──やっぱりおかしい。
先日の一件を振り返ってみて、カリンはそう思う。
「リナさん、■■様が過去にいたという孤児院に行ってみたのですが……扱いは悪くない、むしろ良いものだったと思います。本人は、崇められたりするのが嫌なようでしたが……」
「ふむ……となると、孤児院以前になにかがあった……?」
「その可能性はありますが……可能性は低いように思えます。実際に院長様からのお話を聞いたのですが、拾われる以前の■■様は
「あら? でもあのお方のエーテル適性は……ふむ、なるほど」
といって、リナはなにかを納得したかのように頷いた。
今の情報から何がわかったのだろう? カリンは疑問に首を傾げる。
「到底信じられない話ですから、ピンとこないのも無理ないですわね。──エーテル適性は変動します。成人を迎えれば安定する傾向にあるけれど、そうでないなら病気や心理状態の影響を受けてしまう」
「あっ……で、でも、ホロウ内に長期滞在できるほどの適性値が一気に一桁台まで下がるなんてこと……」
「エーテル適応体質検査の基準で言えば、九十以上の状態から一桁まで落ち込んだ……ということになる。まぁ、信じられない話ね。でもカリンちゃん、これは逆説的に──」
勿体ぶるつもりはないのだろう。ただ、言い淀んだだけだ。
だがしかし、それは確実な間となって、次の言葉をより深く胸に突き立てる結果になった。
「
「……ぁっ……」
「今、再度適性検査キットを使えば、結果は変わっている可能性もありますわ。でもそうでない場合は……心理状態が未だに良くない、という結論になるでしょうね」
カリンは、目の前がゆらりと揺れたような気がした。
足元が崩れ去るような感覚。自分の中で抱いていたシンパシーが、一体どういうものだったのかを直感して、気分が悪い。
つまり彼女は、それだけ精神状態が悪い状況ということなのだ。
カリンが彼女の精神状態について知ることは、さほど多くない。
本来手段であるべきことを目的にしてしまうような。
夢があったことも素直に言えなくなってしまうような、なにか。
素直に相手に甘えることもできない──
「──あっ」
つまり、原因はそれだ。
孤児院の人間は彼女を天使と崇めていた。待遇も悪いものじゃなかったはずだ。
けれど、彼女にとってはそれが問題だった。
彼女を頂点として据えてしまった集団では、彼女は誰かに心を開くということもうまくできなかったはずだ。
それは孤児院の人たちが嫌いというわけではない。
むしろ好意を持っていたということは、この間のやりとりからわかる。
しかし、自分の行動の結果が彼らに多大な影響を与えるということがわかってしまった以上、彼女は気を抜くことができなかったはずだ。
その結果深く思い詰めてしまって、自殺を図った──が、皆を巻き込んでしまうことを悟ってそうはしなかった、と。
一番必要な鍵は──
「姉……お姉様がいらっしゃったらしいと、聞きました」
「まぁ、そうなのですね」
「リナさん……■■様のお姉様役をやってみませんか……!?」
「まぁカリンちゃんったら完全に変な方向に行っちゃったわね」
ルミナスクエアのコーヒー屋に行ったときのこと。
リンちゃんと、知らない女性が話し合っている場所に遭遇した。
「あ、お姉さん」
「おはよー」
というやり取りをしていると、リンちゃんと話していた女の子が慌て始めた。
「お姉さん……っ!? ちょっ、新人ちゃんっ、この人は……!?」
「えっと、仲のいいお姉さんかなぁ」
「仲のいい……ま、まさか私と競合している……? いや、でも新人ちゃんには良いことよね……そうよね……いやでも……」
「ねぇリンちゃん、この人どうしたの?」
「あー……えーと……」
「あなた、どっちがこの子のお姉ちゃんに相応しいか──競いましょう!」
「なんでこうなっちゃうの……」
姉バトル、勃発──。
という幕は二秒で終わり。
なんかよくわからないやり取りがあった結果、何らかの誤解が解かれたようで、話がそこで終わった。
気づけば俺は彼女とふたり、リンちゃんのお姉ちゃんという結果に落ち着いたようだ。
「どういうことだったの……?」
「気にしないで。というか気にしちゃダメだよ、お姉さん」
気にしたら負けなのだろうか。
というかコーヒー飲みに来ただけなのになんでこんなことに……。
「お姉さんもコーヒーとか飲むんだね」
「うん、まぁ……」
勿論、普段は飲まない。
そもそも出歩かないのだからそれはそうなのだが、今日に関してはちょっと理由があった。
夜に同衾があるのに、昼夜逆転してしまったのである。
だから早いうちにカフェインを入れておいて、夜にちゃんと眠れるようにしなきゃならない。
という事情を話すと、リンちゃんはちょっと驚いたようにこちらを見てきた。
「寝不足なんだ……にしては顔色とか全く変わってないけれど。一体どんなケアを……」
「そんなの生まれてから一回もしたことないよ」
「……………………そりゃそっか」
なんだろう。すごくなにか言いたげな顔だ。
しょうがないじゃん、そういう体質に生まれちゃったんだし。
「いや、そういうところも含めてお姉さんはきれいな人なんだなって」
「ふぅん……?」
「まぁでも、そこまで羨ましくはないかな。お姉さん、結構それに振り回されてそうだし」
俺を見て、リンちゃんはそう言った。
「俺もこんなの、ないほうがよかったよ」
「……でも、私は全部を引っくるめてお姉さんだと思うよ。だからほら、お姉さんもないほうが良かったなんて言わないで」
「あは、そうだね。カリンちゃんにもよく注意されるや」
自虐はほどほどにしないと。
とはいえ、これはもう癖みたいなものだ。
顔が良いだけで、俺自体には価値がないと、どうしても思ってしまう。
だって、俺にはできないことばかりなんだ。
もともと必要とされてなかったのに、どうして今更自分を肯定できるんだろう。
結局のところ、そこなのだ。
いくら俺が生きようとしても、この世界でやりたいことを探そうとしても、前世の記憶がまとわりつく。
どうしようもないんだ。
なにかをやろうとするのが怖い。
なにかになれる気さえしなくて。
こんな自分を肯定したいのに、自分じゃできない。
「──お姉さん、こっちを見て」
頬を、温かい手が覆う。
意識を現実に向ければ、リンちゃんが俺の頬を両手で覆っていた。
「落ち込んでるときに悪いことを考えたら、それに飲み込まれちゃうよ。徹夜してるからかな、気分もどんよりしちゃう」
「……でも、今寝ちゃだめだし……考えないって、できないし」
「……じゃあ」
リンちゃんの手が離れると、すぐに俺の顔は下がってしまう。
首に力が入らない。前を見るのが、難しい。
そんな自分さえ嫌になって、だんだん死にたくなってくる。
「他にやることあったら、考える余裕もなくなるよね」
「んぇ……?」
「カリンと、エレンに連絡したよ。どっちも今から来れるって」
リンちゃんが立ち上がって、俺の手を引いた。
つられて俺も歩き出す。
彼女は体ごと振り向いて、笑って言った。
「楽しいことをしよう! そしたら考えなくて良くなるはずだよ!」
──その姿が、夢に見た誰かに似ているように見えた。
視界が、少しだけブレる。
きっと寝てないせいだろう。
俺は何度か目を瞬かせて、自分をそう納得させた。
「あ、来た」
「リン様、御主人様!」
ルミナスクエアの駅前で手を振っているふたりと合流する。
ちょうど近場にいたようで、先程動き出して駅に向かうだけで合流できた。
「予定とか決めてないんだけど、ふたりはなにかおすすめある?」
「うーん……適当に歩くのもいいけど……目立つし、どうしよっか」
「ど、どうしましょう? おふたりはご希望の場所などありますか……?」
「うーん、あんまり考えてなかったんだよねぇ。なにか楽しいことでもできたらって思ったんだけど」
全員でどうしようか、と考え、ここでエレンちゃんが提案する。
「今日は結構時間あるし、一回カラオケでも行って、それで次どこ行くか決めない? ここじゃ目立つし……」
「いいね、賛成!」
カラオケ。
行ったことがないから初めての経験になる。ちょっと楽しみだ。
問題があるとしたら、俺はあんまり歌えないだろうという部分だ。
ここにいるメンバーは俺の魅了に対抗できるくらいの精神力を持っているだろうが、リンちゃんはもう殆ど最終段階まで行っているだろうし。カリンちゃんはあまりわからないが、ちょっと怖い。
ここふたりは今更歌ったくらいでなにか起きるようにも思えないから大丈夫だろうけど、エレンちゃんはあんまり交流がないから心配だ。
カラオケの店内に入る。
ドリンクバー付き、フリータイム。料金はまぁ、気に止めるほどでもないくらい。
たった四人なのにちょっと大きな部屋に通されたようで、中は窮屈じゃない。というか、逆に広くてちょっと困るくらいだ。
中に入ると、リンちゃんが慣れたようにマイクと曲を入れる機械を持ってくる。
そしてエレンちゃんが慣れたように料理を注文。
カリンちゃんと俺は何をすればいいのかわからずに隅っこでおどおどしている。
「えーと……最初に歌う人はいな……そうだね。じゃ、私が入れよっか」
そう言って、リンちゃんがさっそく曲を入れ始める。
そういえば、人の歌声を聴くのなんて久しぶりだ。
いつぶりなんだろう。記憶を遡ってみて、思い出しちゃダメだ、
頭が一瞬痛くなる。
「……?」
一瞬頭を抑えたら、それだけで消えてしまった。
何が起きたのだろう。
「御主人様……大丈夫ですか……?」
「あ、うん。大丈夫だよ」
俺が奇妙な動きをしたからだろうか。隣に座っていたカリンちゃんが心配そうにこちらを眺めていた。
妙だ。寝てないせいだろうか、今日はさっきから体の調子が悪い気がする。
いや、意識自体は鮮明だし、体も一切違和感がない。
しかし、妙に意識に問題が起こっている。
「……大丈夫?」
「あは、大丈夫だよ。気にしないで。そういえばエレンちゃんは歌わないの?」
「んー……普段歌わないけど……ま、たまにはいっか。珍しいメンバーだし……」
と言って、エレンちゃんが次の曲を入れ始める。
カリンちゃんはどうだろうか、と思って目を向けるが、彼女はどうやらあまり乗り気ではないようだった。
仕方がないので俺が入れることにする。
こないだ歌った曲を送信。
──少しして。
一回歌い終わった頃に、注文していた料理が机の上を埋め尽くした。
一旦休憩、ということで、料理を摘みながら話すことにする。
「……なんか普段より美味しい気がする……」
「そうなんだ?」
「あー、なるほど……」
リンちゃんが一瞬こっちを見た。
俺も一口適当に食べてみる。
美味しい。
「あんまり人前で歌ったことないんだけど、ちょっと恥ずかしいね」
「お姉さんって見られるの慣れてるし、あんまり気にならないかと思ってた」
「気になるよ、そりゃ。知らない人の目線はどうでもいいけど、友達だったらちょっと恥ずかしい」
──友達。
そっか、友達か。
自分で言っていて納得した。
前にゲームセンターで遊んだときに楽しかったのか。
なんでVRゲームで遊んで、あんまり楽しくなかったのか。
友達と一緒に遊べたからだ。
だから、下手くそでも楽しくできたんだ。
ちょっと前の自分だったら、こう素直に言えなかったかもしれない。
……本音で話すというのは怖いことだ。
実際、俺はこころを閉ざして、嵐をやり過ごしてきた。
だから自分自身の本音もわからず、見逃してきてしまったのだろう。
「……うん。友達だから、恥ずかしいけど……それも面白いや」
そう言って、俺は笑った。
リンちゃんは嬉しそうに、ちょっと照れて。
エレンちゃんは普段のクールな感じを崩さないけど、やや気恥ずかしそうな顔をして。
カリンちゃんは、満面の笑みでこっちを見ていた。
笑顔で話せた。
ここに、一切の偽りはなかった。
もう、いいかな。
──この世界に、救いというものはあるのだろうか。
ホロウという未知数かつ超弩級の災害が世界を覆った、この世界で。
神に見放されたような、そんな世界で。
仮に救いというものがあるのだとすれば、それはどんな形をしているのだろうか。
その日、新エリー都は不自然な喧騒に包まれていた。
原因は不明だった。どこか妙な胸騒ぎが、市民を無秩序な噂話に駆り立てていた。
その喧騒の中で。
「──……■■様?」
たった一人、カリンだけが理由を直感する。
急いでDMで連絡を取る。
返事はない。
上司に連絡を入れ、家に向かう。
幸い、緊急事態ということは伝わったのか、ライカンは即座にカリンの行動を許可した。
家にたどり着く。
いつ見ても大きすぎる家だ。
人が一人、一生を暮らすには十分すぎるくらいの設備が整っている。
カリンは、そのまま家の中に入っていく。
この時間なら……寝室にいるのだろうか。
いや、まずはリビングを探そう。
そう思って、歩き出したところで。
廊下の向こうから、目的の少女が歩いてきた。
「──おはよう、カリンちゃん」
普段通りの声で、口調で、彼女は言葉を投げかけてくる。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「──■ソ様……」
唯一、違う部分がある。
ああ、間違いなく違う。
決定的に。
元々、人間とは思えないような美しさだった。
だがもう手遅れだろう。
隔離しても意味がない。
新エリー都全土に、この魅了は薄く漂っている。
彼女が制御を外してしまえば、新エリー都の人間は全員孤児院の者と同じ状態になってしまうだろう。
「何が、あったんですか?」
「ちょっと、説明するのが難しいな。……そうだね、言えることがあるとすれば……」
──死ななきゃいけなくなった。
彼女はそう言って、笑った。
昨日とは全く違う。
正気だとは思えない、悲しい笑みが浮かんでいた。
メインストーリー想定です