Q.一般探索者が黄色い触手を見た場合の反応を述べよ 作:お前の母ちゃんシュブ=ニグラス~!
終わってみれば、全校集会も、そう憂鬱なモノではなかったと思う。
よく晴れた空の下。眠気を誘うような暖気の中で、ぽつり、そんなことを考える。
思いを馳せたのは、先日の集会で有ったこと。
大事なことを聞きそびれた、あの集会で起きたことだった。
オレが入学した当初から続くE組への差別。
いつかにビッチ先生が語ったように、アレはそういう体を成した、吊し上げだ。
理事長の理想を体現せしめんとする為の、社会機構の一端。
そんな中にあって、"悪くなかった"なんて考えが浮かぶのは、きっと先生たちの力。
恐らく、彼らにすれば何一つ特別な事はしていなかった筈だ。
ただ職務に忠実に、或いは普段通りに、自然体でいただけ。
それで本校舎の鼻を明かせたのは、それがあまりにも、眩しすぎたから。
根本的な差別の解決にはならなかったが、確かに。きっと皆、晴れる心があったのだ。
そんな全校集会が終了して、数日が経ったある日の事。
「─────さて、皆さん」
古めかしい、けれど耳に残るチャイムの音が鳴り響く。
始業の合図が着られると同時に、そんな言葉が耳を掠めた。
真白い陽光が注ぐ旧校舎には、ニヤけた顔の怪生物。
そして視界の端、窓の外には用途不明のビーチチェアが一つ。
これから一体、何が起きるのだろう、なんて考える暇すらなく。
いそいそとハチマキなどを額に巻いていた殺せんせーの姿が───突然にブレた。
『始めましょうか』
一、二、三、四…………数えるのもバカらしい数の分身。
それらが各一斉に、生徒一人一人の前に現れる。
何を始めるのか、問われるよりも早く、そして速く、殺せんせーは語りだす。
『学校の中間テストが迫ってきました』
『そうそう』
『そんなわけでこの時間は』
『高速強化テスト勉強をおこないます』
語る間に、周囲には薄い砂埃が立ち上がりだす。
それに少しだけ顔を顰め、鞄から予備のマスクを取り出した。
運動、及びハウスダストアレルギーによる喘息の表面化。
この程度のものなら大した問題はないと思うが、念のための措置だ。
周囲が真面目に勉強しているのに、オレは咳をするので精一杯とか、流石に無様すぎる…………と、
『すみませんねぇ、可能な限り掃除はしていたのですが…………』
申し訳なさそうな声は、正面から。
見れば、『社』と書かれたハチマキを携えた殺せんせーの姿。
それに対して、可能な限りの微笑みを擁して答える。
「大丈夫ですよ、先生。一応着けてるだけで、無くても酷い事にはならないでしょうから」
『…………そうですか? そう言って頂けると、助かりますが…………』
────あぁ。妙にしおらしい態度かと思えば、そういうことか。
そとにぽつねんと佇んでいたビーチチェア。
そこに、寛いで休憩をとっている殺せんせーの分身が一人。
一度外に出ている関係上、多少なり土埃がついてしまうのだろう。
…………というか、一度外に出て休憩するのって、尚疲れる気がするのだが。
「ところで先生、オレの苦手科目って社会なんですね」
言ってから、自分の発言がおかしくて、笑ってしまいそうになる。
まるで、自分の苦手教科さえわかっていない様な言葉。
いや、社会科が得意であったつもりはない。
事実として、大した成績をとった覚えはないし、数少ない旧友には、点数で常に負けていた。
…………そもそも、一教科でも勝った覚えはない、というのは置いておいて。
だがどうあれ、特段と苦手だったつもりもない。
なので殺せんせーの選択が、少しだけ意外だったのだ。
『いえ、秋野君は全科目が同じくらいの高さですから。それなら、伸ばせる所を伸ばそうかと思いまして』
明日はまた別の教科ですよ、なんて宣う怪生物。
………………なんとなく、読めるのだが。
「つまり、全教科平均的に低いから底上げをしよう、と」
『にゅやッ!? 受け取り方がネガティブ過ぎませんか!?』
「ふーん、じゃあ違うんですか?」
『………………』
「悪い大人の顔で黙らないでください」
はぁ、と小さく溜息を吐いて、歴史の教科書を開く。
そんな風に配慮しなくても、傷つきなんてしないのに、と考えながら。
だって、それは当然だ。
片や毎日無遅刻無欠席の彼らと、遅刻魔欠席魔のオレじゃ、同じE組でも差が出て当たり前。
それに対して不平を感じるような幼稚さは、持ち合わせていないつもりだ。
『教科書のページは…………えぇ、そこです。鎌倉時代ですね』
殺せんせーの授業が始まる。
淡々とテンポよく進む解説は、しかし分かりやすく工夫がなされたもの。
これといって詰まることも無く、要点をノートに書き連ねていく。
このペースなら、そう長い時間を掛けずに歴史は終わるだろう。
いや、そもそもここで時間を食うようならマズいのか、と思い直す。
なにせ、先生のことだ。こういった底上げは、比較的習熟の速い教科から始めるだろう。
言ってしまえば得意教科。
殺せんせーの思う、オレの得意教科がコレなのだから、早くて当然、といった所。
…………と、少しだけ引っかかる部分を見つけて、口を開いた。
「先生、ちょっと質問いいですか」
『どうかしましたか?』
「この北条時行って人なんですけど…………」
北条時行。
教科書の中の、たった一行にだけ記載されている名前。
大和絵による顔の描写すらない、どうでもいいはずの名前。
それが何故か、目に留まった。
「さっき、この時代の主役は足利尊氏だって、先生言ってましたよね」
『ええ。あの時代の彼の活躍は、それこそ物語の主人公でした』
「それじゃあ、時行はそのライバルなんですか?」
『どうでしょうねぇ…………少なくとも時行は、尊氏を憎んでいたでしょうが』
"中先代の乱を始めとし、三度の鎌倉奪還の後、処刑"
教科書における北条時行を表す言葉は、たったこれだけ。
足利尊氏については、その功績を言葉を尽くすように語る反面の、この扱いだ。
それに、どうしてか。どうしようもなく、腹が立った。
「なんか、過小評価されてませんか、この人」
『そうかもしれません、尊氏以外にも、名だたる英雄が跋扈した時代でしたから』
「…………そうなんですか?」
『他にも、時代を描いた書物が少ないのも一因かもしれません。
──────ですが彼の殺意だけは、天下一だったと言えるでしょう』
後醍醐天皇側についてまで、尊氏を打倒しようとした訳ですし、と。
殺せんせーは自らの見解を語る。
言われてから、出会った事さえない過去の英雄に意識を飛ばす。
故郷を滅ぼされ、逃げて、それでも諦めないと叫び。
怨敵の一人にも頭を下げて、己の全霊を賭して、けれど彼の首には届かなくて。
分かっている。そういった怨恨の全てを跳ね除けたからこそ、足利尊氏は時代の覇者になったのだ。
だが、その生涯を復讐に費やした彼は、何を思うだろうか。
いや、違うな、オレが知りたいのは────
「────この男はどうやって、喪う痛みに耐え続けたんだろう」
脳漿が、軋む痛みを訴える。
いつかの赤い記憶が、瞼の裏に。
血の気の引いていく感覚を覚えながら、強く唇を嚙む。
ぼやけた視界を悟られないように、努めて普段通りを装うことに尽力する。
『秋野君、君は………………にゅやッ!?』
ぐにゅん、といった具合に。突如、愉快に顔面が歪む殺せんせー。
驚愕から周囲を見渡してみれば、他の分身も同じような風体。
そして教室後方には、緑のナイフを持った生徒が一人。
『急に暗殺しないで下さいカルマ君!! それ避けると残像が全部乱れるんです!!』
「え、マジ?」
『ちょ────ッ!?』
即座にナイフを取り出して、試しにへこんでいる部分の逆側を突いてみる。
…………おお、本当だ。
名状しがたい形に顔面が歪む。強いて例えるなら、ルビンの壺といったところ。
四月頃とは比べるべくもなく増えた分身だが、やはり相応に繊細らしい。
殺せんせーはなにやら怒っている様子だったが、それを適当に笑って受け流す。
それから、何の問題もなく、終業のチャイムが鳴るまで勉強は続いた。
◇◇◇
ぱきぽき、ぱきぽき。
首、肩、指先と、凝り固まった関節をほぐしていく。
人気の薄まった隔離校舎は、既に終業のチャイムが鳴っていた。
校舎内に残っているのは、オレと掃除担当の生徒達、そして教師陣位なものだろう。
そして多くの生徒に遅れる事、十分程度。
いい加減に掃除組に迷惑がかかりそうだと、重い腰を上げた。
古めかしい昇降口を抜け、屋外へと足を踏み出す。
靴越しに感じる、土の固さ。
ざわめく風を肌に浴びて、それから、深呼吸を三回程度。
勉強で薄まった酸素が、元の濃度を取り戻していく感覚。
それに小さな快感を覚え、目を瞑った時。
──── 一瞬、背後に突風が吹き荒れた。
驚愕のままに振り返れば、宙を舞うカーテンの端が視界に映る。
E組校舎の見取り図を想起すれば、あそこが職員室だとわかる。
逡巡は、それこそ一瞬。
足音を殺して窓まで接近、身を屈めて様子を伺う。
職員室内部は、当然ではあれ、その様相は平時と殆ど変わらなかった。
荒らされた形跡もなく、赤い何かも流れておらず。
烏間先生がいて、ビッチ先生がいて、殺せんせーが妙な行動に走っている。
これはこれで頭の痛い光景だが、しかし至って平常な光景。
だが、その空間には奇妙な緊張感────プレッシャーともいうべき物に満たされていた。
原因はただ一つ、或いはただ一人。
玉座に腰を下ろすが如き、威風堂々とした様の男。
オレから見えるのは、未だ後ろ姿のみ。
だが、あのような恐ろしい、と直感させる背中の人間を、オレは一人しか知らない。
──────椚ヶ丘学園理事長、浅野學峯。
なぜこんな所に、と考えるよりも早く、当人が口を開いた。
「────こちらこそすみません。いずれこちらから挨拶に行こうと思っていたのですが」
立ち上がり、真っすぐに殺せんせーを見つめる理事長。
見ているだけで鳥肌が立つような隙のなさだ。
烏間先生も、武という意味では同じく一本芯の通った立ち方だが、この男のソレとは意味が違う。
恐らくは支配者としての立ち振る舞い、隙を隙と思えない、恐ろしさがある。
「あなたの説明は、防衛省やこの烏間さんから聞いていますよ。 まぁ……私には、全てを理解できる程の学は無いのですが」
きっと苦笑いで、その男は心にも無い謙遜を言ってのけた。
冗談を、と思わず失笑しそうになる。
この男に学が無いのなら、一体この国の、どれだけの人間が"学のある人間"でいられるのか。
しかし、と彼は続けて、
「────なんとも悲しい
世界を救う救世主となるつもりが、世界を滅ぼす巨悪になり果ててしまうとは────」
不意に殺せんせーへと贈られた憐憫の言葉に、オレの呼吸が停止する。
世界を救う…………滅ぼす…………?
それはオレの掴んでいない、ナニカの真相、恐らくはその断片だった。
対する殺せんせーからの返答はない。
普段なら色鮮やかに変わる表情は、いつも通り不気味な笑みを張り付けているだけ。
膠着は、或いは一瞬だった。
「…………いや。ここでそれを、どうこう言う気はありません。私如きがどう足掻こうが、地球の危機は救えませんし」
余程の事がなければ、暗殺には干渉しません、と理事長。
それに応答を返す烏間先生の顔は固い。
普段から表情に乏しい人だが、今日ばかりはそれが原因でもないだろう。
そしてビッチ先生からの口説きも華麗にいなし、ゆったりと歩き始める。
進行方向は…………こちら側。
オレは驚くよりも前に身体を屈め、口元を手で覆い、呼吸音を抑制。
身動ぎを殺し、可能な限り気配を遮断する。
彼は窓枠へと腰かけ、滔々と語る。
「しかし、だ。この学園の長である私が考えなくてはならないのは…………
…………どうやら、支配者を前に、半端な隠遁は通用しないらしい。
確実に視界には入っていなかった筈だが、それでも悟られるとは。
自身に対する落胆の溜息を噛み殺し、両手を挙げて立ち上がる。
驚いた様子の二人と一体。
もっとも、殺せんせーの表情は変わっていないし、烏間先生の驚きは、隠れていたオレを探り当てた理事長に対してのモノのよう。
純粋に驚いているのは、ビッチ先生のみらしい。
「こんにちは、理事長先生。学校運営は順調なご様子で」
「やぁ、こんにちは、秋野君。君こそ顔色もよさそうで何よりだ」
挨拶、というにはあまりにも冷たい声の応酬。
互いに毛ほどの感情も乗らない言葉を贈りあう。
きっと空っぽ。
お互いに、態々それを開封するような無駄な真似はしなかった。
…………それで、浅野理事長が気にすべきこと、だったか。
「先ほどの質問に答えるのなら…………地球が来年以降も存続する場合の話、ですかね?」
「正解だ、秋野君────つまり殺せんせー、仮に誰かがあなたを殺せた場合の、学園の未来の事です」
にこやかに、そして余裕気に発される言葉。
冷静で、重たい圧の籠った声には、人の判断を奪う力がある。
彼は淀むことなく、その暴力染みた言葉を紡ぎ続ける。
「率直に言えば────ここE組はこのままでなくては困ります」
それは、真実ナイフよりも鋭い一言。
この
オレに精神的なショックが無い事を見越しての発言だろう。
事実、オレの心は酷く凪いでいた。
強いてあげるのなら、殺せんせーを前にその発言をする胆力に脱帽、といった所か。
「このままと言いますと…………成績も待遇も最底辺という今の状態を?」
「──────はい」
そして語られるのは、理事長の教育論。
働きアリの法則になぞらえた、激しい競合社会の作成。
全体の能力向上のために、少数を生贄とする、果てしなく合理的な在り方。
きっとその理論は、目の前の神話生物のソレとは正反対にあるモノ。
聞きながらも、殺せんせーの表情は微塵も変わらない。
いつかに聞かされた、彼自身を体現したかのような、冷徹な合理の極致。
────オレは一体、どんな顔をして、これを知ったのだったか。
「…………なるほど、合理的です。 それで、五パーセントのE組は弱くみじめでなくては困ると」
感情の抜け落ちた声が、酷く恐ろしい。
それに思わず身体が反応しそうになるのを、必死で抑え込む。
仮に今出しゃばった所で殺せんせーは殺せないし、理事長に鎮圧されるのが関の山だ。
そう自分に言い聞かせながら、事の流れを見守る。
「今日、D組の担任から苦情が来まして。うちの生徒がE組からすごい目で睨まれた、殺すぞ、と脅されたとね」
セリフから犯人像の特定が容易過ぎる。まず間違いなく赤羽か寺坂だろ、これ。
だというのに、ちらりとこちらを覗く理事長。
念のため、自身の名誉のために、口を開いた。
「…………一応弁明しておきますが、オレの仕業じゃありませんからね」
「おや、君の事だと言ったつもりも無いのだがね」
「目は口ほどに物を言う、とは金言ですね、理事長」
「素晴らしい、よく勉強しているようだ。A組復帰も間近かな」
火花が散るような会話。
けれど理事長は、それきりオレから興味を無くしたように視線を外した。
「…………暗殺をしているのだから、そんな目つきも身につくでしょう。それはそれで結構」
ただし、と一拍を置いて、彼は尚も殺せんせーに釘を刺す。
成績底辺の生徒が、一般生徒に逆らうことは許されないと。
徹底した実力主義。
それが根底にある以上、殺せんせーのやり方は、彼にとって邪魔であるより他に無いのだろう。
言いたいことは言い終わったのか。
彼は殺せんせーの横を通り過ぎ、職員室の扉に手を掛けて、そして。
「殺せんせー」
名前を呼ぶと同時、一瞬、理事長の手元がブレる。
そして緩やかに宙を舞った、鈍色の何か。
あれは────知恵の輪か!
「一秒以内に解いて下さいッ」
「え!?いきなりッ…………」
言いながら、殺せんせーは音速を以て対処にあたる。
だが、しかし。
一秒後に出来上がったのは、より大きな知恵の輪だった。
二秒、三秒と今なお知恵の輪と格闘しているが、より触手が絡み合っていくだけ。
なんてザマだ、と嘲けりたいのは、恐らく殺せんせー自身だろう。
それに対して理事長は、スピードそのものは大したものだと賞賛し。
これまでと同じく、悪辣に。そして、愉悦に満ちた表情で、
「────でもね、殺せんせー。この世の中には…………スピードで解決できない問題もあるんですよ」
決着の言葉を吐いて、理事長は颯爽と職員室を後にした。
…………趨勢は決定した。
正していた姿勢を緩め、窓枠に肘を立てる。
殺せんせーはピクリとも動かない。
烏間先生が、どこからか取り出した雑誌の一ページを広げる。
そして語られる、支配者のプロファイル。
確かに殺せんせーは、暗殺を支配し、教室を支配している。
しかしここが彼の学園である以上、彼の仕組みから逃れる事は出来ない。
例えそれが、マッハ二十を擁する、生きた権能だったとしても。
◇◇◇
夜も深くなった、公園の片隅。
寂れた電話ボックスに侵入する人影が一つ。
コインを入れ、淀みのない動作で電話番号を入力していく。
耳元に届く機械音。目当ての人物は、そう時間を掛けずして、電話口に立ったらしい。
「─────、────」
『─────────』
密閉された空間は、音を反響させるのみ。
その振動は外へと繋がることはなく、謂わばそこは、一種の異界であった。
故に、彼の交わした言葉の内容は、当人らにしか知られることはなく。
「─────」
『────────!』
「──────────」
『───、─────』
二言三言の、短い言葉の応酬が成される。
しかし、両者の合意にはそれで十分だったのか。
通話開始より、二分と経たずして、会話は終了する。
役目を終えた電話ボックスの外に出る。
新鮮な空気も、暗い公園特有の空気も、彼の感情に何の動きも与えない。
しかし、ただ一度。
ニイ、と。彼は、裂けんばかりの笑みを携えるのだった。
UAは三倍、お気に入りも三倍、おまけにバーには色がついている???
突然の伸びに怯えています。なんでぇ……? 絶対そんなに面白くないよ、この作品……。