例えばそれはちえのわのような   作:moti-

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 今回はわりと原作知識前提かもです。妄想エンジェルの概要をチェックだ!


音楽が好きな人たちへ

 

 ──すごい人は、いる。

 それもたくさん。自分が想像する以上に、自分が壁だと思っていることを越えていく人は多くて。

 

(羨ましいなぁ)

 

 なんてことを、思ったりもする。

 

 少なくとも千夏はそうだった。すごい人たちは、自分が頑張ってもできないことを軽々と超えていってしまうのだ。そこには知らないだけで、たくさんの努力が隠れていたりするのを、知ってはいるけれど。

 

 それを見て、自分も負けじと頑張れるだけの気力は、時々なくなってしまう。自分がこの場にいる意味を無くしてしまったような、足下があやふやになる感覚。

 

 妄想エンジェルの活動は、千夏にとって聳え立った山々を何度も越えていくような、それだけ難しいものだった。

 

 歌ったり、踊ったり──元々曲を作っていただけでその畑ではなかった千夏にとって、それはまるではるか高くまで聳え立った壁のようなハードルだ。

 センスだ才能だなんて、そんな言葉を振り切ってしまいたいが、どうやってもそれは不可能だった。頼りになる仲間たちを見ていると、それを痛感してしまうから。

 

(羨ましいなぁ)

 

 自分もそうあれればいいのに、と思うこともある。

 少なくとも、自分だけが上手くいかずにみんなの歩みを止めてしまうのは、嫌だった。

 それでも、思うだけで叶うなんて簡単な話はなくて。

 

 彼女はふと、躍起になって回していた足を止めた。

 少しだけ休憩しよう。区切りが良いわけでもないのに自発的に手を止めたのは、目の前の上手くいかなさと向き合うのが嫌になってしまったからだ。

 時々ある、気分の沈み。

 

 ふと端末へと目を向けて、通知欄にもはや見慣れた名前を見つける。

 

「あ……新曲、上がっとる……」

 

 ミスター・ノーバディ。

 それは、千夏が想像する「すごい人」の、一番上のほうに立っている人。一曲目が投稿されたときにアリアが千夏たちに勧めてきた、まるで星のような声の美しい人。

 少しだけ世界から離れたくて、千夏はいそいそとイヤホンを耳に着けた。スピーカーよりも、こっちのほうがより世界から切り離されたように感じられるから。

 

 少しだけ、目を閉じて。

 

「──ぁ」

 

 目を開いたときには、涙で頬と服まで濡れてしまっていた。

 ぐしぐしと手で目元を拭いながら周囲を見る。どうやら友人たちは、ちょうど不在なようだった。そのことに少しだけ安堵しながら、千夏は涙を拭って。拭って。拭って。

 そのたびに、より大きく溢れ出すその涙に、千夏は自分の感情がわからなくなっていた。

 

(すごいなぁ)

 

 知っている。きっとこの世界の全ての人が、彼女のことを知っている。

 だけど、千夏は知りたいと思う。

 

 どんなことを考えているんだろう。

 どんなひとを想っているんだろう。

 

 彼女がどんな人なのか、顔と声と、そのくらいにしか千夏は知らない。

 知りたいな、と思った。

 まるで千夏個人に向けられたかのような歌は、暗く落ち込んだ心にちいさな火を灯してくれたから。

 

「──っし、やるで! このまま最後まで──」

 

「ただいまー……あれ? ちなっちゃんもうすぐバイトの時間じゃ」

 

「あかーーーーーーーん!!」

 

 勢い任せに作曲ソフトに向かい合おうとしたタイミングで、ちょうど帰ってきた幼馴染の言葉に、千夏は現実への帰還を余儀なくされた。

 

 

 

 

 

 

 かろうじて遅刻を免れたバイト先で、普段のように業務を行う。注文の商品を席に運んでいったり、お菓子の用意をしたり。

 そんな最中、ふと見知った顔が席にあることに気づいた。

 散々お世話になっている、とあるビデオ屋の美少女店主である。

 誰かと談笑しているようだ。邪魔するのも悪いが、気づいて声をかけないのも据わりが悪い。どうしようかと考えて、その前に彼女の対面の人物に、視線が向いた。

 

(──え)

 

 ぞわり、と。

 背筋が凍ったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 そこに座っていた女性は、身の毛がよだつほどに美しかった。コスプレ感を感じさせる、似合わないタキシード姿ですら彼女の前では妙にこなれて見える。どうしてそんなものを着ているのかという疑問すら出てこなかった。服などなんでも同じだと言うかのように、彼女はそんな姿でも美しい。ぱちぱち、と視界が弾ける。頭の中の大事なものへと、何かが根を伸ばしていく。あんまり綺麗なものを見ると、人間は目の前の現実を現実だと受け入れられなくなるのだと、千夏は初めて知った。嘘のような美しさが、少しずつ頭の内側に染み込んできて、頭が焦がれて堪らない。生きていることに理由があるのだとすれば、それはきっとこの感覚を得るためだ。そう思ってしまうくらいには少しずつ、しかし千夏の体感では急速に、世界が色付いていく。瞼など存在しないかのように光が溢れて、そんな光景が目に焼き付いていく。周囲から音が消えていき、あの美しい女性が、カップの中でスプーンを弄る音が、まるで耳もとで鳴ったかのように強く、大きく聴こえた。だがそれは紛れもない現実だ。些細なはずの音が、彼女が鳴らしたというだけでまるで魔法のように綺麗だと感じる。彼女が口を開く。その言葉の音は知っているはずなのに、頭の中で実像が結べない。ただただ、美しい。言葉の意味はわからないけれど、彼女が話した内容とそこに含まれた意思ははっきりとわかる。他愛もない世間話だが、そこに深い慈しみを感じる。彼女には自分自身が見えないはずで、だからこれまで千夏が見てきた世界と同じものを見ているはずで、だがそれらすべてを愛しているというかのような、そうでなければ説明がつかないほどに艶やかな声で、彼女はにへらと柔和に笑っていた。目が離せない笑みだった。些細な日常の話ですら、彼女が語れば神話のような壮大さと切実さ、そして真剣さが伴ってしまう。天使のようだ、と思った。いや、まだ足りない。それはまるで神様のような笑みだった。そう、神様。神様だ。彼女はまさに神様のように美しい。だってほら、ころころと変わる声色は、まるで少年にも少女にも老人にも老婆にも■■にも■■■にも■■■■にも聞こえる。これが神でないというのなら、いったい何が神を語れるのだろう? これより美しいものなど存在しえないというのに? もっと深く彼女のことを知りたいと、限界まで開かれた瞼が、少しずつ開いていく。遥か遠くから危険だと叫ぶ脳のアラートも、夢の中にいるかのような感覚に呑み込まれて、聞こえなくなった。より光を見たいと、心が求めてやまない。心? そんなもの存在するのだろうか? ふと、千夏の脳裏にそんな疑問が宿る。だって彼女を見れば、みんな同じだ。誰もが同じに成り果てる。自己という小さな単位から逸脱することができる。それこそ救いというのではないか? みんなが同じになってしまえば、みんなが彼女の一部になれれば、きっと世界は美しいものだけで埋め尽くされる。世界が正しい形に変わる。そうして、少しずつ千夏の身体から感覚が喪われて──

 

 

「こっちだよ、ちなっちゃん!」

 

 

 手を引かれることで、現実へと引き戻される。

 

 正常に働かない頭で、自分を引っ張った手の根本を辿っていくと──そこには、仲間たちが端のほうに身を寄せて立っていた。

 

「慣れるまではちゃんと見ちゃダメ。大丈夫、あれでも抑えてくれてるから、もうちょっとしたら慣れるはずだよ」

 

「……(ゆう)……? それにアリアちゃんも……あれ、ウチ、何しよったっけ……あっ、バイト中!」

 

「ちょっとだけ休んだほうがいいよ。大丈夫、店長さんが言い訳手伝ってくれるだろうから、感覚が戻るまで休もう。ね?」

 

「う、うん……アリアも、休んだほうがいいと思うな……無理するとたぶん、倒れちゃうから……」

 

「そ、そんなことないけどな? ちょっと、ほら、ふらっとしただけやし……」

 

 妙に目が痛い。何度か瞬きをして、調子を確かめる。目を見開きすぎて、瞼の筋肉を無理に使ってしまったみたいだった。

 仕事に戻ろうとする千夏を羽とアリアが引っ張って阻止する。そうして少しの間攻防が繰り広げられ。

 

『千夏さん?』

 

「ひゃいっっっ!?」

 

 雇用主の声で、均衡が崩れる。

 千夏の体から急に力が抜け、そのまま引っ張っていた羽とアリアの方向へと勢い良く引っ張られる。そのままもつれて転がった後、その姿を見て店主が『ああ』と声をこぼした。

 

『三十分、休憩としましょうか。あまりやることもありませんし、今日は体調も優れないようですから』

 

「えっ、いやっ、大丈夫ですけどっ」

 

『……では、そうですね。三十分で彼女に慣れてください。彼女は定期的に訪れる常連様でして、応対できる方が増えると助かりますから』

 

 そう言って、千夏の言葉を押しとどめて、店主は階下に降りていった。

 どうしようか、と千夏は視線を彷徨わせる。

 と。

 すぐ側に、先ほどまで他の人と話していたはずの人物の姿があることに気づく。

 

「あー……その、大丈夫そう? さっきすごい勢いで転んでたけど……」

 

「あっ、て、店長さん……! 大丈夫やで、全然こんなの……! なっ? 羽、アリアちゃん」

 

「──いてててて……痛いな〜。あんまり大丈夫じゃないかもな〜」

 

「……。だ、大丈夫じゃないかも〜?」

 

「二人とも何しとん?」

 

 あまりにも露骨なアピールに、千夏は思わず真顔で反応してしまい。

 その直後に理由を悟ることになった。

 

 

「大丈夫?」

 

 

 ぽつり、と。

 まるで星が奏でるかのような音だった。

 明確に千夏たちに向けた問いかけの言葉だ。

 声の先を見る勇気は、今の千夏には、ない。 

 

(あ──アカン、これヤバい……顔が、勝手に……!)

 

 しかしそんな人の意思などというささやかなものは、彼女の前では関係がない。望もうと、望まずとも、視線は勝手に吸い寄せられていく。

 

 振り向いた先で。

 あの美しい女性が、千夏たちを覗き込んでいた。

 

 ふわり、と馥郁たる月の香りがした。そんなものが本当にあるのかは、わからないけれど。

 まるで太陽のような強烈な存在感が、千夏たちを照らしている。ただそこにいるだけで、否が応でも意識してしまう。

 

(こここ、これがオーラってやつなんか──!? すごいでみんな、ウチ初めてやこんなの──綺麗やし、怖い──!)

 

「──みたいなことを考えてそうな顔だね、ちなっちゃん。どう?」

 

 と、隣の幼馴染がふふんと千夏の顔を見て笑っている。勝手に人の心境を代弁しながら。

 だいたい合っているけれど、千夏はそこに少しだけ弄りの意図が透けて見えるから、むむっと憤慨した。

 

「そんなことないで! 確かにこう、すごいオーラみたいなのは感じるけどな、こんくらい全然へーきや! そもそも本人目の前にして『怖い』とか言うなや、失礼やろ!」

 

「あはー、俺は別に気にしないけど」

 

 声が聞こえる。

 喧騒の中でも耳を澄ましてしまう、綺麗な声だ──その中に、確かに感情の欠片を感じて、千夏はその瞬間、彼女の目を見た。

 吸い込まれるような瞳は、けれど先程と違って全てを溶かしてしまうようには感じない。

 

(……あれ? 変や、さっきまでの感じがせぇへん)

 

 そこでようやく、千夏は彼女の全体像を、はっきりと認識できた。

 そこに立っていたのは、千夏よりもまだ背の低い、少女。

 指先の動きから髪の毛の揺らぎに至るまで、その全てが妙に視線を惹く、驚くほどに美しい──それでも、まだ幼さの残る少女といえる容貌をしている。

 先ほどまでの全てを呑み込むかのような気配は、まるでない。

 ほんの僅か、肌に張り詰めるかのような気配は感じるが、あると信じて意識しようとしなければわからないほど微弱なものだ。

 

 神秘性というベールの向こうの、素顔が曝け出されている。

 

 原因はわからない。これが『慣れ』なのだろうか。ここまで劇的に変化することを、果たしてそう単純にまとめてしまっても良いのだろうか? そう疑問に思った。

 

 まるで何かに化かされたかのように。

 あるいは、向こう側から近づいてきたかのように。

 

 不自然に現実とのピントが合っていく。

 

 そこにいたのは、美しく、どこか超然としているけれど、未だ幼い少女だった。

 

「リンちゃんのお友達、だよね。はじめまして、俺はジューダス・ウィクスです。ちなっちゃん……でいいのかな?」

 

「はわわっ」

 

 不意に愛称で呼ばれて千夏の脳が沸騰した。

 興奮が限界を越えると変な声が出るのだと、千夏は知った。口を抑え、照れを落ち着けるために少しだけ顔を伏せる。

 

「ち、千夏です……千夏でお願いします……」

 

「千夏ちゃん?」

 

「はわわっ」

 

 致命打、二撃目──。

 本名と幼馴染からの愛称を構成している文字の要素がほぼ同一なせいで、千夏の脳は電子レンジのなかに突っ込まれたかのようにでろんでろんになった。

 

「悲しい事件だったね……」

 

「あはは……ジューダスは基本的にみんなに『ちゃん』付けするからね。朱鳶さんも『ちゃん』のほうで呼ばれたことあるらしいし」

 

「あはー、俺そんなことしたっけ?」

 

「千夏ちゃん……大丈夫?」

 

「はっ……なんや夢か。あ、アリアちゃん。ミスター・ノーバディに名前呼ばれる夢見たんよ、ってふぎゃーーーっ! 本物がおる!」

 

「ち、千夏ちゃん……! 大丈夫……!?」

 

 まったくもって大丈夫ではない。

 

「そ、そもそもなんで二人はそんな平気なん? これウチがおかしいん? なぁ店長さん、だってあのミスター・ノーバディやで?」

 

「あ、アリアもびっくりしたよ! 最初はロード処理終わらなかったもん! 羽ちゃんは、あんまり動じてなかったけど……」

 

「ボクはちなっちゃんたちみたいにどハマりしてたわけじゃないからさ。熱量の違いってやつだね〜」

 

「んー?」

 

 首を傾げたミスター・ノーバディの姿は、あまり彼女のパーソナルを知らない千夏の目には特別に映らなかった。

 けれど慣れ親しんだ幼馴染の言葉の違和感には、千夏も当然気づくことができる。

 

「……そんなこと言うて、初めて曲聴いたとき一番泣いとったの羽やん」

 

「そ、そんなことないけどっ? やだなぁちなっちゃん、ボクがそんな感動して泣くようなかわいげのある子にみえる? ちなっちゃんの見間違いだよ」

 

「すっごく泣いてたね……羽ちゃんがあんなふうに泣くなんて、って驚いちゃったもん」

 

「ア〜リ〜ア〜ちゃ〜ん〜?」

 

「なんか、意外かも……。でも羽って意外とロマンチストだもんね」

 

「やだなぁ、店長さんまで。ボクにそんな幻想を抱いちゃって〜。ボクはただ、この曲は絶対に売れるなって思っただけだよん。アリアちゃんが見つけてきたの、まだまだ再生数の少ないタイミングだったからね」

 

 アリアが彼女の曲を見つけてきたのは、一曲目が投稿されてすぐのタイミングだった。

 真っ黒な背景に歌だけが録音されたその動画。音声処理は丁寧にされていたが、まだ拙い部分が多く残る曲。

 

 だというのにその曲は、心にすっと入ってくるようで、あっという間に好きになってしまった。

 

 まるで暗闇の中を藻掻き苦しんでいるような、けれどその中にある微かな光を尊ぶような。

 きっとこの曲を書いた人は、優しい人なんだろうと。

 そんな印象を受けたのを覚えている。

 

 千夏にとってはそんな印象だったのだが、どうやら人によって受け取り方が違っているようで。

 例えば南宮羽は、あの曲を「宝物の在り処を指し示すような曲」だと言うし。

 アリアは「海の中で迷子にならないように、遠くにずっと煌めいている星のような曲」だと言う。

 

 そしてそのどれもに共感できるのだから、きっとどれもが正解なのだろう。

 

「仲が良いんだね。いいなぁ」

 

 微笑ましそうに笑うその顔に、どこか千夏は気恥ずかしくなって。

 それは彼女だけではないようで、どこか照れくさそうにやいやいと話していたみんなの声が少しだけ途切れてしまった。

 

「カリンと話してるときのジューダスもこんな感じだよ」

 

「そうなの? ……そうかな?」

 

「うん。『シード』がいるときとか特に」

 

「『シード』ちゃんは元気だからなぁ」

 

「ジューダスはさっきの羽に似てるよね」

 

「え??」

 

「ちょっと??」

 

 幸い即座に尊敬できるビデオ屋の店主が話題を提供したため、気不味い沈黙にはならなかったが。

 

「ぷふっ、変な意地張るからやで! でもなんやぐふ、えと、ジューダスさんがぐふ、さっきの羽みたいってあんま想像つかんぐふ──(ゆう)ぅー! さっきから何やねんちまちまと!」

 

「うわぁ、ちなっちゃんが怒った! 助けてアリアちゃん!」

 

「え、えと、こんなときの対応は──『罪状:飲食店での大声による迷惑行為。裁定:両者共に擽りの刑』──ありがとう『願いの妖精』さん! アリア、やるよ……!」

 

「「アリアちゃん!?」」

 

「くっ、アカンで! このままやと共倒れや! ここは一旦協力して──ふぎゃっ!?」

 

「ああそんなちなっちゃん、ボクのために身体を張って……」

 

(ゆう)ぅ──!? ウチを盾にして……んひゃあっ!? ひゃわ、こ、こんのぉ……羽のぉっ、ドブカスっ、がぁ! んぃっ、覚えとれー! んひゃあっ!」

 

「ずいぶん直球な暴言で悲しいなぁ──うひぃっ!? あ、アリアちゃん……いつの間に──ひぁあっ!?」

 

「俺ほんとにこんな感じ?」

 

「ASMR事件」

 

「こんな感じかも……」

 

 処罰が終わり。

 

 最終的にテーブルに打ち上げられたアイドルが二つ完成した様子を見て、ミスター・ノーバディは心配そうな苦笑をしていた。

 

「そもそもお客さんいないし迷惑にならないんじゃない?」

 

「『公共の場では普段から他人に迷惑をかけないように心がけましょう』──って」

 

「うぐぅ、正論や……」

 

「でもくすぐったせいで余計にうるさくなっちゃってない? もっと穏便に済ませる方法あったでしょ」

 

「『ジューダス・ウィクスの存在により騒音が発生しても問題ないと判断しました』──だって」

 

「なんか『願いの妖精』さんバグっとらんか?」

 

「ボクたち折檻される必要なかったんじゃないかなぁ」

 

「で、でもでもっ、確かにあんまり騒ぐのは良くないし……」

 

「みんなたぶん、ジューダスに会って変に舞い上がっちゃったんだよ。というかFairyまでなんかまた変になってるし……ごめんねジューダス、普段はみんなもっと大人しい……大人しい……? 子たちなんだけど」

 

「うん、大丈夫。()()()()よ」

 

「店長さん、あんまそこで言い淀まんとってや……」

 

「そーそー。ボクたちちゃんとおしとやかな清楚系アイドルなんだから」

 

「今の惨状で清楚を名乗れるのアリアだけだからね?」

 

「ぐぅ」

 

 敗北を告げる音が鳴り、ようやく落ち着いたところでふと気づく。

 あれだけふざけたからか、ミスター・ノーバディの威圧感を、最早完全に感じなくなっていた。

 ふと隣の幼馴染へと目をやれば、彼女は唇を大きく持ち上げて笑っている。

 

 まさか、とは思うが。

 今日の幼馴染の、少しだけらしくない戯けた様子は、千夏の緊張をほぐすためだったのだろうか?

 

 ぱちぱち、と目が瞬いた。

 真偽を問いただす気はしなかった。どうせ彼女はのらりくらりとかわして、本心を語ることをしないだろうから。

 

「アイドルかぁ。すごいねぇ」

 

 だから、千夏は。

 幼馴染の行動に乗っかって、良い機会だからと聞いてみることにした。

 

「そ、その、ジューダスさんはライブとかやらんのですか?」

 

「! そ、そうだ! やらないんですか!?」

 

「んえ、えーと」

 

 予想外の質問に、困ったように考え始める美しい少女。

 

「俺には向いてなくない……? ライブとかそういうのはアストラさんとかのほうがさぁ」

 

「向いてないなんてことないですっ! ウチ、見たいし……!」

 

「私も見たい! 見たい! 見たいですっ!」

 

「アストラさんと共演してなお目立ってるような人が向いてないなんてこと、あるわけないじゃんね」

 

 一瞬の沈黙。

 

「ほら、ステージで歌ったりって恥ずかしいじゃん。俺そんな体力ないし、ほら、歌も編集とかで誤魔化せてるっていうかさ」

 

「最初の動画、歌はコンプとEQ浅くかけただけの一発撮りでしょ。ダイナミクスの調整もしてないしピッチ補正やディエッサーも使ってないのにアレなんだからその言い訳は通用しないよん」

 

「そもそも新エリー都中に強制公開ライブ仕掛けたのに今更何言ってるの?」

 

「ひぃん……」

 

 かわいい。

 幼馴染と美少女店主に事実で言葉責めされてしおしおとした顔になっても尚美しいのだから、元の顔立ちが優れているという次元ではないだろう。人が美しいと思う顔立ちが、どんな表情になったとしても崩れないのだから不思議だ。

 

 彼女の顔で福笑いをして、どれだけ失敗したとしてもきっと美しいと感じるに違いない。

 もっともそんな罰当たりなこと、誰もすることはないが。

 

「で、本当のところはどうなの?」

 

「俺が人前で歌うと集団洗脳みたいになりそうでヤダ」

 

「正論だね……」

 

「ぐうの音も出ないね……」

 

「でも諦められへんー! 小規模とかやったらダメなんかなぁ〜!?」

 

「仮にそれでやるとして、倍率はどうなるんだろうね……宝くじが当たるのとどっちがマシかなぁ?」

 

 千夏の言葉に、ミスター・ノーバディは少しだけ悩むような音をあげて、そこから考えるようにあごに立てた人差し指を当てた。

 悩む。

 悩む。

 

 悩む。

 

 悩みすぎて身体がゆらゆらと揺らぎ、その度にしなりの良い肢体がどこか蠱惑的に彩られていくのに目を奪われていたので、千夏にとってはほんの一瞬のような間の後に。

 

 絞り出したかのように、美しい少女は問いかけた。

 

「……そんなに気になる?」

 

「気になりますっ!」

 

「アリアもっ!」

 

「ボクも気になるな〜」

 

 縋るように向けられた視線を受け、残り一人。六分街ビデオ屋の美少女店主は、わかってると言わんばかりに頷いて。

 

「勿論、私も見たいな!」

 

「そっかー」

 

 満場一致だった。

 仕方ないと言わんばかりに、彼女はひらりと一歩()()()()()

 

「仕方ないなぁ」

 

 照れくさそうに眉を垂らした笑みを見せる。

 

「……ちょっとだけだよ?」

 

 身体が何かに覆われたような気がした。

 一瞬の後に、視界が切り替わる。

 

 世界の連続性を断ち切ったかのように、いつの間にかどこかのステージの前に立っていて。

 

 一つ隔てた舞台の中央で、彼女の美しさを引き立てるような、けれど控えめなドレスに着替えた少女が、悠々と()()()()()()()

 

 千夏は直感した。

 

 きっとこれから、常識では考えられないような、非現実的な数分間が始まるのだと。

 

 

 

 

「──っていうことが今日あったんだよ。チケットももらっちゃった。しかも二つ」

 

「良かったですね! ……それにしても、アイドル様ですか……プロキシ様はとっても交友関係が広いですね……」

 

「ほんとにねぇ。いくら伝説級のプロキシとはいえ、アストラさんと知り合いだったり、『パエトーン』の交友関係はよくわからないや」

 

「妄想エンジェル……あっ! 前にエレンさんが話してました、ライブに行ったって」

 

「ほへぇ。エレンちゃんも結構いろいろ詳しいよねぇ」

 

『……その。折角の好意だけど、ジューダスちゃんはお金を使いたいのよね? 買い取れば良かったんじゃないかしら?』

 

「ん、それはダメ。これは等価交換だから」

 

『……等価? たった一曲とはいえ、あんなのを観れるチケットを市場に乗せたらとんでもない金額になるわよ……?』

 

「じゃあこのチケットは、俺にとってそれと同じくらいの価値があるってことだ」

 

『ふふ、暴論ね』

 

「実際定価が二千円くらいのおもちゃが千兆円になることだってあるよ──うぅ、変な天啓拾っちゃった……」

 

『ぺってするのよ! まったく、誰がこの子の脳にこんなゴミみたいな情報を流し込んでるのかしら……』

 

「だ、大丈夫ですか……? よ、よーしよーし」

 

「なんか俺の扱いワンちゃんみたくなってきてない……?」

 

 

 

 

 ──すごい人は、いる。

 

 それもたくさん。千夏が思っている以上に、その中でも図抜けて凄い人がいることも、千夏は知った。

 

(羨ましいなぁ)

 

 とは、依然として思う。

 

 もっと上手くできたらな、だとか、もっと早くできたらな、だとか。自分自身の進歩が遅々としていることに悔しさと、腹立たしさを感じるから。

 

 それでも、憧憬が弱音をねじ伏せて、千夏の進む道を照らしてくれている。

 

 だからこそ千夏は、頑張ろうと思えるのだ。

 一歩ずつでも進んでいこう、と、そう思うのだ。

 

 だって。

 千夏が作ろうとするものは、きっと千夏にしか表現できないものだから。

 

「そういえばなんやけど」

 

「うんうん、どしたの?」

 

「ひょっとして二人はミスター・ノーバディと何回か会っとる? なんかやけに慣れとったような?」

 

「おっ、ちなっちゃん正解〜! 喋ったのは初めてだけど、実はたま〜にあの喫茶店で見るんだよ。いつもちなっちゃんが最初のお菓子用意してるくらいに帰っちゃうけどねん」

 

「言えや!!」

 

 千夏は激怒した。必ずやあの邪智暴虐の幼馴染をくすぐらなければならぬと決意した。

 

 アリアによって鎮圧されるまで、あと数分──。

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