Q.一般探索者が黄色い触手を見た場合の反応を述べよ 作:お前の母ちゃんシュブ=ニグラス~!
やっぱりみんな暗殺教室好きなんですね。僕も好きです
「〜♫」
柔らかい土を踏み鳴らしていく音。
暖かくなった風を肌に感じながら、うろ覚えの歌を口ずさむ。
先週よりも少し増した気温が、季節の移ろいを感じさせる。
溢れそうになる欠伸を噛み殺し、代わりに深く息を吸った。
「────、──────!」
緩やかな下り坂を歩み、遠くの空へ目線を投げる。
さらさらと流れていく、真っ白な雲。
その先にあるのは、貫かれたような青白い三日月。
月の惨状が発見されてから、凡そ一ヶ月。
暦は、今日をもって五月も半ばへと突入した。
「──────、──────!!」
マスメディアも、いい加減この辺りの話には飽きたのか、或いは大衆にとって日常と化してしまったのか。
どうあれ最近は、月のニュースもめっきり見なくなった。
最近はもっぱら、メジャーに行った野球選手────有田といったか────の動向などが流行りらしい。
この分では、来月頃には月についての報道は完全になくなるだろう。
とはいえ、それも当然と言えば当然なのだろう。
当時は"我々は今後、三日月しか見られないのでしょうか!?"とか報道していたけれど、冷静に考えて三日月しか見れなくなった所で、不便な事とか一切ないし。
実際問題、月がなくなって困る人間とか見た事がない。
人間の順応とは、思いの外早いもので。
それで苦労が生まれることでもないなら、こういった異常事態も、案外日常として受け入れられるのだ。
…………例えそれが、有史以来の大事件の産物だとしても。
「──────ちょっと!!!アンタ早すぎよ、ぶっ殺されたいワケ!?」
小さく感傷に浸っていれば、突如後方から響く、やたらと物騒な絶叫。
振り返って、およそ十メートル先、地面にへたり込んだ影が一つ。
肩で息をして、けれど真っすぐにこちら側を睨む、金髪碧眼の美女の姿があった。
街中を歩けば、老若男女問わず誰もが振り返ってしまうような、巨乳美女。
そんな彼女を前にして俺がときめかないのは、向けられた銃口と、その残念な人間性によるところが大きい。
故に呆れ交じりに、言葉を紡いだ。
「だからヒールはやめとけ、って言ったじゃないですか」
「う、うるっさいわね、これは私の女としてのアイデンティティよ。これを無くす位なら死んだ方がマシってものなの!」
「かっこいいセリフですけど、そんな小鹿みたいな足腰で言われても…………」
「いいから!男ならエスコートの一つでもしてみなさいよ、絶世の美女よ、ホラ!!」
「…………はいはい」
ホールドアップの構えで来た道を戻れば、ようやく銃口を下げる女王様。
なんとも横柄極まるが、それが彼女らしいとも思えて、少し笑ってしまった。
イリーナ・イェラビッチ。
五月の頭に編入してきた、E組の外国語担当教師。
見ての通りの美人で愉快で怖いお姉さんで、ついたあだ名は"ビッチ先生"。
…………というのは、表の顔。
その実態は十ヵ国語以上を手繰るハニートラップの名手であり、暗殺件数二桁を超えるプロの殺し屋。
政府からの直接依頼により、殺せんせー暗殺を任された一流の存在────なのだが。
「うう…………なんで私が、こんなぁ…………」
「泣き言を言わないでください。E組の先生になった以上、必要な事なんですから」
「わかってるわよ、言ってみただけ! というかアンタ、私に対して塩対応過ぎない!?」
「その辺りはオレに限った話じゃないと思いますが…………はい、肩ぐらいなら貸しますよ」
弱音をまき散らしながら、よろよろと立ち上がるビッチ先生。
その姿からは、凄まじい殺し屋然とした威厳が微塵も感じられない。
無論、彼女の得意とする暗殺の性質上、その手のものが不要なのは理解できる。
殺気マシマシの女性とか、どんなに美人でもお断りだろう。
なので仕方がないのは分かるのだが、それでも、こう。
もう少しなんとかならないかな、なんて考えながら、ビッチ先生を連れて歩みを再開する。
「そもそも、なんで昼休みから移動しなくちゃならないのよ、聞いてないわよ!」
「仕方ないじゃないですか。こういうの、E組の宿命ですから」
「全校集会だけ来いとか、ただの吊し上げじゃないの、気分が悪いわ」
「…………ビッチ先生、変な所で常識的っていうか、優しいですよね」
「私をなんだと思ってるのよ、アンタ!」
椚ヶ丘中学校三年E組。
多くの差別的待遇を受ける我がクラスだが、今回のこれも、例に漏れずその一環。
月に一度行われる全校集会では、山上の隔離校舎から本校舎への移動が義務付けられる。
そして尚且つ、他の学級及びクラスよりも早く集合してなくてはならず。もしも間に合わなければ、一定のペナルティが下る。
しかも、距離や足場の悪さからして、どう足掻いても昼休みを返上しないとならない徹底ぶりだ。
この学校の教育方針も、ここまで来れば、いっそ清々しい。
「…………それにしたって、こんなに早く出る必要あった? 渚達はまだお昼ご飯食べてたじゃない。
──────ハッ、まさか人気のない所に連れ込んで!?」
「中学生相手に何口走ってんですか、違いますからね」
「えー、つまんないの。じゃあ何よ、特別な理由でもある訳?」
「あのですね、先生。特筆して貧弱なオレ達が、皆の移動ペースに合わせられると思いますか?」
「それは………………確かに」
片や生まれつき病弱な男子中学生、片や仕事柄筋肉をつけられない暗殺者。
そんな手合いが、既に一月以上訓練を受けている人間に付いて行こうとすれば、どうなるか。
待っているのは比喩抜きに死である。
ヒールなんて装備していれば、尚の事。
オレの答えにビッチ先生も得心がいったのか、深刻そうに頷いた。
「────まぁ、とはいえ、無いことも無いですよ、特別な理由」
「え、なによ。まさか本当に私の事…………」
「ネタがしつけーな、このビッチ」
「オイ聞こえてんぞクソガキ!!」
おっと。オレとしたことがつい本音、じゃなくて心にもない冗談を。
取り繕いの一環として、下手な口笛などを吹いてみる。
するとビッチ先生は呆れたように咳払いをして、視線で続きを促した。
それに対して、本当に大したことじゃないんですがね、と前置きをして。
「ビッチ先生、クラスに馴染めそうかな、って」
「──────、アンタ」
「最初はE組からの風当たりも強かったみたいですし、呼んでおいてアレですけど、渾名が"ビッチ先生"ですし」
「………………」
黙り込む西洋美人。
ふと覗いた横顔は、寒気すら感じるほど均整がとれている。
言葉を発することをやめたのは、彼女なりに思うところがあったからか。
それとも或いは、こちらの言葉を待ってのものか。
どうあれ、もう一度口を開いたのは、オレの方。
「なにより、ほら────初めて会った日の事、とか」
巻き戻されるフィルム。
あれは五月一日のこと。
健康的でレトロな服に身を包んだ暗殺者と出会った日を回想した。
◇◇◇
それは、イリーナ・イェラビッチにとって、人生初にして最大の屈辱だった。
事の始まりは、十一度目の仕事を終えたあの夜。
現場から優雅に立ち去る彼女の元に、一つの依頼が舞い込んだ事が切欠だった。
依頼相手は日本政府────ひいては国際連合から。
前金はなし。だが、暗殺成功による報酬は、約一•二五億ドル*1。
そして肝心の暗殺対象は。
「────、月を殺した、超生物……?」
はっきり言えば、彼女は始め、それを質の悪い冗談の類だと考えた。
当然と言えば当然の帰結。非常識を生業にする彼女をして、その話は度を過ぎていた。
"神兵"と謳われる伝説の傭兵、"死神"と恐れられる最高の殺し屋。
こんな世界に身を置けば、幾度か耳にする与太話。
実態の伴わない、都市伝説染みた虚構。
今回のコレも、ソレと同じような嘘八百の類だと、彼女は断じただろう。
──────この依頼を斡旋した者が、彼でなければ。
ロヴロ・ブロフスキ。
その生涯において、百九十一人の殺害に成功している男。
彼はイリーナの暗殺者としての師にして、現在は暗殺業の斡旋を営む"殺し屋屋"。
そのロヴロの人となりを知る彼女だからこそ気が付き、そして確信した。
あぁ、この依頼は本物だ、と。
そう判断した理由は単純。端的に言って、彼には冗談のセンスがなかった。
寡黙にして雄弁。冷徹な合理主義。死の中に生きるという価値観。
彼を構成する要素の中には、決定的にユーモアというものが欠けている。
ロヴロ・ブロフスキという人間は、他者を騙し、欺き、殺すことこそあれど。
決して、こんなロマン溢れる戯言を口にすることはないのだ。
故に、彼女はこの依頼を受ける事にした。
莫大な成功報酬に釣られての事ではない。
金銭には困窮していないし、自身であれば、時間の経過はどうあれ、同額程度を稼ぐ事は容易い。
ならばこそ、彼女の胸中を満たした言葉は一つ。
────暗殺のプロとして、八年間研鑽を続けた技術が怪生物にも通用するのかどうか。
たった、それだけ。
"神兵"や"死神"、それ以上のフィクションを、この手で殺してみたいという、歪んだ欲望。
けれどそれは、これ上ない覚悟だった。
他者を殺すことを、己が死ぬことを、命を金に換える事を。そのあらゆるを受け入れる決意。
暗殺者たるに心を燃やして、彼女は日本へと渡り、確かにその超生物と対峙した。
そして。
結果から言えば、彼女は確かに、プロとしてできうる限りを尽くしていた。
前日時点で体育倉庫を改造、当日には暗殺対象への接近、情報収集まで完了させた。
色仕掛けが通用したのは想定外だったが、それはむしろ嬉しい誤算。
持ちうる人脈を活用し、確かに超生物を殺す手筈を整えた。
────だが。
『知っていますか? 私の暗殺者への報復は……手入れだという事を』
イリーナ・イェラビッチは現在、地に倒れ伏していた。
想起される、奇々怪々な黄色いタコの言葉。
およそ一分の間に、全ては終わった。
肩と腰のコリをほぐされ、オイルと小顔とリンパのマッサージをされ。
早着替えの結果、服装は大変レトロで健康的なモノへと変貌し。
あまつさえ、触手とヌルヌルで、あんな、名状しがたい────!?
「────許せない。こんな無様、こんな屈辱……!」
ご丁寧にも額に巻かれたハチマキを握りしめ、地面に叩きつける。
わなわなと肩を震わせる彼女の姿は、明らかに恥辱に燃えていた。
刺々しい感情の籠った声は、恐らく暗殺が失敗した点から。
虚空を睨む蒼い瞳に映っているのは、どうしようもない苛立ちだった。
ただし、その怒りの矛先は暗殺対象というよりも、むしろ────
ふと、そこまで考えて、自分の正面に影が差しているのが見えた。
見れば、それなりに手入れのされたローファーが一対。
そこから伸びる足を辿れば、一人の男子生徒がいた。
これといった特徴を持たない、ひどく凡庸な黒髪の少年。
薄く湿った肌と、小さく肩で呼吸していることから、何やら急いでいた事が伺える。
「なによ、アンタ」
八つ当たり気味の、怒気を孕んだ言葉。
未熟な自分の行動に思わず舌打ちが出そうになるのを、彼女は理性で抑え込んだ。
対して少年はと言えば、発された言葉そのものは、まるで意に介していないように。
小さく目を見開いて、それから何度か瞼をしばたかせた。
そして何かを考えこむような所作を見せ、三秒後。
「はじめまして。椚ヶ丘中学校三年E組、出席番号二番の秋野です」
なんて。馬鹿正直に、少年───秋野は自分の所属を明かした。
それに対して、彼女は少しだけ面食らってから、記憶領域を振り返る。
「…………あぁ、そういえばリストにあったわね、こんな顔」
「リスト────ってことは、お姉さんは新しく赴任してきたっていう?」
「ええ、イリーナ・イェラビッチよ。覚えなくてもいいわ、どうせすぐにあのタコ殺して終わりだから」
「その格好で言ってもあまり説得力が無いですが────取り敢えず、立てますか?」
差し出される右手。
それを取るよりも前に、彼女は今一度自分の服装を確認する。
半袖とブルマ、胸元には"イリーナ"と書かれたワッペンが一つ。
よくてコスプレ、下手をすればそういうプレイの一環といったところ。
…………確かにこれでは威厳もへったくれもあったものではない、と彼女は自嘲する。
けれど彼女は、眼前の右手を払いのけ、ふらつく足で、しかし自力で立ち上がった。
「生憎だけど、ガキの手を借りるほど落ちぶれちゃいないの」
「…………そうですか? まぁ、イリーナ先生が良いなら良いんですけど」
「あら、気安くファーストネームで呼ばないでくれるかしら、不愉快よ」
「うーん、キッツいなぁ…………それじゃあ、なんて呼んだらいいんです?」
「イェラビッチお姉様と呼びなさい。返事はハイ or わかりました、の二つよ」
イリーナからの言葉に、秋野は少しばかり悩む素振りを見せた後、
「────それじゃあ、略してビッチ姉さんで」
「センスがさっきの連中と全く同じじゃない、ぶっ殺すわよ!?」
そんな、あんまりにもあんまりな偶然を口にした。
脳裏に浮かぶのは、平和ボケしたティーンエイジャー達の顔。
突発的な反感に、彼女は思わず叫んで抗議する…………が、それも届かず。
秋野はそれっきり話を区切って、無視の姿勢。
視線は彼女から外れ、その真横の建造物に注がれていた。
「そこはどうでもいいとして、"アレ"をやったのってビッチ姉さんですか?」
「一切どうでも良くないのだけれど…………ええ、そうよ。何か文句でもあるの?」
この場における"アレ"とは即ち、隔離校舎に併設された体育倉庫の事だ。
なんてことのない、木製の倉庫。ただし、その有様は凡そ尋常ではなかった。
数百を優に超える弾痕が刻まれた外壁。
未だ硝煙の臭いが立ち込める周辺五メートル四方。
散乱する空薬莢は、ここでどんなことが行われたかを雄弁に語っていた。
だからこそ、秋野は少しばかり混乱したのだ。
「防衛省から伝達されませんでした? 対先生用物質でしか殺せんせーに傷はつかないって」
「────は、あんな玩具で生き物が死ぬなんて、誰が思うのよ」
「でも事実として、実銃の暗殺に失敗して、手入れまでされてるじゃないですか」
「それは…………次に生かすわよ」
それを口にしてから、言いようもなく自分に腹が立ったのを、彼女は自覚する。
殺し屋とは、言い換えれば奇襲を扱う職業だ。
たった一度の不意打ち、それに全霊を賭す以上、殺しに失敗した暗殺者の末路は、総じて凄惨なモノと決まっている。
謂わば、今の自分は、既に死人の様なものだ。
たまたま、暗殺対象の気まぐれで生かされているだけ。
それが言うに欠いて、次に生かす、だなんて。 ふざけた発言もいい所だ。
己が甘さに癇癪を起しそうになる。
この場で激情が表面化しなかったのは、目の前に取り繕うべき相手がいたからに他ならない。
言ってしまえば、意地だった。
「そんなに悔しいなら、クラスと同調することをおススメしますよ、ビッチ姉さん」
「──────」
不意に、彼女の正面で散った言葉。
聞き間違いと断じるべき声は、真剣な鋭さを持ち合わせていた。
紺碧の瞳が、大きく見開かれる。
どうやら自分は、思いの外顔に出てしまう質らしいと歯噛みして。
不満いっぱいに、言葉を吐いた。
「ふざけないで。この私がアンタらガキ共と仲良しこよし? 冗談でもゾッとしないわ。
私はプロの殺し屋よ、あんな玩具しか持ったことのないような連中と、仕事なんて」
「──────
無意識ながらに、息を呑む。
後退りしたくなる衝動に駆られ、それを理性で飲み下す。
本能的に、少年を観る。
やはり変わらず、特筆すべき物のない普通の中学生然とした佇まい。
強い違和感は一つだけ。
その、瞳に。 何もかも飲み込みそうな、真っ黒な瞳に、彼女は見覚えがあった。
よく知っている。
とある共通項を持つ人間特有の、どこか欠けた瞳。
それは、果たして────
「確かに俺達は暗殺開始一ヵ月のぺーぺーですが、それと同時に、どの個人よりも長くアレに向き合ってきた人間です」
「…………だったら、なによ。私に敬えって?」
それなら論外だ、と言わんばかりのイリーナ。
しかしそれを視線で制し、彼は言葉を紡ぎ続ける。
「違いますよ、そこには"利用価値がある"って事です。 世界中のどこより暗殺対象の情報が手に入って、世界中の誰よりもアレの命に近い、それがE組で、それが俺達です」
それは、先生が教え子に物を諭すような。
優しく、甘く、柔らかい言葉。
満面の笑みを携えて発されるそれは、健全な中学生にあるまじき思考だった。
「それから、政府からのバックアップがついているのも一つ。 知っていますか、烏間先生、元第一空挺団の首席だそうです。
プロには劣るでしょうが、彼から訓練を受けている以上、一定の練度も保証される」
その数なんと二十人以上、そして武器だって使いたい放題、と彼は両手を広げる。
大仰な身振りは、否が応にも彼女の視線を集中させる。
「それに、実のところ報酬なんてどうでもいいんでしょう? そういう顔です。それなら彼らに盛大に配ってやればいい、額が大きいほど、危険な行動だって決行するでしょう」
「────、アンタ」
零れ落ちた言葉は、きっと形を成していなかった。
滔々と、けれど愉快そうに、彼は異常を語った。
まるで自分事なのに、こちら側を嗤うような。
「わかりますよね、たかがプロじゃアレは殺せない。
──────オレ達全員を利用し尽くしてこそ、アンタはあの怪物を下せるんだよ」
◇◇◇
「あの日のアンタ、心底邪悪って感じだったわ…………」
「ぐっ…………。わ、悪かったと思ってますよ」
時刻は現在へと立ち返る。
いつの間にか緩やかになった坂道が、行軍の終わりを予見していた。
そんな最中で、隣から発せられた声に、頭痛を覚える。
春先の昼下がりに送った、助言とも呼べないような助言。
しかしそれは、生徒からの好感度が並以上の時の考え方だった。
ビッチ先生の英語の時間に突入した時、オレは甘んじて己が失敗を受け入れた。
端的に言えば、死ぬほど嫌われてたのだ、この人。
しかもさらに、さらにである。
根本的に好感度が足りない癖に金銭で釣ろうとして、あまつさえE組共通の地雷を踏みぬくとか。
暴動が起きる中、本格的にミスった、と頭を抱えたのは未だ記憶に新しい。
言い訳をするなら、オレ自身当時のあの人があそこまで疎まれているとは思わなかったのだ。
だって、初めましてが体操服で倒れ伏しているところから、とか。
どう転んでも、面白お姉さんだと思うに決まっているのだ。
実際ナチュラルにビッチ姉さん呼び受け入れていた辺り、大分ノリも良かったし。
「いや、本当に悪いことしたなって思ってるんですよ、だからこうして気に掛けるなどを……」
「その割には随分と楽しそうに喋っていたけれど」
「…………うぐぐ」
生き恥を承知で言い訳を重ねるのなら、当時のオレは完全に疲弊していたのだ。
遅刻確定の中、ゆるゆると登校していれば、秒間数千発はあろうかという、けたたましい銃声の嵐。
それが目的地の方からするのだから、当然焦る。
銃声が鳴りやむまで、おおよそ一分。
その間に移動した距離、ざっと五百メートル。
急激な全速力に、体内の環境はぐちゃぐちゃだった。
あの状態で、破綻せずに誰かと会話できたこと自体、半ば奇跡といった所。
とはいえ、教唆が教唆である以上、一定の責任は生まれる。
赤羽の件とは違い顔が割れている関係上、憂鬱なことにある程度の事はしなければ。
オレが難しい顔でうんうん唸っているのが面白かったのか。
ビッチ先生は、クスッと笑いだして、
「そんな顔しなくても、自分の失敗を他人に押し付ける真似はしないわよ。ましてガキに」
実にカラッとした微笑みで、あっさりオレから責任を取り上げた。
「いい?あの日の私の失敗は、プロであることに固執し過ぎたこと。その責任は私が負うべきもので、他の誰にも干渉される筋合いはないわ。
──────これは、イリーナ・イェラビッチとしての矜持よ」
先ほどまで弱音ばかり吐いていた人間とは思えない言葉。
人はギャップに弱いというが、いやはや、しかし。
「…………不覚ですね、ちょっと効きました」
「あら、そう?惚れてもいいのよ」
「ビッチはちょっと…………」
「クソガキ」
それから暫く、深い沈黙が続いた。
足が進んでいくにつれ緑の囁きは目減りして、代わりに、遠く騒々しい人の音が耳に入る。
おそらくは、あと五分とせずに本校舎へと到着するだろう。
スマホの時間を確認してみても、十二分に余裕がある。
胸中で漂う迷いは一つだけ、残り時間はそう多くない。
しかしどうやってコレを切り出そうかと、思案したのがこれで六度目。
ふと、横を見れば、パチリと。紺碧の視線と交差した。
きっと一瞬。互いが何を思ったかは重要ではなく、ただ、そうある事が必要だった時間。
先に声を上げたのは、彼女の方。
「──────それで、本題は何?」
一度も止める事のなかった歩みが、ついに止まる。
骨も、筋肉も、肺も。身体は万事至って正常。
それなら、立ち止まってしまった理由は一つだけ。
その言葉の意味を、正しく理解してしまったからに、他ならないのだろう。
一方の彼女は、二歩三歩と先を行って、そこでようやく停止した。
ふわりと振り返った彼女の眼は、真実絶対零度のソレだった。
「気づかれないとでも思っていたのかしら。だとしたら自己分析が甘いわね。貴方、そもそも他人を慮るような人格じゃないでしょう。
それがこんな真似をすれば、裏を疑わない方がおかしいってものよ」
彼女の言葉は、完全に的を射ていた。
その通りだ。一定の責任感はあったにせよ、ビッチ先生の進退なんて、本質的にはどうでもいい。
或いは仮に身体機能が理由ならば、他にも誘うべき生徒はいたはずだ。
オレの目的は、誰の邪魔も入らない状況で、彼女に一つの質問をすること。
「ビッチ先生はさ、殺し屋だから、何人も人を殺したことがある訳だろ?」
「…………そうね。過去十二人の人間の命を、この手で奪ったわ」
返ってくる声は固い。
太陽が翳る。黒い風がはためく。
それはまるで、いつかの冬のような。
心を凍てつかせる、記憶の残滓。
「それじゃあ、さ──────」
撃鉄を下すように、それを口にした。
「──────
「………………」
それに答える言葉はない。
きっと刹那の間、或いは永遠だった。
物言わぬ空間は時間を止め、色彩のすべてが意義を失う。
呼吸も、音も、声も止まる。けれどそれは錯覚だと、オレは知っている。
脳に焼き付く幻覚に耐え、いつか来るであろう答えを待つ。
「────、!」
「それは、ね」
固く閉じられていた門が開く。
「────、!────、!!」
「わた、し、は」
「────、! ────、!! ──────、!!!」
「…………、?」
ふと我に返れば、この場になかったはずの異音。
そこはなにか、強い感情が込められているようにも聞こえて。
よくよく耳を澄ませてみれば何か体系だった言葉であるとわかる。
そしてそれに伴う、土砂崩れにも似たこの音。
不明な音源を探ろうと、来た道に視線を送ってみる。
……。
…………。
………………なんか、なんかいる。
いや、いるんじゃない、凄まじいスピードに乗って、ソレはこちらに接近してきていた。
全長はおよそ百七十センチほど。
二足歩行に、椚ヶ丘の制服、そして野球部より野球部然とした坊主頭。
しかし、それもよく見れば全身濡れ鼠状態。
さらにその肢体には何体もの蛇を巻き付け、周囲には怒れる蜂が集っている様子。
極めつけには人間大の大岩にまで追いかけられていると来た。
この世の不幸の権化と化したその男は、何やら悲鳴にも似た絶叫をまき散らしていた。
「ウオオォォォォ!!!!秋野ォォォ!!!テメー!!!ビッチ先生と二人きりとか羨ま…………あ、ちょ、やばぁぁ──────!?!?」
「「お、岡島ァァァァ!!!!!」」
訂正しよう。似た、ではない。確かに悲鳴だった、男の醜い嫉妬だった。
断末魔が風を伴って通り過ぎる、一秒。
残像さえ許さない速度を以て、眼下の本校舎側へと消えていった。
「………………」
「………………」
取り残され、残響すら遠く、沈黙が顔を出す。
互いに顔を見合わせ、溜息を一つ。
すっかり興が削がれたという顔のビッチ先生。
ここに鏡はないが、きっと俺の顔つきもそんなところだろう。
示しあうことも無く、また歩みを再開する。
まぁ、生きていれば、また話を聞く機会はあるのだろうし。
どうせ急ぎでもないのだし、それで事を解決できるかも怪しいし。
────また今度、と切り替えて、本校舎へと足を踏み入れるのだった。
ここで皆様に、謝罪しなくてはならないことが一つございます。
本作品では、お話の展開、及び設定の都合上、木村正義氏が存在しないことになってしまいました。大変申し訳ございません。
暗殺教室が群像劇にも似た作品である以上、三年E組全員が主人公足り得るという事は重々承知しております。
そのような作品を原作としておきながら不在キャラを作ってしまう罪深さも、自分なりに理解しているつもりでございます。
醜い弁明にはなりますが、作者は決して、決して木村正義氏に対する悪感情の下でこれを行っているわけではない事、及び、「木村正義」というキャラクターを軽んじての行動ではないことをご報告したく存じます。
今回の設定に至った理由につきましては、今後の展開に際して、オリジナル主人公との設定の酷似が見られ、所謂キャラクターの食い合いが起こる事を懸念してのものになります。
オリジナルキャラクターとの折り合いをつけられず、このような結果に至ったことは完全に作者の力量不足によるものであり、自身の未熟を恥じ入るばかりでございます。
また、木村正義氏ファンの皆様には、大変不快な思いをさせてしまったことを、改めて深くお詫び申し上げます。大変、申し訳ございませんでした。
拙い文章、失礼いたしました。