Q.一般探索者が黄色い触手を見た場合の反応を述べよ 作:お前の母ちゃんシュブ=ニグラス~!
──────その日の事を、今でも夢に見てしまう。
いつの間にか、枯れた大地で仰向けに倒れていた。
死に切った樹林ばかりの、落ち葉さえない、そんな場所。
人はなく、危機はなく、風もない。
ただ、見上げた空に浮かぶ星々だけが、煌々と輝いていた。
それは、見る人が見れば、一生の思い出に残りそうなほどに美しいものだったけれど。
…………けれど。
胸に去来したのは、泣き出したくなる程の虚しさだけだった。
──────ほんの十秒前、一つの選択があった。
果たしてこれが、その結末。
狂ったような星空と、弱々しい心臓の鼓動。
この場に残ったモノは、即ちそれだけだった。
銀糸の髪など望むべくもなく、しかして終焉も起きえない。
世界は今も
何事も無かったように、何一つ異変は無かったという顔で。
あの少女の存在が、初めから無かったとでも言うように。
瞬間、それに憤ろうとして、自分にはそんな資格がない事に気がついた。
「────、は、はは」
乾いた声が、蜃気楼のように夜へ溶ける。
だってそうだろう。その結末を選んだのは、他でもない──────
その日。
奇蹟が如く世界は救われて、
少女は赦された様に息を引き取って、
少年は昏い後悔を胸に抱いた。
今は遠く過ぎ去った、誰にも変えられぬ、ある冬の日の事。
◇◇◇
深い土の匂いと、僅かに囁くような新緑の声。温い日差しが、閉じていた瞼を優しく刺した。
「ん……」
眩しさに負けて、ゆったりと目を覚ます。
ぼやけた視界が、少しずつ輪郭を取り戻していく。
緑の木々と、さめざめとした青空。
そして遠くに浮かぶ、欠けたナニカ。
空を羽ばたく鳥達の、チチチ、という鳴き声が耳を通り過ぎた辺りで、
「あれ…………ここは…………どこだ」
そんな、当然の疑問に辿り着いた。
ゆるりと上体を起こす。全身が妙に気怠い事に気が付いた。
体が縛られていないことを確認し、ぼんやり周囲を見渡した。
目の前には、整備の行き届いていない山道が一つ。
けれど、よく見ればかなり踏み均されている。
多分、それなりに人通りがある場所なんだろう。
「ふーむ…………?」
なんとなく知っていそうだと頭を捻れば、一つの答えに辿り着く。
────ここ、通学路の山道じゃん。
今日付けで通う校舎が変わっていたから、一瞬わからなくなってしまったのか。
「あー…………そうだった。寝てたんだっけ、オレ」
疑問が解消されると同時に、また新たに小さな疑問が浮かび出す。
「…………いや、あれ?なんでこんな所で」
寝ていたんだろう、と再度頭を捻る。
顎に手を当て、記憶の再生を試みた…………が、蘇る映像が一つもない。
だが、凡そ見当はつく事柄だ。
ここが山道で、慣れない場所で、尚且つ気を失っていた。
なら単純に、体力が尽きたのだろう。
生まれつき身体の弱かったオレの人生では、大して珍しい事じゃない。
「地面に倒れ伏していないのは、ラッキーだったな」
今もって体を預けている一メートル台の大岩。
恐らくは、気を失う前の俺の最後の抵抗、といった所だろう。
記憶にこそないが、当時の自分には惜しみのない賞賛を送りたい。
新学期早々、制服を泥まみれにするとか、気が滅入ってしまうし。
「なにより、山道に沈む中学生とか、どうあがいたって絵面が最悪だし」
登校中に遭難とか、笑い話だが笑えない。
つくづく大岩があったことは幸運だったと、岩肌を撫でる。
ふと、ポケットにスマホがあったことに気が付いた。
「そういや今何時だ。絶対遅刻だろ、これ…………」
スマホを確認すれば、現在時刻は八時三十分。
始業が三十五分からだから、殆ど確定で遅刻である。
元より余裕のある登校ペースでもなし。
当然と言えば当然である。
「まぁ、走れば間に合いそうではあるけど」
ほんの少しの逡巡。
つい先月まで陸上部だった足は、いまだに現役だ。
心底急いで全力疾走すれば、あるいは間に合うかもしれない。…………が、そこまでの事はしたくないと一蹴。
「やっぱり、甘んじて遅刻を受け入れるかな」
正直、進級して初日から遅刻とか自分でもどうかと思うけど。
それがオレだし、くよくよしても焦っても始まらない。
「よいしょ、っと」
岩から飛び降りて、伸びを一つ。
凝り固まった体が、ポキポキと音を立ててほぐれていく
血流が良くなっていく感覚が気持ちいい。
…………さてと。
「────じゃ、ぼちぼち向かうか」
冬明けの涼しい風に煽られ、止まっていた歩みを再開する。
緩やかな傾斜を登る。
向かう先は山の上の隔離校舎。
一限が始まるまでには着きたいなぁ、なんて。世迷言を呟きながら、オレは歩を進めて行った。
◇◇◇
「私が月を殺った犯人です。来年には地球も殺る予定です。
君達の担任になったので、どうぞよろしく」
────まず五、六箇所ツッコませろ!!!
椚ヶ丘中学校三年E組。
クラス全員の思考は、一人の漏れもなく混乱の只中だった。
突然現れたタコ型生命体の一言は、それ程に常識を外れていた。
生徒達の中で、様々な疑問が浮かんでは消えを繰り返す。
それを見かねてか、一人、スーツの男が前に出た。
「あー、防衛省の烏間と言うものだ」
これから話すことは極秘事項である、と前置きした上で、彼は事態の説明や補足を行っていく。
月の破壊が真実であること、地球を破壊することも、恐らくは真実であると言うこと、その事実は各国首脳部しか知らないこと、秘密裏に殺害する必要があること、しかしこのタコ型生命体は最高速度マッハ二十を越えると言うこと。
──────なにより、本当にこの三年E組の担任をすると言うこと。
正直、側から聞けば妄言の類に間違いなかったが、しかし実際にその超生物が目の前にいる以上、信じるより他になかった。
そして、最後に。
「君達には、来年の三月までにコイツを暗殺してもらいたい。成功報酬は────百億円だ」
「な────ッ!?」
その声を発したのは誰だったか。或いは、その場にいた全員か。
理不尽だとか、訳がわからないとか、そう言った不満が全て吹き飛ぶような衝撃を、その数字は持っていたのだった。
「当然の額だ。暗殺の成功は、冗談抜きに地球を救う事を意味するのだから。…………幸いな事に、コイツは君達を舐め切っている」
見ろ、この顔を!と言われ見てみれば、その顔には緑の縞々模様が出来ていた。
曰く、これは『ナメている』時の顔らしい。
どんな皮膚だよ、とは言わぬが花である。
「当然でしょう。国が殺れない私を、君達が殺れる訳がない。最新鋭の戦闘機に襲われた時も────にゅや?」
ふと、嬉しそうにうねっていた触手の動きがピタリと止まる。
よく耳を澄ませてみると、昇降口の方から小さく足音が聞こえてきていた。
それは一瞬だけ止まり、上履きへ履き替えたかと思える音を出した後、突然喧しく足音を響かせ出した。
ドタドタとした音は、教室前方の扉の前で一度停止したかと思うと、ガラリ、大きく扉がスライドした。
「いやー、すみません。道に迷ってるお婆さんと世界救ってて遅れちゃいました!」
──────さすがに無理があるだろ!!!
E組の心の声は一つになった。
一発で分かる嘘と共に、飛び込むように教室へ入ってきたのは、黒い髪の少年だった。
椚ヶ丘の制服を着ている事から、恐らくE組の生徒なのだろう。
そういえば一席だけ空いていたな、と誰かが思い出した。
わざとらしく息を切らす少年は、尚も言葉を紡ぐ。
「いやー、これ。ほんとに人助けでぇ、ちょーっとご容赦いただきたい、って…………いう、か…………」
饒舌に語っていた少年だったが、ここでようやく目の前にいる存在を認識したのか、言葉は尻すぼみに消えていった。
「…………なんだ、これ」
それどころか、少年の顔がみるみるうちに青白くなっていく。
指先が震え、溢れる息は白くなっていく。…………だがしかし。
それから数瞬の後、ハッとなったように口を真一文字に結んだ。
うねる触手を目で追うように視線は泳ぎ、体勢は半身を躱すような中腰へと変化していく。
それは武術の構えにも似て。或いは確かに、何かに専心する者の在り方だった。
極めて鋭くなった瞳が問う。
「オマエは────何者だ」
「私は…………って、ええぇぇぇぇ!?」
黄色いタコが自己紹介をしようとした瞬間、彼は真後ろに向かって走り出していた。
次の一秒に、ガラスの割れる音が響き、次いで重たい何かが着地する音。
彼は眩いばかりの瞬発力で、蹴破る様に廊下の窓を割り、そのまま屋外へと逃走を果たしていた。
ひどい急展開。
さながらアクション映画の様なワンシーンに、その場にいた誰もが呆気にとられた様子で、場は静まり返る。
マッハ二十の超生物さえ反応できないスピードで、少年はこの場を後にした。
◇◇◇
捕まった。
山を駆け降りて市街地に出たまでは良かったが、次の瞬間には、こうして職員室のソファに座らされていた。
何が起きたのかすら理解できなかった。
変な魔術でも食らったかと思ったが、聞けば純粋な超スピードらしい。絶望的な生物格差である。
…………まあ、そこはひとまず置いておくとして、だ。
「一、アレは月を壊した犯人で、来年地球も殺る宣言をしてる。
二、ヤツと政府が契約、アレはここの担任をする事に決まった。
三、故にオレたちは、クラス総がかりでアレを暗殺する。
…………って事であってますか、烏間さん」
「ああ。概ねその認識で問題ない。付け足すとするならば、アレに関する事柄は全て極秘だ。家族や友人にも話してはいけない」
現在オレは、防衛省の烏間惟臣さんに事の確認を手助けしてもらっていた。その結果明らかになったのは、頭の痛くなる様な事実ばかりだったが。
「マッハ二十の超生物か…………最早SFかファンタジーの領域ですね」
「…………気持ちも分かるが、どうか現実と受け止めて欲しい」
「いや、そりゃマッハの世界を体験しましたし、信じはしますが。 アレが担任というのは、どうも」
「君達に負担をかける事については、申し訳ないと思っている。 だからこそ我々も、最大限の助力をすると約束しよう」
うーん…………どうなのだろう。
彼の言葉には、騙そうとか、信じ込ませようとか、そういう打算がないのは感じ取れるが、どうもそれに乗る感情が平坦だ。
ぱっと見からして真面目そうな人だし、この辺りは性格なのか?
とは言えひとまず、ここまでのことに嘘は感じ取れなかった。
一旦事実と仮定しておいてもいいだろう。…………それはそれで、悪夢みたいな話だが。
「ところで烏間さん。アレ、通常の銃火器は効かないんです?」
「残念ながらな。既に効かない事が証明されている。ヤツめ、避けることすらしなかった」
「当たらない、ではなく効かない、と言うのは具体的にはどういう?外皮が滅茶苦茶硬いとか、摩擦係数が低くて滑るとか?」
「いや、奴の体内にめり込んだ時点で、超高温によって金属の類が融解する」
「思っていたよりバケモノじみた理由だった…………」
この手のはやはり既に試しているのか…………いや、それはそうか。
そもこんな所にお鉢が回ってきている事が異常事態なのだし。
各国で出来そうな事は、もう一通りやってると見た方がいいな。
「けど、こっちの対先生物質とやらは効く、と。…………言っちゃアレですが、おもちゃのナイフとBB弾にしか見えないこれが、ですか?」
「ああ。ソレに触れれば、たちまちヤツの細胞は破壊される。
各国が総力を上げて開発した素材だ、効果は保証しよう」
「へー、当てた事あるんです?」
「…………いや、違う。ヤツ自身が、特定の化合物に触れると細胞が破裂すると自白し、そして実演してみせた」
──────今、小さく生唾を飲んだな。
視線こそ動かさなかったが、体の力みのバランスが僅かに崩れた。先の発言のどこかに、嘘が混じっていると言う事だろうか。
「自分で弱点を露呈するなんて、何考えてるんですかね」
「さあな。俺にもアイツの考えはよくわからん。 そもそも、生存だけを考えるならここの担任なぞやらんだろうしな」
「それは確かに」
ふーむ…………嘘なのは“ヤツ自身が自白した”って辺りか?
考えていることがわからない、と言うのは本音に聞こえるし。
となれば────特効物質を“始めから知っていた”とか?
そう、小さく思考の渦に耽っていると、突然。
ダダダダダダダ────!!!!
部屋の外から、銃撃音が鳴り響いた。
それも一つや二つではなく、十、二十というレベルの一斉掃射。
この方向は…………教室か?
「この音は恐らく、暗殺が開始されたのだろう」
「暗殺って…………あぁ、そう言うことか」
顔も知らないE組の生徒達は、思いの外順応が早いらしい。
マッハ二十の超生物に対して、取り敢えず物量作戦に出た訳か。
正直悪くない案だとは思うが、烏間さんの顔は渋い。
まさかとは思うが。
「…………これも避け切るんですか、アレ」
「ああ。既にやった身から言わせて貰えば、この手の飽和攻撃は効果が薄いと言わざるを得ないな」
「あー…………各国の軍隊でやって無理なら、まぁ、無理でしょうね。最高速度マッハ二十は伊達じゃない、か」
「そうだ。単純計算、奴は二時間弱で地球一周を敢行できる。────我々が相手にするのは、そう言う存在だ」
改めて絶望的な生物格差だ。
あの怪物は人類最速の六百倍以上は速く動けるワケで。
そんなヤツに攻撃を当てるとか…………はは、ゾッとしねーや。
「あの一応、念の為に聞いておくんですが」
「あぁ、どうかしたか」
「接近戦とかだと、どうなんでしょう?」
すると烏間さんは、悔しげに眉根を寄せて、
「君が来る前に、他の生徒達の前で実演したが、完全に避け切られた挙句にその間眉の手入れまでされた…………!」
「うっわぁ…………」
心底苛立つと言うような声で吐き捨てた烏間さん。
体つきからして相当強いだろうに、相手がアレでは赤子同然なのか。本当、酷い話である。
…………程なくして銃撃音は止んだ。
時間にして、二分弱。
それだけの時間銃弾の雨にさらされながら、ヤツは一つの被弾も負わないだろうと烏間さんは予想していた。
「そんなバケモノ、本気で殺せるんです?」
「…………わからない。だが、殺さなくては地球に未来はなく、そして現在、約一年の猶予がある」
「そこに賭けるしかない、ですか。…………人類って意外と逼迫した危機に面しますよね」
「今回ばかりは、有史以来の危機だがな」
ふと廊下の方から、ヌルヌルとしたような、何かを引き摺るような音がした。それは次第に大きくなっていき、どうやらこちらへと向かってきていた。
磨りガラスの窓に、黄色い影が映り込む。
ガラリ、と。職員室の扉が開かれた。
「────おはようございます、秋野君」
その場に現れたのは、件の超生物。
真っ黄色の皮膚と、球体の顔面。
裂けたように歪んだ口元と、感情のない二つの瞳。
数多の触手をアカデミックドレスで包んだ、怪生物。
三日月をあしらったネクタイは、さながら勲章の様だった。
その姿を前に、努めてなんでもないように、言葉を返す。
「おはようございます、先生。…………話には聞いてたけど、本当に無傷なんだ」
「あぁ、先ほどの暗殺ですか。ヌルフフフフ。あの手のモノは、政府の皆さんに無駄だとわからせるまで、お付き合いしましたからね」
「おい、何故そこで俺を見る」
「い〜え〜、別に〜?」
プププ、と。ナメ切った顔で笑う怪生物。
烏間さんの顔に青筋が浮かぶ。…………が、思い直したように呼吸を落ち着けた。多分、話をするのを優先したんだろう。
それを賞賛する気持ちと同時に、“あぁ、この人本当に大変そうだな”と言う感情が湧き出してきた。シンプルに同情する。
…………あ、そうだ。無傷で思い出した。
「そういえば先生、オレが壊しちゃった窓ってどうなってます? ガラス片とか、誰か怪我とかはしませんでした?」
「それなら問題ありませんよ。飛んだガラスで怪我をした人はいないみたいですし、割れたガラスも先生がマッハで片付けておきました」
「そうだったんだ。…………すみません、後始末任せちゃって」
「構いません。この位は、手間でもなんでもありませんから。…………顔を見るなり逃げられたのは、先生ちょっと傷つきましたが」
なんだかしょんぼりとした顔の超生物。
まぁ、確かに。
アレが人間相手であれば、これ以上ない失礼だったかと思い返す。
「あはは…………その、朝扉を開けたらそこには触手が、とか想像もしてなくて。えっと、ごめんなさい?」
「謝る必要もないだろう。むしろ、アレこそが正常な反応だ」
「にゅや!? なんてこと言うんですか烏間さん! こんなに手入れされた、綺麗な触手なのに!」
黄色いタコが、見せびらかすようにビチビチ触手をうねらせる。
…………ちょっと鳥肌が立つからやめて欲しい。率直にキモい。
そこでブチッ、と何かがキレる音がして、烏間さんがついにナイフを振った。無駄のない動作で行われる、三つの綺麗な斬撃。
が、どれひとつヤツに届く事はなく、それどころか今度はまつ毛の手入れをされている。
────なるほど、これが最高速度マッハ二十の超生物。
驚異的だ、と小さくオレが感心していると、黄色いタコはコホンと小さく咳払いをして、
「ところで烏間さん。秋野君への情報共有はいかほどで?」
「む、ああ。凡そ伝えるべき事は伝え終わっている。あとは確認を取るだけだ」
「それは結構、では本題に移りましょう。────それで、秋野君。どうでしょうか?」
そんな、抽象的な質問を投げかけてきた。
「どう、というのは…………?」
「私の暗殺についてです。秋野君が私の命を狙うには、貴方自身の同意が必要なんですよ」
「…………? えっと、オレの同意がいるんです?先生のじゃなく?」
少し頭が混乱する。
殺される側じゃなく、殺す側に同意が要るというのは、なんだか変な話に聞こえたのだ。
「いや、これは扱いの上では政府から君達への暗殺依頼だ。君が同意しない場合、我々は君を、非暗殺者としてここから遠ざける義務がある」
烏間さんの言葉。
「あー………………なるほど。機密を知っているのが暗殺者ならともかく、一般人だと不味いわけか。…………けど、既に機密情報はオレの頭の中ですよ?最早同意する以外に、選択肢なんてない気がしますが」
「いや、そうでもない。一定の記憶処理は必要だが、また恙無く学校生活を送れるよう、我々でバックアップすると約束しよう」
「ふーむ…………」
「ちなみにですが、教室の皆さんにも同じ説明をしてあります。────皆、いい殺意で暗殺に励んでくれました」
暗殺に励んだ、というのは先程の銃撃の事だろう。
つまりアレは、クラスが同意したことの合図でもあったようだ。
「とはいえ、これは君の選択です。秋野君自身が、答えを出すべきモノです。よく悩んでください」
今、オレの目の前には二つの道があった。
片や地球滅亡まで、呑気に学校生活を楽しむ道。
政府のバックアップが付くのだ。さぞ充実した最後の一年になるだろう。楽しむだけ楽しんで、一年後におじゃん。…………ま、悪くない。
片や、滅亡までのタイムリミットを常に感じて元凶を殺す道。
正直、さっきまでの話を聞くに暗殺は絶望的だが、それでも地球最後の日の過ごし方ぐらいは選べるわけだ。
この際どちらを選んだところで、大局は変わるまい。
──────だってそもそも、暗殺に意味なんてないのだし。
だとするなら、まあ。好みで決めた方が得というモノで。
「それじゃあ、やりますよ────暗殺」
言うが早いか、机を蹴り飛ばして跳躍する。
狙うは顔面。手に持ったナイフで、逆袈裟の要領で切り上げる。
それから一秒の後、黄色い顔は半ばから裂けている────筈だったのだが、緑の刀身は、顔に触れるよりずっと前に停止していた。
「────、っ。あの一瞬で、これを止めるのかよ…………一筋縄じゃいかないか、やっぱり」
「素敵な殺意です。これは、明日からの暗殺にも期待できますねぇ」
「よく言うぜ、そんなナメきった顔しといてさ…………」
「ヌルフフフフ。では、まだ続けますか?」
「…………いや、いいや。今日のところはもう、やめておくよ」
我ながらいい線行ったと思ったが、仕方ない。
身を引いて、机を元に戻す。驚かせてしまったであろう烏間さんにも謝っておく。ごめんなさい。
「…………そろそろ帰ります、先生。確か、今日はもう放課でしたよね」
「はい。帰っていただいて問題ありません。同意も取れましたから」
言われて、職員室の扉に手をかける。
軽く力を入れれば、扉は簡単にスライドした。
ふと、背後から声がかかる。
「それではさようなら、秋野君。────次は遅刻してはいけませんよぉ〜?」
ヌルフフフフ、と笑うソイツに対して。
「また明日、頑張って殺すよ。先生」
にこやかに笑って見せて、その場を後にするのだった。
◇◇◇
衝撃的な一日が終わり、オレが自宅のマンションへと到着した頃には、既に太陽は沈みかけていた。
玄関の扉を開き、いつも通りに行動を開始する。
初めに確認するのは、侵入の痕跡について。
ピッキング特有の傷の有無や、壁、天井等に違和感がないかを慎重に探る。そのまま棚や収納、一定の隙間がある所に盗聴器が仕込まれていないかを確認。
これを玄関に始まり、廊下、風呂場、リビング、寝室と隈なく、念入りに、油断なく捜索していく。
それが、いつの間にか習慣化したオレの日常だった。
「………………よし」
ものの十分ほどで、全ての作業が完了した。
結果は全部屋異常なし。オレ自身にGPSなんかが仕込まれていない事も確認済みだ。これで安心。
シャッターを上げ、ベランダに続くガラス戸を開く。
ぶわりと。春一番の風が舞い込んで、薄いカーテンが舞った。
それを確認して、オレは手近なソファへと仰向けに倒れ込んだ。
「あーあ…………疲れたな、しかし」
沈み込む感覚に身を任せ、ぼんやりと白い天井を眺める。
今日一日、というか主に午前だけで色々ありすぎた。
惑星破壊魔が担任をするから殺してくれ、なんて。
「悪い冗談なら、この辺りでネタバラシをしてくれても良さそうなモンなんだがなぁ…………」
生憎と、実物と会話までしている以上、否定は不可能だった。
いい加減受け入れるより他にないだろう。
「──────だが、よりにもよって神格とはね」
だから、まあ。オレが億劫に思うのは、そこなのだ。
神性と怪物の間には、両者を隔てる唯一絶対の壁がある。
それ即ち、
実の所、ただのバケモノであれば、まだやりようはあるのだ。
連中の及ぼす被害には因果があり、それでいて確かに生きている。
生きている以上は殺せるのだし、死ねばそれ以上の被害を生む事もない。魔術にせよ、火薬にせよ。アレらは殺害可能な対象だ。
だが──────神性となれば話は別だ。
それは半ば宇宙の理を外れた、意思を持つ権能。
その場に在ると言うだけで世界を歪める、全生命の敵。
ヤツらは決して生きていることなどはなく、仮に死んだとしても、それは影法師か、或いは生物として死んだだけだ。
その権能は、絶えず世界を壊し続ける。
────今回のターゲットは恐らく、そう言った相手なのだ。
思わず深いため息を零す。
『────おはようございます、秋野君』
フラッシュバックするタコ型生命体。
触手とか、色とか、なによりあのスピードとか。
知っている姿とは細部こそ違えど、あれは旧支配者。かの
ソレが地球を壊すと言ったのだ。それが意味するところとは。
「ふざけやがって。殺しても地球ぶっ壊すつもりだろ、アレ」
つまるところは茶番劇。
万が一暗殺に成功したとして、来年の三月には全て消失。
残ったヤツの権能がこの星を吹き飛ばす。
つまり────暗殺に意味なんてないのだ。
理不尽ここに極まれりだが、しかし元より神様とはそう言うモノで、世界とは元来脆い物だった。
もはや嘆く気力すら起きず、ただ虚無感のみが体を這った。
「…………よいしょ、と」
ゆっくりと立ち上がり、ベランダに出る。
手すりに肘を掛け、何をするともなく、そっと空を見つめた。
────薄く紫がかった、良い夕焼け空だった。
ゆっくりと消えていく、赤い太陽。
帰路に着く鳥達の姿は既になく、雲の隙間からは星が見え隠れしている。
眼下では既に、街灯が己の役割を遂行し始めていた。
きっと、あと十分足らずで完全に日は沈んで、暗い夜空が顔を出すのだろう。
連綿と続いてきた、人々の営み。
…………こんな景色を見られるのも、あと一年だけ。
結局、オレが選んだのは破滅の阻止じゃない。
破滅の日がいつになるのかを知っていられる。
つまり、地球最後の日に、地球最後の日のように振る舞える権利。オレがあの場で得たのは、即ちそう言うモノだった。
全くもってやるせないと、薄く目を閉じた。
それから一度。緩慢な動作で、首にかけたお守りを手に取る。
「結局こうなるわけか────ごめんな」
誰に聞かせるでもない謝罪が、春風に攫われて消えて行った。
ともあれこれが、激動の一年間の最初。
悲観的で絶望的なのはご愛嬌。
何せまだオレは、“暗殺教室”を知らないのだから────。