夜のランキング更新の前に執筆が間に合って良かったです。
白状すると、前世の自我に固執して頼っている割に、俺には前世の記憶がない。
嫌な記憶は勝手に忘れてしまうものだというし、もともと前世で生きていた実感はとんとなかったから、仕方ないのだろう。そもそも生きていた年数も短い。成熟した自我を形成できたのは、今生に入ってからのように思える。
俺がこの世界に転生したことを自覚したのは、たしか五年ほど前の話だ。幼少期の頃の記憶はなく、ホロウ災害で親を失くした孤児として意識を覚醒した。
残念ながら、この体の年齢は不明だ。まだ少女と呼ぶべき年齢のように思えるが、記憶がないのだから確証を持てない。
言えることがあるとするならば、俺がこの才能を使って金を集めると決意したときに、少女という段階を通り過ぎたんだろう。人はいつか脱殻して、大人にならなくてはならない。前世と通算したら、さほどおかしな年齢でもない。
才能を自覚するのは早かった。この世界で目覚めたとき、孤児院の人間を全員末期症状に追い込んだからだ。
当時は生きる目的もなかったから、この虚栄の城で朽ち果てるつもりだったが。前世の俺と同じような子供たちが揃って後追いをしそうなことに気づいてからは、目的を切り替えることにした。
俺の記憶を取り戻す前は、この才能の手綱を握れていたのだろうか。そもそもこんなものを持っていなかったのか。それはこうなる前の自分と話さないと、わからない。だがそんなことは不可能だ。だから、わからないままで終わる。
澱が溜まっていく。
息もできなくなる。
「──こんにちは、朱鳶さん」
ビデオテープの返却ついでに街を軽く散策しようと、カリンちゃんを連れだってルミナスクエアへ向かう。
駅から出たところで見知った顔を発見したので、声をかけてみる。俺の声に、弾かれたように顔がこちらに向く。
「……あなたでしたか。先日はどうも、ありがとうございました」
「気にしないで、ただの気まぐれだから。それで、あの人たちの経過はどう?」
「まだ二日ですが、すでに素行の良さで話題になっています。この調子でいけば減刑が考慮されるでしょうね」
そっか、それは良かった。
どうやら朱鳶さんは不服なようだが。
それは刑期が短くなることにか、それとも俺のやり方にか。それはそうだ。この世界においても私刑は許容されるものではないから。
「あは、俺はただお話ししただけだよ。心を入れ換えるのはいつだって当人にしかできないことさ」
「そう、ですね。ええ」
それでも、人は変わっていく生き物だ。
否が応でも変化はある。望んでいる、いないは関係ないのだ。
俺はただ、いずれ訪れる変化の方向を指定して、早めてしまっただけ。
──まぁ。
変わることは死ぬことと同じようなものなのだけれど。
人の根本はそう簡単に変わらないからこそ、その人たりうるのである。あんなふうに無理やり捻じ曲げられた精神の変化は健全なものなわけがない。
「……ところで、少し目が腫れていますが、大丈夫ですか? それに隈も……ちゃんと眠れていますか? そちらの、お付きの方も顔色があまりよろしくなさそうですし、体調には気をつけてくださいね」
「あは、大丈夫。明日にはたぶん治ってるからさ。というかよく気づいたね? 俺の顔、あんまりそういうの変わりづらいんだけどなぁ」
「か、カリンは、いつもこんな感じです……すみません……」
なんというか、細かいところをよく見ている人だ。気をつけることなんかを軽く教えてもらったあと、朱鳶さんはキビキビと去っていった。
残された俺とカリンちゃんは、なんとなく顔を見合わせた。昨日のことが思い出されて、ちょっと気まずい。
「大丈夫だよ、カリンちゃんかわいいから気にしないで」
「ふぇっ……あ、そ、その、ありがとうございます……カリンなんかに……」
「むー」
やっぱり、この子はどうも自分のこととなるとネガティブさが抜けない。
似た者同士のように思えて、おかしな話だが、少しだけ嬉しく感じる。
賛辞を正しく受け取れないのは、きっと俺と同じように、昔何かがあったからだろうか。
人間の性格は環境によって形成されるものだから。それにしては、彼女はかわいい性格をしていると思うが。
「……あれ、リンちゃんだ」
「そ、そうですね。何やらお話をしているようですが、大丈夫でしょうか……?」
何やら一方的に捲し立てられている様子だったので、少し心配になる。割って入ってみることにしようか。
「──記念旗はもらえたけど、そうじゃなぁーいっ! 私の五十万ディニぃ……どころじゃない……」
「もー、ほんとに危なかったんだから、何事もなかったことを喜ぼうよ……。あ、お姉さん! それに、カリンちゃんも!」
「ふぇ? ──っ?」
まぁ、この反応はいつものことなので置いておく。ディニーがどうこう、とのことだが、何かしらの金銭トラブルでもあったんだろうか。
「あー、それがね? この子、この間すんごい金額の短期バイトをやってて……でも、それが悪い人たちが暗号を共有するための仕事だったんだよね。で、それに気づいて治安局に行ったら、報酬で貰ったお金を全部没収されちゃったって感じ」
「そうなんだ。……んー」
金に対する執着を失ってしまった俺は、そんなことかとしか思わない。とはいえまだ学生くらいのようだし、それだけの金額は大きいものなのだろう。
それに、聞けば三日間無給で働いたということになるそうじゃないか。さすがにそれは可哀想に思える。
「なら、今度俺と一緒に映画を観てくれない? 一日拘束するかわりに、お給料を払うよ。いくらほしい?」
「ふぁ……、ん、じゃあ、二百万ディニー……」
「うん、それで。カリンちゃん、うちの住所教えてあげてよ」
「はっ、はい! ただいま住所を書き留めいたします!」
これでよし。
前世では俺も買い叩かれた経験があるから、なんとなく同情心が芽生えたのだ。このくらいの端金、気まぐれで溶かすにはちょうどいいし。
「……ふぇ? え、あ、あ、いいんですか!? ──はっ! まさかまた何かしらの犯罪に巻き込まれて、全部没収みたいなことに──」
「大丈夫、この人はそういう人じゃないから。……でもいいの? お姉さん。あくまでこっちの問題なのに」
「いーのいーの、お金なんて使うためにあるんだから。はい、これ住所ね。うーん、いつにしよっか……明日にしよっか。また明日、この住所の場所に来てくれる?」
「わ、わかりました……むぇぇ……」
少し
ぼーっとしたまま駅の方向に去っていく女の子に手を振って、「さて」、と俺はリンちゃんに向き直った。
「奇遇だね、リンちゃん。ルミナスクエアに何か用?」
「えっとね、HIAのVR訓練をしにきたんだ」
「へー、そんなのあるんだ。ちょっと気になるかも」
俺の運動能力はクソ雑魚だ。ちょっと歩いただけで足が痛くなるので、逐一休憩をしなくてはならない。
しかしVRであればきっと体力は関係ないので、最低限前世くらいは動けるようになるはずだ。
それに汗とかも出ないだろうし。
「お姉さん、あんまり運動とか得意じゃないよね? シミュレートしたデータがあれば、他の人の姿になって戦ったりできるよ!」
「へぇ」
その言葉に、俺の人生で一位を争うくらいの好奇と興味が湧いてきた。
「──VRってこんな感じかぁ」
HIA── ホロウ調査協会のキャリアセンターでは、ホロウ内部の環境を元にしたVRゲームを展開している。
今回はリンちゃんが持っていた、カリンちゃんのシミュレートデータを利用させてもらっている。つまり今の俺はカリンちゃんの姿だということだ。
模擬実戦、ということで、実際に戦闘を行うことができるらしい。軽くチェーンソーを振り回してみるが、どうやらカリンちゃんは相当な怪力らしく、あまり苦もなく振り回すことができた。すげぇ。
目の前にエーテリアスをシミュレートした敵がポップするのを確認。さて、俺にうまくできるだろうか。
シミュレートしたお手本の戦闘映像を見て、おおよそのスタイルは把握している。要するに、まっすぐいって殴るだけだ。
とはいえ、それが中々、
「難しいっ!」
非常に残念なことに、俺はゲームというものにまったく触れたことがない。命の危機に瀕したことはあるが……というかなんなら一回死んでいるが、ありとあらゆるすべてを統合しても、戦いの経験というものはない。
論争も、スポーツも、このような暴力沙汰の戦いも。
俺にはとんと経験がなく、つまり簡単にいえばド素人なのである。
いくら身体能力が優秀でも、判断能力は明確に差が生まれる。
──くそう、ここでも才能か。
訓練の問題なような気はするが、ともかく、俺は目の前のエーテリアスに対して明確に攻めあぐねていた。というか、攻撃を避けるだけで精一杯である。
だが、相手も躍起になって攻撃をしかけてきたからか、動きがゆるやかになった。ここがチャンスなのではないか? そう思ってチェーンソーを振りかざし、
「んぎゃっ!?」
握りが甘く、チェーンソーがすっ飛んで行きそうになったのを慌てて押さえて。
体勢が崩れたところを引っ張られ、すっ転ぶ。
「いたた……あっ」
そのまま転んでいるところを囲まれ、袋叩きにされた。体勢を立て直すこともできず、蹲ってやり過ごそうとしてしまったため、そのままHPがゼロになった。
要するに敗北であった。
「こなくそー」
「ドンマイ! でも、他の人の動きっておもしろいでしょ?」
「うーん……あんまりわかんないや」
結局、俺にはこういう戦いは無理なのだろう。
前世の関係で、暴力への憧れがある。けれど、根底ではそれを恐れている。
だって、痛いのは嫌だし、怖いじゃないか。
「残念ながら俺にはこういうの、無理そうだねぇ」
「あはは……まぁ、このVRゲームにのめり込んで、いろいろつぎ込んじゃう人とかいっぱいいるから。そういう人に比べたらよっぽど健全だと思うよ」
「た、戦うのはカリンがやります!」
「そんな機会、ないといいけどね」
ふう、と息を吐く。
少しだけ、安心した。自分がこんなふうに、戦えない人間であることに。
たとえば、生まれ変わったときにこの圧倒的な美貌ではなく、圧倒的な強さを持っていた場合、俺はきっとろくでもない人になっていたと思うから。
一度暴力で意見を通すことを覚えてしまったら、俺はそれに頼りきりになる。今、こうやって美しさとやらを振りかざして人の脳をクラックしていることからも簡単に想像がつく。
「リンちゃんはゲーム、上手いんだね」
「ふふん、私はゲームセンターのスコアランキングで上位の人間だからね! VRゲームも当然得意だよ!」
「すごいなぁ」
少し羨ましい。これで更にビデオ屋の店長もやっているのだからすごいと思う。
「いや、これはゲームの経験が一番大きいから……お姉さんも、ゲームを続けてれば同じようなことができると思うよ」
「そうかなぁ」
「でも、あんまり楽しくなかったんなら無理にやらないほうがいいかな。ゲームは楽しむためのものだからね!」
──たしかに、あんまり楽しくはなかった。
この間みんなで遊んだスネークデュエルは負けても楽しかったのに、なぜだろう。
ルールがシンプルだから?
それとも、生々しい質感が嫌だったからか。
昔を思い出してしまうからなのか、俺にはわからない。
その後、リンちゃんの誘いで火鍋屋「煮釜」というお店にやってきた。人気のお店らしく多少待ったが、お店の回転が速かったためすぐにお店に入ることができた。
運がよかった。
「あはは……」
「あの、プロキシ様……内緒にしましょうね……」
「うん、気に病まないでほしいもんね」
事前にリンちゃんが注文したものは、どうやらすごく辛いらしい。
ちょっと困る。
バカ舌で、美味しければなんでもいただけるような俺にも実は弱点がある。……辛いものが苦手なのだ。
既に嫌な予感に、体が竦んでいるのを感じる。そんな俺を見て、対面に並んで座っているふたりがこそこそ話していた。
きっと辛いの苦手なんじゃねって相談なんだ。きっとそうだ。
「……そういえば、カリンちゃんって、辛いもの得意?」
「……じ、実はあんまり……」
「その質問をするってことは、お姉さん、もしかして……」
「あは、俺が辛いの苦手そうに見える?」
「見えるよ」
「み、見えます……」
まったくもってその通りである。
「……早まったかなぁ」
「ってことはリンちゃんも?」
「いや、いやいや、辛いのは食べれるよ。でもちょっと、明らかにヤバそうな名前だったから……」
俺達三人の間に、妙な空気が流れ始める。
お互いに顔を見つめ合わせた。
「……ダメそうなら、助っ人を呼ぶよ。来てくれるといいけど……」
「あの、ぷろ……リン様。す、すでにほとんど諦めているのでは……?」
「あは、た、たぶん大丈夫じゃないかな……?」
結論から言うと、大丈夫ではなかった。
辛さに悶えつつ、ちまちまと鍋を減らしていくリンちゃん。
涙目になりながらも持ち前の責任感で頑張って減らそうとしてくれるカリンちゃん。
何口か食べた時点で涙目かつ汗まみれで手が止まった俺。
死屍累々である。
特に俺が死んでいる。
しかも汗だくなのでかなり危うい。早いところ拭わないといけないのだが。
残念なことに進捗は遅々としている。おわった。
「……うぅ」
しかしながら、この心優しいふたりの精神に影響を与えるわけにはいかない。
頑張って急いで食べ終えて、そして帰ってすぐにシャワーを浴びる。その後また外に出てビデオを返す。
よし、完璧なチャートを組めた。
あとはこの、目の前の敵を仕留めるだけ……!
「──うぅ、ぐすっ、ひぐ……ふ……っ」
伝説のプロキシ──「パエトーン」の片割れであり、相応に修羅場を潜ってきた、百戦錬磨の少女であるリンは、これまでの人生の中でも上位に入るほどの焦燥に襲われていた。
「からいよー……いたいよー……」
(──か……かわいすぎるっ!!)
目の前の美しい少女が、超超超超激辛の鍋を半分泣きながら食べている様子を見て、胸の奥の衝動がいつ表層に出るのかわからないからだ。
玉のような汗を涙とともに流しながら、それでもなお手が止められないというかのように、ちまちまと口に運び続ける姿。
美しいとかわいいは、似ていないようで似ている──というか、美しいの中に、かわいいが包括されるのだと、リンは直感した。
かわいい少女は大人になり、やがて美しい女性として羽ばたいていくのだから……。
「……むっ」
気づけば自分以外の手が止まっていることに気づいて、彼女がこちらに視線を向ける。不機嫌そうに細められた目が、じとーっとリンたちを映し続けている。
とてもかわいい。こっそりと相談しようと思い、リンがちらりと隣を見ると、
(か、カリンちゃん──ものすごい笑顔!!)
先程まで辛さに悶えて半泣きだったとは思えないほど満面の笑みを浮かべたカリンが、にこにこと、対面の少女を眺めていた。
バレエツインズで飛行船墜落を食い止めて、ビリーたちと別れたときのことを思い出す。
あのときのカリンちゃんも人好きのする、かわいらしい笑顔だったが……そのときからテンションを何倍にもしたかのような、もはや圧さえ感じられる、らんらんとした笑顔である。
「…………」
全く通用しないことを悟ったのか、おずおずと視線を下げて、再び鍋へと箸を伸ばす。その一連の動作がいかにも小動物のようで、リンはいつぞやに抱いた彼女への疑念も吹き飛ばされていた。
彼女に気づかれないように、カメラを取り出す。
そのままリンの人生史上最速でピントを合わせ、パシャリと一枚、鍋と格闘する姿を切り取った。
「──ふあっ!
「あ、えへへ……だ、ダメかな……」
「リン様、私にも複製をくださいねっ」
「んむーっ!? あうぇっ、むあー……んー……
辛さで舌が痺れているのか、うまく呂律が回っていない。
その姿すらもかわいさを助長して、リンは自分の笑顔が更に深まっていることを感じた。
後日見返して、とんでもない逸品を手に入れてしまったと騒動を起こしてしまう羽目になることを、熱に浮かされたリンはまだ知らない。