような声で続けた。本当に心底疲れたような声で。

 

「それに、その思いを告げることも、悪いことではないと思うわ。少なくとも私は、あなたに知っておいて欲しかったから、話したの。教官からあなたを奪うことにならないとわかっていて、私が勝手に自分の思いを伝えただけなのだから、あなたにも迷惑をかけていない。ね、私は誰も裏切ってないでしょう?」

 

 

 

 

本当に今日は厄日だ。何だってこんなに、

 

「ちっ、お前ふざけんなよ。何でこんなとこにいやがるんだ、ネビリム呼んで説教させるぞこら」

 

「…………随分な挨拶ですね……いえ、本当に」

 

こんなに遭遇率が高いんだよ!

 

廊下に出た瞬間、意味不明なことにジェイドに出くわした。こいつら、俺の行く先々に現れやがって。

 

……ああ、もう我慢の限界だ。

 

「帰れ! 実家に帰りやがれシスコン野郎!! どうせあれだろ、俺を驚かそうっていうてめぇ発案のドッキリ企画なんだろ!! こんな広いホテルで、どうやったら普通に絶妙のタイミングでお前らに遭遇しまくれるんだよ!! この後でどうせガイとかアッシュとか出てくるんだろ!? 見え見えなんだよ馬鹿野郎!! ただしアリエッタだけは今すぐ出てきて欲しい!! つーことでチェンジ、お前チェンジ!!」

 

「…………流石に温厚な私でも、怒りますよ?」

 

「黙れ、俺はすでにキレてる!!」

 

ジェイドが何かほざいてるが知らん。付き合ってられるか。

 

リグレットを追うために俺はエレベーターに向かって歩き始めるが、しかし後ろからがっしりと肩を掴まれた。

 

「何やら虫の居所が悪いようですが、あなたに一つ言っておくことがあります」

 

言っておくこと? これでドッキリ大成功とか抜かしやがったら、本気でぶった切ってやる。

 

いや、やっぱり超振動で消し去ってやろう。知り合いのよしみでせめて苦しまずに逝かせてやる。

 

「まったく……フリングス少将からの伝言です。聞きたくないのなら、別に行っても構いませんよ。少将にはあなたに拒否されたと伝えておきますから」

 

「あ? また何かあったのかよ」

 

「キムラスカのセシル少将と、正式に婚約したそうです。あなたにありがとうございますと伝えてくれ、と言われました」

 

またしてもゾンビ化してんのかと一瞬眉を寄せたが、見事に違った。ちゃんと上手く行ったらしいので、何やかんやで結構深く関わってしまった俺としても、嬉しくないことはない。

 

「そっかそっか、良かったじゃねえか。教えてくれてありがとな、ジェイド。つーわけでまた今度な」

 

「一つ聞いていいですか?」

 

ひらひらと手を振る俺の肩から、しかしジェイドは手を離さない。それはもうがっしりとロックされてたりする。

 

「フリングス少将の方から、あなたに相談を持ち掛けたとは聞いています。しかしあなたとフリングス少将には、大した繋がりがありません。セシル少将の方はどうか知りませんが――それにしても、あなたにしては肩入れしすぎではありませんか? どうにも引っ掛かっているんですよ、あなたがこの時期に他人の色恋沙汰に首を突っ込んでいた理由が」

 

情に絆されたというのならば、はっきり言ってらしくないですよ――と、ジェイドは薄く笑った。

 

まったく、こいつは……。

 

「あの二人が使えるから、って言ったらいいのか? あの年で少将まで上り詰めて、しかも肩書き以上の有能を結果として示してる二人。最終決戦には連合軍の力が必要で、その連合軍を効率的に動かすためには、あの二人が最前線で指揮を取る必要がある。情なんて関係なく、俺の行動は全部が全部俺にとって都合がいい展開を作り上げるための布石だった。首の代わりにアリエッタに協力を約束させた時と、口先だけでシンクを引きずり込んだ時と、娘を与えてラルゴを丸め込んだ時と、夢を諦めさせてディストに前を向かせた時と――希望と罪悪感を与えてリグレットを縛った時と同じ手口で、俺の悲願の成就のためだけに、善人面して肩入れしたって、そう正直に言えばいいのか?」

 

嘘偽りのない真実を告げた俺に、綺麗事で俺自身を包み隠さなかった俺に、ジェイドは満足そうに笑ったのだった。

 

「ええ。これでようやく安心して、納得できました。あなたはやはりあなたで――悪魔でした。驚くほど透明で、気持ち悪いくらい真っ直ぐに、自分本位だ。透明過ぎるが故に魂胆が見え見えで、真っ直であるからこそ曲解のしようがない。言ってしまえば馬鹿らしいほど単純で正直だからこそ、利用されていると分かっていても――そこに見えてしまうちょっとした善意で、皆があなたを許してしまうのでしょうね」

 

俺の肩から、ジェイドはそっと手を離した。もう用はありませんとばかりに。

 

俺は溜め息混じりに言ってやりながら、歩き出す。

 

「…………意味わかんねえよ、マジで。勝手に俺を分析してんじゃねえっつーの」

 

結局何を言いたかったのかね、ジェイドの野郎は。いや、ほんとに。

 

まったくもって意味不明だぜ。

 

 

 

 

とりあえずホテルの外に出て、雪の上にくっきりと残っている足跡を追ってみることにした。

 

多くの人間が降り積もった雪の上を歩いているので、必然的に刻まれた足跡の数も尋常ではないが、妙な方向のスキルばかり身に着けてる俺にとっちゃあ、リグレットの足跡を特定することなんて朝飯前だぜ。

 

むむ……比較的新しいので、かつ女の足跡……しかも重心が安定してるのは……。

 

「ふははははは、見つけたぞ! 流石は俺、狩猟大会魔物の部の王者は伊達じゃねえぞ!」

 

「…………おい、屑」

 

雪の上に這い蹲り寄声をあげる俺を、遠くから見る目が一組。

 

ふと顔を上げて見てみると、アッシュだった。

 

「その、何だ…………大丈夫か?」

 

うん、もう死のう。

 

あのアッシュに、心配された。心の底から、本当に心配されてしまった。

 

「お、汚点だ。人生の、汚点だ。可哀想な奴の代表格みたいなアッシュに同情されるなんて……もうやめよう、人生なんて」

 

大地に手と膝とを付いたそのままの体勢から、立ち上がる気力すらわかない。もう俺は、駄目なのかもしれない。

 

馬鹿にされたんなら、制裁をくわえればいいだけだ。しかし……しかしだ、あろうことか、こいつに同情されるなんて…………。こんな奴に同情される俺の存在なんて……!!

 

「く、くそっ! そんな理由で本気で落ち込むな!! 俺を馬鹿にしてるのか、屑が!?」

 

…………。

 

狙ってはなかったのだが、報復できたみたいだ。

 

俺の心をへし折った自らのダメっぷりに、アッシュも同じく心を折られたらしく、何やらぎゃあぎゃあ一人で騒いでる。

 

アッシュの醜態を見てたら、少しだけ気が楽になった。

 

ふ……危ない危ない、忘れるとこだったぜ。

 

「下には、下がいるんだよな。ありがとな、アッシュ。お前がいてくれるお陰で、俺は胸張って生きていけそうだ」

 

「最低な台詞だなっ、おい!! この屑レプリカが!!」

 

お陰様ですっかりと元気を取り戻した俺に、アッシュはずかずかと近づいてくる。怒りもあるのだろうが、その顔にはこの寒さの中でも赤みがあり、そして息も多少荒れていた。

 

……剣でも振ってたのかもな、こいつ。

 

「ちっ!! 相変わらずいけ好かねえ野郎だな、てめぇは。こんな奴に……こんな奴に俺は……!!」

 

かつては全く同じ高さにあったアッシュの瞳が、憎しみに染まる。それを今や、俺は上から見下ろしていた。

 

まあ、アッシュに憎まれてるってのは、本当に今更だ。なんせ俺はこいつの人生をぶっ壊しちまった、張本人なのだから。

 

「おい、屑レプリカ!」

 

「何だよ、雑魚」

 

「教えろ! 俺が死んだら、俺の記憶はお前に食われるのか」

 

……記憶が、食われる。アッシュにしたらやけに回りくどい聞き方だが、何を聞きたいのかは理解できた。

 

まあ、確かに気にはなる。俺だって、いや、誰だってこいつの抱える不安は、笑えないくらい重いものだ。

 

「大爆発現象のことだろ?」

 

「ああ。てめぇは一度、ローレライとの間でそれを起こしてるはずだ。だから完全にあの時に消えずにすみ……そして今、ここに存在している」

 

アッシュが言うように、完全に同化してたわけじゃないが、確かに同じ振動数を放つ音素は、引かれあい結合する。言い換えれば、同位体である俺たちは、肉体という音素が定着している入れ物を失えば、一つに統合されてしまう。

 

積み重ねてきた記憶も混同し……自我だってどうなるかわかったもんじゃない。

 

アッシュが懸念してるのは、そういうことだ。

 

俺は口元を吊り上げて、小さく笑って言ってやった。

 

「誰がお前みたいな不味そうな奴を食うかってんだ。そんなことをしたら腹壊すっつーの」

 

「なっ!? お前の意思は聞いてない!!」

 

「ああん? 俺の意思を聞かねえでどうするんだよ、チビ」

 

「チ……っ!!」

 

今にも脳内血管がぶち切れてお亡くなりになりそうな勢いのアッシュに、俺は勝ち誇った笑みを浮かべて自慢してやる。

 

「こちとら一回死んでんだ。てめぇごときとは経験値が違う」

 

「死んだことがあるなんて自慢気に話せるような化け物にはなりたくねえ!!」

 

「ったく、うるせえ奴だな。まあ、要するに俺はお前とは違うんだよ。第七音素なんて俺の一部だし、てめぇを構成してる音素だってある程度は自由自在。死んだ後の音素だけになったお前を消し去ることなんて、俺にかかれば朝飯前だってことだ」

 

びしりとアッシュの皺が戻らなくなった哀れな眉間に指を突き付けて、俺は高らかに笑う。

 

「くはははははははははははははははははっ!! 奇跡的な確率で偶然に自然に発生した、ローレライの完全同位体なのに第七音素の集合体じゃない、どこまでも人間でしかねえお前と違って、俺はそんな奇跡的な人間のレプリカとして生まれた不自然な人外で、ローレライっつー世界の例外を食い破って再び生まれなおした生粋の論外だ! 俺がいつまでもてめぇ如きのレプリカなんて、そんな程度の低い人外に収まってるなんて底の浅い考え持ってんじゃねえぞ!! ああ゛!? 俺の腹を壊してぇんなら、一回死んでから出直して来やがれ!」

 

俺からしてみれば、オリジナルとレプリカの関係なんて今更すぎる問題だ。とは言ってもしかし、自らの存在に関わる大きすぎる問題だってことは十二分に理解してる。

 

自分と全く同じ形をした人間が息をしていることの不気味さは、等しく味わった。

 

奥歯を強く噛み、積年の思いをどうすることも出来ずに、ただ俺を睨み付けるアッシュ。

 

「…………なあ、決着つけてみるか」

 

そんなアッシュにむかって、俺は静かに切り出した。

 

何に対する決着か、何のための決着か。そんなことは全くわからない。

 

「俺はお前のことが、全体的に大嫌いだ。だからよ、何時までもてめぇに執着されてるわけにはいかねぇんだ。俺の存在が気にいらないんなら、かかってこいよ。今ならまだ、ちゃんとてめぇの相手をしてやれるからな」

 

もしかしたら、戦ったって何も変わらないかもしれない。

 

だけど――俺にはこれしか出来ない。俺には戦うことしか出来ない。

 

腰の鞘から、木刀を引き抜く。

 

アッシュをしっかりと見据えて、思考を塗り替える。

 

この道を選んだのは、俺だ。

 

「俺はお前と違って、こうするしかないんだ。唯一これだけだ――戦いだけが、俺の存在を他者に証明できる。だから、かかって来いよ。俺は俺のために、お前に俺の存在を認めさせてやる」

 

この道の行き着く先には、何もない。

 

戦って戦って戦って、立ち塞がる者を蹴散らして、我が道を突き進んでも――そこには何もない。

 

だけど、選んだのは俺だ。

 

戦って戦って戦って、自分が納得できる生き方を貫く。

 

俺は俺として俺らしく生きる――それが、俺の決意なんだから。

 

「ちっ…………屑が」

 

剣を構える俺を忌々しげに一瞥し、アッシュは顔を反らす。

 

「急に喚き始めたかと思えば、次の瞬間には冷め切った面しやがって。相変わらず情緒不安定な奴だな」

 

そしてそのまま俺の横を通り過ぎ、ホテルの入口へと向かって行く。

 

「俺はアッシュ・フォン・ファブレだ。お前のような化物とは違う。俺の居場所を奪ったお前が憎いし、その居場所を軽々しく捨てたお前のことが本当に気に入らない。俺と同じ顔をしてるお前の存在自体を、認めたくない。だがな、それだけだ。それだけの奴と剣を交える意味も、決着をつける意味もない」

 

何を思ってか、アッシュは剣を抜かなかった。

 

剣を抜く必要も、ましてや俺と戦う必要もないと言い切った。

 

俺にはその理由はわからない。俺はアッシュじゃないから、わかりようがない。

 

構えを解いて木刀を鞘に納め、俺はアッシュと反対に歩を進める。

 

「ま、お前がそう言うんならいいさ、別に。弱い奴を痛めつけたって、楽しくも何ともねえしな」

 

「……認めたくはないが、戦うことに関してだけはお前に勝ちを譲ってやる。ただし、それだけだ」

 

小さく乱暴に吐き捨て、アッシュはホテルの中に消えていった。

 

ふむ……訓練中に顔面に蹴り入れたりしたから、ちょっと頭がおかしくなったのかもしれん。

 

ぶっちゃけ素直に勝ちを譲るアッシュとか、気持ち悪い。マジで。

 

 

 

 

リグレットの足跡を追って、街の外れにある公園に来た――ら、案の定ガイに出くわした。

 

流石にもう驚きも呆れもしない。ほとんど呪いの域に突入してる気がする。

 

既に真夜中に近い時間帯だが、ガイは広大な公園の中央で、一人寡黙に孤独に孤高に、刀を振っていた。

 

星と月の灯りで、鞘から抜き放たれる刃が煌めく。

 

一閃、二閃、三閃――無限に繋がる斬撃の嵐が、大気を切り裂く。

 

一太刀一太刀に込められた、確かな意思と命。

 

研ぎ澄まされた剣筋に、魂が震える。

 

ほんと……すげぇな。天才ってのは、こういう奴のことを言うんだろう。

 

俺は木刀を抜きながら、公園に足を踏み入れる。ガイの研ぎ澄まされた剣の領域に近付くに従い、肌が粟立つ。

 

「――――ガイ」

 

腰を低く落とし構え、ガイの背中に殺意を叩きつける。

 

本能が歓喜して仕方がないのだ、ガイの剣に。

 

「ルーク……またか、お前は」

 

「ああ――いい具合に仕上がってそうだからな、ちょっと付き合ってくれ」

 

俺の存在に気づいたガイが、高まりきった集中力を散らすことなく、悠然と振り返る。半月前と比べて、はっきりとわかるほど強くなってる。

 

自然とつり上がる口角をそのままに宣戦布告する俺に、ガイは静かに答えた。

 

「ああ、俺もちょっと試してみたかったんだ。どのくらい強くなれたか」

 

「そうか。なら、行くぜ」

 

「ああ、来い――ルーク」

 

前方へ倒れるようにして足を前に運ぶ。踏み固めた足場を蹴り跳躍。一足飛びで間合いを詰め、そして刀の柄に手を添え納刀したまま眼光鋭く半身で構えるガイへと、木刀を小さく素早く逆袈裟に振り下ろした。

 

「弧月閃」

 

しかし、手応えはない。既に一歩後退することで、ガイは俺の剣の間合いから逃れていた。

 

抜刀、そして斬撃。放たれる斜め下からの高速の剣閃は、一の太刀に重みをのせるために全身を深く落としていた俺の頭上を切り裂く。

 

「双牙斬」

 

着地の反動と全身のバネを使い再び前方に跳躍。返す刃に全ての勢いをのせ、目前の空間――ガイが存在するその空間を、真下から断ち切る。

 

「ぐっ……!」

 

「ハッ……!」

 

空振りに終わった初撃と打って変わり、今回は確かな手応えがあった。

 

しかしそれはガイの剣術――軌跡で月の弧を描き、そしてその月を断ち切る弧月閃の二太刀目と、俺の切り上げが衝突したことによるものだ。

 

「閃光――」

 

防がれはしたが、威力とタイミングは共に俺の方が優れていた。競り負けて後ろに下がったガイに、俺は着地の勢いを殺さずに体を旋回させながら肉迫する。

 

「――墜刃牙」

 

回転の勢いをのせた木刀をガイに叩きつけ、宙に浮かせる。刀で斬撃を防いだガイは、空中で何とか大勢を持ち直そうとするが――遅い。

 

しっかりと大地を踏みしめてガイを見据え、俺は刃の切っ先を腰の回転と共に突き出した。

 

繰り出した突きは閃光と化し、大気の壁を貫き衝撃波を発生させる。

 

敵を強引に空中に切り上げ、衝撃波を伴う神速の突きを放つ、アルバート流が誇る防御不能の奥義。

 

「裂空斬!!」

 

一撃目を避けない限りどうしようもないその力技を――しかしガイは、更なる力技で防ぎきった。

 

ガイの体が縦に高速回転する。受けた斬撃の衝撃を、そのまま回転へと転化させたガイが放つ回転切りが、俺の突きとぶつかり合い、そして衝撃波を切り裂く。

 

不安定な体勢での衝突に耐えれるはずがなく、ガイは後方へと吹き飛ばされるが――しかし殆ど無傷でこの奥義を捌いたのだ。

 

あの速度の切っ先に、正面から刃を合わせたガイ。……まったくもって、ふざけた才能だな。

 

あまりのことに追撃する気が削がれたが、再び気合いを入れ直す。これはどうやら、本気でいった方がよさそうだ。

 

受け身を取り素早く体勢を立て直したガイを視界の中央に捉え、意識を研ぎ澄ます。

 

――コレカラハ、サツリクノ……

 

「ル、ルーク……ちょっと待った!!」

 

「……………ああん?」

 

せっかく入れ直した気合いが、慌てふためいたガイの声で霧散した。

 

何だってんだよ……いや、マジで。

 

「も、もう無理だ。これ以上は本当に死ぬ、たった数秒で三回も死線を潜るなんて……精神的に限界だ」

 

「何言ってんだよ。最後の技をあんなふうに防げる奴なんて、たぶんこの時代じゃあガイしかいねえぞ。間違いなくお前は剣の天才だ。だからまだやれる」

 

「俺の限界を勝手に決めないでくれ! 死ぬから、本気で死ぬから、俺が!」

 

ガイはぶんぶんと首を横に振り、必死で喚く。

 

「だいたいルーク! お前まだ全然本気じゃなかっただろ!? 体術を織り交ぜてこそのアルバート流で、剣しか使わずにシグムント派を圧倒した奴に天才とか言われたってどうしようもない! これで音素まで使われたら……即死じゃないか!」

 

「てめぇガイ、ふざけんなよ!! 半月でそこまで強くなられたら、何十回も死にかけてやっとそこまで強くなった俺が馬鹿みてぇじゃねえか!! 一発くらい殴らせろ、この天才野郎!」

 

「どんな八つ当たりだ!」

 

甘っちょろいことをほざいてくれやがるガイは、ついには逆ギレして怒鳴り返してきた。

 

これだからゆとり教育はダメなんだ。俺なんか五年間一日中殺されかけ続けてたってのに、たった数回で泣き言とは……ふっ、呆れるしかねえぜ。

 

肩をすくめて首を横に振る俺に、ガイは肩をがっくりと落として大きく溜め息を吐いた。

 

「……まったく、俺はお前の才能の方が羨ましいよ。確かに俺には剣の才能があるかもしれないけどな、戦うことに関しては、どうやってもお前に勝てる気がしない。俺が剣の天才なら、お前は戦いの天才だ」

 

「…………」

 

天才、ね。確かにガイよりかは戦いに向いてるだろうが、俺は天才なんかではない。本物の天才ってのは多分、もっとぶっ飛んでる。

 

それこそ上級譜術の術式構成を感でやってのけるアリエッタや、尋常ではない頭脳を持つジェイド、圧倒的な剣のセンスを持つガイなど、俺の仲間は生まれつき優れた才能を持つ奴らばかりだ。と言うより、全員がそれだ。

 

俺らの中じゃあ一番弱いナタリアだって、紛れもない天才だ。毎日訓練してる兵士よりも、一国のお姫様の方が強いなんて、一体全体どんな御伽噺だよ。武術に生涯をかけたわけでもないのに、十代の内に流派の免許皆伝、治癒術だって専門家以上に使いこなせる。ふざけてるとしか思えねえ。

 

歴史の収束点……最期を担うに相応しい人材、才能か。俺とアッシュなら、超振動がそれだったんだろうな。微妙な話だぜ。

 

「なあ、ルーク。数合だけだがお前と打ち合って、俺も強くなれたっていうのは実感できた。だけど俺の強さは、俺の刀は――届くのか? お前たち……お前やリグレットや、オールドラント、ヴァンに」

 

抜き身の刀と、その柄を握りしめる己の手に視線を落とすガイは、おもむろに刀を真横に一閃させる。

 

大気を切り裂く音は、鋭すぎるが故にほぼ聞こえない。

 

「剣術だけなら、お前は間違いなく最強の一角だ。だけど実戦じゃあ、譜術もあるし、音素の制御能力も必要だ。戦り合った今なら理解できてるだろうけど、俺とガイの差はかなりある。半月前のリグレットにも、お前じゃあまだ勝てない。その差はさ、才能云々じゃなくて、超えた死線の数だ」

 

「そうか……まあ、そうだろうな。結局俺は、そっち側への一線は踏み越えなかった……いや、踏み越えられなかったからな。そこまではやりたくないし、やれなかった俺が、お前たちに勝とうっていうのは、おこがましいか」

 

ガイの剣閃は、完成されているように見えた。完成がないのが、到着点がないのが、剣の道だと言うのに。

 

だから――後ろを向いて、俺は答えてやった。仕方がないと、少し寂しげに口惜しげに笑う、史上最高の剣士に。

 

「だけどまあ、お前の剣なら届くんじゃねえの? そっち側から、こっち側にだって。それができるから――それができる才能があるから、この俺が羨ましがったんだ。この天才野郎が、ってな」

 

ガイの初撃で、ほんの少しだけ切られた後ろ髪を見せながら。

 

 

もう少しだけ訓練を続けるというガイと別れ、俺は本来の目的に戻った。

 

リグレットの足跡を辿ってここまで来たのだが、どうやら彼女は公園には入らずに、違う道でホテルの方へと戻ったらしい。

 

公園の入口付近に幾つか重なって足跡が残ってたことから推測するに、俺と同じくガイに声をかけようとしたが、しかしやっぱり気分が乗らずに止めたってところだろう。

 

不完全燃焼気味な体を持て余しつつ、横目でチラチラと俺を見ては微妙に遠ざかって行く通行人を、喧嘩売ってんのなら買うぞと睨み付けつつ、女をストーキングする俺。

 

むぅ……自分のことながら、怪しすぎるぜ。一歩間違えればただの危険人物じゃねえか。

 

「つーか、そろそろアリエッタが出てきてもいい頃だよな。マジで」

 

大穴でノワールとかが来ても驚きはしない今日この頃だが、やっぱり俺的にはアリエッタが来るというのが自然の流れだと思う。

 

意味不明で全く論理的じゃあないが……うん、今日だけは、あと一人でコンプリートな今日だけは、絶対アリエッタだ。つーか来てくれアリエッタ! 久しぶりのアリエッタを見て俺は和みたい!!

 

「あ、ルーク……こんばんは、です」

 

「き、来たーーっ! アリエッタ来たーーっ!!」

 

まだ遠くの曲がり角から、とことこと歩いてアリエッタが出てきた。俺の姿を確認して、ぺこりと礼儀正しく頭を下げるアリエッタは、もう流石すぎる。

 

とてとてと雪に足を取られないようにして駆けてくるアリエッタを、俺も走って出迎える。

 

 

桃色の髪の毛を跳ねさせて、俺の胸に飛び込んで来たアリエッタは、嬉しそうに喉を鳴らしてぐりぐりと顔を擦り付けてきた。

 

ああ、本気で癒される。

 

「お久しぶり、です。ルーク……元気だった?」

 

「おう、元気だったぜ。アリエッタも元気だったか?」

 

うん! と満面の笑顔で大きく頷くアリエッタ。

 

もうマジで癒される。癒されすぎて困るくらい癒される。

 

「で、一人でこんな夜中にどうしたんだ? こんな欲にまみれた暇な貴族しかいない街で、一人歩きなんかしちゃあダメだぞ。アリエッタが歩いてたら、そういうのがいっぱい寄ってくるんだからな」

 

久しぶりのアリエッタに妙な方向にテンションが上がりすぎて、よくわからないことをほざき始める俺……と思ったが、あながち間違いじゃない気がするので……うん、やっぱりアリエッタ可愛い。癒される。

 

「あのね、ルーク。えっと……へんけんは、だめ、です」

 

むぅ……舌っ足らずにお叱りを受けてしまった。

 

「アリエッタね、今からみんなに会いにいくの。あとね……ルークが帰ってきたって、シンクに聞いたから……探してました」

 

そう言って、嬉しそうに笑うアリエッタ。探してた、か。本当にいい子だな。

 

「そっかそっか。わざわざありがとな、アリエッタ。みんなの所までついて行こうか?」

 

「ううん……大丈夫、です。それよりルーク……リグレットに、何かしたの……?」

 

首を横に振って、アリエッタは少し非難が混じった瞳で俺を上目遣いに見つめてくる。どうやら、怒ってるらしい。

 

しかしだ、俺にはアリエッタが怒る理由がまるでわからん。ティアに何かしたのかと問われるのならば納得だが、それがリグレットとなると話は別だ。

 

俺はまだ、あいつに何もしていない。何かをするとしたら、それは今からだ。

 

いや、ちょっと待てよ。そういえば俺って、ケセドニアの酒場であいつにティアを誑かすような真似はしないとか言ったような……。

 

もしやあれか。俺が嘘ついたと思って、キレてたんじゃねえだろうか。

 

「アリエッタ……リグレットにあやまったほうが、いいと思う。リグレット傷つけたら……アリエッタ、ルークのこと……許しません」

 

瞳に涙を浮かべながらも、毅然とそう告げたアリエッタ。ぬいぐるみを強く抱きしめて、涙を堪えてまで、アリエッタはそう言ってくれた。

 

純粋に、俺のことを心配してくれてるんだろう。アリエッタは、嫌で泣きそうになりながら脅しをかけてまで、俺たちの仲違いを解消しようとしてくれてるんだ。

 

まったく、どうしようもねえな、俺って。昔から変わらずに、アリエッタに心配かけてばっかりじゃねえか。

 

一度大きくため息を吐き、アリエッタの桃色の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

 

「今から、謝りに行ってくる。あいつがどこにいるか、わかるか?」

 

「ホテル、です」

 

「おう、ありがとな。風邪引くなよ、アリエッタ」

 

よかったと小さく呟いて、アリエッタは大きく頷いてみせた。

 

俺はもう一度だけそんなアリエッタの頭を撫でて、窓から暖かな明かりを漏らすホテルに向かって歩き出す。

 

それにしても長かったぜ。今度こそ、リグレットに会えそうだ。

 

この街で一番高いホテルを遠目にぼんやりと眺めながら、頭をガリガリと掻く。

 

「……会って謝る、か」

 

「ルーク!」

 

どうしたもんかと悩む俺の背に、アリエッタの元気な声がかけられる。

 

「頑張ってね! アリエッタ……応援してます!」

 

何を頑張るのか、何を応援してくれるのか。まったくわかりはしなかったが、それでも元気は出た。

 

「――ま、とりあえず、いつも通りやってみるか」

 

 

月明かりに映し出される、銀世界。遥か眼下にぽつぽつと灯る音素灯の光を、彼女は屋上の淵に佇み、静かに見下ろしていた。

 

月の光と同じ色のリグレットの髪の毛が、ふわりと風に揺れる。

 

「よう、探したぜ」

 

「…………」

 

俺の声に何の反応も示さない彼女の隣、まだ誰も踏み荒らしていない新雪の上に腰を下ろす。

 

「さっき、ティアに好きだって言われた」

 

「……よかった、な。私からも――」

 

淡々とした、妙に感情が押し殺された声を、俺は途中で遮る。

 

「だけど、俺に他に好きな奴がいたからな、今までと何も変わりはねえよ。そう言われただけだ」

 

「な、え……な、なら――」

 

「これ以上ないほど見事に、完全完璧非の打ち所のないほどに、お前の勘違いだ。ったく、そのせいでせっかく買ってきた酒も忘れてくるしよ、散々だぜ」

 

あれさえなければ、今頃は部屋でのんびりぬくぬくと、三人でたわいもない話でも出来てただろうに。現実は寒空の下をぐるぐると歩き回ってたのだから、散々としか言いようがないぜ。マジで。

 

あからさまに背後のリグレットに聞こえるように大きくため息を吐いて、横手に広がる雪国の夜景に視線を落とす。リグレットは少しだけたじろいだようで、視界の隅に見える黒のブーツの先が、落ち着きなく上下に揺れていた。

 

そして、彼女の口から小さく溜め息が漏れる。

 

「そうか、誤解だったか。気を使ってこのような場所に来た私が、馬鹿みたいだな。……それで、どうしてここに?」

 

「どうしてって、そりゃあ用があったからだろ。あとはティアの名誉のためだな」

 

言って、俺は両の手の平を上に向けて、精神を集中する。

 

淡い金色の光が浮かび、次第に形を成して行く。

 

これは、そんなに難しい作業じゃない。むしろ単純で、呼吸をするが如き容易な動作。この半月の成果を、呼び出すだけなのだから。

 

凝縮する金色の第七音素の粒子が形作るのは、一対の譜銃。

 

月光を吸い込んだ雪の如く淡く光る、闇色のラインが走る白金の銃身。譜陣が刻まれた銃口の反対側、グリップの上部に埋め込まれた宝玉の中では、金色の焔が輝き、銃尻からトリガーにかけては、持ち手を守り、敵を薙払うために黒色の翼を模したニードルが広がる。

 

ユリアシティで一度譜銃を壊してから設計を始め、そして雪山でようやく完成させた譜銃だった。

 

俺はその二丁の譜銃を、後ろのリグレットに投げて渡してやった。

 

「ほら、やるよ。目一杯俺に感謝しろよ。構造は前のとほとんど同じだが、お前が全力出しても壊れねえように、丹精込めて作ってやったんだぞ。比べるのも変な話だが、性能で言えばローレライの鍵と同じか、それ以上だ」

 

「なぜ、私に……」

 

らしくもなく唖然とした声を出すリグレットに、俺は苦笑をかみ殺して言ってやった。

 

「賭に負けただろ、ユリアシティで。それにお前は――俺の契約者だからな」

 

「あ、ありがとう。いや、何だ……気の効いた皮肉でも返せたら良かったのだろうが――うれしいとしか言えない」

 

「……――っ!」

 

いや、何だ……は、こっちの方だっての。ここまで素直に礼言われたら、ぶっちゃけ照れるじゃねえか。

 

――っくしゅ!

 

と、恥ずかしさから頭をガリガリと掻く俺の後ろで、リグレットが可愛らしく小さくなしゃみをした――って、おいこら。

 

「バカ! リグレット、お前また薄着でこんな寒いなか出歩きやがって!」

 

全然頭回ってなくて気づいてなかったが、この馬鹿はまた肩丸出しの格好で雪国をふらふらと闊歩してやがったのだ。風邪引いたらどうすんだよ、ほんとに。

 

「ば、ばか、ルーク! 引っ張るな!」

 

「さっさと中に入るぞ。あー、くそ、手が冷え切ってるじゃねえか」

 

リグレットの手を取って室内へ向かおうとするが、しかし何故か抵抗してくる。

 

「私はもう少しここにいる。頭を冷やしたい」

 

「体冷やしすぎて風邪引いたらどうすんだよ」

 

「体調管理くらいは出来る」

 

頑なにその場を動こうとしないリグレットの手は冷えていて、しかも顔色が少し悪い。

 

まったく、仕方ねえな。

 

「これ巻いてろ」

 

黒いマフラーを外して、リグレットの首に巻いてやる。そして俺は、その場に座り込んだ。

 

なんかなぁ……もう、どうしようもねえぜ。改めて思ったが、本当に末期だな、俺。

 

「どうした? そんな顔をして」

 

ため息を吐く俺を不思議そうに見下ろす彼女に、俺は苦笑混じりに答えた。

 

「もしかしたら、最後かもしれねえなって思ってよ。お前とこうして、ゆっくりと話せるのも」

 

そしたら感慨深くなってな、と言おうとして、俺は思わず息を飲んだ。

 

リグレットの顔が、はっきりと分かるほど歪んだのだ。怒りとも、悲しみともつかない表情に。

 

「どういう意味だ! また死ぬつもりなのか!?」

 

「あ、そういうことか」

 

なるほど。まあ、何一つ言ってなかったのだ。そういう勘違いをするのも、当然と言えば当然だな。

 

「違うって。俺さ、全部終わったら、一人でのんびりと世界を回るつもりなんだ。名前を隠して、交易しながら」

 

「世界を、回る……?」

 

「ああ、準備もしてるんだぜ。街の商会に偽名で話つけたり、鍵を売った金で倉庫を買ったりして。小さいけど、帆船も手に入れた。今は貸し出してるけどな。まあ、とにかく――ゆっくりと見てくつもりだ、この世界を」

 

俺は何処にも属すつもりはない。自分で言うのも何だが、ここまで逸脱してしまえば、もうどうしようもない。二大国家とは少し事情が違うローレライ教団なら、話はまた違ってくるが――

 

「ダアトには……ダアトには住まないのか? ティ、ティアもアリエッタも……」

 

「――ヴァンが、いるだろ? だから俺は、そこには居られない」

 

焦りすら見せて、必死に言葉を紡ごうとするリグレットを、俺は短く切り捨てた。

 

「お前がグランコクマの宿屋で言ってた、あの未来像。あれは、無理だ。俺がヴァンと同じ場所で幸せに暮らす未来なんてありえねえよ。それならまだ、人類が滅亡する未来の方が可能性高いぜ」

 

それだけは、それだけは本当にない。リグレットが誰かと一緒に幸せそうに暮らしてるのを見るのが嫌――とだけ言えたら、それはそれで俺がヘタレなだけだから、笑い話で済むのだろうが、現実は笑い話じゃあ済まない。

 

俺は絶対にヴァンをぶっ殺してしまう確信がある。だから、無理だ。

 

「そういうわけで、全部終わったらお前とはお別れだ」

 

「…………」

 

「ん? 何だよ、悲しいのか? ほれほれ、慰めてやるからこっち来いよ」

 

後ろを振り向いてニヤニヤと笑いながら見てみれば、リグレットは俺に背を向けて立っていた。さっきやったばかりの譜銃を見ているのか、両手が体の前に回っている。

 

「ルーク」

 

突然のことに少し混乱してるのかと勘ぐった瞬間、リグレットの力強い声が響いた。

 

どこか覇気のない、少し腑抜けていた今までのそれと違う、凛とした澄んだ声。

 

「今の話を聞いて、答えが出た。長い間ずっと悩んでいたが、やっとわかった」

 

「は? 急に何言って……」

 

「黙れ。唐突に重大なことばかり言うお前に、私を責める資格などない」

 

歯切れが悪かったさっきまでとは全く違う、堂々とした冷たい玲瓏とした口調。それはどこまで、彼女らしい言葉だった。

 

「いいか。私はたった今、全てが終わった後にやるべきことが出来た。やりたいことが出来た。そしてルーク、お前に一つだけ言っておきたいことが出来た」

 

朗々と、淀みなく紡がれる強い意志を持つ言葉。急展開についていけない俺を完全に無視して、リグレットは言い放つ。

 

「旅立ちたいのならば、旅立つがいい。何らかの障害が立ち塞がれば、全て私が撃ち砕いてやろう。お前の道を邪魔する者は、全て私が折り伏せてやろう。だがな――私の話だけは聞いていけ。でないと、地の果てまででも追い掛けて行くぞ」

 

あの透き通った怜悧な青色の瞳は、俺からは見えない。風に揺れる金色の髪を見ながら、俺は頬を緩めてしまった。

 

一陣の風が、俺達の間を駆け抜ける。冷たい雪国の風が、降り積もった雪を巻き上げた。

 

と、目を瞑って顔を隠していた隙に、背中に軽い重みがかかった。感じる温もりと、穏やかな鼓動の音。

 

リグレットが、背中合わせに座ったのだろう。

 

「お前も寒いだろう。すまなかったな、今まで一人で使って」

 

ふわりと、首にマフラーが巻かれる。なるほどな、無駄に馬鹿でかいのだから、一緒に使おうってことか。

 

思わず喉を鳴らして小さく笑ってしまった俺の首筋が、リグレットの後頭部で小突かれた。

 

「どうして笑う」

 

「いや、地の果てまで追い掛けてくれるんなら、それはそれでありだなって思ってよ」

 

今のこの位置が――背中を合わせたこの状態が、俺達の関係なのだと、不意にそう思う。

 

今この瞬間だけは、互いに支え合っている。だけど時がくれば、それぞれが向いている方向に進んで行くのだ。

 

交わることがない、それぞれの道を。

 

「なあ、リグレット」

 

気づけば俺は、口を開いていた。自然とティアの言葉を思い出しながら、穏やかな気持ちで。

 

「俺さ、お前のことが好きだ」

 

「……――っ」

 

リグレットが僅かに身じろいだが、構わずに俺は続ける。

 

思うがままに、俺らしく。

 

「約束したから、お前とヴァンを一緒に幸せにしてやるって約束したから、ずっと言うの我慢してた。たけどさ――――やっぱり俺、お前のことが好きだ」

 

恋愛なんて綺麗なもんじゃないのかもしれない。強くて美しい彼女を独占したいのかもしれない。汚したいだけなのかもしれない。ヴァンへの復讐の気持ちがあるのかもしれない。彼女の優しさに依存してるのかもしれない。彼女の温もりを失いたくないだけなのかもしれない。孤独が恐いのかもしれない。道連れが欲しいのかもしれない。

 

俺は歪んでいると、皆が言う。

 

人の道から、外れてしまっていると。

 

悪魔だと。

 

だけど、だけど。

 

俺がどんなに終わりきった存在でも――リグレットが好きだという気持ちは、本当だった。

 

人を本当に心の底から好きになれて、何から何まで全部ひっくるめて好きになれて、惚れて――そしてその人がリグレットだったという事実が、ただただ単純に、嬉しかった。

 

「あ、え…………」

 

意味をなさない声をもらすリグレットに、俺は誇りを持って、胸を張って言う。

 

暗雲から覗く月が、静かに俺たちを照らしていた。

 

「約束は守る。ただ、俺はお前を好きになれて良かったって、そう言っておきたかったんだ」

 

 

 

* * *

 

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