ころり。
布団を抱きしめるように巻き込んで、ベッドの上を転がった。
今日やることは特にない。だからこうしてだらだらと寝転んでいた。
ぽてぽてと起こしにきた大福はすでに腕の中だ。抵抗もなく、ただじっとそこに収まっている。
日々が忙しくなると、同時に休みの価値がどんどんと上がっていく。やっぱり人は程々に活動しなくてはならないのだ。
だってこんなにごろごろするのが気持ちいいのだから。
ぱしゃり、と音がした。
「……んぅ……?」
「おはよ。眠そうじゃん。あたしも眠い……」
目を向けた先に、ケータイを片手に持ったエレンちゃんが立っていた。
はて、今日用事はなかったはずだが。
微睡みの残る頭のまま、とりあえず挨拶を返す。
「うにゃー」
「にゃー」
返事があった。
かわいい。
「お兄さんの誕生日かぁ」
「ん。休みだし、やることもなかったし」
「そういうの縁ないから助かるぅ」
「だと思った。他のみんなは自分で何かしら用意してるだろうけど、あたしあんまピンとこないし……だから一緒にどっか行こ」
「いいよぉ。ちょっと着換えるね」
「ん」
ほっぺをもちもちと弄ぶ指から逃れ、とりあえず深呼吸。目をこすって、ぱっちりと開いた。
そうすると眠気もいい具合に飛んでいく。頭がどんどんと冴えてきて、先程までの痴態を冷静に認識した。
「……寝惚けてるにしてもヤバいな……」
にゃーってなんだ、にゃーって。
頭が回ってないとああなるのか……。
前からその節はあったが、例の一件以降は精神的な不安もなくなったせいか、色々と取り繕えなくなってない?
朱鳶さんあたりに「キャラ変わってないですか?」とか言われたら恥ずかしすぎるんだけど。彼女と最後に会ったの例の一件のときだから会うの気まずいし。
よし、忘れよう。
部屋にある蛇口から水を出して、歯磨きをして顔を洗う。タオルを持ってきた大福から受け取って顔を拭うと、そのまま受け取って、近くのハンガーラックを指差してから部屋の外へと歩いていった。
洗濯に向かったのだろう。
最近は大福が炊事以外の家事をすべて行うようになったのだ。カリンちゃんの影響だろうか? 勤勉すぎる。とてもえらい。
俺もやるべきだろうか。誰かがやってくれることに慣れすぎて、もう家事とかできない。
俺に振られる仕事は基本的に
ともあれ、用意してくれていた外用の服に手早く着替えて準備完了。
魂の状態をこのまま固定しておけば気温の変化を無視できるし、汗もかかない。自分の能力を扱えるようになったからこそ、前ほど周囲に気を使う必要がなくなった。
これまでロスだらけだった魂の運用が呼吸と同じくらいに馴染んだ結果、逆に制御を誤ったときが危ういが。
まぁ、よっぽど下手なことがなければ動揺することもない。状態を固定すればそもそも心が揺らぐことだってなくなるし。
とはいえそれはあまりやりたくない。人間性を捨てることと同義なのだから。
そういうわけで、我々の御主人様直々に、俺がホラー映画を観ることは禁忌とされている。
「おまたせ」
「ん。似合うね、その服」
「んへへ、ありがと」
ふんわりとしたロングワンピースとベレー帽。いつぞや大福に服を選ばせたとき、2番目の候補に挙げたものだ。
一番気に入っているのは着心地の良さである。軽く、肌触りが良い。
まるで薄手のおふとんのような心地よさだ。
座ってるだけでもほら、眠りに誘われるような…………
「寝ないでよ……あたしも眠いんだけど」
「ふあっ。寝てないよ?」
「絶対寝てた」
じっとりとした視線が突き刺さる……。
逃げるように視線を逸らしていると、エレンちゃんは少し考えるように頭を揺らす。
ややあって。
「……なんかもう、今日は寝る日でもいいかも……」
「じゃあ、そうする? まだ時間あるもんね。眠たいもんね……」
「そうしよっか……」
そうして布団を被った俺と、ベッドにぴょこんとダイブしたエレンちゃん。
そのまま時を待たずして俺達は夢の世界へと誘われる。すやぁ……。
ピロリ、と通知が届く。どうやらあの美しい少女からの、DMのようだった。
何があったのだろう、とカリンはDMを開く。幸い今日は手空きである。どんな用件であっても対応可能だ。
DMの内容は一枚の写真とスタンプである。
ベッドの上で心地よさそうに眠るふたりの少女。このままタイトルを付け加えるだけで美術館に飾ることができるだろうほど、窓から差し込む柔らかな光に照らされたふたりの少女は絵になっていた。
そしてお手上げを示すスタンプ。カリンは完璧にこの状況を理解した。実のところ、大福がこうして助けを求めてくるのは初めてではないからだ。
写真を滑らかな手付きで保存して、カリンはなすべきことをせんと動き始める。その身のこなしはまさに、一流のメイドのそれであった。
俺とエレンちゃんの二人では睡眠ですべてが終わってしまうという見解が一致したので、監視役に現着したカリンちゃんを交え、三人でプレゼントを用意することとなった。
まだ眠たい気持ちを切り替えて、自分の状態を平常に戻す。
これで眠気は完全に飛んでいるはずなのだが、どうしてかまだ瞼が重い。
微睡みとはなんて幸せなものなのだろう。こうして去ってしまうことが惜しいくらいだ。
「ところでお兄さんって何が好きなんだろう」
「さぁ……なんだろ?」
「たしかに、言われてみればあまり想像がつきません……」
三人で顔を見合わせる。リンちゃんの好きなものはなんとなく想像がつくのだが、おにーさんはそのあたりどこかミステリアスというか。
何を贈っても喜んでくれそうではあるが、同じ喜びでも大きいほうが嬉しい。
やや悩んで。
「……お金……?」
「それはやめといたほうがいいね」
「絶対に受け取ってくださらないと思います……」
まぁ、余りまくってるものを多少もらったところで嬉しくないか。
もっと実用的なものが良いだろうか。そう考え、いくつか候補を挙げてみる。
「土地、別荘、車、ホームシアター、スピーカー」
「うーん、プロキシたち、あの店にこだわりありそうだからやめといたほうがいいかも……? テレビとかなら喜ぶ気がするけど」
「ええと、あまりに高額すぎて受け取ってくださらないかと……」
「むむむむ」
お手上げだ。俺にはお兄さんが望むものがわからない。
せっかく俺には金があるのだ。最高級のものを買ったとしてぶっちゃけ端金である。なら贈りものは良いもののほうが良いのではないだろうか。
「カリンちゃんは何あげるとか決まってるの?」
「え、えぇと、カリンは……お菓子を作って渡そうかな、と考えています」
「お菓子……いいなぁ」
なるほど、そういう感じでもいいのか。
実用物ばかり考えていたが、たしかに食べ物という方向性も有りだろう。
というか手作りが当然のように候補に入るのすごい。俺にはとんと縁がない世界だからちょっと羨ましい。
と、ぼそりと零した声に対して「では」とカリンちゃんが声をあげた。
「みんなで一緒に作ってみるのはどうでしょうか……? あ、アキラ様も、喜ばれると思います……!」
「……あたしも? まーいいけど……」
「んぇ……」
──ま、まずい!
話の流れが手作りに向かいかけている。
いくらカリンちゃんの監修があるとはいえ、俺がお菓子作りなどできるはずがない。そもそも家事にあたるものをマトモにやったことがないのだ。
そんな俺がお菓子作りなどできるだろうか。
いいや、無理だ。
ということを力説してみると。
「……こーゆーの、リナみたいなことしない限り失敗しなくない? 言われた通りにやればいいから、大丈夫でしょ」
「誰でも最初ははじめてですからっ。カリン、頑張ります……!」
「あはー……」
むしろカリンちゃんがやる気を出してしまった。こういうプレッシャーに滅法弱かった頃の彼女がどこか懐かしい。
カリンちゃんがいるのであれば、よっぽどな失敗はしないだろう。
二人がやる気なんだし、どうせ逃れることはできなさそうだ。それだったら、俺もやりたいことがある。
「バウムクーヘンがいいな」
「ふぇ?」
「あたしは難しくないなら、なんでもいいよ」
「そんなに難しくは……ないはず。俺も作ったことないけど」
「え、えぇ。でしたら、バウムクーヘンを作りましょうか。材料はこのお家に揃っていますので、準備してきますね」
「ありがとうね」
カリンちゃんが部屋から退出し、俺はベッドに腰掛けた。
「でも、どうしてバウムクーヘンなワケ? はじめてのお菓子作りにしては、ちょっとシブい気がするけど」
「ちょっとね、懐かしくなったから。それに、贈り物としてもちょうどいいんだよ?」
一度だけ、聞いたことがある。どうして彼女がバウムクーヘンを特に好んだのかを。
それを聞いて。
その上で、俺はその想いを裏切ってしまったんだ。
「まさか僕の誕生日がここまで祝われるとはね」
「そう? それはちょっと自分に自信がなさすぎじゃない?」
「僕はあくまで裏方だからね。こんなに気にかけてもらえるとは思ってなかったんだ」
「んもー、私たちは二人でパエトーンなんだから! どっちがどっちとかないよ!」
「Random_play」のバックルームで、アキラは小さく息を吐いた。
喜ばしいことに、今日は自分宛ての来客が多い。特に「パエトーン」として親交があるエージェントたちがたちどころにやってくる。
妹の誕生日は盛大にお祝いするつもりだったが、自分の誕生日のことなどまったく考えていなかった。
せいぜい妹と一緒にのんびりと誕生日を楽しむくらいのつもりであったのだが──こうして人から向けられる好意と、その心根が持つ善意は、好ましいものだ。
だからアキラは、この日の記憶を宝物にして、ずっと忘れないだろうと思う。
「こんにちは」
「お、お邪魔します……」
「こんちわー」
店の扉が開く音と、もう聞き慣れた声が聞こえてくる。
声だけでも心に透徹するその声は、疑いようなくあの美しい少女と、その姉のものだろう。更にあの友達想いなサメ少女の声も。
アキラとリンはお互いに少し笑って、来客を出迎えるために立ち上がる。
「あ、お兄さん。やっほー」
どこかふにゃっとした雰囲気の少女が手をひらひらと振っている。眠たいんだろうな、と考えながら、アキラは挨拶を返した。
さて、用件はなんだろうか。
とはいえ、流石に今日の流れを考慮すればアキラも予想はできている。おそらく自分の誕生日を祝いにきたのだろう。
今日は店番のシフトもないし、特に他に思い当たることがないのだから。
「リンちゃんもやっほー」
「やっほー、ジューダス。なんか今日は随分とぱやぱやしてるね?」
「ふ、普段やらないことをやって、かなり疲れちゃったようで……」
「ホントに。ここまで来るの大変だったんだから。ボスに車出してもらったんだよ。そしたらリナは馬車で張り合おうとしてくるし……」
「ライカンさんに? ……いや、でもこの状態のジューダスを公衆の面前には出せないよね。半分くらいテロみたいなものだもん」
「そんなことないよ。俺は元気だから」
手をにぎにぎと開閉しながら、こちらに向けて「にゃー」などと呟いている彼女は、果たして自分が何を言っているのか理解していないようだ。
そういえば昔、憔悴していたときの彼女も、どこかこんな感じの言動をしていた。
果たしてここまで消耗するとは、一体何をやったのだろうか?
「そうだ、おにーさん。お誕生日おめでとう」
「ん、ああ、ありがとう」
「あ、アキラ様っ、おめでとうございます!」
「おめでとー。せっかくの誕生日だし、もうちょっとリラックスしなよ」
「とは言っても……。そんなに疲れてるなら、気を遣わなくて良かったんだけれど。ライカンさんにも申し訳ないからね」
「大丈夫だよ。ボスもリナも来たがってたから。今は周囲を警戒中だけど、もうちょっとしたらこっちに来るはず」
「そっか。それならいいけれど」
「あと、リナのお菓子はボスが止めてたから。そこは安心して」
「ライカンさん……」
ひょっとしてヴィクトリア家政、結構問題児揃いなのだろうか。
ジューダスが増え、結果としてライカンさんの苦労が増えているような気がする……。
「これ、プレゼント」
と、まずはエレンが手に持っていた紙袋を手渡してくる。
それを受け取り、礼とともに中身を確認すると、
「これは……カップケーキか」
「ん、みんなお菓子作っちゃったし、このくらいがサイズ的にちょうどいいかなって。リンと一緒に食べてよ」
「おー、お兄ちゃん、女の子から手作りのお菓子もらっちゃってるじゃん! へぇー……」
「リン、やめよう。この場の男は僕だけなんだ。そのノリで気まずくなったら僕が死ぬ」
「ごめん……!」
「相変わらず仲良いね、二人とも」
しかし、気になる台詞が出た。どうやら他二人もお菓子を作ったようだ。
それはつまり、これまで家事にあたる行為の一切を他人に委託し、自分では行ったことがないというジューダス・ウィクスがキッチンに立ったということである。
あまりの事態にアキラとリンは思わず例の少女の方へと顔を向ける。
眠気でぱやっている彼女は視線の意味を理解できずに小首を傾げにへらと笑った。
下手すれば死人が出るその顔を前に、アキラは用意してあったカメラのシャッターを押し込む。隣で笑顔のままピースをしているカリンと、端で無表情のままジューダスたち二人を眺めるエレンが映り込んだその写真は、永久保存決定の歴史的な一枚となるだろう。
「──ふぅ。危うくやられるところだった」
「やられてるんだよお兄ちゃん。あとで私にもちょうだい。あ、Fairyは見ちゃダメだからね」
『不満顔』
「ほら、もうおかしくなってるじゃん。今度は変なこと起こさないでね」
「というかFairyに顔はないだろう?」
『不満顔』
「ゴリ押すな」
AIアシスタントの調子が狂ったのをひとまず置いておく。
まぁ、アレでも優秀だから、同じようなミスを二度は起こさないだろう。
「で、では、次はカリンの番です……! ここっ、こちら、受け取ってください!」
「これは……いちご大福が、お重に詰められている……!」
「わお。これ全部いちご大福だ……二段あるね」
「ふむ……これはこの後、ライカンさんたち二人がきてから、みんなで一緒に食べようか。この数を僕達だけで食べるのは、贅沢が過ぎるからね」
「やったぁ」
「……あぅ……その、ちょっと、張り切りすぎちゃって……量が多くなってしまいました、申し訳ございません……」
「いや、大丈夫。それに……」
「こういうのはみんなで一緒に食べるのが楽しいからね! ──でしょ?」
「……! は、はい! ありがとうございます、プロキシ様……!」
流石に七人ではこの場は手狭だろう。
折角だ。今日はこのあと店を閉めて、どこか場所を移して緩やかに歓談としようか。
そんなことを考えていると、最後に、あの美しい少女が近づいてくる。
「はい、おにーさん。誕生日おめでとう」
「ありがとう、ジューダス」
「バウムクーヘンを焼いたんだよ。人生ではじめてだったんだ」
「……そっか。ありがとう」
「作ろうとするときに振り返ってみたら、やっぱり嬉しかった。あのときの言葉」
あのとき、というのは。
おそらく彼女が死のうとした日のことだろう。それ以外に、思い当たる節がないから。
「だからね、これがいいと思ったんだ。意外と簡単にできて良かった。ありがとね」
そう言って、彼女はにへらと笑った。
険のない、自然な笑顔だった。以前の憂鬱そうな顔色は晴れている。
その顔は、今までで一番美しい顔のように見えた。
「あなたのおかげで、俺は今幸せだよ」
──どこか。
その言葉はどこか、自分と、他の誰かに宛てた感謝のように感じられて。
けれどそれで良い、と思った。
あの日の言葉は嘘じゃない。
彼女が生きていて、いま幸福であることが、アキラにはこんなにも嬉しいのだから。
長く楽しい一日が終わり、もう街も眠りにつく頃。
「……ああ、だからバウムクーヘンか」
「なになに? 何か見つけた? ──お菓子の贈り物の意味? ふむふむ……なるほど」
「たぶん、ジューダスの言葉からすると……こっちだろうね」
ふむ、と思った。
あの美しい少女が、どうやってこのことを知ったのか。彼女はあれで幼いから、きっと誰かが教えたのだろう。
そこまで想像してみれば簡単だ。
きっとあのとき、アキラとともに感謝を受けたのは、彼女の『お姉さん』なのだろう。
どのような人柄かはわからないが、優しい人だったのは間違いない。
「──『幸せが続くように』」
そんなひとひらの願いを、あの少女に伝えたのだから。