ん、ドクターを犯す。
バーの扉が開いたのは、夜も更けてしばらく経った頃だった。
バーの中は控えめな音楽と他の客たちの囁き声が混ざり合い、どこか居心地の良い閉ざされた空間を作り出している。
柔らかいオレンジの照明が、木製の家具と磨き込まれたカウンターを温かく照らし、微かに流れる何処のものとも知れない穏やかな旋律が、そこに一層の落ち着きを与えていた。
そこでただ一人、カウンターに座る女性は、手の中のグラスをゆっくりと回している。
主に“市長”と呼ばれる事の多い彼女は、青みがかった髪が柔らかく肩にかかる、少女と見紛うような若々しい容姿。
その目には軽い翳りが浮かび、時折グラスを傾ける仕草に内心の思索が滲んでいる。
「…疲れが溜まってるのかな?」
ぽつりと誰に言うでもなく呟き、再びグラスを傾ける。酒の香りが僅かに鼻腔を満たし、喉を通り過ぎていく感覚が一瞬だけ心の疲れを忘れさせる気がした。
彼女の横顔はどこか儚げだった。
いつもの飄々とした表情は鳴りを潜め、その青い瞳には僅かな憂いの色が宿っている。
手にした琥珀色の液体が揺れるのを見つめながら、市長はそっと息をつく。
「まぁ、ここのところ忙しかったからね……」
自らに言い聞かせるように呟いたその声は、店内の空気に吸い込まれるようにかき消された。
その時、入り口近くから控えめな足音が聞こえた。
市長は振り返らずも、手元のグラスを揺らしながらその足音が近づくのを感じる。
「──こういう所に、一人でいるとは珍しい」
穏やかで低い声が後ろから響く。
市長は顔を上げ横に座る影を見ると、その表情に少しだけ笑みを浮かべた。
「ドクター……戻って来てたんですね」
彼女は淡々とした口調で言ったが、どこか親しげな響きも感じられる。
「あぁ、つい先日にね……隣、いいかな?」
「良いですよ~」
ドクターは軽く頭を下げると、静かに彼女の隣の席に腰を下ろす。
フードを少しだけ後ろに下げ、カウンター越しにバーテンダーを目で呼んだ。
「市長と同じ物を」
短いやりとりの後、ドクターの前に氷入りのグラスが置かれる。
それを一口飲みながら、市長をちらりと見た。
「それで……どうでした? 世界を旅してみて」
市長はグラスを置き、興味深そうに隣の男を見つめる。
ドクターは少しだけ考えるように視線を遠くにやり、それからゆっくりと口を開いた。
「思った以上に、今の文明の姿を知ることができた。十分に有意義なものになったと思っている」
市長はその答えに頷きながら、手元のグラスを軽く揺らして中の液体を回す。
「なら良かったです、色々と工面した甲斐がありました…………そういえば、同行者たちはどうしたんですか? アーミヤちゃんと、サベージさんでしたっけ」
その名前を出した瞬間、ドクターは一瞬だけ視線を下げた。
氷が溶け始めたドリンクの表面をじっと見つめるようにしてから、静かに答える。
「アーミヤは、バベルで引き取ることにした。レム・ビリトンの感染者への対応を見れば、あのまま放り出すことは出来ない……」
ドクターはグラスを持ち上げ、一口飲む。
その後、少し息をついて答えた。
「サベージは…………ただの協力者だ。バベルやカズデルの混乱に巻き込むわけにはいかない」
故に置いてきた、と、目線を落としたドクターが静かに呟く。
「君の方はどうだった?サウスリムは大分拡大しているようだが……」
市長はグラスを置き、少し考えるように指でカウンターをトントンと叩いた。
「まぁ、順調です。街の整備は相変わらず進んでますし、領地経営もまぁ悪くないです。外交面で多少ゴタゴタはありますが……少なくとも、すぐに火がつきそうな問題は特には」
ドクターは静かに頷きつつ、微かに眉をひそめる。
「それは良かった……が、君自身の気分は、あまり優れないように見える」
市長は彼の言葉に驚いたように目を見開き、それからふっと息をつく。
「えっ、そんな雰囲気出てました?私……」
市長は小さく笑い、グラスをカウンターに置いた。
その仕草はどこか疲れているようにも見える。
ドクターはグラスをゆっくりとカウンターに置き、そのまま軽く息をついた。
「すまない、市長。余計なお世話だったかな」
ドクターの声は柔らかく、しかしどこか遠慮がちな響きを含んでいた。
市長は、その言葉に一瞬目を伏せたが、すぐに小さくかぶりを振った。
「いえ、別に隠すようなことでもないし……えーと、何と言いますかね……」
そう言うと、彼女は軽く肩をすくめて笑う。
だが、その笑顔には少しだけ自嘲の色が混じっているようにも見えた。
「私って、結構ノリと勢いで動くタイプなんですよね」
市長はグラスを持ち上げると、中の液体をわずかに回しながら、言葉を続ける。
「都市の運営も領地の拡大も勢い任せと言いますか、正直確固たる目的があった訳でもなくて、やれそうだからやった~みたいな感覚だったんですよ」
彼女はグラスを口元に持っていくが、飲むことはせず、ただそのまま視線をカウンターの奥へと向けた。
「で、一旦落ち着いて辺りを見回した時、急に現実感を実感したんです」
ドクターはじっと彼女の言葉を聞いていたが、彼女が一息ついたところで、優しく問いかける。
「現実感……か」
市長は少し考えるようにしてから、静かに頷く。
「はい、そうですね……現実感です。最初はゲーム感覚で楽しかったんですよね。やりたいことが次々に形になっていくあたりとか。でも、ふと気がついたら、あぁ、これは現実なんだな~……って」
グラスをカウンターに置き、片手で軽く額を押さえた。
「…………すみません、いきなり訳のわからない話をして。飲んでたらつい、口が軽くなっちゃったみたいです」
ドクターは微笑みながら首を振った。
「いいや、気にすることはない。悩みを言語化するのは有効な対処法だ。それに…………私にも似たような経験がある」
「……ドクターも?」
「あぁ、そうだ」
ドクターは目を細め、遠い記憶を思い出すように静かに語り始めた。
「長い眠りから目覚めた時、それまで知っていた世界とは全く違う文明が目の前に広がっていた。自分がどこにいるのか、何をすればいいのか、まるで現実感が無かった」
ドクターが、そのまま視線をグラスに落とす。
「世界を旅して、人々の生活や文化を見ていくうちに、段々とこの世界に自分が存在するという感覚を覚えてきた。だが、目の前の現実を受け止めるのには、結構な時間が掛かった」
市長はその言葉を聞きながら、じっとドクターの横顔を見つめていた。
声に感情を乗せにくいドクターが、ほんの少しだけ感情を交えて話しているのがわかったからだ。
「……それで、今のあなたは……現実を受け入れられたんですか?」
彼女の問いに、ドクターは微笑みながら答えた。
「正直なところ、まだ迷っているのかもしれないが……少なくとも、今の世界で何をすべきかは理解しているつもりだ」
作風には合ってないかもしれませんが、とりあえず市長をドクラブ勢にというか、せめて心理的な楔を打ち込んでおかないと即座にテラ滅亡RTAを始めてしまいお話にならないので。
田舎の家族と共に戦火に巻き込まれるスージーちゃんとか、トランスポーターの物資拠点ごと兵站爆撃で吹き飛ばされるスージーちゃんとか、都市への出入りの際に港湾攻撃の機銃掃射を受けるスージーちゃんとか、念願叶って笑顔を浮かべたところの頭上で熱核兵器が炸裂して幸せの最中に永遠に時を止められるスージーちゃんとか。
まぁ、希望者が多いならIFとかで書くかもしれませんが。