私は子供を作れない。
性行為が出来ない──という意味ではない。生殖能力が欠陥しているのだ。次世代へ遺伝情報を伝えられない、というのは生物として致命的な欠陥であろう。
この身体に流れる血、或いは遺伝情報は数十、或いは数百、数千代に渡って連綿と受け継がれたもの──そのバトンを持ったまま、悠久の、そして壮大な旅路を終えるのも一興なのかもしれない。
幸いにも私は物書きとしてそれなりには適正がある、とは思う。おそらくは。きっと。──あまり自信はないし、自惚れたくもないが。
私が創作活動などに傾倒しているのは、受け継ぐことが出来ない生命としての遺伝子の代わりに誰かの心へ僅かな傷を残し、確かに自分という一個の人間がこの時代に存在していたのだ──それを記憶して貰いたいが為、なのかもしれない。
約20年前──まだ艦これ、或いはアズールレーンと言った過去の艦船が擬人化される各種コンテンツが誕生する以前の話である。
武蔵の元乗組員が生存している。それも祖母の実家の近所に──それを祖母の口から聞いた時、私の胸は高鳴った。無論、不謹慎であろうが当時の私は中学生男子。いわゆる
生存者の情報を知った切っ掛けは祖母方の親族が亡くなった際、その思い出話を聞かされていた時に彼女自身がふと記憶を蘇らせてくれたのだ。
その亡くなった親族というのも特攻で戦死した兄へ向けて毎年、返信の来ない手紙を書き続けた女性だったそうだ。
戦艦武蔵──言わずと知れた大日本帝国海軍は大和型戦艦の2番艦だ。
その誕生から最期まではインターネットが爆発的な普及を開始する以前でも一定の興味や関心を持つ者であれば周知の通りだった。
しかし生憎と現在ほどオタクやマニア──特に軍事関連のそれへ対する興味・関心は現在よりも冷ややかに見られていた時代である。
現在も相応の蔑視や差別的な視線に晒されるのは珍しいことではないにせよ、当時は更に顕著であった。
いずれにせよ、私は祖母に連れられ、彼女の親族の通夜へ参列する運びとなる。
現在の宮城県栗原市若柳の武鎗──これで《むやり》と読む。
当時はまだ昔を感じさせる閑静な町並み、というよりも小さな集落であったが、現在はどうなっているのか。
親族の通夜に参列し、その足で祖母に案内されるまま目的のお宅へ。
祖母の実家から数軒と離れていなかった。祖母がそのお宅のチャイムを鳴らし、暫く待てば玄関の戸が開く。
「──あぁ、泰子ちゃん」
泰子、とは祖母の名だ。玄関の戸を開けてくれたのは老人──後から聞いたが、当時で既にだいぶの高齢であった筈だが腰は曲がっておらず、口調も明瞭。随分と
小野寺氏──老人こそが武蔵の乗組員だった人物だ。
茶の間へ案内されると、まず目に入ったのは額縁に入れられた武蔵の写真だ。そしてその額縁の中には軍服を纏った青年の小さな写真がある。
「──若い頃の俺だよ」
なるほど、面影があった。本人なのだから当然だろうが。
「──アンタも着てるその詰襟の学ラン見てると懐かしくなる」
軍服であったから、だろうか。
茶を振る舞われ、祖母と並んで腰掛けると小野寺氏が笑う。
「──それにしてもこんな若い子に話を聞きたいって言われたのは初めてだ」
「御迷惑をお掛けします」
現在になって思い返せば、随分と無礼であっただろう。通夜に参加したことからも分かる通り、お宅へお邪魔したのは20時過ぎだったのだ。夜分遅くの訪問だったにも関わらず、快く迎え入れてくれた小野寺氏には感謝しかない。
聞きたいことがあったら答えよう、と促された。ここからは彼──小野寺氏と私の対話になる。世代を隔て、戦争を知る者と戦争を知らない者──何処まで理解し、解釈が出来るのか──などと葛藤があれば格好は付いたのだろうが、生憎と若過ぎたこともあって知的好奇心を抑え切れなかった。
「──レイテ沖海戦当時の階級と戦闘配置を教えて貰えますか」
「おお、いきなりだ」
一瞬だけ小野寺氏が驚いた様子を見せ、続けて軽く笑った。単刀直入すぎたのかもしれない。
「──当時は二等兵曹で戦闘配置は一番主砲だったね」
「一番主砲──ということは…46
「そう。46
小野寺氏は飾られている写真を指差しながら頷いた。しかし、なるほど。センチ、ではなく、サンチ、なのか。
「…戦闘中に主砲の天蓋に爆弾が衝突して跳ね返した、と本には書いてありましたが、本当ですか?」
また頷かれる。第一次空襲の際、武蔵に対して投下された爆弾五発の内、四発は至近弾、もう一発は一番主砲の天蓋に命中──したのだが、不発だったのか天蓋に弾かれているのである。
「一回目の空襲の時、武蔵は主砲を撃たなかった──と思う。対空砲弾はいつでも装填できるように、と砲塔長の指示はあったけど」
「…対空砲弾?…三式弾、ですか?」
「そうそう、三式弾。対空砲弾って呼んでたよ」
非公式の呼び方なのだろう。後々に調べたが、公式記録にもその呼称はない。
「──戦闘中はやたら身体が揺れた。何発かの至近弾や魚雷を喰らって艦が揺れたのもあるんだろうけど、回避のジグザグで何度も転舵してたのが原因だろうね」
主砲の出番は第二次空襲。第一次空襲で──その理由は証言によって異なるが、艦橋にある方位盤照準装置の台座が歪んで旋回不能となり、全主砲塔の統一射撃が不可能となった中、各主砲塔での射撃である。
「──人間よりも大きな砲弾がせり上がって来るんだ。そいつに信管を取り付けてから、装填機で砲身に押し込むんだ。その後に薬嚢がせり上がって来て、これも押し込む」
勿論、一連の手順を実施するには人間の操作が必要なのだろう。小野寺氏が言うにはあれだけ大きいと武器や兵器と言うよりも
発砲の衝撃は凄まじいものであった、と彼は湯呑を傾けながら口にする。
「砲塔の中にいてもドーンと凄い音と衝撃があってね。耳栓していても凄かった。若いのなんかは気絶しちゃって平手打ちして叩き起こしたよ」
第二次空襲で武蔵の主砲三基九門が遂に咆哮する。射撃の際、それを事前に知らせる警告音が間に合わず甲板上で戦闘配置へ就いていた兵員に多数の死傷者が発生した──それを知ったのは後になってからだったと小野寺氏は語った。
当時の話は進む。一番主砲の中砲(三門のちょうど中央)の砲内で装填された砲弾が暴発してしまい、砲が使用不能となった話は初耳であった。
「空襲が何度も続いて武蔵も爆弾や魚雷を何発も喰らった。侵水も発生して艦が傾く度に注水で傾斜が復元する。その繰り返しだった」
「まだその時は沈むとは思っていましたか?」
「いや、思わなかったね。だって傾斜が復元するんだもん。──砲塔の外に出た時、やっと甲板の地獄絵図を見て〈これは沈むな〉と思ったくらいだ」
地獄絵図──そう表現した小野寺氏は急須から湯呑へ茶を注ぎ足しながら続ける。
「──甲板一面が赤黒く染まっていて、あちこちに人の腕や脚が千切れて転がっていた。爆弾の爆風で吹き飛ばされたのか、砲塔の装甲に水兵が叩き付けられて──それこそぺしゃんこになって死んでいたよ」
この頃には艦首側から沈下。一番主砲にまで海水が迫っていたという。
「火災も発生していたけど、直ぐに消火できていたと思う。その後は命令で
地獄絵図──と表現した彼の物言いは決して過大なそれではなかったのだろう。想像するしか出来ないが、当時の貧相な私の想像力でも、この世に顕現して良い光景ではないと分かった。
「……総員上甲板──総員退艦が下達されたのは何時頃ですか?」
「…夜の7時過ぎ、だったと思う。傾斜がキツくなってきた頃だ。身動きが取れる乗組員が後部甲板に集合してマストから旗が降ろされた時に一気に艦が傾いた」
身動きが取れる──重篤な負傷者は艦内、或いは甲板に置き去りにせざるを得なかった。
「…言ってはいけないだろうけど、手足が千切れて、目も見えなくなった負傷者に手を貸せる程の余裕はなかった。見殺しにした──言い訳はしない」
それを見殺しにした、と非難は私は決してすまい。今までがそうであったように、これからもだ。
「海に飛び込んだ。艦から少しでも遠くに行こうと懸命に泳いだ。ここまでくれば、と振り向いたら武蔵の艦底が見えた。ひっくり返った形だったんだろう。あれだけ大きな艦が海に沈むなんて信じられなかった」
沈没に伴う大渦に小野寺氏は巻き込まれた。シブヤン海の海底へ沈み逝く武蔵へ引き摺られる格好で渦に身体を揉みくちゃにされ、服が剥ぎ取られたという。
「溺れかけたから海水と重油を沢山飲んでしまって、運良く海面に上がって来ても腹がパンパンで苦しかったのを覚えている」
重油が浮かんだ海面。顔も全身も重油に塗れた。小野寺氏は数時間ばかり漂流したが、無事に駆逐艦に救助された。
「救助されても安心は出来ない。救助された安心感で緊張の糸が切れた瞬間、そのまま死んでしまう水兵もいたからね。投げて寄越されたロープに掴まって甲板に引き上げられたら、平手打ちを何発も喰らったよ」
その後の──駆逐艦に救助された後のことは聞かなかった。いや、聞けなかった、というのが正しい。壮絶な体験に言葉が出なかったのはその通りだが。
「泰子ちゃん──アンタのおばあさんのお母さんの弟も海軍で長門の乗組員だったのは知ってる?」
「…それは知りませんでした」
「言ってなかったっけ?」
初耳、である。祖父方の親族の大半は陸軍関係者が多く、そのほとんどが激戦地で戦死を遂げているのは知ってはいたが祖母方の親族についてはあまり知らなかった。後に知ったことだが、祖母方の親族は海軍関係者が多く──やはり多くが戦死していた。
その祖母の母親──私から見れば曾祖母の弟も戦死している。
小野寺氏とお話したのはこの時、一回のみ。非常に残念なことだが、この数年後、鬼籍へ入られた。
「──これからの日本をお願いするよ。若いアンタ達が頼みなんだ」
別れ際、小野寺氏が口にした言葉が思い出された。