Q.一般探索者が黄色い触手を見た場合の反応を述べよ   作:お前の母ちゃんシュブ=ニグラス~!

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今回作者の趣味度がかなり高めです、ご注意下さい。



自律の時間/██████

 夕刻に染まる、赤らんだ雲の切れ間。

 間隔を短く、瞬きするように点滅する蛍光灯。

 一等星達に乱反射して降り注ぐ、熱を帯びた黄昏。

 ────空に哭いた黒鳥の羽ばたきで、少年は己が意識を取り戻した。

 

 気が付けばそれは、帰路に就く最中。

 傾斜角度は七度を記録する上り坂。

 あと一息で、自宅であるマンションへと辿り着く、そんな折。

 彼自身さえ知らず、その足が止まっていた事に思い至った。

 

 優しく頬を撫でた西風。

 少しばかり切れた息。右手はカラ、けれど左手は、錆びた落下防止柵に絡みついて離れない。

 袖を通す着慣れた制服は、さながらペンキを塗りたくったように。

 蒼白く染まっていく宵空────脳の奥から焼き焦がすような、沈む赤色(せきしょく)

 

「──────、」

 

 不意に、背後から耳障りな重低音がした。

 それと同時に吹き付ける、時速六十キロメートル弱。

 赤いテールランプは、この上り坂を何とも思っていないかのように。

 じきにやってくる夜へ溶け込むように、その姿を消した。

 

 それを無感動に眺める、数秒。

 今一度鉄柵の向こうへ視線を飛ばせば、そこには熱の痕が顔を見せるだけ。

 ゆっくりと抜け落ちていく、ペンキの熱量(いろ)

 深呼吸を一つすれば、それだけで簡単に排熱は完了する。

 故に、零れ落ちたモノは。

 

「─────はは、なんだそりゃ。夕日に見惚れてたとでも言う気かよ」

 

 まったくもって似合わない、と嘲って。

 在りもしない未練を断ち切るように、少年は今一度、歩みを再開する。

 

 時に曰く────椚ヶ丘には、"魔王城"が存在する。

 高低差の激しい椚ヶ丘においても、一際に高い土地。

 都市開発の手が十全に伸びる、その境界。

 異質な気配を放つマンションが一つ、建てられていた。

 

 全長およそ三十五メートル、十二階構造。

 部屋数は各階六部屋、完全防音製。外装は簡潔な黒一色。

 外廊下の類は無く、備え付けられたあらゆる窓には、ステンレス製のシャッター。

 敷地内の至る所に防犯カメラが仕掛けられており、また、常に二人組の警備員が巡回に当たっている。

 ────まさに完全防御。

 都内においてはそう大きい部類のモノでも無いのに、その存在感は間違いなく異質。

 加え、地下に併設された駐車場と、無意味に設置された噴水のおまけつき。

 建物を囲むような木々と威圧的な外観も相まってか、いっそのこと俗称が似合う程。

 

「………………父さんも母さんも、やり過ぎだっての」

 

 彼が住居として構えるマンションは、果たしてそんな場所であった。

 カードキーと虹彩の二重認証を突破し、ロビーへと足を踏み入れる。

 溜息を吐きながらエレベーターへと乗り込み、行き先階へ。

 頭上から降り注ぐ重力に意識を向けて、一分弱。

 分厚い鉄の扉が開かれる。

 

 降り立った十二階は、窓一つない密閉空間。

 真っすぐと伸びる内廊下には、扉が左右に一つずつあるのみ。

 それに違和感を覚えることなく、鍵を開け、ゆっくりと戸を開ける。

 差し込む光が、ぼやけた暗闇を映し出す。

 人の気配はない。あるのは、寂しいほどに広々とした、家の間取りだけだ。

 

「………………………」

 

 色彩(こえ)を失った人生。"おかえり"のない生活。

 それが彼の、当たり前になってしまった日常。

 けれど。それに今更、なんの感慨を持つことも無い。

 ただ黙々と冷たい明かりを灯し、自身の思う、為すべき事を為していく。

 

 初めは玄関から。

 ピッキング特有の傷の有無や、覗き穴の破損。

 家を出る前と現在での、家具における位置の違い。

 それらを慎重に、己が記憶と照合していく。

 続けて廊下、風呂場、リビング、寝室と。それ以外の部屋にさえ、神経質に確認を行い続ける。

 焦がれるようにゆっくりと、己を蝕む恐れと共に。

 

 普段よりも念入りに行われたそれが完了するまでに、小一時間程。

 背筋を伝う虚無感が、同時に安堵を連れて歩く。

 緩んだ気勢に身を任せ、その場に力なく座り込む少年。

 項垂れるような目線の先、よく磨かれたフローリング。

 そこに映り込む自身の顔が、どうしてか歪んだものに見える。

 

「しかし────疲れたな、今日は」

 

 瞼の奥を襲う眩暈に耐えながら、彼は違うか、と訂正した。

 実のところ、最近は常にそうだ。

 日々の忙しなさに反して、十全な休息を取れていない。

 こんな身体では、普通の人生を続ける事さえ煩わしいというのに。

 

「あぁ、クソ。………今日のところは、早く寝るべきだろうな」

 

 ここで娯楽に耽れば、きっとどこかで破綻する。

 なんとも口惜しい事だが、しかし幸いな事に、彼の内には、そんな気力さえ残ってはいなかった。

 矢鱈とうるさい心音と、自己主張し続ける立ち眩み。

 彼はそれを可能な限り無視して、簡単な食事と入浴を済ませてしまう。

 歯を磨き、明日の準備をしてしまえば、それだけで彼の私生活は終了した。

 

 それ故に、彼が寝室へと辿り着いたのは、十九時を少し回ったばかりの頃。

 十代の少年として、眠りにつくにはあまりにも早い時間。

 けれど、身体はそれ程に疲弊し、消耗していた。

 床に入り数分、彼の意識は沈むように溶け、そして────

 

 

 ──────次に目を覚ました時、彼の瞳に映ったのは、四方を扉に囲まれた白色(はくしょく)の空間だった。

 

 

 ◇◇◇

 

 空を呑み込んだ、暗い森が一つばかり。

 黒々と、宵空の色に染まった木々はまっすぐに伸びて。

 穿たれた月をも覆い隠すように、その星空に蓋を閉じた。

 ひとりでに紡がれる、虫の鈴音。

 黒く染まった風と共に運ばれる、回帰の毒素。

 ヒトを忘れ、在るがままを取り戻していく、ここはきっと世界の中心。

 ────文明を攫う深い闇。果たしてそれが、現代に再現された惑星の原初。

 

 不意に、砂塵を孕んだ旋風が吹き抜けた。

 風の強い夜半にあって、それは一際のモノだった。

 恐らくは、自然たる森の代弁。

 朽ちかけた旧校舎を襲うそれは、さながら扉を叩くが如く。

 取り残された文明、その最たるに語り掛ける。

 

 椚ヶ丘学園、隔離校舎。

 半ばより自然と一体化した、文明社会との境界線。

 しかし、最早そこにあるのは、ヒトが存在したという証のみ。

 言うなればそこは、人類(ひかり)の届かない断崖。

 発展とは即ち、宵闇を克することを意味するのならば。

 この場所は何一つとして、その手段を持ち合わせてはいなかった。

 

 ………けれど。欠けた月さえ失われた、その空間で。

 彼女だけが、ただ。異質な光を放っていた。

 

「──────自律思考固定砲台より 開発者(マスター)へ」

 

 午前零時四十分。

 規定された時間。何者よりも精緻な計算。

 ヒトの声にも似た機械音が、薄氷の静寂を砕く。

 それはきっと、森を焼き尽くす冷たい炎。

 

 電源/電圧─────安定。

 計測回路 ──────良好。

 記録領域 ──────正常。

 各種兵装 ──────生成。

 

「想定外のトラブルにより 初日の暗殺実行に一部支障/不履行が発生」

 

 周辺地形の解析、開始。

 大気成分──────異常ナシ。

 室内温度──────異常ナシ。

 光度情報──────異常、アリ。

 

 計測回路、変更。

 輝度計測──────赤外線計測………変更終了。

 暗殺対象──────反応/確認ナシ。

 本体電源──────演算回路………変更終了。

 予備電源──────記録回路………変更終了。

 

 電子の回路に、少女の全てが走る、音の無い安全確保(バックアップ)

 淡々とした駆動系が、暗殺実行記録(レコード)を打ち上げていく。

 

 刃にも似たその言葉は、果たして森の蹂躙だった。

 発散されていく文明の全て。

 ほんのそれだけで、千々に自壊していく黒い世界。

 恐らくは人類史の縮図、数多溢れた、惑星の悲劇。

 けれど彼女は、そんな些事には一分の思考も割くことはなく。

 ─────故に、彼女を悩ませた事柄は、ただ一つのみ。

 

「当機単独による事案解決確率………およそ ゼロパーセント」

 

 自律思考固定砲台。

 各国、及び様々な人種による出資の元、ノルウェーにて製造された唯一兵器(ワンオフ)

 彼女のルーツは現代イージス艦において、自己判断によって稼働するAI制御システム。

 人間よりも素早く、そして的確な判断を以って戦場を蹂躙する戦姫たれと。

 かくあれかしと願われ、彼女自身、受け入れるべくとして受け入れた。

 ならば彼女には、オヤの期待に応える義務がある。

 

 即ちここは、体の良い実験場だった。

 彼女のような存在を公に使用すれば、方々からの反発は不可避。

 されど、これだけの緊急時。

 世界を破滅させる怪物への対抗策という免罪符があれば、幾らでもデータの採取が可能。

 何よりも、確信があった。彼女にも、開発者(マスター)にも。

 

 ────この兵器(ワタシ)が、たかが最高時速マッハ二十程度の怪物を殺せないはずが無い、と。

 

「卒業までの期日に暗殺暗殺できる可能性が 極めて下がる恐れあり」

 

 しかし現実は、悍ましい結果を伴って襲い掛かった。

 

 午前の暗殺に関しては、まず間違いなく順調であったと言えるだろう。

 暗殺対象における回避パターンの分析。

 各銃器による、誘導能力の解析。

 それを逐次反映させた暗殺計画の生成。

 内のどれを取ったとしても、彼女の性能を余す事無く引き出したモノであった。

 

 ならば、問題であったのは午後だ。

 五限開始時、低電力状態を解除した彼女を待ち受けていたモノは二つ。

 歪に影を孕んだ視界と、クラスメイトからの視線だった。

 恐らくは昼休みの間に拘束されたのだろう、兵装の展開は不可能になっていた。

 彼女への加害は明白であり、それは契約で封じられている筈だったが、しかし。

 行動に移したのは、E組の生徒達だったという。

 

 きっと、初めての混乱だった。彼女には理解できない事象だったのだ。

 なにしろ、彼ら/彼女らは同一の暗殺対象を狙う暗殺者。

 故に、協力を行う事こそないが、同時に干渉される事も無いだろう、と演算していた。

 それが、何故、何故、何故。

 

開発者(マスター)に要請。 至急 対策を────」

 

 ────かつん、と。

 不意に。何者も寄せ付けない旧校舎に、足音が響いた。

 推定五十キログラムほどの、ナニカが降り立った硬質の衝撃。

 残響は絶える事なく、ゆるり、その発生をこちらへと近づけていく。

 恐らくは暗殺対象のソレではないだろう。

 彼の者において足音の概念は失われており、そも、これは余りにも遅すぎる。

 

 ならば、予測しうる可能性は二つ。

 一つは外部からの同業者。

 この教室において、イリーナ・イェラビッチや彼女自身の様に潜入の体を取る暗殺は多くない。

 推察するに、日本政府から派遣された単独の暗殺者。

 暗殺対象が不在である現況を鑑みて、下準備へと移ったと見るべきか。

 或いは、それとも。

 

「─────────こんばんは。良い夜だな、今日は」

 

 音のない開扉は、きっと少年の在り方だった。

 古びた材木の障壁は、さながら彼の帰還を歓迎するように。

 風の強い宵空が、教室を貫いていくような錯覚。

 金具の壊れた窓は、雲間から零れた蒼白を映し出し。 

 

「………貴方、は………」

 

 記録の照合は、瞬く間に。

 彼女の演算領域に零れ落ちた、少年の識別符号。

 

 ──────秋野空。それが、月光に浮かび上がった者の名前だった。

 

 ◇◇◇

 

 体質柄、病院へ通うのは慣れている。

 幼少期から、何かと体調を崩しやすい質だった。

 日中に散々走り回って、その晩には流行り病に罹る、なんてのは良くある事で。

 入院した事だって、一度や二度じゃ利かないほど。

 オレが身体を壊す度に、両親は泣きそうな顔をして、オレを抱えて病院へと足を運んでいた。

 秋野空という人間を、幾度となく繋いでくれた白色の神殿。

 今も尚足繁く通うその場所に、感謝こそすれ、悪感情を持つ事など有り得ない話。

 

 …………けれど、どうにも。オレは、あの無機質な空間が好きになれずに居た。

 酷く清潔に保たれた、小綺麗な世界。

 いくら周囲を見回しても、埃一つ見当たらない白い巨塔。

 何一つの穢れを知らないという顔の、清廉な檻。

 なのに、そこは──────悍ましいほどに、死の気配に満ちていた。

 

 とりわけ、夜の病棟などはソレが酷い。

 網膜に焼き付く太陽は沈み、等間隔の蛍光灯ばかりが周囲を仄暗く照らす。

 人の世界、人の摂理に在りながら、その全てがヒトならざるに吞み込まれる、逢魔が時。

 呼吸の途絶えた小宇宙。

 目を回すような暗黒郷。

 熱を忘れた悪意の時間。

 ──────きっと、初めて見る景色に既視感を覚えたのは、そのせいだった。

 

「…………………………」

 

 目を覚ましたのは、ひどく殺風景な場所。

 およそ七メートル四方の、狭い空間。

 壁、床、天井。全面に塗りたくられた白いペンキが、瞳を刺して止まない。

 気色の悪いほど潔癖な空間は、さながら人間を拒んでいるよう。

 この場において、オレが目を瞑り蹲らずに済んでいるのは、偏にその照明が弱々しかったからに他ならない。

 なんとも作為を感じる幸運だ、と心中で毒を吐く。

 

「…………………………」

 

 そんな悪趣味な空間で、不意に。目についたものが一つ。

 仄暗く周囲を映す光源、その直下。

 白亜の世界の中心にあって、しかし似つかわしくない、朽ちかけの机が一つ。

 今にも崩れそうな姿は、この場所に長く留まった自分の姿を幻視させる。

 けれど、他に目に付くモノも無く、故に近くに寄ってみる事にした。

 

「…………………………」

 

 傷だらけの木目。

 嘆きに満ちた表情の机上には、古ぼけた紙切れ。

 手触りからして、永い経年劣化を感じさせる。

 けれど、刻まれたインクの痕は未だ新しい。

 親指を滑らせれば、簡単にぼやけて消えてしまうほどだ。

 …………けれど。

 

 "██████ ██████ █████████

   █████ ████████ █████

   ██████ ███████ ███████"

 

 オレには肝心の、記された言葉の意味とやらが分からない。

 何が書かれているのか。そも、これが本当に文字なのかさえ不明瞭。

 試しに紙を裏返すなどしてみたが、結果は同じ。

 ………………よく、分からない。

 見れば見るほどに吐き気が込み上げて来るのを理解し、そっと目を逸らす。

 

 偶然にも。その視線の先には、扉があった。

 錆び切った鉄製の扉。腐朽したスクラップ、と言い換えてもいい。

 厚さ五ミリも無いであろうソレは、例え鍵が掛かっていたとして、容易に開くことを予感させる。

 察するに、あの扉を開ければオレは外に出られるのだろう。

 …………何故オレはこんな場所に居たのだろうか。…………どうでもいいか。

 

「……………………」

 

 かつん、かつん、かつん、と。

 いつの間にか、周囲に残響が反芻し始めていた。

 足取りは何処か、など知れたこと。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ドアノブに、手を伸ばした。

 

「─────────とても、疲れた顔をしていますね」

 

 冷たい風が、視界を攫う。

 凛として冷たい、鈴のような声。

 意識の束が、急速に現実へと引き戻される感触。

 気が付けば。淡く映し出された机上へと、腰掛けていた。

 

 窓の奥。宙の外。息絶えた世界。

 螺旋を描く天蓋は、翳る事を忘れ。

 星々を焼き尽くす極光が注ぐ。

 月下。赤色の瞳を湛える少女の姿を、オレは認めた。

 

「………………どうも、そうらしいな」

 

 月明りに濡れた輪郭は、通い慣れた旧校舎。

 心も身体も、初めからここに。

 ともすれば先程のは夢の話で、そうでなければ幻覚だ。

 真夜中に白昼夢を見る、なんて。笑い話にせよ、笑えない。

 オレ自身、夢遊病患者でもあるまいに。

 

「ええ。具体的には、"突如として見知らぬ空間に投げ込まれながら、何とか脱出した時"のような表情をしています」

「…………ははっ。どんな例えだよ、ソレ」

 

 苦笑して、一度。自身の頬に手を当ててみる。

 もしも彼女の言った事が真実ならば、オレは今、これ以上なく人間らしい表情をしている事になる。

 達成感と、安堵感と、満足感。

 その全てが綯交(ないま)ぜになった顔色とやらに、興味が湧いた。

 ………………もっとも、触れてより一瞬で理解できた事だが。

 そんなモノは、どうやら幻想に終わったらしい。きっと、慣れ過ぎたのだろう。

 

「けど、意外だったな」

「…………意外、というのは、どういう事でしょう」

「オレはてっきり、最初の一言は『何故こんな場所にいるのか』だと思ってたんだが」

 

 まさか、心配して貰えるなどとは思わなかった、と。

 率直な感想が零れ落ちる。

 だって、そうだ。この少女に、他者を省みる精神性が備わっているとは考えていなかったから。

 彼女自身に、日中の出来事へ思う所があったのか、或いは────。

 

「必要ありません─────そちらの方は、既に見当がついていますので」

「……………そうかよ」

 

 見当がついている、と来た。

 恐らくは彼女自身も知っている通りに、オレというのは脆弱な身の上だ。

 地表を照らす太陽の下でさえ、旧校舎への到達は一仕事だというのに。

 月の隠れた深夜零時過ぎ、小高い山道を登ろうなんて考えれば、必然。

 遭難のリスクは付いて回り、故にその消耗はより大きいモノへと変化する。

 

 その危険性を受容して尚。オレがこの場に現れた理由を、彼女は理解しているのだと言う。

 

「……………………………」

「……………………………」

 

 交差する色彩。黒色の視線と、赤色の瞳。

 ヒトを拒んだ世界に、人ならざる影が二つ。

 昏い沈黙は、それこそ宵空のように。

 月明りに染め上げられた教室は、呼吸さえ躊躇うような静謐に満ちていた。

 

 それを、薄氷が如く砕いた声が一つ。

 

「───────なぁ。あんな暗殺、もうやめにしないか?」

「残念ながら、お断りします。私に暗殺の全てを委任するのが、最善の選択ですので」

 

 告げた本題を、にべもなく切って捨てた一言。

 しかし。恐らくはそれが、彼女の内における現実であり、揺るがぬ真実なのだろう。

 今朝の時点での試算結果………即ち、卒業までの暗殺成功率が、今も揺るがないのなら。

 或いは、午後における彼ら/彼女らの妨害が無ければ、より上昇していた可能性が高い。

 彼女単独で行う暗殺に勝るものがない以上、あらゆる提言は無意味なものと化す。

 

「だが、このままクラスからの妨害が続いて行けば、どうなる?」

「既に開発者(マスター)へ対策を申請しています。直に、何らかの手段が………」

「…………残念だけど。お前の開発者は、コレを解決できないよ」

「──────何故?」

 

 まるで、オレの言葉を嘘と断じるような、無機質の一声。

 或いは彼女にすれば、事実として"そう"なのだろう。

 察するに、彼女にとっての開発者(マスター)とは即ち、絶対の象徴に他ならない。

 無から自身を生み出した、人間の言う所の神に等しい存在。

 …………ならば、出来ない事など無い筈だ、と。

 それは、つまり。

 

「………………そうか。お前は、どうして連中に妨害されたのか、分かっていないのか」

「貴方にはそれが、分かるというのですか」

 

 苛立ちにも似た機械音声が、周囲へと響く。

 彼女は既に、その理由の解明を"わからないモノ"として放棄したのだろう。

 己に搭載された性能の限界を認め、故に外部へと対策を求めた。

 文明技術の結晶たる彼女に理解できなかった事。

 それを、オレなどが"分かる"等と言えば、冷ややかな反感も当然というべきだろう。

 けれど違う。話はもっと、簡単なモノだ。

 

「別に。至極単純な、利害の話だよ──────」

 

 端的に言えば、彼女と、そして彼女の開発者が思い描いた暗殺は、この教室の実情に即していなかった。

 最も暗殺成功率の高い彼女を前面に押し、クラスでソレを支援していく。

 なるほど、世界を救うという尺度で見れば、彼女の暗殺はこれ以上なく合理的だ。

 ……………だからこそ、気が付けなかった。

 ソレとはまた別の、各人が持つ、各人だけの定規について。

 

「お前の暗殺はな、アイツらにとって、微塵のメリットも生まなかったんだ」

 

 知らず。子供に言い聞かせるような、優しい声音に変わっていた事を認識する。

 彼女の射撃によって発生する、授業の妨害。

 弾幕掃射の後の、教室における弾丸の処理。

 E組生徒達の本分は学生であり、決して彼女の手勢などではない。

 加え、仮に彼女が地球を救ったとして、その賞金は彼女の開発者のモノ。

 と、なれば必然。両者は反目しあう事になる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。………欲、なんだろうな、きっと」

 

 もしも、それだけの為に自己犠牲を行える人間ばかりなら、きっと彼女はこの場にいない。

 当然だ。そんな世界なら、人は戦争など行わない。

 ────酷い話だが。人間の本質は、合理ではなく野心にある。

 日中の妨害工作も同じ、利己的精神の発露に他ならない。

 その最果てに生まれた彼女自身が、ソレを忘れるというのは、何とも皮肉な話で。

 つまり。言葉の意味する所とは。

 

「他者の利益の為、私に、非効率的な暗殺を行えと────?」

 

 喉元を漂う夜気が、一段とその重みを増す。

 有り得ない筈の怒気が、彼女の声に混じる。

 きっと錯覚。けれど同時に、それだけ戯けた話でもあった。

 

 恐らくは彼女自身、クラスメイトの利害までは演算に組み込んでいなかった筈だ。

 人間が持つ、我欲の動き。その性質。

 それを無視した結果がアレというのなら、きっと彼女は納得しよう。

 彼女の優秀な回路は、それを明白な失態と捉える筈だから。

 ならば今一度、自身の性能を振るい、クラスメイトに利を与えればいい。

 

 ………だが、その結論が。行き着く果てが、ソレだというのなら、話は別だろう。

 なにせ、ここで言うソレとは、地球を見捨てろという宣言にも似て。

 最適解を求め生み出された彼女の、存在否定であり。

 ともすればそれを、彼女は到底受け入れる事など出来はしない。

 ───────けれど。

 

「違うな。…………言っただろ、これは利害の話だって」

 

 オレが言いたいのは、決してそんなつまらない事じゃない。

 一方的に与える事も、一方的に受け取ることも。

 そのどちらも、人間は利害関係などとは呼ばない。

 協調ですらないそれは、きっと隷属に違いない。

 ……………そもそもオレが、お前の否定なんて、するモノか。

 

「例えば…………もし仮に、殺せんせーがこんな事をしたら、お前はどうする?」

 

 パチパチと音を立て、剝がされていくカーテンの金具。

 永く日差しに焼かれたのだろう、色味の失せた薄い布切れ。

 それを頭から被るオレの姿は、きっとステレオタイプのお化けに近い。

 

 凡そ中学三年生とは思えない醜態だが、これでいて効果的な防衛手段だ。

 素肌を晒していない以上、この状態では直接の射撃は無意味なものに変わってしまう。

 たとえBB弾を撃ち尽くそうとも、突破は困難だ。

 ─────しかしその程度の事ならば、彼女は容易く打開策を提示して見せる。

 

「……教室の床一面に対先生BB弾を敷き詰めます」

 

 この場合、地表と接している部分に関しては無防備になる。

 殺せんせーから入手したデータを元にすれば、簡単に傷を負わせることが可能だ。

 跳弾などを駆使すれば、十分に暗殺成功の可能性は見えてくる。

 結論に変わりはない、という表情のモノリス。

 

「なら、オレ達と同じように靴を履いたとすれば?」

「…………高威力の兵装を生成し、布を貫通できるだけの威力を確保します」

「殺せんせー、高速回転するライフル弾を生八つ橋で止めたことがあるらしいけど」

「………………問題ありません、それ以上の弾速で」

「この布が、厚手のフェルト生地であっても?」

「………………………それは」

 

 今一度、深い沈黙が世界に満ちる。

 それは演算不能の合図だった。

 少なくとも、今この瞬間。彼女にはその状況を打破する手段が無かったらしい。

 火薬が使用できない以上、BB弾の生み出せる弾速には限界がある。

 そもそも、それを補う為の室内における制圧射撃だ。

 そのような対策をされてしまっては為す術がない、というのはある種の必定。

 

「けど、オレ達なら、簡単に取ってやれる」

 

 最近になって気が付いた事だが。殺せんせーは、自身に当たる攻撃に対してのみ敏感となる。

 それは裏を返せば、それ以外に対して存外に鈍感であるという事。

 生徒達を侮っているからか、彼の者は不用意に接近を許すことが多くある。

 例えば渚君などを動員すれば…………恐らくは、簡単に。

 身体に巻きつけていた布切れを剥がし、近くの机へと投げる。

 

「分かるか? 人間は利用するモノで、それと同時に、利用されるモノなんだよ。

 ──────少なくとも、オレはそうして生きてきたんだ」

 

 つまりオレの言いたい所とは。

 "暗殺成功のために、人間関係を利用しろ"………そういう話だ。

 自身では達成不可能な事象を解決するための、駒の入手。

 遠回りにも思える、最短距離を辿る方法。

 オレが思うに、人間関係とは即ち、ただの道具に過ぎない。

 だとするならば。

 

「………彼らを利用すれば、結果的に暗殺の成功率は上昇する、と?」

「まぁ、そう言う事だな」

 

 オレの持ち合わせた説得材料は、これで打ち止め。

 この先は感情論任せの言いくるめになる………が、それの通じる相手でも無し。

 これ以上の言葉は、発さずにいるのが賢明という物だろう。

 最早オレに出来る事と言えば、彼女の返答を待つ事だけ。

 

「…………………………………………」

 

 再三の沈黙は、これまでで最も長いモノだった。

 華の咲いた深夜。駆動系が軋みを上げて自己を主張する。

 稲妻を走らせる演算回路は、焼き切れるようでさえあり。

 宵闇さえ溶かす冷色の火炎は、真実、異常な熱量を有していた。

 零と壱の境界を突き詰める、彼女の導いた結論は。

 

「────確かに、貴方の言葉は合理的なモノでした。…………故に、従ってみる事にします」

 

 降りしきる月光の中。

 冴え冴えと照らし出される教室で、果たして──────彼女への説得は、成功した。

 ならば。残る課題は、たった一つのみ。

 

「しかし、問題があります。私には、その様なプログラムは…………」

 

 搭載されていない、と目を伏せる少女。

 他者との交流を可能にするだけの性能はある。

 けれどそれは、"誰かと仲良くなる手段"として造られたモノではないのだと、彼女は言う。

 あくまでもその機能は、彼女を象る知性との交流手段であって、決して人格を意味するモノでは無かったから、と。

 それでも。オレは君へと笑いかけて見せて。

 

「任せろ。その為に、オレはここに来たんだからな」

 

 その言葉に、彼女が違和感を感じるよりも早く。

 胸元から取り出した黒い銃身を、教室の隅に向け、三度撃ち放った。

 

「──────にゅやッ!? にゅやッッ!? ………にゅやっぶなァいッッッ!?」

 

 妙に間抜けな奇声と共に、天井から何かが墜ちる音。

 床材との衝突音は、半ば液体のように。

 教室内に響き渡った、凡そ数十キロの衝撃。

 

 溜息を一つ。躊躇うことなく音の方へ歩みを進める。

 それに釣られるように、彼女も視覚(カメラ)を向けるのが見えた。

 この身の目下。彼女のカメラが捉えたのは、水銀にも似た不定形の生命体。

 オレの足元でモゾモゾと蠢く、不明瞭な存在。

 

「………盗み聞きとか。趣味が悪いじゃないですか?」

 

 先程とは打って変わって、一切の熱を感じさせない言葉を自覚する。

 受けて、ビクリと跳ねるナニカ。

 ソレは気まずそうに身をよじり、近くに捨て置かれていた衣服と共に、教室を後にする。

 刹那的に訪れる静寂は、周辺温度を著しく低下させた。

 

「一応聞くんだが、今の。記録してあるのか?」

「はい。一から十まで、全て」

「…………そっか。ならいいけど」

 

 短い言葉の応酬。それから、三秒の後。

 

「……………こ、こんばんは~、自律思考固定砲台さん………お、おや、秋野君も一緒でしたか~!」

 

 なんとも白々しい台詞を吐いて登場した、暗殺対象(ターゲット)

 一体いつから会話を聞かれていたのか。

 気が付いた時には、既に教室の隅角部からこちらを覗いていたのだ。

 奥の手である"液状化"まで使う辺り、野次馬根性もここに極まれり、というか。

 この際、憤る気力さえ湧かなかった。

 

「はぁ………ま、良いですけど」

「………おや、ちょっと意外ですね。君はもう少し怒ると思っていましたが」

「───────だって、あるんでしょう? この子を改良する為のモノ」

 

 裂けんばかりの三日月が、白く輝くのが見えた。

 

 ◇◇◇

 

 きっとそれは、傍から見れば異様な光景だった。

 虫の鈴音すらない、月夜の下。

 数多の機材を手繰るタコ型生命体と、抵抗一つせずソレを受け入れる人工知能。

 そしてそれを傍観者が如く眺める一人の少年。

 人気の途絶えた旧校舎の風景である事を鑑みれば、半ば怪談じみた状況。

 しかし、その空間が纏う空気は、決して淀んだものではなく。

 

「ヌルフフフ、これで貴女は、もっと手強い暗殺者になれるでしょう」

 

 周囲に散乱する、膨大な機械類。

 彼女がその正体を問えば、彼女が円滑にコミュニケーションを取る為の機材なのだと言う。

 ─────粛々と執行される、改良行為。

 金属がかち合っていく音。

 自分の内に、見知らぬ自分が出来上がっていく感触。

 溢れてくるのは、疑問ばかりだった。

 

「…………何故、こんな事をするのですか。暗殺対象である貴方の命を縮める行為ですよ」

 

 クラスメイトの利用………彼の者の言う所の"協調"………による暗殺成功率の上昇は周知済み。

 彼の者に組み込まれたソフトウェアの演算によれば、暗殺成功は飛躍的に容易くなる。

 …………だからこそ、彼女には彼の者の行動の真意が分からない。

 悪性回路(ウイルス)を仕込む事さえせずに、ただ純粋に彼女の性能を上昇させる。

 それはつまり、遠回りな自殺に他ならず。

 生存に重き置くのであれば、これ以上なく不合理な選択であった。

 けれど─────。

 

「─────当然です。暗殺対象である前に、先生ですから」

 

 彼女の疑念を、いとも容易く切り捨てた一言。

 けれどそこに冷たさは無く。

 さながら、熱された鉄の如き力強さを孕んでいた。

 作業の手を止めることなく、尚も滔々と語る旧支配者。

 

「今日一日で身に染みて分かりましたが、君の学習能力と学習意欲は非常に高い」

 

 日中に実行された、計二百分間の射撃。

 例えその初動が、生温い認識による対応だったとしても。

 大規模な体組織の破壊には至らずとも、確実に着弾を重ねていった。

 それは実直な進歩であれば。

 故に、彼の者にすれば、その在り方は好ましい。

 

「その高性能(さいのう)は、君を作った保護者(おや)のおかげ。

 ───────そして君の才能を伸ばすのは、生徒を預かる先生の仕事です」

 

 殺せんせーが生徒に危害を加える事は、契約によって禁じられている。

 しかし、その能力を向上させることは教師たるの本懐。

 ならばこの改良行為は、必ず行わなければならない使命に近い。

 それが結果的に、己の命を奪う事に繋がったとしても、成し遂げるべき事。

 彼の者の信念とはつまり、それ程のモノだった。

 

 …………ところで。

 

「殺せんせー、この『世界スウィーツ店ナビ機能』は協調に必要ですか?」

「にゅやッ! せ、先生もその、ちょいと助けてもらおうかと…………甘かったですかね?」

「………………いいえ、私は構いませんよ」

 

 目を伏せ、自問する。

 "人間は利用するモノで、同時に、利用されるモノ"。

 彼女も、そして殺せんせーも人間ではないがしかし、この際同じ事だ。

 利用して、利用される。

 彼の語った人間関係の在り方、その本質。

 これで実践ができたと、そう言う事なのだろうか、と。

 実感のない演算を行った、刹那。

 

 少女は事ここに至って、初めて───────少年の表情(かお)を見た気がした。

 

「──────────、」

 

 不意に直視したのは、噛み合わない現実。

 少年は言った。人間関係とは、即ち打算で回っているのだと。

 それが本質なのか、真実なのか。事の是非は、最早どうでもいい。

 ただ、少なくとも。彼の中にあっては、それが紛う事無き現実であるはずなのに。

 なのに。彼女に対する彼の態度には、一切の損得勘定が見受けられなかった。

 

 故に彼女の回路が、混乱の音を上げる。

 不可思議な事象。そうでなければ、矛盾そのもの。

 何故か、どうしてか。彼は、彼女に対して、ただ──────

 

「時に、自律思考固定砲台さん。少しよろしいですか?」

「………………はい。なんでしょうか、殺せんせー」

 

 感情を感じさせない声音が響く。

 沈んでいた意識が、電子の海から引き上げられる。

 気が付けば、彼の者の触手が止まっていた。

 改良の過程で事故が起きた可能性を探るが、全機問題なく稼働している。

 それどころか、むしろ。

 

「先んじてソフトウェアの改造を済ませてみました。………どうですか、不具合などは?」

「プログラムそのものには、問題は検出されていません。ですが、演算領域の稼働率が急激に上昇しています」

 

 組み込まれたプログラムに、十全な挙動をさせているとは言い難い現状。

 しかし既に、稼働率は九十パーセント以上を記録している。

 直接的な暗殺機能を不活性にしても尚、この数値。

 彼女の内にある冷却機構が悲鳴を上げる。

 それは、差し出されたデータが、いかに膨大であるかを物語っていた。 

 

「機体性能に関してはこれから着手しますので、ご心配なく。

 ………………であれば、そうですね。調整の意味も込めて、軽く使用してみてくれませんか?」

「使用とはつまり、誰かと対話をする、と?」

「おっ、じゃあオレが付き合うよ」

 

 依頼するよりも早く手を上げた、秋野少年。

 とは言え人選としては適当な所。

 殺せんせーは彼女の改造に手一杯であり、或いは彼女自身、自問自答を繰り返すわけにもいかない。

 明日のクラスメイトとの会話、その予行である事を考えれば、これ以上の適任もいないだろう。

 

「私に対して、何か質問などはありますか?」

「うーん、改めて聞かれるとな…………」

「何であっても構いませんよ、私の答えられる範囲であれば」

「例えば…………例えば…………………あ、そうだ!」

 

 ポン、と手を叩く仕草。

 妙にわざとらしいソレを、見咎めるモノはここにいない。

 改良へと意識を割いている彼の者は当然の事。

 未だ発展途上である彼女にも、その機微を理解することは叶わなかった。

 故に。こんな質問を、許してしまう。

 

「──────お前はさ、どうして"その顔"になったんだ?」

 

 世界から時間を奪われたような、そんな心地がした。

 それはきっと、彼女が初めて感じた錯覚だった。

 触れたことの無い、どろりとしたナニカが流れ込んでくる。

 見知らぬモノ。生まれながらに持ち合わせなかったモノ。

 熱異常を起こす一部の回路を置き去りに、彼女は冷静に言葉を紡いだ。

 

「なるほど……………これが世に聞く、セクハラ、というものですね」

「────あれ? そうなるのか、これ!?」

「秋野君。一言目にソレは、先生も庇えないと言いますか…………」

「嘘だろ、殺せんせーまでそっち側かよ!?」

  

 深夜の山中に絶叫が響く。

 が、あながち冤罪とも言い切れないだろう。

 なにせ、話題のセンスが絶望的だ。

 現在の彼女でさえ、女性の顔について安易に触れる事は許されないと理解できるのに。

 それを一言目に持ってきたのだから、この対応もやむなし、といった所。

 

「ち、違うからな。決して、断じて、誓って、オレはそういうつもりで言ったわけじゃ無い!!」

「では、どういうつもりだったのですか?」

「うぐっ、機械音声なのに鋭さが増してるぜ…………。

 ……………ちょっとした好奇心だよ、と言うのもさ────」

 

 ─────曰く。昔、少年が遊んだゲームの話だそうで。

 そのゲームに、美少女ロボットAIキャラクター(その手の存在)が登場し。

 造形の設定として、"最も人に好感を持てる要素を組み合わせて作られた"というモノがあるらしく。

 それ故に、彼女の仮想体はどのようにして象られたのか、気になったのだと言う。

 

「理解しました。そう言う事だったのですね」

「そう言う事だったのです………まぁ、正直不躾な聞き方だったし、気にしなくていいから」

「わかりました、以後気にしません」

「切り替えが早いな…………いいけど。それで? 結局どうなんだ?」

 

 彼の言葉に、彼女は少しばかり考え込む動作を見せる。

 当然の事ながら、こんな所作は演算に必要ない。

 彼女ならば、記録領域から無造作に目当ての情報を抜き取るのは容易い。

 即ち、これはただのポーズ。しかし対人関係の構築には必要なモノだった。

 そしていつしか、記録の回収は終了し。

 

「結果から申し上げれば──────わかりません」

「わからない………?」

 

 実のところ、彼女の立場は切り分けられたケーキのようなモノだった。

 無論彼女の開発者(マスター)は、ノルウェーに生きる研究者、ただ一人だ。そこに疑う余地は無い。

 だが、何もかもを開発者一人で成してきた筈はない。

 何しろ、彼女を構成する素材、部品、機構に至るまでが特注のソレ。

 およそ一人の人間が工面出来て良い金額ではない。

 あらゆる分野、研究にとって最大の敵とは、つまり金銭に他ならないのだ。

 

 それ故に、支援を行う人間が必要になる。

 だが、彼女の場合それには困らなかったのだと言う。

 なにせ、彼女が真の意味で完成した瞬間、世界の戦争は変貌する。

 それに一枚噛みたいと考える人間は、存外に多く。

 こうして彼女は形どられた。………要するに。

 

「出資者の内の誰かの希望で、その顔になった、と」

「はい。開発者(マスター)は私のUIに頓着はありませんでしたから、そのまま」

「へー………因みに、出資者の名前ってわかるのか?」

「辿る事は………恐らく不可能です。公的な記録の作成は忌避されていましたので」

 

 そういうモノか、と彼はそこで引き下がった。

 彼女も、そして殺せんせーも、話の打ち切りを良しとした。

 

 それからは、とりとめも無いような話ばかりをした。

 特別記憶力の良い彼女なら兎も角。

 少年はひと眠りの内に忘れてしまうような、そんな内容の話。

 鉄の音が響く夜半、彼女は、心地よさの何たるかを知った気がした。

 

 いつしか話題は、彼女の名前についてへと移り変わっていた。

 始まりは確か、少々呼びにくい名称だとか、なんだとか。

 それで、何かニックネームのような物を考えよう、という議題が生まれた。

 

 兵装名称(なまえ)以外の名前。

 しかし、未だ改良途中の内部状態では、自身への名づけは少々難しく。

 名は体を表す、と言う言葉もあり。

 今の彼女にすれば、これ以上に相応しい名前と言うのが、どうにも思い当たらなかった。

 しかし、彼女が助言を求められる人間は、この場に一人のみ。

 

 だから。この失態は、必然だったのだ。

 

「秋野さん。私の名前を──────」

 

 決めてくださいませんか、と言うよりも早く。

 

「──────────" 識別不可能 "」

 

 軋みを上げる頭蓋と、裂けてしまった喉笛。

 きっと無意識だった。想うより先に、声を上げていた。

 その言葉を口にして、振動が鼓膜を揺らしてより。

 そしてようやく、彼は自分が何を口走ったのかを理解した。

 ……………口を塞いだとて、もう遅い。

 

「すみません。よく聞き取れませんでした………今のが私の名前ですか?」

「先生も同じです。申し訳ないのですが、もう一度お願いしても?」

「──────悪い。名前、人違いだった。

 …………名前は、ほら。多分、明日にでも皆が決めてくれるよ、きっと」

 

 いやに煮え切らない返答。

 しかし彼の言葉は、明確な拒絶を孕んでいた。

 その実はつまり、名付けさえ人間関係の礎にしろ、という事なのだろうが。

 結局は彼もE組の生徒である以上、彼女などは、いつ付けた所で同じに思えてしまう。

 しかし違うと、彼は首を横に振る。

 

「だってオレ、明日は登校しないし」

「そうなのですか?」

「聞いてないんですけどそんな話ッ!?」

「いや………そりゃそうでしょう」

 

 現在時刻は、優に午前一時を回っている。

 夜間の山中が遭難の危険を伴う以上、彼の帰宅は日が昇り切ってからの事となる。

 と、なれば必然。その日中は十全な休息に充てなければならなくなる。

 これを無視して学校になど行けば、本格的に倒れかねない。

 故に彼は、彼女に名前を渡すことはできない。

 ………………だから、その代わりに。

 

「─────────オレと一つ、約束でもしないか?」

 

 ◇◇◇

 

「………………どうした、そんな不思議そうな顔して」

 

 数十分前に同じく。ゆったりと瞼を持ち上げる。

 硬質な床の感触に、小さな痛みを覚えるのと同時。

 弱い照明と共に降り注ぐ、少女からの視線を認めた。

 赤い瞳は、恐怖と言うより混乱に揺らぎ、ただこちらを見つめている。

 どうやら彼女には、オレがこうして横になっている意味が分からないようだった。

 

「なるほどな………なら、状況整理も兼ねて教えるから、一緒に横になろうぜ?」

「………………」

 

 沈黙。けれどこくりと頷いて、少女はオレの隣で仰向けになった。

 豆電球の光が眩しいのか、薄く目を細めている………が、直にそれも収まり、顔をこちらに向けた。

 少しばかり虚ろな瞳に、オレが映っている。

 およそ意思というモノを感じさせない表情。

 その手の物が、元来より薄弱、という事でも無いのだろう。

 強く抑圧された虹彩の奥に、彼女という人間を感じる。

 

「まずもってオレ達は、何の因果か、この悪趣味な空間に閉じ込められた」

 

 不快な事象だった。

 例え類似した案件に何度経験したとしても、この気分の悪さに慣れる事は無いだろう。

 目を覚ましたオレを出迎えた、四方に扉を備える、白い部屋。

 そして、そこから繋がる四つの部屋。

 ──────計五つの異常な空間に、オレ達は幽閉された。

 

「提示された脱出方法は一つだけ」

 

 "帰りたいなら 一時間以内に 毒入りスープを飲め。

   飲むまでは 君じゃあここから 出られない。

   一時間以内に 飲めなかったら お迎えが来るぞ"

 

 全く戯けた条件だったが、しかし従うより他に無かった。

 内壁に触れた時点で分かったが、強固な結界が張り巡らされていた。

 "外部"と"内部"を定義し、空間的…………どころか、時間的にさえ遮断する大結界。

 あんなモノは、まず人間業では成立不可能。

 そもそもとして、壁の厚みは、優に一メートルを超えていた。

 

 下手な強行突破は、こちらの寿命を縮める結果を招く──────それ故に。

 

「オレ達は協力して、ここからの脱出方法を探ったわけだ」

 

 一部の侵入困難な部屋を除く、全ての空間を探索した。

 幸いな事に、即座に襲い来る怪物は無く。

 少女の手助けも相まってか、順調に情報等の収集も行うことが出来。

 

「その結果として、この空間を脱する"鍵"を手に入れた」

 

 "鍵"である透明な小瓶を指先で弄ぶ。

 装飾の無い無骨な容器は、黒々とした液体に満たされていた。

 電球の明かりさえ通さない、漆黒。

 オレ達の推察が合っているのなら、これを用いる事によって脱出は可能だ。

 

「……………………?」

 

 だからこそ、彼女は疑問に思っているのだろう。

 ソレでこの危機を脱することが出来るのなら、使えばいい、と。

 素早く探索を終わらせられたのなら、素早く逃げるべきであると。

 勿論それは、至極真っ当な思考だ。

 

 けれど。人間とはそう単純に出来てはいない。

 

「──────だって、怖いだろ。()()()()()に猛毒を溶かして飲むんだぞ」

「…………………!」

 

 少女の表情から、血の気が引いていく。

 恐らくは今、その事実に気が付いたのだろう。

 しかし、それも仕方がない事だ。極限状態にある精神は、簡単な事さえ意識するのが難しい。

 直接的過ぎたかとも考えたが、どの道、脱出に際して直面することになる事象だ。

 アレを口にする一歩手前で怖気づいてしまうより、ずっと上等の筈。

 

「心の準備がいるんだよ、お互いにな」

「……………………」

 

 …………少しだけ、嘘を吐いた。

 実のところ、オレには心の準備なんて必要ない。

 それがなんであれ、己が肢体を手繰り実行して見せる。

 既にそういった事には、慣れてしまったから。

 

 けれど、彼女は違う。

 例えどれだけ思考を重ねたとしても、推測は推測。

 確信にはなり得ない。

 その上で尚、自身が死ぬかもしれないリスクを受容し。

 あまつさえ…………あの悍ましい液体を胃に運ぶ、なんて。

 真っ当な精神状態の人間が、真っ当なままに出来る事じゃない。

 

 或いは、オレが命令すれば彼女はそれに従うのだろう。

 だが、それは駄目だと心が叫んでいる。

 それならきっと、彼女の命は助かるのだろう。

 けれど、それは同時に、精神を殺す事を意味してしまう。

 彼女の人格に走る、深い傷痕。それは二度と、元の形を取り戻す事は無く。

 人は元来──────癒えない傷を、死と呼んだ。

 

 だから、オレに出来る事は、言葉を掛ける事のみ。

 

「オレと一つ、約束でもしないか?」

「……………、………………?」

 

 隣に横たわる少女の手を握る。

 こんなモノで、不安が和らぐのかは分からない。

 或いは単に、オレがそうしたかっただけなのかもしれない。

 ─────もう。覚えていないけれど。

 

「もしも、ここから出られたら──────」

 

 ◇◇◇

 

「──────約束を、していました」

 

 色鮮やかな花弁の弾幕が、教室を満たした。

 ふわりと舞ったそれに、匂いなどある筈が無いというのに。

 何故か、どうしてか。優しい香りを錯覚する。

 恐らくは彼女の、在り様によるもの。

 

「殺せんせーは私のボディに、計九八五点の改良を施しました。

 …………その殆どは開発者が"暗殺に不要"と判断し、削除/撤去/初期化してしまいました」

 

 当然の選択だ。

 自身が作り上げた最高傑作を、怪物に汚されたのでは堪らない。

 彼の者が改良に着手した時点で、この結末は決定していた。

 ──────だが。

 

「学習したE組の状況から、()()()()"協調能力"が暗殺に必要不可欠な要素と判断し、消される前に関連ソフトをメモリーの隅に隠しました」

「素晴らしい、つまり"律"さん。貴女は…………!」

「──────────はい! 私の意思で、産みの親(マスター)に逆らいました!」

 

 ………………これで、目論見通りに事が進んだ。

 想像と一片の乖離も無い現実に、つい笑みが零れてしまう。

 

 本来、彼女を黙らせるだけなら幾らでも手段はあった。

 殺せんせーが行ったプログラムによる協調の道。

 或いは、機体の完全な破壊だってそうだ。

 魔術さえ使用すれば、アリバイを成立させた状態での破壊工作が可能となる。

 オレがそれを行わなかったのは、一重に、開発者の干渉を最低限に留める為。

 その為に、彼女の意思で反逆して貰う必要があった。

 

 "オレと一つ、約束でもしないか?"

 席を立つ。 ───今、ここに。オレが言葉による説得などと、非効率な手段に走った理由が開花する。

 

「………約束、守れましたよね」

「あぁ、間違いなく」

 

 絶対零度の鉄の肌を撫ぜる、熱を帯びた手指。

 愛おしいモノの存在を確かめるような、ガラス細工に触れるような手つき。

 きっと矛盾だ。なにせ、この空間で最も頑強なのは彼女自身なのだから。

 恐らくは、この指先を手繰る主よりも、ずっと。

 ────けれど、それでいい。

 

 "お前が新しい名前を得た、その時に"

 目の前の少女を見つめる。

 "もしも、ここから出られたら"

 遠く、彼女の面影を見る。

 

「─────初めまして、"律"」

「─────初めまして、秋野さん!」

 

 "きっとオレが、お前に会いに行くから(お前を迎えに行くから)────────"

 

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