戦術的勝利を以て戦略的失敗を覆すことは出来ない
───カール・フォン・クラウゼヴィッツ
荒れ地を踏み鳴らし、ウルサス軍の小隊が突撃を開始していた。彼らの叫び声が戦場に響き、風を切るようにPARADO陣地へと駆けていく。
──その瞬間、PARADO軍の塹壕から閃光とともに激しい機関銃掃射が始まった。
「伏せろォッ!!」
銃声とともにウルサスの先頭を走っていた兵の一人が叫ぶが、それに応じることなく最前列の“盾兵”が飛び出し、巨大な防盾を構えて、その強靭な脚力で疾走を続ける。
厚みのある金属とアーツ強化された盾は、容赦なく叩きつけられる機関銃弾を受け止め、青白い閃光を放ちながら火花を散らした。
「前進ッ、押し切れッ!!」
指揮官の怒声が飛ぶ。
ウルサスの歩兵たちが、盾に攻撃が集中した隙に乗じて前進する。
盾兵が受け止めきれない弾は地面をえぐり、兵の肩や足をかすめて悲鳴を引き出すが、隊列は崩れない。
「あそこだ……撃てッ!!」
隊の後方で弩を構えていた射撃兵が、矢のアーツ機構を発動させる。
矢は淡い紅光をまとい、空気を裂く音と共に機関銃陣地へと放たれた。
矢が着弾した瞬間、地面が盛り上がるように爆ぜ、PARADO兵の銃座が吹き飛ぶ。
土砂と血しぶきが混ざり、火花と煙が空に舞い上がった。
「今だァッ!! 突撃ーッ!!」
隊長の叫びとともに、ウルサス兵たちは最後の距離を一気に詰める。
盾兵の脇をすり抜け、手斧や短槍、剣を振りかざして塹壕へと雪崩れ込んだ。
PARADO兵が反応する間もなく、ウルサス兵が飛び込んでくる。鋭い叫び声、骨の軋む音、鋼鉄が肉を裂く鈍い衝撃音が交錯する。
「ぐっ……くそッ……!」
「援護しろ──うわっ!」
刹那の混乱のなかで、白兵戦の訓練と実戦経験に優れたウルサス兵が次々とPARADO兵を薙ぎ倒していく。
戦いは短時間で決着し、血と泥に塗れた塹壕には、ウルサスの勝者たちの荒い息と勝利の怒号だけが残されていた。
PARADO軍との戦いが始まってから、ウルサス軍はある重大な教訓を得ていた。
『密集陣形は砲火力によって容易に破砕される』
開戦直後……ウルサス軍は慣れ親しんだ重厚な陣形を用い、盾兵を先頭に射撃兵と術師を重ねた伝統的な密集隊形で進撃を行った。
だが、PARADO軍の砲兵はそれを待ち構えていたかのように容赦ない集中砲撃を浴びせかけ、戦列の中核を瞬時に吹き飛ばした。
凄まじい爆風と破片に飲まれ、兵たちは陣形ごと崩壊し、生き残った者たちも混乱の中で指揮系統を見失った。
それは、激甚な天災の最中に足を踏み入れたかのような無惨な光景だった。
その結果、前線の指揮官たちは旧来の戦列隊形による運用を即座に見直さざるを得なくなった。
以降、ウルサス軍の戦術は「分散」と「浸透」に重きを置くものへと変化する。
数人~数十人単位の小規模な戦闘部隊が、互いに緩やかな連携を取りつつ、敵の薄い戦線を探し、そこに強襲を仕掛ける。
盾兵が前面を制圧し、術師が支援、そして射撃兵と前衛が一丸となって敵陣に突入するという編成は維持されたが、その機動は遥かに柔軟かつ獰猛になった。
PARADO軍は優れた火力と射程を持つものの、肉薄されると反応が遅れる。
ならば、戦闘を「白兵戦の距離」に引きずり込めばよい。ウルサス兵はそう判断した。
そして、彼らは先民としての高い身体能力と、過酷な訓練で培われた近接戦の腕を最大限に発揮し、泥と血の中でPARADO歩兵を圧倒する戦い方へと適応していった。
突撃、肉薄、蹂躙………
銃声が剣戟に変わるその瞬間こそが、ウルサスにとっての勝利への道であると、彼らは理解し始めていた。
曇天の下、ゆるやかに漂うはずの風は、黒く濁った靄によって押し返されていた。
木々は枯れ、地表の草は黒変し、湿った土からは不快な熱と瘴気が立ち上る。
その靄の中心を、鋼の影が進む。
それはウルサス帝国の最精鋭、皇帝の利刃だった。
巨大な前線拠点を構えていたPARADO軍部隊の陣地は、突然発生したこの黒い瘴気に包まれ、瞬く間に機能を失っていった。
通信は乱れ、電子機器の多くが沈黙し、兵士たちは喉を押さえて咳き込みながら後方へ退きはじめる。
中には、靄に触れただけで装備が腐蝕し、崩れ落ちる場面さえあった。
部隊長格の声がPARADO陣内に響くが、もはや明確な指揮系統は存在せず、それぞれが独断での退避を始めていた。
その混乱を踏み越え、「皇帝の利刃」小隊は一気に突入した。
アーツかどうかも怪しい崩壊にて強化された刃が装甲を切り裂き、靄に包まれた双眸が無慈悲に敵を追い詰める。
死が、静かに、しかし確実に浸透していった。
だが、その利刃の一人──瘴気の中心でゆっくりと進む黒鎧は、ふと足を止めた。
それは、ここ数日間の戦いで感じた違和感によるものだった。
それは、以前までのPARADO軍とは、明らかに様子が違っていた。
中間無主地の戦いにおいてのPARADO軍は、一度崩れた場合そのまま総崩れとなり、ただ逃げ惑うばかりだったはずだ。
だが今、敵は撤退しつつも前線を維持し、後方から到着したと思われる新手の部隊が、巧みに態勢を再構築している。
その証左として、今まで快進撃を続けてきたウルサス軍の侵攻速度は落ち込んだ。
利刃の戦いも、全てを薙ぎ倒して飲み込んでいくようなものから、まるでモグラ叩きのような、あちらこちらと振り回されるようなものに変化していた。
「……只の有象無象ではなかった、か」
黒鎧の下で低く笑いが漏れた。
彼はこの数日間、同じ印象を繰り返し得ていた。
戦闘は、明らかに膠着し始めている。
押し潰すような一撃ではもはや勝てない。
敵は確実に、適応してきている。
瘴気を振り払うように、鋼の靴が一歩踏み出す。
彼は感じ取っていた────この戦争は、かつてのような一方的な征服では終わらない。
敵もまた、一方的にやられるのみではなく、抗いはじめているのだと。
……………少なくとも、“前線の駒”である彼ら皇帝の利刃は、そう考えていた。
陸上戦艦「ロジン」の艦内、中央司令塔に隣接する執務区画は、もはや「戦艦の一室」とは思えぬほど贅沢に装飾されていた。
赤絨毯に覆われた床、重厚な金属と彫刻の施された家具、壁にかけられたウルサス帝国の紋章────
そこだけは混沌極まる前線ではなく、貴族の屋敷のような威容を放っていた。
その中心にどっかと腰を下ろし、ワインのグラスを傾けていたのが、ウルサス侵攻軍の中心人物、ケルク子爵である。
皇帝陛下から全権を託されたと自負するこの男は、まるで宮廷の晩餐にでも臨んでいるかのような風体で、報告書の束を机に放り投げていた。
「戦線が膠着……まったく、誰も彼も大袈裟な事を……」
子爵は憮然と鼻を鳴らし、金縁の双眼鏡を片手に遠くの戦場を眺める大窓に歩み寄った。
窓の外では、黒煙を上げて進軍する帝国の軍勢が、荒野の彼方まで列を成していた。
「彼奴らの首都は、もはや目と鼻の先。敵が少し抗った程度で、我が軍が止まるとでも?」
軽く笑い、近くに控えていた参謀将校に向き直る。
「強引にでも突破させろ。戦線にもう一個軍を投入だ。損耗など気にするな、どうせ勝てば帳消しになる。帝国は"征服"を望んでいるのだ」
参謀が少しだけ眉をひそめたのに気づいたが、子爵は意に介さなかった。
「抵抗が強まっているのは、追い詰められている証拠であろう。勝利の前には、敵は必ず醜く足掻く。ただ、それだけのことだ…」
そう言って、子爵はワインの残りを一息で飲み干した。
「我がウルサスは、これまでも力でわが道を押し通してきた。それは、今も変わらん。潰せ、征服しろ。戦争とは、そういうものだ」
ウルサス帝国の歴史は、血と陰謀に満ちている。
このたびのPARADO侵攻戦争も、建前としてはチェルノボーグ事変の報復と安全保障を掲げてはいたが……
その裏では、「不死の黒蛇」と旧い貴族によって事前に周到に仕組まれた計画が動いていた。
ウルサスの上層部で陰に陽に影響力を及ぼすバイカル公爵。
彼が望んだのは、帝国の侵攻事業を復活し、さらに拡大させる口実であり…………もたらされる戦争で、内外の停滞を一掃しつつ征服による利益を獲ることだった。
現場で戦争を推し進めるのは、これまた陰謀の中心人物であるケルク子爵。
戦争の発端となった「チェルノボーグ事変」…………その惨劇すら、彼らの計画の一部であった。
つい先日、レユニオンと名乗る感染者組織が、ウルサスの新興都市チェルノボーグを急襲し、占拠した未曾有の事変。
一見、感染者たちの怨嗟による暴走のように見えたが、実際には体制側の手によって裏で武器・情報・都市防衛インフラの一部が意図的に放棄・漏洩されていた。
その手引きを行ったのが、バイカル公爵を始めとする旧貴族派の人間であり、「不死の黒蛇」が立てた戦争への計画だった。
「新皇帝による停滞を打破し、旧き良き摂理を取り戻す」
旧貴族はそう語り、混乱と恐怖を意図的に生み出すことで、ウルサス臣民の不安を煽り、敵愾心を外側に向け、その元でより多くの利益が転がり込むように画策していた。
その為の、「不死の黒蛇」コシチェイ公爵によって彼らにもたらされた計画である。
チェルノボーグの破壊、数万の犠牲、感染者問題の爆発……すべてが、戦争の火種として利用された。
そして対PARADO戦争もまた、その延長線上にある。
必要なのは、「恐怖」と「敵」と「勝利」。
その三つが揃えば、帝国は統制され、彼らの地位と利権は盤石となる。
「敵が増えようが、砲火が強まろうが、一向に構わん。あとは潰すのみだ。遅滞なく前進させろ」
子爵の命令が飛ぶたび、戦場の血はまた一滴ずつ増えてゆく。
だがその血の重さを、彼らが感じることはない。
彼らにとって戦争とは、道具であり、舞台演出であり、収穫の季節でしかないのだから。
「──まあいい。もうじき、奴らの防衛線も吹き飛ぶであろう」
子爵は地図の一角を軽く指差した。
そこには、PARADO本土と要塞線の最前面が描かれている。
そしてその少し西、空白だった地図の余白には、新たに加わる勢力の印が記されていた。
「リターニアの艦隊が、間もなく前線に到着する。あの連中の“お得意の技”を使えば、要塞線も土ごと消えるだろう」
参謀たちが静かに頷く中、子爵は杯を置いた。
彼の目には、すでに次の地図が見えている。
霧が立ち込める高原地帯。
沈黙と緊張が支配する中、リターニアの陸上艦隊はまるで幻のように姿を現した。
それは戦艦と呼ぶにはあまりに奇異で、芸術的ですらあった。
船体は滑らかな外板で覆われ、都市にある高塔のようなものが艦橋の代わりに屹立し、各艦には巨大な蓄音機のような構造物──巫術装置が備えられていた。
十数隻の艦が、特定の形に沿うように一定の距離を保って弧を描き、まるで陣形全体が一つの術式構造体のように展開されていく。
旗艦が静かにその中心に位置を取ると、艦隊全体に微かな震動が走る。
次の瞬間、各艦の巫術装置が微かに輝き出し……次々と、アーツの共鳴が始まった。
深く、低く、空間そのものが軋むような音。
見えざる波紋が空を撫で、雲を裂き、空気中の源石粒子が高出力で励起されていく。
「目標、敵要塞線一帯……発動!」
旗艦より発せられた指令がアーツ通信で全艦に届くと、各艦は一斉に膨大なエネルギーを外へと放射し始めた。
それはまるで、天空をかき混ぜるようなエネルギーの奔流。
天から降り注いだのは、稲妻と礫を伴う大規模な源石嵐。
空気そのものが押しつぶされるような大気の暴圧が地表を薙ぎ払う。
PARADOの防衛陣地が並んでいた場所は、後にはただの赤茶けた荒野へと変貌した。
天災………人工的に発生させられた災厄の力。
この技術こそ、リターニアが満を持して参戦するにあたり行使した、戦略級アーツの粋であった。
艦隊全体を「アーツユニット」として展開し、術者単独では不可能な規模の源石術を現実化させる。
それにより行使されるアーツの威力は、かの「巫王」が一人でガリアの艦隊を吹き飛ばした際に用いた巫術にも匹敵する。
吹き飛んだ塹壕、潰された砲台、もはや形を残さぬ要塞の残骸────
先ほどまでそこに存在していたはずの陣地の痕跡はほとんど残っていない。
アーツによって意図的に発生させられた“天災”は、ただ破壊するのではなく、大地に深い傷痕を残す。
「大気中粉塵濃度計測……気密防護状態の維持を継続──」
その跡地を、リターニア艦隊は無言で進み始めた。
白い部屋の中には、相変わらず物音ひとつなかった。
外の戦場から届く砲声や振動とは無縁の、隔絶された静謐。
その中心に浮かぶ地図は、刻一刻と姿を変え、情報を吐き出し続けている。
無数の記号、ユニットアイコンと攻撃線。
そこに情緒などは介在せず、ただ事実だけが、静かに、正確に展開されていた。
代表は、黙ってその一角を指先でなぞるように視線を滑らせる。
赤いアイコンが一つ、表示されていた。
防衛ラインの真ん中、要塞線が形成されていたはずの地点。
彼女の口元が、ほんのわずかに動いた。
「……抜かれた」
声には驚きも焦燥もない。まるで、想定済みのバグ報告を見つけたプログラマのような反応だった。
地図がズームし、突破された地点を中心にしてその周辺のユニット情報が展開される。
「……これは」
彼女はひとつ、小さく頷いた。
「なんか、核攻撃っぽいの来た?」
まるで誰かに語るでもなく、独り言のように呟くその声は、奇妙な落ち着きに満ちていた。
恐怖ではない、怒りでもない。
現実を、一つの“現象”として受け止めている声。
同時に画面が切り替わり、付近に新しく加わったとおぼしき
手持ちのコマで何ができるかを瞬時に把握し、最適解を計算する。
すでに次の手は打たれていた。
彼女は動揺しない……何せ、まだ1
「そろそろ頃合い……反撃のターンに入りたいところだけども、いつ始めますかね……」
焦りも怒りもない。
まるで大きなパズルを解いているような、あるいは溜まったログを読んでいるような雰囲気。
彼女は軽く肩を回しながら、地図の北側に表示された敵部隊のステータスを目で追った。
どの部隊が温存され、どの部隊が消耗しているか──それらが、味方と交戦している所に限り地図上で即座に把握できる。
「……ん?」
ウルサス軍全部隊の充足状況が、急速に低下している。
「思ったより減ってる……」
彼女は小さく呟いた。
敵の損耗を喜ぶというよりも、それを一つの“トリガー”として認識したような声音だった。
「補給切れかな?少し突っつくと崩れそう…………じゃあ、頃合いということ、ですかね」
同時期、遥か北のウルサス南部国境付近。
ウルサス軍輸送艦が一部巻き込まれ、補給能力を喪失。
彼らの兵站は、ついに破綻した。
個人的に、先民は普通に強いと思いますよ。
ただ、戦闘に勝てることと戦争に勝てることが別なだけで。