土曜には投稿したかったんですがねー
異様な雰囲気だった。
誰もその美しい少女から目を離せなかった。
だがしかし、その理由は普段と違う。
目を離した瞬間、自分の中の決定的な何かが破壊されて、事実上の死を遂げると──本能的に直感したからだ。
その死が、脳の物理的な崩壊という形で訪れるのか、それとも自我を喪失し、生きているだけの肉塊として、
カリンですらそうだった。
おそらくこの世界で、最も彼女に対する耐性を持っているカリンでさえ、この異様な雰囲気に飲み込まれていた。
──死刑宣告は、まだ成されていない。
しかしそれも時間の問題だろう。彼らが弁明に失敗すれば、少女が息をするよりも気楽に殺されてしまう。
本来、彼女にとって人間とは
無意味で無価値。関心など向けるべくもなく、自然体で生きているだけで勝手に死んでいく。
人間に、そして善良に生まれ落ちたことが奇跡だった。
いや、むしろ彼女が善良であったからこそ、このような美しさが宿ったと考えたほうが自然だろうか。
故にこれは、異常事態なのだ。
この世すべての人間の心魂を凍てつかせてなお足りないほど、冷たい眼で微笑んでいる、美しすぎる少女は。
彼女は、誰の目にも明らかなくらいに、怒っていた。
「──護衛の依頼ですね。カリン、頑張ります!」
ふんす! とチェーンソーを携えたほうとはまた別のほうの手をぐっと顔の前で握り、気合を入れるカリンちゃん。
かわいい。
俺はそれに笑顔を返す。表情が崩れているのがわかる。きっと彼女からはへらりとした顔に見えているだろう。
こほん、と咳払いで息を整える。
「そんなに気負う必要もないよ。念の為の措置だし──別に俺には、護衛なんていらないからね」
まぁ、目隠しした人間に狙撃されるとかなら死ぬけど。
そんなことできる人間は基本いないし、やる動機があるものもいない。
問題があるとすれば、天災の類だ。それには美しさなんてものはなんの効力もなさない。すべて等しく踏みつぶされるのみ。
だからこそ、俺の一番の天敵はホロウになる。
エーテルに晒されるホロウ内は、エーテルに対する耐性を持たない俺には一番危険な場所だ。
新エリー都内に生きている時点でホロウ災害に巻き込まれる可能性はあるが、もし巻き込まれた場合には鎮痛剤がなければ三分も持たずに俺には重篤な侵食症状が発生するだろう。
仮に俺がホロウに入って、エーテリアス化したとしたら。
かろうじて制御できているだけのこの呪いはどうなってしまうのだろうか。
この間ホロウに入ろうとしたときは、一分もかけずに事件を解決する自信があったが。
今思い返してみればかなり早まった行動だと思う。
朱鳶さんは偉大である。
「そういえば、どちらへ向かうんですか?」
「んー……」
なんと言えばいいのだろうか。
古巣? 元鞘? 俺の城?
少しだけ悩んで、一番ありえない言葉を俺は、無意識に口走っていた。
「実家」
「ふぇ」
──実家? あれが?
俺を教祖みたいに崇めるやつらの集会所だろう。
そんなものを家と呼ぶのか。
呼んでしまえるのか、俺は。
先日、俺を買った夫婦を思い出す。
家族というのは、優しさと慈しみで結ばれた共同体であるべきだ。
あんなものは、家族なんかじゃ、断じてない。──と、思う。
「──違うかな。古巣だよ、俺が今の立場になる前の」
新エリー都の中でも、孤児院というのは珍しい。
そもそも多くの孤児はストリートで組織に絡めとられるというのが多くのケースだからだ。
だから孤児院にいる子供というのは、基本的には恵まれた生まれであることが多い。
俺はそうではなかったらしいが。ここに拾ってもらったのは、呪いの効果が大きいのだろう。おかげさまで今の生活があるから感謝はしてないこともない。
俺が定期的に金を送っているため、資金については潤沢すぎるほどあるだろう。
とはいえ俺がここら一帯を巻き込んで自殺する可能性のほうが高かったので、運が良いやつらだと思う。
「──さ、ここだよ」
電車から降り、少し歩いて。
目的地にたどり着く。
ここにはたまに来ているのだが、どこから察知しているのか、窓から無数の目が覗いていた。
視線に当てられたカリンちゃんが、チェーンソーを抱きしめて固まってしまう。
「ご、ごごご、御主人様……これは」
「あいつらどうやって察知してんだろうね。ま、いつものことだよ。慣れて」
「……は、はい……」
それだけ言い残して、俺は扉を開いて部屋の中に入る。カリンちゃんも同じように追随して、中の様子を見てまた固まった。
「ようこそおかえりなさいました、天使様」
院長と職員、そして年長者が並んで、俺の前に跪く。
「邪魔」
「申し訳ありません」
すぐに散り散りになっていく姿から目を背け、カリンちゃんの前で手を振ってみる。
ハッ、と気を取り直したあとに、俺を見る目に一瞬、変な色が映った。
「──カリンちゃん」彼女の頬を手で押さえて、顔を近づける。「違うからね、こいつらが勝手にやってるだけ」
「ふぁ、ふぁい……」
全く、ドン引きされたじゃないか。
ため息をひとつ。そのまま、俺は部屋の中に入っていった。
一階の大広間にあたる部分が、そのまま俺のための部屋になっている。そのまま部屋に入って、顔を顰めた。
以前に来たときから内部は様変わりしていた。
まるで礼拝堂のような作りだった。中心部に大きな椅子が置かれており、両手側に長椅子が置かれている。
そのまま正面を歩いていき、俺は椅子に座った。
わざわざ見にくる必要もなかったか、と思う。
わずかな感傷を契機にここにきたが、この様子じゃストレスが溜まるだけ。
全くもってめんどくさい。俺を崇めたところでなにかを返すわけじゃない。勝手にやつらが、ありもしない価値を得るだけだ。
すぐに帰ろう、と思いながら、椅子の上で脚を組む。
「天使さま」
と、そこで先程までにいなかった、年長組以外の子供たちが部屋に入ってくる。
何人か見覚えのない子たちもいる。
新エリー都という喧騒の街では、孤児はそう珍しいものでもない。
この世界はホロウという災害と隣合わせの世界なのだから。
「どうした?」
俺は椅子から立ち上がって、目線をあわせた。
身長は相応に低いほうなのだが、それでもまだ小さい子供なんかは俺の胴くらいの位置に顔がある。軽く屈んで話を聞く。
「……ううん。お話ししてみたかっただけ」
「そっか。今日は夜までいる予定だから、いっぱい話す時間はあるよ」
「──夜まで」
うん?
妙だな。俺が夜までここにいるのが嫌なのだろうか。
表情がちょっと曇った気がする。
それは今話しかけてきた少女だけじゃないようで、全員がどこか妙な雰囲気を放っていた。
しかしながら直後に子供たちの言葉の濁流が押し寄せ、その場の思考は中断させられる。
頭の片隅に違和感を残したまま、俺はひとまず話すほうを優先することにした。
子供たちと話したり、途中休憩してカリンちゃんと話したり。
カリンちゃんに子供たちが群がって、慌てているのを見て楽しんだり。
そんなことをしているだけで、あっという間に時間は過ぎていく。
久しぶりにこれだけ話した。今日だけで一生分喋ったような気がする──少なくとも、前世の一生分は喋っただろうか。
外はもう、すっかり暗くなっていた。
そろそろ帰ろうか、と立ち上がったところで、院長から声がかけられる。
「お帰りになられるのですか?」
「うん」
と、そう言ったところで、今日の子供の不審な様子を思い出す。
何かあるのか、と院長と視線をあわせると、彼は困ったように眉を寄せた。
「それは重畳。夜は危険ですから──お気をつけて、なるべく早く家に到着するように、寄り道せずに帰ってくださいませ」
「へぇ」
彼がなにか知っていることは歴然である。
指摘するべきか、わずかに迷ってから。
どうせ何も言わないだろうと思い直した。
「いこ、カリンちゃん」
「は、はい!」
「それじゃ、また来るよ。ばいばい」
それだけ言って、孤児院の外へと出た。
少しして振り返れば、あの場にいた全員がずらりと並んで、こちらに頭を下げていた。
「あの……お話を聞かないで、大丈夫ですか? 何か、隠していそうですけど……」
「話を聞いても、俺のためとか言って話にならないんだ──だから、いいよ」
「でも……あの院長さん、悪い人ではなさそうでしたし……これでもしお子様方に危害が及ぶような何かであれば、御主人様はそれを自分のせいにする方だと思います……」
「あは。悪い人じゃないって言葉は、別に善人を意味しないんだよ。それに、俺はそんなに優しくない」
「で、でも! カリンは信じたいです……! だって、あれだけのお子様の面倒を見るのって、すごく大変ですし……みんな、元気な子たちでしたし……」
それに、と続き。
「カリンは、御主人様が悲しむのを、見たくありません……」
その言葉を聞いて、いよいよ気まずくなった。
彼女の顔を直視できない。なんといえばいいのか、言葉がうまく出てこなくて、俺は吃ったまま何も言えなくなった。
「……ごめん、カリンちゃん。その、実はさ。このあと、戻って様子を見に行くつもりだったから、別に聞かなくていっかって思ってたんだけど……」
「え?」
「だってぇ……何かしら問題があるんだったら、あいつら絶対に俺に教えてくれないもん……その証拠を直に目撃しないとダメだし……」
「ふぇ」
「だからそんな、カリンちゃんが不安に思うようなことは起きないっていうか……」
「……………………」
俺がだらだらと言葉をつなげていくたびに、カリンちゃんの顔が少しずつ下がっていく。
こちらとしても同様で、居心地の悪さに俺は口をもにょもにょとする。
「……すみません、さっきのは忘れてください……」
「うーん……がんばるよ」
俺がそういうと、彼女はがっくり項垂れた。
「──行きましたね。じゃあ……」
完全に姿が見えなくなったのを確認する。
彼──院長は、自身の背後に控える職員に、振り向くことなく声を掛ける。
「備えなさい。この場所はなんとしても守らねばならない」
美しい少女のことを思い出す。
院長にとって、彼女は救いそのものだった。少なくとも、自身が生きている理由を見つけることができたから。
「──さて、プロキシさん。ここまで付き合っていただき、誠にありがとうございました」
『報酬ぶんの仕事をしただけだよ。気にしないで』
物陰からひょこりと飛び出してきたボンプから、人の声がする。
ボンプを通じて依頼をこなすプロキシというのは、初めてだ。そもそもそんなことができるということにも驚きである。
インターノットのランクは低かったが……ひょっとするとサブアカなのだろうか? ともかく、必要だった情報を手に入れてくれたのだ。
敵対している相手の情報を。
ホロウ内を本拠地にしている相手なせいで、正確な規模を測りかねていたのだ。
そこで利用したのがプロキシだ──当然、本拠地を監視するということなので、相応の危険が付き纏う。
受けてくれる相手を探すのも一苦労だ。
そこに名乗りを上げたのが、このプロキシであった。
おかげで戦闘の想定も立てられる。
このプロキシは、更にここでも知恵を貸してくれた。
この孤児院の恩人と言っても良い。
『うまくいくといいけど……』
「子供たちは皆優秀です。天使様に仕えるための研鑽を怠るものは、ここにはいませんから」
『……天使様、ね。確かに彼女をそう呼ぶ気持ちもわかる』
「ええ。彼女は、私達にとっての天使です」
院長は、彼女と初めて出会った日のことを思い出す。
突発的なホロウ災害に巻き込まれる。
気づいたときには、
このまま出ることもできず、エーテリアスと化して死ぬのだと、そう覚悟していた。
そこに、彼女が現れた。
『大丈夫? おじさん』
『きみは──』
美しい子だ、と思った。
長い髪を靡かせ、丈の合わないローブで、彼女は姿を現した。
今のような、脳を焼かれるような鮮烈な美しさではない。あのときの彼女は、感情豊かで、ころころと表情が変わって……。
純粋無垢、という言葉が、一番似合っていた。
『迷っちゃったの? うん、助けてあげる』
『……帰り道が、わかるのかい?』
『
『か……神様?』
彼女は、その言葉に振り向いて、言った。
笑顔だった。
『そう、神様。信じてれば、ぼくたちは救われるって。お姉ちゃんが言ってたよ。ぼくはこれまで真面目に生きてきたから、きっと神様は助けてくれる。とりあえず、あっちにいこ!』
『…………』
子どもの戯言だと、そんなものに命を懸けるのか、と。
冷静な部分ではそう感じていた。
だが、彼女から目が離れない。
見た目じゃない。そうだ、中身だ。それが何より、最も清らかで美しいのだ。
理屈ではなかった。彼は少女についていった。
ものの数分で、ホロウの外へと出ることができた。
『ほら、出れた! じゃ、他の人も助けなきゃいけないから……あれ、どうしたの? おじさん』
『……君には、帰る場所があるのかい?』
『え? この中だよ』
そう言って、彼女は先程までいた
『──。もしも。もしも君が良ければ、私の家の子にならないかい?』
『え……いいよ! あは、家かぁ。うれしい! ぼくと同じくらいの子どもはいる?』
『ああ。たくさんいるよ──私の家は、君みたいな子たちをいっぱい養っていてね。きっと良い友達になってくれるはずだ』
『やったぁ! 友だち……えへへ、楽しみ……』
それじゃあ、と彼女はホロウの入り口まで早足で歩き、直前で院長のほうへと振り返る。
『行ってきます! すぐ戻ってくるね、
──そう言って、彼女はホロウへと消えていく。
じっと見ていた。そして考えた。
神というものが、本当に存在するのかはわからないが。
それを信じる少女に命を救われた自分はいて。
彼女は、美しくて、驚くほどに無垢で。
少なくとも、あの子が神を信じるというのならば。
その神はきっと善良で、素晴らしいものなのだろう。
「──彼女はね。神様みたいな良い子でしたよ。その彼女自身が謙虚に神を信じているから……だから私達は天使だと呼ぶのです」
『へぇ……というか、お姉さんがいたんだ』
「私と会う前に、既に亡くなってしまったらしいですが……姉もまた、神を信じる敬虔な信徒であったようです」
『──話はここまでだ。どうやら相手方も動き出したようです』
その言葉で、気を引き締める。
そうだ。我々の使命は、やるべきことは今なんだ?
ここで戦って、あの少女の居場所を守ることである。
程なくして、数十人の男達が現れた。
構成員全員で向かってきたようである。事前想定と変わらない結果に、まずはひとつ安心する。
「立ち退けって言ってたが……どうやら痛い目を見たいらしい」
「痛い目を見るのは貴様らのほうだろう」
「──ま、いいか。おいお前ら、年寄りは要らねぇ。売れそうなやつ以外は加減しなくていいぞ」
「…………」
この区画の治安局は、頼れない。
そもそもこの孤児院も、やっていることだけを見れば向こうと変わらない。
故に頼ることはできない。
あの美しい少女を市場に乗せたのは、院長自身だ。
本人の要望もあったが、何故あそこで自分がそれを許してしまったのか、今になってもわからない。
「──ここを守れ! この、天使様の帰る場所を──!」
「天使だぁ? そんなもんいねーよ! イカれ野郎どもが。いるなら見せてみろよ! 見た目が良けりゃ俺らでかわいがってやる」
怒りで頭に血が昇る。
用意を手伝ってもらった武器を持ち、戦闘が始まる。
子供たちは後方で狙撃を。
死んでも良い、我々職員たちは──盾だ。
自分たちが足止めすることができればできるほど、勝ちの可能性は上がっていく。
「──弱いなぁ、院長さんよ」
結論から言おう。
総長以外は撃破したのだが、総長のみは倒しきれなかった。装備の差か、銃弾も思ったより通らない。
首を掴まれ、持ち上げられる。
それだけで、弾は止まった。
誤射を恐れて、だろう。このような状況になっても構わず撃てと言っていたのに……。
仕方ない。用意してあった最後の手段を使うしかない。覚悟は一瞬だった。
そう思って、体に巻きつけていた爆弾を起動しようとして──
ぬるり、と。
間違えるわけがない、彼女の気配がした。
ボンプと接続し、この状況の改善策を考えていた少女──リンは、戻ってきた少女を見て、心臓を掴まれたような気分になった。
「なにこれ」
その一言だけだった。
その一言だけで、院長の首を掴んでいた手から力が失われた。
孤児院の全員が飛び出してきて、院長の背後で跪く。
その手に持っていた武器を見て、倒れている人たちを見て──最後に、頭から血を流している院長を見て。
それはありえない事態だった。
彼女の周囲から、世界が捲れるようにして壊れていく──そんな姿を幻視する。
世界の規格から外れている。
そんな印象を受けた。
気絶していた人間が全員起き上がり、そして震え上がる。
この現象が、ただの美しさによって齎されたものとは、誰も信じないだろう。
何が起きたらこうなるのか、と。
リンはこの瞬間、なんとなく理解した。
(──つまり……お姉さんは、『美しさ』を放って、相手に情報を叩きつけてる?)
今回の場合、それが
そんなことができるなんて信じられないが。
その次元に至るには、見るだけとか、認識するだけでも害になりうるようなものでなくてはならない。
そんなことができるものが、仮にあるとするのなら。
それは──神様以外にありえないのではないだろうか。
(……いや、違う。目が眩んでる。お姉さんは、こんなに綺麗でも
──それに、一緒に遊んだとき、あれだけ楽しそうだったんだし。
神様なんて言って、距離を置くのが一番ダメだ。
そうやって独りになるのが、一番悲しいことだから。
「──院長。何をしてた?」
「孤児院を……子供たちを奪おうとするこ奴らと戦い、守っていました」
「そう。なんでここを奪おうとしたの?」
「……む、昔……ここの子供が、とんでもない額で売られたって聞いたから……金になると思って」
「それで、力ずくで、奪おうとしたの」
彼女の目から、色が消える。
何かが不味い──そう思った瞬間。
カリンが後ろから、彼女の手をぎゅっと抱き込んだ。
「……カリンちゃん?」
「……………………っ」
尚も、彼女は変わらない。
目線が向けられたことで一層強く美しさに晒されたカリンは、それでも怯むことなく彼女の手を抱きしめ続けた。
「……」
その姿に、少し気分が落ち着いたのか。
威圧感にも似た強烈な感覚は、少しずつ収まっていく。
「……金があったらいいんだ」
「──えっ、? あっ、ぁ……?」
「じゃああげる。だから、今日は」
目線が動いた。
「帰って」
どんな目線だったのか、リンからは見えなかった。
向けられた相手は、仲間を引き連れて瞬く間に消えていった。
そして、気配が霧散する。
彼女は、院長の前に立った。
リンはその顔を見上げて、ああ、と思った。
「なんで黙ってたの」
「あなたはここを出ていった。今回の件は無関係です。我々の生存競争に、関わる必要はない」
「発端は俺のせいじゃん。それに……俺がいれば簡単に片付いたんだよ」
「あなたのせいではありません。決断を下したのは私で、私の罪だ。いくらあなたといえどそれは奪えない。知れば今のように気に病むでしょう? それは私達の望むことではない」
「──俺は部外者かよ」
一度収まった怒りが噴き出すのと同じく、全てを飲み込む魅了が空間に満ちる。
一切の嘘を許容しない、彼女の領域内で。
院長は一切怯むことなく、返した。
「大切で、心配だからこそ言えないこともあります。あなたが私達を疑ってこっそり戻ってきたのと同じように」
「──んぇ」
領域は一瞬で崩壊した。
瞬く間に顔は赤く染まっていき、世界で一番美しい少女は世界で一番かわいい少女に進化した。
かわいい。
「というかあなた、私が想像してたより何倍もここに愛着あるじゃないですか」
「ばっっっ! えっっっ! ばっっっ!!」
わたわたと慌て始めた彼女が周囲に視線を向ける──そこでようやく、ボンプの存在を認める。
「あれ、このボンプって……リンちゃんとこの……?」
「あっ……」
カリンが何かを察したように、疑問に首を傾げる彼女を見る。
そしてリンと顔を見合わせ、お互いに頷きあった。
『ンナンナ!』
「なんでこんなとこに……リンちゃんに返しにいかないと。……あれ? どうしたのカリンちゃん」
「な、なんでもありません! 私がお預かりいたしますね!」
カリンがボンプをばっと持ち上げて、そのまま小声が聞こえないくらいまで離れた。
「プロキシ様、録画をお願いします」
『うーん……またうちの設備エラーしないかな……まぁいいや。私も見たいし』
一旦緩んでしまった空気に、こほん、と咳払いの音がする。
気を取り直そうと、眉を寄せて表情を無理やり固めた彼女が話し始めた。
「……こういうときにはさ。ちゃんと教えてほしい。仲間はずれにされてるみたいで嫌だ」
「わかりました。それでは、これからは遠慮せずあなたを頼りましょう」
「あとさ、みんな言う天使様とか、あの礼拝堂みたいになってる部屋……やめてほしい」
「無理です」
「やめーや」
また一瞬感情が昂ぶり、ため息と共に掻き消える。
「そんなさ、怪我しないでよ。みんなを巻き込んで自殺しようとした俺がいうのもなんだけど、やっぱりやだよ」
「この程度、すぐに治りますよ。ですが……荒事は、これっきりにしたいですね」
「死んだら泣くぞ。すんごく泣くぞ」
「……全く。大丈夫ですよ、孫の顔を見るまでは死ねませんから。皆が立派に巣立って、ここの意味がなくなるまで──私は死にません」
「そっか」
そう言って、彼女は院長の傷に触れた。傷ついた職員の中でも、彼の傷が最も深い。
それを認識した少女の顔には心配の表情が色濃く映っていた。
彼が初めて会ったときと変わらない、混じりけのない純粋な感情だ。
ある日を境に変わったように見えて──その本質は一切、変わっていなかった。
「じゃあ、気をつけてね」
少し、何かが喉に支えたような表情で口ごもり。
「また来るよ──お父さん」
そう言って、踵を返して後ろ手を振るのだった。
ここから先は、後日談。
敵対してた団体に適当に手持ちの金の一割くらいを払った。そしたらなんか全員が改心して足を洗い始めた。
まぁ、良いことだろう。向こうが良いなら、今更俺が怒る必要もない。
やったことは許さないけど、改心したならそこから彼らが如何に善行を残すかで判断することにする。
それと、リンちゃんにボンプを返却した。
なんかやたらとニコニコしながら応対された。あれは一体なんだったんだろう。
俺はというと、いつもどおりにのんびりと日々を過ごしている。
一度は忘れられたはずの、あの夫婦のことが頭にずっと残っていた。
だから、俺も、今生での実質的な家族と呼べるだろう孤児院へと行くことにしたのだ。
「──ふふ」
昨日のことを思い出す。
初めて、院長とちゃんと話せた気がした。
親とか、そういうのは、未だに正直よくわかってない。
孤児院のみんなを家族と認めるのも、まだ心の整理もついてない。だって家族は怖いから。
それでも、この関係を言い表すのだとしたら、家族が一番近い気がする。
俺を天使だなんだと持ち上げてくるのは、嫌だ。
だって、そんな大層な人間じゃないから。
それでも。
それでも。
俺を、大切だと言ってくれたのは、うれしかった。
前回今回がエージェント秘話、火鍋回とかが信頼イベントみたいなイメージです。