――全てが、赤く染まっていた。
家も、道も、木も、草も、海も、全てが赤く染まっていた。
リグレットは港を歩きながら、水平線に消えかけた太陽を何とはなしに眺める。
遠くの方で、夕焼けが綺麗だね、と嬉しそうな子供の声が聞こえる。
そうだね、と答える優しい声は、きっと親のものだろう。
親子の温かい会話を遠くに、リグレットはふと立ち止まり自分の胸に手を当てた。
――綺麗……なのだろうか。
夕焼けを美しいと思う自分と、そうでない自分がいる。
はっきりとしない感情を拭えないまま、リグレットは再び歩き出す。
行く当てはない。
ただ、太陽を目指して、港まで来た。
太陽の色は――
夕焼けの色は――
と、桟橋に夕焼け色を見つけた。
風に髪をなびかせ、今にも夕焼けの中に消えてしまいそうな危うさを持つ男。
気づけばリグレットは駆け寄り、その男の背中に手を伸ばしていた。
「……消えるな…………」
到底自分のものとは思えない、弱々しく小さな泣きそうな声。
発してしまった言葉の意味も、そんな声が出た理由もわからない。
わからないまま、届かなかった手を戻し、リグレットは取り繕うように言う。
「探したぞ。町でお前が、ふらふらと港に向かって行ったと聞いて」
今度は何時もの通りの、自分でも呆れてしまうほどそっけなく、冷たい声が出た。
ルークの背中は、動かない。何時もより何故か小さく見える背中は、桟橋に腰掛けたまま、微動だにしない。
距離にしてみれば、たったの一歩。手を伸ばせば、届くはずの距離。でも今は、どうしたって埋まりそうにない、その距離。
一歩分の二人の間を、冷たい風が吹く。
「夕焼けって――大嫌いなんだ」
ぽつりと、動かないままルークが呟いた。その声は自嘲するようで、苦しんでいるようで、独白するようで、そして何より弱々しかった。
「…………どうしてだ」
会話を続けていなければ、本当にルークが夕焼けに溶けて消えてしまいそうで、リグレットは無意識の内に言葉を発していた。
ルークは躊躇うように間を置いて、抑揚のない声を出す。
「全部が、血まみれに見えるから」
「血まみれ……」
ああ、とリグレットは瞬時に理解した。自分も、ルークと同じだ。
「そうか……血の色に、見えてしまうのか。私も、お前も」
血の赤と夕焼けの赤は、違う。でも、血に染まった自分達には、どうしても同じに見えてしまう。
夕焼けを美しいと思える自分と、思えない自分。その意味がわかった瞬間、リグレットは自然と一歩踏み出していた。
「たくさん殺した」
ルークの隣に腰掛け、リグレットは夕日を見る。
「数えきれないほど、私は人を殺した。殺して殺して殺して、殺し続けて、感覚が麻痺して、壊れる寸前まで、殺した」
軍の任務だったとしても、それは関係ない。それに、任務以外でも自分は人を殺している。
赤く染まる視界の隅で、小さな温かい緑が動いた。
「俺も、数えきれないほど殺した。覚悟も理由も意志も、利益だってないのに、殺した」
「違う、お前は私達に殺させられたんだ」
その緑色の瞳が悲しげに揺れたから、リグレットは唇を噛み締めていた。
「アクゼリュスのことは、お前の罪ではない。私達の罪だ」
自分達は、ルークを利用した。利用して、何も知らないルークを利用して、町を一つ消させた。
――いや、利用ではなく、使用か。
過去のリグレットは、ルークを『物』としか見ていなかった。
人として、認めてさえもいなかった。
「泣くなよ」
声とともに、肩を抱き寄せられる。
「お前が泣いたら、俺が泣けないじゃねえか」
肩を掴む手に、さらに力が込められる。抵抗する気力も起きなくて、リグレットはそのままルークの胸板に頭を埋めた。
「私は……泣いてなどいない」
「泣いてる。目、さわってみろよ」
本当にそう思っていて、誤解している相手に伝えてみれば、優しく頭を撫でられた。
「な、泣いてるだろ?」
目元を拭った手には、確かに涙の雫があって。
「…………私は――」
一度それがわかってしまうと、涙はとまらなくなった。
何も言わずに抱きしめてくれるルークが、どうしようもなく温かくて――その分、辛くなった。
「…………私は、何がしたかったのだろう」
世界に絶望して、一人の男に共感して、一人の男を愛して、世界を壊そうとした。
でも結局、それは中途半端に終わった。ルークに、出会ってしまったから。
新たな希望ができてしまい、一人の少年に救われてしまい、一人の少年を愛してしまって、世界を救うことを選んだ。
本当に全てが中途半端で、そんな自分が堪らなく嫌になる。
「今の俺が言えたことじゃないけど」
リグレットの頭を優しく撫でながら、ルークが苦笑する。
「リグレットはさ、過去にとらわれ過ぎてると思う。過去を忘れないことも大事だけど、俺達は今を生きてるんだから」
今を精一杯生きる。
過去にとらわれるのではなく、過去を教訓として生きる。
それがルークの基本姿勢だと、リグレットは知っていた。それを実践することが、どれだけ難しいかも知っていた。
「私は……お前のように強くなれない」
つい本音を漏らせば、ルークがまた苦笑する。
「だから、俺も人のこと言えないんだって。俺だって、そんなに強くない」
頭にのせられていた手が背中にまわされて、少し強めに抱き締められる。
「俺達は、そんなに強くない。今みたいに、どうしたって過去にとらわれちまうこともある。だからさ、これからも――二人で励まし合って、慰め合って、注意し合って、支え合って生きて行こうぜ」
ルークが、時々どうしても弱くなる自分を支えてくれる。
自分が、時々どうしても弱くなるルークを支えてあげられる。
「……そう、だな」
そう思うと少し気が楽になって、リグレットは小さく微笑んでいた。
「もう大丈夫だ。支えてくれてありがとう」
ルークから身を離して、目元を拭う。涙はもう、完全に止まっていた。
「何だよ、相変わらず立ち直るの早いな。お前軽いから、幾らでも支えてやるのに」
冗談めかして言うルークの額を指先で小突いて、リグレットは自分の膝を指で示す。
「次はお前の番だ」
「え?」
首を傾げるルークに、リグレットは呆れたように笑った。
「私に下手な演技が通用すると思うな。私の膝を使わせてやるから、好きなだけ泣くといい」
何時もの表情から困ったような顔に変わり、それからルークは片手で顔を覆った。
「あー、恥ずかしい。何だよ、分かるなよ」
「馬鹿、分かるに決まっているだろう。私が泣くと自分が泣けなくなると、さっきお前自身がそう言ったばりだ」
唸るルークの頭を、リグレットはさっきのお返しだとばかりに撫でる。
「支え合って生きて行こうというのも、お前自身が言ったことだぞ。自分の言葉には責任を持て」
「……そう、だな。じゃあちょっと、膝借りるぞ」
躊躇いがちにリグレットの膝に頭をのせるルーク。暫くごそごそと動いて、リグレットの腹部に顔を当てた状態で落ち着いた。
「じゃあ、もったいないけど五分間だけな。その後は、元に戻るから」
そう言って、ルークは黙り込んだ。
リグレットからは見ることができないが、ルークが静かに涙を流していることは分かっていた。
アクゼリュスの人達のことを思って。
――全てが、赤く染まっていた。
血の色の夕焼けは――悲しく、苦しく、辛い。
でも。
目の前で潮風に揺られる長髪の色、青年を示す色の夕焼けは――優しく、温かく、幸せ。
悲しいけれども、優しい世界。
苦しいけれども、温かい世界。
辛いけれども、幸せな世界。
矛盾したこの夕焼け色の世界だけれども、リグレットは今なら胸を張って言うことができた。
悲しみも苦しみも辛さもあるが、自分はこの夕焼け色に染まる世界が好きだと。
Fin.