Q.一般探索者が黄色い触手を見た場合の反応を述べよ   作:お前の母ちゃんシュブ=ニグラス~!

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あけましておめでとうございます。



触手の時間

 平穏の終わりを告げる鐘より、久しく。

 午後三時を優に超えた現在。

 内からなる物音は絶え、一層増していく雨音のみが響いている。

 窓から覗くことの叶わない西日が、誰に知られる事も無く水平に堕ちる。

 昏い木々が、沈み込む様に世界に満ちていく。

 

 仄暗い世界を満たす、冷たい雨の匂い。

 寿命を迎えんとする蛍光灯が、神経質な唸りを上げる。

 何人も立ち寄る事をしない山門異界、その中心にそびえる旧校舎。

 季節外れの冷気さえ纏うその場所は。きっともう、人間の居所ではなくなっていた。

 

 相対する、無音の陰影。挑む者と、挑まれるモノ。

 放たれる気配は、心の細い人間なら倒れてしまいそうな程に剣呑としている。

 双方、どう繕ったとしても尋常ではなく。

 故にこそ。組み木で編まれたこの場所は、彼らを祀る祭壇だった。

 

 邪神を殺さんとする少年の衣が宙を舞う。

 現れたのは、よく鍛えられた精緻な肉体。

 観衆である一人の生徒から、小さく息を呑んだ声がした。

 何しろそれは、より効率的に、より早く他者を壊すことを目的とする身体。

 不純物を持たない、純然たる闘争心の発露。

 強さへの執着を語る少年には、悲しいほどに似合っていた。

 

「ただの暗殺は飽きてるでしょう、殺せんせー。ここは一つ、ルールを決めないかい?」

 

 虫の聲さえ届かない場所で、平然と言葉を紡ぐ白装束の男。

 滔々とした声色は平坦で、感情らしい感情は感じられない。

 まるで空っぽ、人形の方が幾分マシと言った風体。

 彼の者の肌を撫ぜる殺意だけが、その人間性の証明だった。

 

「リングの外に足が着いたらその場で死刑! …………どうかな?」

 

 まるで小学生の取り決めのような、純粋かつ物騒な提言を口にするシロ。

 大の大人が本気で言っているのなら、きっと妄言に違いない。

 真っ当な状況なら、耳に留めるまでも無い世迷言。

 ──────だが。この暗殺教室は、根本からして狂っている。

 

「いいでしょう。そのルール、受けますよ」

 

 張り詰めた声と共に、契約は締結される。

 彼の者のおいて、この教室に由来する幾つもの弱点がある。

 その最たるものが、"教師たるの条件"だ。

 生徒達の面前で取り交わした約束/契約を破れば、"先生"としての姿にヒビが入る。

 

 "先生"としての在り方に対する、強い執着を逆手に取った言葉。

 それが、彼の者にとっては容易く嚙み千切られる程度の、仮初の契約であったとしても。

 例えこれを破ったからと言って、この世界の何者も彼を()せないないとしても。

 彼の者は常に、己が理想と、自身の現状との乖離を恐れ続けている。

 故にこそ、この約定を受けざる負えない。

 

「ただしイトナ君、観客に危害を加えた場合も負けですよ…………君も、君以外も」

 

 問いに対する答えは無言。されど、短い首肯は、肯定の意を示していた。

 教室の外に潜んでいた何者かの気配が途絶える。

 小さく舌打ちをしそうになる感情を、彼の者は鉄の理性で飲み下した。

 この状況下において、彼の者が恐れる事態は一つのみ。

 生徒達の内、誰か一人でも傷つくこと。

 

 何しろ、第三者からすれば天秤にかかる命の重みが違う。

 二十余名の少年少女と、世界人口七十一億人。…………比べるべくもなく。

 世界は残酷な裁定を下しかねない危うさを孕んでいる。

 

 現実になりかけた"もしも"に、無意識に神経が荒波を打つ。

 知らず、安定を失っていく精神環境。

 どうあれ。両者共に、これをアイスブレイクの終わりと捉えたらしく。

 言葉は絶え──────空間の歪む錯覚が走る。

 

「では、合図で始めようか」

 

 遠くなる雷鳴の声、膨らんでいく心臓の音、持ち上げられる白色の右腕。

 好奇と期待の目線が、教室の中央へと集約する。

 その渦中にあって、尚。彼の者は、状況を至極冷徹に解析した。

 

 元来。居所を悟られながら行われる暗殺とは、三流の所業に当たる。

 一流の暗殺とは、対象に命が絶たれた事実さえ気づかせない絶技。

 顔を見合わせたそれは、最早闘争に成り果てる。

 遍く暗殺者達が、避けるべくして避ける状況。

 

 しかし、この教室はむしろ、"そう"なるように象られていた。

 机によって象られた七×七メートルの空間。

 逃げ場はなく、遮蔽も無い。互いの間合いは、きっかり八尺。

 正面に立つ少年の体躯から、端から端まで、走駆って〇・五秒と掛かるまい。

 恐らく。勝負を決めるのは接近戦、決着は一瞬の内に決定する───────。

 

「暗殺──────開始」

 

 真実。それは瞬きの内に起きた事だった。

 空間を裂いた音と同時に宙空を舞う、黄色いナニカ。

 自我を見失った一瞬。思い描いたのは、墜落する星の姿。

 声の無い驚愕が、視線となって一点に束ねられる。

 一瞬にして凍り付いた世界は、きっと音を忘れ去っていた。

 

「………………………………どこだ」

 

 自身の体表が、燃えるように黒く染まるのを自覚する。

 沸騰しそうになる感情の奥、冷静な人格が、午前の妄言に理解を示した。

 両親が違う、育ちも違う、血のつながりにも似た絆など、望むべくもなく。

 だが。現実として、悍ましい事に。目の前の少年は"兄弟"だった。

 その証明は、いとも容易く。

 

「──────どこでソレを手に入れたッ!! その"触手"を!!」

 

 恐らく。氷柱に生命が宿ったとするのなら、こんな形になるのだろう。

 意志を持つように蠢いた、不定形の白銀。

 僅かに窓から漏れた明かりを食らうように、空気を裂き続ける。

 人の手に余る異常。長く、冷たく、強靭な物質。

 

 ──────揺蕩う銀糸の触手が、その全てを告げていた。

 

 彼の者の脳裏に浮かび上がる、かつての瞬間。

 崩れ落ちた人型と、ソレを抱いたナニモノカ。

 後悔の昨日。繰り返すまいと決めた、月下の離別。

 全身を貫いた苦い記憶は、致命的な隙となって顕現する。

 

「答える義理は無いよ──────君はここで死ぬからね」

 

 彼の者が触手を再生させるよりも迅く。己が肉体を灰燼に帰そうとする触手に襲われる。

 殺意の籠った触手は、白銀の刃にも似て。

 絶対の速度を持った彼の者でさえ、命の輪郭を自覚せざるを得ない程。

 抉られるように消えていく細胞の一つ一つが、悲鳴を上げた。

 

「ぐっ………………!」

 

 自身の持つソレと同質の超速が振るわれる。

 対処は混迷を極め、擦り傷が増えていくのと同時に、精神は安定を失っていく。

 ………………そして。その動揺は悪手を誘った。

 立て直しを図るべく、背後へ跳躍した彼の者。それを止めたのは、他でもない。

 

「──────っ、壁際!?」

 

 気が付けば、立っていたのは領域の隅。

 前後左右、あらゆる方向にも逃げ場は無し────そこは死の孤島だった。

 回避行動に制限の掛かった刹那、白銀に染まった五つの触手が舞う。

 判断は束の間の内に。彼の者は亜音速の飛行へと賭ける。

 されど。中空への飛翔は完全には成らず、足に相当する触手が切り落とされた。

 

 見上げる少年と、見下ろした超生物。

 落下していく人ならざる組織と、憎悪と殺意に彩られた笑み

 ────それはきっと、神話の一幕。

 事態の趨勢は、火を見るよりも明らかに。

 攻撃の手は、尚も緩むことなく。彼の者は傷を増やしていくばかりだった。

 

「わかるかい、殺せんせー。君は今、この場所へ踏み入った時点で敗北していたんだ」

 

 頬を掠める白銀と共に届く、不明瞭な声。

 事ここに至ってようやく、彼の者は己の失態を認めた。

 一見にして愚直な試合形式の暗殺。

 退路の絶たれた処刑場、逃れられない致命の刃。

 この舞台を整えられた時点で、彼の者は既に失策を喫していたのだ。

 

 旧校舎の教室、それをさらに縮小させたリングの上。

 如何に彼の者とは言え、初速からマッハ二十を叩き出す事は不可能。

 生き物であれば、必然に。"加速"には"空間"を焚べる必要がある。

 飛行能力を有している以上、空中においても加速は可能だが、屋根がある以上それも難しい。

 

 加え、こうして現れた堀部イトナ自身が、彼の者の精神に一層の負担を掛けた。

 生徒達の中にも、理解していた者もいるだろうが、触手の扱いには精神状態に左右される。

 恐らくは、日中より蓄積していた精神的な負荷。

 逃げ場を失った極限の状況下において現れた、有り得てはいけない同類の姿。

 如何な存在であれ、致命的な動揺は避けられない。

 

 故に。こうして、一方的な殺戮劇の様相を呈しているのだ。

 

「ガっ………………!」

 

 狭い空間内を疾駆する超生物と、ソレを刈り取るように舞う、計五本の触手。

 足が切り落とされた。再生した。腕が切り落とされた。再生した。

 幾重にも増していく全身の傷。それを回生すると同時に、何者にも勝る速度が死んでいく。

 凋落していく自身の性能と、気炎を上げる少年の刃。

 明確に失われていく体力と気力──────このままでは、いずれ。

 早急に対処する必要がある………………だが。

  

「あぁ。もしかしたら、イトナを斃す前提なら話は違うかもね、先生?」

「っ………………」

 

 板材を叩き割る、五つの銀糸。

 そうだ。イトナは触手の持つ力の総てを攻撃に注いでいる。

 その肉体は今も尚無防備なまま。とても亜音速の世界に耐えうる器ではなく。

 一般的な中学生の範囲を超えない肢体は、彼の者にとって木の枝よりも脆い。

 殺意を乗せた攻撃を食らえば、目の前の少年は死ぬ。

 けれどその報酬として、自身の命は保全される。

 ──────考えるべくもない二者択一、答えは端から決まっている。

 

「………………しまっ!?」

「集中が途切れたな、兄さん………………!」

 

 僅かながらに、回避の速度が(たわ)む。

 恐らくは生と死の境界に立ち続けたが故の、意識の弛緩。

 命を脅かされた生命は、必ず"死に絶えたもしも"を想起する。

 常在戦場、地球の敵である彼の者においても、その限りではなく。

 封じ込めていた"もしも"を、視界の端で、垣間見たのだろう。

 

 その隙を見逃す少年ではない。

 即座。逃げ道を塞ぐように振り抜かれた二対四本の触手。

 最早意識を取り戻したとして、遅く。

 残る一本は、心臓を穿つ必殺。狙いは寸分も狂うことなく、吸い込まれるように。

 ──────確かな手ごたえと共に。黄色いナニカが、地表へと撃墜された。

 

「………………違う、上だイトナ!」

 

 共犯者の言葉に、我へと回帰する一秒未満。

 突進(はし)る黄色の巨影。進行方向は、見開かれた琥珀の瞳。

 人智の届かない速度が、弾丸の如く少年へと迫る。

 その姿だけで、彼は事態の全容を掴んで見せた。

 

 アレは"脱皮"だ。

 脱皮が行われた直後の抜け殻は、人間の死後硬直にも似て、酷く硬くなる。

 それを利用し、暗殺成功を誤認させるブラフとして用いたのだ。

 早すぎても、遅すぎても命が脅かされる極限の一手。

 アウトレンジへ集中させていた火力運営、その一瞬の間隙を縫った、決死の進行。

 

 敵ながらに、感嘆に値すると、彼の者を睨む。

 少年の身を守る白銀は、最早一本もなく。

 無防備に変わった肉体に、網にも似た形態の触手がイトナを襲った。

 超速に攫われる身体は、しかし。

 

「っ……………これ、はっ…………!」

 

 鮮血の華が咲き誇る事はなく。

 在ったのは、蝙蝠の様に重力に逆らって天井に立った、超生物の身体。

 そこから伸びる無数の触手は、イトナの腕を、脚を、触手さえ根元から拘束していた。

 粘性を帯びた触手。半ば宙吊り状態で晒される少年には、抵抗の術がない。

 人間としての手足は言うに及ばず、攻撃手段である触手も、初速を封じられてしまっている。

 こうなってしまえば、彼の者より逃れる事は出来ない。

 

「──────言っておきますがね。私に、生徒を殺す選択肢など無い」

 

 彼の者の採った行動は、殺害ではなく無力化。

 けれど、ソレは彼の者にとって当然の選択だった。

 既に堀部イトナはE組の生徒であり。

 恐れるべき暗殺者であると同時に、守るべき生徒だった。

 ──────生徒達を喪う事は、きっと死ぬ事よりも恐ろしいから。

 

「…………っ、はぁ、はぁ…………あとはこのまま、彼をリングの外へ…………」

 

 僅かの間に行われた、華麗なる逆転劇。

 天秤の傾きは暗殺対象へと、跪くように。

 観客の誰もが、勝利の女神が微笑んだ相手が何者なのか、疑う事はなく。

 数秒の後に訪れる、彼の者の勝利を確信した。

 それ故に、気が付かなかったのだ。…………少年の口元が、三日月の如く裂けたと同時。

 

「間抜け──────」

 

 超音速の世界に介入する影。彼を拘束していた全ての触手が、千々に刻まれる。

 解放される手足と、長刀にも似た、蠢く触手。

 けれど、そのシルエットは数瞬前のモノとは異なり。

 

「悪いんだけどね、殺せんせー。私には読めてるんだよ、その程度」

「─────────六本目の、触手…………!」

 

 示される、第二の刃。………即ち、暗殺者たる資格。

 生徒を傷つけまいと、慎重に動きを止めたのが仇になった。

 僅かな隙。世界の誰と言えど突ける筈の無い、勝者の油断。

 ─────だが。秘匿された第六の白刃は、その隙を刈り取った。

 

 自由落下する一対の影が、一秒を永遠のモノとする。

 片や、その身の総てが無欠にして盤石。

 殺意に滾る螺旋の琥珀は、確定された未来を見ている。

 或いは、遍く触手を失った風の邪神。

 比類なき疾風迅雷は見る影もなく、その身に待つのは"死"のみ。

 

「──────ダメ押しだよ、先生」

 

 赤紫を孕んだ怪光線が、彼の者を貫いた。

 痛みはない。苦しみも無い。けれど、身体はそれだけで動きを止めた。

 動揺から来る、生命体らしいものではなく。

 鉱物の反応にも近い、無機質な停止だった。

 

 触手研究の副産物、彼の者の細胞にダイラタント挙動を引き起こす圧力光線。

 なぜあの白装束がそんな物を手にしているのか、等はもはや些事。

 問題は、この局面においてこのような隙を晒したことにある。

 目の前で宙を舞う少年──────否。怪物は、既に構えを終えている。

 防御不能、回避不可能。最早、勝ち得ぬ戦いだった。

 

 視界を掠める"死"の一文字に、数々の失態へ思いを馳せる。

 第一の失態は、この舞台を整えさせてしまった事。

 第二の失敗は、彼らの術中に嵌り、冷静を欠いた事。

 第三の失態は、己を知る相手の存在を予期していなかった事。

 

 思えば。彼の者が"彼"であった頃より、同格の存在などはいなかった。

 有り得ない仮定だが。これが十年先の話であれば訳も違っただろう。

 あの"青年"はいずれ"彼"と並び、そして"彼"を超えたのだろう。

 けれど現実は伴わず、今彼の者はここに立っている。

 ──────今。こうして、年端も行かない怪物に、命を奪われかけている。

 

 数多の失態が呼んだ──────致命的失敗だった。

 

「殺れ、イトナ」

 

 決着を確信したのは、一体誰だったのか。

 束ねられた六本の刃は、抗いようの無い絶死の触手。

 "彼"の欲したモノとは違う、けれど本質を同じにする破壊兵器。

 彼の者に勝利の女神が微笑むことはなく。数秒後に待つ死を眺めるばかり。

 最早覆らない必然。そうと定められた世界の理。

 その場の誰もが、訪れる決着を思い描いた。

 

 ならば────────それを超克してこそ、天上の超生物。

 

 響く轟音。哭くように舞うガラス片。

 性能の全てを注ぎ込んだ一撃は、旧校舎の外壁を穿って余りある破壊力を示した。

 今度こそ、確かな手応え。脱皮はもう使用できず、これ以上の切り札は存在しない。

 貫かれた外壁から、怪物は己が勝利の証を見る。

 降りしきる大粒の雨が、異質な物体に鞭を打つ。

 無残に散った触手の亡骸。形を失った暴虐の跡。

 

 けれど。それが擁する色彩は、彼の者を象徴する浅黄ではなく。

 …………………雪のように溶けた、白銀だった。

 

「は──────」

「おやおや。君も運が無いようですねぇ」

 

 背後から発せられた声に、声すら上げられず。

 回る視界と共に訪れた、感じたことの無い浮遊感。

 気が付けばそこは教室の外。雨に打たれる、寒々しい世界だった。

 軋みを上げるブリキの様に、隣に転がった物体を見る。

 

「先生の抜け殻で包みました。ダメージは無い筈です………いやしかし、不運でしたねぇ」

 

 ──────まさか、偶々生徒達が持っていたナイフが射線上にあったなんて。

 

 豪雨の中で、その色だけが異質だった。

 瓦礫に変わった木片とは違う、無造作に転がった玩具のような刃。

 超国家間で開発された、世界を救う最後の望み。

 "対先生物質"とは、即ち俗称に過ぎない。

 厳密にその効果を捉えるとするのならば。

 

 正式名称を────────対触手細胞物質。

 怪物の武器が破壊されたのは、当然の帰結だった。

 

「気づいていますか? 君の足は、リングの外についている。

 先生の勝ちですねぇ──────ルールに照らせば君は死刑、もう二度と先生を殺れません」

 

 これは、至極当然の帰結だった。

 例え彼が世界で最も強い存在だったとして、勝ち目など、初めから無かったのだ。

 如何に有利な状況を作り出したとしても。

 たかが怪物へと成り果てた程度、たかが一度の致命的な失敗で埋まるほど、神性との溝は浅くない。

 もし仮に、彼の者へ百度挑んだとして。

 ──────文字通り、万に一つの可能性も無く。怪物に成功は有り得なかった。

 

「生き返りたいのなら、このクラスで皆と一緒に学びなさい」

 

 見下ろす超常と、見上げる人型。

 打ち付ける雷雨は、敗北者の輪郭を克明に描き。

 零れ落ちる淡い光は、勝利者を祝福せんとする。

 完膚なき現実が怪物を打ちのめす。

 滔々と語る彼の者の声が遠い。耳に届くのはたった一つ。

 ──────自身を象った人格が、足元から崩れていく音のみ。

 

「この教室で先生の経験を盗まなければ…………にゅや?」

 

「…………ぃ…………勝てない…………俺が、弱い…………?」

 

 黒々とした殺意に染まっていく、触手と瞳。

 ………これもまた、至極当然の帰結ではあるが。

 勉強嫌いの子供に説教などすれば、当然ながらに反発する。

 その正しさを問わず、内に秘めた嫌悪と獣性の枷を解き放つのだ。

 なら。もしそれが、怪物にも似た存在であったならば。

 

 引き起こされる惨劇の名は、虐殺だ。

 

「俺は強い! 強くなった!! この触手で、誰よりも!!!」

 

 故に敗北など認められないと叫ぶ、歪んだ怪物。

 世界を裂かんばかりの触手は、雨粒を切り刻み、"霧"へと変えた。

 僅か数秒の後、惨憺たる現実が舞い降りる。

 暴力の限りが振るわれる、その三秒前に。

 

 ──────音も無く怪物の前に立った、一人の少年の背を見た。

 

 ◇◇◇

 

 教室は様子はまさしく、絶句という言葉の似合う壮絶だった。

 吹き荒れる暴風と、霧に変わった雨。

 そこに、一切の迷いを持たずに歩んでいった一人の少年。

 全てが霧に消えた、僅か一分足らずの後。

 ──────現れたのは、地に倒れ伏した白銀と、それを見下ろす黒髪。

 

 平常を告げる雨天が、どうしてか白々しい。

 何が起きたのか、その過程を、E組の誰もが把握できない。

 

「驚いたねぇ。まさか君がいるとは」

 

 ははは、と愉快そうに笑う声が、雨音と共に現れる。

 気が付けば少年のすぐ傍に、白装束が立っていた。

 いつの間に、と考えるより先に、重力が増した錯覚が走る。

 見れば、少年の表情は極度の疲労を湛えていた。

 されど。滾る殺気は翳る事無く、目の前に立った男に向けられていた。

 

「…………黙れ。次はお前だ、()()()()()…………。今度こそ、お前を──────」

 

 棒になったように震える足で、前へ。

 吐く息は今も尚白く、夏も目前の現在にあって、彼の身体は震えていた。

 気力だけの殺意は、しかし。それだけで人を殺せそうなほどに恐ろしい。

 ──────だが。それが行動となって届くことはなく。

 

「無理だよ、時間切れだ」

 

 ………………パン、と。

 空中を叩く乾いた音。それと同時に、倒れ伏した人影。

 それに何一つの感慨を持つ事なく。敗北した怪物へと足を延ばす。

 この空間において、その行動に着いて行けるモノは、ただひとつ。

 

「待ちなさい。今、彼に何をした」

「おー、怖い顔をするねぇ。けど安心していいよ、ただの猫だましさ」

 

 クラップスタナー、などという上等な技ではない。謂わば、ただの拍手と変わらない。

 けれど、今の彼であれば、それだけで事足りた。

 極端な疲労を抱えた人間は、意識を保つのでさえ綱渡り。

 積み木遊びにも似た、薄氷の釣り合い。

 それ故に、意識の外からの刺激一つで、簡単に瓦解する。

 心理学ですらなく、手品にも満たないお遊びだった。

 

「……………よっと。どうもこの子は、まだ登校できる状態じゃなかったようだ。

 転校初日でなんですが、暫く休学させてもらいますよ」

 

 いつの間にか、イトナを担ぎ上げていた白装束。

 そのまま旧校舎へ振り向くことなく、足早に去ろうとする。

 それを引き留めた声は、やはりと言うべきか。

 

「待ちなさい。担任として、その生徒は放っておけません。私が卒業まで面倒を見ます

 ──────何より。貴方には聞きたいことが山ほどある」

「嫌だね、帰るよ。力づくで止めるかい? ………………今は豪雨だが、本当に?」

「………………………………」

「………………………………」

 

 水面下で行われた、暗号のような言葉の応酬。それきり、会話は途絶えた。

 彼の者の態度に満足したのか、旧校舎を後にするシロ。

 去る者を追う何者かは居らず。彼は豪雨の中へと姿を消した。

 …………それから、十分の時間が経過した頃。

 彼自身、意図しないままに零れ落ちた独り言があった。

 

「しかしあのクラス…………面白いね」

 

 ビックリ箱か、そうでなければ玩具箱の類か。

 愉快、愉悦に喉を鳴らす。世の中は狭いと言うが、度が過ぎる。

 何時ぞやの少女と、狂気の彼女。触手の彼と、そして、なにより。

 あの──────()()()()()()()()()()()

 

「──────はは。あの少年まで居るとは、数奇だね」

 

 不意に。地面がぬかるんでいる事に気が付いた。

 対象を逃がさないために打った策だったが、おかげで地盤が緩んだか。

 転んで泥だらけになるのも気が引ける。

 加えて、今頃教室で起きている事を考えれば、ここまで追われることも無い。

 …………万事は問題ない、と。血管を紫電で満たす。

 

「Ia Ia ████████ fhtagn ………なんてね」

 

 唄うように唱えられた賛辞の呪文。それは空気へ溶けるように消え。

 ──────僅かの後。雲の隙間から晴れ間が覗いた。

 

 ◇◇◇

 

 硬質な感触と、身体を包む暖気。

 浮上していく意識と共に、どこか遠くから聞こえた喧騒。

 悲鳴にも、喜色にも取れる声達は、どこか和気藹々として楽しそう。

 けれど、どこか真剣さも孕んでいる。何かに熱中する人間の声は、"こう"なのか、と。

 柄にもない感嘆を抱いた所で、重たい瞼を持ち上げた。

 

「……………………」

 

 窓を貫いて差し込む、眩いほどの入道雲。

 時折肌を撫ぜる初夏の風に、薄桃色のカーテンが揺れる。

 いまだ安定しない視界に映るのは、古ぼけた輪郭の天井。

 天蓋にも似た寝台の上、なんとも見覚えのある景色。

 一度来た記憶は、未だ新しく。──────どうやらここは、保健室らしかった。

 

「……………………」

 

 気怠い感覚が、全身へと伸びていく。

 指一本、呼吸器一つ動かすのさえ億劫になる倦怠感。

 幸運と呼ぶべきか。痛みを訴える身体の部品は、瞼のみ。

 今尚自身の睡眠が足りていない事を、ありありと示している。

 …………が、それを一先ず無視し、上体を起こす。

 

 碌な遮光の能力を持たないカーテンを捲れば、校庭に集うE組生徒達の姿があった。

 放課後、暗殺に積極的な生徒は残って特訓をする、と聞いたことがある。

 見た所…………垂直ロープ昇降の訓練だろうか。

 烏間先生も、生徒達も。皆、生き生きとした面持ちをしている。

 ──────とはいえ。

 

「…………なんか、人数多くない………?」

 

 一、二、三…………どんなに少なく見積もっても、二十人は参加している。

 やる気に満ちた生徒のみが行うと聞いていたが、これは。

 オレの困惑を余所に、ゆっくりとした開扉の音が響く。

 その相手が何者かなど、考えるまでもなく。

 

「──────どうやら皆さん、相当殺る気を出して下さったようで」

 

 嬉しい限りですね、なんて宣う黄衣の王が、そこにいた。

 聞けば、外部のイトナに搔っ攫われそうになったのが、不満だったようで

 "自分たちの先生は、自分たちで殺したい"と。そう言う事らしかった。

 …………全く以て歪んでいる。狂気の沙汰に違いない。

 けれど──────あれ程に明るい表情をされては、何も言えない。

 全身を満たす疲労感に任せて、思考を彼方へ追いやった。

 

「因みに、このジャージは先生が?」

「ええ。濡れた状態で放置する訳にもいきませんでしたから」

 

 先程から、自分の背格好が記憶と違う事は認識していた。

 元々着ていた制服は、畳まれてビニール袋の中へ仕舞い込まれて、机の上に。

 …………どこをどう見ても泥塗れ。

 クリーニング費用に思いを馳せれば、軽い眩暈がした。

 この際だから、他のモノも纏めて出してしまおうか、等と考えてみれば。

 ──────何やら真剣な面持ちの神話生物が、目に入った。

 

「………………………………」

「………………………………」

 

 会話の無い初夏の保健室。

 窓の奥で、クラス名と共に蝶が舞う。

 冴え冴えとした青空に良く映える、夜のような藍色。

 徐々に増してきた気温に釣られて羽化したのか、アレはきっとカラスアゲハだろう。

 夏本番には、まだ気が早いというのに。これ以上なく優美に飛翔していた。

 …………それを。目障りだと思ったのか。

 

「──────君は一体、何者なんですか、秋野君」

 

 最速の異名を持つ野鳥(ハヤブサ)が、瞬時にそれを攫って行った。

 返す言葉は無い。彼の存在に対して明かす身の上など、一つとして有りはしない。

 だってそもそも、意味が無い。

 そんなモノを知ったところで、来年の三月にこの惑星は滅びる。

 ならばどうして、見たくも無い過去を語らなくてはならないのか。

 それに加えて。何者なのか、と言えば。

 

「その言葉、自分に返ってくるとは思わなかったんですか?」

「…………………………」

 

 沈黙が現実を包む。秘密主義と言うのなら、お互い様だ。

 あれだけのことがあったのだ、生徒達から問われた言葉は、想像に難くなく。

 もしそこで真実を語っていたのならば、彼らは正気ではいられない。

 ああして訓練に励んでいる事は矛盾に他ならない。

 

「…………実は先生、人工的に生み出された生物なんです」

「衝撃的ですが、嘘ですね」

「な、何を根拠に──────」

「だって先生のソレは、真実を語ってはいないじゃないですか」

 

 即座に切って捨てた彼の者の言葉。それは、間違っていないだけのモノだ。

 意識、呼吸、視線。どれをとっても、何かを隠している風情。

 それ以上の真実を語らないのならば。その情報は毒に変わる。

 前触れもなく、現実の一端のみを語るのなら、それは嘘に違いなかった。

 

「…………………………」

 

 反論はない。なにせ、殺せんせーの求めるオレの真実は、そういったモノだから。

 一端ではなく、全体。全ての情報が開示された上で見えてくるモノをこそ、望んでいる。

 けれど、自身の事を隠しながら他者を知ろう、なんて。

 矛盾か。そうでなければ理不尽だ。

 その自覚があるからこそ、殺せんせーからの声は潰える。

 

「お互い無用な詮索はなし──────仲良く殺っていきましょうよ。

 "暗殺対象"と"暗殺者"、それがオレ達を結ぶ絆なんでしょう?」

 

 その言葉を吐いたきり、寝台を降りる。

 全身を襲う虚脱感。軋みを上げる骨子は、冷えた硝子のように。

 けれど、その全てを意識的に受け流す。

 不確かな足取りで、保健室の扉まで手を掛ける。

 引き留める存在はいない─────ただ。

 

「それでも私は、君の先生なんです。君を知り、そして導いていく。

 ──────私はその為に、この教室に来たのだから」

 

 廊下へと足を延ばし、戸を閉じる。

 知らず、首に下げたお守りを握り込む。

 

 どうでもいい筈の戯言が、いやに脳裏に残っていた。

 

 ◇◇◇

 

 秒速四十メートルを記録する暴風。

 螺旋を描くように舞う豪雨は、刻み尽くされ"霧"となった。

 不可視の刃に削られ、捲れ上がった大地は、剣の如く鋭さを帯びている。

 人間が立ち入ってはならない、そこはきっと、悪夢の荒野だった。

 ──────その中心で荒れ狂う黒色は、怪物の心の内を示している。

 

「ああ、あああ、ああああ──────!」

 

 慟哭にも似た感情の発露。理性を失った怪物が、そこにいた。

 強くなりたいと願った。誰よりも、何者よりも。

 しかし。現実は残酷にも、彼以上に異常な存在を擁していた。

 認めがたい敗北が、耐え難い痛みを伴って、怪物の脳漿を破壊する。

 少年が望んだのは、何人も寄せ付けない、孤独にも似た絶対的な力だった。

 

 …………ならば、今。目の前に立つこの男子生徒は、如何な存在か。

 

「無様だな、イトナ」

 

 開口一番。紫煙と共に告げられる、侮辱の言葉。

 この極限の世界で、さしたる声量でもない癖に、よく響いた言葉だった。

 声の方向へと。僅かながらに意識を取り戻せば、黒髪の少年がそこにいた。

 霧の最中、長い煙草を咥えた、泰然とした立ち姿。

 憮然とした表情は、ありありと失意に満ちて。

 怪物を真っすぐに見つめる瞳は、寒気のする程に冷たかった。

 

「──────、は。オマエ、遺言はそれで決まりか?」

 

 一層強まった重圧と共に、声を上げる怪物。

 …………それは、恐ろしく危険な確認だった。

 この先に応える一答。それが真性の謝罪でなければ、彼の命はここで尽きる。

 これより振るわれる暴力に、微塵の分別も無く。

 いとも容易く訪れた、運命の岐路。

 けれど少年は、何一つ気負う事はなく、ただ、平然と。

 

「お前さ。"弱さ"が恐いんだろ?」

 

 煙草の火種を揉み消し、声を上げた。

 心底から嘲るような声色は、真実、彼を嗤っている。

 怪物の持つ強さへの執着。その本質に触れる言葉。

 気が付けば、ピタリと。暴風が絶え、雨は元の形を取り戻した。

 未だ霧は立ち込めたまま。天涯孤独の、陸の孤島。

 

「弱いって辛いよな。弱者は何一つ守れない、掌の上の大切を、全て取りこぼす」

 

 弱きは尽くを失い、強きは遍くを手に入れる。

 弱肉強食こそが世に蔓延った絶対の摂理。故にこそ、かつての少年は強さを願った。

 もう二度と、何一つ奪われないために。こんな怪物に、身を窶してまで。

 現実として彼は強くなった。世界の全てを手にする力。

 失った総てを取り戻せるだけの力を、確かに彼は手に入れた。

 ………………それを。

 

「だからこそ無様だ─────()()()()()()()()、なんて考えが、特にな」

 

 一蹴するような嘲笑を、凝視した。

 怪物の姿勢は既に、前傾二十度を記録している。

 凡そ人間ではありえない体勢。ならばそれは、怪物に特有の、殺意の前触れ。

 前方、僅か十メートルの距離。

 接近し、その全身を灰燼へ帰するまで、一秒未満。

 

「──────ここで、死ね」 

 

 残忍なる死刑宣告。

 理性の蒸発した怪物は、己が本能に任せた殺戮を行う。

 束ねられた六つの白銀の刃。大地に振り下ろされる死。

 音を超えた殺意は、一秒先の未来を想起するに十分であり。

 

 ─────────ならば。ソレを凌駕したのは、加速を置き去りにした、人体の極限。

 

 怪物の駆け出したと同時。作り変えられる肉体の、変形していく悲鳴(おと)がした。

 誘われるように踏み込んだ、一本の脚。半身を逸らした立ち姿は。回避の構えに似る。

 だが、ソレは違う。そんな生温い結果を、少年の魂は許さない。

 これは布石。望む結果を手繰り寄せる為に必要な、最後の欠片。

 既に。決定的な成功はその手中にあった。

 

 世界を破壊せんとする、暴虐の刃。

 まさしく神速に相応しい、人類には到達不可能な御業。

 現実に引き起こされた死の象徴。掠るだけで命を奪うそれは、しかし。

 僅か一歩の踏み込みによって躱されていた。

 

「──────」

 

 ────────音の絶えた一閃。

 それだけで、いとも容易く、雪の花が咲いた。

 血飛沫にも似た白色が散る。拡張された器官が告げる、痛みを伴わない喪失。

 条件反射染みた、殺戮機構の在り方、その具現。

 尋常を超えた怪物の動体視力さえ、その行いを見抜けなかった。

 

 怪物を見下ろした瞳と、視線が交差する。

 神話の時代より、定められた不文律が存在する。

 怪物は常に。己より弱い人間によってのみ打倒されてきた。

 そんな現実に思い至ってしまえば、怪物はその異常性さえ失っていた。

 

 無防備となった身体に、刻み込まれる烙印。

 怪物の見た、敗北の景色は、瞳にも似た、赤い───────

 

「─────────」

 

 喘ぐような声と共に、怪物は墜落する。

 霧が晴れ、世界はあるがままの形を取り戻した。

 ───────以って。万事は終了した。

 超常同士の、力で力を捻じ伏せる闘争とは違う。

 手繰り寄せられた必然(キセキ)の暗殺。刹那の決着を制した勝者は、ただ一人。

 

 白く染まった息を吐く、深淵の瞳を持った少年だった。

 

 

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