ワタリガラスにカサブランカの花束を   作:櫻木ゆすら

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各所でもネタとして取り上げられた企業パーティー回。
ねじ込めるタイミングはここと教えてくれたフレンドに感謝。


間章七

 ベイラムとアーキバス。二大企業グループの一時共闘は、大きく戦況を覆していった。

 ベイラム主導で行われたアイスワーム掃討作戦。これが決定打となり、惑星封鎖機構は星外への撤退を余儀なくされた。惑星封鎖機構が解き放った、半世紀前に開発された兵器の遺産を撃破する。この実績と名誉というものは確かにすごい事になるのだろうと、621でも理解できることだった。

 とはいえ、それが――

「ベルさーん! やっぱり、Aラインですかねえ」

「初めてのドレスだものね。膝丈でストッキングを合わせれば……」

(どうして、こうなったのだろう……)

 モニカとベルタの二人に拘束され、連れていかれた先は更衣室。ずらりと並ぶドレスの数々。これから出席しなければならない企業主催によるアイスワーム及び強襲艦隊制圧の祝賀会のための、ドレス選びが行われていた。このような華やかな舞台というものは初めてだ。少女を着飾るということに、二人も夢中になっている。

『ふむ……。時には、このような機能性ではなく美というものを主体に置かれた衣服での行事もあるのですね……』

『正直、あまり興味はない……』

 アイスワームは倒され、強襲艦隊もアーキバスが無事に鎮圧したらしい。鎮圧というよりは、多数鹵獲に近いようだったが。

「イブニングですもんねえ。赤にします? それとも、紺にします?」

「色はレイヴンちゃんに決めて貰いましょう。私たちは、似合いそうなものを見繕ってね」

(決めちゃって良いんだけどな……)

 あーでもないこーでもないと、背丈が合わない、サイズが合わないと二人が四苦八苦する。しばらくそんな様子を眺めていると、数着のドレスを持って二人が戻ってきた。

「という訳で、この赤と青と黒から選んでねー! レイヴンちゃん!」

「何色が着たいで構わないわ。どれを着ても問題ないし」

「レイヴンちゃんと言えば白……、なんだけど社交界で白だと違う意味になっちゃうからねー。まあそこは、大きくなったレイヴンちゃんが着ると思うし」

「……」

 二人の会話の意味を呑みこめないものの、とりあえず用意されたドレスを見比べる。どれも華やかで上等そうな生地が使われ、装飾されている。それぐらいしか分からない。色で決めて良いとのことだが……

「あ。隊長たちが着る礼服はすごいカッコイイんだよー。クロークは隊長たちのイメージカラーだし、ベイラムの黒に対してウチは確か白だったかなー。ラスティ隊長は確か、初お披露目になるはずー」

「確かに……、大掛かりな式典はこれがウチに来てから初めてになるわね」

「……」

 レッドガンは黒、ヴェスパーは白の礼服を着るということなのだろうか。ヴェスパーのものはどのような形のものなのかは想像つかないが、ベイラムは美というよりは機能性を重視した軍服に近いものだった。こちらの立場はレッドガン隊員(仮)のG13(ガンズ・サーティーン)。となれば、レッドガンに合わせた色の方が良いだろう。

「……これ」

「あ、その黒?」

「一応、G13(ガンズ・サーティーン)で、呼ばれるから……」

「レッドガンの人たちに合わせるとなったらそうだねー。おっけー! 後はメイクとー、ヘアスタイルとー……」

(まだ続くんだ……)

 着飾ることはまだ続いていく。こんなにも手間をかけることをしなければならないのかと、エアと二人で成り行きを見守るしか出来なかった。

 

 

「レイヴンちゃーん、目を開けて大丈夫だよー」

 モニカの声にゆっくりと目を開ける。鏡に映る姿に、思わず息を呑んだ。自ら選んだ黒のドレス。上等そうなシルク生地とレース生地が合わさったハイネック。今は座っているものの、Aラインと呼ばれる裾が広がるタイプのスカートには、パニエと呼ばれるものでボリュームが増している。左前面にかけて、大きな黒のリボンもあしらわれている。

 くすぐったい感覚が続いていた顔面も、黒のアイラインやアイシャドウが施され、立体感が強調されている。全体的に、肌もどこか血色が良い風に。唇も、普段より色が濃い気がする。髪型も、編み込みが施された上で一つにまとまっている。赤のリボンカチューシャの代わりに、アップで止めるための装飾として黒のリボンが見える。

「……派手」

「パーティーはどうしても、ドレス以外にも照明とか強いからねー。ちょっと濃いくらいのメイクがちょうどいいんだよー」

「大丈夫よ。似合ってないとか失礼なことを言う人は蹴っていいくらい」

 ゆっくりと立ち上がる。足元も、このドレスに合わせたガーターストッキングとヒールとなっている。慣れない靴は、どうしても歩行が不安定になる。

「レイヴンちゃーん、パーティー楽しんでねー」

「……? モニカは、来ないの?」

「わたしたち強襲艦隊担当は残業だよー! だから、わたしたちの分も楽しんでね! 間違いなく、ご飯は美味しいから!」

 半分涙目になりながらも、モニカが更衣室から621を送り出す。ベルタに連れられて更衣室から出れば、いつもの装いのままのウォルターが廊下で待っていた。

「似合っているぞ。手間をかけさせたな」

「いえ、私たちも楽しかったですよ、ハンドラー。では、私も着替えとメイクをしてきますのでお二方は先に行っててください。レイヴンちゃん、また後でね」

「……気は乗らないが、いくぞ。621」

「……うん」

 ぺこりと頭を下げたベルタが更衣室へと戻っていく。彼女がいなくなったのを確認してから、ウォルターと621は会場へと向かっていく。杖をついたウォルターと、不慣れなヒールで歩行が不安定の621。自然と、二人の足取りはゆっくりとしたものとなる。

「621、内線はあるな」

「大丈夫」

「お前から離れないようにはするが、社交場というのはそう上手くいかん。なるべく知人の近くにいろ。いいな」

「うん」

 今回の祝賀会については、ウォルターから危険性は説明されている。

 社交場というものは、人間と人間が対面するもの。言わば、様々な思惑や言葉が飛び交う場所となる。会場や衣服の華やかさに目を奪われてはいけない。このような場が、鉄火場に赴かない企業の政治家たちの戦場となる。621はもう、両企業から認められるほどの存在となっている。優秀な駒として、引き入れたいと動く者がいてもおかしくない。今になってどこかの企業に属する気は、ウォルターにも621にもない。厄介な事に巻き込まれないためにも、なるべくウォルターの側にいるか。それが無理なら知人の元へ避難すべきだと。一人になる瞬間を作るなと教えられている。段々と、スーツやドレスを纏った人物たちが行き来するのが見えるようになってきた。

「来たか、ウォルター」

「悪いな、ミシガン。レイヴンの支度に時間がかかった」

 そこには、黒の生地を使った礼服を纏っているミシガンの姿があった。以前に見かけた時より、勲章が多くつけられている。

「仕方あるまい。鉄火場ではないが、ここも戦場だG13(ガンズ・サーティーン)。化粧に衣服は女が持てる武器だ。抜かりはないな?」

「ベルとモニカが、やってくれた」

V.Ⅳ(ヴェスパー・フォー)のオペレーター共か。ならば、問題ない。背筋は伸ばせ、自分を弱者として見せるな」

「わ、わかった」

 ミシガンに言われ、なんとか背筋を伸ばす。全身で身体を支えた方が、なんとなく歩きやすい。ミシガンの後についていけば、先に待っていただろうイグアス、五花海、レッドの姿もあった。

「おや。とても素敵ですよG13(ガンズ・サーティーン)。汚泥渦巻く社交界に咲く、一輪の花と言ったところでしょうか」

「ケッ、ガキが色気付きやがって。馬子にも衣裳ってヤツだろうよ、てめえは」

「……」

 直感だが、侮辱されたことには間違いない。イグアスの足をヒールで踏みつけた。

「いって⁉ 何すんだてめえ!」

「今のは、イグアスくんが悪いですよ? 失礼なことをされては、相応で返されて当然です」

「……チッ」

「何をしている貴様ら、行くぞ」

 ミシガンに叱責され、渋々とミシガンの後に続いていくイグアス。気にしないでくださいねと笑う五花海。緊張しているのか、ガチガチに固まっているレッド。そんな彼らに着いて行く。そう言えば、G2(ガンズ・ツー)ナイルの姿が見当たらなかった。足元の感覚が変わる、ふと見れば赤い絨毯が敷かれているのが見える。そして、背丈の大きい彼らに遮られて見えないが扉が開くのと同時に煌びやかな照明が差し込むのが見えた。

「ミシガン総長、相変わらずと言ったところだ」

G5(ガンズ・ファイブ)の不良小僧も相変わらずだな」

「後ろにいるあの子が、例の?」

 広いホールに、等間隔に並べられたテーブル。スーツやドレスを纏った見知らぬ人間たちが集まって、ひそひそと会話をしている。大勢の人間が集まっている場所と言うのは初めてだ。その上、このホールに集まっている人間のほとんどがルビコンの外からやってきた来賓。この祝賀会が終わればすぐに星外へと戻るという人たち。彼らの噂の的になるというのは、あまりいい気分にはなれない。

「レッドくん、レイヴン。あまり余所見をしないように。背筋を伸ばして、堂々としていなさい」

「は、はい!」

 気圧されているのに気づいたのか、ぽそりと五花海に言われる。背筋を再度伸ばしてミシガンの後に着いて行く。設置された舞台の近くには、金色の髪を後ろに流し神経質そうな碧眼に眼鏡をかけた青年の姿と、見慣れた青みがかった灰色の髪の男性の姿が見えた。二人とも、白か灰色に近い色合いの礼服を纏っており、羽織るクロークの色は高貴な紫とシックな紺と色が異なっていた。

「遅いですよ、ミシガン総長」

「社交場も戦場だ。女の支度には時間がかかるものだぞ、次席隊長」

「では、我々もテーブルに移動しますか。レッドくん、イグアスくんも頑張って」

「はい! 先輩、G13(ガンズ・サーティーン)! 席の方から見ていますので!」

 五花海とレッドがテーブルの方へと移動する。この舞台に立つのは、アイスワーム撃破に参加した面々だ。そうなれば、自然とあの二人も離れて行く。

「全く。このような子供が、一人前に化粧が施されるとは」

「良いじゃないか、スネイル隊長。似合っているぞ、戦友。素敵なレディに仕立てて貰ったのだな」

 普段とは違う、前髪の全てが後ろに流しているラスティに右手を取られたかと思えば、そっと彼の顔が近づいてくる。指に伝わる感覚に、一気に顔が熱くなって咄嗟に手を引いてしまった。

「……ガキ相手に何してんだ、てめえ」

「ふざけるのも大概にしなさい、第四隊長」

「これが淑女への挨拶だと聞いたのだが……、失礼。このような場は、恥ずかしながら初めてなのでね」

 三人の間で、ピリピリとした空気が伝わってくる。様々な視線と思惑が飛び交うこの場で、知人たちの間に漂う空気が悪くなるのは困る。

「これで主役は揃った。政治家共に向けた挨拶は貴様が得意だろう? V.Ⅱ(ヴェスパー・ツー)

「……挨拶を始めます。舞台に上がりなさい」

 ため息をつきながらも、ミシガンが舵取りをしてくれる。なんとか切り替えたスネイルの指示に従って舞台の上に立つ。人々の視線が集まるのが嫌でも分かる。これから、この祝賀会の舞台挨拶が始まる。自分たちはただ、挨拶を述べるスネイルの近くに立つだけ。実際に作戦に参加し、成果を残した者として必要なことらしい。カーラとチャティは、RaDという組織の在り方から出席は辞退したと聞いた。出来れば、こちらも出席は辞退したかったが、実質的にアイスワームを撃破したこちらはどうしても出ないといけないようだった。

(帰りたい……)

 早くこの場から立ち去りたい。そんな気持ちでいっぱいだった。

 

 

 舞台挨拶も無事に終わり、後は閉会までの時間を食べ物と飲み物を片手に歓談する。ミシガンやスネイルはすぐに両企業の役人と思しき人物たちに捕まった。ラスティも、企業の役人たちと会話をしている。女性が多い気がするのは、気のせいだと思いたい。イグアスは、気付いた時には姿を消していた。ウォルターも、正式にレッドガンの入隊なり、ヴェスパーへの勧誘の対応に追われている。こちらはすぐに会場の端に避難し、人工甘味料ではない、本物の果物を使ったという橙色の果汁の飲み物を口にしていた。

『レイヴン……。やはり、様々な人の思惑が飛び交っているようです。聞き取れる会話だけでも、今後のコーラルの利権や、レッドガンやヴェスパーの運営等の話題ばかりです。それと、あなたを手中に収める算段も』

『早く終わらないかな……』

 冷たく、酸味と甘味の混ざった果汁をストローで飲んでいく。ご飯は美味しいというモニカの言葉に間違いはない。この果汁の飲み物は確かに美味しいものだ。だが、その美味しさに集中できる状況ではなかった。早くこの時間が過ぎ去って欲しい。舞台挨拶が終わった今、このホールにいる理由というものはほとんど無い。

「お疲れ様、G13(ガンズ・サーティーン)

 振り向けば、そこには五花海とレッドの姿があった。そそくさと避難したこちらを探していたのだろうか。

「帰りたいと顔に出ていますよ。もう少し、その本音は隠してください。厄介事の方からやってくる」

「……」

「分かりますよ。対応こそはしていますが、総長もあのV.Ⅱ(ヴェスパー・ツー)もうんざりしながら対応している。あなたのハンドラーも同じ気持ちでしょう」

「……そうなの?」

 もう一度、ミシガンたちを目で探す。ミシガン、スネイル、ウォルター。表情を特に変えることもなく普段通りに対応しているようにも見える。それでも、本音としてはさっさと会話を終わらせたいと思っているのだろうか。

「――言ってしまえば、ここにいる大半は現場を知らない人間です。正規軍に喧嘩を売ってでも、自分たちの利益と名誉を優先にする諸悪の根源のような人たちです。いずれも、現場の苦労なぞ知りもしませんし知ろうともしない。そんな人たちのご機嫌を伺いつつも現場を回しているのが、総長とV.Ⅱ(ヴェスパー・ツー)なのだと思えば、あの人たちも案外、苦労しているなあと思いません?」

「……うん」

「個人でも、あなたのハンドラーは総長とV.Ⅱ(ヴェスパー・ツー)のように、あなたの代わりに言葉を交わし、決断をする。実行は貴女に任せるといった形式をしているのでしょう。実際、貴女に回そうとしたものの、蹴られた依頼はいくつかありますからね」

「……」

 五花海の話を聞いて、思わずウォルターを見る。こちらの見えていないところで、彼が仕事をしているというのはなんとなく気付いていた。気付いてはいたが、その具体的なものは知らないままだった。見ていないところで、ああして言葉を交わして、取捨選択をしていたのだろうか。

「ああ、そこにいたのね。レイヴンちゃん」

「おや? 貴女は?」

 声に振り向けば、そこにはすらっとしたデザインの青のドレスを纏ったベルタの姿があった。立ち振る舞いも含め、優雅にして彼女自身が持つ厳かな雰囲気が漂っていた。

「あなた方は、G3(ガンズ・スリー)五花海と、G6(ガンズ・シックス)レッドですね。私は、ヴェスパー第四部隊副長兼オペレーターを勤めています、ベルタです」

「ああ、貴女が。歴戦のオペレーターであることはこちらもお伺いしています。新参者の第四隊長殿に振り回されているようで」

「ええ。やんちゃ坊主にはいつもリードを引っ張られていますね」

 五花海とベルタの間に緊張した空気が漂い始める。知人同士で腹の探り合いが行われるのは勘弁してほしい。

「そ、そうだG13(ガンズ・サーティーン)! 腹は空いていないか⁉ ジュースだけでは腹が持たんだろう! 今、美味そうなもの取って来るからな!」

 空気感に耐えられなかったのだろうか。少し空回り気味ではあるものの、レッドが料理が並ぶテーブルに飛び出していった。

「……後輩に気遣われるとは、いやはや恥ずかしい」

「こちらも、大人げない対応を致しました。こういう場ではつい、ね」

 レッドが飛び出していったからか、五花海とベルタの間に漂っていた空気は穏やかなものになる。ほっと、思わずこちらも息をついてしまった。

「ごめんなさいね、レイヴンちゃん。息が詰まるでしょう?」

「それは……」

「ここは大人が主役の場でもあるから、どうしても政治なり利益の話題が主となる。知らない大人に着いていかないようにね。良くも悪くも、あなたは有名人だから」

「ウォルターからも、言われてる」

「それなら良いわ。と、こちらも大人に呼ばれているんだった。そのまま、知ってる人の近くにいるのよ」

 ぺこりと挨拶をした後、ベルタは人込みの中へと戻っていく。オペレーターの彼女でも、政治家たちを話さないといけないことがあるのだろうか。

「優秀な人材というのは、引手数多というものです。オペレーターという人材も貴重です。鉄火場に出る人材育成は、第八世代以降の強化施術である程度補えてしまいます。ですが、そんな彼らをサポートする立場というのは、手術なり投薬なりの下駄では補えない。アーキバスもベイラムも、ルビコンにいるのが全てではありません。あくまで、多く展開する事業の一つとしてこの惑星にやってきているということを、覚えておきなさい」

 このルビコンに滞在している戦力が全てではない。それは、伝えてくれなければ分からない事実だった。企業からすれば、このルビコンでの争いも商売の一つに過ぎない。政治家と現場では、その温度差が如実に表れるのだろう。浮彫になる様々な現実に、こちらの無知が思い知らされる。

「しかし……。アーキバス側の人間が、あまりにも少ない……」

「強襲艦隊担当は残業だって、モニカが言ってた」

「……ほう?」

G13(ガンズ・サーティーン)! 飯を持って来たぞ!」

 確信めいた笑みを浮かべ始めた五花海。そんなところに両手に皿一杯に様々な料理を持ってきただろうレッドが戻ってきた。

「有益な情報をありがとうございます、G13(ガンズ・サーティーン)。レッドくん、彼女の面倒を頼みますよ」

「? わかりました、五さん」

 レッドと入れ替わるように、五花海が離れて行く。何か、聞きたいことや話したいことが出来たのだろうか。

「む。G13(ガンズ・サーティーン)、飲み物が無くなっているな」

「そう言えば……」

「少し待ってろ! ジュースでいいな!」

「あ……」

 近くのテーブルに皿を置いたかと思えば、レッドが飲み物を貰いにボーイの元へと駆けて行ってしまった。気付けば、ぽつんと一人で取り残される状況になってしまった。

(どうしよう……)

 一人にはなるな。そう言われたにも関わらず、気付けば周りには知人がいなくなってしまっていた。この状態はまずい。ここで誰かに話しかけられたら、どのように対処すべきか。応対に戸惑えば、勝手に話を進められてしまう。これだけは避けなければならない。他に知人が近くにいないかきょろきょろと辺りを見渡す。

「……あ」

 視界の端に、紺色の生地が見えた。グラスを片手に何かを話す彼の姿。相手は、黒を纏ったこちらとは真逆の華やかなドレスを纏った大人の女性のようだった。二人で何かを語っている。話す彼はどこか、楽しそうで……

『……レイヴン?』

『……分からない。胸が、痛い……』

 この幼い身体に不満が無い訳ではない。とは言え、これはあくまで貧弱な性能による不便性だ。幼い見た目が原因で絡まれるのも困る。この外見では、より大人びた女性に負けてしまうと捉えるようになったのは最近だ。それも、ラスティが他の女性と話す光景を見る度にそう考えてしまうようになっている。彼が、その女性に取られてしまうのではないか。いつしか、そのようなモヤモヤとした胸を締め付けるような感覚を覚えるようになってしまった。彼は、誰のものでもないと言うのに。

「……」

 いたたまれなくなって、咄嗟にホールの外へと飛び出してしまった。

 

 

 華やかなホールとは真逆の、最低限の電灯と月の光しか光源が無い廊下。カツカツとテンポの速い軽いヒールの音が空しく響く。走るということに向いていない靴で、どうして駆け出してしまっているのか。荒くなる呼吸、喉を突き刺す冷たい空気。踏み込んだ片足の足首に嫌な痛み。バランスを崩して、そのまま転倒した。

『大丈夫ですか? レイヴン』

『大丈――、っつ……』

 痛む片足を抑える。やはり、慣れない履物で走るのは無謀だった。だが、どうしてもあの場から離れたかった。そんな感情が最優先となって、飛び出してしまった。一人になるなと、ウォルターに言いつけられていたにも関わらず、だ。廊下の壁際まで這いずって、壁を背に預けて座り込む。

『脚部の損傷は、捻挫の症状のようです。痛みが引くまで安静にしていましょう。確か、あなたの首の装飾品はウォルターに繋がる内線ですからウォルターに連絡を――』

『ごめん。今は、ウォルターとも話せない』

『……分かりました』

 視界の端で、エアの幻影も隣に座ってくれる。こんなにも、感情というものに振り回されるのは初めてだった。今までに無かったもの、目覚めた当初の自分には無いに等しかったもの。やはり、感情は悪いものだ。こんなにも、思考が滅茶苦茶になって胸が締め付けられるものを、良いものだとは思えない。

『エア……』

『どうしましたか? レイヴン』

『分からない。分からなくて、頭がぐちゃぐちゃで、どうしよう……』

『……私も、あなたのその葛藤を理解することが出来ない。その感情が、何に起因するもので、どういうものなのか。予測こそは出来ますが、そうだと確信を持って言うことができない。私の考えていることと、あなたの感情の認識に、ズレがありますから……』

 エアはコーラルの波形。その知性が人間と同等だとしても、人間とは違うものだ。エアが捉えていることとこちらが抱いていることには、何度かズレがあった。そのズレで決断してはいけないのだと、エアは言うのだ。

『……ごめん』

『いえ。未知を解消したいのは、私も同じです。あなたのその状況は良いものではない。別の形に、昇華させなければならないものです』

 とはいえ、これをどう説明すればいいものか。ただ、彼が女性と話をしているのを見ることに、胸の痛みを覚えるなぞ荒唐無稽も良い所だ。ウォルターに話してしまっては、二度と彼に関わるなと言われてしまいそうで。それだけは、避けたい。そうするべきなのに、それだけは、嫌なのだ。カーラに相談すれば、痛みの原因を説明してくれるのだろうか。ただのバグであって欲しい。この感情の名前を知ってしまったら、ダメな気がする。知ってしまったら、知らないことに戻れない。

(このまま……)

 誰に見つけられることもなく、ただ時間が過ぎてくれればいい。格好も含めて強く冷え込むこの場所で、閉会まで待てばいい。閉会の時間になった時に、ウォルターに連絡をすれば……。兵器として必要とされないことに、孤独感を感じていたというのに。今は、誰にも見つけられて欲しくないのだ。考えが反転してしまうほど、今の自分は様子がおかしい。

(どうか、ワタシを――)

 静かな廊下に足音が聞こえる。これは、ヒールではなくブーツによる音。男性が、ゆっくりと歩いているような。杖をつく音が無いことから、この足音の持ち主はウォルターではない。見上げれば、最も見つけて欲しくない人物がそこにいた。

「……ラスティ」

「君の姿を、ホールで見かけなくなったからな。何があった?」

 いつものように、視線を合わせるために膝を付いてくれる。上等そうな生地が使われた礼服だと言うのに、構わないとばかりに。

「……なんでも、ない」

「……足を挫いたのか? 医務室を借りよう。気分が悪くなった来賓のために、貸し切りにされている部屋があるはずだ」

「いい。放っておけば、大丈夫」

「それはダメだ。失礼」

「あっ」

 こちらの制止を聞かずに、背中と膝裏に腕が添えられたかと思うとそのまま抱き上げられてしまった。今は、彼とは距離を取りたい。

「大丈夫、だから……」

「こんな場所で、レディを一人には出来ない。諦めてくれ」

「……」

 降ろして欲しいと、手足を動かしても彼の体幹がブレるということはない。下手に脚を動かして痛みが走る。このまま、大人しくすることしか出来なかった。

(どうして……)

 こうも気にかけてくれるのだろうか。この一夜が終われば、全員がバラバラになる。封鎖機構もアイスワームという脅威も立ち去った。コーラルを巡る争いは、実質アーキバスとベイラムの戦いとなる。どちらにも属しない独立傭兵は、どちらかの敵にも味方にもなる。だが、彼は陣営の枠を気にすることなく気にかけてくれている。ような、気がする。

 扉が開く音に顔を見上げれば、最低限照明が点いただけの医務室に辿り着いていた。スチールベッドの縁に降ろされ、戸棚へと彼が向かう。応急処置を行うための品を探しているようだった。

(そんなこと、しなくても……)

 生身の身体とは違う。痛みこそはあるが、筋肉繊維に支障をきたした訳ではない。適切な処置をしなくても、一度分解してメンテナンスを行った方が早い。だが、自分がそんな身体であるとは言い出す勇気が無かった。言いたくないが、近い。

「待たせてしまったな。戦友、患部の方を見せてくれ」

 俯いた視界に、白か灰色に近い色合いの生地が入って来る。思わず、痛みがある脚を引いてしまう。引いてしまった脚に無骨で大きな手が添えられる。

「あー……。戦友、見ないようにはする。ストッキングを脱ぐのは、自分で出来そうか?」

「……? うん」

 ストッキングを脱ごうとして、初めてこれがスカートを上げなければならない行為だと気付く。そっと、顔を見上げればそっぽを向いている青みがかった灰色の髪が見える。顔が熱くなるが、急いでスカートを上げてガーターベルトの留め具を外して、膝まで降ろす。スカートもすぐに降ろした。

「……これで、いい?」

「終わったか? 後は任せてくれ」

 そっぽを向いていた彼の顔が戻って来る。患部をなるべく触れず、動かさないようにヒールを脱がされる。ストッキングも降ろされ、人工皮膚に覆われた素足が晒される。節榑立つ指や、大きな手の平が素足に触れていることに、くすぐったい感触を覚える。上等そうな生地が使われているスラックスの太腿部分に素足を乗せられる。患部にアイシングバックを宛てられる。

「……そこまで、しなくても……」

「君はまだ、ハンドラーの下で戦い続けるのだろう? こんな政治家たちが勝手に始めたことに、君が怪我をする価値はない。後遺症が残るのも困る」

 どこか語気が強い言葉は、彼も今回のことに関しては乗り気ではなかったことが伺える。それでも、楽しそうに話す姿が脳裏に焼き付いて離れない。

「でも……、楽しそうにしていた」

「本当に楽しいと思っている訳ではない。上辺だけでも、良いと思わせる必要があるんだ。君が飛び出してしまった理由は、それか?」

「……」

「……図星になると、目を逸らすのが君の癖だ。その癖は、気を付けた方がいい。特に、異性を前にしている時は、な」

 恐る恐ると、視線を戻していく。伏し目がちの橙色の瞳と目が合った、気がする。胸の奥がざわつく奇妙な感覚に、いますぐにでもこの場から離れたくなってしまった。

「ラスティ、もう大丈夫だから――」

「ダメだ。君に怪我をさせた一因に私がいるのならば、処置くらいはさせてくれ」

「……」

 逃がしてくれる様子はない。このまま、大人しく時間を過ぎるのを待つしかない。こんな状態で、どこまで平静を保てるか。ほとんど、保てていないようなものだが……

「……君は不思議だな」

「不思議……?」

「戦場にいる君は、誰よりも強く、自由に羽ばたいていくというのに。戦場ではない場所は、無垢で在り来りな少女そのもので――。本当の君はどちらなのだろうな」

 見上げる橙色の瞳から、目を逸らせなくなる。戦場にいる淡々と任務をこなす兵器としてのC4―621、戦場以外では無知でひ弱なエイヴェリー。目の前の彼は、そのどちらも知っている。どちらが、自分なのか。その問いかけは、より思考をかき乱されてしまう。戦うことが出来なくなるエイヴェリーになってしまっては、ダメだ。今は、C4―621として必要とされているのだから。

「ワタシは、ウォルターのために――」

「――なら、聞かせてくれ。ハンドラーのためだと言うのならば、ハンドラーが君を必要としなくなったら、君はどうするのだ?」

「……!」

 考えていなかった。考えようとしなかった結末。ウォルターには目的がある。ウォルターの目的が果たされたその暁には、人生を買い戻せると彼は言っていた。だが、それを本当に自分は受け入れることが出来るのか。ウォルターに不要と告げられ、人生を買い戻せると文字通りの大金を得たとしても、あの身体が戻れるとは思っていない。不要となった兵器は、どうなってしまうのか。考えたくもない、いつか来る未来。それを、こんな形で問いかけられるとは思ってもみなかった。

「……ワタシ、は……」

「――やはり君は、理由が無ければ武器を手にすることは出来ない普通の女の子だ、エイヴェリー」

「え……?」

 アイスバックの冷たい感覚は無くなる。痛みは、すっかり引いていた。素足を丁寧に降ろされ、ゆっくりとラスティが立ち上がったかと思えば、隣に腰かけてくる。礼服を纏い、髪を整えた姿。整っている顔立ちが、より魅力的に見えてしまう。心拍数が上昇して、胸が痛い。

「常々考えていた。どうして君は、戦うのだろうと。君のような人が、戦場にいる理由とは何かと」

「ワタシは、強化人間だから……。戦うための――」

「だとしても、君は人間だ。生体パーツではない。例え、その身体が人工物であったとしても」

「っ――!」

 いつから、この身体の事に気付いていたのだろうか。逃げる間もなく、肩に大きな腕や手が回されてそのまま懐に引きずり込まれてしまった。密着したそれは、衣服越しであっても暖かさというものが伝わる。

「いつ、から……」

「最初に君の手を取った時は、義手ではないかとは思っていたさ。身体の全てが作られたものだと気付いたのは、アイスワームのブリーフィングの時だがね」

 腕に力が入るのが伝わる。化粧が施された顔が衣服につかないように咄嗟に間に挟んだ手で抵抗を試みるも、目の前の男性の力に、敵う訳が無かった。

「……ワタシは、強化人間。戦うための、兵器」

「違う。君は、一人の人間だ。戦うことを強いられているだけの、普通の女の子だ」

「っ……、やめて!」

 強化人間C4―621が、独立傭兵レイヴンが、何もできないただのエイヴェリーという少女になってしまう。それと同時に、強いられているという言葉に明確な拒絶感を抱いた。突き放すように力を込めれば、暖かな抱擁から解放させてくれた。

「あ……。ごめん、なさい……」

「――いや。今のは失言だ。これまでの君を否定させるものだった。私の方こそ、すまなかった」

 その謝罪は、素直に受け取ることは出来る。彼から見れば、戦うことをウォルターに強制されているように見えていたのかもしれない。でも、それだけは違う。必要とされて、それに応えているだけなのだ。強制されていると思ったことは、一度もない。

「君とハンドラーの関係性は、見えている以上に深いものなのだな」

「……ワタシ、在庫だったから。元の身体、機能以外は植物状態でほとんど死んでいる。そんなワタシを見つけてくれたのが、ウォルター」

「旧世代型だったな、君は。やっと、君はその外見とはどこかが違うという合点がいった」

 彼にそこまで気付かれてしまっては、こちらも身体の事情を隠す必要がない。あのようなやり取りがあっても、言葉を続けることが出来るのは、これまでの信頼とあの会場に戻りたくないという意思が大きいのだろう。

「いくつか肩を並べても、君のことは、知らないことばかりだ」

「それは……、ワタシも同じ。ラスティのこと、知らないことが多い」

「私のことか? そうだな……」

 少し間延びした、思案に入りかけるような口調。しばらくの沈黙の後、彼が口を開く。

「私が、一番魅力的な女性だと思っているのは君だぞ。戦友」

「……え?」

 微笑みと共に投げかけられた言葉。その真意が掴めずに固まってしまう。それは、つまりは、どういうことなのだろうか。

「それ、って――」

〈621。どこにいる〉

 聞こえて来た内線に、思わず首元に手を当ててしまう。それに気付いたのか、ラスティの表情も困ったようなものとなる。

「ハンドラーか?」

「……うん」

「仕方ない。戻るとしよう。足は大丈夫か?」

「大丈夫……。ありがとう」

 ストッキングやヒールと、履物を履き直してから医務室を後にする。陰謀と思惑が渦巻く社交界の一夜は、まだ続いていく。

 そして、この一夜が明ければ、第四勢力であった封鎖機構という抑止力を失ったコーラルを巡る争いが再開される。執行部隊の強襲艦を初めとした、主力兵装を多数鹵獲したアーキバスが優勢としての再開となったのだった。

 

 

 両企業の共同ベースのとある一室。第四部隊のオペレーター二名の部屋。そこには宛てがわれた二人を間借りしていた少女の姿がある。一時共闘の停戦協定が無くなった今、この共同ベースの価値は無くなった。撤収準備としての荷物整理や清掃を三人で行っているのだ。

「短い間だったけど、女の子三人で過ごす日々は、かけがえのないものだった……」

「モニカ、感傷に浸ってないで手を動かす」

 かれこれ数十分。一室の清掃と荷物整理は完了するのだった。

「終わったー。レイヴンちゃん、ごめんねー。足、まだ痛いでしょー?」

「足は、大丈夫。ラスティが処置してくれたから」

「わー、隊長抜け目無いなー……。変な事されなかった?」

「……?」

 特段変わったことはされていない、はず。とはいえ、あの二人きり(正確にはずっと会話を見守っていたエアもいたのだが)での出来事は誰かに話すつもりはなかった。それは、ウォルターにもだ。

「モニカ。私たちもすぐに行きますよ? 規模縮小による人員再配置の確認をしないと……」

「規模縮小?」

「あー……。えっとね、アイスワーム掃討作戦あったでしょ? 隊長がかなーり無茶したって聞いたよー? それで、スティールヘイズの動力部分も結構負担がかかったんだってー」

「……」

 思い起こされるのは、暴走状態となったアイスワームを射貫いた最後の一射。レールキャノンの操作にはスティールヘイズが用いられていたはずだ。最大出力で放った負荷、スティールヘイズにも影響を受けていたのだろう。

「応急修理やパーツ交換こそはしましたが、長期メンテナンスが必要な状態には違いありません。ですが、上はそれを待つことなく始めようとしている。それに伴って、第四部隊は規模縮小が行われるようになるの」

「隊長が動きにくいし、だからって暇を持て余す訳にもいかないから、第四部隊は再編制させられながらお仕事する感じになるんだー」

「……」

 今後の活動に支障がでるかもしれない。それすらも構わずに、彼はあの一射を成し遂げたのだ。こちらを信頼している、それだけが理由ではない。そんな気がするのだ。

「それじゃあね、レイヴンちゃん。お仕事で、敵にならないことを……!」

「それでは」

「うん。ベルも、モニカも、ありがとう」

 モニカは手を振って、ベルタはぺこりと丁寧に挨拶をする。こちらも、軽く手を振って別れの挨拶を行うのだった。

 

 

 共同ベースを後にし、輸送ヘリへと戻る。ガレージには、カサブランカとウォルターの姿があった。

「戻ってきたか、621」

「うん」

「621、もう一度足を見せろ」

「ん」

 ウォルターがゆっくりとしゃがむ。しゃがんだウォルターの肩に両手を乗せて体重をかける。靴は脱がされ、彼のスーツの太腿部分に足を乗せる形となる。タイツ越しに、ウォルターが足首に触れたり、足を動かしたりしていく。

「痛みは残るか?」

「大丈夫。異常は無いって、検査やったのに」

「……念のためだ」

 ウォルターが靴を履かせてくれたのを確認してから、鋼材の床に足を置く。ゆっくりと、ウォルターも立ち上がって傍らに置いた杖を手にする。

「お前にはもう少し休息を与えたいところだが、企業はすでに動き出している」

「うん。ベルとモニカも、もう仕事があるって言っていた」

「封鎖機構が片付いた今、あとはコーラル集積地点を目指すだけだからな」

 ガレージに備え付けられた端末を、ウォルターが操作を行う。既に、アーキバスから依頼が一件入っているようだった。

「洋上都市ザイレムで行った調査は覚えているか?」

「うん」

「得られた情報を友人が解析した結果、中央氷原には広大な地下施設があることが分かった」

「それが、空洞の正体?」

「ああ」

 ウォルターが操作を行い、画面に表示される。それは、アイスワームと戦ったエリアから見えていた施設のようなものだった。

「“ウォッチポイント・アルファ”。アイスワームが防衛していたのも、この施設の入口だったようだ。お前には、これに潜ってもらう」

「それが、アーキバスからの依頼?」

「ああ。やつらがすんなり話を受け入れたのは引っかかるが……」

「……第四部隊、スティールヘイズが動かしにくいから規模縮小するって言っていた」

「なるほど。やつらにとって、渡りに船だったことか。いつでも出れる準備はしておけ」

 ウォルターに頭をぽんぽんと撫でられる。その後、ウォルターはガレージから立ち去る。カサブランカのアセンブリは、気付けば621だけで行うようになっていた。

『……レイヴン、ひとつ伝えておきたいことが』

『なに? エア』

 アセンブリを見直すため、端末の操作を行い始める。そのタイミングで、エアに声をかけられた。

『ウォルターの言う“友人”ですが……。彼がそのような人物とやりとりを行った記録は、存在していません』

「え……?」

 思わず端末を操作する手が止まる。傍らにいる、懐かしい面影を持つ黒髪と赤目の少女を見上げるが、エアも眉間に皺を寄せている。この情報を、語るか語らないかの葛藤があったのは見受けられた。

『あるいは、私でも接触出来ない手段で連絡方法を行っているか……。いずれにせよ、ウォルターは、本当の思惑を伏せている。そして、あなたを使い……、何かを為そうとしている。この、ルビコンで』

「……」

 ウォルターが、金銭を目的でコーラルを手にしようとは思っていない。それは、すぐに分かることだった。鋭く、頑丈な鋼鉄のようで。そんな鋼鉄で覆い隠そうとしているが、隠しきれていない優しい人物だ。そんな彼が、金銭を理由の動くとは思っていない。仮に金銭が目的だとしても、理由があって、その手段に金銭を必要とする。その方が納得いく。ならば、その理由とはなんだ。在庫処分を待つだけだった、機能以外死んでいる強化人間を拾い上げてまで、何を。

『ハンドラーのためだと言うのならば、ハンドラーが君を必要としなくなったら、君はどうするのだ?』

 その言葉は、思った以上に近いところにあったのかもしれなかった。

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