Q.一般探索者が黄色い触手を見た場合の反応を述べよ   作:お前の母ちゃんシュブ=ニグラス~!

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山なし谷なし薄口風味。捏造設定タグが火を吹きます。
また、6/15に前話の諸々の展開を修正しました。読み返す必要はないと思います、多分。


親愛の時間

「────視線を切らすな、ターゲットの動きを予測しろ!」

 

 よく晴れた空の下、幾重にも交わされる玩具にも似たナイフ。

 暦が七月へと移行してから少々。訓練開始より、実に三ヶ月の月日が経過していた。

 暗殺対象が予告した地球の破滅まで、残り時間は約八か月ほどの現在。

 政府より生徒達の技能向上を命じられた烏間惟臣は、現況を冷静に俯瞰する。

 

 注目に値する生徒…………即ち、暗殺対象の命に届きうる者たちが数名。

 男子であれば、磯貝悠馬、前原陽斗。そして赤羽業の成長が目覚ましく。

 また、女子であれば岡野ひなた、片岡メグが近接暗殺において飛び抜けている。

 可能性、という話であれば、寺坂竜馬、吉田大成、村松拓哉の三名も候補に挙がる。

 いずれも体格、筋量など基礎的な性能は申し分なく、彼にすればそれが口惜しい。

 

 全体として見ても、生徒達の技能は春頃より格段に上昇していた。

 ナイフの持ち方。力の入れ方、抜き方。足運びと間合いの見極めに至るまで。

 加減こそしているが、複数人でなら彼にナイフを当てられる者まで現れている。

 生徒達が貪欲に、そして首尾よく技術を得る現状に、彼は小さく満足を覚えた。

 …………もし、懸念があるとするのならば。

 

「次、秋野君。行けるか?」

「あ、はい。渚君、ちょっとオレと組んで」

 

 校庭横の土手で休憩していた少年は、近くにいた潮田渚と共に烏間へあたるらしい。

 少年の名を、秋野空。夏も目前の今も着用しているジャージが目を引く、黒髪の少年。

 渚少年に耳打ちする彼だが、しかしその実、秘めた運動能力は並ではない。

 いつしか作戦会議が終わり。戦闘態勢に移行した少年達から、緊張感が滲む。

 過去、各学年でただ一人のみが選ばれるスポーツ特待生だったという、秋野空。

 陸上競技において、驚異的な成績を残した彼だが────

 

「行きますよ、烏間先生──────はぁっ!!」

「…………踏み込みが甘い、もっと間合いを把握しろ!」

 

 ────その実力は、極めて平凡なソレだった。

 手を抜いているわけでは無い。事実として、読みはそれほど悪くなかった。

 ならばこれは、運動の性質的な相性の問題だろう、と彼は解釈する。

 秋野空が得意とするのは、混じり気のない、単一の目的の為の動作。

 汎用性ではなく、専門性を突き詰めたような身体捌きこそ、少年の本領なのだろう。

 加え──────

 

「ぜぇ、はぁ、っ…………あぁ、しんどい…………!」

 

 緩んだ軌跡を回避する。彼の場合、この貧弱な体力が足を引っ張っている。

 相応に高い身体能力だが、如何せん持久力に欠ける点は否めない。

 先天的な虚弱体質、秘密裏ながらに生徒を預かる以上、無理をさせる訳にもいかず。

 出席こそすれど、その訓練量は他の生徒よりも幾分少ないものになってしまっている。

 いっそ、この状況で平均的な技量を身に着けている事を、賞賛すべきかもしれない。

 

 総じて言って惜しい生徒、というのが彼の評価だった。

 一定以上の運動能力は保持しているものの、それが致命的に訓練には噛み合わない。

 

 ………………だが、烏間はどこかに違和感も抱いていた。

 訓練に手を抜いていない、それは間違いない。だが同時に、全力とも評価しがたい。

 散漫な攻撃への意識と、足りない間合い。それは、反撃を警戒しているようでもあり。

 なによりもあの日。初めて顔を合わせた日に見せた行動が、脳裏にチラついている。

 暗殺依頼を了承したあの時、机を蹴り上げ一直線に暗殺対象を斬りつけた彼は。

 或いは────烏間惟臣よりも、暴力に慣れてはいなかっただろうか?

 

「クソっ。くらえ必殺、秋野ナイフアタック!」

 

 疲労が頂点に達したのだろうか、何やら世迷言を口走り突進してくる少年。

 彼はそれを冷静に見切り、いなし、体幹を崩してナイフを取り上げる。

 決着はついた。秋野の顔色も少しばかり悪くなっている、潮時だろう。

 

「ふむ。今日はここま──────」

 

 ──────"█"。

 

 考えるより先。背筋を這った悪寒。本能任せに右腕を振り抜く。

 手背への衝撃、水よりは固く、石よりは柔らかい感触が吹き飛ぶのを理解する。

 驚愕のまま、半ば思考停止染みた反射で振り返れば、水色の髪を携えた少年。

 打ち付けた様に頭をさすっている、周囲に凶器はなく、瞬間的な無力化に成功。次点で攻勢に…………とまでの思考を経て、烏間は冷静を取り戻した。

 

「っ、すまん! ちょっと強く防ぎ過ぎた、立てるか?」

「いったぁ…………あっ、へーきです」

「大丈夫か渚君。オレが囮になって、渚君が仕留める作戦だったんだけど」 

「平気だよ、問題無いって。でも結構惜しかったね!」

 

 あのトンチキな掛け声は一応作戦だったらしい、と烏間は僅かに納得する。

 …………いや、囮ありきと言えど、あの気配は異常の一言に尽きた。

 潮田渚は、特筆すべき身体能力を持たない、温和な生徒である筈だというのに。

 軋むような違和感。背筋に薄ら寒い物を感じながら、その日の授業は終了した。

 

 ◇◇◇

 

「はぁ~…………つっかれたぁ…………」

 

 夏が近づき、緑を増した土手。倒れ込むように寝転がり、全ての体重を預ける。

 浅くなった息を大きく吐いて、厚い雲が青空を泳ぐのをぼんやりと眺めた。

 身体から熱の抜けていく感触と、全身を覆う疲労感に小さく舌打ちを一つ。

 たかが体育の授業一つでコレだ。不出来な身体に嫌気が差す。

 死ぬまでコレと思うと気が滅入るが、来年でお別れと思えば、幾分楽だろうか。

 

「せんせー! 放課後街でお茶してこーよ!」

「あぁ。誘いは嬉しいが、この後は防衛省からの連絡待ちでな」

 

 不意に、倉橋さんからの誘いをすげなく断った、烏間先生の声が耳に届く。

 オレも人の事を言えた義理では無いが、烏間惟臣の人付き合いは芳しくない。

 それが嫌味にならないのは、彼の人格と、生徒自身が彼の線引きを感じ取っているから。

 飽くまでも任務の一環としての接触。生徒個人を尊重する立場を取った、彼の選択。

 それを責めるべきでは無いし、少なくともオレ達の立場ではその権利さえない。

 

 現実として、この校舎で最も多くの機密を取り扱っているのは烏間惟臣だ。

 殺せんせーを暗殺する為に送り込まれた工作員、事実上の政府の代理人。

 故に得られる情報、秘匿するべき情報を数多く抱えているのだろう。

 例えば四月。対触手物質の出所を尋ねた時、彼は僅かだが動揺していた。

 恐らくはあの神性の出所、そしてこの奇妙な現状に至るまでの経緯を理解している。

 

 だが、だからと言って彼から情報を抜き出そうとは考えられない。

 何しろ握っている情報の量が桁違いだ、藪をつついて蛇を出しかねない。

 中途半端な情報なら却って混乱のもとになるし、そもそも彼には隙が無い。

 或いは、生徒達と一線を引いた接し方をするのは、彼なりの誠意なのだろう。

 本質的に、彼はE組と共に立つことが出来ない。きっと、隠し事が多すぎるのだ。 

 

「…………まぁ、その場合。余計な首を突っ込まないってのも、ある種の誠実さか」

「へぇ、その言葉はもしかして、私に対する当てつけ?」

 

 不意に、目元を刺した太陽が翳る。影を辿れば、少女が一人。

 少しばかり表情に乏しい、瑠璃色の瞳をした彼女。速水凛香がそこに居た。

 気温も随分上がったというのに、彼女の瞳は氷点下のままこちらを射抜く。

 理由は明確。先日"オレを知る"なんて宣言をした彼女にすれば、今の発言は皮肉以外の何物でも無いのだから。

 

「誤解だぜ、速水さん。オレもそこまで捻くれてない」

「へぇ、それならいいけれど。…………今更だけど貴方、本当に特待生だったのよね?」

「まぁね。…………待った、もしかして手抜きしてるとか思われてる?」

 

 無言。されど肯定を示した沈黙だった。

 先日の一件を踏まえ、彼女は今、オレの一挙手一投足を疑っている状態だ。

 視線そのものに悪意はないとはいえ、何でもない事まで疑われると居心地が悪い。

 軽く信用を稼いでおくという意味でも、両手を挙げて弁明をする事にした。

 

「流石にないない。そもそも向いてないんだ、あの手の高度な動作」

 

 オレの得意とする運動は、画一の動作を突き詰める機械的な動きにある。

 だがナイフ術は同じ方向、同じ強さ、同じ速度で振り続けては意味の無いモノ。

 足運びや重心移動まで含めて、一つの動作にも反復が存在しない。

 つまり、行動の一つ一つを最適化する事は可能でも、消耗が激しすぎるのだ。

 …………彼女にも分かりやすく説明するなら、意識の切り替えが下手、と言うべきか。

 まぁ、それはそれでやりようはあるのだが。それを説明するのは骨という物だろう。

 

「ふーん、そういう事…………ところで、その状態で教室戻れるの?」

「今は無理だけど、どうせこれで授業終わりだしな。回復し次第そのまま帰るよ」

「相変わらずだけど。本当に難儀な身体してるわ、貴方」

 

 同情するような言葉。意外にも、彼女なりに心配しに来てくれていたらしい。

 速水凛香の優しさは、時として酷く遠回りだ。多分、根が不器用なのだろう。

 …………いや。そうでもなければ、そもそもあんな宣言はしないか。

 別に彼女自身、オレの事を嫌悪しているわけでは無いのだ。今はまだ、その道中。

 何を知らせるつもりも無いが、いずれの未来まで、彼女は良き隣人であってくれる。

 

 冷たいようで暖かい彼女の在り方を認識した折、頭上の先から声がした。

 

「────やっ! 今日から烏間の補佐してここで働くことになった、鷹岡明だ!」

 

 "E組の皆、よろしくな"、なんて。酷く軽薄な声が耳に届く。

 気怠い身体を持ち上げて声の主を見る。そこに居たのは、大荷物を抱えた男だった。

 背丈は丁度六尺ほど。肥満的な体型と極度に発達した上腕を持ち、年は二十代半ば程。

 普段から慣れているのだろうか、分かりやすい笑顔を生徒達に向けている。

 

 鷹岡と名乗った男が、オレのすぐ傍にあった石階段を下っていく。そして理解した。

 アレは脂肪による肥満などではない、古武術経験者に見られる丹田の肥大だ。

 骨格から見ても見合わない指の太さから、古流柔術の有段者と見て間違いないだろう。

 いかに自衛隊と言えどもそうは居ない実力者。恐らくは精鋭軍人と考察できる。

 

 …………いや、違う。そこはさほど重要ではない。問題は、この男の所作だ。

 

 オレが分析に沈んだ一瞬で、鷹岡は生徒達の前で抱えていた荷物を解いていた。

 見た所、生徒達に高級菓子やジュースを振る舞っているらしい。

 より近くで観察する為、重たくなった身体を引きずり、緩やかに接近する。

 皆、表面上穏やかに甘味に舌鼓を打ち、歓談している。…………殺せんせーを含め。

 

「いいんですか、こんなに高いモノ…………?」

「あぁ。モノで釣ってるなんて思わないでくれよ? お前らと早く仲良くなりたいんだ!」

 

 軽快かつ豪快に笑う鷹岡明。その姿は、確かに一定の親しみを覚させる物で。

 だが…………穿った視点かもしれないが、その動作には奇妙な"慣れ"があった。

 本来、初対面のコミュニケーションに習熟といった概念は存在しない。

 存在する尺度は、物怖じするかしないかのみだ。故に、慣れる事があるとしたら。

 

「鷹岡先生。防衛省の同僚なのに、烏間先生とは随分違うんですね」

「ん、まぁな。教育の仕方なんてのは人それぞれ、千差万別だろうし。

 ──────俺の場合、訓練を受け持つときはいつもこうしてるんだ!」

 

 千差万別、という言葉に、僅かながら含みがある事を知覚する。

 そして理解する。この男の動き、指先から目線に至るまでの既視感。

 嘘を吐き慣れた人間の動きだ、まるで自分を見ているようで吐き気がする。

 理性が警鐘を鳴らす。数多くの異常性を目にしてきたオレの判断に誤りはなく。

 

「同じ教室にいるからには、俺達、家族みたいなもんだろ?」

 

 ──────この男は、危険だ。

 

 ◇◇◇

 

 …………秋野空の確信が、E組生徒にも感じ取れたのは、その翌日の事。

 

「よーし、皆集まったな! では今日から新しい体育を始めよう!」

 

 赴任初日。親しみやすい風体を崩す事無く、生徒達と歓談を交わす鷹岡。

 それらの仕草に違和感はない。違和感が無い事に対して、疑念を持つ者はいない。

 けれどそれは当然だ。人にとって、見える物こそが全て。見えぬ物は知覚できない。

 或いは生徒達の中にも、既に信頼関係が結べていると考えた者さえいただろう。

 …………故に、これは不意打ちであり。無垢な信用に対する、ある種の暗殺だった。

 

「訓練内容の一新に伴って、E組の時間割も変更になった! これに目を通してくれ」

 

 教官の変更に伴うカリキュラムの変化について、彼が語りだした時の事。

 ────瞬間。弛緩していた筈の空気が、反転するように凍り付いた。

 

「………………なに、これ」

 

 それは誰の発した言葉だったか。或いは、彼ら全員の言葉だったかもしれない。

 まさしく絶句。紙面に刷られたのは、十限まで追加され、書き換えられた時間割。

 稼働時間の、実に半分以上を訓練が占め。学業は限界まで削られている。

 こんな物は、職業軍人でもない、真っ当な中学生に課していい代物ではなく。

 今の状況が自身の想像を上回っていたのか、黒髪の少年が狼狽したように口を開く。

 

「バカな、有り得ない。こんなモノ、あの理事長が許す訳が────」

「いいや? 承諾なら貰ったとも。"地球の危機なら仕方ない"ってな」

 

 少年は、その言葉に嘘が無い事を悟った。ソレ特有の、声の震えを感じない。

 呆然としたように、それきり。黒髪の彼は言葉を発さなくなった。

 だが、彼以外の生徒にすれば。その決断は、酷く妥当なものに見えていた。

 エンドのE組という学園機構。彼らの学力は常に最下層である事が望ましく。

 地球を救える可能性が上がり、同時にE組の弱体化が行えるなら、選ぶまでもなく。

 

 無論。たとえそれが正当性を担保されたモノであっても、横暴には違いなく。

 必然として、抗議の声が上がる。暖色の髪を携えた少年、前原陽斗だった。

 

「ま、待ってくれよ! 出来るわけないぜ、これ! 勉強も遊びも出来な────」

 

 言葉を遮るように、前原の頭に掌が乗せられる。次いでもう片方の腕を背へ。

 さながら父親が、よく出来た息子を褒め誇るような。酷く穏やかな手つきで。

 ──────瞬時に加速した膝が、鳩尾へ直撃する。一切の弛み無い暴力だった。

 無意識に介入し、内臓ごと穿つような。あまりに重い、悍ましい音がして。

 次の一秒間に、明るい色の髪が、古ぼけた大地に沈んでいた。

 

「"出来ない"じゃない、"やる"んだよ」

 

 鷹岡の瞳の内が、加虐に対する愉悦と快楽の狂気で混濁する。

 一瞬にして。E組の全ての生徒が、鷹岡明という存在の人間性を正しく理解した。

 暴力と親愛。過剰なまでの飴と鞭。それこそが、この男の掲げる教育論。

 "父"と"子"。家族関係になぞらえた、決定的な上下関係の付与による、独裁支配。

 ────父親に逆らう家族が何処にいる。この言葉こそが、彼の本質を物語っていた。

 

「抜けたい奴は抜けても良いぞ? その時は俺の権限で新しい生徒を補充する」

 

 それは即ち、現行のE組生徒達を使い潰す事も厭わないという宣告だ。

 鷹岡にすれば、端からそれが主目的。彼らから芽が出るかは運任せ、と言った所。

 むしろこの校舎を、早い段階から後にしてくれるのならそれで構わない。

 …………だが。彼らにすれば、E組(ここ)で過ごした数か月は、それ程軽くもなく。

 過酷な状況に級友達を捨て置けるほど、彼らの性根は腐り堕ちてなどいないのも道理。

 

「けどな、俺はそういう事はしたくないんだ。お前らは大事な家族なんだから」

 

 しかし。鷹岡にすれば、居残ると言うのならそれはそれで構いはしないのだ。

 友人たちの為、過酷な訓練を気力でやり遂げるのならば、むしろ重畳。

 追加の人員を割くまでもなく、鷹岡に忠実な暗殺部隊が完成する事になる。

 既に状況は、どう転んでも鷹岡に旨味があるように出来上がっていた。

 故に彼は、自身の教育の基礎、根底の部分を生徒に植え付ける事から始めるのだ。

 

「お前達の父親として。俺は誰一人欠けて欲しくない、わかるだろ?」

 

 滔々と語る鷹岡、歩調はゆったりと、されど、地を踏む音は威圧的に。

 鷹岡が編み出した従順な部下の製法。材料は二つ、九の鞭に対する一の飴。

 真っ当な中学三年生は、突如として暴力を振るわれかねない状況を知らない。

 一般に。恐怖とは、それまで過ごしてきた人生が平穏であるほど、濃く、深くなっていく。

 ────必然に。生徒達は焦点さえ定まらない程に、委縮していた。

 

 ここだ、この状況。逆らう事で暴力を。従う事で褒める事を憶えさせる。

 この刷り込みは、居座るにせよ、立ち去るにせよ。彼にとっての予後を良くする。

 

「な?? お前は父ちゃんに着いてきてくれるな??」

 

 無作為に選んだ生徒の肩を抱き、強引に立ち上がらせる。

 如何にも気の弱そうな黒髪の女子生徒だったのは、幸運と呼ぶべきだろう。

 事実として、表情は蒼白気味。足は震え、支えなしには立てもしないのだから。

 後頭部を鷲摑み、強制的に目線を合致させる。想起されたのは、先程の蛮行だろう。

 

「………………、っ、ぁ。は、はい。あの、私…………」

 

 二者択一。返答が是ならば良し、何もしないという安堵を与える事で終了だ。

 だが。この問いに対し、否と返すのならば────

 

「────私は嫌です。烏間先生の授業を希望します」

 

 舌なめずりを合図に。ごく自然な動作で、鷹岡は腕振り上げ身体を捻じる。

 僅か一秒後に行われる凶行。一呼吸の合間に完遂する暴力は、しかし。

 思考よりも早く身体を稼働させた、黒髪の少年によって対象を逸らされた。

 最早先程のような下手は打たない。鷹岡明を認識した瞬間から、これを警戒していた。

 暴力に憑りつかれた精鋭軍人。謂わばこの男は、人を害する事の専門家。

 

「──────」

 

 他者を屈服させる手段として、最も効果的なのは暴力である事を少年は知っている。

 まして、鷹岡明程の実力があるのならば、それに頼らない手はないのだから。

 駆けるような跳躍。割って入る両者の間。片腕で彼女の襟を引き、片腕で(きた)る衝撃に備える。

 着地はしない、完全に位置を入れ替わるコンマ数秒間、鷹岡の瞳が驚愕に染まる。

  

 視界の端で動く分厚い腕。体重の半ばを乗せた平手は、容易く彼の意識を奪い去った。

 

 ◇◇◇

 

 汗に溺れるような臭いがした。肌に触れる空気は、吐息の様に湿っている。

 鉄で出来た悪臭を帯びた、真っ赤な壁面。足の踏み場もないような、誰かだった肉。

 元がどんな部屋だったかも理解できないまま、意味もなく足を奥へ。

 一つ歩く度に、吐き気が込み上げて仕方がない。どこを見ても、死、死、死。

 生きているお前こそが場違いなのだと、オレに自害を迫ってくるようでもある。

 蠕動する胃の感触。息をするだけで毒になりそうな空間で、浅い呼吸を繰り返す。

 

 とつ、とつ。ぐちゃ、とつ、ぐちゃ。ぐちゃ、とつ。

 

 不意に。こんな空間にあって、見覚えのある場所に辿り着いた。

 不衛生に間違いは無いが、来た道に比べれば、幾分マシな状態を保っている空間。

 …………そうだった。オレは確か、最近知り合った男と共に、ここを訪れて。

 そう、そして。その男は、オレの足元で下半身を亡くし、血溜まりに横たわっていた。

 

 付近には、焼け焦げて動かなくなった異形の肉体が一つきり。

 ヒキガエルにも似た灰の胴体と、顔に相当する部分に象られた筋肉質な触手。

 そのいずれも生命の気配を感じさせず。半ばから折れた槍は、その結末を示している。

 沸騰した血と硝煙の匂いから察するに、彼は最後の賭けに出たらしかった。

 それが正しいかは、オレには判断できない。祈る事もせず、立ち去ろうとして。

 

 とつ、ぐちゃ。ぐちゃ、こふ、けほ。とつ、ひゅう、ひゅう。

 

 振り返れば、彼にはまだ息があった。三秒先も見えない、風前の命であれど。

 意味もなく彼へと近づき、膝を立て、肩を抱き。その表情を覗き込む。

 自分の喉が焼けるように何かを叫んでいる気がするけれど、よく聞こえない。

 彼の瞳は、既に焦点が定まっていない。もう、何も見えてはいないだろう。

 けれど、どうしてか。オレが傍にいる事は分かるのか、人生最後の息を吸って。

 

「──────妻を、娘を…………俺の世界一の幸せを、どうか、頼む」

 

 それきり。この男もまた、他の人間と同じ様に、ありきたりな末路を辿った。

 視界が滲む理由も、呼吸が定まらない理由も、精神を満たした感情も、目下不明。

 唯一分かるのは、皆同じだという事。誰も彼もが、こうやってオレの元を去っていく。

 最期に残る物は一つ、示し合わせたかのように吐き出される、呪いの言葉だけ。

 けれどその呪いを棄てる勇気なんてオレにはない。だってそれは、人生の証明だ。

 誰かが懸命に生きた証。秋野空(オレ)を失ってでも持ち続けるべき、贖罪の証。

 

 己が願いに背き、己が願いを忘却した、オレに相応しい在り方。

 ─────ならばきっと。我が身は常に/初めから、空であったのだろう。

 

 ◇◇◇

 

 目を醒ますと同時。古ぼけた色をした天井がオレを出迎えた。

 薄桃色のカーテンを貫通した、鈍色の曇天。遠く、恐怖に歪んだ声がする。

 天蓋にも似た寝台の上、否が応にも見覚えのある景色。

 ここはきっと保健室だろう。ここ最近、よく倒れるようになってしまった。

 

 とは言え、まさかあの程度で気絶してしまうとは、オレとしても想定外だった。

 当然だが。オレもただ無謀を働いた訳では無い。兵士育成の見せしめなら、手加減がある。

 少なくとも、継続した訓練が不可能になる程の負傷はしないだろう、と踏んだのだ。

 しかし見誤った。自身の耐久性というモノを高く評価し過ぎていたらしい。

 

 …………全身が汗の感触で気持ち悪い。魘されていたようだった。

 

 鷹岡が"あんなこと"を口走るものだから、見たくもない夢を見てしまった。

 目蓋の裏には、今も先程の光景が焼き付いたまま。悪夢の後はいつもこうだ。

 全身を覆う熱気と、全身を這う寒気。嫌なコントラストに溜息が出る。

 …………不意に。寒気と熱気に紛れて流れ込む、氷点下の冷気に気が付いた。

 どうやらそれは、オレの右腕から来る物らしく。神経を伝うように、視線で追えば。

 

「──────、」

 

 嫋やかな黒髪を携えた少女が一人。声も上げずにこちらを見つめていた。

 憂いを帯びた瞳はどこか妖艶で、触れるだけで手折れそうな白磁の指が触れている。

 ほんの一瞬。未だ夢の中なのかと錯覚する程に、彼女には彫刻的な美しさがあった。

 打ちつけられた箇所にアイスパックを当てる左手と、柔らかい力で掌を握る右手。

 怪我はないか、と尋ねる前に、気が付いた事が一つだけあった。()()()()()()()()

 

 彼女の複雑な感情を秘めた瞳の意味を理解した折、声を掛けられた。

 

「…………ねぇ。()()ってもしかして、全身が()()なの?」

 

 震えた言葉に、返せる声はなかった。けれど、きっと沈黙は肯定だった。

 

()()、を。クラスの誰かに見せた事は、あるの?」

「………………ないよ。見ていて気持ちいいものじゃないからさ」

 

 目を伏せた少女の問い。知られたくない事と、知られてはいけない事。

 どちらも似て非なるモノで、()()がどちらだったのかさえ、思い出せないが。

 だがどうあれ、彼女の反応からして、()()は秘匿するのが正解だったのだろう。

 もう充分だ、と患部を冷やすのを止めて貰い、窓の外へと視線を逸らす。

 …………校庭では、過剰な訓練に悲鳴を上げる彼らの様子が見て取れた。

 どうやら、一人庇った程度、一人気絶した程度で止まる教育では無かったらしい。

 

「神崎さん。オレが気を失った後の事、聞いても良いか?」

「あ、うん…………えっと、ね」

 

 流石に気絶するような事態は目に余ったらしく、一度は教師陣の干渉があったらしい。

 が、鷹岡は飽くまでも体罰を教育に組み込まれた機構の一端だと主張した。

 行動は異常と言うより他に無いが、あれで主義主張は一貫しているのが厄介な点だ。

 殺せんせーは干渉する能力を失い、体育の教科担任である烏間先生が次策を練っている。

 状況はあまり芳しくなく、恐怖に耐える事しかできないのが、説明された現状だった。

 

 そして神崎さんは、オレと半ば連帯責任の形で看病を押し付けられたらしい。

 これは烏間先生の小細工だろうか、どちらにせよ、不幸中の幸いと呼ぶべきだろう。

 理由は何であれ、神崎さんを今の校庭から離す事に成功しているのだから。

 

「取り敢えず、神崎さんはこのまま保健室で待機しておいた方が良いな」

「…………それは、どうして?」

「刃向かった直後に戻るのは予後が悪すぎる、アレが冷静になるまでは控えるべきだろ」

 

 鷹岡明は今、生徒達に自分への恭順を促す段階にある筈だ。

 彼の意にそぐわない判断を排し、従う事でこそ益があると信じ込ませる段階。

 ともすれば、正面切って否を突き付けた神崎さんは、目の上の瘤に違いない。

 この先、戻ったとして。どんな理不尽を強いられるか、分かったモノではない。

 最低でも鷹岡明という男の脳内から、彼女の存在が希薄になるまでは待つべきだ。

 

「それなら、秋野君は戻るの?」

「ん、オレならある程度訓練回避の言い訳が立つからな」

 

 生徒が完全に身体を壊すような事態になるのは、鷹岡としても本意では無い筈。

 アレの中にあるのは、烏間惟臣への嫉妬にも似た、出世欲と支配欲だ。

 オレ達生徒が自発的に校舎を離れるなら兎も角、疾患による脱落は評価に響く。

 鷹岡は、嫌でもオレに対して慎重にならざるをえない立場という訳だ。

 度を越した申請でなければ、ある程度の休憩や訓練離脱が通る目算は高い。

 

「……………………」

「……………………」

 

 ふと、会話が途絶えた。意味もなく重苦しい空気が喉元を締め付ける。

 彼女の視線は目下、既に平熱を取り戻したオレの右腕に注がれていた。

 項垂れた黒髪に阻まれて、その瞳が持つ感情の色を推し量ることは出来ない。

 けれど、オレが何もしなければ、彼女はいつまでもそうしていそうな様子で。

 それが酷く居心地の悪い感触がして。罪悪感に急かされるまま、声を上げる。

 

「…………じゃあ、そろそろ行くよ」

 

 話す事もないのなら、行動は早い方が良いだろう、とベッドから足を下ろす。

 捲られていた袖を元に戻し、軋む身体を引きずるように保健室の扉へと。

 弱った身体機能を少しずつ把握していきながら、指先を引き手に掛けた時の事。

 不意に、全く関係ない事を一つ思い出した。頭に浮かんだ、現状に対し無意味な情報。

 伝え忘れていた言葉があったか、と。口にするかを、少しだけ悩んでから。

 

「待って、やっぱり私も一緒に────」

「────そうそう。前は言いそびれたけど、神崎さんの夏服、凄く似合ってた」

 

 彼女が何を言おうとしたかは知らない。一切の興味もない。

 確かな事は一つだけ。それきり、保健室から声はしなくなったという事だけだった。

 

 ◇◇◇

 

 歩を進めるたびに、悲鳴が走る。年季が入り、軋みを上げる板材を踏みつけて歩く。

 窓の外からは、変わらず曇天が覗き。鈍い光と、絶望的な声が注いでいる。

 …………胡乱な足取りで古びた廊下を辿る。貧血気味の、少し狭まった視界。

 先を思い、憂鬱な気分で昇降口に立ち、外靴に履き替えようとした時の事。

 誰かを待っていたのだろうか。軒先に立った男に、軽快な声を掛けられた。

 

「やぁ、久しぶりだね。中間考査以来だったかな?」

 

 鷹岡とは違う、どこか落ち着いた口調。けれど内に秘めた重圧はより酷く。

 視線を向ければ、深紅よりも深い朱色を携えた、凍り付く瞳の持ち主。

 ──────椚ヶ丘学園理事長、浅野學峯。この小世界の支配者が、立っていた。

 想定外の人物の登場による混乱。それを悟られないよう、努めて平静を装う。

 

「お久しぶりです、理事長。直接会話したのは、もうそんなに前でしたか」

「先日の球技大会で見かける位はしたがね。壮健そうで何よりだよ」

 

 空虚な会話。形ばかりの世辞を贈る浅野理事長に、困惑が芽生える。

 まさか、このような下らない社交辞令の為にE組校舎まで来る筈は無いが。

 何故この男が旧校舎にまで足を運んだのか、オレには判断する材料が足りない。

 それ故に視線で問う。どのような目的を持ってこの場所にやって来たのか、と。

 しかし理事長はオレの視線を涼やかに受け流し。含み笑いを浮かべた後。

 

「何、先ほど怪我をしたようだからね。しかし、お見舞いは必要なかったかな?」

「………………見てたんですか。趣味が悪くなりましたね、浅野理事長」

「私はただ、新任教師の手腕に興味があっただけだとも」

 

 オレからの非難に、心外だ、とでも言いたげに返した浅野學峯。

 そこで漸く、今回の絡繰りを理解した。詰まる所、彼は今見定めている段階なのだ。

 鷹岡明という男が、この学園に利を与える存在なのかどうかを、吟味している。

 あの男が施す教育の価値を図る為、あのような巫山戯た時間割なども許可したのだろう。

 そして、最終的な価値判断は自身で行うと。このような場所にまで足を運んだ訳だ。

 

「さて、どうだい。君も戻りづらいだろう。私と一緒に見物していかないかい?」

 

 理事長にすれば軽い退屈しのぎ程度の提案だろうが、オレにすれば悪くない。

 神崎さんにはああ言ったが、行動の選択肢の中に、常時暴力を置いているのが鷹岡だ。

 そういった手合いを言葉で説得するのは、少しばかり骨が折れる。

 理事長からの誘いとあらば、訓練を離れる事にもある程度の言い訳も立つ。

 …………この男の隣というのは神経をすり減らしそうだが、この際些事だろう。

 

 オレは肯定の意を示し、理事長に伴って校舎の外へと赴いた。

 

 生憎の曇り空。湿度を増した鈍い太陽光の下で、校庭の様子を眺める。

 視線の先、鷹岡明が施した訓練の様相は、端的に言って最悪に近かった。

 生徒達の脱落を前提とした…………むしろそれ自体が目的の、過剰な運動。

 それに異を唱える者があれば、暴力によって捻じ伏せ、無理やりに続行させる。

 謂わば"理不尽"の仕込み。状況を見兼ねた烏間先生も止めに入るが、その程度。

 

「────それ以上、生徒に手荒くするな。暴れたいのなら、俺が相手を務めてやる」

「はっ、言ったろ烏間? これは暴力じゃなく教育。対決(やる)なら飽くまで、教師としてだ」

 

 だが、今のところ。現況は、鷹岡にとってもあまり芳しくはない。

 この教室内での"教科担当"は、本来の言葉の意味以上に強い力を持つ。

 当然だ。暗殺対象がこの手の物に執着する以上、その価値は簡単に値上がりする。

 まして、国からの勅令ともあれば猶更。鷹岡にすれば、それが二分されているのは拙い。

 生徒達の恐怖支配は半ばほど。ここで奴が実権を握りたがるのは、至極自然であり。

 

「烏間、お前が育てた中でイチオシの生徒を選べよ。ソイツと俺で闘うんだ」

「………………それは」

 

 故に、この様な手段に出る。鷹岡から提案されたのは、生徒と奴の一対一。

 生徒側の勝利条件は、たった一度でも鷹岡明にナイフを当てる事。

 勝利報酬は、鷹岡明による烏間惟臣への訓練監督権利の全移譲と、自身の退去。

 反対に、敗北した際に支払うべきリスクは、鷹岡明への訓練監督権の全移譲。

 報酬と代償の天秤は等価。条件次第では、生徒に有利ですらあるだろう。

 

 だが。重ね重ね、教科担任が持つ権力は莫大だ。例え、分割されているとしても。

 

「ただし、当然だが。殺す相手は俺なんだ。使う獲物も────本物のナイフだ」

 

 ………………この程度の暴挙ならば、まかり通る。

 大地に突き立てられたコンバットナイフ。刃渡り二十センチ、鋼の凶器。

 遠目からでは判断しきれないが、刃の部分が潰されている様子はない。

 必然、もし仮にアレを人に振るう事があれば、容易く命を奪えるのだろう。

 

「浅野理事長。止めなくていいんですか、アレ」

「生憎だが、私が止めた所で無意味だろうね。対処療法にもならない」

 

 事実だ。教育には教育で立ち向かえという詭弁は、詭弁なりに筋が通っている。

 これを根本から崩さない限り、外部からの干渉には意味が無い。

 無論、度が過ぎるようなら、地球延命の為に手を加える事も視野に入るが────

 

「秋野君、君はそれほど事態を重く見ていないようだね」

「…………まぁ。何かあれば、先生"達"がなんとかするでしょうから」

 

 烏間先生は勿論、殺せんせーやビッチ先生も然ることながら。

 隣に立ったこの理事長でさえ、鷹岡の一挙手一投足を観察し、備えている。

 一先ずはこの場で、命のやり取りが発生する可能性は低いと見ていいだろう。 

 …………だから。目下問題があるとすれば、顔を蒼白くする彼ら生徒達にある。

 彼らが受けているのは怪物を殺す訓練であり。まして、人殺しの経験など無いのだから。

 

「ところで、理事長。烏間先生は誰を選ぶと思いますか?」

「さてね。如何に暗殺の訓練を受けていても、中学生が精鋭軍人に勝つのは厳しいだろう」

 

 不意に、理事長との視線が交差する。意味深な瞳がこちらを覗く。

 見通すような紫紺の眼に映る感情は、僅かながらに期待と疑念が混じっている。

 何を思ったか知らないが、オレは目を伏せ、両手を挙げて白旗のカタチを取る。

 

「オレには無理ですよ、勝てません」

 

 体格、筋量、技術。どれを取ったとして、オレが鷹岡に勝てる要素はない。

 局所的な身体性能なら勝る部分があるやもしれないが、それだけだ。

 特にナイフ術はオレの不得意な"動"に寄った動作。彼我の差は碌に縮まない。

 或いは、それを埋められる可能性のある異常もあれど、それを披露する事も出来ず。

 鷹岡が如何に油断しているとはいえ、オレが真っ当に対峙して勝てる道理はなかった。

 

「けど、それなら覚えておいて損はないと思いますよ、アイツの事」

 

 いつしか。寂れた校庭の中心で、二つの影が生まれていた。

 無手と刃物。醜悪な巨漢と、想像通りの華奢な少年。向かい合い、対峙する両者。

 女子にも似た体躯の彼…………潮田渚は、手の中のナイフに少しだけ戸惑いを見せ。

 ────そして、刹那の間に。いとも容易く、平然と飲み下した。

 それは、人を殺しうる凶器を持った人間として、異常な選択。

 尋常な精神なら選べない筈の選択を下した彼の様子は、きっとどこかが可笑しかった。

 彼の機微を見抜けなかった時点で、或いは、鷹岡の敗北は決まっていたのかもしれない。

 

 ──────決着する、僅か一瞬。

 

 ごく自然な動作で行われた、無造作な接近。予期せぬ軌道に、鷹岡が停止する。

 瞬きにも似た、人間の意識の弛み。それを、躊躇いも無く切り裂くような一閃。

 紙一重に回避し、体幹を崩した鷹岡と。既に殺害対称の背後に移った潮田渚。

 無駄さえ殺し、少年の五体全てを道具たらしめた、余りにも機械的な殺人行為。

 一秒間すら経ないような刹那の事。流れる様な一連の動作は、間違いなく。

 ────鷹岡明の命に届いていた。

 

「…………なるほどね、確かに見せてもらったよ」

 

 事態の趨勢は決した。在るのは無傷の潮田渚と、恐怖に竦む鷹岡明のみ。

 己の舞台で、己の教育論である暴力によって敗北した以上、彼の教育は破綻した。

 無慈悲な支配者であるこの理事長は、簡単にあの男を切り捨てるだろう。

 若しくは…………始めから、浅野學峯の目的はそれだったのかもしれない。

 思い返せば、最近の防衛省の干渉は度を越している気がした。

 

 人工知能である律の投入、不明な怪人物二人の招待、続いてこの男。

 幾らかの口止め料は渡されているだろうが、それでも支配者は浅野學峯だ。

 自身の領域内で好き放題されるのは、決して面白い状況ではなかった筈。

 …………そこで鷹岡明を生贄にする事を思いついたのだろう。

 巫山戯た時間割も許可も、全ては今後の防衛省の動きに釘を刺すため、なんて。

 

 流石に穿ち過ぎた考えだろうか、と頭を振って邪推を打ち消す。

 

「────さて。私は彼らの元に行くが、君はどうするかな?」

「早退しますよ。…………どうにも、喜びを分かち合う気分じゃないので」

 

 オレの言葉にさしたる感慨を持つ事なく、引導を渡しに彼は歩を進めだす。

 威風堂々とした後ろ姿を見送る。重なった記憶は、至極どうでもいい事。

 全て鷹岡のせいだ。アレがあんな事を口走らなければ、こんな思いはしなかった。

 …………そんな折、ふと。何かを思い出したように、理事長が振り返る。

 

「あぁ、そうだ。()()()()()は────」

 

 帰る間際。ほんの、ちょっとした話を聞かされた。

 

 

 

 




(アンケートの補足ですが、原作最終巻に収録された番外編の事です)

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