Q.一般探索者が黄色い触手を見た場合の反応を述べよ   作:お前の母ちゃんシュブ=ニグラス~!

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ユメの時間

 なにかを見続けていた。そんな気がした。

 認識は、くらい海底から、浮かび上がるように。

 いつのまにか、自分が目を覚ましていたことに、気がついた。

 

 目元に零れ落ちた、淡く、蒼白いひかり。

 凪いだ夜空は、流れる夜雲をゆるしはしない。

 あるがまま、欠けた身体で、ただそこに佇んでいる。

 

 ──────嗚呼。いつかに殺された月が、命ないままに、オレを見つめている。

 

 それがどうしても怖くなって、部屋を出た。

 寝息を立てるまわりのみんなに気づかれないように、そっと。

 畳の縁を踏み、おともなく襖の外へ。

 

 いたむ目頭が告げた廊下の景色は、依然としてくらいまま。

 瞳を刺すモノと言えば、無機質な避難誘導灯と、どこまでも追従する月明りだけ。

 逃れたくって、気づいたときには、歩きだしていた。

 

 とつ、とつ、とつ。

 

 人気(ひとけ)の途絶えた廊下を、沈むように歩いていく。

 喉が裂け、声を失った、午前零時。

 あやふやな現実をさまようオレは、きっと亡霊だった。

 ひらけた視界で、存在しない足を止める。

 

 うすいガラスの向こうがわ。

 息の詰まる、箱庭にも似た日本庭園。

 宵空を塗りたくった木々が嗤っている。

 透明の先から突き刺さる、無数の視線に、射殺されてしまいそう。

 

 けれどおかしいな、と首をかしげる。

 だって、そうだろう。

 オレはとっくに死んでいる。

 ならこれ以上、どうやっても殺されることはないじゃないか。

 

 …………彼らはそんなこたえに満足したようで。

 故に興味をなくしたように、そのカタチを取り戻す。

 それを見送って、オレも旅路を辿りなおした。 

 

 とつ、とつ、とつ。

 

 嫌につめたい空気が、首筋を撫ぜる。

 さながらソレは、死神の鎌にも似て。

 一歩進むたび、魂が引き裂かれる錯覚がはしる。

 でも、不思議とそれがこわくなかった。

 

 わたあめのような脳漿に、霞がかった視界。

 ゆめうつつに、あてもなく、失くしたものを探している。

 

 ──────ふと、どこかに腰かけていた。

 

 疲れてしまったのか、オレの歩みはとまっていた。

 辺りを見れば、覚えのあるロビー。

 西の空を映す天窓は、未だ月の及ばぬ聖域。

 硬質なソファの感触に、身を委ねる。

 

 重く閉じられた、まぶたの裏側。

 眼球を焼き切るような、眩い光。

 うつる景色をみて、自分がユメを見ていたじじつに、思い至った。

 

 ユメは、記憶の整理を司っている。

 それならば、これまで見たことは現実。

 この先に見るモノも、現実だ。

 

 ────喉元を締め付ける静寂。

 ────星々を捻じ伏せた三日月。

 ────彼方へと逆行する時間旅行。

 

 宇宙(じぶん)の外へ、こころが溶けた──────。

 

 ◇◇◇

 

 ローディング(初弾装填)セーフティ(安全装置解除)パララックス(視差補正)フロントサイト(照準固定)トリガー(射撃)

 

 何十と繰り返してきた動作。

 命を奪う為のみに特化/最適化された、機械構造。

 指にかかる引き金の重みは、命の価値の、何千分の一。

 息を吐く。不要となった"人間らしさ"を火に焚べて。

 真実その瞬間、彼の心は鋼鉄に変わり、自己を彼方に置き去りにする。

 

 マズルブラスト(銃口炎)ボルトアクション(手動排莢)AOC(状況終了)

 瞳を焼いた閃光は一瞬。

 宙空を駆ける轟音。コンマ数秒の空白。

 束の間の忘我は、一つの確信を胸に去来させる。

 それから、悍ましい幻聴が彼の耳を腐らせていった。

 

 もう一度、スコープを覗く。

 結果は既に知っている。分かり切っている。それでも、彼は目を向ける。

 思い描いた通りに、赤い彼岸花が、こちらを見つめていた。

 

 ────そうだ。そうやって、何度も殺してきた。

 

 何一つと世界を知らない、無垢な子供を殺した。

 貧しさのために立ち上がった、誰かの望んだ英雄を殺した。

 中東の紛争を止めようと奮迅する、たった一匹の男を殺した。

 

 何度も、何度も、何度も。

 たった八年で、多額の金銭と引き換えに、スコープの中を赤く染めた。

 彼の暗殺人数(スコア)が三十を超える頃には、"レッドアイ"なんて呼称が横行した。

 曰く、狙った獲物は一度と外さない、狙撃における最高の殺し屋。

 余りにも分不相応な称号に、身震いがしたのを彼は覚えている。

 

 ────けれど、もう、これで終わりだ。

 

 大通りを歩く、長身瘦躯の影。

 アスファルトを叩く足音が、嫌に重たい響きを孕んでいる。

 事実として、彼の背にある"釣り具"は、その体重を十キロ近く増加させている。

 けれど。彼の足を鉛に変えたのは、決してそんな詰まらない理由ではない。

 

 事の始まりは確か、今より一月ほど前の事。

 ロヴロ・ブロフスキを経由した、日本政府直々の依頼。

 それ即ち、超音速の怪物を殺せというお達しだった。

 

 彼は初め、断ろうと考えていた。

 自信が無かったわけじゃ無い、むしろ彼は、自分の手腕に絶対の自信を持っていた。

 けれど、それはあくまでも、対人を想定した技能の話。

 言ってみれば当然の事ではあるが、暗殺者は人殺しの為の職業であって。

 人外を狩るなんて、微塵ほども想定しちゃいない。

 彼は、世界の危機など知ったことか、と。

 きっと自分以上の適任がいるだろうからと、懸賞金に目を向ける事すらなく、断ろうとした。

 

 ────それでも、現実として彼は依頼を受けていた。

 理由はきっと、気まぐれにも似た、つまらないモノだった。

 政府の彼……烏間が()()()()を言わなければ、今頃は別の依頼をこなしていただろうに。

 西欧から遥か遠く、こんな極東(くんだ)りまでやって来て。

 

 ──────そして、無様にも。完膚なきまでに、暗殺対象に打ち負かされた。

 

 ハンデはあった。弾速も遅く、射程も短いライフル弾の使用を余儀なくされた。

 だが、彼にすればそんなものは、知識と技量、そして経験で十全に補える。

 だからこれは、単純な話。

 生物として埋められない格差が、両者の間に存在したというだけの話だった。

 

 三度の狙撃を行った。いつも通りに、必殺を胸に。

 けれど、そのどれもが、何一つとして届かなかった。

 スピードも防御も完璧。彼に言わせれば、まるで、"暗殺されないために生まれてきた生物"だった。

 

 だから、彼は逃げた。

 学生たちの危機を言い訳に、仕事を降りた。

 きっとプロとして恥ずべき行為、でももう、なんだって良かった。

 

 彼のスコープに暗殺対象の血が映らなかったことは、一度としてなかった。

 それこそが"レッドアイ"の由来。なにもそこに、矜持や信念の類を持ってはいない。

 それは確かに、彼を一流の暗殺者たらしめる称号と実績であったが、それだけだ。

 苦しいのは、もっと別のところ。

 

 瞳に赤色を宿せないならば、俺は────

 

「"────すみません、そこのお兄さん。手荷物検査、ご協力いただけますか?"」

 

 不意に、背後から拙い英語で話しかけられた。

 言葉の内容から察するに、相手は恐らく警察だろうと彼は考える。

 ちらりと、肩に掛けた釣り道具を見やる。

 …………思えばこの街は、日本の内陸部だったか、と思い返す。

 カモフラージュは、もっと考えて行うべきだったかと反省を一度。

 実際、長身の外国人がそんな不自然な物を提げていれば、不審に思うのも無理はない。

 

 しかし、プロとしてこの程度の事態は織り込み済みだ。

 彼は仕事の為、世界各国の狩猟免許を所持している。

 その中には勿論、この国のモノも含まれている。

 まずは狩猟免許を提示してから、人目に付かない場所で事情を説明するのが得策だろう。

 彼は思考を纏め、振り向きながら言葉を返す。

 …………否、返そうとした。

 

「あぁ、お巡りさん。悪いね、日本語で大丈夫だ。それで俺は────」

 

 こういう者だと、狩猟免許を差し出そうとした、その正面にいたのは。

 

「日本語で良いんですか、助かりますね。えーと…………ヴェルギリウスさん?」

 

 緑の浴衣に身を包んだ、黒髪の中学生だった。

 

 ◇◇◇

 

「んー、今日は夜風が気持ちいですね」

 

 躊躇いなく捻られるドアノブ、清々しく開かれた扉の先。

 控えめなネオンの光が、眼下を淡く照らしている。

 ここは地上より凡そ三十メートルの、コンクリートで造られた大地。

 中規模雑居ビルの屋上に、彼らはいた。

 

「…………入っていいのかよ、ここ」

「問題ないですよ、明日の狙撃で使うポイントなので」

 

 困惑した彼の言葉に、いけしゃあしゃあと答える……秋野と名乗った……少年。

 曰く、防衛相がすでに人払いをしている為、下手な破壊工作でもしない限りは好き放題に使えるのだそうだ。

 見れば確かに、規則的に並んだ室外機は、どれ一つとして稼働していない。

 …………なんとも密会に適している場所だ、と、彼は心底から感心する。

 

「それで? こんな場所に俺を連れ出して、何のつもりだ?」

 

 お互いにこれが初対面、愛の告白という事もないだろう。

 彼の右手側、およそ一メートル先。

 何を映すとも無い瞳で、眼下を見つめる少年。

 感情を排した表情に、何故だか背筋が冷える感触を覚える。

 

「…………いきなり本題なんて、つまらないと思いません?」

「生憎と、お前と仲を深めて良いことも無さそうなんでな」

「うわ、手ひどい断絶だぜ。アイスブレイクとかお嫌いで?」

「大嫌いだな。一体、身の上話の何が楽しいんだか…………」

 

 吐き捨てるような、彼の言葉。

 真実それは、嘘偽りのない本心だった。

 だって、自分の過去など知ったところで、一体誰が幸せになるというのだ。

 語る方も、聞く方も、どちらも幸せになる事はない。報いのない話だ。

 

「…………そうですか。ま、人間言いたくない過去の一つや二つ有る物ですよね」

 

 仕方がない、仕方ないと笑う秋野。

 その様子に対し、彼は少しだけ眉を顰める。

 別段と、発言に可笑しな部分は無かった。

 道徳に基づいた一般論に当てはめて、十分普遍的な言葉だ。

 ………………だが。

 

「随分、実感の籠った言葉だな」

 

 言ってから、彼は自分が失言したことに気が付いた。

 余りにも軽率だった。

 目の前の少年は、その手前で止まって見せたというのに。

 今、自分から土足で片足を踏み入れてしまった。

 

 恐らくは仕事の出来に対する、未だ続く動揺。その波及だろう。

 己の未熟に、彼は小さく苛立ちが湧きだす。

 

「…………別にいいですけど。謝りに来たのはオレの方ですから」

「は、謝りに来た、だと?」

 

 どういう事だろうか、と彼は思案する。

 先の失言を彼が謝罪するのならともかく、謝罪される、だなんて。

 そんな謂れは持ち合わせていないと、記憶を辿りながらも確信する。

 けれど、少年にとっては違ったようで。

 

「午後に予定していた暗殺ですよ。うちの班がトラブって、フイになったじゃないですか」

 

 秋野の言いたいことは、つまりこうだ。

 祇園にて暗殺対象の到着を待つ間に、不慮の事故が発生。

 班員、及び教師陣によって事態は収まったものの、暗殺は不履行。

 午後に存在した暗殺の機会は、確かに消滅している。

 前金なしの依頼と言えど、これは確かな契約だ。

 暗殺の成否がどうだったとしても、機会が与えられない事は違う、と。

 

 暗殺に対する機会損失に対する謝罪。

 即ち、秋野の言葉はそんなものを意味していた。

 それを、彼は。

 

「傲慢だな、お前は」

 

 そう言って哂った。

 一度と彼を見ることの無かった横顔が動く。

 見開かれた瞳。その焦点にいたのは、きっと彼だった。

 

「…………そう、見えますか?」

「あぁ、見えるね。お前の口ぶりは、まるで自分なら事前に対処できた、とでも言いたげだ」

 

 そうだ。この少年は、事件を仕方のなかったものと捉えていない。

 防げた事態、回避できた事象だと、本気で悔いている。

 だが、それを驕りと呼ばずしてなんと言えばいいのだ。

 たかが平和な国の子供が、たかが十五歳に、一体何が出来たと────

 

「────出来たんですよ、どうにか。オレにはそれだけの力がありました」

 

 …………彼は静かに目を瞑った。

 傍から見れば、少年の言葉に呆れかえたようにさえ見えるだろう。

 ティーンエイジャー特有の戯言。彼も、稼業が違ったなら、そうして笑い飛ばしたのだろう。

 だが違う。

 この男のセリフは、鉄のような重さを孕んでいた。

 本物の言葉、目の前の少年が、確かに真実を語っていると理解させられる。

 …………そして同時に、それが不愉快だとも。

 

「それでも傲慢だよ、お前は。…………子供は生意気で然るべきだが、お前のソレは度を越してる」

 

 彼には、この少年がどんな技術を有しているかは知らない。

 武術の類か、強力な身体機能か、それとももっと別の何かか。

 どうあれ、人間一人に出来ることなどタカが知れている。

 ────少なくとも、彼はそれを、今日思い知った。

 

「それにな、どちらにせよ俺は、午後からの暗殺は降りるつもりだったんだ」

「…………慰めが欲しくて言ったわけじゃ無いんですが」

「生憎とこれが真実だ。いいぜ、笑っても。むしろ盛大に笑ってもらえれば、気も晴れる」

「──────、」

 

 自分にあの怪物は殺せない。

 それは、彼の八年間が告げる、純然たる事実だった。

 例え午後からの暗殺に参加していたとしても。

 例え明日の暗殺に、終日参加したとしても。

 例えこれから一年間奴を狙い続けたとしても、彼には殺せない。

 それは生物としての敗北であり、なにより精神(こころ)の敗北だった。

 

 何も言わずに、秋野は彼を見つめる。

 笑うことも無ければ、悲しんでいる風情でもない。

 或いは、この男の級友ならば、何かが分かったやも知れないが。

 けれどやっぱり、彼には見当もつかなかった。

 

「まぁ、そういう訳だ。話は終わり、早いところ宿に戻れよ…………友達が心配するぜ?」

 

 言って、彼は踵を返す。

 体重を預けていた鉄柵を離れ、来た道を、寸分の狂いもなく最短距離で。

 価値のない会話だった。

 多少珍しい物を垣間見たが、ただそれだけ。

 次に舞い込むであろう依頼に思いを馳せた、三歩目。

 

「────、──────」

 

 少年の告げた()()に、自然、足が止まっていた。

 

 ◇◇◇

 

 時計の針が巡る。

 屋上での邂逅は過去のモノへとなり替わる。

 いつの間にか、彼の前に座する対象は変貌していた。

 

 築百年を超える和風の店舗。

 木組みと瓦で構成された、京の都に相応しい建物。

 荘厳と言うよりも、ひっそりと。

 洗練されているというよりも、むしろ無骨に。

 

 午後九時を過ぎた夜半。

 擦りガラスから漏れる、暖色の光。そこに映り込む黒い影。

 古ぼけた建造物内に鎮座する、二つの息遣いがあった。

 

 片や超音速の怪物。片やその命を狙った狙撃手。

 恐らくは、必然と言うべきか。

 優れた暗殺者たる彼は、その先に待つ結末を、良く知っていた。

 "殺せば、殺される"

 人の命を、奪う事で目に見える価値に変える仕事。

 一度でも足を踏み出したのなら、最早安穏な死は許されない。

 

 恐れが無いわけでは無かった。

 だって、彼らのような人間は、命の価値を誰よりも知っている。

 それが何よりも尊いと身を以って知りながら、凶行を重ね続ける。

 きっと矛盾。だから、怖いのはそこなのだ。

 矛盾の破綻、いつか訪れる自己崩壊が、怖くて受け入れがたい。

 醜いが。だが、それが当然の反応だった。

 

 なのに、思い描いた末路は、演じられることの無く。

 

「殺すなんてとんでもない、お陰で楽しい修学旅行になりました。

 ────お礼が言いたいだけです」

 

 聞かされたのは、狂気に満ちた話。

 この生き物は、己の命が狙われる事、その全てを知った上で、良しとしたらしい。

 そうなればきっと、生徒達はより多くを学ぶからと。

 暗殺の先にある物さえ、見通して。

 自分の命を天秤に載せて、実行したことが教育、なんて。

 それでは、徹頭徹尾────

 

「立派に先生、してやがる」

 

 無為に天井を見上げる。

 何とはなしに、清々しい気分だった。

 心の底に這っていた殺意の根が取り除かれたような。

 視界が綺麗に彩られたような、そんな感覚。

 

 きっと彼は、これ以上この超生物を殺そうとはしないだろう。

 それは、先に少年へ語ったような諦観ではなく。

 そうしたいと想う、心の在りよう。

 願いにも似た感情が、彼の者に一つ、希望を賭ける事にした。

 

「…………少し、昔話でもしないか、殺せんせー」

 

 少しだけ、わざとらしさを孕んだ声。

 目の前の超生物が、顔色を変える事は無い。

 ただ粛然と、断りの言葉を並べるだけだ。

 

「────生憎ですが、そんな物をした所で、面白い事はありません」

 

 そんな話をしても、誰も幸せにならないと告げる声。

 その対応がどこかで見たモノのような気がして、つい笑えてしまう。

 尚の事意志が固くなっていくのを感じて、言葉を紡ぐ。

 

「安心しろよ、話すのは俺だけ。アンタは聞くだけで良い」

 

 そう、語るのは彼だけ。

 過去を晒したからと、開示するよう強いる真似はしない。

 ただ一方的な話。独り言と言い換えてもいいかもしれない。

 そして、その内容は。

 

「──────俺が初めて、殺人を犯したときの話だ」

「…………それは」

 

 どこで知ったのか、或いは暗殺対象としての矜持なのか。

 彼の生命体には、その意味が分かったらしい。

 なにしろ暗殺者にとって、最初の殺人は特別を意味する。

 それは人間失格の烙印であると同時に、非人間へと生まれ変わる為の儀式。

 消えない傷を背負い、二度と戻れない道を行くためのカギ。

 本来、永劫に胸の中へ秘めるべきそれを、なぜ自ら切り開くような真似をするのか、と。

 超生物は、感情の読めない瞳で問う。

 けれど彼は、それに答える事はなく。

 

「別に、聞きたくなければ去ればいい。アンタには、それが出来るだけの速度があるだろ?」

 

 真実、瞬きの間にこの場から消えるだけの力が、この生物にはある。

 仮に彼が制止の言葉を掛けたとして。

 その二十倍のスピードで、この店から立ち去ってしまうだけだ。

 あくまでも、主導権は彼の者に。

 それでも尚、未だこの場に留まり続けるのは、第六感が叫ぶから。

 その様子を見てか、彼は満足げに笑い、そして語りだした。

 

 「………………俺が初めに殺した人間は、自分の生徒だったよ」

 

 彼の身を置く業界ではそう珍しくも無い話だが。

 所謂本名というモノを持たない人間と言うのは、一定数存在する。

 例えばそれは、極度の記憶喪失。

 例えばそれは、仕事の上での合理的判断。

 例えばそれは、識別番号のみを与えられたデザインベビー。

 

 初めから持たざるか、或いは自ずから捨てるのか。

 個々人の事情が何であれ、それを喪うに至る経緯がある。

 ────彼の場合のそれは、記憶との決別だった。

 

「十年前まで俺は、何の変哲もない学校の先生だったんだ」

 

 平々凡々な人生だったと、今でも彼は思っている。

 学校に通って、友人が出来て、クレー射撃に熱を上げて。

 卒業して、教師になって、のどかな片田舎で教鞭をとる日々。

 そこそこの幸せと、ほんの少しの不運。

 起伏のない生活に退屈を覚える事もあった。

 けれど生徒たちの笑顔を見れば、たったそれだけで満たされた。

 

 ずっと、そんな日々が続くと思っていた。

 朝がやって来て、彼らと学んで、そして夜が来る。

 当たり前の毎日が、永遠に続くと信じて止まなかった。

 

「ある日、熊がな、村を襲ったんだ」

 

 村の北部に存在した、深く広大な森。

 そこは西欧の未開拓地。

 未だ人の手が及びきらない、山門異界。

 街を囲う部厚断絶を取り払えば、自然が住まうのは当然のこと。

 

 なので毎年、村の小麦が金色に染まる頃。

 弱肉強食に呑まれた生き物が賭けに出るのは、そう珍しくも無い話で。

 それを処理するのは、狩猟免許を持った彼の役目だった。

 …………だが。

 

「失敗したんだよ、俺が」

 

 それは、目も当てられないような失態だった。

 熊狩りにおいて重要なのは、いかに気づかれず、いかに心臓を穿つか……この二点に集約する。

 

 隠密は十分、技術は上等。

 数えて三度目のハンティング。

 それまでの熊は、全てを心臓に命中、即死させてきた。

 故に彼は油断していた、慢心していた。

 ──────だから、致命的な失敗をした。

 

「風の感覚を掴み損ねたんだ。弾丸は僅かに逸れ、奴の右腕に命中した」

 

 手負いの野生動物は、得てして危険だ。

 興奮状態に陥った生き物を止める術を、人間は持ちえない。

 憤怒の表情で周囲の木々をなぎ倒した熊。

 幸運にも、或いは不運にも、彼の居所が気付かれることは無かった。

 故に、狙いを外した動揺で使い物にならなくなった彼を殺すものはいなかった。

 …………そう、()()()()()()()

 

『せんせー! 熊、どうなったー!?』

 

 暢気にも大声を上げた、一人の少年だった。

 後から聞いた話では、最初の銃撃が聞こえたタイミングで、走り出していたらしい。

 これまで、全て一撃で決してきた熊討伐。

 きっと今回もそうだろうと、親の制止を振り切って、森へと駆けてしまったのだという。

 

 けれど、彼がそれを察知した時には、全てが手遅れだった。

 突進(はし)る巨体。振り上げられる爪牙。

 落とされる引き金。眼に焼き付いた閃光。

 

 ────空高く舞った、四十キロ弱の人型。

 

「狂乱した熊を撃ち抜くのと、あの子が吹き飛ぶのは、同時だった」

 

 倒れ伏す巨体に目も暮れず、少年の元に駆け寄った。

 バラバラに割れたガラス細工。

 小さく蠢く生命の残滓。

 喉を焼く悔恨の炎。

 赤黒く咲いた彼岸花から、白い骨子が見えていた。

 

「間違いなく致命傷だった、助かる見込みは無かった。…………なのに」

 

 生きていた。

 裂けた首から酸素が漏れても。

 肺の片側が完全に沈黙していたとしても。

 毎分一度、もしくは生涯最後の鼓動しか許されない心臓だったとしても。

 

 残酷にも、彼は、まだ、生きていた。

 

「だから、殺した。命続く限り苦痛が続くだなんて理不尽、俺は見ているだけで耐えられなかった」

 

 もう、それ以降の事はよく覚えていない、と彼は語る。

 熊と彼の死体を山に運んで、家に帰った。

 それから、紅く染まった手に気が付いた。

 だから三日三晩、ずっと、ずっと両手を洗い続けた。

 

 そして、いつしか村を出て、気が付けばこんな所まで来ていた。

 

「…………だから貴方は、この依頼を受けたのですね」

 

 口を閉じていた超生物は、ようやく声を上げるに至る。

 それは納得から来る憐憫。

 修学旅行が行われる前から、暗殺が行われるとすれば狙撃だろうと考えていた。

 烏間惟臣は、生徒たちに強い負担を賭ける事を好まない。

 となれば外注。プロの暗殺者を雇うのが道理。

 

 しかし同時に、そのような依頼を受ける人間がいるとも考えていなかった。

 なにしろ、最高速度マッハ二十。

 こんな戯けた依頼を受けるのは、余程の自信過剰か、或いは。

 

「そうだ。殺せんせー、俺はアンタが、許せなかったんだよ」

 

 果たしてそれは真実だった。

 きっと逆恨み、それが違うならば偽善だ。

 被害妄想にも似た正義感で、彼は超生物の暗殺を請け負っていた。

 

 だって、可笑しいじゃないか。

 地球を殺す化け物が、教師ごっこなんて。

 非人間の、バカげた自己満足。それに子供を付き合わせる政府さえ憎いと思った。

 

 そうだ、憎かった。

 せめて自分の手の届く範囲で、子供に笑ってほしかった。

 薄汚れた自分ではそれが出来ないと、あの村から離れて、離れて、離れて。

 いつの間にか、あの子を殺した技術で飯を食っている。

 酷い矛盾に、ずっとうなされている。ずっと、悪夢の中にいる。

 なのに。

 

「これから八十億人を殺す化け物が、あんな、ままごとなんて」

 

 許せなかった。そんな現実を否定して見せたくなった。

 けれど現実は、届かなかった。

 

「………………」

 

 彼を見据える超生物は何を思うのか。

 激情に身を焼かれているのか、或いは凪いだ心で在るだけなのか。

 少なくとも、その機微がわかる程、彼は人間離れしていない。

 だから、小さく息を吐いて。

 

「別に、今はそんな事思っちゃいねぇよ。アンタは確かに"先生"だ」

 

 カラッと笑う、元教師。

 それが如何ほどの救いになるのか。

 そんなものはきっと、言葉を受けた当人にしかわからない事。

 故にどうでもいい、と彼は簡単に斬って捨てた。

 なにせ。

 

「本題はここから──────俺から、この話を聞き出した生徒がいる」

 

 "────アンタは、最初の殺人を、どうやって克服したんだ?"

 

 溜息と共に、彼は瞑目した事を思い出す。

 それは間抜けな好奇心だと、彼の直感が告げていた。

 平和な国で、平穏に生きた子供が見せる、無邪気な毒気。

 未だ遭遇したことの無いモノだったが、なんであるかは容易に想像がついた。

 そして同時に、面倒だとも。

 けれど生来の真面目さが災いしてか、瞼を開けてもう一度少年に目をやった。

 二言三言、適当に騙れば満足するだろう、と。

 

「言葉が出なかったよ。だって、そこにいたのは──────」

 

 間違えたと思った。

 彼の目の前にいたのは、きっと鏡だった。

 だってそれが、あまりにも見覚えのある立ち姿だったから。

 背丈も、格好も、人種さえ違うのに。

 真っすぐに彼を射抜く瞳は、まるで自分と同じ。

 ナニカを喪った者の風情で────

 

「目の前にいたのは、俺の同類だったんだから」

「──────、ばかな」

 

 きっと、初めて見せた動揺だった。

 けれど当然だ。彼の言う同類が指す意味とは、即ち。

 

「アンタなら理解しているだろうが、俺はただ、止まれなくなっただけだ」

 

 あの日、引き金を引いた瞬間に、彼自身が死んだというだけ。

 屍に変わった肉体は、鋼鉄のオートメーションに形を変えた。

 けれどそれでも、失くした物は、それでも戻らなくて。

 停止機構の欠けた人形は、自分が尽きるまで走り続けるを強いられた。

 

 どうやって克服したか、なんて質問。お門違いもいい所だ。

 なにせそれは、向き合って、自分の中で決着をつける行為だ。

 ともすれば彼は、克服など微塵もしていない。

 

「そしてアイツは、既に一歩目を踏み出していた」

 

 彼にすれば、あの少年は同類なんて生易しいモノじゃなかった。

 だから、自身の鏡と称したことさえ撤回する。

 あの場で彼に問うた少年は、鏡は鏡でも、ほんの少しだけ"古い"のだ。

 

「結局俺はこうなるまで止まれなかったが、アンタが居れば、結末は違うモノになる筈だ」

 

 或いはそれは、過去の自分を見た救いの望み。

 救って見せろと、一人の少年の末路が語る。

 

「──────その生徒の、名前は」

 

 異端たるを熾った、月夜の事。

 得るべくして得た名は、きっと。

 

 ◇◇◇

 

 耳に届く音を頼りに、重たい瞼を開けた。

 いつの間にか、西を映す天窓に、三日月が浮かんでいる。

 夜明けの近い時間。

 暁と呼ばれる空の元、一人の少女が、隣に腰を下ろした。

 

 目線を向ける必要はない。

 示し合わせて辿り着いた場所でなくとも、何故だか全てが理解できる。

 正体は探るまでもなく、分かり切っている。

 少女の目的も、そして、聞きたいことも。

 

 それがなんであれ、今のオレは答えるだろう。

 望もうが、望まざるまいが。

 オレの意思に関係なく、ただ、機械仕掛けのように、真実を語る。

 たった一度、嘘一つ言えない状況下に、オレはいた。

 

「ねぇ、貴方──────」

 

 少女が口を開く。

 嫋やかな黒い髪が、どうしてか眩しくて、目を逸らしてしまう。

 けれど無情にも、時は加速し、そしていつしか。

 

「──────あの子は、どうなったの?」

 

 零れ落ちた息は、失笑にも似て。

 感情の抜け落ちたままに、真実を語らんと喉を絞る。

 けれどそれは、分かり切った話だ。

 価値のない情報。意味の無い感傷。

 

 自壊していくように、言葉が紡がれた。

 

 


 

 

 E-2 秋野空

 

 誕生日:3月13日生

 身長:171cm

 体重:50kg

 得意科目:歴史(強いて言えば)

 苦手科目:体育

 趣味、特技:短距離走/陸上競技全般(長距離走を除く)

 密かな自慢:手先がかなり器用

 将来の目標:特になし

 大切なひと:もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。もういない。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。オレのせいだ。

 

 ───────オレが、殺したんだ。

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