Q.一般探索者が黄色い触手を見た場合の反応を述べよ 作:お前の母ちゃんシュブ=ニグラス~!
雷鳴が鳴り響いた山中、霧に覆われたような窓の向こう。
空を塞ぐ鈍色の天蓋は分厚く、その顔色を微塵も変えない。
教室内の明かりは途絶え、光は遥か遠くへ、淡い街の営みを映すばかり。
未だ日中だというのに、この教室の纏う気配は夜そのもの。
降りしきる雨粒が、古ぼけた屋根を叩きて止まない、午後三時過ぎ。
およそ優雅とは呼べない午睡の時間。
陰鬱に染まっていく雨色の空気。
気の遠くなるような暗澹。
これから始まる事を想えば、心が彩度を失っていくのがありありと分かる。
数十分後に至る結末が何であれ、今の自分が干渉するべきではない。
オレが行動を起こすのは、全てが終わった後。
有り得てはいけない推論が、正当性を持った場合にのみ。
それは理解しているし、我ながら妥当な判断だと感じている。
とは言え。態々自分から後手に回る事のもどかしさと言えば、筆舌に尽くしがたく。
何者かに手のひらで転がされている様な気さえして、寒気がする。
こんな事態に遭わないよう、人生を過ごしてきたつもりなのだが、と。
諦観にも似た溜息を吐こうとして。
「──────はぁぁぁ…………疲れた………」
真実、弱音を零していた。
尤もそれは、この先の未来に起因するモノなどではなく。
「…………机運んだだけでそれは、流石に疲れ過ぎじゃないの…………?」
ガタン、と。硬質の音が隣から響く。
視界の端で、年季の籠った組み木構造が設置される。
机を運搬した際に出来たのだろう、彼女の手のひらには赤い跡がついていた。
耳に届いた声を頼りに視線を上げれば、呆れ顔の速水さんが目に入る。
浮かび上がる言外の感情は、困惑か憐憫か。
「いいかい速水さん。オレの身体は、箸以上の重さのモノを持てるように設計されてないんだよ」
「相変わらず、目も当てられない虚弱っぷりね…………」
速水さんの言葉に、苦笑すると共に内心で深く同意を示す。
さもありなん、日々の登校ですら命懸け、と言った具合の現状。
一キロメートル以上の距離を走破する事さえ叶わない身体。
全くもって不便極まりない肉体だ、と愚痴の一つでも溢したくなる。
「しかも、今日はホームルームに遅刻しただけで、全日程完遂したし」
大変疲れた、と自嘲するような響きを孕んだ言葉を吐く。
たかが数時間授業を受けた程度で疲弊する己が身体が恨めしい。
生まれついての虚弱体質、改善の見込みは微塵も無く。
受け入れるより他に無いが、きっと。死ぬまで慣れる事は無いのだろう。
その上で。
「──────こんな風に、"机のリング"なんて作らされたら、そりゃあ息も切れるだろ」
皮肉交じりに教室の全景を見渡す。
教室の中心より、七メートル四方の空間を象るように設置された木製の机。
窓の奥から差し込まれる、僅かばかりの鈍い明かり。
生と死を分かつ境界──────その、内側で。
対峙するように浮かび上がった、二つの影を認めた。
…………片や人のカタチを得た殺意の少年。
眼前の生を許さない、絶死の瞳が、彼の者を射抜く。
身体を構成する総てが人間のソレである筈なのに、纏う気配は人外と同等。
殺戮機構にも似た在り方は、見る者全てに眩暈を覚えさせる。
…………片や人のカタチを捨てた宙の神性。
ヒトならざる瞳、ヒトならざる微笑み、ヒトならざる触手。
微塵の人間らしさも感じさせない立ち居振る舞いは、即ち絶対者の証明。
星を破壊する権能が、ただ。眼前の殺意を見据えていた。
室内を満たした緊張が、世界から彩を失わせる。
人外魔境の小世界。
何人も立ち入ることの許されない、埒天外の地獄。
結末はなんであれ、これより辿る惨劇は一つ。
審判者を気取った、白装束の腕が上がる。
衝突までの僅か一秒間に、刹那の過去へと回帰した───────。
◇◇◇
先月に比べ、明らかに増した雨脚に耳を澄ます。
割を増した湿度は、どこか喉元を締め付けるようで。
時折肌を撫ぜる生温い風には、どこか薄ら寒いモノを覚えてしまう。
移ろう歳月は、水無月も半ば…………今日を以って梅雨へと変貌した。
直に訪れる、熱を帯びた時間の前触れ。
それを象るように、木々は新緑の葉を伸ばし。
遠く、窓の向こうの雨天は、未だ降りやむ兆しを見せず。
けれど、人気に満ちた旧校舎は嫌に浮ついた空気を孕んでいた。
「…………さて。烏間先生から転校生が来ると聞いていますね?」
午前八時三十五分、始業の鐘が鳴ってより暫く。
喜色に満ちた表情で触手を唸らせる彼の存在は、待ち侘びたとでも言いたげに。
パタン、と閉じられる厚手の帳簿と同時。
終わりの見えた朝のホームルームにて、超生物はそう切り出した。
記録付けの終わった名簿には、二十六人分の出席が確認されている。
欠席者は若干一名………出席番号二番の少年のみ。
普段から遅刻、欠席の多い生徒だが、雨の日に限っては常にこうだった。
足元が悪いのが関係しているのだろうか、と神崎などは思案してしまう。
しかし、三年E組生徒たちの関心は最早そこに無く。
これからやってくると思しき、転校生暗殺者についてのみ、注がれていた。
「律さんの時は、少し甘く見て痛い目を見ましたからね。先生も今回は油断しませんよ?」
「─────────」
返す言葉は無く、律はただ優しく微笑んだ。
日々人間らしさを増していく彼女が取った、見惚れてしまうような所作。
それは素直な賞賛の受領か、或いは彼の者の油断を誘うためのモノか。
どちらとも取れる曖昧な表情だったが、感情に聡い少年は何となしに後者と直感した。
「いずれにせよ、皆さんに暗殺者が増えるのは嬉しい事です」
狂気じみた言葉を、いとも容易く言ってのける超生物。
何ともおかしな発言だ、自分を殺す存在の増加を喜ばしい、などと。
それが己に対する絶対の自信から来る物なのか、もしくは教師として、教え子が増える事に悦びを覚えているのか。
少なくとも虚勢ではない、本心からの言葉だというのは、生徒全員へ伝わる所だった。
「そーいや律、何か聞いてないの? 同じ転校生暗殺者として」
「…………はい、少しだけ」
彼女の目の前に腰を下ろした少女………原からの言葉に、律は応える。
その表情には、どこか翳りのような物が見える。
彼女自身、それに気が付いているのか、いないのか。
ただ感情を排した声で、彼女は滔々と持ちうる情報を並べ誂える。
「初期命令では、私と"彼"の同時投入の予定でした────」
律による遠距離射撃と、ソレを支援火力と数えた"彼"による近距離戦闘。
恐らくは短期決戦、瞬間火力による決着を是とする、真性の暗殺。
それが国際連合の導き出した答えであり、"本命"。
世界で最も成功率が高いと目された、最上の暗殺計画。
…………だが。この計画は、二つの理由によって凍結された。
「へぇ、理由って?」
「一つは"彼"の調整に予定より時間が掛かったから」
"彼"の実戦試験の数値は、安定の兆候を見せる事が無かった。
無辜の生徒達、及び対象に貸し与えられた社会的立場を鑑みれば、潜入の体を取らざる負えなくなる。
それ故に、"彼"にはより繊細な調整を重ねる事を余儀なくされた。
結果として、当初予定されていた期限に間に合う事は無く。
予備作戦として並行的に進められていた、彼女の投入のみが実行された。
それが、一つ目の理由。そして、もう一つは────
「──────もう一つは、私が"彼"より暗殺者として圧倒的に劣っていたから」
彼女に求められた役割は、遠距離火力支援による連携。
それには、凡そ三つの要素が必要とされた。
一つは、的確な状況判断。
一つは、高度な学習能力。
一つは、純然たる火力総量。
そのどれに置いても、彼女はこれ以上ない数値を記録し、そして。
──────"彼"の刻みつけた数値は、その限界を、優に超えていた。
そもそもとして、計画は破綻していたのだ。
現代軍事技術の結晶たる彼女であれば事足りる、などと。
それその物が驕りであり、産み落とされた結論は、無情にも。
自律思考固定砲台が有する性能では、"彼"の支援にすら届かない、と。そんなモノだった。
「……………………、………………」
誰もが彼女の言葉に息を呑み、教室に深い沈黙が訪れる。
耳を澄ませば、緊張の走る心音さえ聞こえてきそうな程。
雨音だけが、旧校舎を包んでいる。
けれど、彼らの反応は至極当然のモノだった。
E組に籍を置く全ての人間が知っている。
転校初日。彼の者を相手に、単独で幾重にも被弾を重ねた律を。
生徒の内、誰よりも精緻な暗殺を行った彼女の姿を、彼らは身を以って知っている。
……………だからこそ、こう考えずにはいられない。
──────これからこの場にやってくるのは、一体どんな怪物なのか、と。
「……………………っ!」
教室前方、響く開扉の声。
鋭角になった神経の命ずるままに、物音へと顔を向ける。
この先、網膜に焼き付く光景を、逃しはしないと言うように。
そして。"それ"は確かに、この教室へと足を踏み入れた。
「…………………………」
現れたのは、白装束に身を包んだヒト型だった。
長身痩躯の体格から察するに、恐らくは男性。
曖昧な判別しか許されないのは、彼が身に纏う外皮のせい。
頭の頂点から指先の一端に至るまで。その存在を象る全てが、潔癖の白色。
遍くを拒絶するような身なりは、見る者が見れば"死"そのもの。
一目見て。人間離れしていると、誰かが思い至った。
或いはそれは正しかったのか。
ゆるりと。白く染まった腕を伸ばす刹那。律から受け取った言葉が脳裏を走る。
引き延ばされる時間感覚。男の一挙手一投足に、これ以上なく神経が注がれる。
教室内の緊張は際まで昂ぶり、そして。
──────ぽふん、と。白色のハトが現れた。
「ははは、ごめんごめん。驚かせたね、転校生は私じゃないよ………私は保護者」
安穏とした口調で鳩を仕舞い込む白装束。
教室内に響いた声の低さは、確かに成人男性のソレだった。
一息に弛緩していく空気感を、皆が感じ取っていた。
或いは、この後にやってくる本当の転入生に対する一抹の不安を抱えて。
「私の名前は"Victor"…………だと殺せんせーと被るか。まぁ、白いしシロとでも呼んでくれ」
彼の発言に、律は奇妙な違和感を覚えた。
だって、そうだ。あらゆる存在を象る為に、名前は必要になる。
自分に与えられた名前を骨格に、人は人格を築き上げていく。
名前を持たない個人など、この世に存在しないのだ。
ならば、それを簡単に乗り換える人間は。
それに執着を持たないのは、かつての彼女のような兵器か、そうでなければ──────。
「は、初めましてシロさん。それで、肝心の転校生は?」
液状化を解き、アカデミックドレスに袖を通した彼の者が問う。
E組生徒達からの視線は冷たく、呆れを孕んでいた。
どうやら、彼女の話から想定以上に神経を尖らせていたらしく。
奥の手の液状化まで使用している以上、言い訳も効かなかった。
「初めまして殺せんせー。ちょっと性格とかが特殊な子でね、私が直で紹介させてもらおうと思いまして」
はい贈り物、と羊羹を手渡すシロ。
どうやら、彼がこの場に赴いた理由はソレだったらしい。
彼はゆるりと、E組に籍を置く生徒達へと視線を送る。
この先、件の転入生が就学する教室に対する感慨か、或いは。
「…………何か?」
「いや。皆、いい子そうですなぁ。これならあの子も馴染みやすそうだ」
平坦にも思える声は、どこか喜色に浮ついていた。
まるで、面白いモノを見たとでも言いたげな一瞥。
しかしそれは一瞬の内に掻き消え、来た道を辿るように、視線を向け直す。
自然、生徒達の目線も同様に。
これから数秒の後に現れる少年へ、意識を割いた。
「では、紹介します──────おーい、イトナ。入っておいで」
よく耳を澄ませば、昇降口の方から小さく足音が届いている。
推定五十キログラムほどの、人型が降り立った硬質の衝撃。
それは一瞬だけ止まり、上履きへ履き替えたかと思える音を出した後、突然喧しく足音を響かせ出した。
さながら雨音を踏み潰すように、忙しない残響を伴って。
喧しさを増していく足音が、教室前方の扉の前でピタリと停止する。
……………… 一秒の間を置いて、その少年は姿を現した。
「いやー、すみません。空から降ってきた魔王の撃退に忙しくって遅れちゃいました!」
──────お前じゃないし、やっぱり無理があるだろ!!!
旧校舎中の心の声が一つに染まる。
相も変わらず分かりやすい嘘を並べ誂えたのは、黒髪の少年。
中肉中背の体格と、黒々とした瞳。
凡庸と言う言葉の似合う、これと言った特徴を持たない少年像。
それは間違っても転校生などではなく─────即ち、秋野空という人間だった。
「いやー、これ。ホントに事故でぇ、ちょーっとご容赦を…………って、あれ、何この空気」
平謝りの姿勢から覗く右眼、彼は周囲の様子に気が付いたらしかった。
何やら緊張状態にあるらしい教室内と、自分の隣に立った白装束の視線。
加え、クラスメイト達からの白けた瞳には、心当たりが全くない。
彼の困惑を見兼ねたのか、超生物が小声で簡易的に説明を行う。
「今から転校生の紹介をしようと名前を呼んだんですよ」
「あー………………なるほど、間が悪かったですかね、これ」
「そう言う事です。取り敢えず遅刻には目を瞑りますから、今は席に────」
「──────いや、あれ? でも廊下にオレ以外の生徒なんて、いませんでしたよ?」
彼の者が、その言葉を理解するよりも早く。
─────────教室後方で、爆発にも似た轟音が鳴り響いた。
「………………ッ!?」
吹き飛ぶ木片と、湧き立つ砂埃。
剥き出しになった骨組みを踏み潰し進む一つの影。
悲鳴にも似た声が上がる中で、悠然と歩みを進める、小柄な少年。
或いは、愛らしさすら感じさせる佇まいは、しかし。異常の一言に尽きた。
外の豪雨を感じさせない程に、乾ききった立ち姿。
椚ヶ丘の制服と、季節外れの白いマフラーを身に纏う少年。
熱量の抜け落ちた白い髪。螺旋を描く、色褪せた黄金の瞳。
凡そ十代の子供が放つには重すぎる気配が、空気を震わせる。
与えられた席に腰を下ろした少年は、転入生─────堀部イトナ、その人だった。
「俺は………勝った。この教室の壁よりも強い事が証明された」
それだけでいい、それだけでいい。と唱え続ける転入生。
自身に言い聞かせている、と言うよりも、己に刻み込んでいるような風情。
単独で世界を構成しているような姿に、秋野などは気が滅入る感触を覚えてしまう。
とはいえ、思案すべき事象に相対してしまった以上、彼も帰宅する訳にもいかず。
渋々、といった風体で影を薄くし、席へと立ち戻った。
「堀部イトナだ。名前で呼んであげてください」
教室内の困惑に、気づいているのかいないのか。
シロは尚も滔々と、転入生の紹介を続ける。
…………尤も、彼の言葉が十全に届くことはないだろう。
なにせ、かの超生物でさえ思考を停止させている有様だ。
笑顔とも真顔とも取れない、ひどく奇妙な表情を呈していた。
故に、尚も冷静で在れた少年のみが、声を上げる。
「ねぇ、イトナ君。ちょっと気になったんだけど─────」
風変わりな転入生の隣に座る、物怖じを知らない、赤髪の少年。
鋭い目つきと、飄々とした態度は、内なる警戒を悟らせないためのモノ。
E組きっての優等生──────赤羽業が問う。
「外、土砂降りの雨なのに…………なんでイトナ君、一滴たりとも濡れてないの?」
それは、当たり前に可笑しな異端。
傘も雨着も用いずに、この天候を過ごすことなど不可能に近い。
少なくとも、人間にはそんな芸当は出来るはずが無いのに。
勢いを増していく風雨の声が、間違えようのない現実を告げる。
真実、堀部イトナには一縷の雨も届いていなかった。
彼は、その指摘を何と思ったのか。
ただ感情を排した瞳で、教室を一瞥し。
「お前は、多分このクラスで一番強い。けど安心しろ、俺より弱いから…………俺はお前を殺さない」
彼は、父が子にそうするように、赤色の髪を撫でた。
言い聞かせるような言葉に含まれた感情は、慈愛か、憐憫か。
なんであれ。直に彼は、興味を無くしたように歩き出した。
向かう先は、たった一つ。
「俺が殺したいと思うのは、俺より強いかもしれない奴だけ」
足音が停止する。
少年が見上げた先に居たのは、天上の支配者。
人ならざる神性、風を司る東の一等星。
そこに在ったのは、不遜にも、彼の者に挑まんとするヒトの姿。
「殺せんせー。この教室では、アンタだけだ」
「強い弱いとは、喧嘩の事ですか? 力比べでは先生と同じ次元には立て─────」
少年は、ただ嗤って。
「立てるさ──────だって俺達、血を分けた兄弟なんだから」
なんか、とんでもない発言を撃ち放った。
◇◇◇
「…………………気になるよなぁ、アレ」
四限の終わりを告げる鐘が鳴ってより、およそ十分ほど。
現在は待ちに待った憩いの昼休憩。
眩暈のするような異常空間に訪れた、平凡な華の時間。
尤も、思考の矛先は安穏なモノとは言い難く。
幾ら考えた所でやってこない答えに、ぽつり、独り言が漏れていた。
「あぁ。気になるな、それ…………」
机を合わせた昼食時。
同意を示す杉野の声が、オレの耳に届く。
彼の声を現実だと証明するが如く、他のE組生徒も心ここにあらず、と言った風情。
その理由は単純かつ明快。
この教室内、後方凡そ五メートルの位置に腰かける、一人の男子生徒について。
色彩の抜け落ちたような白髪と、感情を失ったような琥珀の瞳。
指先から溢れんばかりの殺意を漲らせた、小柄な転入生。
恐らくは、他生徒達の思考の矛先も、そこを指しているのだろう。
それ、即ち。
「血を分けた兄弟、か」
今朝方に告げられた、旧校舎を震わせる驚異の一言。
吐き捨てた少年は挑戦状を叩き付けた後、足早に教室を後にしてしまった。
必然。残った当事者である殺せんせーは、生徒からの詰問に襲われた。
彼の者自身は心当たりがない、と弁明を叫んでいたが、普段の秘密主義が祟ってか。
皆が一様に、半信半疑の相を呈している現状だった。
加え、趣味嗜好と言う点で殺せんせーとの類似が非常に多い事も、混乱に拍車をかけた。
彼の者と同様に甘味を食らい、彼の者と同様にグラビアを眺める。
意識しているにせよ、そうでないにせよ。
客観的に、彼らの行動は鏡合わせの様に符合している。
少なくとも、偶然の一言で切って捨てるべきではないだろう。
「…………いや、そっちもなんだけどさ、そうじゃなくて」
「? 他に何か気になる事でもあったか?」
問いながら、ぼんやりとした記憶を辿る。
が、この一件とは別に考えるべき事象と言うモノが、オレにはどうにも思い当たらない。
辿り着ける気のしない答えに、先に音を上げたのは脳漿だった。
降参するように、味気ないゼリー飲料を喉に流し込んで────
「それ! それだよそれ!」
「……………………えっと、コレ?」
ビシ、と伸びた指先の延長線上にあった物は二つ。
恐ろしく甘ったるいコーヒー飲料と、面白みに欠けるスパウトパウチ。
遊びのない栄養表示は、見る者が見れば食欲が失せそうなほど無機質で。
室温に染まり切った、中学生にあるまじき枯れた食事内容。
四月からこっち、何一つ変わる事の無いオレの昼食だった。
「別に、いつも通りだろ?」
「いつも通り過ぎるじゃんか!? 遊びが無さ過ぎるって!!」
正面から悲鳴のような声が上がる。
どうやら彼は、オレの代わり映えしない食事内容に、苦言を呈しているらしかった。
他人にオレの食事をどうこう言われる筋合いは無いが、しかし彼の言い分も理解できる。
こうも無機質な食事を隣で貪られては、食欲も失せるというモノ。
…………とはいえ、オレもこれを辞める訳にはいかないし。
そもそもとして、だが。
「毎日同じ味って訳じゃないぞ、日によってフレーバーは変えてるし」
「そういう問題じゃないと思うよ………?」
「そういう問題じゃないと思うな、私」
「そういう問題じゃないと思います、秋野さん………」
渚君、神崎さん、奥田さんの順に総スカンを食らう一秒。不服だ、解せぬ。
声の上がらなかった他の机からも、同様の白々しい目線を感じる。
喉元を締め上げられる錯覚を覚えながら、少しずつゼリーを胃に落として行く。
居心地の悪さに目線を逸らし、尚も弁明を並べる。
「いや、その。オレ、昼はお腹空かない質でさ…………これが一番楽だったから、つい」
手も汚れず、大したゴミも出ず、嚥下もしやすい。
同程度の金銭を払って得られる対価としては、上等と言うより他に無く。
故に、この手のモノに一辺倒になっている現実は否めない。
もう少し人間らしさを求めるのなら、自炊と言う手もあるが────。
「僕も買い食い派だけどさ、お弁当とかじゃダメなの?」
「弁当なぁ。オレ、一人暮らしだし、そこまで量もいらないしで、やる気起きないんだよな」
「あ──────ごめん、その」
「へ? …………あぁ、気にすんなよ、その位。もう割り切った事だからさ」
何やら深刻そうな表情に変わった渚君を撫で回す。
数年以上前の出来事だ。とうの昔に、自分の中で区切りは付いている。
目一杯悲しんで、心に刻みつけることだけが、オレ達に許された全てだと。たった一人の"友達"は教えてくれた。
だから、悼む気持ちはあれど、今更惜しむ心など、有りはしない。
これはなにも、気負うような話ではないのだ。
「…………ねぇ、秋野君。よかったら、私が」
「それよりも、考えるべきは転入生についてだろ─────っと、悪い、神崎さん。何か言った?」
声が被ってしまったか、と神崎さんの方を見るが、彼女は静かに首を横に振った。
その所作に小さく違和感を覚えたが、当人が否定している以上、追及も野暮だろう。
それに、目下。最大の思考課題は、もっと別のところにあるのだし。
堀部イトナ。
未だ正体不明の転入生、彼の者の兄弟を自称するナニモノカ。
周囲の視線も、在らぬ噂も意に介さない希薄な自我と、それに似合わない執念の瞳。
どこか超然とした地度には、彼の存在と同じものを感じさせる、が。
兄弟と呼ぶには些か弱く、そして、なによりも。
「もし本当に兄弟だとして、なんで殺せんせーは分かってないの?」
その姿形も違えば、お互いの認知すら食い違っている始末。
こうなってしまえば、少なくとも"真っ当な"兄弟関係の線は消える。
残る可能性は、と言えば。
「うーん、きっとこうよ──────皇歴二〇一七年。ブリタニアの少年、コローシュは…………」
視界の端で、切り揃えられたボブカットヘアーが揺れる。
見れば、不破優月という少女が、何やら与太話を始めようとしていた。
彼女が口を開いてより、三秒ほど。
特段と必要のない情報を判断、聴覚をシャットアウトする。
思考を内面へ作用するよう切り替え、目を瞑った。
恐らく、重要なのは"兄弟"と言う関係性にある。
"親子"や、"同胞"、若しくは"同一存在"と表現しなかった事に、意味がある。
単純に彼の者の血縁を辿るのならば、現れるのは、かの海神か或いは、生ける炎になる筈だ。
イトナの姿はそのどちらとも符合しないが、かの神々にとって、化身の在り方なぞ些末な事だろう。
ともすれば、可能性として高く挙げられるのは海底都市の主だろうか。
持ちうる権能の性質からして、状況証拠に近いのはそちらだ。
これであれば、豪雨の中を微塵も濡れることなく在れた理由にも納得がいく。
…………………いや、だが。彼が神性であると仮定すれば、それは可笑しい事だ。
あの保護者────シロと言ったか─────の存在は矛盾になる。
神性は、より上位の権能を持つ神を除き、何物にも従わない。
気ままに、傍若に、理不尽に。在るがまま世界を破滅させるのが、彼らの筈だ。
ならば、シロの手の中にイトナが収まっていること自体が可笑しい。
何らかの契約を交わしたか、若しくはシロ自身がより上位の……………?
いいや、ソレは無い、と頭を振る。
あの男の纏う気配は人間のモノだった。少なくとも、イトナほど"壊れて"はいない。
人間が操れる存在は、唯一人間のみだ。
ならば。イトナは神性などではなく。神に届きうるだけの、別のナニカなの、では─────
「…………………………………」
脳裏を過った、在り得てはいけない可能性に、目を背ける。
そんな馬鹿げた事象が起こる筈が無い、と。
現実逃避気味に手に残る結論の感触を投げ捨てる。
許されてはいけない答えに辿り着くのなら、思考さえ悪だった。
強引に神経を捻じ伏せ、閉じていた瞼をゆったりと開ける。
失われていた聴覚が、徐々に自身の意義を取り戻していった。
「……………………かくして、コロレクイエムは完遂されたのよ」
「イトナ君どころか殺せんせーまで死んじゃってるじゃん!?」
「アグリーは結局誰だったんだよ!?」
「終盤勢いだけで突っ走るのどうかと思うよ!?」
恐ろしく喧しい喧騒を取り戻す。
どうやら、オレが思考している間にも有意義な推論は立てられなかったらしい。
だが、真面目に考察する理由が無い、というのはある種正しい考えだ。
詰まる所、全ての結論は放課後に帰結する。
残り数時間の後に行われる暗殺によって、全ては明かされるのだから。
──────五限の開始を告げる、予鈴が鳴り響いた。
◇◇◇
「ははははは…………」
乾いた笑いが、雨に濡れた旧校舎に消える。
椚ヶ丘学園、隔離校舎に組み込まれた教員室。
彼──────烏間惟臣の職場となったその場所に、異端な振る舞いの男が一人。
白色を身に纏った不明な人物。…………シロ、或いはヴィクターを名取るイトナの"保護者"。
ジャンプに笑う安穏とした仕草が、どうにもワザとらしく、底知れない。
視線は疑念から、今朝方の兄弟宣言について。
アレは彼の者を油断させる為の罠なのか、或いは──────
「…………あぁ、驚かせてすみませんね、烏間先生」
彼の視線に気が付いたのか、ジャンプに落としていた目線を戻すシロ。
吐き出される謝罪には、一縷の感情も乗ってはいない。
そも、この男の言葉は尋常ではなく"軽い"。
何かを信じさせよう、何かを知ってほしいといった情念の失せた、無機質な声。
機械音声じみた、ただの音と形容するべきナニカだった。
「何せあの子は、機密中の機密だ。現場の貴方が知らされていないのは、無理なき事」
慰めにも似た言葉には、やはり感情が乗る事は無く。
その人間離れした風情に、彼の第六感が警鐘を鳴らし始める。
それを知ってか知らずか。シロは手にあったジャンプを置き。
「ですが保証します、あの子は確かに殺せんせーの弟。
──────放課後には、誰の目にもそれが明らかになる」
確信を込めた声が、教員室に響き、そして消える。
恐らくはこれが今明かせる最大限なのだろう、と烏間は思考した。
作戦実行に伴う機密…………どうあれ、全ては放課後に明かされる。
そこに至るまでの詮索は無用か、と己を律し、通常業務へと思考を切り替えた折。
「あぁ、そうだ。烏間先生、一つ聞いても?」
「…………なんでしょう」
彼を引き留めた声は、恐ろしく気安いモノだった。
まるで、周囲の道を尋ねるが如く。
それが何の変哲もない日常の発露とも、世界を壊す大事とも取れる響きを孕んで。
「この学校の、服装規定についてなんですがね──────」
勢いを増していく梅雨の雨は、留まる事を知らず。
終業の鐘は、もう、すぐそこまで。