あと19時30分に投稿したぶんを読んでない方はそちらを先に読んでください。
日本の多少田舎の、マンションに住んでいるような夫婦の間に生まれた。
生まれてきたときには、もう生きていたくなかったのか。俺はびっくりするほど泣き喚いていた。
実際俺が生まれたときにはもう夫婦仲は冷めきっていて、ふたりの間に愛情らしきものはなかったし、ふたりから俺への愛情らしいものもなかった。
幼いうちから、俺は笑うことができなかった。
──ああ、ぼくの居場所はここにはない。
パパはどこかに消えちゃった。ママはいるけど、いないようなものだ。パパがいなくなってから、家で見る機会も少なくなった。
冷蔵庫に残った食べ物を少しずつ食べて食いつないだ。ぼくが死ぬのはだめだと思ってたようで、定期的に冷蔵庫の中身だけは補充されていた。
ぼくは近くの小学校に行くことになった。理由はよくわからなかった。ただ、家にいなくても良いってことがわかって、少しだけ嬉しかった。
同じ年の子供たちの中でも、ぼくは人一倍小さかった。なんだか生きている実感がないせいか、ぼーっとしてることが多かったから、みんなからは遠ざけられて、ぼくはずっとひとりぼっちだった。
今振り返ってみても思うが、俺の前世というのはひどいものだったと思う。
運がいいことに、他よりも多少頭はよかった。部屋の中に置かれていた本を勝手に読んで、時間つぶしとともに知識が身についていった。人格の形成は、ほとんど本の向こうの知識が元になって行われていった。
酷い現実だったけれど、だったからこそ、なんだか真面目に生きていけそうな気がした。他の人がつらいときも、俺なら耐えれるから、助けられるような気だってしていた。でもそもそも他の人と話す機会もなくて、そんな機会は終ぞ訪れなかったんだっけ。
ぼくの人生はきっとひどいものなのだろう。
なんとなく、その実感はあった。小学校3年生になった。学校の教科書はもう全部隅まで読み込んでしまって、授業はあまり新鮮味がなかった。
クラスメイトの人たちは、みんな優しい人だと思う。3年生ともなると顔見知りも増えてきて、みんなとちょっとずつ話すことが増えてきた。遊ぶとかはないけれど、ぼくは教室の中で「頭が良くて、虚弱体質なやつ」として、みんなから尊敬と同時に心配されていたような気がする。
学校のある日が楽しくなってきた。
でも、家の中はもう地獄のようにも感じられた。
お母さんが、新しい男の人を連れてきた。それがなんだかいやな人で、体には傷が堪えなくなった。でも痛いのは機嫌の悪いときだけで、機嫌がいいときはご飯をくれるから、そのときに笑ってればいい。痛くても笑え。笑うのは簡単だ、ほら。こんなふうに。あはー。
このときに耐えられていたのは、生まれたときからこんな感じだったからかもしれない。
でも、家が嫌になってくると同時にどんどんと学校に行きたいという気持ちが高まってくるから、小学校を卒業したらどうなるんだろう、と考えていた。
義務教育があるから中学校まではなんとかなるか、と思っているけれど、こんな綱渡りの人生がいつまでも続くとは思えない。中学生になったら生きていくためだと言ってなんとかお金を集めて、ご飯だけは食べなきゃいけない。ご飯がなければ人は死ぬのだ。
今の生活が続くのは奇跡だと、とっくに俺は知っていた。
学校の授業でわからなかったことを先生に話してみると、なんだかすごく褒められた。思い返してみたら、ぼくはこれまで同級生の人たちに褒められることは多かったけれど、大人の人から褒められることはあんまりなかった。なんだか嬉しくて、口をもにょもにょした。
クラスメイトの人と、仲良くなって、暇なときに遊ぶようになった。彼らはぼくの知らないいろんなことを知っていて、たくさんのことを教えてくれた。スポーツ系の遊びはからきしだったけれど、体力とかがいらない遊びはすぐにできるようになって、みんなから羨ましがられたっけ。
ぼくって一人称は、この年になるとダサいらしい。おれに変えたほうがいいって言われた。みんなの言うことだから、間違いないと思う。変えてみることにした。
楽しいことを知ってから、家にいるのが心底苦痛になった。逃げたい、と思った。思っちゃいけないことだと知っていたけど、おれはもう衝動に耐えられなくなってきていた。
よくまぁ殺されなかったものだと思う。運がいいのか悪いのか、前世でも多少見目が整っていたから、殺されなくて済んだ。競売に出せるくらいの価値はあるようだった。
残念なことに、この時点で小学校以降の俺の進路はろくなものにならないことがわかった。
ただ、母親は俺のことがもう心底嫌いになったようで、父親の代わりにどんどんひどいことをするようになっていた。……いや、父親も酷いことはしてきたから、この時期が一番危ない時期だったようにも思える。
こんな取ってつけたような、雑な不幸が人生にはあるんだなと思った。家にいたくないのに、家にいることを父親から強制されて、学校にいかない日がたまにできた。その日は必ず母親が怒り狂っているのだ。どうしても駄目だった。
大丈夫。意識がぼーっとしてれば、嫌な時間はすぐに過ぎていくから。
結局、学校に行けなくなってしまった。
逃げよう、って言われた。そんなことを考えてなかったから、驚いた。……誰だっけ、この人の名前は。そういうと、彼はひどく傷ついたような顔で、それ以上に憤った顔で、何度も逃げようと言っていた。
逃げるって、どこにだろう。もう、考えたくもない。耐えれば日々は過ぎていくから、大丈夫。そんなことを言ったら、泣かれてしまった。やだな、泣くなよ。きみはもっと強い子じゃなかったか? 泣きやませる方法がわからなくて、頭を撫でてみようと手を伸ばしたけど、残念ながらぼくと彼では身長が違いすぎて、なんか不格好なことになってしまった。それに、余計に泣きだしちゃった。
どうしたらいいんだろう。わからなくなって、だんだんおれまで泣きたくなってきた。
未だに名前は思い出せない。学校に行ってたとき、一番明るくて、一番俺と仲良くしてくれた人だった。そんな彼が泣くなんて、びっくりするよ。まったく、なんだって俺なんかのために泣くんだろう。
このときの俺にはそんなことしか考えられなかっただろう。ちょっと考えたらわかることだった。学校に来なくなった友達が、もうほとんど死に体の状態で、助けたいのにその方法がわからない。そんな状況になったら、そりゃあこうもなるよ。
例えばこのときの俺がカリンちゃんだとすれば、俺は絶対に彼女を助けたいのに、本人がそんなのどうでもいいって、俺が何を言ってるのかわからないって、気まずそうに首を傾げているのだ。そんなのを見ちゃったら、まぁ、俺も泣くよな。
小学校を卒業するくらいのとき、お父さんとお母さんがいなくなった。おれはひとり、置いていかれた。
逮捕されそうになって、どこかに逃げたんだろうか。特に興味はなかった。ただ、おれはごはんを食べるあてもなくなっちゃったから、すぐに動くことにした。家から抜け出して、なんとかひとりで生きていける場所を探すんだ。
家にあった食料は全部持ち出した。久しぶりにお腹いっぱいに食べられるような気がする。
久しぶりに頭を回せば、昔取った杵柄とでもいうのか、頭は意外と回ってくれた。山にいけば、なんとか食べられるものは探せるような気がしたから、そうすることにした。
結局、食べるものがなくて、木の皮とか、土とか、空腹を慰めるために変なものを食べてでもどこかに歩くしかなかった。そこで、お姉さんと会った。
よくよく考えれば、このまま家に留まっていれば他の誰かの家の子供になって、なんとか養われて生きていけたんじゃなかったんだろうか。
これまでの人生は最悪だったけれど、なんとか生きていけたねーって感じで、まだ笑い話になったんじゃないだろうか。
それで、死んでよかったなんて思うこともなく、生きていけたんじゃないかって、今となっては思う。
お姉さんと会うことは、俺にとっては最高の幸福だったと同時に、何よりも最悪な
お姉さんは、おれを家へと招いて、行く場所がないならここに住んでいい、といった。その後、変なものを食べて体調を崩したおれの看病なんかもしてくれた。
「そういえば聞いてなかった。あなたの名前はなんていうの?」
「……忘れちゃった。おれ、捨てられたし」
「うーん……そうね。じゃあ私が名付けようか」
お姉さんはそういって、おれに名前をつけた。
「
「……そんなの、神様でも無理だし、神様なんていないでしょ」
「まぁ、そうだよねぇ。でも、信じてれば救われるんだよ。いるとかいないとか、私達にはわからないけれど、少なくとも自分たちで信じるかどうかは選べて……神様がいるって思ったほうが、この世界を愛せる気がするから、私は神様がいるって信じてるんだ」
「……そうなんだ。お姉さんが信じるなら、おれも信じてみる」
そうやって、おれは神様を信じてみることにした。
聖書を読んだ。救世主の教えとやらを、実践してみることにした。そうやっていると、なんだかちょっと気分がよくて、本当に神様はいるのかもしれない、と思った。
神様はいたが、あれは昔俺が信じてたものじゃない。もっと悪辣なやつだ。こんな人生の二回目を与えやがったクソ野郎だ。だから、神様なんていないんだと思ったほうが早かった。
十三歳の誕生日を祝った。人並みに幸せだった。
けど、俺達の生活は日に日に苦しくなっていった。
そりゃそうだ、お金がなければこの世界で生きていくのは難しい。そもそもお姉さんは親の遺産を使って細々と生活していて、それでなんとか生きていけてるところに、いきなり俺というお荷物を抱えてしまったんだ。だから食べるのにも困っていく。
仕方がないから、死ぬことにした。
そうなれば俺のぶんの口は減るし、お姉さんは最悪俺を食べることで飢えなくて済むだろう。そう思って、首を吊ることにした。
お金があったら、こんな気持ちにならなくて済んだんだろうか。
お金があったら、俺は死ななくて済んだんだろうか。
お金があったら、お姉さんは苦しまなくて済んだんだろうか。
例えば、お金があったら、俺はあの親のもとから早々に逃げられて、人並みに幸せな生活ができていたんだろうか。
息が詰まる。死ぬのは怖い。当然だった。
「──耶蘇くん?」
一番怖いのは、俺が死んで、お姉さんがどう思うのかを考えることだった。
そうして俺は死んで、神様を名乗る何かに出会った。
「君の人生、これでおしまい! 享年十三歳──短い人生だけれど、随分悲惨な話だ。それで、どうだい? 死んだ感想は」
その言葉を聞いて。
俺は、何故かほっとした。
よかった、ちゃんと俺の命は終わったんだと。
どこか喜びに似た気分で、俺は沙汰を待つ。このまま消えてなくなるのが、楽しみだった。
「──喜んでるところ悪いけど、君はこれから新しい人生を歩まなければならない」
だから、次の言葉で気分はどん底に落とされた。
「生きる以上、人は幸福でなくてはならない──少なくとも、ド素人が書いた『かわいそうな子供』みたいな人生を走り抜けた君には、幸福になる権利がある。だから君を、新しい世界に今から生まれ変わらせる。幸せになる以上は、君は君のままでなくてはならないから、記憶はそのままにしておくよ」
は?
待て。
待って。
ふざけるな。
ふざけんな! やっと終われるのに、これまでなんとか生きてきたのに、やっと全部なくなって、消えてしまえるのに!
そんな言葉は喉につかえて言えなかった。
「記憶をそのままにしていると、君は幸せになれないだろう。君がこの生の記憶に耐えられると判断したとき、少しずつ記憶を取り戻すようにしておくよ」
そうして俺は、お姉さんと過ごした記憶とはた迷惑な才能を引っ提げて、生まれ変わった。
この世界は、原罪で満ちている。
この世界に、この名前と、この心を持って生まれてきた俺がやるべきことは、なんだろう。
──この体は、あの神を名乗る何者かの手によって作り出されたものだ。それはある意味で、神の子と言えるのではないだろうか。
聖書では、救世主の死によって人の原罪は赦されたとされる。
このホロウで溢れた、終わりつつある世界で、俺はいったい何をすればいい?
ああ、そうだ。
俺なら再演できるんじゃないか?
そうだ。
カリンちゃんやリンちゃん、みんなが生きるこの世界に満ちた原罪を、俺が死ぬことで濯ぐことができるんじゃないか?
そうだ。
そうしよう。
俺ができることなんて、前世でも今世でも変わらず、その程度だから。
大丈夫。
問題ない。
俺は死ねるよ。
どんなに痛くても、苦しくても。
お姉さんも、カリンちゃんも。
俺が大好きな人のためなら、この程度の怖さなんて、簡単に乗り越えられるから。