「隊長、これで最後の書類です。確認をお願いします」
「ああ、分かった」
外は陰り、窓に結露が出来る程外部と室内では温度差が開いているのだろう。曇った窓の向こう側は、ちらちらと雪が降っているのが見える。そろそろ仕事が切り上がるだろうというタイミングで、スネイル第二隊長から追加の仕事が舞い込んでしまった。遊撃を主とする第四部隊は、確かに依頼斡旋を行う第八部隊。補給線の管理を行う第五部隊。部隊及び、再利用できる施設での健康状態や危険性を管理する第六部隊。諜報活動を主に行う第三部隊。これら全てに起きた金銭の管理を行う第七部隊。各隊と比べれば比較的に猶予がある部隊だ。それ故に、何かと細かい仕事がヒマだろうとばかりに舞い込んでくる。おかげで、すっかり日が暮れてしまったという訳だ。好印象の笑みを浮かべようと、どこか表情を取り繕っている我らが第四隊長の表情が少しだけ崩れている。今日は、“壁越え”を共に果たした独立傭兵レイヴンと予定があるらしい。かの傭兵をかなり待たせてしまっているのかもしれない。
「――これで良いはずだ」
「はい。確かに承りました。……隊長。オフィスの片付けや明日の用意は我々だけでも大丈夫です。待たせている人がいるのでしょう?」
「ああ。悪いな、ベル。先に上がらせて貰うよ」
そういうが否や、自分のデスクの後片付けをスティールヘイズの速度の如く手早く行っては退勤処理を行っていった。
「……隊長、行った?」
「……ええ」
「よーし、全員しゅーごー!」
隊長がいなくなってから数分。モニカが声高らかに宣言する。残っている隊員も待っていましたとばかりにモニカに集まり始めた。これから始まることに頭痛がしてくる。
「それでは、隊長がナンパした独立傭兵レイヴンがどんな人なのか。予想してみよー!」
「モニカ、今日の景品はなんだ?」
「ふふーん。隊長、今回はかなり本気っぽい感じだったからねえ。だから、私も張り切ったんだー。今回のピッタリオア近いで賞は、オキーフ長官の、ここ数日のスケジュール!」
「マジか!? あの人の淹れるコーヒー本当に美味いんだよなあ」
そう。ラスティ隊長がナンパ……。言わば、気に入った独立傭兵についてどんな人物かを予想する。くだらない賭け事はいつの間にか第四部隊内でのちょっとしたミニイベントとなっていた。ハッキング等のネットワーク向けに調整された言わば、ネットワーク型の強化人間であるモニカにとって、データを引っこ抜くなど造作もない。各隊長のスケジュール、は今回が初めてではあるが、娯楽品の購入履歴だの、購買部での入荷予定リストだの。個人が内密で楽しむのを絶対とした(社内ハッキングなど本来見逃すべきではない)景品を賭けたミニゲーム。それが、この騒ぎだ。眩暈がしてくるが、一種のモチベーションになっていたり、なにより隊員たちの良いガス抜きになっているのも事実だ。モニカも、痕跡を残さない優秀なハッカーである。言わば、摘発しようにも提出すべき決定的な証拠がないのが現状だった。購買部の記録を覗き見する社員は、残念ながらモニカ以外にも存在しているのは事実。購入履歴など、被害者の恥を晒すものだ。手の打ちようが、無いに等しい。
「やっぱり、男じゃないか? 無愛想で、体格がしっかりした……。ほら、レッドガンのコールサインも貰ってるんだろう?」
「うーん。でも、機体のカラーリング的には女性じゃないかしら? それに、レーザードローンはフロイト隊長みたいな本物、は置いといて。かなり繊細な技術が要求されると聞くし」
あーでもないこーでもないと、隊員たちが予想を立て始める。こうなってしまっては、自然と終わることを待つしかない。仕方なく一人でオフィスの片付けを行っていく。
「あ、ベルさーん! ベルさんはどんな人だと思いますー?」
「えぇ……? それは――」
隊員たち全員の視線がむず痒い。そして、悔しいかな。独立傭兵レイヴンがどんな人物なのか。あの、優秀と紙一重な問題児のラスティが気にかける人物には、好奇心があるのだった。
「……」
果たして、どんな人物なのだろうか。レッドガンのコールサインを貸与されているらしいことから、男性である可能性もある。だが、ACは乗り手の個性が最も発揮される。ACカサブランカのカラーリングは確かに女性や少女性があるものだ。女性であることも否定できない。その戦い方は堅実さと獰猛さを持った、よく躾された警察犬や猟犬のようなものだった。カラスを名乗る割には、だが。
(……?)
ふと、一人の人物像が脳裏を過ぎっていった。どれだけ考えても思いつかないのも事実だ。それに、このくだらないミニゲームはいかに近い人物像を想像出来たかを楽しむものだ。ならば、突拍子の無いものでも構わない。
「そうねえ……。そろそろ、隊長としての自覚を持って欲しいのと反省して欲しいことを含めて。銀色の髪の赤いリボンが似合う、可愛らしいお嬢さん。かしら」
「ベルさん……。社会的抹殺を考えるほどめっちゃくちゃストレス感じてたんだー……。えっと、ごめんなさい……」
あまりに突拍子が無いせいか、明るく朗らかであることが長所のモニカを困らせてしまった。そのつもりは無いのだが……
「冗談よ。反省して欲しいことは本当のことだけどね」
「ハハハ……。そ、そろそろ隊長、レイヴンに会えたかなー? 監視カメラ、覗くよー?」
モニカが自分でカスタマイズしたノートパソコンにて、さも当然のように監視カメラをハッキングし、その映像を盗み見る。さて、こんな天気で待ちぼうけされたレイヴンが律儀に待っているのか。帰ってしまっていた場合は、このくだらない遊びは無効になるのだろうか。
「……あ」
「どうした? モニカ――って、うわあ……」
賭けの結果がどうなったのか。隊員たちがモニカのノートパソコンの画面を見て、固まり始めた。そもそも、モニカの反応からしておかしい。一体、何が映っているのやら。
「……。レイヴンは、もう帰ってしまっていたの?」
「えー……、いやあ……? うっわ、どうしよう……」
「……?」
隊員たちが戸惑いの様子を見せ始める。彼らがこれだけ困惑しているのは、初めてだ。気になってしまう。
「一体、何が――。あ」
画面に映っているのは、背が高い青みがかった灰色の髪の青年と……。戦場に似つかわしくないにも程がある、銀色の髪に赤いリボンを身に付けた可憐な少女の姿があった。
*
「それで? あんたは見事に、自分の隊長の社会的地位が落ちることを言い当てたってことか?」
「結果的にそうなってしまっただけです」
衝撃的な事実が発覚したその数日後。見事に的中してしまったがために、貰っても困るスケジュールを受け取るはめになった。とはいえ、オキーフには個人的に聞きたいことが出来ていた。そればかりは、好都合であった。
「全く。上が自由だと下も散々だな。あんたも苦労している」
「どうでしょう。こうして、あなたの休暇にお邪魔してしまっているので」
「まあ、驚きはしたが……。こうして来るということは、あんたには話がある。そうだろう?」
手慣れたように、簡易キッチンのコンロにコーヒーポットを置いて水を温め始める。このフィーカタイム。言わば、コーヒー一杯の時間が、こちら話が出来る時間となる。彼が、わざわざ割いてくれた時間でもあった。
「では、単刀直入に。独立傭兵レイヴン。彼女はハンドラー・ウォルターの猟犬である。そのことを、隊長に教えたのはあなたですね?」
「なるほど。それがあんたの聞きたいことか」
気にかけていたこと。“壁越え”でのラスティの言葉だ。あのハンドラーの猟犬であると。彼はあの少女に言ってのけたのだ。“壁越え”から、ベルタも独自に調査を行った。ハンドラーとレイヴン。双方の名を探るために、まさかインターネットのアンダーグラウンドに潜ることになるとは思わなかったが……
「どうして気になったのか。そのことを聞いても?」
「ええ。“壁越え”にて、隊長は“レイヴン”をあのハンドラーの猟犬ではないか。と述べていました。ですので、まずは、“レイヴン”が何者なのかを探ったことが契機です。傭兵支援システムの記録上では、彼女が我々の依頼をこなすようになる数日前では、ライセンス失効処理が始まっていました。そして、彼女は活動を再開した。今まで無かった名前であるハンドラー・ウォルターと共に」
“レイヴン”という名前自体は、企業に長く勤めていれば聞いたことくらいはある名前だった。その名前は、意志の表象。伝説的な傭兵の称号とも言える。あまりにも有名が過ぎる故に、言わばその名前にあやかろうとする詐欺師や半端者がいるというのも事実だった。何よりも、企業は。アーキバスは、依頼を遂行する傭兵が何者なのかどうでも良い。その傭兵が何者かなぞ探ることもない。ただ、仕事をしたという事実のみが必要だ。そのために、安くない金を払っているのだから。アンダーグラウンドの噂に、本物のワタリガラスがいるらしいことも耳には入ってきたが。恐らくこれは、関係ないことだ。
ハンドラー・ウォルター。売れ残りの旧世代型強化人間を買い取り、私兵としてきた人物。彼に買い取られた強化人間たちは、彼に忠実な恐れ知らずの兵士。というよりは、主に忠実な猟犬になると聞く。ハンドラーという、セラピストして調教師。その名は伊達ではないのだろう。その人心掌握力と確かな指導によって、売れ残りの旧世代型強化人間。言わば、心身に何かしらの欠陥を抱いた兵器のなり損ないたちを立派な猟犬に仕立て上げて来たのだろう。……そうなると、あの少女もハンドラーの洗脳下にあるということなのだろうか。
ハンドラーには信憑性に疑問があるが、実績はある。旧世代型強化人間を戦場で戦える一級品に仕上げること。かのレッドガン部隊と小競り合いをしても尚、ハンドラーの猟犬達は欠けることが無いほどだ。そして、都市伝説ではないかと疑いたいものもある。それは、ルビコン宙域に点在する惑星封鎖機構の駐屯地の奇襲だ。彼に仕立て上げられた四人の強化人間を投入したものの、強化人間たちは全滅。しかし、たった一人がルビコンⅢへ密航するには十分な通り道を切り開いたのだと。この噂が本当かどうかは分からない。酔っ払いの作り話の方が、よほど説得力はある。だが、現にハンドラー・ウォルターはこのルビコンⅢにいて、独立傭兵レイヴンと共に仕事をこなしているのだ。
これらの情報の出所は、全てインターネットのアンダーグラウンドだ。とても、一般人が利用するようなネットワークでは手にすることが出来ない情報だ。モニカならば、可能かもしれないが……。それでも、インターネットの、暗く深い底へ到達することなど。とても、あの若者では出来ないことだ。だというのに、彼は、言葉を口にしたのだ。ハンドラー・ウォルターの子飼いらしいな、と。
「アンダーグラウンドでようやく見つけるような情報を、彼が入手出来るとは考えられません。ならば、あなたに調査を依頼した。そちらの方が、まだ考えられる」
ポットの湯が沸いた音。目の前の無精髭を生やした黒髪の男は、気だるい雰囲気のままポットの元へと向かう。コーヒカップに沸騰した湯を流し、カップを温め始める。
「……この半年で、あんたがあの若造をどれだけ見ていたかよく分かる。ああ、確かにラスティはアンダーグラウンドでの情報収集は不可能だろうさ。あんたというお目付け役がいる以上に、ネットワーク型ではないラスティにアーキバスのネットワークを介さない方法なぞない。だが――」
カップを温めている間、コーヒーの粉を吟味し始めるオキーフ。彼には慣れた動作なのだろう。言葉を続けていく。
「惜しいな。俺に頼んで来た時には、ある程度は知っている口ぶりだった」
「なんですって……!?」
こちらが想定していることと異なっていた。いや、それ以上に厄介な事が起きた。ラスティは、知っていたことになる。ハンドラー・ウォルターとレイヴン。その双方を、少なくとも“壁越え”以前から――
「……」
こちらが、第四部隊副隊長として任命された本当の理由。わずか半年で成り上がってきたシュナイダーからのイレギュラーの身元を洗うこと。スネイルは、彼を信用していない。むしろ、不穏分子として捉えているが正しい。ラスティの経歴には、少々疑わしいところがある。シュナイダーに探りを入れても、ラスティに関わるところは厳重なセキュリティとなっている。突破出来たと思えば、ダミーの情報を掴まされる。彼が何者なのか、爽やかで人当たりの良いフリをしているあの青年について、何も分からないままだった。そして、レイヴンとハンドラーについて知っているとなれば、どこで、いつそのことを知っていたのだろうか。疑問が、より深く絡まっていく。
「……ベルタ・ウェバー」
カップから湯が捨てられる。そして、ドリッパーにフィルターがセットされ、コーヒーの粉が入っていく。コーヒーポットからフィルターに向けて湯が注がれていく。
「あんたの事情は、予想がつく。だったら、あの若造に甘くなるな。迷う時点で、あの若造の人心掌握に掴まってるぞ」
「それは……」
痛い忠告だった。彼を探らんとして、それでも。第四部隊の一員として働いて。この半年であの青年に絆されてしまっているのも事実だ。どうしても、彼が不穏分子であることを信じたくない。だが、彼をスネイルの元に突き出すための確固たるものを見つけなければ、帰りを待っている家族の生活が保障されない。それは、避けなければならない。
「
良い香りと共に、コーヒーの入ったカップが出されていく。照明に反射する真っ黒な水面に浮かぶのは、迷い続けている自分の表情だった。