TOA ~突き進め、我が道を!~   作:あきあ

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最終話 自分で選んだ道だから

ティア・グランツは、目の前のテーブルに置かれた二本の剣に、冷め切った瞳を向けた。

 

刃に刻まれた、見た目は良いが意味がよく分からない紋章。鍔にはめ込まれた用途不明な宝石。細部の意匠は異なるが、二本とも似たような造りだ。

 

簡素な執務室には全く相応しくない豪華絢爛なその剣は、勝手知ったる我が家とばかりにソファーに寝転んで、何故か一心不乱にクッキーを貪っているシンクが持ち込んだものなのだが――ティアは今それどころではない。問題はクッキーである。

 

よく見ればそのクッキーはただのクッキーではなく、ティアが仕事終わりにと楽しみにしておいたバチカル産の高級品と同じものだった。断じてバリバリと貪るようにして食べるものではない。

 

レアなのだ。高いのだ。高級品なのだ。

 

「……そのクッキー、どうしたの?」

 

恐る恐る聞いたティアに、シンクはもぐもぐやりながら平然と宣った。

 

「そこの本棚の中に隠してあった。あ、紅茶淹れてくれない? せっかくだし」

 

「…………!!」

 

膨れ上がる殺気。軋む大気。

 

次の瞬間、おぞましい物音と悲鳴がティア・グランツの師団長室に響き渡った。

 

「それで、この剣がどうしたの?」

 

「何でも、『聖樹の御剣』と『約束の剣』とかいう品らしいです。聖女ユリアが作ったローレライの鍵と対を成す剣と、金色の魔女さんが赤い悪魔くんのために魔法で作った、オールドラントを討ち未来を切り開いた剣――っていうのが商品説明でした」

 

ソファーに座るティアに何故か敬語で答えるシンクは、不思議なことに正座をしている。この世は不思議なことだらけだった。

 

「聖樹の御剣って……あれ、ただの木刀じゃない。それに約束の剣って何なの?」

 

「あれでしょ。ほら、物語化された時に便宜的に名前をつけられた、第二超振動のこと。確かそんな名前だった気がする」

 

言われてみれば確かにそんな気がしてきたティアは、再び二本の剣――否、剣だったものを見た。

 

「何て言うのかしら……恥ずかしい名前の割には、意外と脆いのね」

 

「問題は、そこじゃないと思うんだ」

 

少しだけ首を傾げて思ったことをそのまま口に出してみれば、とてつもなく何か言いたそうなシンクが、被害者仲間である二本の折れた偽物達に憐憫の視線を送りながら、溜め息を吐いた。

 

 

ローレライ教団がその教義を一新し、惑星オールドラントと人類の共存を説くようになってから、既に三カ月の月日が流れていた。

 

あの最終決戦を契機に、ティアの周りでは教団を初めとして、様々なものが変わって行っている。

 

二大国家の間で永きに渡って植え付けられていた敵国という認識も、限りある星の力を搾り取っていた人の生活も――少しでも世界に目を向ければ、変わったものは幾らでも見つけることができる。

 

「こらーっ! フローリアン、待ちなさいって言ってるでしょっ!!」

 

「アニスがおこったーっ!」

 

ローレライ教団総本山の複雑に入り組んだ廊下に響き渡る幼子の笑い声も、そんな数ある変化のうちの一つだった。

 

あの最後の戦いで救われた一つの命、導師イオンのレプリカは今、フローリアンと名付けられてこの教団で暮らしている。

 

「アリエッタ、そっち行ったよ!」

 

「え!?」

 

「つかまえた、です」

 

フローリアンは毎日笑いながら教団内を駆け回り、世話役のアニスの両親をいとも簡単に振り切り、導師直属のアニスと一応は騎士団の重役であるはずのアリエッタによって捕獲されている。

 

毎日のように繰り返されているその一騒動に小さく笑いながら、ティアは廊下の先に見えてきた三人と一匹に声をかけた。

 

「こんにちは。今日も大変そうね」

 

「あ、ティアだ! こんにちは!」

 

ライガに襟首を加えられ宙吊りにされているフローリアンは元気よく手を振るが、アニスの一睨みによって急に元気を無くす。

 

「フローリアン! 騎士団のみんなからいかさまでお金巻き上げたらダメって、あれほど言ったでしょ!! 今からちゃんとみんなに謝って、お金返してきなさい!」

 

「えー……、だって、賭事は騙してこそだってシンクが……」

 

まだ精神的に幼いフローリアンは、シンクの手によって日々堕落の道を歩んでいた。純粋に真っ黒になりつつあるフローリアンから、ティアはつい目を反らしてしまう。

 

「フローリアン、あのね……フローリアンは、そんなに、だめな人になりたいの? もしもね、ほんとにフローリアンがだめな人になりたいなら……アリエッタ、おうえんします。みんなが生きてるかちもないとか、不幸になればいいとか言っても……アリエッタ、フローリアンを、おうえんします。えっと、だから、まずは……ルークみたいに人をおどす――」

 

「…………ぼく、いい子になる」

 

相変わらず純粋なアリエッタによって、歩みかけていた道の深淵を垣間見させられたフローリアンは、冷や汗を垂らしながらアニスに何度も頷いてみせる。

 

そしてフローリアンは、ライガにくわえられたまま地下の騎士団本部へと続く廊下の先に消えて行った。

 

「毎日ご苦労様」

 

「ほんと、何であんなやんちゃな子になっちゃったのかな……最初は大人しい子だったのに」

 

何をどう間違えたのかと頭を抱えるアニスに、ティアは無言のまま乾いた微笑みを返した。

 

何をどう間違えるも何も、最初からどうしようもないほど間違えている。フローリアンをダアトの幼年期学校に預けずに、教団で育てると決めてしまったことがそもそもの原因なのだ。

 

騎士団を含めた教団の上層部は、基本的に何か普通じゃない困った人ばかりなのだから、もはやどうしようもなかった。

 

「ティア……それ、何? シンクのにおい……です」

 

「ええ、ちょっとね。シンクの代わりに、今からイオン様の所に報告に行くの。アリエッタも一緒に行く?」

 

「えっと……うん、アリエッタも行きます。アリエッタ、今はすることないもん」

 

先ほど預かった二本の剣の包みを不思議そうに見ながら、アリエッタは元気良く頷いた。

 

「あ、ティア。イオン様の所に行くんなら、ちょっと戻るのが送れますって伝えておいてくれないかな? 何かね、大佐から私たち宛てに手紙が届いてるらしいから、ついでに取って来ちゃうね」

 

「大佐から?」

 

「うん。すぐ戻るから、ティアとアリエッタも部屋で待ってたら? せっかくだしさ」

 

 

「――それで、シンクはこれをケセドニアの裏マーケットで手に入れたんですね?」

 

「はい、そう聞きました。今は関連情報入手のために、町でノワール達と会ってるはずですから、明日にでも詳しい話が聞けると思います」

 

「そうですか……予想はしていましたが、意外と早かったですね」

 

「本物とはかけ離れていますけど――ものがものですからね」

 

導師イオンの執務室のソファーに座り、ティアとイオンは揃って溜め息を吐いた。

 

三カ月。

 

全てが終わって――そして、彼と彼女がこの世界から消えてから、まだたったの三カ月だ。

 

だというのに、ルークが使ったという武器の偽物が出回ってしまっている。

 

「その剣を持つ者は、赤い悪魔の力を受け継ぎ、世界の覇権を握る……でしたか。この噂、笑うべきなんでしょうか」

 

「アリエッタ……リグレットが出てきて、お願いごとをかなえてくれるって聞きました」

 

「…………」

 

「…………」

 

アリエッタによる新情報に、ティアとイオンは揃って閉口した。

 

子供向けの御伽噺に出てくるような設定を、たった三カ月で真しやかに噂されているあの二人は、もう色々と終わっていた。

 

「まあ、ルークなんて一部ではローレライと混同視されていますし、実績は十分ですから、仕方ないと言えば仕方ないんですよね。リグレットも、まあ……あれですし」

 

イオンは乾いた笑みを浮かべて、再び深く溜め息を吐く。

 

真に受けてしまう人間がいるということは、その力を求めてしまう人間がいることを意味し、そしてその結果、そういうことの処理を担当している教団に、また一つ面倒な仕事が増えることになる。

 

「ふふふふふふふふ」

 

この三カ月の地獄のような激務の結果、イオンは疲れとストレスで少し壊れかけていた。

 

「ただ今戻りましたーっ! イオン様、大佐から手紙が届いてますよ」

 

扉を開けて部屋に入ってきたアニスが、肩で息をしながら手に持った封筒をイオンに差し出す。

 

「ジェイドから、ですか?」

 

「はい。でもー、何か個人的な手紙っぽいですよ。軍の印が使われてないですし」

 

「まあ、開けてみましょうか」

 

早速封を切って中の手紙に視線を落としたイオンは、しばらくして何とも言えない微妙な声を出した。

 

「ジェイドが、来ます」

 

「え? 来るって――」

 

「ダアトに、今日です」

 

 

 

 

プラネットストームの停止により、新たにキムラスカとマルクトで開発が進められている、予め蓄積しておいた音素を動力源として使う機構。

 

最終決戦ではオールドラントの音素支配の妨害をしていたルークの補助になればと、一縷の望みをかけて導入された音素タンクと仮称されるその技術のアルビオールへの実装試験が、今日この日に行われるという報告は上がって来ていた。

 

しかしアルビオールの試験飛行に、発案者であり開発責任者であるジェイド・カーティスを初めとして、ガイラルディア・ガラン・ガルディオスと、アッシュ・フォン・ファブレまでもが参加することを、ティアは聞いていなかった。

 

「万が一に備え、ダアト港でもアルビオールの緊急時の受け入れは許可していましたが……」

 

「ちょうど好き勝手にアルビオールを使える口実がありましたからね。急な連絡になってしまったことについては、申し訳なく思っています」

 

執務室に押しかけてきたジェイド、ガイ、アッシュを見ながら、盛大に溜め息を吐くイオンに、ジェイドがいい笑顔で返す。

 

申し訳なく思っている人間の顔ではないと思いながら、ティアは一カ月近く顔を合わせていなかった三人に問いかけた。

 

「何があったんですか? アルビオールを使ってまで直接教団に来るなんて。それに、アッシュはいるのにナタリアが一緒じゃないなんて……」

 

「心配しなくても、ナタリアならアルビオールで待機してるよ。だからそんなに差し迫った緊急時事態ってわけでもないんだ」

 

「そうなの? よかった、何かあったのかと思って心配したわ」

 

ガイの言葉にティアは安堵の息を吐いた。どうやら一大事というわけではなかったらしい。

 

「こ、この屑どもが……っ!!」

 

「まあまあ、ティアはナタリアの安否を心配しただけですよ。そんなことよりアッシュ、我々がここにいる理由の説明を」

 

「ちっ……まあ、いい。ナタリアに免じて許してやるよ」

 

何を許してくれるのか本気でわからないティアは小さく首を傾げながらも、まあどうせアッシュの言うことだからと思考を放棄して、続く説明に耳を傾ける。

 

そしてアッシュは舌打ち混じりに、短く端的にその理由を述べた。

 

「船が、盗まれた」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

短すぎて、意味がわからなかった。

 

「アッシュ……今日は頭のちょうし、わるいの? アリエッタ、治癒術かけてあげるね」

 

純粋なアリエッタの言葉は辛辣だが、きちんと的を射ているとティアは大いに納得する。

 

アッシュも色々と大変だったのだろう。

 

 

「話は十日前に遡りますわ」

 

イオンの許可が下りたことで、ダアトの外壁のすぐ側まで来たアルビオールの船内に移動し、そこで改めてナタリアから詳しい説明を受ける。

 

アルビオールには、ラルゴとディストも乗っていた。

 

「もう少しでアッシュの成人の儀と、その……私たちの結婚式、そしてアッシュの戴冠式が続けて行われることはご存知ですわね?」

 

ご存知も何も会う度に幾度となく惚気られると、忘れようにも忘れられない。

 

「王都は今、式典の準備や来賓の到着のため、かつてないほど賑わっていますわ」

 

人類を救った英雄の結婚、変わり行く人の世界を担うことになる新たな王の誕生、史上で最もめでたく重大な式典は、オールドラント全土で騒がれている。

 

「そしてその賑わいの中――王都で保管されていたルークの船が盗まれたのです」

 

「盗まれた――って、まさか!?」

 

響くアニスの驚愕の声。導き出された一つの推測に、ティアの鼓動は高まる。

 

「確証はない。それどころか、証拠すら一切ない」

 

腕を組み目を瞑っていたラルゴが、楽しそうに笑う。ティアも、自然と笑っていた。

 

「だがな――これは手がかりだ」

 

「ええ。ようやく尻尾を出したようね。間違いないわ――教官とルークよ」

 

 

 

 

「私ね、あの時からずっと後悔していたの。何で教官を行かせてしまったのかって」

 

「まあ……雰囲気に飲まれてとしか言えないよな」

 

「そうですわね」

 

シンクが到着すれば、直ぐにでも飛び立てる用意が出来ている船内で、ティアは久しぶりに再会したガイとナタリア相手に、この三カ月間の胸の内を吐き出していた。

 

「よく考えれば、あの二人がそんな簡単に死ぬはずがないじゃない。教官なんて、辞表まで用意していたのよ。最初から騎士団を抜けて、ルークと一緒にふらふら気ままに旅するつもりだったなんて――うん、許せないわ。後始末を私たちだけに押し付けて、自分たちは死んだふりをして楽をするなんて、許していいはずがないわ」

 

盛大な愚痴だった。

 

「いや、まあ……あの二人にも考えがあってのことだったんだろうし、ここは穏便に……。ルークが暴れ過ぎたこともあるし」

 

「言いたくはありませんが、あの二人の存在が民に恐怖を与えることは確かですわ。オールドラントと互角の存在だということは、人類全体を相手取れるということ。それに最後にリグレットが見せたあの一撃は……脅威です。あの二人はそれを知っているからこそ、自ら身を隠したのではありませんか?」

 

「…………」

 

 

理解はしている。だが、納得は出来ない。少し俯き言葉を探していると、しかしガイとナタリアが同時に溜め息を吐いた。

 

「まあ、わかってはいても……俺だって許せてないんだ。せめて俺たちくらいには、幸せに暮らしてるって教えてくれたっていいじゃないか、って」

 

「私も、ガイと同じ気持ちですわ。大切な幼なじみと、大切な仲間なのですから」

 

少しだけ空気が重くなったその時、ディストの高笑いが響き渡った。

 

「どちらにせよ、今日中に二人に会えることは間違いありません! このディスト様の完璧な計算で、盗まれた船がバチカルとケセドニアの航路を進んでいることが判明しているのです! 船が盗まれてまだ十日、帆船などという骨董品ではまだケセドニアにはたどり着けていませんから、海上が再会の場になるでしょうねぇ!」

 

「まあ実際は、まともに航海の準備もしていない船が目指すのならば、一番近いケセドニアだという単純な推理に、潮の流れとバチカルでの船の進路の目撃情報を加味しただけなんですがね。あと、帆船を軽視するのはどうかと思いますよ。これからの交通の主力になるかもしれないものなのですから」

 

ディストの大声に僅かに眉根を寄せるジェイドの説明に、ティアは少しだけ不安を募らせた。

 

ディストの計算が間違えている可能性は低いだろう。一世代昔の帆船の扱いにくさも、知っている。

 

だが、乗り手が乗り手だ。一抹の不安はどうしても拭えなかった。

 

「例の研究は、あまり上手く行ってないのですか?」

 

「いえ、アルビオールが問題なく動く程度には進歩しています。しかし、音素を蓄積するには、手間と費用がかかりますからね。一般的に普及するまでには、かなりの時間が必要でしょう。それに帆船の動力源である風力は、私たち人間にとってかなり理想的なエネルギーですから」

 

どこか困ったように笑って答えるジェイドに、イオンが納得したように頷いた。

 

「風力は、いくら使っても星に負担をかけないからですか。そうですね、音素を使い過ぎればいずれ枯渇する。そのあたりのことも、話し合っていかなければなりませんね」

 

「星全体との共存、か。想像以上に困難な道なのかもな」

 

ラルゴのその言葉で、艦内が沈黙に包まれる。

 

人の暮らしは、間違いなく不便になる。

 

それでも。

 

それでも、とティアは思う。

 

その道を選んだのは、自分たちなのだ。生きるために、生きたいがために、自分たちで選んだのだ。

 

だから。

 

だから――

 

「全員揃ってる!?」

 

アルビオールに、少年の声が響き渡った。

 

「あ、シンク……!」

 

艦内に飛び込んで来たシンクは、嬉しそうな声をあげて駆け寄ってきたアリエッタを抱き止め引きずりながらも進む。

 

ただならぬシンクの様子に何事かとざわめく皆を無視し、シンクは額の汗を拭う。

 

「エンゲーブの東にある小さな村が、赤い悪魔と金色の魔女を名乗る二人組が率いる五十人程度の野党に襲撃された」

 

「襲撃!? どういうこと――いや、何時の話……でもなくて、あの二人の偽物か!?」

 

「ご名答だよ、伯爵様。で、襲撃されたのが四日前。村に攻め行ったけど結果的に失敗して、もう野党達は捕まった後だね」

 

騒然となった艦内は、しかし直ぐに静まった。本人達の偽物まで出てきたことはかなり問題ではあるが、今は本人達のものかも知れない足取りを追うことの方が重要だ。それが偽物対策にもなるのだから。

 

「四日前ですか、随分と情報が早い。私も知りませんでしたよ。しかもあの小規模な村の情報……――いや、あの村の規模で、そのようなふざけた名前を持ち出されたら、対処出来るはずがない。どういうことですか?」

 

眼鏡を押し上げたジェイドに、小さく笑いながらシンクは続けた。

 

「偶然村に来ていた十代前半の男女二人組の行商人らしいよ、野党全員を返り討ちにして捕まえたのは。しかも、何故か偽物を指差して盛大に笑いながら」

 

「………っ!」

 

ティアは確信した。

 

それだ――その二人組だ。

 

十代前半という容姿が少しだけ気になったが、例え今更多少若返えられようとも驚きはしない。

 

何せ二人組の片割れは、一度生き返りまでしているのだから。

 

あの日世界から姿を消した二人を思い、ティアはアルビオールの艦橋から空を見る。

 

太陽が眩しく輝く青空は、どこまでも広がっていた。

 

 

 

* * *

ガタゴトと揺れる荷馬車の御者台の上で、ルグニカ平野を吹き抜けるそよ風を感じ、大きく欠伸をする。

 

見上げた空は、透き通るように青かった。

 

「眠いのか?」

 

「まあ、な。何つーか、絶好の昼寝日より過ぎる」

 

隣に座る、黒いワンピースに身を包んだ小さな彼女に答えながら欠伸を噛み殺し、一度大きく伸びをする。

 

太陽の暖かな日差しに包まれた、のどかな昼下がり。爽やかな風で波打つ延々と続く草原の道を、のんびりと進む荷馬車の上。

 

今日も今日とて、俺たちの世界は平和だった。

 

「それにしても」

 

「ん?」

 

「お前の偽物……あれは酷かったな。不覚にも、笑ってしまった」

 

口元を隠し横を向いて小さく肩を揺らす、つばの広い白い帽子を被った彼女を、俺は苦笑しながら半眼で睨む。

 

「お前の偽物も大概だったけどな。変な黒い帽子に黒いローブって、一体全体どこの変出者だよ」

 

「ふん。赤い鬘をつけて木刀を持っただけの、お粗末な変装には負ける。しかも、止めとばかりに角までついていたぞ」

 

「いや、お前の偽物の中身なんて男だったじゃねえか」

 

よくよく思い返してみれば、ちょっと前にあった偽物騒動は酷かった。あの時は名乗りを上げた互いの偽物の見て、ついつい腹を抱えて笑ってしまったほどだ。

 

ひとしきり笑い終わり冷静になった後には、自分の雑すぎる偽物にイラッと来て、弾みで少しやり過ぎてしまったが、まあそのくらいは仕方ないだろう。

 

穏やかな風が、俺たちを乗せた荷馬車の幌を、静かに揺らす。

 

忘れ去られたように草原に立つ一本の木から、風に吹かれて飛んだ一枚の葉が、ゆらゆらと俺と彼女の間に落ちた。

 

笑い声が消えて、静寂が訪れる。

 

彼女は御者台の上に落ちた葉を手に取り、そして緑の葉が生い茂る木を見つめた。

 

「英雄――金色の魔女、か。そのような大仰な存在など、所詮は人が夢見る幻に過ぎない思っていたのだがな……」

 

「未練があるんなら――」

 

「いや、ただ、幻だと思っていたその名前が、何時の間にか私という存在を飲み込んでいたことに驚いただけだ。一体何人の人間が、今の私がその金色の魔女だと気づけるのだろうな?」

 

「…………」

 

「後悔はしていないさ。私はお前と一緒に歩む今を、心底楽しんでいるのだからな」

 

そう言って彼女は、少しだけ寂しそうに笑った。

 

赤い悪魔と金色の魔女は、死んだ。

 

真偽とは関係なく、人々はそう思いながら今を生きている。

 

例えその名前が死んだって、俺たちには大して関係ないと思っていた。

 

だって、俺と彼女はここにいて、今を自分らしく生きているのだから。

 

理解も納得もしてはいる。だけど、それでも、失われた名前を思うと、少しだけ胸に込み上げてくるものがあった。

 

「なあ、リグレット」

 

すぐ隣に座る彼女の名前を呼んで、俺はその小さな手を取る。そして、片手で手綱を引いて、荷馬車を止めた。

 

「どうした?」

 

「ちょっとだけ、昼寝しようぜ。いい感じに、木陰もあるし」

 

彼女は少しだけ間を置いて、僅かに目尻を下げる。何時もは鋭く光るその青い瞳を優しげに緩めた彼女は、仕方がないといった風に俺に微笑んだ。

 

「……――ん、そうだな」

 

偶にはゆっくりするのもいい――と、そう言って彼女は、穏やかな表情で悠久の空を見上げる。

 

何処までも続くような青空のように、俺たちが選んだ道もまた、その果てが見えない。

 

しかしだ。この旅路の終わりは見えないが、以前とは違い、今のところ差し迫ったやるべきことは何もなかったりする。

 

何を心配することもなく、昼寝をする余裕だってあるのだ。

 

だから、まあ――彼女とのんびりと気楽に気ままに、楽しく生きて行こう。

 

悠久の時を巡る新たな旅路は、まだまだ始まったばかりだった。

 

 

夢を、見ていた。

 

俺がまだ俺として生きていなかった、もう何年も前になる昔の夢だった。

 

繰り返される、退屈ながらも平和で穏やかな日常。

 

両親がいて、使用人たちがいて、ガイがいて、ナタリアがいて、そして師匠がいた、あの忘れえぬ日々。

 

今になって思い返してみれば、俺の存在故にどこか歪んでいた事実を除けば、そんなに悪くもなかったバチカルでの暮らし。

 

そして、その毎日が終わった日のことは、今でもはっきりと思い出すことが出来る。

 

突然だった。本当に突然だった。

 

何の前触れもなく現れたティアとの間に擬似超振動が起き、そして俺は屋敷の外の世界に飛ばされた。

 

「ルー……起き………ルーク」

 

あの時のティアの言葉だって、今になってもはっきりと思い出せる。

 

タタル峡谷に吹く、夜の冷たい風。

 

遥か彼方まで広がる、雄大な夜の海。

 

静寂の夜に静かに響く、波の音。

 

そして白いセレニアの花畑と、世界を柔らかく照らす金色の月。

 

長い長い旅が始まったあの日のことは、色褪せることなく全部俺の中に残っていた。

 

違う――と、何故か不意にそう思う。

 

あの大切な過去の思い出も、始まりの日の記憶も、確かに本当のことで、嘘なんかじゃない。

 

だけど、だけど――あの声は、ティアの声じゃなかった。

 

あの声は、あの声は――彼女の声だ。

 

死に急ぐなと、俺にそう言った、彼女の声だ。

 

あの雪山での凍てつく夜に、俺のために泣いてくれた、彼女の声だ。

 

おかえりなさいと、何時もは絶対に見せない優しい笑顔で言ってくれた、彼女の声だ。

 

「……いい加減に、起きろ!!」

 

そして何時も何時も、俺を叱っていた彼女の声だ。

 

過去の情景が一気に過ぎ去り、微睡んでいた意識が覚醒する。

 

鋭い声に慌てて目を開けると、そこには彼女がいた。

 

七色の音素の海を、金色の髪を泳がせながら腕を組んでたゆたうリグレットに、俺は開ききっていない目を擦りながら笑いかける。

 

「お前、フライングにも程があるだろ」

 

「何の話をしている。寝ぼけるのも大概にしておけ」

 

そう言って彼女は、そっぽを向いて小さく溜め息を吐いた。

 

人を無理やり起こしといて、この女は――って、……は?

 

相も変わらず冷たいリグレットに苦笑しようとしたその瞬間、俺は現状を思い出し驚愕に目を見開いた。

 

ちょっ……え……いや、え……? 

 

「お、お前、どうやって――っつーか、な、何でここに……」

 

今この場に、俺以外の誰かが存在していていいはずがない。

 

俺は皆をあの世界に帰すために、この歪な世界に残ったのだから。

 

まったくこれっぽっちも予想していなかった事態に狼狽えまくる俺に、リグレットは不機嫌を隠そうともせずに答える。

 

「私は言ったはずだぞ。お前が何処に旅立とうと止めはしないが、その前に私の話を聞いて行け――でなければ、地の果てまででもお前を追いかける、と」

 

「だ、だからってお前……!!」

 

言いかけた言葉を強引に飲み込み、俺は周囲の第七音素に語りかける。

 

こんな問答をしてる場合じゃなかった。

 

まだ、間に合う。

 

今ならまだ、リグレットをあの世界に送り返すことができる。

 

「無理をするな。既に限界だろう」

 

乱れる意識を気合いでつなぎ止める俺を、リグレットは至って冷静に涼やかな瞳で見つめてくる。

 

ギシリと、奥歯を軋ませる。

 

彼女の、言う通りだった。

 

既に崩壊を始めたこの世界。あの世界との繋がりが消えつつある今、今の俺の状態で道を切り開き、そして維持することは、不可能に近い。

 

その覆しがたい現実を意識してしまって、気づけば俺は叫んでいた。

 

「黙ってろ! 限界だろうが無理だろうが、お前は絶対にあいつの所に叩き帰す! 何のためにあの野郎を生かして帰したか、わかってんだろうが! お前がここに残るようなことになってみやがれ、俺がやって来たことが全部台無しだ! やっと、せっかく果たせた約束だって、無意味になるんだぞ!」

 

復讐を我慢して、欲望を抑え込み、俺はここに残る道を選んだ。

 

俺は、死なない。

 

だから、時間さえかければ、あの世界に何時かは帰ることが出来たのだ。

 

何年、何十年、何百年先かはわからないけれど、帰ることが出来たのだ。

 

だから目の前のこの女の幸せを願い、別れの言葉をヴァンに託して、ここに残る道を選んだってのに……!

 

……くそ、何やってんだよ、俺は。

 

まともな打開策が何一つ出ないどころか、マイナスにしかならない回想で時間を食い潰すなんて、本気でどうかしちまってる。

 

自分の不甲斐なさに、俺は短くなった赤髪を掻きむしった。全部終わったと思って気を抜いた瞬間これだ……情けないにも程があるぜ。

 

「無意味などでは、ないさ」

 

そんな俺に、彼女はゆるりと首を横に振りながら、柔らかな微笑を浮かべた。

 

「ルーク、お前が約束を守ってくれたから、私は今こうしてここにいられるんだ」

 

「あ? お前、何言ってんだよ……その言い方じゃあ――」

 

ここにいることを喜んでるみたいじゃねえか――という言葉を、俺は口に出すことなく飲み込んだ。いや、口に出すことが出来なかった。

 

そんな質問はするだけ無駄だと、彼女の微笑みを見て確信せざるをえなかったのだ。

 

「ありがとう、ルーク。ずっと伝えることが出来なかった想いを、お前のおかげで漸くヴァンに伝えることが出来た」

 

「…………お前、まさか礼を言うためだけに、ここに来たんじゃないよな?」

 

ヴァンがリグレットの想いに応えないなんてことは、有り得ない。あの野郎は確かに度の過ぎたどうしようもないシスコンではあるが、リグレットの存在を蔑ろにするほど終わりきってはいないし、何よりあの最後の瞬間、確かにあいつは俺の言葉を真摯に受け止めていたのだから。

 

だけど。

 

だけどヴァンに非がなくとも、彼女なら、あり得ると思った。彼女なら、本当に礼を言うためだけに、ここに来てしまうかもしれないと、そう思った。

 

そういうあってはいけないような選択肢を選んでしまうところが、どこまでもリグレットらしくて、気づけば俺は小さく苦笑していた。

 

「ほんと、何でこんな場所に来ちまってるんだよ、お前は。せっかく全部終わったってのに――せっかく、ヴァンと幸せになれたってのに」

 

「なれるわけないだろう、バカルーク。お前を犠牲にしてまで幸せになることなど、出来るはずがない」

 

「……また、それかよ」

 

自然と、あの吹雪の夜の記憶が蘇る。あの凍てつく夜にもリグレットは、同じようなことを言って、泣いていた。

 

衝動に駆られるまま、呆れ顔を見せるリグレットの手を取る。

 

そして、少しだけ驚いたように目を見開いたリグレットをそのまま抱き寄せようとして――寸前のところで思いとどまった。

 

「そういうこと、言うなよ。せっかく我慢してんのに……」

 

「我慢する必要は、もうない筈だ。お前は約束を果たしたのだから」

 

「…………は?」

 

何を言いたいのか理解出来ずに固まったその瞬間、一瞬だけ視界いっぱいに金色が広がり、気づいた時にはリグレットが腕の中にいた。

 

「先に言っておくが、これはサービスだ。頭を撫でてやるだけでは、幾ら何でも少し足りないだろうという思いやりなのだから、調子に乗るなよ」

 

「え、いや……え? 何の話してんだよ」

 

「頑張ったら頭を撫でてやると言っただろう。もう忘れたのか?」

 

「…………」

 

絶句した。

 

今ここで、こんな話を持ち出されるなんて、これっぽっちも予想してなかった。

 

ほんと、さっきから何なんだよ。もう突然すぎたり突飛すぎたりで、マジで意味不明だ。

 

相も変わらず間抜けに固まり続ける俺に抱きついたまま、胸板に埋めた顔を決して離さず、リグレットは威風堂々と、しかし何時もよりほんの少しだけ早口で続ける。

 

「ルーク、聞いてくれ。私はおそらく、お前を愛しているわけではない。私のお前への想いは、決して誇れるような綺麗なものではない」

 

「…………おう」

 

「以前にも言ったが、私はお前に依存しているだけなのだと思う。人外としか見做されない今、ただ同類が欲しいだけなのかもしれない。それどころか、私以上の化物を見て安心していたいだけなのかもしれない」

 

リグレットは何時もの調子で、淡々とその胸の内を語る。背に回された手に徐々に力がこもって行くのを感じながら、俺は静かに彼女を声を聞き続けた。

 

「だからだろうな。お前が他の人間と幸せになることを想像すると、殺意すら感じる。孤独になるのは、嫌だ」

 

「……そう、だな。一人は、嫌だよな。虚しくて、寂しいよな」

 

所詮は、傷の舐め合い。

 

終わりを迎えたあの旅の中、俺とリグレットがお互いの隣にあり続けた理由なんて、笑う気もおこらないほど、どうしようもなく下らないものだった。

 

リグレットは俺を壊し、俺はリグレットを壊した。

 

真実は違うのだろう。

 

リグレットはそう思い込んでいるが、俺がここまで終わりきったのは、ヴァンと六神将にアクゼリュスを崩落させられたことが原因ではなく、ただ俺が弱かったからだ。

 

リグレットが壊れたのだって、もしかしたら俺がヴァンを殺したせいじゃないのかも知れない。

 

だけど俺たちは、自分が相手を壊したと思い込み、同類が存在することに安心して慢心して、壊れ続けた。

 

だから今、どうしようもなくなっている。世界意志と互角に殺り合え、人類に喧嘩を売ってもたった二人で勝ててしまうほどに、どうしようもなくなってしまっている。

 

「ルーク。交易をしながら世界を回ると言ったが、お前の隣はあいているか?」

 

俺はそう聞いてくるリグレットを強く抱き締めた。強く抱き締めて、答えた。

 

「知ってるだうが、そんなこと。まあ、あれだ、旅は道連れってやつだ」

 

「ん――そうか、ありがとう」

 

早口にそう返したリグレットは、照れていた。

 

それにしても、これでますます終わるわけにはいかなくなっちまった。

 

何が何でも、絶対にあの世界に帰らなければならない。

 

だけど、まあ、その前に――

 

「一つだけ聞いていいか?」

 

ようやく埋めていた顔を離して、俺の顔を見上げてきたリグレット頬が、少しだけ赤く染まっている。

 

俺は小さく笑いながら、言った。

 

「結局のとこ、俺のこと好きなのか?」

 

「……言わせるな」

 

「じゃあ――」

 

「一つだと言ったのはお前だぞ」

 

横に背けたリグレットの赤い顔を覗き込みながら、俺は無視して続ける。

 

「お前が一番好きなのが俺だって、そう思っていいのか?」

 

「…………察しろ」

 

そう短く返したリグレットの顔は、耳まで真っ赤だった。

 

 

揺れる御者台の上で大きく欠伸をして、昼寝の後の微妙な眠気を飛ばす。

 

寝ていた時間は一時間にも満たない程度だが、いい夢も見れたし快眠もできたので体の調子も精神の調子も上々だ。

 

「随分と機嫌がいいな。流石に嫌がる人間を拘束したまま眠っていただけのことはある」

 

隣で眠気眼を擦りながら、恨みがましく俺を細めた横目で睨んで来るリグレット。さっきまでは大人しく抱き枕をやっていたリグレットに、俺は何時も通りのいい笑顔で答えてやった。

 

「実は嫌がる人間が俺の頭を撫でてた時には、既に起きてたりした」

 

「…………。……ッ!?」

 

暫しの沈黙の後、一瞬で顔を真っ赤にしたリグレットに、思いっきり顔面を殴られた。しかもグーで。

 

照れるリグレットが可愛くて無性に苛め倒したくなったが、流石は俺、鋼鉄もびっくりの精神力で何とかこらえて、捕らえていた右拳を解放する。

 

顔を真っ赤にして口をパクパクさせる涙目の幼い容姿のリグレットのせいで、何か最近危なすぎる性癖に目覚めそうな……つーかもう手遅れだったりしちまいそうな気がしないでもない俺は、小さく溜め息を吐いて彼女から視線を外す。

 

この三か月でわかったことだが、リグレットは極度の恥ずかしがり屋だ。俺とのやり取りにしてもそうだが、俺たちが死んだあの日、今生の別れになる可能性を考慮して盛大に片見を渡したり遺言的なものを残してしまったらしく、今更みんなの前に出るのは恥ずかしくて抵抗があると言うのだから、筋金入りだ。

 

多少は落ち着いたらしいリグレットに、俺はその辺の諸事情を考慮して一つ提案する。

 

「なあ、ちょっと思ったんだけどよ、そろそろこの格好やめようぜ」

 

「む、変装のことか?」

 

「いや、身体の方も。まだあいつらに見つかりたくねえんだろ? 念には念をってことで」

 

「……そうだな。あれだけやったのだから大丈夫だとは思うが、万が一ということもあるか」

 

先日の偽物騒動は、完全に予定外だった。

 

資金不足解消のために、手っ取り早くバチカルから俺の船を持ち出し、ケセドニアで貸し出すという危ない橋を渡りはしたが、足取りは可能な限り消し去った。

 

プロの暗殺者と怪盗もびっくりの隠密術と潜入工作を用いた完全犯罪に始まり、第七音素意識集合体としての能力を遺憾なく発揮した帆船の超高速航行、かつての裏表を問わない情報網を逆手に取った情報操作、果てには今のこの小さな姿。

 

しかしだ。あの偽物共のせいで、その数々の苦労に多少ではあるが揺らぎが出てきている。

 

まあ、一旦それは置いとくとしてだ。……うん、何というか、あれだな。

 

「自分で言うのも何だがよ、やってることの大半が人間技じゃねえって……」

 

「実際、もう人間ではないだろう。お前は前からだが」

 

「まあ、そうなんだが、これであの村で暴れてたのが俺らだって思われてた場合、どう反応すりゃあいいんだよ」

 

複雑すぎる気持ちで呟いてみれば、リグレットが口元を悪戯っぽく吊り上げながら聞いてきた。

 

「偽物と本物、どちらに間違われたい?」

 

「どっちにしろ最悪だな、その二択」

 

まったくもって笑えねえぜ。いや、マジで。

 

人事じゃねえだろ、とため息を吐く俺に、リグレットはその表情を崩すことなく続ける。

 

「冗談は止めるとして、本題に戻ろうか。私は今の姿のままでいい。兄と妹という設定にした方が皆の目を欺き易いだろう。それに、何より私の身の安全が第一だ」

 

「ん?」

 

安全ってどういう意味だ?

 

含みのある微笑を浮かべてはいるが、何故かリグレットの声色は微妙に切実で真剣な上、しかも若干震えている。

 

何がどうなって安全云々が出て来たのか意味不明で首を傾げていると、何やら徐々に目つきが今にも親の仇を射殺し始めそうなほど鋭くなって来ているリグレットが、ドスが利きすぎた声を出す。

 

「胸に手を当てて考えてみろ。貴様が私に何をしたのかを。二度とあのようなことはやらないと心の底から反省して、私に誓うまではこの姿のままだと思え」

 

「お、おお……?」

 

突然脅され始めて絶賛混乱中の俺がまともな反応を返さないからか、リグレットが面白いくらい急速に真っ赤になって行く。

 

幼い外見であたふたとしながら「わ、わかったのか、バカルーク!」と照れるリグレットに、俺の乱れた思考が綺麗に纏まる。そして気付けば、不敵な笑みで宣言していた。

 

「ハッ、甘いな。日々成長するこの俺に死角なんざねえよ」

 

「な、何を……」

 

「今やもう、俺は立派なロリコンだ!」

 

「し、死ね……っ!!」

 

身の危険を感じたらしいリグレットが、一瞬で背のホルスターから二挺の譜銃を抜き放ち、心臓と足の付け根に瞬時に狙いを定め引き金を引いた。

 

首を竦めれば回避できる頭ではなく、身を捩っても胴体の何処かには当たる心臓、そして座っているために咄嗟には動かせない足の付け根。

 

戦闘能力をこそぎ落とすことを主眼に置いたその狙いに、俺は確信した。

 

これは――マジだ。

 

トリガーが引かれるその寸前に、御者台に置いた左手を軸に身体を浮かして旋回させる。服を穿った二発の弾丸に冷や汗を流しながら、そのまま荷馬車から身を投げ出す。

 

腰から木刀を抜き放ちながら着地、したその瞬間に、足元で白光を放つ譜陣から打ち出された四本の光槍による追い討ちを、足捌きで回避し木刀で叩き落とす。

 

が、追い討ちを防ぎ終わった時には、目の前に新たな光槍が四本迫って来ていた。

 

「やばっ……!」

 

上級譜術による挟み撃ちなどという反則技に舌打ちしながら、大地を蹴り荷馬車へと疾走する。

 

距離を詰めてしまえば俺が圧倒的に有利だ。

 

上級譜術に真正面から突っ込むという危険を払う価値は、十二分にあった。

 

第二音素を込めた拳を振り上げ、大地を巻き上げる。

 

アルバート流奥義、烈震天衝。

 

天を穿つ大地が光槍を飲み込み、出来た道を駆け抜け――ようとしたが足裏で地面を削りながら急制動し、身体ごと反転させながら木刀を振るう。

 

ギィィィイ――と耳をつんざくような音が、手応えと同時に響き渡った。

 

「ちっ、外したか!」

 

譜銃のグリップから伸びる白刃を引きながら、いつの間にやら元の八頭身の姿に戻ったリグレットが右足をしなやかに薙払う。

 

放たれた右の回し蹴りが、僅かに後退した俺の顎先を掠めるに終わったことに再び舌打ちし、リグレットは大きく後ろに飛び下がる。

 

乱射される弾丸を木刀で防ぎながら、俺は湧き上がる喜びに邪悪に口角を吊り上げた。

 

後ろを取られたことに、一瞬気づけなかった。

 

技を放つその瞬間に生じる俺の意識の隙間を縫って、後ろに回り込んでいたのだろう。

 

赤いストールを風に靡かせ本気で戦う彼女の姿は、美しく気高く、そして強かった。

 

第七音素が俺の周囲に集い巻き上がり、そして光り輝く。

 

「お前も本気というわけか。いいだろう、今日こそは真正面から叩き潰し、泣いて後悔させてやる」

 

黒い馬鹿でかいマフラーと赤い長髪を揺らして光の中から出て来た俺に、リグレットが再び光槍を打ち込んでくる。

 

それを邪悪に笑いながら叩き折って、言葉を返してやった。

 

「てめぇこそ覚悟してろよ。直ぐに捕まえて、泣いて謝るまで可愛がってやるからな」

 

「だ、黙れ変態っ!」

 

 

突如として戦場と化した、何処までも続く青空の下に広がるのどかな平原。

 

飛び交う剣閃と弾丸に巻き込まれないように道を外れた荷馬車が、ガタゴトと揺れながらのんびりと進んで行く。

 

五度目となる俺とリグレットの交叉は、平原に伸びる道から随分と外れた所を進む荷馬車の、御者台の上でだった。

 

「や、止めろ! 来るな! おかしいだろう、駄目だろう! 何だその危ない目は!?」

 

俺の木刀を二挺の譜銃の銃身で受ける、すでに泣き顔一歩手前のリグレット。

 

「おう、どうしよう……殺り合ってたら、何かこう……」

 

「お前が困るな! その獲物を狙うような目を止めろ!」

 

「悪い、リグレット。もう我慢が……」

 

「謝るな!」

 

そして、既に慣れ親しんだその光景に、もはや驚きもしない荷馬車を引く馬が、呆れたような嘶き声を上げた。

 

いい加減うるさいとでも言わんばかりのその声に、俺たちはぴたりと動きを止める。

 

本気の戦いがふとした瞬間に唐突に開戦されるのであれば、その終戦は決まっていつも俺たちの同行者である愛馬の一声によって告げられるのだ。

 

「ふぅ……やっぱ、適度な運動ってのは大事だな」

 

「最近は魔物が襲ってきてくれないからな。運動不足の解消には調度いい」

 

元いた御者台に二人して腰を下ろして汗を拭い、まったりと一息つく。

 

別に喧嘩していた理由を忘れたわけでもないし、そもそも本気で喧嘩していたわけでもない。

 

ただ単純にこうして真剣に戦うことが、俺たちの楽しい楽しい暇潰しなのだ。

 

「言っておくが、お前の危険極まりない告白については、私はまだ納得も理解も、もちろん許容もしていないぞ。もしも本当だったら――……」

 

「いや、本当なんだが」

 

「短い付き合いだったな」

 

「お、そう言えばよ」

 

真剣に荷馬車から降りかけたリグレットの腕を掴み、俺はもうどうしようもないほど強引に話を変える。

 

「アッシュとナタリアの結婚式って、そろそろだよな。一回バチカルに戻って、陰ながら祝ってやるってのはどうだ?」

 

「意外だな。お前、アッシュのことを嫌っていたのではなかったのか。陰ながら祝福とは……見直したような見損なったような」

 

軽く驚いたようにこちらを振り向いたリグレットに、俺は胸を張って答えてやる。

 

「嫌いだっての。あくまでもこの辺りから離れるのが目的で、結婚式はついでだ」

 

つーか、見損なったってどういう意味だよ。

 

「そうか。なら、セントビナーまで急ぐとするか。荷馬車を一度預けて、私たちだけでバチカルに向かえば、どうにか式には間に合うだろう」

 

「何だかんだ言って、お前も結構乗り気じゃねえか」

 

「短いなりにも共に戦った友人達の式だ、悪い気はしないに決まっている。それに、他の皆の顔も拝めるだろうしな」

 

少しだけ口元を綻ばせるリグレットの声は、本人にそんなつもりはないのだろうが、何時もの彼女からすれば有り得ないほど弾んでいた。

 

「…………」

 

こうやって嬉しそうに皆の話をする彼女を見る度に、少しだけ気持ちが重くなる。

 

やっぱりリグレットは、こっち側に来るべきじゃなかったのではないか。あいつらと一緒にいた方が――ヴァンと人としての幸せを手に入れた方が、良かったんじゃないのか。

 

どうしても、そんなことを考えてしまう。

 

……まったく。馬鹿馬鹿しいにも程があるぜ、マジで。

 

一度大きく息を吐き出して、掴んだままだったリグレットの腕を引き寄せる。

 

「おい、何のつもりだ」

 

「ヴァンも来るんだろうな、あいつらの結婚式」

 

「……ティアも勿論来るのだろうな」

 

「…………」

 

「…………」

 

何とも微妙な牽制をし合い、俺たちは同時に小さく苦笑した。

 

本当にまったくもって、どうしようもねえな。

 

「あの時にも言ったけどよ――」

 

「――旅は道連れ、だろう? 覚悟はしているさ、とうの昔からな。地獄だろうがこの世の果てだろうが、お前となら何処にだろうと行ってやる」

 

「……ぐ、何かさらりと言われたら恥ずかしいな、そういう台詞」

 

「だ、黙れ!!」

 

再び顔を真っ赤にして怒鳴ったリグレットの頭を、俺は満面の笑みを浮かべてぐしゃぐしゃと撫で回す。

 

「まあ、俺だってせっかく捕まえた獲物を逃がすつもりはねえよ」

 

「調子にのるな! 少し気遣ってやろうと思った私が馬鹿だった。やはり前言撤回だ、私はここで降りる」

 

「よっしゃ、じゃあ今日は久しぶりにイチャイチャしよう。そういう気分だ」

 

「し、死ね!!」

 

――と、本日二度目の戦いが始まろうとしたその時、聞き覚えのある轟音が遥か遠く空の上で鳴り響いた。

 

自分は関係ないとばかりに呑気に歩を進める馬が引く荷馬車の上で、ぴたりと動きを止める俺と彼女。

 

俺たちが思わず顔を見合わせたその瞬間、辺り一帯に大きな陰が落ちる。

 

「やっと見つけたわ、二人とも」

 

透き通るような雲一つなかった青い空を見上げたその先に――――飛晃船アルビオールの姿があった。

 

拡声器越しに降り注いだティアの声に、顔を見合わせたままの俺たち二人は、小さく頷き合う。

 

本気でやばい。マジで殺されそうだ。

 

二人の意思がもしかすると初めて寸分違わず一致した記念すべきこの日に、俺たちは馬の背を平手でバシバシと叩いて――――全速力でアルビオールから逃げ出した。

 

 

 

 

とある日、とある平原、雲一つない透き通るような青空の下。

 

飛晃船が空を駆けるその先で、積まれた林檎を転がし落としながら、一頭の馬が引く荷馬車が大地を走る。

 

道なき道を突き進む、激しく揺れる荷馬車の上では、長い赤髪の男と綺麗な金髪の女が、黒いマフラーと赤いショールを風にはためかせ――――無邪気に笑い合っている。

 

今日も世界は、平和だった。

 

 

*   *   *

新生ローレライ教団オラクル騎士団初代首席総長をリグレットが就任し、首席総長付副官にルークが任命されたND2020を最後に、新創世暦時代は終わりを迎える。

 

そして新たに始まった時代を、初代首席総長とその副官は五年だけ支えた後、突如何の前触れもなく歴史の表舞台から姿を消す。

 

その最後の五年を境に、どの国のどの歴史書にも、彼らの名前は刻まれていない。

 

彼らと共に波乱に満ちた怒涛の世紀末を戦い抜いた仲間達も、それ以降生涯に渡り彼ら二人について公の場で語ることはなかった。

 

しかし、人の世から姿を眩ました彼らの名前は、時が流れ時代が移り変わっても、忘れ去られることなく脈々と語り継がれて行く。

 

 

 

 

 

平和と平穏に包まれた惑星オールドラント。

 

大きな争いもなく、豊かではないものの穏やかなその世界には、遥か昔から語られ続ける一つの噂がある。

 

 

――オールドラントを巡り続ける、人騒がせな悪魔と魔女――

 

――今日も今日とて彼らは、不敵に笑いながら旅路で騒動を巻き起こす――

 

――だけど、その先には……――

 

 

 

TALES OF THE ABYSS

 

~突き進め、我が道を!~

 

 

――ハッピーエンドが、待っている――

 

 

 

THE END.

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