時間は戻らない。
戻れないから、戻らない。
戻らないから──今際の際の一瞬までを、無駄に捨ててはいけないのだ。
──呼ぶ声が、したような気がした。
助けを求める声が、確かに聴こえた。
「──まだ、まだ!」
その言葉は、身震いする自分自身を奮い立たせるためのもの。
事態は不可逆的に飛躍している。
惚けている時間などありはしない。
だからリンは、頭を回す。
「師匠! この壁さえなんとかすれば、間に合うかもしれないんだよね?」
「──ああ。そうだ。そしてこの壁を壊す手段をどうにかして見つけなければならん」
「それならば、私に案がある」
星見雅の言葉に、全員がその言葉の続きを待つ。
「先ほどはそれぞれが別の場所を狙ったのが問題だった。削れ具合を見るに、それぞれの最大火力を一点に対して連続でぶつければ、人が通れるほどの穴は作り出せるだろう」
「でもそれだと、入ったとしても結界の中に閉じ込められるだけなんじゃ?」
「それならば、もう一度穴を開ければいいだけだ。違うか?」
さも当然かのように言う雅に対して、リンは少し笑ってしまった。
「──そうだね、そのとおり」
この作戦の場合。
壁を破壊する虚狩り三人は、そちらにかかりきりになる。
つまり突入する人物は、また別に必要になるわけで。
「中に行くのは、私がやるよ」
その言葉を告げることに、躊躇いなど微塵もなかった。
「僕も行く」
「……お兄ちゃん?」
「リン。これでも、僕だって思うところがあるんだ」
その表情は、いつにも増して真剣なもので。
「──うん、一緒に行こう、お兄ちゃん!」
リンはそう言って、兄の手を取った。
光が溢れて、空に舞った。
「お、オイ……嘘だろ……?」
「……ジューダス」
「──────」
中継を眺めていた邪兎屋の面々の反応は、それぞれが異なる反応を示していた。
三者三様──しかしそこに含まれている感情は、全員同じ。
起きてしまった惨劇に対しての、衝撃をメインとした複雑な感情。
「──なーにをアンタたち、そんな絶望みたいな顔しちゃってるのよ」
だがそれも一人を除いてのこと。
彼らの頭を張っているニコ・デマラは、心配など微塵もしていないといった表情で、彼らの様相を笑い飛ばす。
「だってよ親分、ジューダスが!」
「ジューダスが
「でも、ニコ。あれはどうみても」
「そ、そうだぞ。あんなに血が出たら、」
「だーかーらー、そういう常識が通用しないのがジューダスでしょ!? しょげてる暇あるならこんなふざけたことしでかしたやつがどんなぶっ飛ばされ方するのかのほうを考えなさい! ほらビリー、アンタの大好きなスターライトナイトならこういうときどういう展開になるのかしら!? アンビー! 映画だったら!? 猫又、は……えーと、とにかく、こういうときどうなるの!? ほら、言ってみなさい!」
「あんた今あたしのとき何言うか思いつかなかっただろ」
猫又と口論後。
ニコは、誰にも聞かれないほどに、耳聡い面々に聞かれないようにほとんど言葉にならないくらいの声で呟いた。
「──ったく、貸し一つなんだから。早く片付けなさいよ?」
光が溢れて、空に舞った。
「っしゃ行くぞアンドー! うらぁぁぁぁぁぁぁ!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「何してるんだい? あのふたりは」
「……あぁ、グレース……見てないのか、ジューダスさんが……」
「うん? あの子がどうかしたのかい? ──っ……そんな……そうか……」
ベンが指し示した端末を見て、グレースは自分の喉から飛び出しそうになった言葉を呑み込んだ。
そんな彼女を、意識の外から現れたクレタが後ろから引っ張って歩き始める。
「何してんだ二人とも、良いからやるぞ!」
「っ──ちょっ、おチビちゃんっ、一体何を? やるって何だい!?」
「あーん? 決まってんだろ、
「だから、何のかって聞いてるんだけど!?」
「グレース……聞こえねぇのか? 感じねぇのか? 俺達を呼ぶこの声が!」
「アンドーの言う通り、あたしたちは今あいつに呼ばれてる! ──だったらせめて、少しでも多くあいつの力になってやらねぇと!」
何を、と否定しようとして、グレースは気づく。
まるで今にも泣き出してしまいそうな子どもを見たときのような、そんな感覚が胸の中を満たしていることを。
「なるほど、たしかに。……仕方ないなぁ。それじゃああの子の涙を拭いに行こうか。ベンもそれでいいだろう?」
「あー、よくわからないが、これがジューダスさんのためになるんだな? それならやろうか」
そうして白祇重工の面々は、一同に遠い空を見る。
光が溢れて、空に舞った。
「セス坊よ、落ち着かぬ様子であるな」
「それは……そうでしょう! せっかくの虚狩りの叙勲式だっていうのに、こんな……こんな! こんなの! オレには、どうして皆さんがそんなに落ち着いているのかがわからない……!」
「別に落ち着いてなどいませんよ。今やるべきことをやっているだけです」
ええ、全く。そう付け加えて、朱鳶は美しい彼女のことを思った。
「あの子は、全く……本当にまったく。ようやく自覚しましたか……」
「まるで母親みたいな小言を言うものよな。あの子は小柄ゆえ朱鳶と並べば確かに親子のように見えるが」
「あのですね先輩、私あの子くらいの子どもがいるような年齢じゃないと思うんですが」
「何を和気藹々と喋っているのですかっ!?」
そうやって、眉を寄せて強く拳を握るセスに、朱鳶は言った。
「そのまま怒ってください、セスくん。あの子の直面した不条理に対して。それが彼女を救う鍵になる」
「なん」
「私も怒っています。ええ、これ以上ないほどに」
けれど、怒りだけじゃない。
朱鳶の中にはもう一つ、強い感情が渦巻いている。
「まぁ、素直に頼ってもらえるのは、嬉しいですけど」
そう言って、朱鳶は僅かに手を空へと翳した。
光が溢れて、空に舞った。
「ふぅ……まさかアタイがこんなことをするとはね」
くすりと笑って、ジェーン・ドゥは空へと指を立てた。
「まぁ、たまにはこうやって倫理に浸るのも良いわよね。そのうえ同じ正体不明の誼だし」
柄ではないと感じながら、それでも世界が優しくあれば良いと思うから。
光が溢れて、空に舞った。
「っしゃ行くぞお前ら!
「いえーい☆ 行っちゃお〜う!」
「いえ〜いだぜい〜」
「何を言ってますのこのおバカたちは?」
「俺らには止めれないものだな」
「私は賛成だよ。金になりそうな話に化けそうだろ?」
「あーもーまったく……」
ルシアーナ・オクシスィース・テオドロ・デ・モンテフィーノは頭を抱える。
だがどうせ考える余地もないのだ。
彼女自身も、自分の心に嘘はつけない。
「仕方ありませんわね……それじゃ、さっさと新エリー都に向かいますわよ!」
「っし、行くぜオマエら──!」
そうして「カリュドーンの子」の皆は、新エリー都目掛けて走り始める。
光が溢れて、空に舞った。
「──ナギねえ……悲しいね」
蒼角のその言葉が何を指しているのか、月城柳にはすぐにわかった。
ミスター・ノーバディが大規模な認識災害を引き起こした日から、全身を微弱に覆っていた感覚が、消えた。
それはつまり、あの美しい少女に何か異常があったということで──現場の状況など耳にする前から、柳にはそれがわかった。
「……大丈夫ですよ、蒼角。あそこには雅がいます。どのような事態だって解決できるでしょう」
「あー、違いますよ月城さん。蒼角ちゃんが言いたいのは
「……と、いうのは?」
浅羽悠真は、珍しく真剣な顔をしていた。
蒼角に目線を合わせるようにしゃがみ込むと、どこか堪えたように喋り出す。
「僕らは、こんな当たり前のことが最終手段になってしまうくらい、あの少女に期待を押し付けていた──そうでしょう?」
悠真の言葉に、柳はようやくその
「……そうですね。浅羽隊員の言う通り。ともすれば蒼角とほとんど変わらないくらいの子どもに、私たちはずっと重荷を押し付けてきたのかもしれません」
「うん。だから──悲しいことを無くさなきゃ! こんどは私たちが、奇跡を起こす番だよ!」
そう言って、蒼角がぎゅっと手を握った。
暖かな光が、蒼角を抱くように小さく灯ったように見えた。
「──」
錯覚か。
それとも、確かにそこに今、あるのか。
「そうですね」
だがこれが奇跡だと言うのなら、今は信じてみようと思った。
月城柳は蒼角の握った手に自分の手を重ねて、言った。
「それではこれが、
蒼角を包むように、小さな光が飛び散るように溢れ出した。
「……な〜んか、気まずいなぁ……」
浅羽悠真は二人の空気から逃れるように縮こまって。
「まぁいいや。それじゃあ僕のほうも
そう言って、目を瞑った。
祈るように。
誰かを思うように。
ここにいない人を、見るかのように。
光が溢れて、空に舞った。
「──お嬢様、その……」
「ううん、大丈夫よ」
少しだけ、目を閉じて。
そうやって感覚を研ぎ澄ます。
「ねぇイヴ、聞こえるわ。泣いてる声と、それを慰めようとする幾億もの声が」
「──慰める、声? それは……」
「すごく素敵なことだと思わない? ありとあらゆるみんなが、あの子のことを助けたいと思ってる。その事実が」
それはきっと、かつてアストラを絶望の底から引き上げた人たちと同じような心根で。
だからこそ今度は、アストラのほうがあの迷子の少女の手を引いて、暗闇の淵から引っ張ってやるのだ。
「この光の一つ一つは、私たちみんなの心の光よ──ほら、イヴだって!」
「心の、光──そんなものが、私にもあるのか……いや、あるんだろうな」
イヴリンは、アストラと同じように思いを馳せた。
月は太陽の光を反射して光っている。
だとすれば、寄り集まった光の集合で照らされるあの少女は、まるで月の化身のようだ。
なんて思うのは、流石にロマンチストが過ぎる思考だろうか。なんて、少し笑って。
光が溢れて、空に舞った。
「パエトーン様……今、わたしにできることは──これだけのようですね」
ショッキングな光景に対して多少胸を締め付けられはしたが、ビビアンはもう何も問題だと思ってはいない。
彼女が最も信頼する人物ならば、きっとどうにかしてくれる。
そう信じているから、ビビアンはただ、今自分にできることをするだけだった。
光が溢れて、空に舞った。
「さて、どこまでが貴様らの描いたシナリオだ? ここまで悠長にしているからにはすべてが想定内なんだろう?」
「……何も描いてなどいない。だから後手に回っているんだろうが」
「ハッ、それでわざわざ俺にまで声をかけたわけか。ミスター・ノーバディのために、この俺に動けというのは何の冗談かと思ったぞ」
莫大な資産を抱え込み、悠々と生きている上位者など、モッキンバードからすれば敵でしかない。
そうだというのに、わざわざ彼女のためにライカンが自分に頭を下げたことが、ヒューゴからすれば意外だった。
だがことここに至ったからには、仕方がない。
「ミスター・ノーバディは好かん」
「そうか」
「だがまぁ、ジューダス・ウィクスという少女になら手を貸してやってもいい。幸福と不幸は等量であるべきだとするのなら──今は些か下へと振れすぎているからな」
ヒューゴは、まるで悲鳴のような音に耳を傾けて言った。
ミスター・ノーバディという虚栄の象徴は、敵だ。
けれど、迷子の子どもにまで抱くような敵愾心など、ヒューゴの中には存在しない。
「そうか」
ライカンはそう言って、あの美しい少女を想った。
等量であるべき幸福と不幸のバランス。
そんな論調を、今さら肯定する気はない。悲しい出来事などないほうが良いのだから。
ただ、ようやく彼女自身が生きていくための指針を見つけられそうだというのに──こんな終わり方を認めることは、できなかった。
「まったく……これからはもっと早く人を頼るように」
ライカンは、彼女が帰ってきたら言うべき言葉を思い浮かべて、祈りに言葉を乗せる。
光が溢れて、空に舞った。
「禍々しい空の色──ジューダスちゃんの声……! なにか大変なことが起こっている気がします……!」
「みんな、落ち込んでる暇はないぞぉ! この声が聞こえるだろう! みんなでジューダスさんに気を送り込むんだ!」
雲嶽山に残っている
現場で起きていることに関しては、詳しくはわからない。
それでも、二人に不安はなかった。
今あそこにいるのは、彼らが最も信じられる人たちだから。
だから彼らは、心配を一旦置いて、今自分たちにできることをやり遂げる。
光が溢れて、空に舞った。
「──柚葉……私、怒っているのだわ……!」
「勿論、私もだよ」
そういう柚葉の肩の上で、かまちーが勇ましく気炎を吐いている。
「こんなことになった元凶も許せないし、ずっと雲の上の人だって想いを押し付けたせいで、誰にも頼れなくしてしまった自分自身も許せない!」
「……頼れそうな人がいなかったってことだもんね。でも、だからこそ今度は、あの子がびっくりしちゃうくらいに──私たちが引っ張ってあげなくちゃ」
「……うん! その通りなのだわ!」
そう言って、二人は手を重ねた。
二人を包み込むように、光が溢れ出す。
知っている温かさだった。
二度と見ることのないはずの光だった。
「「──」」
お互いに、顔を見合わせて。
そうして、どちらともなく笑う。
思わず泣いてしまいそうなくらいの笑顔だった。
そうして二人は、覚えのあるその光も一緒に包んで空へと掲げて。
光が溢れて、空に舞った。
画面の向こうの惨劇を前に、咄嗟に子どもたちの目を覆った。
すぐに映像は途切れたが、だというのに手が離れないのは自分自身が動揺しているからか。
「兄ちゃん?」
「あ……あぁ、すまん」
その言葉で、狛野真斗はようやく両手を降ろした。
決定的な瞬間だけを見せないようにしたとはいえ、前後の流れから何が起きたのかは明白だ。
それに気づかないとは思わない。
だが、気落ちしている真斗とは違い、二人は楽観的な表情を浮かべていた。
「大丈夫だよ、兄ちゃん」
「そーそー、大丈夫!」
それは事態を把握していないから出る、甘い考えなどではない。
二人の表情を見て、真斗はそれを理解する。
その瞳に映る真剣な色は、冗談なんかのものではない。
「「だって、ミスター・ノーバディは負けないもん!」」
この状況に至ってもなお、ただただ信じているのだ。
「……そうだな」
だから、真斗も信じることにする。
そもそもあの場所にはリンたちがいるのだし。
絵面のせいで騙されていたが、ミスター・ノーバディに常識は通用しない。
それなら、あの傷だってなんとかできるに違いない。
「──っし、じゃあみんなで応援するか!」
「「おお~!」」
そうして、もはや何も映さないテレビそっちのけで、三人は
光が溢れて、空に舞った。
イドリー・マーフィーはまどろみの中で、両親を見た。
「──お父さん──お母さん……?」
『……ああ。僕だ。僕たちだ、ドリィ』
その声は、確かに、父親の声だったように思える。
だから。
ああ、夢か、と。
そうやって、結論をつけてしまいそうになる。
常に体を覆っていた気配が消え失せているのも、その思考を助長していた。
「──違う。
だが、イドリーはすぐに気を取り直した。
彼女は既に、過去を振り切っている。
今更こんな光のような夢は見ない。
とはいえこれが現実だとも思えないのも事実だった。
それならば、幻か。
そうだとするなら──どうして、あの少女はいないのだろう。
どうしてこんなに、物悲しいのだろう。
『今日はとても悲惨な日ね。生者も死者も、みんな同じ気持ちを抱いてる』
『だから僕たちは今、同じ世界を見ているんだ──ドリィ。君だってそうだろう?』
「……そうね」
状況はよくわからない。
それでも、あの美しい少女になにかが起こったのだということはわかる。
だからイドリーは、両親が重ねた手に、自分の手を重ねるのだ。
言いたい言葉を、二度と送れなくなってしまう前に。
光が溢れて、空に舞った。
喪失感からお昼に目覚めてしまったリュシア・エロウェンは、ふと気配を察知して、なんとなく自室のベッドの下を覗き込んだ。
『見つかっちゃった!』
「……えっ、『あたし』!?」
そこに、かつて「帰って」しまったはずの、幼い頃のリュシア自身を見つけ、思わず大声を出した。
「え、なんで、なんで」
『すごい! こっちに来た瞬間に見つかっちゃった!』
随分と興奮した様子で、子どもリュシアはベッドの下から飛び出して、ベッドへとぽんと飛び乗った。
「なんで??」
『今こっちにすごくエーテルが溢れてるから! 来ちゃった!』
「来ちゃった!? えっすごい!」
まさかそんなことがあるのか。
興奮してリュシアは子どもリュシアへと顔を近づけて、ベッドがガコンと大きく跳ねたので二人の頭が激突する。
痛みに頭を手で押さえつつ、リュシアは「まさか」と思う気持ちを抑えられなかった。
『いたた……ちょっと、
「やっぱり!? だよね!」
子どもリュシアと同じようにベッドの下を覗き込むと。
そこにはどこか所在なさげなワンダリングハンターが、ベッドの下に横たわっていた。
「なんでベッドの下なの?」
『うーん。あたしがここから出てきちゃったからかなぁ』
こんなことがあるのか。
そう思いつつも、リュシアは自分の心が大きく弾むのを止められなかった。
「そもそもどうしてエーテルが──」
疑問を口から繰り出そうとした瞬間に、頭の中に大きく、まるで泣き出してしまいそうな子どもの声が聞こえてきた。
「ああ、そっか」
そして、その瞬間にリュシアは理解する。
何が起こったのか。一体何が起きているのか。
だからリュシアは、手を空へと掲げた。
どうすればいいのか、なんてことは思わなかった。
あの少女を助けるには、これが最善だと。
ただそれだけを直感していた。
それを見て、子どものリュシアも同じように手を掲げる。
二つの手を見比べて。
リュシアの父親も、二人と同じように手を掲げて、まるで大きさの違う三つの手が、空へと願いを浮かべていく。
光が溢れて、空に舞った。
その少女の死を察知した瞬間、「シード」はやけに息が詰まって、目の前の景色がぐらついたような感覚になった。
スクーターの動きが止まる。
それで投げ出されはしないが、慣性に対して普段よりも体勢を崩しているのは、まさに動揺の証。
遅れてオボルス小隊の面々が理解した。喪失感に動きの止まったオルペウスを訝しみ──最後に、「鬼火」が状況を理解する。
「お、「鬼火」隊長! どうしましょう! どうすればいいであります!?」
『ええい狼狽えるな! どうもこうもあるか! このあとの事態の急変に対応できるように備えるしかないだろう!』
「そういう「鬼火」隊長が一番動揺しているように見えるけれど。……トリガー?」
「……いえ。なんというか……気配の数が、合わないような気がしまして……」
『気配の数? ……』
「トリガー」の言葉に、「鬼火」が周囲へと視線を配らせる。
未だに少し慌てた様子のオルペウス。
心ここにあらずといった様子の「シード」と「ビッグ・シード」。
普段とあまり表情の変わらない「11号」。
少し困惑した様子で、鬼火の隣あたりへと顔を向けている「トリガー」。
「トリガー」の視線の先にいる、やけに気まずそうな表情を浮かべたイゾルデ。
「『──!?』」
『ああ、見つかった……こほん。どうしたオボルス小隊。全員注意が散漫じゃないか? すぐ側にいた私に気づかないとは』
「ななな、なんでイゾルデ大佐がいるでありますか!? ま、またミアズマの……?」
「この周辺のミアズマ濃度は低いわ。違う原因があるはずよ」
「イゾルデ大佐だけ……ではないような……」
そうして、「トリガー」は気づいた。
光が、自分の周囲を取り囲んでいることを。
イゾルデと同じように、自分の周りを、誰かが──覚えのある誰かが、取り囲んでいることを。
確かにそこに、誰かがいることを。
「皆、ここにいるのですね」
「──そっか」
その様子を見て、「シード」は、鋼鉄の腕に触れた。
「やっぱり、君はずっとここにいたんだ」
『……ああ』
「大丈夫だよ。僕はいつか君に追いつく──だから」
『ああ。お前の進んだ道を、いつかオレに聞かせてくれ』
あの少女と出会ってから、何度も「そうじゃないか」と疑っていたことがある。
彼女にもわからないくらい微かに、それでも彼は、「シード」のことを見守っていたのだろう。
「というか大佐、復活しすぎではありませんか? これで二度目だし……しかもその表情、自分でもそう思ってそうですし……いえ、自分は嬉しいでありますが!」
『やめてやれオルペウス。それにたぶんあの表情はそうではなく死後ずっと我々の傍にいたことがバレて恥ずかしいという表情だろう』
『うるさいな二人とも……今はそんなことより、やるべきことがあるんじゃないか?』
「……私の周囲の光も、同じようなものなのかしら」
そうして。
随分と大所帯になってしまったオボルス小隊はある少女の声に従うように、動き始める。
光が溢れて、空に舞った。
「あ~、すごい。死者の声の大合唱ですよ、まったく」
「ダイアちゃん、大丈夫? たぶんこの調子じゃ世界中でみんなワイワイしてるでしょ?」
『うむ。あの少女は世俗に疎い我輩でも知っているくらいの有名人であろう。ともすれば死者の国でも大人気やも知れぬ』
「大丈夫ですよお二人とも。このクレームに関してはそんなに気分も悪くなりませんし。あと死者の国ってなんですかあんたそのファンシーな発想」
「……そのクレームというのは、どういうものだ」
「あー、いたんですか、あんた……」
「お~、プロメイアちゃんも興味津々だねえ。で、どういう内容なの? まぁ聞かなくてもおおよそ想像はつくけど」
「じゃあ言わなくても良くないですか? あー、うそうそ、言いますよ、まったく」
ダイアリンは小さくため息をついた。
「み~んな、あの子を助けようって意気込んでます。あと『始まりの主』ふざけんなって」
「うーん予想通り。でもまぁ、ダイアちゃんも同じでしょ?」
「……ええ、まぁ」
全くバカらしい話だと思う。
まさかそう何度も会ったわけではない少女にここまで絆されてしまうとは。
ダイアリンはそう思いながらも、初めて会ったときの彼女を想いながら、光を空へと飛ばす。
きっと世界を救うであろう彼女が、致命的に変わってしまわないように。
「今の」
そしてその光を指して、プロメイアはダイアリンに問いかけた。
「どうやった?」
「はぇ? いや、なんかこう、えいって……」
「……答えになってない」
「わかんないですよ、なんかできちゃったんですから!」
「えい。あっ、できた」
『うむ。我輩も成功した』
「……何故……」
『あの少女は今、悔恨の中に沈んでいる。その暗闇の中に手を差し伸べれば良い』
「『始まりの主』ぶっとばしちゃえ~って、頭の中で強く念じればできるよお」
その言葉を聞いて、プロメイアは目を瞑って念じてみた。
歪な光がうにょうにょと形成されていく。
不格好でも光は光だ。そのまま、プロメイアは開き直って光を空へと飛ばす。
そもそも自分からあんな形とはいえ、光にあたるものが生まれる時点で奇跡のようなことなのだから。
「あ、綺麗になった。コツを掴んだみたいだねえ」
「……何故?」
光が溢れて、空に舞った。
「お~、できたできた。みんなは……あー、ちなっちゃん? もうちょっと力抜いたほうが……」
「な、なんか変な形になっとる!? なんでぇ!?」
「ご、ごめん羽ちゃん。アリアもうまくできてないかも……」
「わ、わー! 溢れる!」
「ふふ、じゃあこうしましょうか」
セシリアはそう言って、ちょうど左右にいたアリアと千夏の手を取った。
「こうやれば、みんなで一緒にできるでしょう?」
「せ、セシリア先生……! ……最初からこうすれば良かったんじゃ……?」
「まずは自分でやってみないと。そうでしょう?」
教え子の顔を順番に見れば、彼女たちはこくりと頷いて、そのまま瞳を閉じた。
「……なんかコミックみたいな展開になってきたね。ほら、『オラに元気を分けてくれ~』ってやつ」
「アホなこと言うてないで集中せーや」
「ボクはもう準備終わってるよん。ほら、頑張れ~」
「うぎぎぎ……! アリアちゃん! 絶対羽よりでっかく! ぜぇーったいやで!」
「うん……!」
「全員で一緒に作るのにでっかいも何もなくない?」
妄想エンジェルの面々はそうして顧問含め四人の力を合わせる。
今更、あの少女の心配はしていない。
絶望なんかに負けてはいられないから。
そして、奇跡を信じて疑わないから。
光が溢れて、空に舞った。
「ふむ」
手のひらに光を浮かべて、セヴェリアン・ローウェルは小さく頷いた。
「──っくく、似合わなさすぎっしょ……! 光って……! っひぇ、──あ、っス……あの、ハイ」
「シーシィア捜査官。無駄口を叩かない」
などと言いながら、セヴェリアンは自分の手の中を見つめる。
まさか自分がこのようなことをするとは──と、思う気持ちもあった。
だがまぁ、これが事態を解決するためになるのであれば否応もない。
むしろ──
光が溢れて、空に舞った。
ホロウの中。
溢れ出るエーテリアスを切り払い、敵影がなくなった頃、葉釈淵は新エリー都の方向へと視線を向ける。
「人を頼る──か。やはり似ているようで……本質は、逆なようにも思える」
自分の妹を思い出しながら、彼は空を見上げる。
あの少女と妹は、どこか似ているように思えた。
それでも、その性質はやはりどこか違っているようだ。
そんなことを思いながら、彼は胸の中にある光に目を向けた。
「僕なんかの手でよければ、幾らだって貸そう」
光が溢れて、空に舞った。
アレクサンドリナ・セバスチャンは、膝の上で眠るカリンの頭に手を乗せた。
疲れもあったのだろうか。彼女は疲弊のまま、いつのまにか眠ってしまったのだが。
結果として悲惨な光景を見ずに済んだのは、良かったのだろうか。
疲弊からか、椅子へともたれこんでいるエレンが、その様子を眺めて小さく呟いた。
「……なんか、普段と逆だね」
「ここ最近頑張っていましたもの。疲れが出たのでしょう」
「……ジューダスのことは心配してないの?」
「あの子なら大丈夫でしょう。きっと戻ってきますわ」
「……ま、それもそっか。それじゃ、あたしも寝ようかな……戻ってきたときちゃんと褒めてあげなきゃだし」
そう言って、丸まったエレンのことを、リナは止めなかった。
静かになった部屋で、リナは語りかけるかのように口を開いた。
「……ジューダスちゃん、わたしたちはここにいます」
それを、彼女が聞いているという、確信があった。
「あなたの帰りをここで、待っていますから」
光が溢れて、空に舞った。
結界を覆うほどの大きさの青溟鳥が、凄まじい勢いで衝突する。
一撃目は、儀玄の攻撃だった。
結界に大きくヒビが入り、そうして弾け飛ぶ。
「青溟剣気、九天を裂く──!」
間髪入れずに、青溟剣の力を解放した一撃が叩き込まれる。
リンが通るための隙間を作るために、範囲を絞って叩き込まれた一撃が、結界を叩き割った。
──結界に綻びが生まれ、穴が空く。
そしてそれが、凄まじい勢いで再生を始め、
最後に星見雅が一閃を叩き込んだ。
それはかつてサクリファイスを叩き切ったときのような、さながら世界を断ち切るような斬撃。
人が一人通れる──どころか、結界の前面を完全に破壊するほどの威力の一撃は、「パエトーン」が結界内部に突入する合図だった。
「「間に合え──!」」
二人揃って、走り始める。
結界の再生速度は常軌を逸していた。
先ほど一瞬空いた穴など、一秒もかからずに修復されてしまう。
だから、これほど破壊したのだとしても、リンたちが間に合うという保証はない。
そして。
先ほど穴が空いたときと、同じ速度で──結界の前面が再生する。
「──!」
走り出した直後には、ほとんど結界は修復されていた。
リンとアキラでは、間に合うような速さではない。
「それでも!」
「まだだ!」
だからと言って、諦めることはなかった。
二人は一切、足を止めることなく進み続ける。
そして。
突き刺さった
「──本当に。私、あの子の味方なんだよ──だからこれはちょっとしたお手伝い」
二人が結界の穴をくぐり抜けた直後、それは砕け散り、穴は完全に塞がってしまう。
「ジューダス!」
その声が、リン自身から出たのか、はたまた兄の叫びだったのかがわからなくなるくらいに必死だった。
「ジューダス──」
そして、リンの手が彼女に触れた瞬間。
力の奔流が、激しく吹き荒れる。
結界内部を満たすかのように、所狭しと暴れまわり。
「ぅぐ──!」
「リン!」
「だいじょ、ぶ──このくらい!」
リンの周囲の力が、少しずつ和らいでいく。
まるで暴走するかのように、目に痛烈な負荷がかかる。
苦痛の結晶は涙となって、目からこぼれ落ちた。
「──これが、インプラントに依るものなら」
そして、アキラは。
「
妹の手に、自分の手を重ねる。
力が、体内を駆け巡っていったのがわかる。
これをたった一人で支えていたのだというなら、それはどれだけの苦痛だったのだろう。
これまで妹が乗り越えてきた修羅場が、どれだけのものだったのか。
アキラは今、痛感する。
「ぐ、──!」
「お兄ちゃん!」
「大丈夫だ──そうだろう?」
「……そう、だね!」
そうして。
二人は顔を見合わせ。
「戻ってきてくれ──ジューダス」
「戻ってきて──ジューダス!」
目の前の少女に、声を呼びかけた。
こんな結末、間違っていると。
こんな結末、私は嫌だと。
直後、光が、世界を満たした。
「……あれ? 消えてない……」
なくなるはずだったはずの自分の体を見下ろして、サラは呟く。
ジューダス・ウィクスに魂を返還して、中身を維持できなくなった自分は消滅する。
それが彼女の思い描いた、完璧な計画。
あの状況で、誰にも阻止などできるはずがなかった。
「始まりの主」は肉体を喪って無力化できていたはずだし。
ジューダス・ウィクスは本来死に至る程度に、魂が損傷していたというのに。
自分の手を、見下ろす。
あの美しい少女の頭を撫でていた手は、少し震えていた。
死ぬと決めていたのに、いざ直面すれば恐ろしいもののようだった。
……いいや、それは。
瓦礫に押し潰されていたときから、ずっとわかっていたことなのだが。
「……そうね。ひょっとすると、私、罰を受けたかったのかも」
「それじゃあ、なおさら、生きてこそだよ」
声が、した。
かわいらしい、幼い声だ。
それが誰の声か、顔を見ずともわかる──サラにとって、殆どすべてといってもいいのだから。
美しい少女が、頬に手を添えてサラの顔を持ち上げる。
開けた視界の先。
そこに、一回り
「……どういうこと?」
正直、わけがわからなかった。
サラがこの空間に干渉できたのは、その魂の殆どがジューダス・ウィクスのものという縁を伝ったからである。
始まりの主が姿を消しているとはいえ、この空間に他人が干渉できるとは思えない。
そのサラの言葉の意図を察したのか、この美しい少女は、くすくすと笑って。
「──ふふ。家族ってのは心の繋がりだからね」
「……な、なんですかね……? 正直、カリンはどうしてここにいるのかわからなくて……」
「な、なるほど……? 随分とめちゃくちゃなことを……」
つまりこの少女は、自分の家族という繋がりだけを辿って、本来不可侵の場所に人を連れてきたというわけだ。
相変わらずめちゃくちゃなことをするものである。
「で、でも、私が今生きてるのはどうして……? それは、絶対にできないことでしょう?」
「ふふ。それも理由があるのだ」
なんだそのキャラ、とツッコんでいる場合ではない。
「前にカリンちゃんには話したね。『救世主の死には、信徒の裏切りが必須だった』って。救世主は死に、そうして人々の原罪を濯ぐ。あとは三日後に生き返ったりさ」
「……あ、言ってましたね。それが
「うんー」
そして、サラは気づいた。
それが救世主の物語だとするのなら。
それこそが救世主の完成だというのならば。
あの舞台に上がった時点で、この少女は
「──それじゃあ最後のピースをもらいに行こっか」
「……?」
その言葉の意味は、サラには理解できなかった。
カリンのほうを見る。
彼女もまた、わからないと言わんばかりに顔を横に振っていた。
「……最後のピースって?」
「ふふ。ちょっとカッコつけちゃった。本当はただ自慢したかっただけだよん」
いよいよ意味がわからなくなって、サラは疑問に首を傾げる。
「ということで──これが今の俺の家族だよ、
そして、彼女が声をかけた先に立っている二人と、目が合った。
「……君は、さぁ、本当に……!」
頭を押さえて、まだ若い──ジューダスとサラの、ちょうど中間ほどに見える女性がわずかに濡れた声を引き出した。
その隣に座っている、疲れたような顔の女性は──少女を見て、驚いた表情を、隠せないままでいる。
「本当に、めちゃくちゃなことをするよね……まったく」
はじめまして、と、女性は軽く頭を下げた。
「は、はじめまして……」
「はじめまして……?」
「うん。……そっか、こっちは一方的に知ってただけだけど、うん。あの子を助けてくれて、ありがとうございます」
そう言って、彼女ははにかんだ。
どこか、その表情は、美しい少女と似ているように見えた。
姉妹、なのだろう。
随分と顔立ちは違っているが、それでもその身に宿している雰囲気のようなものが、気の抜けたときの少女と近しく感じられた。
「お母さん」
「……私を、恨んでないの?」
そして、母と呼ばれた女性は。
「……。俺は今、幸せだよ。だから許す。それに知りたいんだ。俺の、本当の名前がなんなのか」
それは。
名前など、なんでもいいのだとかつて語っていた少女の言葉としては、随分と妙な言葉だった。
どういう心境の変化か。
それに思いを馳せて──カリンは、気づく。
「そうじゃないと、自分は自分だって、胸を張って生きていけないような気がする」
目の前の少女が、受け身なままではない──新しい生き方をするために、一歩踏み出そうとしていることに。
「そうなのね」
「そうなんだよ」
「……あなたは私に、最後のチャンスをくれるのね」
それなら、と彼女は言った。
「──
そうして。
光が溢れて、空に舞った。
激しい光が、世界中から集まってくる。
それが、想いとともに喪ったはずの魂を補っていく。
そうして、胸に突き刺さった槍を引き抜いた。
目を開くと、リンちゃんとおにーさんが目の前に立っていた。
二人とも土や埃で煤けてしまっている。
「──……おかえり、ジューダス」
「……おかえり!」
「うん、ただいま」
二人の手を取って、俺は空を見上げる。
空を覆い隠した闇の下で、まるで星のように光が煌めいている。
それこそ、人々の心が生み出した光で──この命を繋いだ光。
『──何が光だ! 何が心だ! そんなものに何の意味がある!』
それを拭き散らすかのように、空が捻じれ、雲の中から巨大な影が現れた。
喪った肉体を他のもので代用したようだ。随分と無茶をしているようだが、それを魂の力で無理やり保っているように見える。
しかし、この空はいただけない。
せっかく起きたというのに、随分と見栄えが悪いじゃないか。
「えいっ」
槍を振るう。
そして、
闇は切り裂かれ、一部とはいえ空の青が浮かび上がる。
うん。やっぱり今日はいい天気だ。
『──いつまでも、邪魔を──!』
「うん。邪魔をするよ。中途半端で、自分のやりたいことをはっきりと言えなかったような
だから。
そのまま、空へと舞い上がる。
空の巨人と、同じ目線の高さへと。
「それでも、進みたい未来があるんだ」
そう、だから。
こんな暗闇に、負けてなどいられないのだ。
──だから、