頬が乾くまで
ある日、何の変哲もないありふれた一日に、突如として投下された一つの動画。
目を引くような飾りも何もない、ただ真っ暗な背景で歌が流れるだけの動画。
──けれど、それはまたたく間に再生数を伸ばしていった。
何もないのに、なぜか目を引く。
それがひとりやふたりであれば、ただの気まぐれが感性を撫ぜただけだと言えるだろう。
しかし
男のようにも、女のようにも。
子供のようにも、老人のようにも。
聴く者によってガラリと印象を変える、正体不明の歌い手。
誰もが知りたがる噂の人物。
聴くものすべてを陶酔させる、天使のような艶やかな色の乗った声。
多くの人物が正体を暴こうとして、そのどの手からもすり抜ける。
さながら幽霊を追うかのような、雲に手をかけようとしているような。
故に、畏敬を込めて人々はいつしか
──
彼だか彼女だかわからないその人物はきっと、必死に姿を仰ぎ見ようとする者たちの愚行を、その上から見下ろしているのだろう。
というのがネット上で飛び交う人物像。
そんなインターネットカリスマの中の人は今、
「無理無理無理無理無理やだやだやだやだやだ俺はもう絶対ネットに歌なんかあげないっ!」
「ちょっ、ジューダス!? そ、そんなに駄々捏ねるくらい嫌なの……!?」
自分の話題が出た瞬間に机の下に立てこもり、某レンタルビデオショップの美少女店主を困らせていた。
「……何をやっているんだか」
「あ、あはは……」
そんな妹たちの姿を、兄と義姉は苦笑しながら眺めるのであった。
カリンちゃんと出会ってわりとすぐの頃。
前世でお姉さんとあったときのことを思い出し、歌の動画を投稿したことがある。
それはお姉さんとの思い出をこの世界に遺しておきたいな、という気持ちの発露でもあるし、お姉さんの好きだったものを自分もやってみたいという気の迷いでもあった。
結局一度カリンちゃんを
しかしこの前リナさんと街に出かけたとき、街頭ビジョンに映し出された映像にて、知らない人の褒める言葉と、やたらと聞き覚えのある歌が聴こえてきたのである。
『ミスター・ノーバディ、サイコー!』
『カッコいいですよね、歌声が』
『ええ、もう、キレイで。天使様がそこにいるみたいで』
『素晴らしいですよね。少女のような繊細さと、少年のような大胆さの中に、どこか老年のような落ち着きがあって』
『……………………?』
『どうしましたか? ──あら、この声は……』
『────────────♪』
『……………………!?!?!?!?』
『あら、やっぱり、ジューダスちゃんの歌ですわね』
『果たしてミスター・ノーバディとは一体何者なのでしょうか? その正体を知るために、私達は新エリー都郊外へと足を運びました──』
『まぁ、どうして郊外へと行ってしまったのでしょう』
『──な、な、な、なんでテレビであの歌が……?』
『おやまあ、ジューダスちゃん、知らなかったのね。ミスター・ノーバディといえば今や知らない人がいないくらいの、大人気歌い手だというのに』
『んな、にゃ、にゃんでチャンネル登録者数がこんなにぃ……こわい……』
万が一にも変な魅了が起こらないように、タイトルもつけず、サムネイルも動画自体も真っ黒背景のままで投稿したというのに。
なぜだか例の動画の再生数は何千万回近くになっていて、その数字の衝撃にくらりと目を回してしまう。
ぐるぐると目を回したまま、俺はもう動画なんかあげないと心に誓った。
『他の曲はまだかな?』『もう1000回聴きました!』『彼氏と別れた夜に広いベッドの上で独り、泣きながら聴いた思い出の曲。聴くたびにあのときの気持ちを思い出す』『きも』『↑え、やば……私と同じだ……』『絶対バズると思ってた』『続き待ってます!』『持ち上げられすぎ。こんなちゃんと撮れてない下手くそな歌なのに、みんな聴いてるからって理由で聴いてるバカ耳ばっか』『↑嫉妬乙www』『この曲の歌ってみたやってます! みんな聴いて』『↑コメ欄で宣伝すんな』『マジ神すぎ。最高。天使様~』『所詮一発屋か……』『なくなったお母さんを思い出したよ。ありがとう』『この曲聴きながら夜に爆走するの最高すぎ』『少年が無理して出してるみたいな低い声マジでギャワすぎ』『↑は? どっからどう聴いてもロリ声なんだが』『耳腐ってるやつらばっか、どう聴いても20後半くらいのお姉さんの声なんだよなぁ……』
「……はー、はー……」
目がぐるぐると回る。大量に書き込まれたコメントを眺めていると、どんどんと意味がわからなくなってくる。
お姉さんとの思い出を世界に遺すという俺の目標は、このぶんだとおそらく達成できているだろう。きっとこの曲は長いこと歌われるはずだ。
心臓がやたらと激しく動く。目はもっとぐるぐる回る。
人の思いが膨大すぎて、情報量に目が回る。
はっきりわかるのは、多くの人が新しい歌を求めているということだ。
「はっ!」
ティロリロリリーン、と頭の中で閃光のように思考が奔る。
頭の中に浮かんだ音を再現するかのように、俺はベッドから飛び起きて、死蔵されていた楽器をたくさん抱え──ようとして、持ち上がらなかったので一回置いて、防音室へと飛び込んだ。
楽器の弾き方も、今の俺にはハードルにならない。持てばなんとなく理解できる。頭の中の完成図に沿って少しずつ完成させるように、一個一個楽器を弾いていき、歌を入れていった。
音源を速攻で完成させて、MVはどうしようかと一瞬考え、結局黒背景のままで動画を投稿する。
じっとりと滲んだ汗を落とすためにシャワーを浴びて、大福にドライヤーをかけてもらい、扇風機の前で「あ~~~~」と声を出し涼んでからベッドへと戻る。
「──天啓受けてる……!」
そしてそのまま、両手で顔を覆うのだった。
いかに決意したところで人の本質は変わらないらしい。
救世主の性質はいまだに俺に残っている。こうして望まれれば、俺はそれに応えてしまうのだろう。
誰にどれだけ望まれても、自分を犠牲にすることだけは絶対にしないと決めたのだが。
けれど今回はポジティブな方向の期待ばかりだった。それが良くなかったのだろう。
結果として、俺はこうして望まれたままに新しい曲を作り、世に送り出してしまった。
「……もう、絶対動画サイトなんか見ないもん……ね、大福」
「ンナぁ……」
ぎゅっと抱き寄せた大福を軽く撫でて、俺はそのまま目を閉じる。
そうだ、動画サイトのことなんて忘れよう。そして記憶から無くしてしまえば、また動画を投稿するなんてこと起こらないのである。
だって最初の動画が伸びてるなんてこと、俺は今日まで知らなかったのだから。
知らないままであれば良い。そうすれば、また普段通りの生活に戻れるのだ。
そう。
そのはずだ。
1時間後。
「あ……もう三十万も再生数回ってる……あはは……すごいねぇ……」
「……ンナナぁ……」
頭の中で投稿した曲のことが渦巻いて、やたらと目が冴えてしまった。
そして夜中、俺は自分の投稿した曲を再生してしまう。
「あは、あはは、あははははは……すごい……更新するたびに数字が変わっていくよぉ」
「ンナ。ンナナナ、ンナ」
大福が自分の端末で誰かに連絡している。
それを視界の端に入れるが、俺はもう気にも留めなかった。
ぐるぐると頭が回る。
妙な熱の塊が、頭と胸の中にある。
やたらと早い心臓の鼓動に促されるかのように、俺はベッドから起き上がってまた録音室へと向かい、駆けつけたカリンちゃんの寝かしつけフルセットにより瞬く間に就寝させられた。
「……ということで、もう俺は動画なんか投稿しないと決めたんだ」
「わぁ、なんか思ったよりジューダスにとっては深刻な事情なんだね……?」
「あはー。言うほど深刻じゃないよ。でも俺に動画の話は振らないでほしい……天啓が……天啓がきちゃうから……」
「難儀な体質だねぇ」
翌日。「Random_Play」のお手伝いで、俺はカウンターに立っていた。
リンちゃんから動画の話を振られた瞬間にかつてないほど取り乱してしまったが、そんな動揺は今やもうない。
大人……アイアム大人……。前まではリンちゃんの前でずっとおねーさんとして振る舞ってきたのだ。変なところは見せられない。
「そんなに気にしてしまうなら、アカウントを削除するのはどうだい? 勿体ないとは思うけど、悩むことはなくなるだろう?」
「うーん……でも最初の曲は、消したくないなぁ……」
あれは俺の思い出を手繰ったものだ。昨日の曲とは違って思い入れがある。
できる限り永く残ってほしいから。
だがそうなると、結局は動画に触れないという選択肢しかなくなってしまう。
うーん、と顎に手を当てて考えるが、思考はまったく定まらなかった。
「じゃあ、アカウントをカリンが管理するのはどう? ジューダスが触れないようにしたら……」
「だ、ダメですリン様……カリンは『お願い』されたら断れません……!」
「たしかに……というかジューダスに『お願い』されて断れる人間がいると思えないな……これはボツか」
「あはー、せっかくちょっと制御できるようになったんだし、そんな軽々しく魅了使わないよ……?」
「ちょっとほっぺ膨らんでる。かわいいね」
「かわいいですね」
「この通りだよジューダス。君は能力とか関係なくあざとくてかわいい。妹属性なんだ。そして妹からの『お願い』に勝てる人間は存在しない」
「じゃあお兄ちゃん私に仕入れさせてよね!」
「今回は僕が仕入れするって決めただろう?」
「むぅ〜〜〜!」
「勝ってるじゃん」
そんな身にならないやり取りを繰り返していると、店の扉が開く。
客だ。その瞬間に接客モードへとチャンネルを切り替えた。にこにこ笑顔で、元気よく。
「いらっしゃいませ!」
「はーい、おはよう! ……あら、初めて見る店番の子ね? しかもすっごくキレイ!」
こちらの姿を確認して、サングラスの奥の目を見開いたかと思うと、彼女はこちらにずいと顔を近づけて、顔を眺めてくる。
以前と違って魂を制御できているからか、はたまた彼女自身も耐性があるのか。その顔に魅了の兆候は見られない。
ならまあいいか。とはいえこうたくさん見られると気恥ずかしさもあり、視線をズラした先でみんなが動揺している姿を見つける。
はて。いったいどうしたのだろうか。
「あなたたちは、リンたちのお友達? なら私ともお友達よ。 私はアストラ。よろしくね!」
「あ、はい。ジューダス・ウィクスです。よろしくおねがいします」
「ええぇ、ええと、カリン・ウィクスですっ! よよよ、よろしくお願いします!」
カリンちゃんが慌てているのはわりとよく見るが、なんとなく動揺のベクトルが違うように感ぜられる。
はて、アストラ。
そういえばどこかで聞いたことあるような気もするけど……。
そう思って彼女のほうへと目を向けると、相手もまたこちらを怪訝そうに見つめていた。
「えへ、そんなに見られたら困っちゃうよ」
「──
がたたっ! と俺は机の下に逃げ込んだ。
「やっぱり! 声ですぐにわかったわ! ねぇ、昨日新しい曲をあげたでしょう! 私投稿されてすぐに聴いたのよ! ねぇ!」
「人違いですぅ……」
「諦めるんだ、ジューダス。もう言い逃れはできない」
「俺はもう二度と動画なんか投稿しないもんっ! もういい…アカウント消すぅ……」
「えぇー! そんな、ちょ、待って!? 言わない、誰にも言わないから! 消さないで!?」
「わぁすごい。アストラさんがああやって誰かに縋り付くシーンなんてめったに見れるものじゃないよ」
「イヴリンさんはよく見てそうだけど」
スマホに手をかけたところで、アストラさんに静止される。俺は机の下から瞬間移動で飛び出して、カリンちゃんの背後へと隠れる。
「え……あれ!? いつのまにそこに!?」
「ちょっとジューダス! お店の中で暴れないで!」
「ダメですよ、御主人様」
「はい」
「アカウントも消しちゃダメです。動画、残しておきたいんですよね?」
「うん」
「カリンもお姉ちゃんになったよね」
「というか、ジューダスは気づいてないんだろうか。それか知らないのか」
「気づいてないだけだと思うよ。店にある有名な作品は一通り一緒に見てるもん」
「……?」
リンちゃんのその声に、俺はカリンちゃんの後ろからアストラさんを見る。
こちらの視線に気づいた彼女は少しはにかんで、手をひらひらとさせる。
なんかどこかで見たことある気がする。それにアストラという名前……。
「──ミュージカルで観たぁ!」
そこでようやく、既視感と知識が結びついた。
「あら! ミュージカル、観てくれたのね! 私も自分がこれまで出演したジャンルの中でミュージカルが一番好きなの」
「……歌姫と知り合いなリンちゃんは一体なんなの??」
「あはは、色々とあってね……」
何故だろう。リンちゃんの目が「天使様が言えること?」と言っているような気がする。
それで、世界に名を馳せる彼女は一体どうしてこの店に来たのだろうか。
「遊びにきたついでに曲を作るためのイメージを探しにきたんだけど……まさか、
「主目的が逆になってるよ! あとそれ、イヴリンさんにはちゃんと言ってあるの?」
「ええ。イヴも今日は許してくれたわ、ライバルに負けてられないって言ったらね。だからこうしてゆっくり羽を伸ばさせてもらってるってワケ」
お褒めの言葉に、何故かカリンちゃんがご満悦だ。
彼女は最近そういうところがある。
だがまぁ、こう、想われているというのに悪い気がするわけもないから、彼女の背中に縋り付く手の力がちょっと強くなってもおかしくはないだろう。
「──ジューダスちゃん」
アストラさんの声がする。どこか、神妙な、感謝のような色が、その顔には浮かんでいた。
はて。感謝されるような覚えはないが。
「ありがとうね」
「……?」
「あなたの歌が、聴けてよかった」
その言葉を聞いて、俺はカリンちゃんの後ろから抜け出る。
どこか、悲しみと、悔しさのようなものが滲んで見える。
同じだ、と思った。
それはきっと、俺がこれまで見てきた人たちのものと同じものだった。
「だから……消さないでほしいの。あなたの歌は、人生という道を進むための一本の杖のように、たくさんの人を救うものだから」
「……うん」
そう言って、俺は彼女の目を見た。弱さが映ったのは一瞬だけで、彼女はすぐに普段の顔へと戻っていく。
どうして俺が曲を作ったのか。
昨日のあの衝動は一体何だったのだろうか。
なんとなく、わかった気がする──きっとそれは、誰かのいたみを濯ぐためなんだろう。
結局、それから定期的に歌うことにした。
とはいっても、頭の中に落ちてくる曲を歌っているだけだ。そもそも俺に一からものを創り出す才能なんてものはない。
この曲も、きっとどこか他の世界から受信しているものなのだろう。
それを俺の功績などと、到底言えはしないけれど。
ただ。
誰かの支えになるのなら、それは嬉しいと思った。
※最初に本格的な音源を作成してたら色々と終わってました
録音や音声処理が下手で良かったね! カリンちゃんが勉強の成果を活かす前に歌わなくなって正解だね!