切欠
安心できるだけ金がほしい。
死ぬ間際になって感じた気持ちのまま次の人生へと辿り着き、使い切れないほどの金を手に入れた。
いざ手にしてみて思ったことといえば、金というものはあってもなくても困るということだった。もはやゴミのように扱えるほどの金を手にして、今更何を望もうという気にもならない。
そもそも望んだものは、金など関係なく手に入れることができてしまう。
付随してきた名声もあって、俺は金のために費やした第二の人生に、既に飽きてきたわけである。
これを教訓にして、次の人生ではもっと上手くやろう……と、死ねるほど恐れ知らずな人間でもない。自死するほど飽いてもいないことが、逆に苦痛であった。
「金でも使うか」
そういうわけで、金の使い方を考えることにした。
金を稼ぐには何かしらの元手がいる。
金やら才能やら、人より優れた何かが必要になる。
それは俺が生まれ変わった世界の都市、新エリー都でも同様だった。
ホロウ。
この世界を覆う災害。
新エリー都は、それと共存している。
暗闇の中、明確に異常な球状空間。内部に長くいるだけで、異形の化物へと変貌してしまうリスクだってある、ド級の災害。
しかしその中身は宝の山だ。エーテル資源には大きな価値がある。侵食のリスクを無視すれば、それを確保することが最も手っ取り早く金を稼ぐ方法だ。
いや、訂正しよう。
これはあくまでも、「持たざる者」にとっての最善策だ。
最も手っ取り早い方法はまた別にある。
他人に貢がせればいいのだ。
「──ふぁ」
まぶたをわずかにこじ開ける。眠気を妨げない程度に身じろぎをする。
その一挙手一投足が、まるで一つの儀式のように視線を奪う。
対面していた男共が、どこか固唾を飲んだり、気不味げにしている。
まったく、とんでもない才能だと思う。
「ミスター・ノーバディ」
名前を呼ばれる。何もわからないように、無垢を装ってへにゃりと笑えば、それだけで呪いは完遂される。
「いいよ」
と、声を掛けた。それがトリガーだった。
たった一晩、俺は眠るだけ。
それだけで、手元に大量の金が入る。
まあ、簡単な理屈だ。要するに、常識外の美を売り物にすれば良い。見る権利だけでも金を払うような人間はいる。今回のように夜を共にする権利は、勝手に金額を吊り上げていった。
で。
それだけの金を払えるとなればもうこの街でも上澄みとなる。
俺と眠るというだけの行為は、いつしかステイタスになり、勝手に俺という人間はブランド化していった。
結果として、死ぬまで豪遊して遊べるだけの金が手元に残ったわけである。
──まぁ、エーテル適応体質ならそもそも身売りなんてしなくてもいいんだけどな!
残念ながらエーテル適性検査キットで調べてみたところ、点数は一桁台であった。
そしてこの体の身体能力は残念ながら雑魚も良いところなのでおそらくホロウレイダーとしての活動もできない。
真っ当に働く、という選択肢もなかった。
そもそも魅了のせいで真っ当な商売はできまい。この呪いを隠す方法はなく、性別如何にかかわらず精神力の弱い多くの人間を骨抜きにしてしまう。
ならば考え方を変えて、これを才能として扱ってしまえば良いのである。
水商売への忌避感はなかった。前世と性別が異なっているということもあり、寧ろ忌避感はなかったほうだと言える。「そういうもの」だとして受容できるのだから。
お陰様で金が手に入ったので良かったとする。
で。
問題はこれだけ手元に残った金をどうすれば良いのか、だ。
正直、ほしいものがない。
前世はとにかく金がほしかった。金があれば、好きなときに好きなことをできるのだから。
でも今生では、美味しいものは好きなだけ食べられるし、何かやりたいことも特にはない。
何かしたいこともない。街に遊びにいくにしても、疲れるから嫌だ。金にものを言わせて車を出させるのも良いだろうが……。
「どうしよ」
とにかく、目的がなかった。
本来物品を交換する手段であるはずの金を、ただ稼ぐということだけが目的になっていて、それが終わったときのことを考えられていなかった。
「……なんかないかな」
と、そこで、ふと思い出した。
過去買われた家で、話を聞いたことがある。
要は金持ち専門の何でも屋がいる、とのことを。
「雇ってみるか……」
貰い物の家は、1人で住むには広すぎる。
それに、何かしら新鮮な刺激がほしいというのも事実。1人ではもう行き詰まってしまったわけで。
思い立ったが吉日だ。適当な相手に詳細を聞いて、経由して情報をもらう。すぐに届いたのは、申込書だった。
「一日カスタムサービスな……特にやることも決めてないんだよな」
とりあえずその他欄にチェックマークをつける。特に内容は決まっていないが、話し相手を募集とでもしておけば良いだろう。
数日後、窓口である執事・メイド喫茶へと向かうと。
「か、カリンですっ、よろしくお願いします!」
「うん、よろしく」
チェーンソーを持った、メイド服の女の子がいた。
「カリンちゃんはさ、どういうお金の使い方をするの?」
「ふぇっ? え、えーと……研磨用の助剤や、お料理の材料なんかを購入しますね」
「そっか。仕事道具ばかりだね」
ヴィクトリア家政の従業員である、カリン・ウィクスは、今回の「御主人様」に対して、思う。
おそろしいほど、美しい。
一切のケアをしていないだろう、僅かに癖のついた髪は、しかし光を受けて光り輝いていると見まごうほどだ。
その一挙手一投足が、暗示をかけるかのように、目を奪う。
(ライカンさんが困っていたのも、わかります……)
ミスター・ノーバディ。
「だれでもない」を指すそれは、今や特定人物の代名詞となっていた。
その名を冠する彼女は、この世界の中で、最も美しいと言われている。
ヴィクトリア家政に所属していることから、カリンもその名を耳にしたことがあった。
「俺はね、なんにもない」
「……なんにもない、ですか?」
「使い途がないし、夢もない。やりたいことにあたるものも、ない。お金だけはいっぱいあるけど、何をすればいいのかわからない」
「……そうなのですね」
「だから、暇なんだ。暇を埋める何かを探してる」
女性なのに、妙な一人称だった。
それでいうと名前の「ミスター」もそうだ。慣用的な表現だとしても、呼称としては適切でないように感じる。
カリンは、顔を隠した彼女を背負いながら、妙だと思った。
指定された場所までたどり着くと、そこには大きな家が建っていた。美しい女は、背中から降りて、扉を開く──鍵すらかけていない。
「え、ぇ……? 御主人様、鍵は……」
「いらんいらん。複数に監視されてるし、万が一も起こらないでしょ」
「…………」
「さ、どうぞ上がって。一緒にのんびりお話でもしようじゃないか」
「お、お邪魔します……」
おっかなびっくり部屋に入ると、中は全く物がなかった。大きなベッドくらいしか、目につくものがない。
扉が開かれたままのクローゼットには、服とタオルが乱雑に積まれていた。
寝室だろうか。生活感はまったくなかった。家のどこにも、そのような気配がない。
「チェーンソーは、適当に置いてていいよ。じゃあ、カリンちゃん」
「は、はい」
「ベッドにおいで?」
──心臓が、跳ねた。
その言葉に、無意識のうちに誘導される。
メイドとしての立場から遠慮したような記憶も遠く、気づけばカリンは布団の中へと収まっていた。まるで過程が吹っ飛んだかのようだった。
意思を捻じ曲げて、その常識外の美は
まるで母に手招きされるかのように、カリンはベッドへと入り、美しい女と顔を見合わせていた。
人ふたりを載せてなお広々としたマットレスは、まるで最高級ホテルのものであるように、程よく体を支える。
「あ、ああああああ」
何が起こったのか。自分の行動を遅れて知覚し。
「ああああ、あの、カリン、パジャマに着替えてません……!」
「俺もそうだし。気にしなくていいよ、誰かがいつのまにか洗濯してくれるし」
それは怖いことなのでは……?
カリンは思ったが、彼女のように圧倒的な美貌を持っていると、そうなるのだろうか。
常に人のほうから寄ってくる人間は、今更その程度のことで動揺しないのかもしれない。
「あの……お話相手を募集とのことですが、カリンはどうすればいいのでしょうか……」
「うーん。じゃあ、俺とお金の使い方について話そうよ。お金だけはいっぱいあるんだ、俺に価値をつけてくれる人はいっぱいいるから。でもね、俺はそれを使う当てもないから」
「……御主人様には、好きなものはないのですか?」
「好きなこと……うーん、あんまり思いつかないな。あった気もするんだけど」
「カリンは、一人前のメイドさんになりたいんです。だからきっと、御主人様のようにいっぱいお金があったら、いっぱいチェーンソーの手入れとかにお金を使うと思います……」
「真面目だねぇ」
お金をどう使うのかと考えて、カリンはふと思う。
結局、頑張ってみてもドジをするのは変わらない。そこを直さなくては、一人前のメイドにはなれない。
つまり、お金があったとしても、カリンの目標は変わらず遠いままだ。
勉強をするだけの元手は増えるが、それは今のままでも足りているし、体は一つしかないのだから、頻度が増えるなんてこともないだろう。
だから、お金なんてあってもなくても、カリンには変わらないのだ。そんなものは、ただいちご大福をたくさん食べられるようなものでしかない。
「御主人様は、なぜ、今の仕事をしているのですか?」
ふと、疑問に思った。
何の目的もないならば、なぜここまで名が売れるほどに仕事をしているのだろうか。
「仕事と言っていいのかわかんないけど……そうだね。安心できるだけの金がほしかったからだ。でもね、お金があるだけじゃダメなんだ。何事も、使おうとしなければ減ることはないから」
彼女はそう言って、カリンの髪に触れた。
するり、と指が通り抜ける。じんわりと、何かが浸透するように、不思議な充足感が湧き起こった。
「御主人様の、好きなことはなんですか?」
「……うーん」
「好きなことがあれば、きっとそのことに対してお金を使いたくなると思います。カリンも、このお仕事が大好きですから。御主人様は、何か好きなことがありませんか?」
「……思い浮かばないかなぁ。ごめんね」
悲しそうな顔をして、彼女は言った。
なんとなく。
カリンは、嘘だ、と思った。
それを指摘するほどの度胸は、彼女にはない。
ただ。どことなく、胸の内に何かを封じ込めようとしているように見えて。
「……あの」と。「カリン、笑いません。ですので御主人様」
──やりたいことを教えてください。
勘違いかもしれないし、そうでないとして、踏み込むべきではない、と思ったが。
ヴィクトリア家政は主人の望みを完璧に叶えるのだ。であれば、席を置いてある自分は、理念の通りに行動するのみである。
「……じゃあさ、カリンちゃん」
「はいっ!」
「抱きしめてほしいな」
「──ふぇ、えええっ!?」
「それで、良かったら褒めてほしい。いやならいいんだけど──」
「え、えいっ」
言葉の途中で、カリンは彼女の体を抱きしめた。
何となく、そうしたほうが良いと思ったから。
同じだと思った。
目の前の、美しくて、何でもいうことを聞いてしまいそうな女性と。
カリンの根っこは、同じなのだと。
「大丈夫です。御主人様は、頑張ってます。カリンが保証します!」
何かがあって、後ろ向きになってしまって、自分なんかダメなんだと思ってしまって──その気持ちは、カリンが常に抱えていることだから。
なんて、こんなことを言っても慰めにならないように思えるけど。
「そうかな」
「はい。カリンが、保証人さんです!」
「そっか。ありがと」
背中に回された手の温もり。顔は布団に埋もれて、カリンからは見えなくなってしまった。
「ねぇ、カリンちゃん」
「は、はいっ」
「今更おかしいかな、夢があったって」
「いいえ、全然、おかしくないと思います」
「そっか、ありがとう」
「……良ければ、カリンにお聞かせください。どんな夢があったのか」
「あは、ちょっと恥ずかしいかな。……うーん、笑わない?」
「笑いません!」
「そっか。……──」
耳打ちされたその夢を聞いて。
──ああ、彼女にはよく似合っている、と。
きっと叶うだろう。カリンは、そう思った。
──はっ。
圧倒的ママ度に精神を溶かされていた……。
カリンちゃん帰宅後、つまり依頼が終わったあと。俺は自室で、骨が軋むくらいの抱擁を思い出していた。
「……にへ」
ああ、そうだ。今更言えるまい。
夢があったことなんて、言葉にするべきではなかった、けれど。
彼女に抱きしめられたとき、なんというか、許された気がした。
親がいなかった自分が、これまで生きてきた自分が。
死んだことに、安心すらしていた自分が。
許されたような気がして──
「……うん」
せっかくの新しい人生だ。
最も効率がいいからって、確実な手段だけに縋りついてはいられない。それは逃げでしかないから。
とりあえず、いろんなことをやってみよう。
それで、もし良ければ、その度にまたカリンちゃんを呼ぶことにしようか。
俺はベッドに寝転んだまま考えて、そのまま意識を夢に溶かした。
明日がくるのが、少しだけ楽しみだった。
たぶん続きません
よく今の段階で二次創作書けるな……と思っています