暗闇の中だった。
まるで死んだのだと錯覚するような、そんな暗さだった。
自分を揺さぶる感覚でぼんやりと意識を取り戻せば、先程いた場所とは大きく様変わりした場所にいることがわかった。
「ごほっ」
咳き込んだ。それで完全に、意識を取り戻す。
空間が崩れさったのはわかっている。
これまでは、こんなことは起きなかったのだが。
強くなった力の影響なのか、世界を壊すことまでできてしまった。
というかこれ、本当に魅了なのか? 違う次元のもののような気がするんだけど。
周囲を見る。エーテル結晶が地面から生えているのをみて、ここがどこかを認識する。
ホロウの中だ。
どこのホロウに出たのかはわからないが、ともあれ、俺が絶対に入ってはいけない場所に入ってしまったことはわかる。
ミスだ。対策をまだしていないのに入ってしまっては、エーテリアス化して死ぬだけである。
体を起こそうとすれば、カリンちゃんが心配するように背を撫でさすって、支えてくれた。
「大丈夫ですか……?」
「ちょっとマズいかも」
侵食耐性がある服とはいえ、全身を覆えない以上それは気休め程度の効果でしかない。
多少というのはあくまで多少でしかないのだ。せいぜい命を一分程度伸ばす程度だろう。
対処の時間がシビアではないという意味で採用したのだが……何も用意していない状況であれば話は別である。
かなり不味い事態になった。どう対処するのが正解か。
いや、自爆するしかないな。ならどうやってカリンちゃんを撒くべきか。
とはいえホロウ内部となると、出る方法もない。このまま放置すれば、おそらく適性のあるカリンちゃんでも不味い事態になるのはわかる。
死ぬしかないか。
そう思った俺に、ぽつりと声が降り掛かった。
「さっき……手を伸ばしてくれましたよね」
「え? ……。ああ。違うよ。誰だって急に地面がなくなったらびっくりするじゃん」
「……嘘です。本当にいつ死んでもいいっていうなら、あんなふうに狼狽えることはないはずです」
「ねぇ、今そんな話してる場合じゃなくない? 時間がないのはわかるでしょ」
仮にエーテルの影響が出てきて、意識の錯乱した俺がカリンちゃんを襲うような事態になったら?
ぞっとするような話だろう。
だから、今そんなこと話している暇はない。
会話を打ち切ろうとする俺に、なおもカリンちゃんは言葉を続けた。
「あなた様が本当に死にたいんだとすれば、これは望んだことじゃないですか? あの手を振り払えば、カリンとはお別れで、それでひとりで死ぬことだってできたはずです」
「あは。あの一瞬でそんなことを考えられたと思う? 無理じゃん」
「一瞬で、咄嗟に出てきた反応だからこそ、言葉なんかよりもよくわかります」
「話聞いてよ。時間ないって言ってるじゃん」
「本当は、死にたくないのでしょう? ただ生きていたくないだけ」
「……どっちも同じじゃん」
「まったく別のものですよ」
彼女は何を言っているんだろう?
なんでこの子は俺のことがわかるんだ?
違う。俺はただ、大切な人がいる世界を守るって運命に従っているだけだ。
なんで俺はあのとき死んだんだろう?
確かに生きていくのはつらいけれど、それが理由で死にたくなんてならない。
幸せになると、お姉ちゃんを忘れてしまいそうで怖いよ。
義務で、使命で、目的で、救いで、呪いで、祈りで、贖いで、想いで、夢で、愛で。
俺の死ぬ理由なんてそんなものだ。
元々その程度の命でしかないんだ。
そのはずなんだ。
「生きていたくない理由はいろんなものが混ざり合ってて、複雑なものなんですが……その根底にあるのは、一番はきっと、他人のことを恐れている部分にあります」
「──ちがう、俺はそんなのじゃない」
「いろんな理由があります。傷つくのも、傷つけるのも、嫌われるのも、嫌うのも、好かれるのも、好きになるのも。最初からひとりぼっちなら、楽ですから」
そんなのじゃない。
そんなわけがない。
笑っていろ。ほら、笑ってないなら生きる価値がないから。
変なことをせず、気分を害せず、他人に好かれるように媚を売って、ほら。大丈夫だ。人が嫌いならそんなことできない。
「君は、君の望んだように、好きに生きるのがいいよ。よしよし──ほら、かわいく笑えるじゃん」
「ぁ」
声が、聴こえたような気がした。
違う。俺は自由に生きていいんだった。
だから、自由になろうとしたんだ。
でも。
でも無理だよ。
そんなことできないよ。
俺はひとりじゃ生きていけない。
どうやって生きればいいのかわからない。
人生に意義を見いだせない。
お金をいっぱい手に入れたとしても、その使いみちはわからない。
さほど労せずに降って湧いたお金は、なんだか夢幻のようなものに思えて、こわい。
今、この新しい人生は、まるで夢のようで、こわい。
死ぬ間際に見ている夢でしかなかったらどうしよう。
仮にそうだとしたら、もう既にお姉さんと同じくらいカリンちゃんのことが好きなのに、どうしよう。
命を助けてくれたお姉さんのことをあっと言う間に忘れているような感覚で。
死んだ実感はたしかにあるけど、それすらも自分で作り出した虚構だったら?
ここで幸せになってしまったときに、全部なくなってしまうのが、こわい。
自分で幸せを壊したのに?
「──お姉さんと出会って、あなた様は、人と関わることを知ってしまった。だから、怖いけど近寄りたい。仲良くなりたいけど遠ざけたい。そんな状態になっているのではないでしょうか……?」
「やめてよ」
つぶやきは、言葉として成立しているかも怪しかった。
なんだか、心がずたずたに引き裂かれているような気がして、涙が勝手にあふれてきた。頬を伝って落ちていくのを、その熱を俺は感じていた。
気づけば、感情の制御が効かなくなっていた。
がりがりと異音を立てて、俺の周囲の空間が、少しずつ
世界が壊れて、潰れていく。
「──っ!」
本当は、わかっている。
わからなかったら、人の気持ちがわかんないみたいになるじゃないか。
全部わかっている。
みんな、俺が死ぬのを止めたい理由も。
俺の魅了の理由も。
俺が死にたい理由だって。
わかってる。
わかってるけど。
それに目を向けたら、もう耐えられなくなってしまう。
空間の破壊と、無差別な魅了の発露は、カリンちゃんにすら影響を与えているようだ。
耐性なんて関係なく、圧倒的なまでに。
空間に飲み込まれないように、残った足場を駆け抜けながら、それでも彼女は止まらない。
空間が軋む身の毛のよだつ音は気にもとめず。
心身に影響をきたす魅了を跳ね除けて。
周辺空間の完全な消失の直前に、彼女は俺の下へとたどり着き、
飛びつくようにして、俺を強く抱きしめた。
そのまま、真っ暗闇の中を落ちていく。
空間の闇を抜けると、そこは雲の高さほどの上空だった。
風が強くて、息が苦しくて、冷たくて、痛い。
そんななか、カリンちゃんは言った。
「大丈夫──大丈夫ですよ」
俺を抱きしめる体の温かさが、どこか懐かしくて。
そういえば、前もこんなふうに抱きしめてくれたことを、思い出した。
「生きててもいいんです。カリンが、ずっとそばにいます。みんな、あなた様が生きて幸せになることを願っています。お姉様だって」
「──なんでそんなこと、わかるの……?」
「きっとお姉様は、カリンと同じ気持ちだからです」
なんだかもっと昔に、抱きしめてもらっていたことも思い出した。
あの人は、俺が不安になったとき、いつも抱きしめて、頭を撫でてくれたから。
「大好きです。あなた様と一緒に、カリンは生きていきたいんです」
お姉さんは。
俺が死んだとき、どんなふうに思ったんだろうか。
死のうって決めたとき、みんなの反応を見て、死なないことを受け入れたら、それがわかってしまうような気がして。
だから、頑なに目を背けてきたんだ。
「明日がくるのが、こわいよ」
「カリンも、失敗だらけで、明日がこわいときだってありました。でも、そのぶんいいこともいっぱいありましたよ」
「……嫌われるのが、こわいよ」
「死ぬって言われたときは困りましたけど、それでもカリンは、ヤソ様のことを嫌いになんてなれません」
「──おねえさんを忘れるのが、こわいよ……」
「そう思えているなら、きっと忘れられません!」
涙が、空へと落ちていく。
顔が冷たくて、冷たくて、つらい。
涙のあとを、カリンちゃんが空いた指でそっと拭った。
手が顔に触れる。冷たく悴んでいるはずの手は、それでもやけに温かく思えた。
俺は。
俺はどうしたらいいんだろうか。
お姉さんの前で死んで。
俺の死にはなんの意味もないんだって、みんなに言われて。
じゃあ無意味に死んだ俺のせいで、お姉さんはどんなことを感じたんだろう。
死にたい。
つらい。
苦しい。
怖い。
散々死ぬべき理由を説いていたけれど、それは全部言い訳だった。
俺はただ、考えたくなかっただけだ。
この怖さと、向き合いたくなかっただけだ。
大好きな人ができて。
大切な家族があって。
素敵なお友達がいて。
前世のことは、悪い夢だった、と。
あの優しいお友達も。
お姉さんのことも忘れて。
それで、今世が良い夢だった、と。
すべてまたたく間に掻き消えるような、その瞬間を迎えるのが怖かった。
ただ。
全部夢なのだったとしても、この温かさだけは、本当なのだと信じられる。
「なんかね。生きるのも、死ぬのも怖いんだ」
「それならカリンは、生きていてほしいです。あなた様がいなくなったら、カリンはどうしていいのかもわかんなくなっちゃいますから」
「そっか」
「そうなんです」
だったら、いいや。
どうせ自分自身じゃ生き方も決められないんだから。
「死にたく、ない」
口に出してみたら、超高度の上空にいる現実が目の前に迫った気がして、意識が切り替わるのを感じた。
目の前の膜が剥がれたかのような気分だった。
空から世界を見つめてみたら、この終末と喧騒の世界は、憎らしいほどに輝いてみえる。
正面を見る。
彼女はただ、こちらを黙って見ていた。
目が合うと、いつも通り困ったような微笑みを浮かべる。
ああ。
死んでやると決めていたはずなのに。
この世界は、今すぐ去るには惜しいくらいに、美しい。
死にたくないという言葉は適切じゃなかった。
俺は、どうしたい?
「──生きて、たい!」
はじめまして、どうぞよろしく新エリー都。
仮に、俺に死ぬ運命があったとしても、そんなのはもうどうだっていい!
たとえカリンちゃん以外のみんなが泣いて嫌がっても、意地汚くも生きてやる。
生きてていいんだ。
生きるべきなんだ。
誤解していた。
人生の価値を決めるのは、自分じゃない。
それはいつだって他人だから。
少なくとも。
カリンちゃんはこの世界で初めて。
俺を、大好きだと言ってくれた!
「掴まってて、離れないで」
切り替わった意識は、自分のやるべきことのために忠実に動いてくれる。
大体仕組みは理解した。
要するに、
それならば簡単だ。
周辺の空間を意識する。カリンちゃんだけは巻き込まないように。
そうやって、魅了を
直後、周辺の空間は木っ端微塵に砕け散り、他の空間へと新しく転送される。
飲み込まれたビル群が立ち並ぶ、コンクリートジャングル。その道路に沿うように、横へと落下の勢いのまま、吹っ飛んでいく。
「着地できる!?」
「お任せください!」
俺を片手で脇に抱きかかえたまま、減速のためにビルの外壁へとチェーンソーの刃を突き立てた。
腕への負荷は凄まじいだろう。それをわずかに顔を歪めるだけで耐え切りながら、しかしそれでもわずかにしか減速はしない。
次だ。周辺を崩壊させて、次の場所へと飛ぶ。
今度は殆ど着地する高さで、同じように吹き飛んでいった。
「これだけ距離があれば──っ!」
先ほどと同様にチェーンソーを地面に突き立てて、減速を図る。
それで、ようやく落下の衝撃を殺し切ることができた。
安堵に少し息がこぼれる。
「カリンちゃん、大丈夫?」
「も、問題ありません……それより、ヤソ様のほうは、お体に問題などありませんか!?」
「平気だよ。ほら、ぴーすぴーす」
さて、なんとか助かったが、あまりぼさっとはしていられない。
昔の俺はエーテルに対して意味のわからないくらいの耐性があったが、今はそうではない。
一刻も早くホロウを出なければ。
で、出口は?
「……………………」
おい、昔の俺。
どうやってホロウを出入りしてたのか教えろ。
まったく検討がつかんぞ!
「あ、いや。ひょっとしてそういうことなのか?」
記憶を取り戻す毎に魅了が強まっているのだと思っていたのだが。
というか、魅了なのだと思っていたが。
ひょっとして、また別の何かなんだろうか。
本質は別のところにあって、あくまでも魅了として発露しているのは副産物にすぎないとか?
「なんとなく見当がついてきたぞ……ふむ、つまり」
そうやって意識をしてみれば、なんとなく俺がやっていたことが何なのか見当がつく。
あいにくながら、それを言語化するのは難しいのだが。
魅了の元になっている何かがあって、それをそのまま
意識して、魅了をぶつけるように、周辺へと弱めに力をぶつけてみる。
すると、周辺の空間状況がなんとなく理解できた。
ひとりだけ高精度の地図を持ってるみたいな感覚だ。
「なるほど。これのおかげでそんな顔よくないのに美しいだのなんだの言われるのか」
「いえ、ヤソ様は絶世なんて言葉じゃ言い表せないくらい美少女ですよ?」
「そんな大げさな」
「大げさなんかではありませんよ」
そうらしい。
カリンちゃんがいうのならそうなのかも。
とにかく、俺が使っているらしい魅了の正体は、よくわからん謎パワーであることが判明した。
そしてこれを使えば、エーテルから身を守ることができることと、ホロウ内の道がわかることも判明した。
これ、お姉さんが言ってた異世界チート系転生者なんじゃ……?
とにかく、俺が先導しながらホロウ内を進んでいく。
「こほっ」
「だ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫だよ、問題ない」
少なくとも今は。
血が喉から上ってくるということは、気づくのが少し遅かったか。
幸いなことに、ホロウからの干渉は今止めることができているから、今のところは問題ない。
不思議なことに、痛みはほとんどなかった。
だから、問題ない。
そうやって、少しだけ歩いて。
ホロウの出口を発見する。
そのまま通り抜けると、どうやら俺達が最後に話していた、ルミナスクエアの川辺へと戻ってこれたようだ。
「帰ってきたねぇ」
「そ、そうですね……!」
たった数分しか滞在していなかったが、なんだかすごく長いようにも感じた。
俺がホロウに入ってから、街の症状は沈静化したのだろう。
普段と比べてまばらだが、ルミナスクエアは普段通りの様相を取り戻していた。
DMが届く。
確認したら、リンちゃんたちから大量のメッセージが送信されていた。
ホロウ内部にいたからか、通知が一気にやってきてちょっと困る。
とりあえず連絡を入れておく。
安否の確認がほとんどすべてだった。
きっと、街を覆っていた魅了が消えて心配になったからだろう。
なんだ。
意外といるな、死んだときに悲しんでくれる人。
「──さて、カリンちゃん」
「は、は、はいっ!?」
「お願いがあるんだけど、いいかな?」
緊張の糸が切れたからだろうか。
なんだか体が妙な感じがする。
「今すぐ病院まで運んでくれないごふっ」
「や、ヤソ様ぁ──!?」
ああ、これあとで絶対めっちゃ怒られるんだろうな。
そう思いながら、別にそんなヤバい状態じゃないとだけ伝えて、俺は意識を手放した。
「や」
「うっわ」
真っ黒な空間で意識を取り戻すと、目の前にあの自称神様がいた。
あれ?
俺死んだ?
この作品終わったら治安官イベやるんだ……って思ってたんですが完結より先に治安官イベ終わりそうで泣いてる
イベのためなら執筆休んで、いいスよね……。