新エリー都の喧騒は絶えない。
今日も今日とて、何処かで何かが起こっている。
静けさに包まれることなど、つい先日起こった未曾有の大災害くらいだろう。
新エリー都中の全都民が、正体不明の現象によって一斉に意識を消失したあの一件くらいしか、前例はない。
ただ、少なくとも今この場は静寂に包まれていた。
つい先程までは下卑た声色の歓声で飽和していたというのに。
『──お、あ、ぁぁああああっっっ! あ──
そのきっかけは、通信機越しに聴こえた音だった。
男の絶叫。要領を得ない返答。何をそこまで怯えているのかわからない。
ただ、尋常ならざる事態が起こっているということだけはわかる。
それは、わかる。
だが一体どこから情報が割れた? 今回の盗みは完璧だ。防犯センサーにも感知されずに盗ったはずだ。発覚してから探ったのだとすれば、行動が早すぎる。
つい数時間前のことだ。それだけあっさりとわかってしまうような場所を拠点にはしていない。
「──誰か漏らしたやつがいるのか?」
その問いかけには、誰も答えない。
一体なんだ、と疑問、そして怒りから顔を上げる。
彼以外の全員が、
「──は?」
脳が警鐘を鳴らす。
背筋を悪寒が震わせる。
これは、なんだ? アルコールで頭がイカレちまったのか?
一体、なにが?
ぞわぞわとする。部下たちが顔を向けている方向は、ただ黒々とした闇があるだけだ。
見てはいけない、と思考の冷静な部分が告げる。
けれど彼は好奇心を収めることができないまま、目を凝らした。
何かが、近づいてきていた。
ばづん!! と音を立てて、廃墟の壁が崩壊し、何かに圧縮されるように、消し飛んでいく。
天井に押しつぶされる! そう思ったが、瓦礫はすべて何かに吸い込まれるようにして、塵ひとつ残さずに消えてしまった。
月明かりと街の明かりに照らされて、今まで見えなかった何かが、明らかになる。
「こんばんは」
とにかく、そこだけは意識することができた。
声音は中性的で、声変わりをしていない少年とも、少し低い女性の声ともとれる。
胸部の膨らみから察するに、そこに立っているのは女性なのだろう。
だが楽観はできなかった。先ほどから、顔を見上げてはならないと言うように、頭が何かに押しつぶされているように感じる。
いいや、違う。
これは自分が──屈服しているのだ。
無条件で降伏しようとしている。ただ声をかけられただけで。頭が少しずつ、下がり始めている。さながら負け犬のように──ただ目の前に現れただけの人間に跪き、まとわりつき、靴を舐めることさえ厭わないほどに、踏みつけにされている。
「──ざ、っけんな──!」
そうして、無理やりに顔を上げて、きっと彼は後悔しただろう。
まともに意識が残っていれば、だが。
顔を直視した後の彼は、涙を流し、口を間抜けに開いたまま、膝立ちの状態で動かなくなった。
以降、この場に一切の記録はない。
「──ありがとうございます、どうしたらいいのかわからなかったんです……」
「いえいえ。どのような依頼でも完璧にこなすのが私たちの使命ですから。今後も何かお困りごとがあればヴィクトリア家政をご贔屓にっ。よろしければ、今回の依頼に対しての評価をお願いします」
「完璧、☆5ですよっ! 本当にありがとうございました──」
「──
ふい、と一息。
「こちら側、処理終わりました──念の為確認お願いします」
「……うん、大丈夫。一切ミスがなくてこっちが怖いくらいだ」
量がかさむとケアレスミスをしがちな自分ではあるが──魂の状態をちょっといじることで、脳から不必要な情報をシャットアウトすることができるので、今となってはこのような事務処理が大の得意になってしまった。
それはそれとして失敗した際の面倒を考えれば、ダブルチェックは徹底したいところだ。
とはいえそれで負担を増やしてしまうのもなぁ。
「本当に助かるよ。ジューダスさんのおかげで全体的に仕事が緩和されてる……プロキシさんにも礼を言わないと」
「あはー。そうですか? 力になれてたら良かったです」
「社員になってほしいくらいだ。お世辞じゃない」
「そこに関しては申し訳ないですがノーで」
「そうだよなぁ……」
どんよりと落ち込んでいるベンさんを見ると、申し訳なさが胸に押し寄せる。
でも許してくれ。金ならもう腐るくらいあるんだし、時間拘束がゆるいほうが俺としては嬉しいのだ。
「おーいジューダス! ちょっと来てくれ!」
「はーい」
と、声がかかったのでそのまま案内に従って、いつも通り自律型重機の方へと向かう。
「悪いな、またこいつヘソ曲げちまってよ。お前が来ないなら動かないって言ってんだ」
「はいはい、大丈夫ですよー。俺がいないときはちゃんとしてるようですし、ちょっとワガママだけど気を遣えるかわいい子じゃないですか」
「おー!? 君はやっぱり話がわかるね! この子たちは本当に、かわいいんだよー!!」
「……まぁ、お前がいいならいいんだけどよ……」
通りがかったグレースさんが言いながら遠くへと消えていった。それに対して手を振りつつ、自律型重機の下へとたどり着く。
「やっ、来たよ」
『……………………』
「あはー。これからお仕事だね。がんばってね」
『……………………』
自律型重機は動き出した。
ここの人たちは機械たちの言葉や意思がわかるらしいが、残念ながら俺はそれを感じ取ることはできない。
そういう意味で、俺はこの仕事を本職にできるかというと、できないような気がする。
「あいつら、普段はめっちゃ喋るのに……お前がきたら黙り込んじまうんだよな……」
という慰めを受け取りつつ、白祇重工でのアルバイトは普段通りつつがなく終わっていく。
「いらっしゃいませー!」
にこにこ笑顔で、愛想よく!
この世界に生を受けてというもの、家で無表情でごろごろするような状況が殆どだったため、表情筋は全くと言っていいほど発達していなかった。
最初のうちはお客様の応対だけで翌日喉に違和感が出たりなどもしていたが、今となってはまったく問題なくなっている。
そもそも違和感が出てきても魂の状態を元通りにすれば一瞬で元通りに戻るので最初から問題ですらなかったりする。
「すみません、この映画ってどうでした?」
「面白かったですよ! 二作目までは順当に面白くなってるんですが、三作目はちょっとうーんってなるかも? 人によります」
「そっかー。二作目まで観てから判断しよっかな。レンタルお願いします」
致命的に接客に向いてない俺だが、ビデオ屋はちょうどいいくらいにまばらに客が来るくらいだし、顔を出す頻度も少ないからかろうじてなんとかなっている。
「やっほー、ジューダス!」
「あ、ニコさん。久しぶり、いぇーい」
「いぇーい……って、何させるのよ。あんたが店番ってことは、あのふたりはいないのかしら?」
「いるよ、ニコ。他のお客様の迷惑になるからもっと大人しく入ってきてくれないかい?」
「なによ、今はいないじゃない」
「そういう問題じゃなくて」
お兄さんとニコさんのふたりの会話をカウンターでぼけーっとしながら聞く。
このふたり仲良いよなぁ、と思いつつ。
「──って、こういう話をしにきたんじゃないの! 儲け話があるの! 詳細は──」
「……なるほど、つまりこの間と同じか。報酬も同じでいいのかい?」
「ええ。ぱぱっと資材を回収しちゃいましょう! そうだ、ジューダスも来る? 社会経験としてちょうどいいんじゃないかしら」
「え、いいんですか? やったー」
「……ニコ、あんまりこの子に迷惑をかけるなら怒るよ」
「な、なによ! ふんっ、私はジューダスに聞いたの! プロキシには関係ないでしょ。……それに、いろんなことをやってみたいって言ってるのはこの子よ。仕事が危険だっていうのなら、あのヴィクトリア家政だって同じじゃない。業種が被っていてもメンバーが違えばまた勝手が違って新鮮でしょ? きっといい刺激になると思うわ」
真面目な目で、指をくるくるとしながら、なんだか言い訳みたいに彼女は話す。
俺としてはとにかく暇潰しになればいいからなんだっていいのだが。
「……ニコ、ごめん。ちゃんとしっかり考えてくれてたんだね。ところで──本当にそれだけかい?」
「ちょ、ちょっと! やめてよね! 人の善意を疑うなんて! と、と、ともかく! そういうことよ! 目的地については送信しておくわ! 邪兎屋のみんなと合流次第目的のホロウの入口にいくから、ボンプは事前に預かっておくわね!」
「……はあ。うん、わかった。それじゃあ、イアスをよろしくね」
「他のみんながどこにいるかわかります?」
「全員事務所にいるはずよ。出かけてなければだけど……」
「なるほど、わかりました。じゃあ掴まっててくださいね」
「え?」
周囲の空間を、店に影響が及ばないくらいに破壊する。
そのまま目標地点の近くの空間を破壊してやれば、あとは直通のルートが完成する。
一瞬の後、俺たちは邪兎屋の事務所の中に立っていた。
以前の一件から開発・完成した、超ゴリ押し瞬間移動である。
たぶん全世界で俺にしかできない。
完璧な移動手段である。
アンビーちゃんに思いっきり刃を向けられてることを除けば。
「ふぎゃっ! な、なに!?」
「……ニコと、ジューダス。なるほど、そういうことね。びっくりするから部屋の外とかにワープしてほしいわ」
「あや、それはごめんね。次から気をつけるよ」
「ええ。久しぶりね、ジューダス。手を貸してくれてありがとう」
俺に気づいてすぐに武器を収めたアンビーちゃんと、そんなやり取りをする。
「いや、なんでアンビーは当然のように受け入れてるんだよ! 瞬間移動だぜ!? びっくりして俺は声も出なかったわ!」
「リアクション係が仕事を放棄したら駄目よ。私は見たことがあるから知っていたわ」
「うゆゆ……今日は撫でられないよな? 違う仕事だよな?」
「待って、そもそもなんでジューダスはウチの事務所を知ってるの!?」
新エリー都内全域をだいたいサーチできるから、と言っても、魂のことを知らないみんなにはわからないだろう。
曖昧に微笑んでおいた。
「ちょ、ちょっと、怖いからやめてよね……きっと誰かに聞いたんだわ、うん、そのはずよ」
その言葉に、更に笑みを深めた。
どこか恐々とこちらを見るニコさんがちょっと面白くて、ハンバーガーを食べ始めたアンビーちゃんと目を合わせて頷いたのだった。
「──っていうのが、最近の出来事」
シアタールームのスイートスポットで、カリンちゃんと横並びで座っている。
今の人生は、やりたいことを少しずつやっていく最中にある。
そのうちのひとつがこれだ。
箱の中に大量に詰めたいちご大福を手に取りながら、俺は映画の上映が始まるのを待っていた。
「たくさん働いて、大変そうです」
「でも、それ以上に充実してるって感じるんだ。前よりも自然に笑えてる気だってする」
「はい。今はとても、楽しそうです」
優しげな目が、俺を見た。
まるで姉のような目が俺を包むような感覚で、不思議に充足を感じている。
「……でも、こんなたくさんのいちご大福、いいんでしょうか……何か許されざることをしているような感覚が……!」
「あはー。良いでしょ。なんかワクワクするし」
映画館じみたこの大きな部屋の中で、いちご大福を食べながら映画を観るというのは、なんとも楽しそうなことじゃないか。
少なくとも、俺はそう思う。
しかもいちご大福は相当な数用意されているから、正直に言うと食べ切れるかも怪しい。
でも、いちご大福を食べてる間に憂鬱なことなんてない。
一緒にいて楽しい人といるときに、人生が二回あったらなんて思わないのと同じようなことで。
今はただ、やってみたかったことを見つけて、実現できたことが。
その事実がただ楽しくて、後のことなんて考える気がしなかった。
「……カリンちゃんと会って、どれだけ経ったっけ」
「そういえば……振り返ってみたら、たった一ヶ月くらいしか経ってないんですね」
そう言って、俺たちは顔を見合わせて、笑った。
「たったそれだけなんだ。まいったね、今となってはカリンちゃんなしでは生きていけない気さえする」
「わ、私も……なんだか、ずっといっしょにいるような気がしてましたけど……まだ一ヶ月、でしたか」
「我ながら惚れっぽくて困るよ」
彼女の頬が赤くなっているのがわかった。
きっと、自分もそうなっているだろう。
いや、本当に。
名字をもらうくらいに好きになってしまうなんて、はじめて会ったときは思いもしなかった。
ところで現在俺が「ジューダス・ウィクス」を名乗っている理由であるが。
流石にいつまでもミスター・ノーバディで名前を通すのは無理があったためである。
特に、これから何かしらの仕事の手伝いを始めるというのに、ミスター・ノーバディなど呼びづらいだろう。
だからといって、お姉さんからもらったヤソという名を使うのも気が引けた。
俺は救世主にならなかったから。素養はあれど、その道を結局選ぶことはなかったのだ。
それに、前世とは決別した。いつまでも同じ名前を名乗っているのも、良い気分はしなかった。
救世主にならないというのは、実質的に自分自身で救世主を磔にしたのと同じようなものだろう。
ちょっと変な理屈かもしれないが、少なくとも俺はそうなりうる自分の運命を
なのでユダを名乗ることにした。
この世界で名字がないのも変な感じがするし、仕事の指名のときに違和感があるので、カリンちゃんから名字をもらった。
アンビーちゃんはニコさんに名字を貸与されたという話だったし、ということで、さっそく本人から許可をもらって名乗ることを許されたわけだ。
そういうことで、名字はウィクス──ということになった、のだが。
ユダ・ウィクス。
なんか違和感がある。
ということで、ユダから派生して「裏切り」を意味するジューダスを名乗ることにした、というわけである。
ユダ・ウィクスよりもジューダス・ウィクスのほうが終の文字が同じで語感が良い。
そんな語感がどうとかで決めていい話なのか、と思われるかもしれない。
けれど、名前は俺にとってあまり重要な意味を持たないのだ。
一番最初、生まれてくるときにもらった名前はもうなくしてしまった。
そしてヤソ、ミスター・ノーバディ、ジューダス・ウィクス──そのどれが俺を指す呼び名ではあるが、そこは本質ではない。
結局のところ、俺は俺だ。
どういう呼ばれ方をするかよりも、誰に呼んでもらうかのほうが、俺にとっては重要だから。
「──人が運命に導かれていくものだとしたら」
あの日。
暇とお金を持て余して、カリンちゃんと出会った日を思い出す。
「俺は、君と出会うのが運命だったんだと思う」
勝手に物事を曲解して、愛情を履き違えて。
それで、死ぬことこそが運命なんだと、そう思ってしまったけれど。
運命と言いたいのなら、俺と彼女が出会ったことのほうがよっぽど運命的な話だ。
「──そう言ってくれるのは、うれしいです」
しかしながら、俺の言葉への反応は、あんまり良くなかった。
疑問に思って、次の言葉を待つ。
「でも、そうやって世界を閉じてしまうのは、私、あんまり良くない気もしちゃいます」
「どうして?」
「カリンも、運命的だって言いたいくらい、あなた様との出会いは奇跡のようなものだと感じてますけど」
彼女は、肘掛けにおいてあった俺の手に、自分の手を重ねた。
人肌のぬくもりがじんわりと滲んで、溶けていくような感じがした。
「私達が出会って、そして一緒に作りあげていったこの関係は、私達自身の選択と、行動の結果です。神様にだって奪われたくありません」
そう言って、彼女は、俺の手をぎゅっと握る。
程よい圧迫感が、俺に生きている実感を感じさせた。
そっか。
そうなんだ。
俺はとっくに、一番大切なものを手に入れていたんだ。
俺たちのこの関係を、なんと言えばいいのかは、詳しくはわからない。
恋と呼ぶには重たすぎて、幼すぎて、そして近すぎる。
ただ、間違いなく愛ではあるだろう。
友愛か、親愛か、家族愛か。
どう呼ぶのが正しいのかわからないくらい複雑に絡まった俺たちの関係は、まるでちえのわのような関係だ。
「──あは、確かに、
そう言って、俺は笑った。
清々しい気分だった。
ずっとずっと離れたくないと、今はただ、素直に思えた。