Q.一般探索者が黄色い触手を見た場合の反応を述べよ   作:お前の母ちゃんシュブ=ニグラス~!

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今回作者の趣味度高めです、ご注意下さい。


暗殺の時間

 椚ヶ丘駅で潮田渚と別れてから暫く。

 

 明滅する街頭の下、彼の歩みは深夜の住宅街へと差し掛かった。

 日中ならば老若男女が行き交う大きな通りも、午後十時を過ぎた現在は形無し。人も車も、すれ違う事は一度としてなかった。

 広い道路がやけに寂しく、故に道の真ん中などを歩いてみる。

 

 くるり、くるりと不規則な歩き方。

 まるで糸の切れた凧のようだと、彼は冷静に己を俯瞰した。

 その姿はさながら、新しい玩具を与えられた子供のようだとも。

 事実として、彼の精神はこれ以上なく高揚していた。

 

 思いを馳せるのは、日中に起きた出来事。

 そう。五時間目の終わり頃、E組に辿り着いた彼を出迎えた、本物のモンスター。黄色いカタチの超生物。

 嘘のような本当が、彼の目の前に現れたのだ。

 

 思い出すだけでもゾッとする。

 アレは月を破壊したバケモノだ。

 そんな存在と、対峙し、会話し、あまつさえ殺そうとした。

 今手元にある自身の命が、奇跡の結果とさえ思える蛮行。

 例え自分が世界の誰より強かったとして、生き残れるはずのない相手。自分の命など塵芥が如く薙ぎ払える存在。

 

 ────あぁ、だというのに。

 

「………………ククっ」

 

 歪んだ口元から、思わず笑みが溢れてしまう。

 なんて、なんて事だろう。

 アレだけの力を持つバケモノが、思っていたよりも、ずっと。

 

「センセイ、なんだもん」

 

 二度の騙し討ち。表情や態度からして、そう凪いだ心は持っていない。間違いなく、あの行動には効果があった。

 それでも、あの先生は自身に手を出さなかった。

 それは、一般的に理想的な教師像であり。

 

 彼の────赤羽業の、殺したい教師像そのものだった。

 

 あのセンセイは教師として殺す。

 彼は殺意のベクトルをそこに仕向けた。

 と、なれば。彼の優秀な脳回路は、容易くその方法を用意して見せる。

 一先ずは明日の朝一番。級友から聞いた情報を元に仕掛ける。

 彼自身、くだらない事とは思っているが、それと同時に効くだろう、と言う確信があった。

 タコを丸々一匹、と言うのは中学生の小遣いでは厳しいモノがある。が、この手の事は妥協してはいけないというのが彼の信条だ。

 やはり、手に入れるなら朝市にするべきだろう。

 

 ────と、彼がそこまで考えたところで。

 

「………………?」

 

 ふと、とあるモノが目に入った。

 ここから凡そ十メートル程先。

 真っ黒なアスファルトの上、真っ白な三日月の下。

 照らし出されたソレに、奇妙な違和感を覚える。

 遠目からではよく分からないが、ソレは人型をしているらしい。

 身じろぎせず、俯きがちに、そこに立っている。

 奇妙といえば、その出立ちからしてそうだ。

 何せ、灯りの下にいると言うのに、まるで影が張り付いたかのように真っ黒なシルエットだけが浮かんでいる。

 逆光、と言うこともないだろうと彼は考える。

 

 どこをどう取り繕っても、正面に佇むアレは尋常じゃない。

 幸いな事に、アレはまだ彼に気がついていないらしかった。

 普段の彼なら、持ち前の危機察知によってその場を引くだろう。

 

 ────だが。

 

「へぇ…………おもしろそうじゃん」

 

 恐らくは日中から続く高揚。恐るべき存在と出会った彼は、恐ろしい存在への心構えを忘れていた。

 今夜の彼は、致命的に警戒心が足りていなかったのだ。

 まるでヘッドライトに誘き寄せられる蛾のように、彼はそのまま歩みを進める。

 だからこれは、彼にとって不運な事故。

 非日常へと足を踏み入れてしまったが故の致命的失敗だった。

 

「ねぇ、お兄さん。そこで何してるの。コンタクト落としたって言うんなら、俺が手伝ってあげてもいいけど?」

 

 対象との距離、一メートル前後。

 掴み、蹴り、殴ることが出来る間合い。それと同時に、逃亡を許さない不退転の陣。

 そんな位置にあって、彼は黒い人型に話しかけた。

 

「夜中にそんなカッコでさぁ…………何、お巡りさんのお世話になりたい人?」

 

 これは、近づいてから分かった事だが。

 黒い姿の正体は、フードまで目深に被った黒いレインコートだった。背丈は彼と同じ程度、或いは少し低いか。

 間合いまで近づいた彼に、一瞥もくれてやる事なくそこに立つだけ。聞こえていないのか、無視しているのか。彼は後者と直感した。

 そして同時に、それが不愉快だとも。

 

「ねぇ、もしもーし。聞こえてるでしょ?」

 

 掛ける言葉に怒気が籠る。

 深夜の住宅街に現れた不審者というのだから、さぞ面白い存在なのだろうと思っていたのに。

 蓋を開ければ、声も態度も返さない、意思のないガラクタのような黒いレインコート。

 これでは拍子抜けもいいところだ。……つまらない。

 

「はぁ…………もういいよ」

 

 ため息を一つ。吐き捨てるような言葉と共に彼が横を通り過ぎようとした、その瞬間。

 

「────オマエ、赤羽業だな」

 

 しゃがれたような、曇ったような声を聞いて、彼は深い笑みを溢す。ああ、こいつも俺の玩具なのか、と。

 

「そうだけど。だったら何?ヤるなら早くしようよ」

「赤羽業。オマエの暗殺の仕方は、看過できん」

 

 彼は少しばかり、眉根をよせる。

 今、このレインコートは確かに『暗殺』と言った。

 という事は、あの教室の何たるかを知っている存在なのだろう。

 少なくとも、今日起きた暗殺の結果を、この時点で知っていられる程度には近しい存在だ。

 

「アンタ、あそこの関係者なんだ」

「アレを先生として殺すような言動は慎め」

「ふーん…………話をする気はないってわけ」

 

 一方的に言葉を発する人型。言語こそ介しているが、対話する気は微塵もないらしい。

 それで、センセイを殺すのをやめろ、だったか。

 

「ヤダね。ちゃんと先生やってんだもん、アイツ。

 ────勝手に死んじゃう前に、俺が殺してあげなきゃ!」

「あの殺害方法は私にとって不都合極まる。勧告する。是正の意思はあるか」

「あるわけがないじゃん。アンタにとって不都合とか、俺にカンケーないし。それで?だったらお兄さんはどうするの?」

 

 彼は顎を上げ、見下すように言葉を紡ぐ。

 けれど、ポケットから手を引き抜いて、握り込む。

 レインコートの、次の一言を待つ。

 開戦の合図はたった一つ、殺す、と。それだけだ。

 

「ならば──────殺す」

 

 刹那、彼の身体が簡単に吹き飛ぶ。

 まるでグラウンドに白球が転がるが如く、赤い髪が流れていく。

 血走るような痛みを抱え、絶えず咳き込んだ。

 

「カッ────、ハ……!」

 

 彼の腹部に抉り込まれたのは、鋭い蹴り。

 しかし普段の彼であれば、簡単に避けて見せたであろう一撃。

 それを何故、モロに食らってしまったのか。

 あの一瞬、殺すという言葉に含まれた本物の殺意が、彼の思考を漂白したのだ。

 回避はおろか、防御も、そして受け身すら忘れてしまう程の冷たい殺気。彼は、この痛みを以て理解した。

 

 ──────自分は今、殺されかけているのだ。

 

 膝をつき、よろよろと立ち上がる。

 黒いレインコートは、その場から一歩も動いていなかった。

 いくらでも追い討ちは出来たはずなのに。

 その事実が、彼の神経をさらに逆撫でする。

 

「やってやるよ」

 

 逃げるなんてしない。今ここで、目の前の存在を叩きのめす。

 そう考えるよりも早く、彼は駆け出していた。

 驚くべきスピードで黒いレインコートとの距離を詰めていく。

 手足の長さと、先程の突くような蹴り。

 彼は対象の間合いを既に把握していた。

 故に。彼は間合いの半歩外で跳躍する。

 

「────ホラッ!」

 

 空中で回転をかけ、斬りつける様に足を振り下ろす。

 狙うは首元。炸裂すれば、まず入院は避けられない一撃。

 それを、首からの距離約三センチ。

 身を逸らすようにして、紙一重で回避する人型。

 

 ────だが、彼はそれを読んでいた。

 

 着地した彼は、勢いを殺さず、蹴りに放った足を軸としもう片方の足を相手の腹部に突き上げた。

 渾身の後ろ回し蹴り。足に伝わる衝撃、確かな手応えがそこにあった。

 

「──────、」

 

 対して、それを食らった黒いレインコートは、よろけ、膝をつき、彼に背を向け体を丸めた。

 間違いなくクリーンヒット。

 次に立ち上がるまで、最低でも十秒は必要な一撃。

 彼はその隙を見逃さず、更なる攻撃を仕掛けんと接近する。

 

「アンタの敗因はさぁ、最初に一発入れた時点で、追い討ちするか逃げるかしなかった事!」

 

 先程よりも小さな跳躍。

 けれど、振り上げられた脚は、さながら斧のように。

 鋭く落下していく踵。狙いは頭部の一点。

 濃密な殺意と共に、彼は自身の勝利を確信した。

 

 ──────しかし。

 

「な────ぁ、!?」

 

 彼の顔に吹き付けられた謎の煙。

 それは、隠された手元からの魔の一撃だった。

 

「が…………ぁ。な、な…………ん、だ。こ、れ…………?」

 

 激痛に歪む視界。

 悲嘆に暮れているでも、感動に打ち震えるでもなく、ただ涙が溢れて止まらない。

 身体中の水分が涙腺へと集まっていくような感覚。

 地に這いつくばり、呻く事しか出来ない彼とは対照的に、黒いレインコートは、何事もなかったかのように立ち上がる。

 そのフードの中には、特徴的なシルエット。

 間違いなくガスマスクだ。恐らくは初めからこのつもりだったのだろう。シャカシャカと振られるその右手には、とあるモノが握られていた。霞んだ視覚では判断がつかないが、アレは。

 

「その通り。催涙スプレーだ」

「ふ────く、ぅ…………ガァ!」

 

 彼は立ち上がり拳を放った。が、それは精彩を欠いた等というモノですらなく。

 レインコートの男はそれを簡単に回避し、あまつさえ手痛いカウンターを入れる。

 

「────、ぁ、」

 

 パチンと。男の拳が、ガラ空きの顎に掠る。

 火花が散る脳漿。身体がもう一度地を這った事に気がついた。

 黒に染まる視界、白濁していく意識は、しかし。外部からの刺激によって引き戻される。

 

「────っづ……ぁ」

 

 催涙スプレーで、また新たに痛みが更新されていく。

 顔を拭う力すら四肢に入らない。ただ体液が垂れ流されていく。

 

「その状態で聞け。オマエは私に殺される以上、その理由を説明する義務が、私にはある。もっとも、それでは半分も耳に入らないだろうが」

 

 それでも聞け、とくぐもった声の黒いレインコート。

 

「────私にとって避けるべき事象は二つ。アレが先生でなくなることによって起こるE組の殺害、或いは期日を待たずしての地球破壊だ」

 

 滔々と語り出す声が、彼には遠い物のように感じ取れる。

 

「前者は比較的穏当だ。なにせ、アレが先生として死んだ時点でその場にいた生徒が死ぬ可能性が高いだけ。その後の暗殺は事実上不可能だろうが、どの道この星は来年の三月には滅ぶ」

 

 一切問題ない、と嗤う黒いレインコート。

 一方彼には、やはりその言葉の殆どが届いていない。

 

「と、なれば。やはり重要なのは後者だ。

 ────例えアレが教師として死んだとしても、その権能が死ぬ事はない。…………当然だ。教師が神話生物なのではない、神話生物が教師をやっている、ただそれだけなのだ。

 教師としての顔を無くしたアレがただの地球を破壊する神話生物と化すのは目に見えている。教師として死んだその瞬間、その場で権能を用いて世界を破滅に導く可能性さえある」

 

 教師としてアレが死ねば地球が壊れる。

 その前にアレを殺す必要がある。

 しかしヤツを殺す事は出来ない。

 謂わば、どうにもならないものをどうにかしようとしたのだ。

 死ぬより他にないものを生かし、死なぬモノを殺そうとしている。だが、そんな大事を成すのは人間の領分ではない。

 

 故に、どうしたか。

 

「────よって発想を逆転させた」

 

 止められない結果を止めたいならば、その原因を潰せばいい。

 例えば、物がいつか壊れるというなら、まずそれを作らなければ良い。命が消えるのであれば、初めから産まなければいい。

 この場合、地球の早期破壊という不可避の果につながる因を消滅させる。それ即ち。示すところとは。

 

「オマエを殺す事にしたんだ、赤羽業」

 

 彼は、語られる言葉の一割すら理解出来ずにいた。

 今彼がわかっている事はたった一つだけ。

 自分が今から、目の前の存在に殺されるということだけだ。

 

「オマエは恨んでいい。私も、これが理不尽とは承知しているつもりだ。……だが、遺言も命乞いも、聞いてやることはできない」

 

 声を発する気力すらなく、また、喉はこれ以上なく乾き切っていた。顔面を襲う痛みにすら鈍くなり、意識が深く沈んでいく。

 視界に、大きな足の影が映る。

 それと同時に瞼が閉じた。

 

 ────ぐしゃりと。その日、彼は初めて人の砕ける音を知った。

 

◇◇◇

 

 片膝から崩れ落ちる、重い音。

 響くような痛みが、腹部から全身へ伝播する。

 荒れ狂うような内臓のうねり。喉元まで差し掛かった吐き気を、ゆっくりと飲み下した。

 

「は、…………はー…………っ」

 

 ガスマスクの中で、薄い酸素をかき集める。

 ぼやけていた視界の輪郭が、ほんの少し鮮明に変わる。

 酸欠の頭蓋は、先のやり取りを既に過去として再生していた。

 

 ………………心底から、紙一重の差だった。

 

 オレの貰った攻撃は一度だけ。あの後ろ回し蹴りだ。

 あの攻撃自体は読めていた。だが、オレは敢えてその一撃を受けた。…………初めから、そういう想定だったのだ。

 故に、その対策があった。このレインコート下には、厚い防弾ベストを着込んである。

 マトモな中学生の蹴りなら、衝撃は兎も角威力自体はまず殺せる程のスペックの物を用意していた。

 

「だってのに…………このザマかよ…………」

 

 膝をつき、息を荒らげている今の状態は、あの一撃による物に他ならない。

 防弾ベストは、確かに蹴りの威力を削いだのだろう。

 なら、コレは単に赤羽の蹴りがその上を行っただけということ。

 たった一度の攻撃、されど、それはオレを追い詰めるには十分すぎる威力を誇っていたのだ。

 もしこれが、本当に正面切っての戦闘であれば、等と考えるだけでゾッとする。こんなモノ、二度もくらえば気絶は免れない。

 それどころか、下手を打てば死の危険すらありえる。

 

「油断してくれていて助かったぜ、本当」

 

 隙だらけの立ち姿、単純過ぎる攻撃、無警戒な安直さ。

 これらがあったからこそ、未だオレの首は繋がっている。

 もしも完全に警戒されれば、今日のようには行かないだろう。

 

「ははは…………まるで暗殺だな、おい」

 

 気休めの軽口を叩いていれば、幾分体調も回復してきた。

 大きく息を吐きながら、もう一度立ち上がる。

 眼下には、アスファルトへ倒れ伏す赤羽の姿。

 まだ辛うじて息はあるらしいが、弱り切っている事が伺える。

 これが演技、ということもないだろう。

 呼吸、力み、指先の震え。

 どれを取っても間違いなく意識がないとわかる。

 で、あるのならば。

 

 ────これ以上ない、殺害のチャンスだ。

 

 気絶した身体を掴み上げ、そっと首元に手を添える。

 徐々に、徐々に力を込めていく。

 ギチギチと絞まっていく首の筋肉。ドクドクと堰き止められる血液。元よりか細かった息が、消えていくのを直に感じる。

 ぎいいぃぃぃ…………と。音を立てて目の前の命が消えていく。

 そんな冒涜的な行動をしている自分を、どこか冷静に眺めている自分に気がついた。

 増していく、赤羽を締め上げる力。どうしてか、それが他人事のように感じ取れる。

 

 この行為に抱いているのは、失意とも、殺意とも違う、複雑な感情だ。いや、それも違う。コレは感情だなんて温かいモノじゃない。

 もっと、別の。或いは、罪という感情があるのならば、それが正しい。

 

 ────ふと、赤羽業の命の根幹に触れた感触がした。

 熱く、か細い一本の線。

 これを手折れば、この男は死ぬだろう。

 道端で花を摘むが如く、少し力を込めれば、あっさりと。

 躊躇いはない。当然だ。それを覚悟しての行動だったし、それをする為にここに居るのだから。

 それに、なにより。

 

「────██、████、█████████」

 

 そう言って、トドメの力を加えようとした、その刹那。

 

 ──────白磁の指が、オレの肩を叩いた。

 

「っ、────!?」

 

 思わず赤羽を突き飛ばし、背後に振り返る。

 けれど、そこには誰もいない。

 期待した少女も、期待外れの赤の他人も。何者もそこに居なかった。

 人気のない街道には、ただ薄く霧が漂うだけ。

 確かに肩へ乗っていた熱が、魔法のように融解けていく。

 誰もいない暗い道路を、ただ見つめる。

 この一瞬に、遠い在りし日の銀糸を垣間見た。

 

「…………なん────づぁっ!?」

 

 それに一秒遅れて、脳内に閃光のような痛みが走る。

 そして同時に、オレは己の失敗を悟った。

 今の痛みは、魔力を扱う秘技…………魔術の代償。

 その魔術が解除された瞬間に、その分のフィードバックが現れるのだ。

 つまりコレは、事前に使用していた魔術の効果を切らしてしまったという事に他ならない。

 

 今夜オレの使った魔術は、“霧”を応用した結界だ。

 外からは入れず、中からは出られないオーソドックスなもの。

 シンプルな魔術だが、これには欠点が一つある。

 外からこの“霧”に入ったモノは、その座標が曖昧に変わる。

 初めから“霧”の中にいたモノは、霧の中で曖昧に。

 外から“霧”へ入り込もうとしたモノは、その境界で曖昧になる。

 それゆえに術者は、魔術を解除する際に、必ず座標の固定化を行う必要がある。…………が、それをせずに魔術を解除すれば、霧のあった座標にランダムに迷い込んだモノが出現する。

 

 即ち、何が起きるかといえば。

 

「あれぇ…………おっかしいな、確か道はこっちで…………て、えええ!? き、君達一体、こんな場所で何を!」

 

 こうして、遭難者が目の前に現れる事があるのだ。

 

「そ、そっちの子は………………、ッ!

 巡査部長、事件です。不審人物一名、及び倒れ伏している少年を発見。至急応援を。場所は────」

 

 それも、よりにもよって警官とは、オレもついていない。

 

「大人しくしろ。両手をあげて、ゆっくりとこちらに来い」

 

 向けられる黒い銃口。

 すでに応援を呼ばれている。仮にこの男を始末した所で、まず間違いなく逮捕される。

 チラリと赤羽の方に目線をやる。

 未だ息があるらしい。殺害と撤退、天秤にかけたのは一瞬の事。

 

 …………残念だが、ここが潮時だろう。

 

 殺せてもいないのに、警察に捕まるなんてごめん被る。

 残る魔力で、強引に魔術を起動させる。

 血流を紫電が走るような感触。

 瞳の奥で花火が散ったと同時に、辺りに勢いよく“霧”が立ち込めだした。

 

「こ、これは…………」

 

 警官が困惑している隙に、この場の全員の座標を置き換える。本当なら赤羽はオレと同じ座標に送りたいが、魔力と時間が足りない。

 そもそも、もう生きている“霧”があまり多くない。

 先程、魔術を解いてしまった影響で、既に“霧”の八割は消滅している。下手な場所に出れば、この状況が再演されるのは想像に易い。

 そのため、各人の相対位置のみを可能な限り引き上げる。

 視界が灰色に染まっていく。

 警官の声も、街頭の灯りも遠くなっていき、そして。

 

 そして──────魔術は解除された。

 

◇◇◇

 

 以上が、あの夜に起きた出来事の全てだった。

 正直、思い出すたびに悪態が出そうになる。

 “霧”を使った結界。反撃に備えた防具。

 強力な催涙スプレーと、使用こそしなかったが、気絶させる為のスタンガンも用意していた。

 間違いなく準備は足りていた。確実に殺し切れるだけのモノがあった。……事実、殆ど理想的に事態は運んでいた。

 

 ────しかし結果は失敗に終わった。

 

 姿を晒し、魔術まで使ったというのに殺しきれなかった。

 全ては、あの一瞬。下らない感傷で、全てを台無しにした。

 

「あぁ、クソが…………」

 

 思わず天を見上げてしまう。

 白い雲が流れる、視界いっぱいの初春の青空。

 涼しげな風は、さながらオレを励ましているようだった。

 それを不愉快だと切って捨て、変わらず傾斜を歩き続ける。

 

 ここは椚ヶ丘中学校の敷地内。

 E組専用の隔離校舎を構える、小高い山。

 その中の、道とも呼べない場所を、オレは歩いていた。

 木々を躱し、根を踏み越え、小さな崖を飛び越える。

 踏みならされていない角度のついた大地が、容赦なく体力を奪い去っていく。

 そろそろ次の休憩を取ろうか、と考えた頃、丁度良く二つ並んだ樹木が見えた。

 滑り落ちないよう、慎重にそちらの方へと歩みを進める。

 近づいて見上げれば、どちらも目算十メートルほどの高さ。

 

「幹の太さも…………問題ないか」

 

 用意しておいたワイヤーを取り出す。

 開始したのは罠の設置だ。催涙スプレーを用いたブービートラップを仕込む。

 だが、それは殺せんせーを対策したモノではない。

 対先生用物質を使用しない、対人用トラップ。

 ────言わずもがな、赤羽業を想定したモノだ。

 頂点を少し過ぎて、僅かに傾き始めた太陽がジリジリとオレの体温を上げていく。

 

 汗を拭い、丁寧に罠の設置に勤しむ。

 今日はガスマスクを用意していない。一度自分にも催涙スプレーを吹きかけた事があるが、アレの痛みは尋常じゃないのだ。

 雑な仕事で自爆するなど洒落にならない、と集中して事に挑む。

 

「………………ふぅ」

 

 全工程は、意外にも五分程度で終了した。

 立ち上がって伸びを一つしてみるが、どうも肩の凝りが取れない。何故だろう、と首を傾げてみるが、思い返せば当然だった。

 現在時刻は午後三時を少し過ぎた頃。

 今朝方六時過ぎから始めた作業なのだから、殆ど丸一日この作業をしていることになる。

 しばしば休憩をとっているとはいえ、山の環境はそれ以上に体力を奪い去っていく。

 正直に告白するなら、足が棒のようだ。

 

「仕掛けた罠は、これで二十三個目────そろそろ休憩を入れてもいい頃か」

 

 今日一日で、ずいぶん仕掛けたものだと大きく息を吐いて、辺りを見回す。どこかに平坦で開けた場所があれば良いんだが。

 横になれる、とまでは言わないから、腰を下ろせる程度の場所が欲しい。……と。

 現在位置より五十メートルほど先に、切り立った崖が見えた。

 あの分なら、その下は平面になっているだろうと予想できる。

 体に軽く鞭を打ち、緩やかな傾斜を登っていく。

 退屈になった脳内で、次の殺害計画を練りはじめた。

 

「…………やっぱ、昨日殺りきれなかったのは痛いな」

 

 何度目かもわからない悔恨の言葉が口から漏れる。

 あれが最大のチャンスだったのは疑いようのない事実。

 あれ程の油断、あれ程の奇襲は、今後まず起きない筈だ。

 もう一度赤羽を殺すと言うのなら、より策を練る必要がある。

 事と次第によっては、“霧”以上の魔術を使う必要さえ出てくるのかもしれない。

 

「流石に考えたくはないが…………」

 

 昨日のあの蹴りが視界をよぎる。

 もしも奇襲で仕留めきれなければ、完全に対峙する必要が出て来てしまう。そうなれば、素のオレでは勝率は五分を切るだろう。

 仮に戦闘に突入したならば、最早出し惜しみはしていられない。

 

「確実に殺し切れるだけの奇襲策は欲しい、か」

 

 無論、そのような泥沼にもつれ込む前に、仕留めるのが理想的だ。が、しかし、当然ながら赤羽も警戒している筈。

 初撃を回避され、戦闘となってしまう可能性は否定しきれない。

 

「やっぱもう少し罠はいるな。休憩の後、もう暫く篭らなくちゃか」

 

 オレが今日の学校をサボってまで細々と罠を張るのは、一重に確実な殺害のため。もし次も失敗すれば、まず間違いなく足がつく。

 今回で手札を使い切った場合、最早手立てがなくなるのだ。

 よって、用意などいくらあっても足りはしない。

 

「…………だが、時間をかけすぎるのも問題だ」

 

 なにせ、殺せんせーの沸点など知るわけがない。

 いつ爆発するかわからない爆弾なら、早いうちに導火線を切っておくのが吉。

 故に、決行は明日の朝以降。

 赤羽が登校したタイミング。

 “霧”で結界内に閉じ込め、奇襲と罠で確実に命を奪い去る。

 それまでに地球が崩壊するかは…………祈るより他にないだろう。

 

「祈る神なんかいないけどさ────っと。あぁ、着いた」

 

 思考の整理がついたところで、開けた場所に出た。

 目の前には大きな崖と、穴が空いたように木々の薄い大地。

 見立て通り、一休みするには都合のいい場所だった。

 崖に背を預け、どかりと腰を下ろす。

 脱力感から、一度深呼吸をした。マイナスイオンたっぷりの空気も、いい加減に眩暈がする。

 風に木々がざわめくのとは対照的に、オレはじっと固まって回復に努める。揺れ動く影を見つめながら、不意に思う事があった。

 

「…………オレ、何してんだろ」

 

 己の行動を、つい客観的に眺めてしまう。

 親愛を持つべきクラスメイトに対する誘拐、暴行、殺人未遂。

 どう言い繕ったって普通じゃないオレの姿。

 例えそれが退っ引きならない事情の下の行動だとしても、普通の人間は、こうも緻密に殺人の計画を立てたりしない。

 

 平凡とか、平穏とか、平常とか。

 ついこの間まで…………いや、違うか。今でもオレはそう言ったものを何より尊んでいる。その癖に、こんな凶行に走っている。

 日常を愛する心で、非日常に身を置いている。

 なんて矛盾なんだと、背筋が凍る。

 なにより、その矛盾を良しとしてしまう自分自身にゾッとする。

 

「でも、仕方がないじゃないか」

 

 オレの人間性なんて、とっくの昔に品切れだ。

 ヒビの入った人格が、今なお身体を動かしているだけ。

 ただオレと言う人間を再生するだけの、壊れた機械構造。

 いつかやってくるエネルギー切れを、微睡むように待っている。

 けれど、深淵に取り残された崩れかけの心臓だけが、破滅へ駆けろと叫ぶのだ。

 

 ────そんな状態で、今もこうして生きている。

 だから時々、我に帰って思ってしまう。

 こんな。こんなモノ。こんな矛盾を抱えて生きると言うのなら。

 もう、オレは、とっくに、狂──────

 

「────は、」

 

 沈んだ意識が浮上した瞬間、加速度的に大きくなっていく影に気がついた。バッと空中に顔を上げれば、自由落下する人型が一つ。

 思考が停止したのも束の間。

 脳内回路は、事態を解決する為に動き出した。

 対象との距離は、オレの頭上およそ十メートル前後。

 着地までの時間は、そう長くない。

 短い時間で、手立てを考える必要がある。

 

 ……受け止めてみるか?

 

 いや、不可能だ。仮に体重を六十キログラムと仮定して、それが十メートル以上の自由落下をしたとする。

 それを受け止めようとすれば、下手したら元の体重の数倍の衝撃を食らうことになる。

 間違いなく、オレごと潰れて終わりだ。

 

 ……なら、衝撃を和らげるモノはないか?

 

 残念ながらそんな物はなかった。手元のカバンにあるのは、ワイヤーと催涙スプレー、それから少量の火薬が精々。

 間違っても柔らかいクッション等は、持ち合わせていない。

 

「く、手詰まりかよ……!」

 

 気がつけば、最早回避もできない距離。

 加速し切った肉体は、さながら槍のように。

 オレを押し潰さんとする誰かを前に、右腕を突き出して────

 

「えっ…………」

 

 その声を発したのは、一体誰だったのか。

 ────刹那、黄色い触手が眼前をよぎった。

 突然の出来事に、体勢を崩し転ぶように座り込んでしまう。

 目の前には、網状に張られた触手と、それに受け止められた赤い髪の少年。

 

 …………これは、一体。

 どういうことだ、と困惑するオレを他所に、触手が少年に語りかける。

 

「カルマ君。自らを使った計算ずくの暗殺、お見事です。 音速で助ければ君の肉体は耐えられない。かといってゆっくり助ければその間に撃たれる。

 ──────そこで先生、ちょっとネバネバしてみました」

 

 触手の中で少年がもがく。が、トリモチにでも触れたように身動きが取れていない。

 特に右腕を動かそうとしているらしいが、そこに握られていたのは黒い拳銃。驚くべき事に、オレはそのデザインに見覚えがあった。となれば、自然、この触手の正体にも気づくというもので。

 

「赤羽に…………殺せんせー…………? な、何やってんの、こんな所で」

 

 自らを完全に棚上げした言葉だが、その中に含まれた困惑は本物だった。思わず敬語が抜けてしまう程度には。

 

「おや、おはようございます秋野君。私は見ての通り、暗殺者の手入れなどを。すみませんが、お相手はもう少し後でも?」

「え、あ、はい。オレは良いんですが、その。そっちの赤羽の方、大丈夫なんですか?」

 

 銃持ってますけど、と指摘してみる。

 しかし殺せんせーは余裕そうな顔で笑う。

 

「問題ありません。先生が物理的に粘着しているのでね。 ヌルフフフフ。これでは撃てませんねぇ、カルマ君」

「クソッ、なんでもありかよ、この触手!」

 

 悶えながら悪態を吐く赤羽。

 状況から察するに、彼は暗殺に失敗したらしい。

 どの様な暗殺だったのかは、どうにも見当がつかないが。

 そして殺せんせーが「あぁ、ちなみに」と加えて言葉を紡ぐ。

 不意に、その表情が温和なものになった気がした。

 

「見捨てるという選択肢は、先生にはない。

 ──────いつでも信じて、飛び降りて下さい」

 

◇◇◇

 

「カルマ君、平然と無茶したね……」

「え、なに。まさか自分で飛び降りたの??」

 

 崖下での一幕から少し経って。

 殺せんせーによって崖上まで連れて来てもらったところ、そこには渚君が崖下を覗き込む形で待っていた。

 彼に話を聞いたところ、赤羽は暗殺のためにここから飛び降りたらしい。なるほど、『自らを使った計算ずくの暗殺』だと思う。

 だが、結果は先の通り。殺せんせーには通用しなかった。

 しかし暗殺に失敗した当の赤羽は、スッキリとした顔付き。

 

「あーあ、今のが考えていた中じゃ、一番殺せると思ったんだけど。しばらくは大人しく計画の練り直しかな。

 ────少なくとも、“先生”としては、殺せなさそうだし」

 

 一瞬、身動きがピタリと止まってしまう。

 自らの動揺を理解して、それを気取られない様に、取り繕う。

 赤羽と殺せんせーの物騒な会話を横目に、いくつかの単語が脳裏をよぎった。

 ソレは自分の意識ごと沈み込んでしまうような感覚を伴って、ドロリとオレを包み込んだ。

 ふと、遠くなった聴覚が揺れる。

 

「それで、秋野はなんであんなところにいたの?」

 

 中性的なハスキーボイス。渚君の声だった。

 

「ん?あ、あぁ、そっちの話終わったのか。 オレは今日は、アレよ。人生という名の通学路に迷っててさ」

「人生という名の…………それってシンプルに迷子だったって事?」

「は、いいや?決して迷子なんかじゃないが!?」

「そこで意地張るのもどうかと思うよ、僕!?」

 

 いいや、渚君はわかってないね。

 全く、言葉は正しく使うべきだ。

 朝六時から山の中に迷い込んだんだとするのなら、それは迷子とは言わない。

 

「オレがなったのは、迷子じゃなくて遭難だ!」

「よりタチが悪い!?」

「にゅやッ!そ、遭難!?本当にそうなんですか秋野君!」

「ええ、実はそうなんです!!!」

「とんでもなくサムいやり取りだよ秋野君!」

 

 やいのやいのと騒ぐ人間二人と超生物一匹。

 赤羽が、呆れて物も言えない、という顔でこちらを見ている。

 ……取り繕いはこんな所で良いだろう。

 これでオレの不自然な態度は塗り潰せた。行動に関しても、まぁ。恐らくはシンプルなバカの行動として処理されるだろう。

 

「…………ま、秋野の冗談にならない冗談はさておき。 帰ろうぜ、渚君。ついでにメシ食ってこーよ」

 

 秋野も来るだろ?と言った彼の右手で弄ばれるガマぐち財布。

 どうにも見覚えがある気がするのは何故だろう。

 そう、この前先生がソレをみてため息をついていたような。

 

「ちょッ!それ先生の財布!?」

「だからぁ、職員室に無防備で置いとくなって────」

 

 騒がしく歩き出した彼らの、一歩後ろをついていく。

 その背中を見て、思う事が一つだけ。

 もしかして、なのだが。いや違う。これは確信だ。

 

 オレは、間違いなく────必要のない殺人を、しようとしたのか。

 

 瞬間、胃壁が荒波の様に蠢き出す。

 頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回されるような感覚。

 もう暖かくなってきたというのに、何故か鳥肌が止まらない。

 喉元までせり上がった、焼けるようなナニカ。目元に集中し出す、熱を帯びたナニカ。それらを、何食わぬ顔で飲み下す。

 至って正常だと気取り、内面の一欠片すら見せないように、心を塞ぐ。

 こちらに目を向ける存在はない。オレの様子に勘付く存在はない。…………だから不意に、邪念が零れる。

 

 ────そうだ。このまま、あの夜を無かった事にしよう。

 

 だってオレは、何も進んで赤羽を殺したいわけでもなし。

 赤羽があのやり方を止めるのなら、それはそれでいい。

 あの一度の邂逅では、どうせオレまでは辿り着けない。

 冷静に考えてみれば、これ以上オレが何をする必要もないのだ。

 

 赤羽を殺そうとした事実はオレの中にしこりとして残るが、ただそれだけ。ここから先は、ただのクラスメイトに戻るだけだ。

 それを残酷だと思うと同時に、酷く心が安らいだ。

 少し早足で進み、何食わぬ顔で彼らの横に立って歩く。

 

 この暗殺教室は変わらない。今日も、明日も、明後日も。

 滅びの約束された、この場所で。未来をどうして過ごそうか。




 カルマ君殺害未遂事件。プロットにないぞこんな話。

【秋野 空】
 STR:13 CON:6 POW:17 DEX:18
 APP:12 SIZ:12 INT:14 EDU:10

 HP:9 MP:17 SAN:33 db:+1d4

【技能】
 回避:82 隠れる:50 追跡:50 目星:60
 聞き耳:60 説得:50 図書館:50 心理学:85
 精神分析:5 クトゥルフ神話技能:25

【魔術】
・ルルイエの霧の創造
・██を███
・█████の██
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