リンちゃんのお店で借りたビデオを、なんとなく流している。
ジャンルは様々だ。とりあえず目につくものを片っ端から借りてきた。
幸い家に用意されてあるリビングルームにはテレビがちゃんと設置されている。更に、周囲を見回せば、スピーカーがソファを覆うように存在した。いわゆるサラウンドの環境である。
「……ん、あれ? これどうやったらいいんだろ……」
……設定がわからなかったので、テレビのスピーカーから音を出すようにした。
今の時刻は二十三時。眠くなるまで見るとして、だいたい3本くらいだろうか?
どれから見よう。そう思って借りてきたテープを適当に物色する。
どれどれ……あ、ホラーものだ。
折角なのでこれを見てみることにする。前世を含めても映画を見た経験というのはほとんどないので、楽しみである。
怖いと聞くが、前世で一度死んだ俺に今更怖いものはない。前世で死んだときのほうがよっぽどホラーな経験だろう。今日確保したボンプぬいぐるみを膝の上において、いざ。
そうして視聴し始めて10分ほど。
結果から言うと、部屋の中に大勢が駆け込んでくるような事態になった。
という俺の恥はさておいて。
翌日のこと。
ルミナスクエアへと足を運ぶことにした。思い返せば、俺は暇を持て余しているが、その潰し方がわからないのだ。それを消費するためにいちいちカリンちゃんを呼ぶのも向こうには迷惑だろうし、ということで。
電車に乗って揺られていく。多少混み合ってはいたが、幸いなことに俺の周囲には人が全く寄り付かなかったため、快適な移動ができた。
駅から出て、周囲を見回す──人混みは嫌いだが、仕方ない。目にかかる毛先を軽く払って、駅前で立ち止まっていた場所から動き始める。
前世では、このように繁盛した場所に来たことはなかった。はぁ、とため息ひとつ。
快適な移動ではあったが、いかんせんこの体は体力がない。僅かな疲れをかき消すために、一息つきたいところだ。
周囲を見回して、左手のほうにわずかに列ができているのを見つけた。右手には雑貨屋「141」もある。
むむ、と思う。列に並んでみるべきか、という気持ちと、販売員のボンプで癒やされるべきかと思う気持ち──そのふたつを天秤にかけた。
結果、両方行けばいいじゃないとなった。そういうわけなので、手近にある「141」のほうから見てみることにする。
「ンナ、ンナ!」
「ありがとねー」
「ンナナ〜!」
何を言ってるのかわかんないや。とりあえず、水のペットボトルを購入しておく。……しまった、手ぶらできてしまったので、持っておかなくてはならない。
仕方ない、あとでカバンでも買おう。そう決めて、次に列を成している店を見に行く。
どうやら飲み物を販売しているようで、注文を取っている女の子は人の多さにわたわたとしていた。かわいそうなので並ぶのはやめるべきだろうか?
とはいえ気になるものは気になる。少し迷ってから、俺は列の最後尾に並んだ。
「ふわ、うわわわぁ……」
──列がさらに長くなった。申し訳ない。
思ったより早く自分の番がやってきて、店員の子に聞いたおすすめを注文した。
品物を受け取って一口。
「美味しいね、これ」
「あ、ありがとうございます〜……」
そうして、手を振ってから歩道橋を登り始める。
少しして振り返ったときには、列の長さは凄まじいことになっていて、すぐそばで待機していた治安局の人が整理をしているようだった。申し訳ない。
店を利用する、ただそれだけでこれだけの事態になる。
度が過ぎた美しさというものは、もはや精神操作に等しいものとなってしまう。これを持って生まれてしまった人間は間違いなく不幸だろう。
俺が転生したときも、最初のうちは戸惑ったものだ。金を稼ぐという目標もない状態だったなら、そのまま振り回されて潰れていたに違いない。
転生したばかりの俺は、そもそも生きる気力自体がないのだから。
そんなことを考えながら、両手に飲み物を持って歩く。なんかアホっぽくて、ちょっと恥ずかしい。ストローから吸い込む速さを上げながら、歩道橋を渡りきった。
先にはラーメン屋があった。残念ながら今回はスルーだ。リンちゃんのお店の隣にあるラーメン屋さんと同じ系列なのだろうか、店主の姿も似ている。
そのまま少し歩いて、見覚えのある姿を見つけた。
「おや、貴方様は……」
「や、カリンちゃんの上司さん」
そう、先日エレンちゃんが着いてくる許可をもらいにきた、彼女らの上司である。
背筋がピンとしすぎて、わずかに反っている。それが背の高さを更に際立たせていた。絵になる人だ、と思った。
「ライカンと申します。先日は此方の我儘を快く許していただき、ありがとうございました」
「いいよいいよ、エレンちゃんがいてくれて楽しかったから。俺とカリンちゃんじゃ、ゲームセンターなんて選択肢出てこないもん」
「…………」
頭が痛い、というように、少しだけ表情が変わった。ほんの僅かだが、俺は
「怒んないであげてよ。俺の依頼は暇を潰すことなんだからさ」
「ええ、それが貴方様の望みであれば、私共から言うことはありません」
「ところでライカンさん、今って暇?」
「只今は買い出し中です。……そうですね、時間もありますし、何処かへ行くというのであれば、同行いたしましょう」
「わぁ、ありがとう! 近くにカバン売ってる店があったらそこに行きたいかな、知ってる?」
「それでしたら──」
と、言葉にしている途中で。
ふと何かに気づいたように、彼は周囲に視線をやった。
つられて俺も周囲に意識を向ける。そこで、こちらに向かって走ってくるボンプの姿を見つけた。
「ンナ、ンナンナ、ンナナ!」
「おっと、よしよし。どしたー?」
走り寄ってきたボンプを抱き上げる。抵抗することなく、俺の腕の中に収まった様子は、どことなくおかしいように感じた。
まずい、完全に手が塞がってしまった。
「ンナナ、ンナ! ンナ〜!」
「なんて言ってるんだろう。ライカンさん、わかる?」
「翻訳機では──『追われている、匿って』、とのことです」
「ンナンナ!」
ふむ。とりあえず頭に顎をおいて考える。
まぁ、いいか。追ってくる相手が人であれば俺はどうにでもできるし──最悪、そうでなくてもどうにかする。
「ごめん、ライカンさん。めんどくさそうだし、ここで解散しよっか」
「いえ、こう関わっておいてそのまま帰るというのも、ヴィクトリア家政の沽券に関わります。この一件、是非ともこのライカンにお任せください」
「いいの? じゃああとでお金払うね」
そういうことなので、言葉に甘えることにした。
しかし追われている──か。これだけ治安官の目がある中で、目立つような行動ができるものだろうか。
と、考えて、こちらに駆け寄ってくる影を見た。
「あー……そういうこと?」
「困りましたね。貴方様に危害が及ばないよう、私が弁護しましょう」
そう、このボンプを追いかけていた相手というのは。
「こちら、治安官の朱鳶です。そちらのボンプは、捜査の重大な証拠を握っている可能性があります──こちらに引き渡してもらえませんか?」
そう、よりによって、治安官そのものである。
目の前に現れた犯罪の予感に息を零す。
わたわたと胸の中で震えるボンプがどこか不憫に感じられて、俺の中でチャンネルが切り替わった。
遠くからわずかに見えたときから、美しい女性だとはわかっていた。
新エリー都治安局の特務捜査班である朱鳶は、その仕事柄、人を狂わせる美しさというものを知っている。事件の原因がそうであることは、ままあることだから。
しかしながら、目の前の
(同じ人間なのか、疑わしくなりますね)
目を奪う、という言葉があるが、その体現であるかのように、朱鳶は──いや、彼女だけでない。周囲にいる人物も全員、その美しさから目が離せなくなっていた。
「──うん、そうなんだ……大丈夫だよ。俺があなたを守ってあげる」
否、人物どころではない。
治安官からあれだけ必死に逃走していたボンプですら、もはや抵抗することは叶わない。
彼女の言葉が、その警戒心を撫で壊してしまった。あのボンプは最早、彼女以外考えることができなくなっているだろう。
「……ライカンさん、翻訳できた?」
「──、ええ。治安官様方。こちらのボンプが協力をしてくださいました。ホロウ内部の座標を、こちらに記載しております」
「そう、ですか。捜査への協力に感謝します」
警鐘が響く。これ以上ここにいてはいけない、と、これまでに養われた勘が告げている。
幸い、必要になるだろう行程は、この美しい彼女が大幅に省略してくれた。故に朱鳶はすぐに移動を始めようとして、
「ねぇ、捜査官さん」
その言葉に、無理やり意識を捻じ曲げられる。
(──ああ、ダメだ、彼女は、美しすぎる)
何故人は、美しい形をして生まれないのだろうか。
答えは簡単だ。美しさというのは、すべての知的生命体に対しての毒になりうるから。
「ごめんね、無理を言わせてもらうんだけど」
その言葉の続きに、誰も逆らうことは──
「このあと、俺も付いていっていい?」
生きていれば誰もが痛感する事実だと思うが。
自分の才能というのは、だいたいが幻想である。
この世の中には自分がどう頑張っても追いつけないような人間がたくさんいる。たとえば最近お世話になっているヴィクトリア家政の面々もそうだし、捜査官のお姉さんもきっとその類だろう。
世界には、選ばれた人間と、そうでない人間のふたつがあるのだ。
その残酷な現実は、きっとほとんどの人が突きつけられるものだと思う。
俺もそうだ。
基本的に、俺には才能がない。自分の人生を買い戻せるくらいのものがあれば、そもそも俺は前世で死んでいないだろうから。
だから、才能がない人間の気持ちというのはよく理解できる。
──俺も本来なら、そっち側だから。
だから、これはちょっとした気まぐれだ。
「きた」
ホロウの出口で、俺はライカンさんと、例のボンプちゃんと一緒に立っていた。
残念なことに、あのあと捜査官のお姉さんにホロウ内部への侵入を禁じられたのだ。よくもまぁ、俺直々の
この事実だけで、彼女が相当な傑物であることが窺える。本当に羨ましい。
「──な、ぇ……」
そう、この通り。
本当なら、この状態の俺を目に入れることは、致命的であるはずなのに。
「ありがとね、約束守ってくれて」
「──いえ、輸送の際、必然的にこちらを通るので」
うん、やっぱり朱鳶さんはすごい。
連行されてきた彼らは、もう手遅れだというのに。
さて。
「どうしてこんなことをしたのか、教えてくれない?」
「……お、俺らは……金がほしくて、金があれば、暮らしていけるから」
「うんうん、それはいい」
そもそも、この新エリー都という街は崩壊した世界の最後の防波堤だ。
前世ですら俺のようなまともに生きていけない人間がいたというのに、この世界ではなおさらのことである。
「お金をどう使うかは、考えてた?」
「……これで、いっぱい飯食って、酒飲んで、遊べるだろ」
「ふーん。でもね、それってすぐに飽きるよ? その先は? なにかないの?」
「…………」
そうなのだ。
このような人間に限って、金があれば満たされると考えてしまう。本当は金があったところで、一番大切な場所は満たされないままだというのに。
つまり彼らは、幸せになる方法を知らないのだ。
……。
しょうがないなぁ。
だったら、俺が幸せにしてあげよう。
「美味しいごはんを食べて、いっぱいお酒を飲んで、いっぱい遊べたらいいんだ」
「……それ以外に何があるっていうんだよ」
「あは、睨まないでよ。大丈夫、俺が肯定してあげる」
唇を少し歪める。笑顔を形づくる。
もう既に種は蒔いている。彼らはとうに、戻れない場所まできてしまった。
「朱鳶さん、この人たちの罪状は?」
「違法なホロウへの滞留、およびホロウ内部での暴行・強盗行為が主です」
「ふぅん。殺人とかはない?」
「はい、彼らの手による死者は確認されていません」
「そっか」
一歩近づく。目は既に、俺から離せなくなっている。
二歩近づく。脳への侵食で、最早俺のこと以外考えられなくなっている。
そして、目の前に立つ。とびきりの笑顔を作り出す。
「おつかれさま、みんな」
最高の殺し文句で──完膚なきまでに脳を壊した。
「──私は、あのような犯罪者の肯定を、許容できません」
「あは、朱鳶ちゃんはそれでいいさ。でも今後彼らは悪さをしないし、きっとこれまでの行いを悔いて、全力で償いをするだろうから、今回のは許してほしいな」
これについては、仕方のないことだ。
彼女のような人間に、ああいう弱者の気持ちは理解できない。そういうものであるし、理解をする必要もない。
彼女はこれからも自分の正義を貫いていってほしい。こういう、はみ出し者の受け皿には俺がなるから。
「そうだ、彼らの懲役ってどれくらいになる?」
「強盗行為で相手を負傷させているので、五年以上は確定でしょう。……どうしました?」
まぁ、そうだろうと思っていた。
しかし彼らにもう悪さはできまい。
彼らの脳をクラッキングして、俺という存在を鮮烈に刻みつけた。彼らが生きるすべての活動において、俺の影がちらつくようになるだろう。
いわば、俺中毒というべき現象か。
今日、俺に笑いかけられたという事実。それは彼らにとって、他の何よりも喜ばしい幸福へと変化しただろう。
やり方さえわかれば、人を破壊するのはこんなにも簡単なのである。
思っていたよりも懲役は長いが、完全に心を入れ替えて、模範囚となるだろうし。彼らの頑張り次第では減刑もありうるから、それまで我慢してほしい。
「なんでもないよ」
そう朱鳶さんに告げて、この話はここでおしまい。
彼女は幾らか事務的な話をした後に去っていった。
残されたのは、俺の家の子となったボンプと、ライカンさんだけ。
「……さ、終わり! ごめんねライカンさん、わざわざ付き合わせちゃって」
「いえ、これだけすぐに事態を収めてしまうとは……このライカン、感服いたしました。ところで、貴方様」
「ん? どしたの?」
「あの『おつかれさま』という言葉には、どのような意図があったのですか?」
ああ、あれか。
そんなのは決まっている。
これまでの徒労のような人生を、肯定する言葉。
俺が、一番言われて嬉しかった言葉がそれだったから。
「──気にしないで。たらし文句に火がついちゃっただけ」
俺は、あの自分に自信がない女の子を思い出しながら、言った。
俺の人生が始まったと言えるのはあの瞬間からだから。
その後、俺はライカンさんと軽くルミナスクエアを散策し、帰宅。
ボンプぬいぐるみの代わりに本物のボンプを抱きながら、昨日は序盤のまま止まったホラー映画に再挑戦することにした。
結果は……あまり口にしたくない。