「……」
意識が浮上する。辺りを見渡すと、天蓋に覆われた寝具のようだった。少なくとも、このような場所で就寝をした記憶がない。なんだか、頭が痛い。
「なに、これ……」
「あの、大丈夫ですか?」
聞き慣れた声に振り向くが、そこには誰もいない。いや、よく見ると小さな赤い光が右往左往に動いている。
「……エア?」
「はい、私です。レイヴン、ですか? その姿は一体……」
「……?」
「こちらに鏡があります。見てみてください」
なんとか身体を起こす。なんだか、妙に視座が高く身体が重い気がする。エアに言われた場所を見れば、そこには鏡があった。だが、映る姿には驚いてしまった。
「……私、だ」
「え?」
「私の、身体……」
鏡に映るのは、十四歳程の幼い少女の姿ではない。少しだけ歳を重ねた、それでも二十には満たない少女。だが、その姿は異様なものだ。素肌のほとんどは黒い包帯で巻かれているが、見える肌には冷凍保存による凍傷や強化施術による傷が残っている。包帯によって片方の視界は塞がれていて、銀色の髪は背中にまで伸びている。
なにより、空色の瞳ではなくコーラルに似た赤い色をしていた。
「ではその姿が……、本当の……」
「……うん。この姿、ウォルターしか知らない。私も、ルビコンに来る時に、一回、見ただけ。私の元の身体、今、ウォルターの知ってる人が、預けてるって」
「……」
息を呑むエア。こんなにも、ボロボロな身体を見て、何かしらの衝撃を受けてしまったのかもしれない。
「レイヴン……、その、身体……。どうすれば……」
「ウォルターが、ね。コーラルが、手に入れば。人生、買い戻せるって」
「――だから……」
「でも、無理だと思う。こんなにも、ボロボロだもの」
本来ならば、喋ることすら難しい身体だ。むしろ、どうしてこの身体が動いているのか。この身体は、脳深部コーラルデバイスの影響で、植物状態となっているはずだ。本来ならば、こうして動くことも話すこともままならない。
「……では、なぜ……」
「使えないガラクタの私を、ウォルターが、見つけてくれた。だから、ウォルターのため、に……」
それが、戦う理由のはずだった。使い物にならない売れ残り。在庫処分されるまで、低温度の中で微睡むだけ。そんな自分を、ウォルターが拾い上げた。意味を、与えてくれたのだ。だから、彼のために戦うのだと決めたはずなのに。
「レイヴン……?」
「だめ、なんか。ぐちゃぐちゃになる……」
「……最近のあなたは、過労が祟ってか思考パターンが乱れることが多くなってきています。それに、様子のおかしい人と戦ってきたのです。精神的にも疲労が溜まっていてもおかしくありません」
「うう……」
中央氷原に到達してから、妙な記憶が脳裏をよぎっていく。知らないはずなのに、知っている。そして、その記憶は酷く胸に痛みを覚えさせるものだ。そんなところに、カーラの依頼によってオーネスト・ブルートゥという……、言葉にするのもおぞましい存在と戦ってきたのだ。どこか鈍い痛みを及ばす頭を思わず抑える。
その時に気付いた。右腕を動かすと、それは義手のようなものになっていた。確か、強化骨格に筋肉繊維、人工皮膚と一部の内臓以外も強化人間用の臓器に変えられていたはずだ。そこには、義肢というものはない。だというのに、右手は球関節の義手になっていた。包帯の名残か、いくつもの紐が絡み付いている。だが、それを取るという気にはなれなかった。
「私の、右手……」
「私が気付いた時には、既に……。レイヴン、嫌な予感がします。早く、ここから脱出しましょう」
「そう、だね」
いつまでもここで考えていても仕方ない。なんとか、身体を動かすことは出来る。どこか、アーカイヴにある貴族のような雰囲気を漂わせる装飾のされた部屋から出る。壁を頼りに、なんとか脚を動かしていく。
「こんな時に、いつもの姿であれば……」
「しょうがない、よ。エア。大丈夫」
ゆっくりとだが、長い廊下を歩いていく。人の気配はない。ここには、自分たちしかいないようだった。窓を見ても、真っ暗で見えない。明かりらしい明かりもないが、なぜか視界は見えていた。どれぐらい、この廊下を歩いたか。ふと、音が聞こえた。
「……?」
「レイヴン、そこの階段からです、明かりが付いていて、音楽も流れている……?」
音と光を頼りに、慎重に階段を降りていく。どうやら、少しだけ開いていた扉から光と音楽が漏れていたらしい。取手を掴み、扉を開く。
*
「……え?」
それは、どちらの声だったのだろうか。広がった世界は、豪華絢爛の文字が付くダンスホールだ。だが、踊っているのは一組だけ。金色の髪を揺らしながら、男がリードするようにステップを踏んでいる。ドレスこそは見えるが、パートナーの顔は見えなかった。
「これは、一体……」
唖然とするしか無かった。見たことも無い世界は、あまりにも非現実的過ぎて、ようやくこれは夢なのだと理解出来た。夢ならば、後は覚めてしまえばいい。どうか、早く義体よ、目覚めて欲しい。そう願っていると、金色の髪の男の、オレンジ色の瞳と目が合ってしまった。
「ああ、良かった。お目覚めなのですね! ご友人」
聞こえて来た声に、悪寒が走った。その口ぶりは、忘れるはずもない。不定期にフラッシュバックする記憶の頭痛に重ねて痛みを増している元凶だ。逃げようと後退るも、先程まで踊っていたパートナー――、壊れた人形を放り投げてこちらに向かってきた。
「おや? なるほど、それが本当の貴女なのですね? アリス」
「やめ、て……。来ないで……」
「こうして再び出会えたのも何かの縁。さあ、今度こそ一緒に踊りましょう!」
「いや……!」
手を振り払うも、ボロボロの身体ではすぐに捕まってしまう。ダンスホールの中央にまで引きずり込まれ、片手を掴まれたまま片腕がこちらの腰に回ってくる。
「離して……!」
「この、レイヴンから離れてください!」
「ダンスは初めてですか? ご友人。ご安心を、私がエスコート致します」
赤い光など視界に入っていないとばかりに、ダンスが無理矢理始まっていく。身体を半ば拘束されて、とにかく脚を動かさなければ、もつれて転んでしまう。
「いいですよ、ご友人。初めてにしては、上出来です」
「やだ……、離して……!」
「共に凌ぎ合った仲でしょう? ご友人」
こちらの言葉にも耳を貸さずにダンスが続いていく。気持ちが悪い、整った顔立ちというのが無性に腹が立ってくる。
「では、ご友人。私の、お気に入りのステップをご披露しましょう。スロー、スロー。クイック、クイック、スロー。スロー、スロー。クイック、クイック、スロー!」
「きゃあ……⁉」
ゆったりとした、そこから苛烈に突き放すかのような動きに翻弄される。倒れそうになるも、目の前の不快な男にしっかりと支えられてしまった。
「なんとも初々しく可愛らしい方だ。こんな貴女を、殿方が放っておくことはないでしょうね」
「離して、お願い……」
「ああ、ご安心をご友人。私は、シンデレラ一筋ですので」
にこりと笑う表情に最早限界だった。とにかく逃げたい、この不気味過ぎる男から離れたい。
「ご友人、貴女は本当に愛されている。貴女は無垢な乙女だ。硝煙と陰謀に満ちた濁流の世界に現れた、清らかな湧き水。誰もが、貴女を手にしたいと思うでしょう」
男が言葉を続けていく。
「ですが、貴女の心は虚ろだ。満たされていたはずの器は破壊され、修復されている最中。そうでしょう?」
男の言葉には答えない。答えたくない。
「ご友人」
これ以上、言葉を口にするな。
「貴女自身のお気持ちを、考えたことはありますか?」
聞きたくない言葉に、目を背くことが出来なくなってしまった。
「貴女には多くの出会いがある。この窓から見つめる蜘蛛も、足元に這う蟻も、赤眼のカラスも――。全てが、貴女の糧となるでしょう」
思わず、窓を見た。窓辺に赤い瞳のカラスがじっと、室内を見ている。大きな樹から、一匹の蜘蛛がこちらを見つめている。恐る恐る足元を見れば、気付かぬ内に蟻を踏みつぶしてしまっていた。
「ああ、それとも……」
男が、こちらの右手に触れ始めた。
「貴女は、囚われたままでしょうか」
絡み付く紐に手をかけようとしていた。
「……、やめて!」
そう叫んだ瞬間だった。背後から窓ガラスが割れる大きな音、こちらの横を通り過ぎて前に出て来たのは、青みがかった灰色の毛並みの、大きな狼だった。
「……なるほど。その方が、貴女の」
低い唸り声。これ以上、話すなと言いたげな威嚇だった。
「ご友人。楽しい一時を本当に、本当にありがとうございました」
男が甲斐甲斐しく礼をする。敵対意識が無いと見たのか、巨体の狼が、こちらに振り向いた。橙色の瞳にじっと見つめられた後、彼は姿勢を低くする。まるで、乗ってくれと言っているようだった。
「乗って、いいの……?」
狼は答えない。だが、なんとか巨体の背中に跨っていく。こちらが乗ったのと同時に、狼は走り出す。
「わっ……」
「大丈夫ですか、レイヴン?」
振りほどかれないように、狼の身体にしがみついていく。よく見ると、錆色の毛もまざっている不思議な毛並みだ。
(……暖かい)
狼が地面を蹴る音、走る呼吸の音。当たる夜風は冷たいが、生きている者の暖かさを感じる。まともに動かすことの出来ないボロボロの身体であっても、それは分かることだった。次第に、狼の動きがゆったりとしたものになる。伏せていた身体を起こして辺りを見渡せば、そこは、満月が見える草原だった。狼が完全に止まったのを見計らって、ゆっくりと背中から降りていく。
「えっと……。あり、がとう……」
あの場から救ってくれた狼に礼を言う。構わないとばかりに、顔をこちらの顔や肩口に擦り付けてきた。
「あっ、くすぐったい……。くすぐったい、てば……。ふふ」
笑う、なんてことはいつ以来だっただろうか。自然とその表情や感情が出て来た。
(でも……)
あの男の元から逃げたのは良い。だが、場所は分からない。なにより、夢だと分かっているのに義体が一向に目覚める気配がない。これが問題だった。まだ、あの怪物は氷原をうろついているはずだ。ウォルターのためにも、目覚めなければならない。
「私、そろそろ、行かないと……」
くぅんと寂しげに狼が鳴く。そのように鳴かれてしまうと、立ち去ることに後ろ髪が引かれる。だが、いつまでもここにいる訳にはいかなかった。寂しげに鳴いた後、こちらの右手に頭を摺り寄せてくる。そして、絡み付く紐に気付いたのか。紐の端を噛み始めた。
「あっ、ダメ……!」
思わず手を引いてしまった。例え、心を許したこの狼であっても。それだけは、譲れなかった。この右手は、右手に絡む紐は、誰にも触れられて欲しくない。この絡み付く紐を解くなぞ、もってのほかだ。
「……ごめんね、これだけは……」
寂しげに鳴いた狼が俯く。やはり、そのどこか寂しげな姿にはこちらも胸が痛くなる。
『これからのお前の選択が……。お前自身の可能性を――』
(でも……)
もう一度、右手を見つめる。球関節となった義手には、紐が絡み付いている。これには、何人たりとも触れて欲しくない。だが、考えてしまう。この絡み付いた紐を、
「私、は……」
左手の指が、右手に絡み付く紐をつまむ。それを解こうとした瞬間に意識が途切れた。
*
「――、レイヴンちゃん! 起きて!」
身体を揺さぶられて、はっきりと目が覚めた。知らない天井――、ではない。ここは、ベルタとモニカの相部屋。今回は確か、モニカの寝具にモニカと共に眠っていたのだった。
「よかったあ。すごく魘されていたんだよー?」
心配そうに、紫色の瞳が向けられている。モニカの身支度は、すでに整っている。ゆっくりと身体を起こせば、先程までのボロボロな生身の身体ではない。カーラによって作られた義体だった。
「……やっと、起きれた」
「凄い悪い夢、見てたー?」
「……うん」
「嫌な夢を見ると、もう一日のテンションダメになるよねー。そうだ、こういう時こそ美味しいご飯食べよー?ちょっと隊長とベルさんに無理言って、午前休にしてもらったんだー」
モニカに身支度を手伝ってもらって(というよりは、勝手に髪を梳かれたりされた)、食堂の方へと向かう。どうも、起床時間になっても尚、起きることなく魘されているこちらを気にして、モニカが半休を取って起きるまで様子を見て貰っていたらしい。目覚めないこちらを気にかけるウォルターが訪ねてきたり、レールキャノンの搬入について相談しに来たカーラも訪ねて来たようだった。
『レイヴン』
振り向けば、そこには黒髪に赤い瞳の女性の姿を象ったエアの幻影があった。
『その……、夢の中でのあなたの身体の状態は……』
『本当のこと。本当は、植物状態でまだ治ってないから動くのは違うけど』
『……』
何か言いたげなエア。エアにはあの悪夢は見えていたようだった。
『エア。ウォルターには、内緒にね。ワタシから、言うつもりもない』
『……分かりました。これは、私たちだけの秘密に』
それにしても、あんな夢を見るとは思わなかった。“ブランチ”との戦闘となった仕事の次は、カーラの依頼だった。アイスワームを撃破するため、盗まれた一品の奪還。それが、仕事内容だった。RaDから技術と金と一品を盗んだ張本人――、オーネスト・ブルートゥと対峙することになり、撃破した。取り戻した一品、レールガンの調整が終われば、また一歩あの怪物を撃破に近付けるはずだ。
だが、ブルートゥという存在は、あまりにも強烈が過ぎた。フラッシュバックする記憶に思考と感情が乱される中で、おぞましい強烈存在は想像以上にメンタルにダメージが蓄積していたのだろうか。
(……)
手袋で隠している右手を見る。この一枚の布地の下は、人工皮膚に覆われた球関節の手が存在する。絡み付いた紐は存在しない。だが、あの拘束を自ら解くことに意味があった。そんな気がしてならないのだ。それが何故かは、分からないが……
「あ。珍しいー。たいちょー! ベルさーん!」
モニカの声に正面に視界を戻せば、そこにはベルタとラスティが何かしらの会話をしているところだった。仕事の最中、だろうか。
(……また、むかむかしてきた……)
「モニカか。やあ、戦友。目覚めが悪いと聞いた。体調は大丈夫か?」
こちらの様子を見るためか、膝を付いたラスティが目の前にいる。手の甲が伸びて、こちらの額に当てられる。
「……熱は、無いな。体調は問題無いようで何よりだ」
「結構夢見が悪かったみたいですー。これから、フィーカやケーキを食べようと思うのですけど隊長たちもどうですかー? やっぱり、甘い物と美味しいフィーカが一番の癒しですからー」
「どうします? 確かに、休憩を取るなら今ぐらいしか無いですが」
仕事休憩の誘い。少し考える素振りこそはするが、すぐにラスティは首を横に振って立ち上がった。
「いや、もう少し話を詰めたい。ベル、良いか?」
「了解しました」
「わー、お疲れ様ですー。午後はちゃんと仕事しまーす」
「あ……」
「君はしっかりと英気を養ってくれ、戦友」
こちらに軽く手を振った後、ラスティとベルタが離れて行く。それが、なぜか、どうしようもなく嫌で――
「……、ラスティ……!」
「どうした? 戦友――」
気付いた時には身体が動いていた。振り向いてくれた彼にそのまま真正面から抱き着いていく。
「……」
「――それだけ、悪い夢を見ていたのか。配慮が足りなかった。すまない、戦友」
髪に指が通っていくような感覚。降って来る優しい声に、もっと聞いていたいという欲求が高まる。
「もっと、喋って」
「そうだな……。私も、ご相伴に預かっても?」
「ん……」
ワガママを言ってしまったが、それを良しと言ってくれた。申し訳さなはあるが、安堵する気持ちもある。
「……隊長。本当に、その子に、何も、していないんですよね?」
ベルタの鋭い雰囲気を纏った声。なぜ、こちらではなくラスティが叱責の対象にされているのだろうか。
「何もしていない。この子に無体を働く訳にはいかないだろう?」
「隊長がヒカルゲンジしているかはともかく。今回は、タイミングが悪いし、ベルさんのせいもあるかも? ベルさんを見るレイヴンちゃんの目、じっとりしてますもん」
「……私、既婚して子供がいるという話、まだしていなかったかしら?」
徐々に、周囲からの話声が聞こえてくる。公衆の面前でとか、ラスティ隊長がロリコンなのは本当だったのかというものだ。
「……戦友。そろそろ、離れて貰えると助かるのだが」
「……ほう、詳しく話を聞かせて貰おうか?
言われた通りに離れようと腕を離した瞬間に、ウォルターの声が聞こえた。ひょこっと、顔を出すと今まで見たことが無いオーラを纏ったウォルターと笑うことを必死に堪えているカーラの姿が見えた。
「ま、待ってくれ! 誤解だ、ハンドラー!」
「ウォルター、ビジターだって誰かに甘えたい時ぐらいあるさね。まあ、そういう時は近すぎる身内じゃなくて、気になる相手、になる訳だが」
「わー、火に燃料がブチ込まれたー」
なぜか怒り心頭のウォルターを宥めたり、荒ぶるエアを鎮めたり、ベルタから誤解の訂正をされたりと、悪夢のことなどすっかり忘れてしまう程忙しい日だった。