Q.一般探索者が黄色い触手を見た場合の反応を述べよ 作:お前の母ちゃんシュブ=ニグラス~!
でも不定期更新タグを付けさせていただきます、ごめんなさい!!
肌を撫ぜる、少しだけ冷えた空気。
踏み均された土の匂いと、微かに耳に届く虫の鈴音。
今しばらくの後にやってくる雨季。
その到来を予兆するような、浅い霧を携えた前方三メートル。
首元に絡みつくそれを取り払うように、早朝の坂を上る二つの影。
片や普段通りに。片や億劫そうに。
淀みのない動きで、真っすぐに隔離校舎へと足を向ける。
──────潮田渚と、杉野友人。
それが、午前八時過ぎ現在、E組校舎へと足を延ばす彼らの名前だった。
日々の鍛錬の賜物か、それなり以上の傾斜と距離を踏破したにも関わらず、彼らの表情に疲労の色は無い。
ここ二ヶ月ほどで通い慣れた山の上の旧校舎。
かつては登校さえ一苦労であったというのに、それが遠い過去のよう。
微塵も息を切らすことはなく、彼らは他愛もない雑談に花を咲かせていた。
修学旅行が終了した、週明けの月曜日。
故に話題は必然、当時の振り返りと、この先に待つ現実についてのモノとなり。
杉野などは特段と、溜息混じりに愚痴が零れてしまう。
「あーあ、今日から通常授業かぁ……」
「通常、ね……」
含みのある言葉と共に苦笑を浮かべる渚。
それと言うのも、彼らにしてみれば当然の反応というモノで。
椚ヶ丘学園三年E組は暗殺教室。
そこにおける通常授業とは即ち、地球の存亡を賭けて暗殺対象を狙う日々の事を指す。
致し方ない事情があったとはいえ、彼らを擁する修学旅行四班は、暗殺の実行を取り下げていた。
京都での機会を棒に振った以上、通常授業への復帰を気まずいと感じるのは、ある種必定であった。
「…………っと」
渚が肩を重くしながらも坂を上る最中、不意に隣からの気配が消えた。
三歩ほど進み、彼が振り返れば、周囲を軽く見まわす杉野の姿。
何かを探している風体ではあるが、地面に何かを落としたという風情ではない。
どちらかと言えば、少しばかり遠くを眺めているようでさえある。
「? どうかしたの、杉野? 探し物?」
「あー……いや、うーん…………」
何やら煮え切らない態度の杉野。
大方の結果は出ているが、最後の望みに賭けている、と言う様子。
じっくりと三百六十度を観察する杉野に、渚の疑問が膨らんでいく。
程なくして、彼は何かに諦めをつけたような表情をして。
「…………残念。本日の秋野チャレンジ、失敗なり」
「そのネーミングはどうかと思うよ、僕」
聞こえてきたのは、耳を疑うような単語。
具体的には、ここに居ない第三者の人権が強く無視されている様な名称だった。
「どうせなら、一緒に修学旅行の話とかしたかったんだけどなー……」
曰く、秋野空と言う少年は虚弱である。
これは最早E組全員の知るところである事実だが、通学路は彼のソレを顕著に表す。
有り体に言ってしまえば、彼には一息にこの山を登る体力が無いのだ。
日ごろの訓練も、その効果を及ぼすには至らず。
決まって早朝。丁度彼らが位置する近辺の大岩に、秋野が腰かけていることが、ままあるのだ。
秋野チャレンジとはつまり、登校時に彼を見つけられるか否かの、ちょっとした運試し。
今日はそれに失敗……要するに秋野の姿は見当たらなかった、という話だった。
「今日は若干電車遅延しちゃったしね、もう先に行ってるんじゃないかな?」
「学校から歩きで行ける距離って、ちょっと羨ましいわ」
「しんどいからね、通勤ラッシュ………」
「アレを経験しなくてもいいってのは、特権だよなぁ…………」
これは秋野自身が語っていた事だが、彼の住むマンションの住所は、椚ヶ丘駅近辺らしい。
それ故に、椚ヶ丘学園までは徒歩での通学が可能であり。
必然、平日朝の通勤ラッシュというモノには、ほとほと縁が無いのだという。
仮に駅一つ分でも遠ければ、見るも無惨なグロッキーと化す、とは本人の弁。
そんな事を話す折、背後から足取り軽く駆けてくる音がした。
「────よう、おはよう二人とも!」
声のした方向を振り返ってみれば、片手を上げてこちらに近づく一人分の影。
E組の誇るクラス委員、磯貝悠馬。
癖のあるクラスメイト達を纏める、頼れるリーダーだった。
彼らは挨拶もそこそこに、歩みを再開する。
「お前らさ、烏間先生からの一斉メール見たか?」
クラス委員からの言葉。それに確かな心当たりがある事を、彼らは再確認する。
話題は目下、今朝方、烏間惟臣から送られた一つの電子文書ついて。
"明日から転校生がひとり加わる"
"多少外見で驚くだろうが、あまり騒がず接してあげてほしい"
どう形容した物かわからないが、何やら疲れの滲む二行の短文。
思う所は様々あるが、この文面から察するに、転校生というのは間違いなく殺し屋なのだろう。
外部の暗殺者による散発的な襲撃は何度も行われてきた。
だが、学校のシステム内に入り込んだ存在は、これで二人目。それも、
「転校生名目って事は、ビッチ先生と違って、俺等とタメなのか?」
「──────そこよ!!」
「うわぁ!?」
「いきなり出んな岡島!」
出会い頭散々な反応を食らった男の名前は、岡島大河。
普段から思考の九割を煩悩で埋め尽くしている、悲しき変態終末期。
まともな状態ならそれなりに傷つきそうな言葉達だったが、今の彼には届かない。
現在脳内を支配するのは、たった一つ、値千金の情報について。
「俺も気になってさ、顔写真とか無いですか、ってメールしたのよ。そしたらさ───」
いくらかの操作の後、三人へ差し出されるスマホ。
そこに映っていたのは、件の転校生──── 一人の少女の顔だった。
「おお、女子か!!」
「待ち受けになってる……」
「普通に可愛いな?」
「だろ!? すっげー可愛いだろ!?」
三者三様の反応に対し、それ以上の熱量で答える岡島。
提示された写真をまじまじと見れば、確かに均整の取れた顔立ちだとわかる。
紫がかった髪と、こちらを見通すような赤い瞳。
少しばかり愛想が薄いようにも思えるが、証明写真という事を考えれば、妥当な所。
「はー、仲良くなれっかなぁー!!」
「浮かれすぎだろ、岡島……」
全身の高揚が抑えきれない、といった風体の岡島。
呆れと期待混じりに、彼らは歩みを再開する。
既に視界中央には、見慣れたE組校舎が鎮座している。
殺し屋であろうとなかろうと、"転校生"には不安が入り混じる。
どんな人間で、どんな暗殺をするのか。彼らにせよ、興味は尽きることなく。
逸る気持ちを抑え、靴を履き替えてから昇降口を後に。
そのまま廊下へと出れば、教室の前で立ち尽くす一つの人影が目に入る。
「あれ、神崎さん。そんなところでどうかしたの?」
思わず声を掛けてしまう、渚少年。
けれど、それも当然だ。
ああも瞠目した彼女の姿は、修学旅行でも見られなかったのだから。
そしてその、件の少女はといえば。
「ぇ、あ、あぁ、渚君達………えと、その。あれ…………」
酷く動揺した様子で、教室の内部へと指をさす。
何事かと彼らが室内を覗き込んでみれば、中に在ったのは、一つと一人の影。
静寂に支配された空間は、彼らに足を踏み入れる事を躊躇わせた。
「……………………」
「……………………」
教室右奥に設置された二メートル近い、巨大なモノリスが一つ。
備え付けられた液晶には、何やら見覚えのある少女の顔が映っている。
その無機質な視線の先に立ち尽くす、一人の少年がいた。
名を、秋野空。
多くの事に対し、滅多な事で平静を失う事の無い彼だったが、しかし。
「────、────、───────ぁ」
しかしどうしてか、彼は今、遠目でも十分理解できるほどに動揺している。
何か、明らかに尋常ではない様子の秋野。
先日不良に囲まれた際にも見せなかった、情緒の荒ぶりよう。
浮かび上がった表情には、先程の神崎以上の驚愕が張り付けられていた。
しかしモノリスの少女は、その機微を理解できないのか。
努めて平静に、マニュアル通りに言葉を紡ぐ。
「今日から転校してきました、"自律思考固定砲台"と申します。よろしくお願いいたします」
「──────────」
彼女が節電モードに移行すると同時に、秋野は卒倒した。
◇◇◇
どこかで悲鳴が上がる。目も当てられないような、いやに耳に残る声。
それから、重く苦しい、鈍い音が一度だけ。
目の前にあったのは、責めるようにこちらを射抜く赤色の────。
けれどそれはすぐに掻き消えて、浮上する意識に置き去りにされた。
周囲を包むマイナスイオンを孕んだ冷気と、全身が沈み込むような感触。
ゆったりと瞼を開けば、薄桃色のカーテンが揺れて、古ぼけた木製の天井が俺を迎えた。
そして。
「───おはよう。気分はどう、秋野?」
初めに聞かされたのは、ひどく端的な言葉だった。
純日本人を思わせる、見事な発音を伴った女性の声。
脳裏に浮かぶ女性の顔立ちを想像して、そのギャップに、どうしてか笑ってしまいそうになる。
零れそうになるソレを噛み殺し、上体を起こす。
「………あー………あんまりよろしくないですね、ビッチ先生」
掠れた声が響く。
それが自分の声と分かるまで、数秒の時間を要した。
気が付けば、裂けんばかりに渇いた喉。
指先で触れるのと同時に、彼女を視線の中央にとらえる。
「らしいわね。死人の方がもう少しマシな顔つきしてるもの」
「それ、どんなブラックジョークで………けほっけほっ」
無理に言葉を発そうとした代償か、声の代わりに吐き出すような咳が漏れる。
指数関数的に増していく喉の渇きと、それに伴う苦痛。
小さく絞られていく視界と、背中に添えられる手のひら。
一分ほどの生き地獄の後、身体は一先ずの正常を取り戻した。
「………とりあえずお水を持ってくるから、アンタはそこで大人しくしてなさい」
オレがその言葉にこくこくと頷けば、ビッチ先生はこの場を離れた。
足音の遠のいたベッドの上で、試しに周囲を見回してみる。
けれど視線は、天蓋じみたカーテンに乱反射するばかり。
あるものと言えば、少し萎れた生け花と、と安っぽいパイプ椅子が精々といったところ。
来た覚えはないけれど、ここが何であるかは見当がつく。
ほんの少しだけ甘い匂いのする、ここはきっと保健室だ。
それから、どうしてこんな所にいるのだろうと考えて、自分の頭に巻き付いたモノに気が付いた。
「包帯………?」
先ほどの惨事など既に忘れて、思わず声を上げてしまう。
それは、身に覚えのない物品に対する、少しの困惑だった。
指先に走る、固く、薄く、ざらついた奇妙な感触。
はて、こんな物を付けるようなケガをしたかと頭を捻る。
が、その見当がつくよりも早く、コップを片手にビッチ先生が帰還した。
「はい、お水。……で、早速だけどアンタ、身体に異常は?」
手渡された水で喉を潤していると、そんな質問が投げられる。
ふるふると首を横に振れば、ビッチ先生は、そう、とオレから視線を外した。
彼女の手が伸びた先には、ペンと書類。
恐らくはカルテか、それに類するものだろうと予測できる。
「……ビッチ先生、養護教諭まで始めたんですか?」
「なワケ無いでしょ。今はあのタコが忙しいから、アタシがこうしてるってだけ」
「そういえば、今日はビッチ先生の授業無かったですね」
「…………その分なら、記憶障害なんかはなさそうね」
ちょっとした意識の混濁が精々ってトコかしら。
なんて台詞と共に、サラサラとカルテに文字が書き込まれていくカルテ。
オレが置いてけぼりになっている事を除、鮮やかな状況把握だった。
「ま、待ってください。記憶障害って……?」
「ん? あぁ、別に大したことは無いわよ。ただ単に────」
意識が消えた後。それからの倒れ方がマズかった、と彼女は語る。
早い話。有り体に言ってしまえば、頭から倒れてしまったらしく。
出血もなく、外傷もたんこぶ一つが精々とはいえ、虚弱な身空。
何らかの記憶障害が起こっていても不思議は無かったらしい。
「その点アンタは幸運ね、その様子じゃ、心配するようなことは起きてなさそうだし」
「じゃあ、頭のこれはその時の包帯ですか」
「あぁ、特に痛みもないなら、今にでも外して構わないわ」
言われた通りに包帯を外せば、それを尻目に加速していく、惚れ惚れするようなペン捌き。
集中した様子の彼女から視線を外し、少し遠くへ。
すると、備え付けられた壁掛けの時計が目に入る。刻まれた時刻は、
「…………十二時十五分?」
おかしい。
記憶が確かなら、オレが気を失ったのは始業前……凡そ八時ニ十分。
時計の情報を信じるのなら、オレは四時間もの間、眠っていたことになる。
そんなオレの呟きを、耳聡く拾ったらしいビッチ先生が口を開く。
「そうよ。丸四時間、ずーっと魘されてたもの、うるさいったらありゃしないわ」
起きた時の喉の痛みは、つまりそれが原因だったらしい。
申し訳ない事をしたなぁ、と考えるが、肝心の夢の内容は微塵も思い出せない。
大方の予想はつくが、それだけ。確証はない。
おかげで目覚めは悪くなかった、とでも思っておく方が得というものだろうか。
「ふーん……その分じゃ、内容自体は覚えてなさそうね」
「ええ、残念ながら。……聞きたかったんですか?」
「別に。だってつまらなそうだもの、そんな話」
「………………はは、間違いありませんね」
それからは念押しとして、いくつかの問答をした。
簡単な記憶チェックを兼ねた雑談。
聞かれたことは、とりとめも無い事ばかり。
昨日の夕飯とか、学籍番号とか、そう大したことの無いモノばかり。
質問の終了と、走っていたペンが止まったのは、全く同時の事だった。
「あー、終わり終わり! 結構面倒なのね、これ。二度とやりたくないわ」
軽く伸びをしたビッチ先生の悪態。
どうやらカルテを書き終わったらしく、その表情には疲弊が滲んでいた。
「因みにだけど、倒れたアンタをここに運んだの、渚達だから。教室に戻ったら、お礼言っときなさいよ」
ここで言う所の"教室に戻ったら"というのは、直近未来の話なのだろう。
彼女の追い払うような仕草が、早く教室に行けと告げている。
特段とそれに反発する理由もなく、ベッドを降りて扉へと向かう。
身体を這う、嫌な倦怠感。
血液の巡りが悪くなっていたらしく、少しばかり足元が覚束ない。
歩く度に音を鳴らす関節に居心地の悪さを感じながら、扉へと手を掛ける。
「あー、そうそう。もう一つだけ聞くことがあったわ」
「………………」
行けと言ったり待てと言ったり、忙しない言動に、小さな苛立ちが募る。
平時ならば気にも留めないのだろうが、生憎と今は寝起きが悪い。
未だ目を覚ましきらない全身を無理矢理に動かし、振り返る。
目線の先には、カルテと睨めっこしたままのビッチ先生。
その表情は、丁度髪に隠れており、こちらからは伺えない。
………だが、問われる事に関しては、大方の予想がついていた。
「なんですか、書き漏らしですか?」
「ええ、悪いわね。アンタが運ばれた経緯、ちょっと不明瞭な点があったの」
微塵も悪びれる様子のない臨時保健医。
背筋を伝う、冷血の感触。
先ほど潤したはずの喉が、酷く渇きを訴え始める。
酸素の足りない脳漿が、軋みを上げて二秒先の未来を予見する。
「別に、さっきまでの話に不明瞭な点なんてありませんでしたけど」
「そうね。
「………………………」
「────アンタ、突然倒れたらしいけど、理由は?」
心臓を射抜く視線。
真剣な面持ちは、そこに何らかの"特別"を確信している故のモノだった。
蘇る記憶は、無機質な赤。
それはきっと、余りにも手酷い偶然の一致。
瞳の奥を突き刺した、ある冬の出来事。
「──────別に、ただの貧血ですよ。偶にあるんですよね、オレ」
冷たい廊下へと、足を踏み出す。
それ以上、引き留める声は生まれなかった。
◇◇◇
────扉を開けると、そこは地獄だった。
秒間千発を超えるかという、対先生用BB弾の暴風。
それを意にも介さずに授業を進める神話生物。
その異常な空間内で、どうにか板書をノートに書き写していく二十余名。
なんか、よくわかんないから一旦扉を閉じることにした。
「………?? ………………???」
沸き上がる困惑と同時に、頭蓋が嫌な痛みを訴え始める。
どうやら四時間前の衝撃が、今になってようやく襲ってきているらしい。
包帯を外したのは失敗だったかと思い直すが、どうせあった所で気休めにもなるまい。
何しろこれは、ハードではなくソフトの問題。
過剰な情報量から、脳回路が軋みを上げた所作に、他ならないのだから。
ゆっくりと目を瞑り、数瞬前の光景を丁寧に思い描く。
が、しかし。それで過去が改変されるはずもなく。
嵐のようなピンクの弾幕と、超速を以ってすり抜ける怪生物。
そしてそれに対して、なんとか適応せんとするE組クラスメイト達。
恐らくは今も、この分厚い板材の向こうで起こっている事象。ありのままが刻まれていた。
「………………いや、でも、ほら。あの、あれよ。万に一つぐらい、見間違いの線もあるって言うか?」
混乱した末に発した世迷言。或いは現実逃避。
意識は限りなく澄んでいるし、視界状態もこれ以上ないほど良好。
これで見間違うなど、まずもってあり得ない話。
けれど、先程の映像は白昼夢にも似て、あまりにも現実感が無さ過ぎた。
故にもう一度。もう一度だけ、オレはこの先の景色を確認するべきなのだ。
生唾を飲んで、固い扉に指先を掛ける。
「し、失礼しま───────」
す、と言い切るよりも早く飛び込んでくる、容赦のない現実。
過去の否定どころか、一層密度を増して教室に降りしきる弾幕。
それは、間違いなく先ほど垣間見た地獄そのもので。
「…………………………」
オレは静かに現実を受け入れて、そっと扉を閉じた。
けれどそれは、逃避から来る物ではなく。
何にせよ、この状況では教室前方からの侵入は見込めないという、現実的な判断に基づくもの。
溜息混じりに、重くなった足を動かしていく。
脳内を支配する疑問は一つだけ───── 一体何が起きて、こんな惨事が繰り広げられたのか。
オレの記憶が確かなら、授業中の発砲は禁止の筈。
となれば、思い浮かぶ可能性は二つほど。
これを行った存在は、クラスのルールを破る程の事情があるか、或いは、ルールそのものに疎い………そう考えるのが妥当だろう。
前者であれば考察しきるのは難しいが、仮に後者ならば、その対象は─────。
などと、取り留めのない推察を繰り返せば、二つ目の扉が目の前にあった。
「………あー、秋野少年、保健室から復帰しましたー………」
目算通り、教室後部は弾幕による被害が軽減されていた。
暗殺対象である殺せんせーが教卓上にいる事を考えれば、当然の帰結ともいえるだろう。
念のために身を屈め、そそくさと自席へ歩みを進めていく。
途中、こちらの様子に気が付いたらしい一部生徒が視線を寄越すこともあったが、すぐに掻き消えた。
恐らくは自分の事で手一杯なのだろう。
殺せんせーですら、オレの帰還に何一つ反応できていない。
………とはいえ、顔に似合わない胆力を持ったこの少女からは、少しばかりの余裕が感じられた。
「─────や。おはよう、神崎さん」
「おはよう、秋野君………えっと、残念なタイミングで帰って来たね?」
彼女からの返答があった事に満足し、いつも通りの席へと腰を下ろす。
─────神崎有希子。
嫋やかな黒髪と、美しく整った面貌。
立ち居振る舞いからして、安穏な大和撫子を地で行く少女だが、これで意外と強心臓の持ち主。
凪いでいる、というよりは荒波に立ち向かうような。
勇気を以って恐怖を克する、主人公気質の少女。
………そしてこれは、つい最近になって知った事だが。
どうやらオレと彼女には、以前から親交があったらしい。
去年の夏頃、オレが人探しに奔走していた時期。
深夜のゲームセンターで知り合った少女………当時は名前も聞かなかったが、どうやらそれは彼女の事だったらしく。
それ故に、オレという人間の本質、その一端を彼女は知っている事になる。
「─────な、何かな?」
「ん? あぁ、いや、なんでもない。少しぼーっとしてただけ」
が、その本人には、吹聴するような気配は感じられない。
しかしそれも当然か。
なにせ、態々人に聞かせるような事でもないのだし。
これを口止めするというのも、可笑しな話だ。
そもそもとして、例え知られたとしても、出てくるものは荒唐無稽な真実だけ。
余程感受性が豊かでも無ければ、冗談と取られて、そこでお終いだ。
けれど、多少なりとも事情に通じている人間がいる、というのは都合がいい物で。
「それで、神崎さん……これは一体、どういう状況で………?」
「………うーん、一言で表すのなら"あの子"の正常な暴走、かな?」
そう言った彼女の視線の先。絶えることの無い轟音の元凶。
可能な限り目を逸らしてきた、二メートル台のモノリス。
けれど、その様は今朝のソレとは大きく異なっていた。
主砲と思しき機関銃、六門。
副砲と推察される短機関銃、及びショットガン、計八門。
機械の身体、その側面に展開された十四の砲身が、無機質な殺意を込めて殺せんせーへと向けられている。
「わぁ、かっこいい」
「………うん。格好いいだけなら良かったんだけどね─────」
自律思考固定砲台。
ノルウェーにて製造された、現代軍事技術、その結晶。
地球滅亡までのタイムリミットが迫る中、焦った首脳部の考えは、事実上無尽蔵の体力と学習能力を持った彼女を配置することだったらしい。
しかしそれ故に、生徒として登録してある以上、殺せんせーは彼女に一切の危害を加える事を許されない。
国際連合、及び日本政府と交わされた契約を逆手に取った、謂わば苦肉の策。
詭弁スレスレの半ば暴論だったが、殺せんせーはそれを受け入れたのだとか。
「問題なのはね、ここからなの」
一限が始まって、五分と経たずに事は起きた。
突如として敢行された、機関銃二門、ショットガン四門による弾幕射撃。
授業妨害を何とも思わない挙動だったが、しかし彼女はそこで一定の成果を上げた。
致命傷にはなり得ないまでも、殺せんせーを相手に幾重もの被弾を重ねていったのだという。
─────だが、それはあまりにも、常識を弁えない行動だった。
「え、なに。それはつまり、一限から四限までずっと射撃してるって事か?」
「殺せんせーからの注意もあったんだけど、どこ吹く風で……」
「自律思考って、なんだ………?」
今朝の出来事と、名前、そして行動から察するに、高度な人工知能が搭載されているのは間違いない。
ただ脈絡もなく銃を撃つだけのガラクタを、この教室で態々仕入れる事は無いからだ。
となれば、彼女は間違いなく殺せんせーの忠告を能動的に無視している。
それは彼女にプログラムされた演算の結果か、或いは、そもそも─────。
どちらにせよ、凡そ合理的とは言い難いだろう………と、思考が巡る折。
─────キーンコーンカーンコーン─────
爆発のような弾幕が止むのと同時、古めかしい鐘の音が鳴った。
収納されていく武器類と、恐々としながら顔を上げるE組一同。
教室前方、壇上には疲弊した顔色の超生物が一匹。
「ゼェ……ゼェ……ご、午前の授業はここまでです………各自、復習をしておいてくださいね………。
せ、先生は北海道でズワイガニを食べてきますので、用事があれば、携帯でどうぞ………………」
覇気を失った声と共に、教室内を吹き荒れる突風。
いつの間にか開かれていた窓の金具が悲鳴を上げる。
既に黄色い触手の影は何処にもない。
恐らくは、片道二分ほどの旅路を辿り始めている筈だ。
これで行き先が国内な辺り、相当消耗していると見るべきだろう。
「…………………………」
残されたのは、息の詰まるような緊張感の漂う教室。
足の踏み場も無いほどに染め上げられたショッキングピンク。
誰かが溜息と同時に椅子を引く。
殺せんせーだけではない。午前中教室にいた彼らも、随分憔悴してしまっているらしい。
「少し、話してこようかな。転校生と」
「え…………その、大丈夫、なの?」
「大丈夫って、何が? 別に心配するようなことも無いだろ?」
「……………………そっか」
そうだよね、と顔を伏せて、神崎さんはそれきり何も言わなくなった。
彼女の妙な態度には違和感を覚えて然るべきだが、一先ずはそれを無視。
足元のBB弾を慎重に回避し、転ばないよう教室後部へ。
そしていつしか、目の前には人間大の立方体。
先ほどまで冷たい表情を映し出していたモニターは、とうに黒く染まっている。
「────おはよう、自律思考固定砲台さん」
さしたる声量でもなかったというのに、クラス中の視線がオレに集約する。
しかし肝心な、言葉を掛けた相手からの返答は無し。
眩暈のするような居心地の悪さが全身を這う。
けれどそれを取り繕って、尚も言葉を投げかける。
「オレは秋野って言うんだ。出席番号は二番、好きな事は短距離走な」
「……………………」
「その、今朝は悪かったな。目の前で突然倒れたりして」
「……………………」
「………えっと、オレって身体が弱くてさ。偶々貧血が起きただけで、自律思考固定砲台さんが悪いってわけじゃないから」
「……………………」
暖簾に腕押し、とはまさにこの事を言うのだろう。
友人が少ないなりに会話は上手い部類だと自負していたが、これでは形無しだ。
なにせ、いくら話し掛けてもレスポンスが無いのでは、そもそも会話として成立しない。
意思の疎通を可能にするだけの知性は搭載されている筈だが、しかし。
現実として、オレ達の間に対話は発生していない。
どういう事だろう、と。もう一度口を開こうとした折に、制止の声が掛かる。
「残念だけど、無駄だと思う」
「────速水さん」
背後を振り返れば、意志の強い碧眼を携えた少女が佇んでいた。
────速水凛香。
彼女もまた、交友関係の寂しいオレにとっての話し相手、その一人だ。
愛想に乏しく、口数も決して多くない彼女だが、しかし存外に話せる人。
何事にも動じにくい───内面の実情がどうあれ───彼女の性質は、状況把握によく向いている。
そんな彼女からの、忠告の言葉。その理由に思考を傾ける。
「無駄、っていうのは具体的にどういう?」
「その子、私達とコミュニケーションを取ろうとしないの」
「性能的には、問題ないと思うんだが」
「ええ、きっとそうね。だから、意図的に私達を無視しているようなの」
「……………なるほど?」
つまり、話は単純。
彼女は今、オレ達を含む教室内のあらゆるに対話の価値を見出していないわけだ。
速水さんにすれば、さながらオレは意味の無い事を繰り返すピエロにでも映ったのだろうか。
思わず止めに入ってしまった、といった具合だろう。
言葉遣いこそ冷たいが………やはり速水さんはツンデ────
「ねぇ、今何か失礼な事を考」
「────いえ、決して、なにも、ハイ」
顔に出やすい質でもない筈なのだが、どうしてか彼女にはバレてしまうらしい。
………まさか、本当に心が読めたりするんじゃなかろうか。
などど、益体も無い事に思考を割けば、こめかみを抑えて右腕を差し出す速水さん。
その手に握られていたのは、見慣れた室内用の箒だった。
「別にいけど。………BB弾片づけるから、掃いてもらえる?」
「え、オレ達がやるのか、後片付け」
「そうみたいね。対話はともかく、お掃除機能は本当に搭載されてないらしいし」
「……………マジかよ」
言いながら箒を手に取って、試しに軽く床に沿わせてみる。
が、色あせた板材が見えた途端に、流れ込むピンク色に埋もれていく。
急速に気力が萎れていくのを感じれば、周囲の空気感にも納得がいった。
なにしろ、小一時間にも及ぶ、機関銃による弾幕掃射。
その間は教師も生徒も碌な授業を行うことが出来ず、終わればその後始末を押し付けられる。
さらに万が一、自律思考固定砲台が暗殺を完遂したとして、その賞金が彼らに与えられることは無い。
こんなことを四度も繰り返したとすれば、彼らの不満も尤もなものだ。
なんて、安い同情を胸に秘め。
速水さんと協力し、少しずつBB弾を片づけていく。
気が遠くなるほどに終わりが見えないが、クラス中で掃除していることもあり、幾分マシになってきたような気がする………しないでもない。うん。
────じわじわと心が死んでいく感触。
ただ漫然と箒を動かし続けていれば、ガラリと、教室の扉が開く音。
そこに現れたのは、クラスでも最も大柄な男子生徒だった。
「あれ、寺坂君。さっきまで見当たらなかったけど、どこかに行ってたの?」
出入り口近くにいた渚君が、臆面もなく彼に問う。
現れたのは寺坂竜馬という少年。
粗野で粗暴、優れた体格も相まってか、ガキ大将然とした風情。
この教室────というか、学校における赤羽に次ぐ問題児、その人だ。
「あ? 別に。俺はただ、コイツを取りに行ってただけだ」
そういった彼の手にあったのは、一つのガムテープだった。
恐らくは体育倉庫から取って来たのだろう。
多少古ぼけているが、先端以外の吸着力はいまだ健在の筈だ。
彼は床に転がる対先生BB弾を蹴散らすように、大股で歩を進めていく。
その行き先に、必然、クラス中の視線が集まっていく。
ビリリリ、と埃を被った布テープの展開していく音。
その腕が等身大のモノリスへと伸びていく。
────黒く光る鉄の肌。それに触れる数瞬前、ソレを掴み上げるように止める人間が一人。
「……………何のつもりだよ、秋野」
「────、ぇ──あ───いや、オレは────」
威圧するような声音と、怯えにも似た言葉。
傍目から見たオレの心情は察するに余りあるだろうが、けれど違う。
口から零れ落ちた声は、困惑によるもの。
きっと、無意識の行動だったのだ。
頭で考えるよりも早く。あるべき論理を置き去りにして、身体が動いていた。
故に、後付けで見出された行動の意味は、杜撰なもので。
「その、寺坂が何をするのか気になって、みたいな?」
「はぁ? どうするもこうするも、コイツで縛んだよ、そのポンコツをよ」
ここで"何故"と問うほど無意味なことも無いだろう。
彼らの受けた仕打ち、彼女の犯した時間を考えれば、当然の行動だ。
客観的に考えて、オレがここで寺坂を止める理由は何一つとしてない。
ごく短い時間とは言え、彼らと同じ時間を共有しているのだから。
賛同することはあっても、反目することなんて有りはしない筈なのに。
なのに、何故か、どうしてか。より一層、制止の腕に力が籠っていく。
「テメェ────っ」
力任せに、掴み上げた腕が振り払われる。
寺坂はこちらを睨みつけるように視界に収め、軽く手首をスナップさせている。
Yシャツの上からでは分からないが、様子から察するに跡が出来ているのだろう。
力の加減が出来なかった事実に、己が精神の動揺を認める。
「いや、ほらさ。人工知能である以上、会話は可能なわけだし。ここは穏便に、話し合いで」
「フザけてんのかよ、秋野。テメェだってさっき、話が通じないのは分かっただろ」
「そ、れは…………」
事実だった。なにせ、この身を以って体験した事なのだから。
数多の言い訳が、浮かんでは消えてを繰り返していく。
幾重にも交錯していく思考に、吐き気さえ覚える。
自身の破綻を強く自覚しながらも、絞り出すように声を紡ぐ。
「け、けどさ。いくら何でもガムテープはやりすぎって言うか………ほら、もっと穏当な手段がさ」
「────いいや、正直これでも大分温情だと思うけどね」
第三の声が響く。
声の方向に振り向けば、赤い髪をした少年が真剣な表情を覗かせていた。
それはきっと、反目する者に対して贈られる目線。
────背中にじっとりと、冷や汗が伝う。
彼はオレのそんな様子には気づかないようで、滔々と言葉を紡いでいく。
「例えばだけどさ、単純にバラしてバッテリー抜くとか、電源コードを切るとか、固定してるビスを外すとか。
他にも色々あるけど、その中ならホラ、十分配慮した選択なんじゃない?」
「寺坂君、そんなに深い考えがあったんだ………」
「ま、十中八九頭空っぽにして動いたんだろうけどね~」
「うるっっせぇカルマ!!」
少しばかり弛緩した空気。
けれど、それとは裏腹に悪化していく状況に、どうしようもなく歯嚙みをする。
なにしろ、赤羽の言葉は、その全てが正論だった。
先程挙げられた三つの例は、彼女を破壊してしまう危険性を孕んだ選択肢。
ハードウェアにせよ、ソフトウェアにせよ。何らかの致命的な破損の可能性が生まれてしまう。
けれどガムテープならば、その問題を解決できる。
展開時の姿、及びこの山に引ける電力の総量から言って、彼女自身の馬力はそう大きくない。
故に可動部さえ抑えれば、いとも簡単にその行動を制限できる。
尚且つ取り外しが容易である、といった点も上等。
これ以上ない譲歩案にして、最適解。──────なのに、なぜ。
「で、でもさ、だからといってそれが最善手とは………」
「………わかんないなぁ、どうしてそこまで噛みつこうとするのか」
「………………………」
「秋野だって体験したじゃん、空気を読まない、あの傍迷惑な射撃」
どうしてこんな物を庇うのか理解できないな、と赤羽。
オレの元へと集約していく視線は、その言葉への同意だった。
喉元に込み上げるナニカを飲み下し、周囲を見渡す。
それはきっと、一抹の期待。未だ擁護を諦めたくないという、妄念にも近いモノだった。
──────けれど。その果てに見つけた、黒髪の彼女でさえ。
「──────────あぁ、そう」
事ここに至って、オレはようやく、自身の無謀と過ちを認めた。
最早、この状況は己が手で返せるものではないと悟ったのだ。
ならば、敗者のとるべき行動は一つだろう。
「はは………悪かったな。少し頭を冷やしてくる………先生には早退したって伝えておいてくれ」
針の筵を歩くのような視線の中で、手早く荷物を纏める。
逃げる様に教室を後にし、青空の下、校舎の外へと足を踏み出す。
悪いのはオレだ。それは分かっている。
客観的事実として、オレの言葉には何一つ筋が通っていなかった。
ただの我が儘。そうでなければ、癇癪といった所か。
しかし、ソレを自覚しても尚、そうしなくてはならない理由があった。
きっとこれは理不尽だ。まるで身勝手な誓いだ。
けれど、果たさなくてはいけない。
例えそれが、何かの間違いだったとしても。