──今日は伽の日だ。
ベッドの中で、少しばかりの睦言のあとに、ただ眠るだけ。
自分の左右で眠りに落ちた男女をちらりと見る。
夫婦の間に俺がいる状況を、理解できない。けれど、こういう状況になることがある。
理由は様々だ。元々俺の魅了は性別を選ばない。人間であれば必ず多少の影響は受けるから。
だから、夫婦で美しさに触れにくる場合などが、ほどほどにある。まぁ、ともかく珍しいことではない。
今日の客は、ホロウ災害に巻き込まれた末に、エーテルによる侵食の影響で流産してしまった夫婦だった。
生まれてくることのできなかった命について、俺は意識を向ける。
生きることは、苦痛だった。
少なくとも俺にとってはそうだった。理由も、目的もない。指標を探すことも俺にはできなかったから。
だから、生まれてくることは必ずしも喜ばしいことではない。
それでもなお、痛ましく思ってしまう。自分の中の矛盾を実感している。
それは今、俺の隣にいるふたりが、子を愛する心を持っているからか。
俺にはわからなかった。
ただ、ふたりが、生まれることのできなかった子供を、俺に投影していることはわかった。
だから、ふたりが望むように、少しだけ甘えてみるのだ。それがなんの解決にならないとわかっていても、むしろ傷口をえぐるだけだと感じていたとしても。
今この場だけは、苦しみを忘れてほしいと思った。
だから、感謝するべきではない。
俺は優しくなんかない。
あくまでも、俺が勝手に思う自分の生まれ変わった意義に従っているだけ。
そんなものはエゴでしかないから。
ただ、この善良なふたりには、救われてほしいと願っている。
目が覚めて、朝食を終えた頃に。
ノックノックに一通の通知が届く。
リンはそれを見て、「おや」、と思った。
あの美しい少女からの連絡だった。どうやら今日、映画を借りに来店するらしい。
リンは即座に歓迎のメッセージを返す。
先日助けられたこともある。「Fairy」は彼女のことが苦手になっちゃったようだけれど、半分以上逆恨みだ。動揺してリソース確保のために都市のシステムに干渉、結果的にそれら全部をシャットダウンしてしまったのだから。
逆探知をされていないのはさすがといったところだけれど。
そうだ、今日はお兄ちゃんに任せて出かける予定だったけど店に残ろう。
などと決めて、バックヤードで待つこと少し。
「いらっしゃい──」
入店してきた客の姿を見て、声が止まった。
普段通り、彼女は美しかった。
けれど──どこかそれに違和感がある。
疑問に思考が止まったのはリンだけではない。兄のアキラも同様に、違和感らしきものを感じているようだ。
「──どうかしたの? お姉さん」
「あは。そんなことないよ、ほら元気、げんき」
頭の上に手を当てて、「にゃあ」と言ってアピールをする彼女。
かわいい。
じゃ、なくて。
間違いなく無理をしていた。
笑みを作る姿もどこかぎこちない。
とはいえ、巧妙に取り繕われたそれは、ほとんどの人に気付けないだろう。
先日の騒動で、彼女の美しさに慣れたことにより、多少の耐性を得たふたりだからこそわかるのだ。
「お客さん、顔色が悪いよ。無理してるんじゃないかい? 希望のビデオがあれば取り置きしておくから、帰ったほうがいいんじゃ」
「大丈夫」
「いや、でも……」
「俺は大丈夫だよ。心配しすぎだって」
アキラの言葉を頑なに否定する彼女には、おそらく何を言っても効果がない様子だ。
仕方がない。このまま映画を貸して、早めに帰って休んでもらおう。
「じゃあ……お客さん。どういうビデオがお望みかな」
「……楽しい家族の話がいい」
「それなら、『ザ・カールズ』一択だね! ドラマで、いっぱいシーズンがあるからちょっと長いけど……」
「じゃあ、それでおねがい。……シーズンごとに借りていこうかな、持てない気がするし」
レンタルの手続きを終えて。
そのまま去っていこうとする彼女に、リンは声をかけた。
「なんだったら、ちょっとだけ私の部屋で観ていかない? もちろん、時間があったらだけど」
半分ほど、ダメ元だった。
今日の彼女の感じからするに、受け入れてはもらえなさそうだったから。
それでも、いつも明るそうなそぶりを見せている彼女が落ち込んでいることが、リンには気がかりでならなかった。
彼女はいうと、少し迷ったように手を空に這わせて。
「じゃあ、そうしようかな。ありがとね、リンちゃん」
──大勝利である。リンは後ろ手にガッツポーズをして、兄と視線で喜びを共有した。
そのまま一緒にドラマを観終わった。
シーズンのすべてを観ていると一日が終わってしまうので、半分ほど観たところで区切りをつけて止める。
「はー、おもしろかったー!」
「そうだね、面白かった」
観ている最中に、彼女の顔色もどんどんと良くなってきていた。
リンはそれに、少し息をこぼす。
美しい少女の顔に浮かぶ憂いは、たしかに絵になるものだが──そんなものよりも、楽しげに笑っている姿のほうが、好きだ。
今振り返ってみれば、ゲームセンターで遊んでいたときの表情は、目に映るものすべてをまるで知らないかのように楽しげだったから。
「──そうだ、お腹空かない? よかったら一緒に、ご飯でもどうかな」
時間はちょうどお昼頃だ。まだまだ一日に時間はある。
彼女の気を晴らすには、充分すぎるくらいに。
リンの言葉に、彼女は少しうれしそうに、「うん」と言った。
「Random_Play」の隣には、麺屋「錦鯉」というラーメン屋が存在する。
リンとアキラのふたりもよく訪れる店で、いつ見ても誰かが席に座っているところが伺える名店だ。
昼時だからか、人の列ができているのを見て、リンはどうすべきか少し悩む。
「ちょっと混んでるねー。お姉さん、どうする?」
「リンちゃんはここに行きたいんじゃないの? 並ぶくらい全然いいよ」
と言って、彼女はさっと列に並んだ──周囲の視線をまたたく間に集め、列がまたたく間に倍に膨れていった。
店主であるチョップ大将の驚きの声が聞こえる。リンも、まさかこんなことになるとは思っていなかったため、まさかの事態に動揺した。
火鍋を食べにいったときは、元々数時間も待つような盛況ぶりだったために気づかなかったが、彼女の美しさというのはここまでの効果があるものか、と。
「ちょ、ちょっと手伝ってくる!」
「んえ……俺も手伝おうか?」
「んや、お姉さんはそのまま待ってて! 元々並んでたところまで捌けたら戻れるようにお願いするからっ」
というか、彼女が手伝うと余計に客が増えるだろう。リンの言葉の裏を感じたのか、どこかしゅんとしたような顔になった。これに関しては何も彼女は悪くない。どうしようもない事象なため、リンの胸が痛む。
ともあれ、チョップ大将に断りを入れ、注文を事前に集計する。かつてライカンと共に、ルミナスクエアのほうの麺屋「錦鯉」の手伝いをしたときのように。あのときとは列が比にならないほど長いのだが、それはまぁ仕方ない。
手伝いが功を奏したのか、それとも火鍋屋のときと同じ現象が起こっているのか、列はまたたく間に捌けていき、リンたちの番となった。
すでに列に並んだ人の注文の多くは集計し終わっている。
疲労感とともに、リンは椅子に座った。
その隣に、おずおずと美しい少女が座る。やはりその姿は、どこか気まずげだった。
彼女の美しさという仮面の上にも滲んだ表情の前に、チョップ大将がラーメンをドンと置く。
「ほらほら、そんな湿気た顔してなさんな! ほらよ、黒鉢燻製チャーシュー麺二丁だ!」
「うわ! ──大将、ちょっとトッピング多いんじゃない?」
「手伝ってくれた礼だよ。そっちの別嬪さんも、おかげさんで満員御礼だ! だからそんな落ち込みなさんなって」
「……そうですか? あはは、ありがとうございます。それじゃあいただきます」
「はいよ、召し上がれぃ!」
と、言って、彼女はラーメンを箸で掬いあげた。そのまま、ゆっくりと口に運ぶ。
一瞬唇をつけて、熱かったのか少し怯んだ様子を見せる。
そのまま何度か息を吹いて冷ましてから、緩やかにすすり始める。
「──!」
一瞬でわかるくらい、目の色が変わった。
落ち込んでいたのが嘘のように、顔に喜びの赤みが差す。
「リンちゃん、これおいしいねぇ」
「でしょ! 大将のラーメンは新エリー都いちだからね、私の血と言っても過言ではない……」
「おいおい、そいつは照れるじゃねーか」
これまで見たことがないほどの喜びの色だ。
普段の雰囲気とはまるで違う、年下の女の子のようなあどけなさに、リンはふと思う。
──そういえば、何歳なんだろ?
勝手に年上のように感じていたが、こうしていざ見ると、彼女は意外に幼いように見える。
背丈もそうだ。カリンとほとんど大差ないくらいである。雰囲気の影響か、話しているときは落ち着きのあるように感じるのだが。
実はリンよりも年下なのだろうか? そう思って視線を向けると、顔にもやや幼さが残っているような……。
「あは、リンちゃん……そんなに見られると食べづらいかなぁ」
「あっ、わっ、ごめんっ!」
危ない危ない、考え事に気を取られてしまっていた。
放置して麺が伸びてしまうのはラーメンに対しての冒涜である。できたて熱々のうちに頂いてこそだ。
気を取り直して、ラーメンに向き直った。
直前まで考えていたことは、頭の片隅にも残らなかった。
リンちゃんの勧めで、ホビーショップ「BOX GALAXY」へと向かっている。
駅のそばにあるからこれまで何度か通りがかったことがあるが、実際に店内に入ったことはない。
ホビーに興味を持ったことはないが、見てみないとわからないこともある。
そう思って歩いて、店の前までたどり着く。
「……あれ? ニコたちだ。みんな、何してるの?」
店の前にいた四人組に、リンちゃんが声をかける。知り合いか、と少し後ろに下がってみれば、彼らの視線は一斉にリンちゃんに吸い寄せられた。
「なんだ、あんたか──って」
「おお、店ちょ……っ」
「………………すごい、きれいな人」
最後の、猫のシリオンの子は、一言も発することなく目を丸くして停止していた。
うむ。
そうか。
猫か。
猫耳があるな……。
尻尾もあるな……。
「にょわぁ!? 獲物を見る目ッ!」
「ちょ、ちょちょちょちょっと落ち着きなさい! 暴れない! 別にとって食われやしないってば!」
「や、やべぇ……モニカ様と同じくらい食事に誘いたい相手になりそうだ……」
「ビリー、落ち着いて。そしてよく見て、あの服とんでもないくらい高いブランド品よ。あなたなんて相手にされないわ」
「おい、そいつはヒデェだろ! ……まぁ、事実か。んでも、なんでそんな人と店長が一緒にいるんだ?」
おっと、うっかりと意識が
治安局と関わった、あの事件の鎮圧に一回。
リンちゃんたちを助けるために一回。
高頻度で意識を切り替えているせいでどうやら安定しなくなっているらしい。
頬に手を当て、少し引っ張る。まったく、たるんでしまっている。
……よし、戻った。
外行きの笑顔を作り出す。
「あー、えっとね。この人はヴィクトリア家政のお客さんで、縁があってうちのお客さんにもなってくれたの。それで仲良くなった感じかな、さっきラーメンも一緒に食べたしね!」
「うげっ、ヴィクトリア家政……ってことはお金持ちってことじゃない?」
「うん。まぁ、見ての通りとんでもない大金持ちだね。ヴィクトリア家政を雇った理由も暇つぶしがしたいからだって言ってたし……」
紹介のあと、ピンクの髪の女の子と、リンちゃんがひそひそと話し始めた。
何を言っているのかは聞こえないが、彼女の目の色が変わったので、なんとなく察しがつく。
まぁ、リンちゃんの知り合いならきっと大丈夫か。
それにそもそも、お金なんて俺に必要なものではないから。
「で、お姉さん。この人たちは「邪兎屋」っていう何でも屋をやってるんだ。その関係で私たちもちょっと交流があるって感じ」
「へぇ、若いのにすごいね」
というか、リンちゃんのほうがちょっとわからないけど。
ビデオ屋なのにヴィクトリア家政と交流があったり、こういう何でも屋のことを知ってたり。
しかも見た感じ、彼らには「ちょっと」どころではないくらいの友好関係がありそうだし。
というか、この間大事件を起こした例の「超高性能AI」の件だってある。
俺が訝しげに視線を向けると、リンちゃんはどこか気まずそうに目をそらした。俺の疑念が伝わったのだろう。
──まぁ、詮索はするまい。
俺だって前世の話は誰にも打ち明けていない。
そもそも話すだけの中身もない人生だったから、言う価値がないだけだが。
それと同じようなものである。誰にだって秘密はあって当然だ。
「そうなの! 何だったらあなた、今この場で依頼をしてきてもいいのよ?」
「……え、いいの? それじゃあちょっと、その子の頭を撫でてもいい?」
「にゃわっ!? ま、待って! うぅ、それは……ニコ! 普通に受けようとしないで!」
「別にいいでしょそのくらい。ちょっと撫でられるだけでお金になるのよ? ほら、さっさと──こら、逃げるな!」
「違うんだって! 違うの! その……
「ああ、それは確かにわかるかも。いいなぁ、俺も頭を撫でられるだけの依頼受けたいぜ」
「需要がないから無理よ。でもそうね、猫又を撫でるだけでお金がもらえるなら楽でいいわ」
「わぁ、なんかすごいことになってる……」
「賑やかな人たちだねぇ」
どことなく、人の輪の中に入れた気がして、楽しくなる。
こういう愉快な人たちは、久しぶりに見た。
この姿になって以降、こんなふうに賑やかな誰かをたくさん黙らせてきたから。
なんだか、ちょっとだけ心が癒やされた気がした。
「ビリー! アンビー! あんたらも捕まえるの手伝って! こら、こっち、来なさい!」
「やだ! だめ! 絶対にノウ!」
それはそれとして、ここまで嫌がられるのはちょっと悲しい。
まぁ、うん。俺の魅了ってやっぱり毒だから。
大丈夫、俺が嫌われているわけではない。
……そのはず。
しばらくの後。
邪兎屋は猫又の尊厳を犠牲に降って湧いた高額の報酬に歓喜することになる。
そして、猫又の中に密かに甘やかされたい願望が生まれるのであった。
猫又の性癖をブレイク──。
これは撃破キャラですかね