TOA ~突き進め、我が道を!~   作:あきあ

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第十三話 明日を求めて

丘の上に聳える、かつてローレライを祭った殿堂。今や無数の柱と石畳のみを残す崩れた神殿に、ヴァン・グランツの姿を借りたオールドラントは、静かに佇んでいた。

 

「やはり、来たのはお前だったか――ルークよ」

 

俺を見据えるその瞳に映るのは、かつて俺が憧れたあの強い意志の光。

 

「ヴァン、か」

 

確信を持って放ったその言葉に、ヴァンは剣を抜きながら答える。

 

「オールドラント――世界の意志を代行する聖なる焔の光を、越えたか」

 

淡々と言葉を紡ぐヴァンの周囲で、六属の音素が輝きを灯す。抜き放たれ、そして突き出された剣の切っ先が、僅かに震える。

 

「神をも滅する力を、人のまま退けたか」

 

六属の音素は輝きを増し、そしてヴァンを中心に唸りを上げる。切っ先は大きく揺らぎ、そしてその瞳に宿る意志までもが影を見せる。

 

「――――ならば、超えてみせろ、世界を! 頼む、ルーク。オールドラントを討ち倒し、私に人の明日を見せてくれ!!」

 

それは、抵抗だったのだろう。オールドラントに体を支配され、いいように操られ続けたヴァンの、必死の抵抗だったのだろう。

 

世界を滅ぼしてまで、スコアの呪縛から人を解き放とうとしたヴァン。そこまでして、人の意志を、本当の人間らしさを、人が生きる意味を取り戻させようとしたヴァン。

 

そのヴァン・グランツが、この俺を信じて、待っていた。

 

聖なる焔の光という奇跡を乗り越えて、俺がこの場に来ることを、ただひたすら待っていた。

 

だから俺は誇りを持って、魂からのヴァン・グランツの願いに、嘘偽りのない本心を返した。

 

「てめぇに言われるまでもねえんだよ。俺は俺のためにオールドラントをぶっ潰す。ただ、それだけだ。だからてめぇはオールドラントが消えた後、明日でも明後日でも明明後日でも、未来を勝手に生きやがれ!!」

 

オールドラントの支配に飲み込まれる寸前に、ヴァンの瞳はしっかりと俺たちを見据えていた。

 

かつての同士たちを。

 

その同士たちと志を共にする者たちを。

 

袂を別った主君を。

 

血を分けた妹を。

 

ヴァンの意志が、その瞳から消失する。

 

「ついにここまで来たか――聖なる焔の成れの果て」

 

入れ替わるようにして浮かび上がったのは、世界の意志にしてこの世界における絶対の存在――第零音素意識集合体オールドラント。

 

明確な敵を――討ち倒すべき敵を前にして、俺は口の端を吊り上げて、木刀を抜く。

 

「よう、オールドラント。わざわざ来てやったぜ、てめぇをぶん殴りに」

 

「世の理を外れ、世界意志の担い手を超え――ここまで世界に仇成すとはな」

 

「ぐだぐだ能書き垂れてんじゃねえよ。今更てめぇと俺が語り合ったって、拉致があかねぇってわかってんだろ」

 

もう散々だ。俺とオールドラントは、穏便とは到底言えないが、散々話し合って、散々殺し合って、それでも平行線を辿ってきた。

 

だからもう、俺がこいつと話すことなんて、何もない。

 

木刀を突き付ける俺の隣に、一歩踏み出した皆が並び立つ。

 

「人は――私は、明日を望んでいる。だから貴様がそれを奪うと言うのならば、私は貴様を討つ。例え世界の意志なのだろうと、抗わせてもらうぞ」

 

俺の横に立つリグレットが、自らの意志と共に白金の譜銃をオールドラントに突き付ける。

 

皆もそれぞれの覚悟を胸に、それぞれの得物を抜き放ち、オールドラントへと突き付けた。

 

「あくまでも、楯突くか。しかし、勝てると思うなよ。ここは世界の中枢――惑星オールドラントの意識の中。第七音素意識集合体ローレライの権能『干渉』も及ばぬ、私が『支配』する領域だ」

 

ヴァン・グランツの姿を借りたオールドラントが、その在り方を変質させる。

 

この空間――世界意志の中で、オールドラントは自らを絶対者として君臨させる。

 

周囲に渦巻く音素がオールドラントを中心に凝縮し、次第に形を成して行く。

 

かつて世界を恐怖のどん底に突き落とした、巨体の怪物。

 

ヴァン・グランツを核としたオールドラントは、それを髣髴とさせる姿へと変貌を遂げていた。

 

かつてのそれよりも、凶悪に。

 

かつてのそれよりも、悪辣に。

 

かつてのそれよりも、神々しく。

 

以前オールドラントが世界に顕現した時のような不完全さなど欠片たりともない、絶対的暴力の権化。

 

虹色に輝く力そのものを体現する神々しい光の巨人――人の代に終わりを告げる使者は、こうして俺たちの前に降臨したのだった。

 

いくら俺が第七音素を司ろうが、いくら俺が他の六属の音素に干渉しようが、オールドラントが支配する領域では高が知れている。

 

オールドラントが本領を発揮した今、この場にいる皆の生命を維持させる程度しか、俺はこの世界に干渉出来ない。

 

一方は生殺与奪を握る圧倒的強者、一方はただひたすら抗う者たち。

 

すでにこの世界を構成する音素は、オールドラントの支配下に置かれていた。

 

しかし俺たちに、迷いはない。

 

オールドラントが全力で来ればこうなることくらい、端からわかっていた。

 

だから俺は、獰猛に凶暴に邪悪に笑いながら、大地に木刀を突き立てた。

 

「――――行くぜ、オールドラント。てめぇに見せてやるよ、人の力ってやつを!」

 

木刀を中心に展開される、巨大な譜陣。蒼白い光を放つ譜陣は、オールドラントを中心に渦巻き唸りを上げる六属の音素の動きを鈍らせ、そしてこの歪な世界を塗り替える。

 

驚愕して動揺を露わにするオールドラントは、周囲の変化を見極めようと、その巨体を揺らした。

 

 

ホドを模倣した世界が、徐々にその在り方を崩して行く。

 

譜陣より立ち昇る第七音素の透き通るような蒼い光が、次第に世界に浸透する。

 

――トゥエ………ズェ―ク…ア―……………エ―ズェ――

 

「見て分かんなくても――聞こえるだろう?」

 

それは、小さな小さな音色。

 

――……ーリュ………―トゥエ…………レィ―ネゥ―………―ズェ――

 

「お前の敵は、俺だけじゃねえんだよ」

 

耳を澄まさなければ聞こえない、小さな小さな歌声。

 

――……レィ―……………―ネゥ―……エ―リュオ―………クロア――

 

 

「貴様が消し去ろうとした人類全てが、こうして戦っている」

 

それは――人の歌声だった。

 

――リュオ―…………リュオ―ズ……―レィ―……ズェ―レィ――

 

「例え一人の力が取るに足らない小さなものでも、集えばこうして、世界だって変えられるの」

 

「アリエッタたちは……負けない、です。みんなも、がんばってるもん……!」

 

「一寸の虫にも五分の魂――あんまり人間を、舐めすぎないことだね」

 

心を込めて、想いを込めて歌う――人の意志だった。

 

――ヴァ―……―ヴァ―レィ―……ネゥ―ヴァ―…………――

 

「内側からは無理でも、外からなら第七音素による干渉は通じる。お前は、この屑に固執しすぎたんだよ」

 

「わかりますわ、音素が支配から解き放たれるのが。人の想いが、この場に届くのが」

 

「これまでずっと俺たちは、お前に苦い思いをさせられて来た。だけど今回は、全力で戦える今回こそは、勝たせてもらうぞ」

 

次第に音量を増して行く、力強い音色。

 

 

――クロア―……―クロア―ネゥ―ズェ―レィ―……―リュオ―……―レィ―ヴァ――

 

「やられっ放しだった分、しっかりとやり返させてもらうからね!」

 

「惑星全土に刻まれた、幾つもの譜陣。人の声を伝えるという名目で、ルークとリグレットによって刻まれたあの譜陣が持つもう一つの意味には、流石のあなたでも気づけませんでしたか。まあもっとも――気づいた所で、どうしようもないのですが」

 

「人間の小賢しい知恵を、蔑ろにするべきじゃあなかったな、オールドラント」

 

響き渡る歌声に合わせ、譜陣の輝きが一層激しくなる。

 

――レィ―ヴァ―ネゥ―クロア―トゥエ―レィ―レィ――

 

「さあ、準備はいいか、オールドラント」

 

「始めようぜ、最後の戦いを!」

 

譜歌と同時に、新たな世界は完成した。

 

悠久と広がる蒼い世界。足場と化した巨大な譜陣――人の意志に支えられて、こうして俺たちは本当に意味でオールドラントの前に相対した。

 

 

繰り返し歌われるユリアの大譜歌に、ティアが望むティア自身の大譜歌が重なる。

 

ティアが求めた力は、破壊ではなく、誰かを護り助ける、優しい力。

 

歌われしは第一音素譜歌――深淵へと誘う旋律。

 

俺達を圧殺せんと迫り来るオールドラントの拳の前に、ティアによる闇の加護を受けたアニスが躍り出る。

 

「行っくよーっ! 荒れ狂う殺劇の宴――――……殺劇――」

 

巨大化させた譜業人形トクナガの拳が、闇を纏う。そして撃ち出される拳が、オールドラントのそれと衝突した。

 

けたたましい轟音、そして大気を吹き飛ばす凄まじい衝撃。

 

「――――舞荒拳……!!」

 

アニスの叫び声が衝撃波を消し飛ばすように轟き、そして再び拳が唸りを上げる。

 

闇色の破壊を従えて、拳が幾度もオールドラントのそれに打ち付けられる。

 

連打連打連打連打連打連打連打連打連打連打連打――踊り暴れ狂う拳は、ついにはオールドラントの拳を弾き飛ばした。

 

「――って、うそ……っ!?」

 

打ち破ったオールドラントの右の拳――その影から、左の拳が飛び出す。

 

死力を尽くしたアニスは、完全に死に体。避ける術を持たず焦燥に顔を引きつらせた彼女は、しかし次の瞬間には冷静さを取り戻していた。

 

その瞳に映す感情は、信頼。

 

「――――ビッグバン」

 

淡々と静かに発動された、最上級第一音素譜術。アリエッタを起点に広がる譜陣より生まれた、漆黒の光。

 

ティアの譜歌を飲み込み、漆黒の光が爆ぜる。その圧倒的な原始の爆発は、オールドラントの巨体をも飲み込み、そしてその動きを止めた。

 

「アリエッタ、続けて行くよ!」

 

一瞬動きを止めた拳をかい潜り、アニスはオールドラントへと向けて走る。

 

「――――うん! 本気で、いきます! 食らえ――……」

 

アニスの声に、アリエッタはぬいぐるみを前方へと突き出しながら応えた。

 

再び集束する膨大な量の第一音素。そして凄まじい速度で紡がれ、構成されて行く譜術。

 

オールドラントが再び動き始めようとした、その刹那。アニスが、必殺の間合いへと踏み込んだ。接近、そして跳躍。アニスが操りし譜業人形が闇を纏い、黒い弾丸と化す。

 

「十六夜天舞!!」

 

「――――イービルライト……ッ!!」

 

二人の少女の声が、そして二つ漆黒の光条が重なる。

 

黒い弾丸と、再び発動された最上級第一音素譜術、凝縮された闇の奔流。闇の加護を受けし彼女らの攻撃が、再び振り下ろされたオールドラントの左の鉄槌を抉り穿ち、そして破壊した。

 

――アァァァァァァァアアアアアアアアアアアア――

 

オールドラントの絶叫が響くと同時、潰された左腕、そして右腕までもが、目が眩む程の光を放つ。

 

光が収まり、そして現れたのは、六色に輝く無数の帯。その両の腕は、一瞬で劇的な変化を遂げていた。

 

かつて俺達に致命傷を負わせた、縦横無尽に全てを切り裂き貫く光の帯。

 

死を象徴するその光景を前に響く音色は、ティアの第二音素譜歌――堅固たる守り手の調べ。

 

「俺が、切る! ――――神速の斬り、見切れるか!!」

 

そしてオールドラントの前に、ガイが立ち塞がった。

 

「閃覇――……!」

 

鞘に納められた刀に、鍛え抜かれた大地の力が宿る。ティアの祝福を受けたガイが、四方八方より迫り来る死を前に、右手を刀の柄に添える。

 

「――――瞬連斬!!」

 

抜刀、そして走る閃光。

 

そして静かに、ガイの刀が鞘に戻され、鍔鳴りの音が響いた。

 

縦横無尽に全てを蹂躙するはずのオールドラントの光の帯は、ガイを貫く寸前に停止する。

 

一瞬の静止の後、光の帯が細切れになって地に落ちる。

 

刹那の間に放たれたガイの無数の斬撃は、オールドラントが操る死の帯を全て切り捨てていた。

 

「魔王――――」

 

「地龍――――」

 

空を駆けた斬撃によって生まれた空白地帯――ガイの両脇より上空へと飛び上がったアッシュとラルゴが、ローレライの鍵と大鎌を振りかぶり声を重ねる。

 

二人の見据える先は、大気に波打つティアの第二譜歌の旋律、輝き広がる大地の力、そしてその向こうに存在するオールドラント。

 

「――――地顎陣!!」

 

「――――吼破!!」

 

雄叫びと共に放たれたアッシュとラルゴの斬撃が、空にたゆたう第二音素の波を貫き――そして大地が牙を剥く。

 

二人によって形を与えられた第二音素が、無数の巨大な岩石の牙となり、オールドラントへと襲いかかる。

 

天をも喰い殺すような巨大で貪欲な大地の顎が、オールドラントにその獰猛な牙を突き立てた。

 

響き渡る第三音素譜歌――壮麗たる天使の歌声が、戦場を加速させる。

 

「――――連撃、行くよ!!」

 

ティアの歌声に背を押され、シンクがその身に嵐を纏う。

 

「疾風雷閃舞!!」

 

吹き荒れる風、鳴り響く雷。嵐と化したシンクの四肢が、大地の牙に捕らわれたオールドラント襲う。

 

「――……天光満つる所、我はあり――」

 

反撃を許さぬ怒涛の連撃が奏でる轟音に、ジェイドが紡ぐ譜が重なる。

 

「――黄泉の門開くところに、汝あり……――」

 

オールドラントを囲うように展開される、幾重にも重なる譜陣。ティアの譜歌と重なり混じり合い輝き迸る、緑色を称える稲妻。

 

「――――いでよ、神の雷!!」

 

紡がれし譜術は、最上級第三音素譜術。圧倒的な暴力を内包する譜陣が、オールドラントの頭上で瞬く。

 

「インディグネイション!!」

 

発光、そして轟音。

 

降り注ぐ大地をも裂くような雷が、オールドラントを貫いた。

 

――アァァァァァァァアアアアアアアアアアアア――

 

雄叫びが大気を震わすと同時に、降り注ぐ雷を掻き消すようにして六色に輝く柱が立ち昇った。

 

雷に飲まれたオールドラントを起点に空を裂くその柱――否、巨大すぎる光の剣が、引き裂いた雷をその刀身に纏い始める。

 

遥か頭上で不穏に雷を迸らせる巨剣を見据え、ティアは第四音素譜歌――女神の慈悲たる癒やしの旋律を紡ぐ。

 

「――……水気よ、盾となれ――」

 

ティアの歌声にあわせて波打つ青色のヴェールが、ナタリアの詠唱によって幾重にも折り重ねられる。

 

「アクアプロテクション」

 

そうして創り出された水のヴェールが、俺たちの体を優しく、されど力強く包み込んだ。

 

――塵と化せ!! 襲爪……――

 

オールドラントの雄叫びが響き渡り、そして雷を纏う巨剣が振り上げられる。

 

――――雷斬……!!――

 

「させるかよ! ――凍っちまいな!!」

 

この空間ごと分断せんと天より打ち下ろされた凶悪な斬撃に対し、俺は木刀を突き出した。

 

「守護氷槍陣!!」

 

木刀の切っ先と共に打ち出される膨大な量の氷柱。咲き乱れる氷槍と雷剣が衝突し、凄まじさ衝撃波を発生させる。

 

斬撃と共に落ちた雷は、しかし水気の鎧により完全に断たれていた。

 

「――譜の旋律よ、私の意志に従い力となりなさい!!」

 

氷と雷の拮抗を打ち破るように響く、ナタリアの声。

 

弓を引くナタリアに、青い第四音素の光が集う。鏃が青く青く輝き、彼女の瞳がオールドラントを射抜いた。

 

「ノーブル・ロアー!!」

 

限界まで引き絞られた弓から放たれる、青く気高く輝く矢。第四音素が凝縮されたその矢は、展開された氷槍を食らい飲み込みその輝きを強め――そしてオールドラントの雷剣に突き刺さる。

 

透き通るような衝突音が響き、次いで爆音が轟く。

 

限界を超えて集束された力は、鏃の崩壊と共に解き放たれ、そして巨剣を上空に弾き上げた。

 

轟――と、大気が唸りをあげる。

 

弾かれた剣を瞬時に翻し、オールドラントはその巨体を旋回させた。

 

やはりそれはヴァン・グランツが修めし剣術アルバート流の動き――圧倒的な技術の上に成り立つ力。

 

先程までの荒々しい暴力とは一線を画する、洗練された技をその眼に映すティアが紡ぎしは第五音素譜歌――魔を灰燼と成す激しき調べ。

 

――全てを断ち切れ――

 

「――業火に飲まれろ!!」

 

燃え上がる炎を背に、大鎌を構えたラルゴが迫り来る巨剣に打って出る。

 

――閃空剣――

 

「紅蓮――――旋衝嵐!!」

 

大気を切り裂き旋風を巻き起こすオールドラントの巨剣と、ラルゴが放った天を突く紅蓮の炎の竜巻がぶつかり合う。

 

「気高き紅蓮の炎よ!!」

 

荒れ狂う炎の竜巻に、ガイが地を蹴り飛び込む。その身にティアの炎の加護を受け、ラルゴの炎をも刀と鞘に纏わせる。

 

「鳳凰天翔駆!!」

 

炎を纏い空を駆けるガイの刀と鞘による二閃が、今度こそオールドラントを巨剣ごと仰け反らせた。

 

そして鳴り響く第六音素譜歌――破邪の天光煌めく神々の歌声。

 

「――――旋律の戒めよ、死霊使いの名の下に具現せよ……!!」

 

「降り注げ星光!!」

 

「――――天地に散りし白き光海、運命に従い敵を滅せよ……!!」

 

朗々とジェイドが譜を紡ぎ、天を射抜かんとナタリアが弦を引き絞り構え、そして胸の前で手を組むティアが祈りを捧げる。

 

歌われた譜歌の旋律が、三人を包み込み白く光り輝く。

 

それと同時に、オールドラントの巨体を障壁が包み込む。六属の輝きを灯すそれは絶対防御の概念を持つ支配者の盾。

 

「ミスティック・ケージ!!」

 

「アストラル・レイン!!」

 

「フォーチュン・アーク!!」

 

オールドラントを束縛する、巨大な光の檻。

 

流星の如く降り注ぐ、幾つもの光条。

 

幾重にも折り重なり敵を滅さんと流れる、神々しい光の奔流。

 

世界を白く白く染め上げる、全てを滅する美しい光が、オールドラントを貫いた。

 

――しかし、それでもオールドラントの盾は破れない。

 

白光が消え、残酷な現実が目の前に現れる。

 

先ほどの第六音素の光さえもを飲み込み渦を巻く、凶悪な力の流れ。、オールドラントの背後に浮かび上がる六つの譜陣が、六色の輝きを放つ。

 

輝き、回転する六つの譜陣。

 

闇、地、風、水、火、光――全てが重なり合い、全てが混じり合う。

 

始まりにして終わりを司るオールドラントの力が、俺たちに向けて解き放たれた。

 

――エンド・オブ・フラグメント――

 

「――その程度か、オールドラント」

 

迫り来る終焉の光の前に立つリグレットが、口許を吊り上げる。冷たい微笑を浮かべる彼女は、二梃の譜銃を突き出した。

 

「ホーリーランス」

 

二つの銃口の先に、幾つもの譜陣が展開される。

 

宝玉に装填された譜術は、彼女の意志に従い輝きながら直列に稼働する。

 

縦に積み重なるその譜陣の数、百。

 

「――集え、光よ。そして敵を討て」

 

彼女の声に従い、構えられし譜銃に光が集う。

 

「プリズムバレット」

 

引き絞られるトリガー、解き放たれた光。

 

譜銃より打ち出された光条は百の譜陣を貫き――そして一本の巨大な槍と化した。

 

百の上級譜術を人智を、そして神威を超える精神力で束ねた、外法の槍。

 

迫り来る破滅の光を、その槍は一瞬で貫き、消し去る。そしてオールドラントの障壁に突き刺さり、皹を入れた。

 

「ティア、第七譜歌を!」

 

「はい! アッシュ、シンク――準備はいい!」

 

リグレットに頷き返し、ティアは最後の譜歌を歌う。

 

第七音素の旋律を纏い、アッシュとシンクが剣と拳を突き出す。

 

「絞牙鳴衝斬!!」

 

「アカシック・トーメント!!」

 

蒼い光を放つ二つの譜陣が、オールドラントの真下に広がる。アッシュとシンクの雄叫びと共に、超振動と純粋な破壊の力が譜陣より放たれる。

 

――星皇蒼破陣――

 

対するオールドラントが放つのは、二人の蒼光の柱と酷似した光の奔流。

 

重なり合う三つの譜陣は、互いにその内包する力をぶつけ合い響かせ合い殺し合い――そして最後には相殺した。

 

――大きく息を吸い込み、短く強く吐き出し気合いを入れる。

 

遠い遠い外の世界で歌われる、ユリアの大譜歌。この透き通るような蒼い世界を構成するその歌を聞きながら、俺は地を蹴った。

 

不敵に微笑み小さく頷くリグレットを、横目に見ながら。

 

オールドラントが横に薙ぎ払う巨剣に、上段から木刀を叩きつけ、俺は――否、俺たちは叫ぶ。

 

「歌えぇええええ――――――――っ!!」

 

――この蒼い世界に、譜歌が響く。強く強く、譜歌が響く。

 

斬撃の反動で跳躍し、巨剣を飛び越す。そして再び地を蹴り、叫ぶ。

 

「集えぇええええ――――――――っ!!」

 

――蒼い光が、リグレットが構える譜銃に集う。人の思いが、彼女の下に集う。

 

迫り来るオールドラントの拳に、俺は拳をぶつける。生まれる衝撃波が髪とマフラーをはためかせ、大気を揺るがす。

 

合わさる敵の拳を歯を軋ませながら弾き返し、がら空きになった懐に潜り込みながら、もう一度叫んだ。

 

「そして、響けぇええええ――――――――っ!!」

 

第一から始まり第七音素譜歌――『未来を求める人の歌声』に終わるユリアの譜歌。

 

以上、全七編。

 

正しき旋律と意志をもって歌われた大譜歌が、契約者たるリグレットの手に託された。

 

「――――全てを滅する、刃と化せ!!」

 

俺と彼女の声が重なり、譜銃より超振動の性質を持つ第七音素の剣が撃ち出される。

 

――エンシェント・レクイエム――

 

「やらせるかよ――――!!」

 

意志の刃を消し去らんと、終焉の光を口腔で輝かせるオールドラントに、俺は両手を突き出した。

 

「レイディアント・ハウル!!」

 

終焉の光と超振動の光がぶつかり相殺し合い、そして意志の刃がオールドラントの障壁に突き刺さる。

 

凄まじい轟音を鳴り響かせながら障壁をこじ開ける蒼い刃は、しかしその勢いを徐々に緩める。

 

――僅かに、届かなかったな。これで万策……――

 

「――おいこら、勝手に終わらせてんじゃねえよ。まだ一人、何もしてねぇ奴がいるだろうが」

 

――理解しているはずだ。貴様と私とでは、決着は着かないと――

 

「誰が、何時、俺だって言ったよ? なあ――――ヴァン!! 見せてやれよ、この木偶の坊に!! 仮にもてめぇ、この俺の師匠だろうが!! だったら気合い入れて、一発くらい決めやがれ!!」

 

――ここに来て戯れ言か。ヴァン・グランツは私に……――

 

「おぉぉぉおおおおおおおおおぉおおおおおおおお――――っ!!」

 

――何……っ!?――

 

その雄叫びは、力強いその雄叫びは、ヴァンのもの。喉を引き裂くような、血を吐くようなその悲痛な声は、しかし力強い意志に満ち溢れていた。

 

「神葬聖浄破!!」

 

オールドラントの体内より溢れ出る蒼い光、ヴァンの意志が、障壁を内側から消し飛ばす。

 

「行け、ルーク!!」

 

――そして今、ここに道が出来た。

 

障壁を突き破った意志の刃を、超振動の力を宿した剣を――リグレットが俺のために作ってくれたその力を、空に飛び上がって左手で掴み取る。

 

蒼い光の剣が俺の第七音素と共鳴し、律動する。

 

人の意志が響き合い生まれた超振動と、俺の超振動が一つになり――奇跡が起きる。

 

「行くぜ、オールドラント! これで止めだ!!」

 

全身全霊で、今まで培ってきたもの全てを込めて、意志の剣を振り、オールドラントを切る。

 

切って切って切って、縦横無尽に剣で切り裂く。

 

神をも滅する力、第二超振動の力が宿った剣は、オールドラントの身体ごとその権能を八つ裂きにする。

 

「ロスト・フォトン・ドライブ!!」

 

そして最後の一撃、第二超振動の蒼い光の奔流が、オールドラントをその根源たる意識だけを残して完全に消滅させた。

 

――これが、人の意志か……。しかし、しかし私は……――

 

「だ、か、ら! 勝手に終わらせてんじゃねえよ、このボケェッ!!」

 

腰の鞘に納めていた木刀を引き抜き、俺はオールドラントの意識の核である球体を睨みつける。

 

「俺はまだ、てめぇをぶん殴ってねぇんだよ!! とりあえず食らっとけ――」

 

ふわりと、朱色の髪が風に揺れる。周囲の第七音素の粒子が俺の意志に引きずられ、赤い輝きを灯す。

 

――聖なる焔……いや、赤い悪魔……!!――

 

「――これが俺の意志だ!!」

 

そして俺は――打ち下ろす木刀で、オールドラントの核を全力でぶん殴った。

 

 

譜歌により作られていた蒼い世界が、戦いの終わりと同時に崩れ始める。

 

瞬きの間に、俺たちは元いたあの崩れた神殿に立っていた。

 

「終わった、ようですね……」

 

珍しくも呆けたような声をジェイドが出したのと同時に、ティアの歓喜の声があがった。

 

「兄さん!」

 

少し離れた場所で地に膝をつくヴァンに、ティアが駆け寄る。

 

「ティア、か。強くなったのだな。すまなかった、お前には迷惑をかけた」

 

「ヴァン、正気に戻ったのか!」

 

抜き身の剣を杖代わりにして立ち上がるヴァンに、ついでアッシュが駆け寄る。

 

ガイ、アリエッタ、ラルゴ、シンクと、次々と皆もヴァンの周りに集まって行く。

 

「皆も、すまなかった。私が不甲斐なかったばかりに、オールドラントに――」

 

「そんなことより、ヴァン、お前の身体は平気なのか? 後遺症とかは……」

 

「心配は御無用です、ガイラルディア様。オールドラントは、完全に私の中から消えた」

 

「よかった、です。総長……これで元どおり」

 

集まった皆の間で安堵の空気が広がり、アリエッタがほっと顔を綻ばせた。

 

ヴァンを囲う皆を少し離れた所から見ながら、俺は隣でどこか気まずそうに佇んでいるリグレットを見る。

 

「お前、行かなくていいのか?」

 

「あ、ああ。まだ気を抜くには早いし、それに、今すぐ行かなくとも……」

 

何故か少し影のある表情で俺から視線を外すリグレット。長く離れていたから、気まずいのかね。

 

俺は彼女の顔を見納めの意味も込めてじっくりと眺めて、それからヴァンの方へと向かって歩き出す。

 

「……そりゃあそうだな。再会を喜ぶ時間は、たっぷりあるか。まあ、俺としてはお前らが仲良くしてるとこを見れた方が、安心して行けてよかったんだが」

 

「どういう意――」

 

リグレットの言葉を遮るように、大地が大きく揺れた。

 

何事かと気を引き締め直す皆に、俺は声をかける。

 

「オールドラントが消えたから、この空間が壊れ始めたんだよ」

 

「壊れるって、僕たちはどうなるのさ?」

 

もううんざりだと言わんばかりに顔をしかめるシンクに、俺は軽く笑いながら答えた。

 

「俺がこの世界に干渉して、外への道を作る。そこを通って脱出したら、今回の騒動は完全に終わりだ。まあ、楽にしてろよ。出口は……近いし、タタル峡谷でいいか」

 

両手を突き出し、第七音素に語り掛ける。歪に世界がひび割れ、こちらとあちらを繋ぐ渦が出来た。

 

「おらおら、さっさと通れ。俺は一刻も早く寝たいんだ。つーかこれ、意外と疲れるんだよ」

 

「そ、そうなのですか? それならば、急がなければなりませんわね」

 

「ルーク、お疲れーっ! 帰ったらみんなで祝勝会やろうね!」

 

気怠さで一杯の俺に急かされるがままに、ナタリアとアニスが渦に飛び込む。

 

「無事に終わって何よりだ。最後の一仕事、頑張ってくれよ」

 

「さて、私も行きますか。向こうで先に待っていますよ」

 

それぞれ一度俺の肩を叩きながら、ラルゴとジェイドがあの世界に戻って行く。

 

「これでホドも見納めか。もう少しだけ眺めていたかったけど、仕方ないな」

 

「…………」

 

感慨深そうに一度辺りを見回すガイ、無言で歩くアッシュ。

 

「…………これ、大丈夫なの? 海とかに出ないよね? 僕、若干トラウマ気味なんだけど」

 

「シンク、行こ……? ルークが、疲れちゃいます」

 

渋るシンクの背を押して、アリエッタが渦に入る。

 

「さあ、兄さんも。早く行かないと」

 

「ティア、私は最後でいい。お前から行きなさい」

 

ヴァンに促され、ティアも皆の後を追った。

 

さて、と。

 

鈍く痛む頭を振り、俺はリグレットを見る。彼女は動こうとしない俺とヴァンの顔を、不審そうに見比べていた。

 

「ほら、お前もさっさと入れよ」

 

「私は最後でいい。閣下、先にどうぞ」

 

「いや、お前が先だ、リグレット」

 

「…………」

 

命令調のヴァンの言葉に、リグレットは押し黙り訝しげにその瞳を細めた。

 

明らかに俺たちの様子に猜疑の念を抱いている。

 

これは、拉致があかねぇな。

 

「……仕方ねえな」

 

「なっ!?」

 

ボソリと呟いて、少々手荒だが、俺は彼女を渦に向かって突き飛ばした。

 

何とか踏みとどまろうとしていたリグレットだが、抵抗は無駄に終わり、最後には渦の向こうに消えた。

 

最後に見たリグレットの表情は、怒りのそれ。

 

まったく、もう少しゆっくりしたかったんだがな。結局は、こうなるのか。

 

一つ大きく溜め息を吐いて、俺は剣を片手に苦笑を噛み殺しているヴァンに視線をやる。

 

――こうして俺とヴァンだけが、この滅び行く世界に取り残されたのだった。

 

 

揺れる大地、そしてひび割れる空。遠くに見える海は、荒れていた。

 

崩壊を始めた世界で、俺はヴァンと向き合う。

 

「よう、やっとここまで来たぜ――ヴァン」

 

「お前とこうして話をするのは、あのベルケンドでの宣戦布告以来か。……大きくなったな、ルークよ」

 

思い返すのは、小さな世界と決別したあの時のこと。

 

――あれから、長い長い時間が過ぎ去った。

 

そして俺は今、再びヴァンの前に立っている。

 

「一応聞いとくが、まだ世界を壊そうなんてことは考えてねえだろうな」

 

「人の意志は、私の中にも響いた。人は愚かだと、そう信じていたはずだったのだがな」

 

「俺は知ってたぜ、人は愚かだけど生きたいって望んでるって」

 

互いに苦笑し合い、俺たちは互いに剣を構える。

 

「わかってるとは思うが、ここから生きて出られるのは一人だ」

 

「ああ――どちらかがこの世界に残り、道を作らなければならない」

 

崩壊を始めたこの泡沫の世界は、オールドラントが消えた今、俺とヴァンが支え続けてやらなければ一瞬で崩れ去るだろう。

 

だからどちらか一方がここに残り、もう一方のために道を作る。一人は、犠牲にならなければならない。

 

「まあ、もっとも、そんなことは大して関係ないんだけどな。俺は、お前をぶん殴りたい。俺の最終目的は――復讐は、まだ終わってねえんだ」

 

「……いいだろう。ただし、手加減はせんぞ。その体でどこまでやれるか――私に見せてみろ!」

 

ヴァンから発せられる気迫が、肌を打ち付ける。

 

手加減はしない――その言葉に、嘘偽りはないと確信するには十二分だった。

 

左手の木刀を一度強く握り締め、そして呼吸を整えてヴァンを睨み据える。

 

俺の身体と精神は、既にぼろぼろだ。只でさえこのオールドラントに支配されていた空間は、俺という存在を容赦なく蝕んでいた。その上、もう一人の俺との戦いで構成音素の大半を失い、オールドラントとの戦いで精神は擦り切れた。

 

だけど――それが何だってんだ!

 

「上等だよ。万全の状態なら、もうてめぇなんざ相手にならねえんだ。この程度のハンデ、幾らでもくれてやる! だからてめぇ、もしも手ぇ抜いてみろ――消し飛ばすぞ」

 

「私とてただ無為に時を過ごしたわけではない。お前こそ手を抜いてみろ――その瞬間に葬り去る」

 

交わる視線、ぶつかり合う闘気。

 

もう語り合う必要はない。

 

今からは、待ちに待った戦いの時。

 

――だから俺は邪悪に笑う。邪悪に笑って、歓喜に震える。

 

さあ、始めよう。

 

俺自身の、最後の戦いを。

 

 

先手を取ったのは、ヴァンだった。

 

石畳を砕く鋭い踏み込みで間合いを詰め、袈裟懸けに剣を振り抜く。

 

半歩後退して服を浅く切り裂かせた俺は、素早く一歩を踏み込み木刀で胴を薙ぐ。

 

しかしその一閃は、跳躍と同時に返す刃で放たれたヴァンの切り上げにより弾かれた。

 

アルバート流、双牙斬――その技は、ヴァンが初めて俺に教えた技だった。

 

剣を制し、敵を殺す、盾を捨てたアルバート流が誇る剛の剣術。

 

かつては何一つ理解出来ないままに、受けた剣を叩き落とされ、そして返す刃でふき飛ばされていた。

 

しかし――今の俺には見切れる。

 

弾かれた木刀をヴァンの剣に添わせ、そこを支点に跳躍しながら回転する。

 

上空に飛び上がったヴァンの後ろ、更にその上に俺は舞い上がっていた。

 

求めしは最速。限界まで捻った上体を解き放ち、木刀の切っ先を突き出す。

 

ヴァンの背中を打ち抜く筈だった木刀は、しかし渦を巻く剣閃により強引に起動を逸らされた。

 

「やるな、ルーク! しかし太刀筋が鈍っているぞ!」

 

「ハッ! てめぇこそいちいち剣が温いんだよ!」

 

螺旋を描く剣――閃空剣。先程一度見たその太刀筋ならば、理解出来ている。

 

再び迫り来る刃の腹を右足で蹴り上げ、ヴァンの攻撃を中断させる。そして空中で蹴りの勢いを利用して体を捻り、ヴァンの顔面を狙い、左の後ろ回し蹴りを放った。

 

「ふむ、私が教えた技ではないな。崩襲脚の変形か」

 

「文句あるかよ。てめぇの技だけを使ってやる道理はねえっつーの!」

 

「そうだ。剣術とは所詮は剣を扱うための術、型に捕らわれるためにあるのではない。見せてやろう――私自身の剣を!」

 

左腕で蹴りを受け止めていたヴァンが、獰猛な笑みを浮かべる。

 

素早く蹴り脚を引き、上段から放たれる縦の斬撃を弾くために、着地と同時に木刀を頭の上で構える。

 

剣が大気を切り裂く、鋭すぎる音。

 

それを認識した瞬間に、俺は舌打ちをしながら左足を半歩引いた。

 

この野郎……っ!!

 

木刀ごと俺を断ち切らんと迫る剣を、斜に構え直した木刀で僅かに横に逸らす。

 

目と鼻の先を走った剣閃に、肌が粟立った。

 

反撃を警戒して素早く後方に飛び、間合いを取ったヴァンは、その剣を上段に構え、俺に挑発的な瞳を向けて来る。

 

「まともに受けに来ていたら、そのまま切り捨ててやれたのだがな」

 

「今のがてめぇの剣ってわけか」

 

「その棒切れでは、到底防げんぞ。剣を使え、ルーク。私は本気のお前と戦いたい」

 

先程の一撃は、非の打ち所がない斬撃だった。

 

剣の重さと力で叩き斬る剛のアルバート流にはない、剣の鋭さと技で切り裂く術。

 

ヴァンが言った通り、まともに正面から受けていれば、俺は木刀ごと切り捨てられていただろう。

 

あくまでもヴァンは、剣術としてのアルバート流を極めたということか。

 

この世界への干渉と疲労で、音素制御に意識を裂く余裕がない俺と違い、ヴァンは音素を用いた技は勿論、譜術だって使えるだろう。

 

しかしヴァンは、この戦いにおいて剣しか使用していない。それは、剣士として戦うという意志の表明に違いなかった。

 

ヴァン・グランツが戦っているのが、自らが剣を教えた弟子であるが故に。

 

無言で一歩踏み込んだ俺に反応し、ヴァンは大きく後ろに飛び下がる。

 

構えていた右の拳をだらりと下ろし、俺は左手だけで木刀を肩に担いだ。

 

「俺は――もう、剣で人を斬るつもりはねえよ。これから先、もしも俺が剣を持って本気で戦うことがあったとしたら、その時は殺すべき敵が目の前にいる時だけだ」

 

「…………ルーク。お前は、私を殺したいほど憎んでいるはずだ。お前が剣を向けるべき敵が、私以外にいるか」

 

半身になり、切っ先に下に向けて剣を構えるヴァンに、俺は鼻で笑って返す。

 

「憎んでるに決まってんだろ、殺したいほど。だけどな、お前を殺したら、ティアが悲しむだろ。それに……リグレットと約束しちまったからな」

 

「そうか……。彼女とは、リグレットとはどのような約束を?」

 

「ああ゛? 何でてめぇにそんなこと言わなきゃなんねえんだよ。殺すぞ」

 

「…………」

 

冗談抜きの殺気を叩きつける俺に、ヴァンは押し黙り僅かに体を強ばらせた。

 

まったく……俺、マジでこの髭のこと大っ嫌いだ。ただでさえぶっ殺したいのに……何なんだろうな、この野郎は。

 

唾を吐き捨て、俺は木刀の峰で肩を叩く。

 

「つーかそもそも、てめえ如きに剣を使う必要なんざねえっての。この木刀だけで十分だ」

 

「そうか。ならば、もう何も言うまい。行くぞ、ルーク!」

 

「おう! かかって来いや、髭!」

 

地に倒れ込みながら、足を前に運ぶ。

 

神速の踏み込から、大地を蹴り砕き加速。地を這うように疾走し、木刀をヴァンに横から叩きつける。

 

最速の斬撃は、しかし不動の構えから繰り出された切り上げにより、上に弾かれた。

 

右手で柄を握り、吹き飛びそうになる木刀を押さえ込む。そして迫り来るヴァンの横薙ぎの一撃を、振り下ろす刃で叩き落とす。

 

切っ先を翻し、反動を用い前方に跳躍。全ての力を乗せた木刀を、ヴァンに打ち込んだ。

 

「ぐ……っ!!」

 

手応えは、浅い。直撃する寸前に後ろに飛ばれ、衝撃を和らげられた。

 

木刀を腹に受けたヴァンは苦悶の声を漏らし、後方へと吹き飛ぶ。しかし直ぐに体勢を立て直し、弧を描くようにして俺に接近してくる。

 

放たれる袈裟懸けの斬撃を、木刀を斜にして受け、そして弾き返した。

 

例えいくらヴァンの剣が全てを切り裂こうと、刃筋をずらしてやれば十分に木刀で戦り合える。

 

縦横無尽に空を駆ける両者の剣閃。

 

斬撃が、そして刺突が、両者の間で繰り出され、そして打ち落とされる。

 

重なる刃と刃。その度に響き渡る剣戟の音色。

 

ただひたすら一心に、ヴァンと剣を交える。

 

ヴァンは、強かった。

 

既に俺は、ヴァンを超えたと思っていた。

 

あの地獄の日々を潜り抜け、今日この時まで戦い続けて来た。

 

そして――あの頃より強くなった。

 

だが、ヴァンは強かった。

 

ヴァンも、強くなっていた。

 

振るわれる剣はあの頃よりも鋭く、そして重い。

 

繰り出される技は、あの頃よりも洗練されている。

 

木刀と剣が、両者の中間で衝突する。

 

鍔を迫合わせ、俺はヴァンの瞳を見据えた。

 

ヴァンの瞳は、真剣だった。嘘偽りのない、鬼気迫る輝きがあった。

 

俺は自然と吊り上がる口の端をそのままに、強引に木刀でヴァンの剣を押し切る。

 

ヴァンは強い。だが――――勝つのは俺だ。

 

押し負け一瞬仰け反ったヴァンは、足捌きだけで重心を持ち直す。

 

しかし、その一瞬だけでも、俺には十分だった。

 

木刀を横に寝かせ、一歩を踏み出す。

 

狙うは、決着の一撃。もはや俺に、戦いを続ける力は残されていない。

 

中途半端な攻撃は必要ない。求めしは一撃でヴァンを打ち倒す、強力な攻撃。

 

全てを最後の一撃に賭ける俺を、ヴァンは高速の斬撃でもって迎え撃つ。

 

俺の首を狙って放たれる、真横の剣閃。

 

その剣は、速かった。

 

決着を狙う俺の一撃には到底出せない鋭い一閃は、確実に俺の一撃よりも速く届く。一瞬交叉したヴァンの瞳が、無情に語る。

 

――――これで終わりだ、と。

 

そして次の瞬間、空に赤が舞った。

 

「……これで、終わりだな」

 

俺は静かに淡々と、その言葉をヴァンへと紡いだ。

 

最後の戦いは、これにて終了。

 

長かった俺の旅は、これで終わり。

 

あの時あの場所で夢見た、この光景。

 

この瞬間を、一体どれほど待ち望んだことか。

 

この光景を、一体どれほど夢見たことか。

 

俺は不敵に笑い、そして全身に力を込める。

 

大気を切り裂きながら迫り来た死の刃は、しかし俺の首を刈り損ねていた。

 

膝の力を抜き、その場で沈み込みながら旋回していた俺の赤い長髪が、首の代わりに空を舞う。

 

旋回の勢いと、踏み込みの力を乗せた木刀が、すれ違いざまにヴァンの腹を打ち据える。

 

背中合わせに立つヴァンの膝が、石畳につく音が静かに響いた。

 

 

――――それは、戦いの終わりを告げる音だった。

 

 

 

木刀を腰の鞘に納め後ろを振り向き、地に膝をつくヴァンを見やる。

 

「これで俺の勝ちだな、師匠」

 

「ふん、しばらく見ない間に口まで達者になったな」

 

嫌みったらしく笑って言う俺に、首だけを俺に向けるヴァンは目を瞑り苦笑する。

 

「私の負けだ、ルークよ。お前は支配に打ち勝ち預言を覆し、世界に打ち勝ち未来を手に入れ――そして私に打ち勝ち、道を切り開いた」

 

ヴァンの前方の空間が歪み、渦を巻き始める。この世界を構成していたヴァンの意識に引き摺られ、外界へと続く道が作られた。

 

「最早、時間は残されていない。行け、ルーク。勝者には、生きる権利がある。お前は、お前が救ったあの世界で生きろ」

 

語るヴァンの顔に、未練は見えない。

 

ヴァンの悲願とは結局の所、スコアからの脱却などではなく、支配された人の心の解放だった。

 

あの時ヴァンの心に響いた、人の意志。あの歌声こそが、ヴァンが求めていたものだったのだろう。

 

まったく、皮肉にもほどがあるぜ。ヴァンの計画を邪魔すると決意して行動していた俺が、結果的にはヴァンの悲願の達成に一役も二役も買っちまってるんだから。

 

溜め息を吐いて頭を振りながら、俺はヴァンの横に回り込む。視界の隅には、外への道が見えていた。

 

「これでやっと、俺の復讐も終わりってわけだ。てめぇともお別れだな、ヴァン。そう考えると、込み上げてくるもんがあるわけじゃあないが――まあ、せいぜい達者で暮らせよ、とだけは言っといてやるぜ」

 

眉間に皺を寄せ唾を吐き捨てる俺に、ヴァンは困ったものを見るような目を向けて、そして諦めたように静かに笑った。

 

「最後の最後まで、憎まれ口か。まあ、無理はないがな。ルーク、身勝手だとは思うが、最後に一つ頼まれてくれ。ティアのことを、私の代わりに見守ってやってくれないか」

 

ヴァンの含みのない笑顔は、爽やかだった。

 

爽やかで、とても清々しいものだった。

 

だから俺も、爽やかに清々しく答えてやった。

 

「嫌だ」

 

「そうか。よろしく……よろ、しく…………?」

 

「ふざけんなよ、シスコン野郎。そんなこと、てめぇで勝手にやりやがれってんだ」

 

未だに膝をついているヴァンの首根っこを無理やり掴み、俺は道に向かってヴァンを引き摺る。

 

「ルーク! 何をする……!?」

 

「勝者にあるのは、選ぶ権利だ。見事俺に負けたお前は、黙って向こうの世界に帰れ」

 

ヴァンが開いた道に干渉し、制御権限を強引に奪い取り、俺はひたすら困惑するヴァンに嘲笑って見せる。

 

「せいぜい長生きしろよ。ずっとずっと、お前を信じてお前を待っていた奴がいるんだ」

 

「何故だ! 何故お前は、この私までもを救おうとする! 私はお前の生を弄び、お前から全てを奪った仇だと忘れたか!」

 

「忘れてねえよ。だけどな、リグレットと約束しちまったんだよ。ヴァン・グランツをあいつの前に連れ戻すって」

 

俺の手から逃れようと抵抗するヴァンだが、決着の一撃はそんなに軽いもんじゃない。気絶しなかっのが不思議なくらいなのだから、まともに体を動かせる筈がない。

 

「リグレット、と……」

 

「俺の最後の言葉だと思ってよーく聞いとけよ。ヴァン、あいつを幸せにしなかったら、今度こそてめぇをぶった斬りに行くぞ」

 

伝えるべきことを伝え終え、俺は邪悪に笑いながらヴァンを渦巻く道に向かってぶん投げた。

 

「みんなによろしくな。今まで楽しかったって言っといてくれ」

 

「ルーク!!」

 

そしてヴァンは、俺の名前を叫びながら渦の向こうへと消えて行ったのだった。

 

 

 

 

七属の音素で構成された無秩序な大海で、俺は波の流れをぼんやりと見ながら無意味にたゆたう。

 

ヴァンがこの世界から消えた瞬間に、ホドは消えた。残ったのはただの夢の残骸、この泡沫の音素の海だけ。

 

「なあ、オールドラント」

 

「何だよ、ルーク」

 

「やっぱり見てやがったか」

 

何もないはずの音素の海には、しかし音素があるが故にオールドラントが存在する。だからここに、世界意志たるオールドラントがいないはずはなかった。

 

俺の目の前の音素が形を変え、次第に人型を成して行く。形作られて行くその姿は、この俺と同じものだった。

 

「趣味悪いぞ、お前」

 

「使える体がこれしかなかったんだよ。俺は核になる人間がいないと、まともに話すこともできないんだから、仕方ないだろ」

 

「……その体、あいつのじゃねえだろ」

 

 

溜め息を吐きつつ、俺は底抜けのお人好しの顔をして出てきたオールドラントを、冷たい目で見る。

 

いくら表層が核に引き摺られるからって、さっきまでとギャップが有りすぎるんだよ、この野郎。いや、マジで調子が狂う。

 

無言のまま相変わらずの間抜け面を晒してるオールドラントに、俺は欠伸混じりに言ってやった。

 

「お前さ、ほんとは最初からルーク・フォン・ファブレを、あいつの世界――お前の夢の中に、帰してやるつもりだっんだろ」

 

「何でそう思うんだ?」

 

「ルーク・フォン・ファブレが、ユリアとローレライが求めた変化の兆し以前に、オールドラントが夢見た最善を導く代行者――とかそんなことは関係なく、お前、あいつのこと気に入ってただろ」

 

俺の言葉に、オールドラントは軽く目を見開いた。だから、俺の顔でそんなリアクションをとるな。

 

相変わらず冷たい瞳を向ける俺に、オールドラントは僅かに微笑みながら口を開く。つーか、気持ち悪いから笑うな。

 

「俺は別に、全てを支配していたわけじゃないんだ。ていうか、全てを支配できるわけじゃない。そもそも俺は、人間が絶滅を回避し、惑星を滅ぼさないようにするためだけに生まれた存在だからな。だからルーク・フォン・ファブレがあの道を辿ったことは、俺の意志じゃなかった。俺が見た未来は、あくまでも人が自ら辿った道の先にある結果なんだ」

 

「で?」

 

「だから、凄いと思ったんだ。何回も、もう無理だと思った。何回も、もう潰れると思った。だけどルーク・フォン・ファブレは、最後まで頑張って、確かに少しだけど、定められていたはずの人類滅亡を引き伸ばした。だから、凄いと思ったんだ」

 

人類滅亡を確実なものとするために、その時を引き伸ばすと決めたのはオールドラントだ。

 

そしてその大元の原因であるスコアを作ったのは、ユリアとローレライだ。

 

だけど、だけどそれを成し遂げたのは――ルーク・フォン・ファブレだった。

 

「だから俺は、ただ必死に頑張ったルーク・フォン・ファブレは、幸せになってもいいと思っただけだ」

 

自分でそういう役割を与えておいて今更何を……って感じだが、まあ、俺には関係ない。一応気になっていたあいつのその後を聞くことが出来て、もう満足だ。

 

もう大した用はないので、俺は頭の後ろで手を組んで瞳を閉じた。重力が存在しないこの世界に、上下の概念はない。ゆらゆらと音素の中をたゆたうのは、気持ちがよかった。

 

「赤い悪魔。お前は結局、何がしたかったんだ?」

 

「何がって、何が?」

 

片目だけを開けてオールドラントを見てみれば、オールドラントはこの世界を構成する第七音素の粒子を両手で救い取り、その輝きを両の瞳に映していた。

 

「人の意志は、確かに俺に届いたよ。この世界に存在する生命の一つとして、世界と共に生きて行きたい。総括すれば、そういうことになるのかな。だけど、お前だってわかってるだろ?」

 

「だから、何がだよ」

 

「人は、変われた。だから、また変わることだってある。今の人間を滅ぼす必要がなくとも、未来の人間を滅ぼす必要はあるかもしれない。いや、絶対に滅ぼすことになるんだろうな。人間っていうのは、そういう生命体だからこそ、人間なんだから」

 

オールドラントの手の平から流れ落ち、第七音素は音素の海に還って行く。

 

「赤い悪魔。お前が成し遂げたことは、本質的にはルーク・フォン・ファブレと同じだ。人は、生き長らえたに過ぎない」

 

俺の瞳を真正面から見据えるオールドラントに、俺は鼻で笑って返してやる。

 

「俺が知るかよ、そんなこと。未来のことなんて、未来の奴らが何とかすればいい。端からそこまで考えてねえよ」

 

「考えて、ない……?」

 

「当然だろうが。俺は俺のために戦ったんだ。つーかこれでまた滅ぼされるようなら、いや、勝手に滅びるんだったか? まあとにかく、そうなったら人間が悪いだろ。第一、それって俺に聞くことじゃねえぞ。勝手にお前が人類と対談でもしろよ」

 

何でどいつもこいつも俺に聞きやがるのかね。俺はお前らの保護者じゃねえっつーの。

 

再び目を瞑ってだらけようとしたら、しかし苦笑混じりのオールドラントがまた口を開きやがる。

 

「お前は、どうするつもりなんだ? こんな所で、死ぬのか?」

 

「さあな。とりあえず、一休みするつもりだ。考えるのは、それからだな」

 

「それがいい。お前がいるだけで、世界が無駄に荒れるからな。それに、動けはしないだろうし。ほんと、その精神力というか意志というか、執念には感心するよ。よくもまあ、そんな体で存在出来ていられる」

 

そろそろ限界に近かったりする俺は、オールドラントを冷たく睨み付ける。

 

「お前がルーク・フォン・ファブレなんてふざけた存在を引っ張ってきたのが原因だろうが。つーか、お前はどうするんだよ? そろそろ俺は寝たい」

 

「俺も、寝るよ。この惑星に、また危機がやってくる時まで」

 

そう言ったオールドラントの体が、淡く光り輝く。そのまま弾けて光の欠片になったオールドラントの声が、静かに音素の海に響いた。

 

「――――定められた未来を覆し、世界意志を超えるとは――驚嘆に値する」

 

こうしてオールドラントの意識は、長い長い眠りについたのだった。

 

さて、と。俺も少し、寝るかな。

 

みんなは今頃、何してるんだろうな。

 

ヴァンにちゃんと別れの言葉は託したし、俺のことは問題ないはずだ。あっても、ただ別れが早まっただけなので、やはり問題はない、はずだ。

 

つーか、最後の最後でこうなるってどうなんだよ、マジで。オールドラントの力を奪った後のことを考え忘れるとは……我ながらうっかりにも程がある。

 

「――って、やべ。ローレライの解放のこと、言うの忘れてた」

 

ほんと……最後の最後まで締まらねえな、俺って。

 

軽く泣けてくるぜ。

 

 

* * *

 

 

夜空に浮かぶ満月が照らし出す、白いセレニアの花畑。

 

夜の峡谷に吹く柔らかな風に目を細め、リグレットはそこに光と共に現れたヴァン・グランツを淡く微笑みながら出迎えた。

 

駆け寄ったティアは、ぐらりと傾いたヴァンの体を支え、そして静かに消え行く光に不安げに視線を走らせる。

 

「に、兄さん……ルークは?」

 

「…………」

 

「兄さん!!」

 

声を荒げるティアに、ヴァンは肩で息をしながら。

 

「奴は……ルークは、あの場に残った。どちらか一人が、あの崩壊を始めた世界に残り、道を作る必要があったのだ」

 

「そんな……ルークは、ルークはどうなるの?」

 

「あの膨大な量の音素で構成された世界の崩壊に巻き込まれては、おそらく一溜まりもないだろう。本来ならば、戦いに敗れた私こそがあの場に残るはずだったのだ。それを奴は……」

 

――予想は、していた。あの男なら、そうすると思っていた。

 

リグレットは目を閉じて、あの忌むべき時に思いを馳せる。

 

何も出来なかった、あの瞬間。

 

最後に笑って消えて行った、あの最後の瞬間。

 

最後に見せたあの泣きそうな笑顔は、一年前のあの時と同じだったのだから。

 

「また、なのか。また……!!」

 

歯を食いしばって、海の向こうに浮かぶ巨大な音素の塊を睨むガイ。かつては球体をしていたそれは、今や形を保てなくなっていた。

 

ヴァンの言葉を肯定するようなその光景に、皆がその表情を悲痛に歪める。

 

「皆によろしく、今まで楽しかったと伝えてくれ――それがルークの最後の言葉だ」

 

決定的だった。ヴァンの口より紡がれた彼の決別の言葉に、皆が悲嘆に暮れ顔を伏せた。

 

峡谷を吹き抜ける夜の風と、岩壁を打ちつける波の音のみが静かに流れる、セレニアの小さな白い花畑。

 

沈黙の帳が降りたその花畑に、リグレットは静かに進み出た。

 

ゆっくりと花畑の中心に立つヴァンの下へと向かう彼女は、穏やかにその名を呼んだ。

 

「ヴァン」

 

淡い微笑みを浮かべる彼女に、ヴァンはその無念に満ちた瞳の焦点を合わす。

 

「リグレット……私の帰還こそが、お前とルークが交わした約束だと聞いた。そして――お前を幸せにすることが、最後にルークと私が交わした約束だ」

 

ルークの残した言葉を一言残らず語ろうとするヴァンに、リグレットは歩みを止めることなく緩やかに首を横に振る。

 

語る必要はないとだと言外に告げて、彼女は口を開く。

 

「私はあなたを、愛していました。あなたを愛して、あなたの夢を愛していました」

 

「……ああ、知っていた。リグレット、私はお前が私を想い、そして私のために全てを捧げてくれていたと、知っていた。しかし――それを知っていながら、お前に応えることをしなかった」

 

ヴァンの悲願の達成において、人との深い繋がりはしがらみにしかならなかった。ヴァンもリグレットも、理解していた。理解していたからこそ、信頼しあえる上司と部下でいられた。

 

だから今、ヴァンはそのことを初めて口にした。

 

夢はルークによって叶えられ、そして今までヴァンを縛っていたものは赤い悪魔によって全て打ち壊されたが故に。

 

「リグレット。ルークは最後に、私にお前を幸せにしろと言った。そして私も、そう望んでいる。私を支え続けてくれたお前を、お前さえよければ、幸せにしたいと望んでいる」

 

真っ直ぐ向けられるヴァンの瞳に、真っ直ぐに向けられるヴァンの気持ちに、リグレットは微笑みを返した。

 

「ありがとうございます。あなたがそう仰って下さるだけで、私は幸せです。多少なりとも、私はあなたの力になることが出来ていた。その事実だけで、十分です」

 

リグレットは微笑みを返して、そしてその瞳をヴァンの向こうに向けた。

 

「だから――私は、行きます」

 

リグレットはヴァンの向こうに存在するもう一つの世界を見据えて、金色の髪を束ねていた音叉の形をした髪飾りを外す。

 

夜の峡谷に吹く風にのり、金色の髪が空に流れた。

 

「ティア、餞別だ。大した物は残せないが、許せ」

 

「きょ、教官!? 何を言ってるんですか! 行くって……」

 

リグレットに投げ渡された髪飾りを胸元で慌てて受け取り、リグレットの突然の行動を問いただそうとしたティアの前に、二つの影が割って入る。

 

シンクとアリエッタだった。

 

「行くんだね、やっぱり」

 

「ああ。奴共々、お前には迷惑をかけたな」

 

「一応、よろしく言っといてよ。かけられた分と同じくらいはかけ返したしね、迷惑」

 

皮肉げに笑って、シンクは腕を組んだ。

 

「リグレット。あのね、あのね……アリエッタもがんばるから、リグレットも、がんばってね。アリエッタ……おうえんします」

 

「ありがとう、アリエッタ。お前にも何か残せれば良かったのだが……」

 

「ううん。アリエッタ……もういらない、です。だって、おそろいの持ってるもん」

 

にっこりと綺麗に笑ったアリエッタの手には、銀の装飾ナイフが握られていた。

 

四人で買ったそのナイフに、リグレットは少しだけ目を見開いて、そしてアリエッタの頭を優しく撫でた。

 

「可愛い妹と、生意気な弟ができたようで楽しかったよ」

 

「教官」

 

目を瞑り諦めたように溜め息を吐いて、それからティアは可笑しそうに小さく笑う。

 

「私も応援します。だから、ちゃんと彼の所にたどり着いて下さいね」

 

「たどり着くさ、私は。奴に言わなければならないことが、山ほどあるのだから」

 

ティアに小さく笑い返して、リグレットは白金の譜銃を両手に持つ。そして最後に、未だに状況を完全に受け入れ切れていない皆を見た。

 

「後始末を押し付ける形になってしまい、申し訳ない。これまでのこと、本当に感謝している。ありがとう」

 

かつては志だけを共にしていた者達。かつては命を賭して命を奪い合った者達。

 

そんな殺伐とした繋がりしかなかった者達が、今や信頼できる仲間という掛け替えのないものになっていた。

 

別れを惜しむ気持ちを振り切り、リグレットは再び海の上の音素の塊を見据える。

 

そして、彼女は歩き始めた。

 

一歩一歩、少しでもあの場所に近づくために。

 

「リグレット」

 

すれ違い様に、ヴァンが静かに彼女に語りかける。

 

「あの世界に戻る道は、既に閉ざされた。今やオールドラントとの繋がりが完全に消えた私には、音素を統べ、道を開く力は残されていない」

 

力無く首を横に振り、そしてヴァンはリグレットの背を力強く見つめる。

 

「それに、わかっているはずだ。あの世界に戻るということが、どういうことかを。お前は、その命を無駄に散らすというのか」

 

ヴァンの声に彼女はその歩みを止め、そして少しだけ後ろを振り向いて、ヴァンにその横顔を見せる。

 

満月の光に後ろから照らされるその横顔には、穏やかな微笑が浮かんでいた。

 

冷たい青色の瞳を、少しだけ柔らかく細めて、リグレットは言った。

 

「無駄では、ありません。私はあの男の背を預かると、約束したのですから。それに、後悔の毎日を送るのは、もう嫌なのです」

 

彼女の周囲で、降り注ぐ月の光に、金色の輝きが混じり始めた。

 

両の手に握られた白金の譜銃が、そして埋め込まれた宝玉が、舞い踊る金色の粒子に合わせて律動する。

 

「道は私が自らの手で切り開きます。その後は、この譜銃が導いてくれる」

 

金色の光に包み込まれる彼女は、最後にヴァンを、そして共に戦い抜いて来た仲間を見た。

 

「それでは、これでお別れだな。この峡谷を抜けるころには、夜も明けているだろう。共に朝日を拝めないことは残念だが、私達の分まで見ておいてくれ」

 

そう言い残して、彼女は月光に照らされる白い花畑の上で、金色の光の中に消えて行ったのだった。

 

 

 

――――こうして悪魔と魔女が去った後、惑星オールドラントは長かった夜をようやく抜けて、新しい朝を迎える。

 

未来を祝福するように昇る朝日の光の中、後に長い長い人の歴史の中で永遠と語り継がれることになる、一つの壮大な物語を締めくくる戦いの場は、崩れて空へと還って行った。

 

 

* * *

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