Q.一般探索者が黄色い触手を見た場合の反応を述べよ   作:お前の母ちゃんシュブ=ニグラス~!

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旅行の時間

 鼓膜を切り裂いた、歪んだ歓声。

 目の眩むような、ネオンライトの舞台。

 数多、無機質な視線と、串刺しになる己が肢体。

 灰になって消えてしまいそうな炎天下で、瞳と指先に炎が灯る。

 けれど吐く息は白く、凍えるように心臓は脈動する。

 音は何処か。恐ろしい声はなく、故に悲鳴も鳴りやんだ。

 仮初の安穏、価値のない勝利の美酒に酔う。

 

 きっとそこは、ありふれた台無しの在り処。

 人でなし跋扈する、数多ある人外魔境。

 今までの全てを投げ出して手に入れた、秘匿の楽園。

 空っぽを満たす虚ろな現実に、蕩けて消えてしまいそう。

 

 真実私は、このまま壊れてしまいたかった。

 摩耗、損耗、過剰負荷。

 いつか、どこかで見かけたスクラップ。

 貫かれたような空洞と、二度と動くことのないブリキ。

 あんなモノに変わるくらいなら、死神だって温情だ。

 

「──────、ぁ」

 

 目を付けたのは彼の方。目を付けさせたのは私の方。

 初めは鏡の姿で、目を凝らせば深淵に変わる。

 恐らくは、その少年は死んでいた。

 

 濁った瞳に、目を背けたくなる。

 けれど鋭い刃は、既に首元に掛かっている。

 

 揺らぐ記憶と、青ざめた空。

 言葉は一つ、幽かに沈む、響きを孕んで。

 

「お前、コイツを見たか──────?」

 

 その日。私は、本物の空っぽを垣間見た。

 

 ◇◇◇

 

 もう数日も前の話に、彼は思いを馳せた。

 事の始まりを辿り、束の間の時間旅行へと出発する。

 

 夏もほど近い隔離校舎の一角。

 二十余名の生徒達が、思い思いに雑談へ花を咲かせているのが、彼の耳に届く。

 殺せんせーと呼ばれる怪物が教室へとやってきて、凡そ二ヶ月弱。

 紆余曲折あった中間テストも終わり、数日が経った。

 

 手ひどい挫折、心折れるような細工。

 けれどそれでも、起きた現実を彼らなりに呑み込んだ頃。

 尚も前を向くと奮い立った彼らの前に、おあつらえ向きな出来事が一つ。

 

 椚ヶ丘中学校に、新しいイベントが舞い込んできた。

 

 曰く、京都修学旅行二泊三日。

 それは学校なりの、勉強を頑張った生徒への労いか。

 単なる以降の行事予定のしわ寄せか。

 あるいはその両方、というのも有り得るだろう。

 いや、生徒達にしてみれば、大人の意図なんてどうだっていい事だ。

 

 クラス全員で、旅行に行くこと。

 恐らくは、それそのものが楽しみで仕方が無いのだ。

 あの殺せんせーでさえ、浮かれ切って舞子の姿をするほど。

 どうあれクラス中、皆が皆、この先のイベントに胸を躍らせている中で。

 かつてなく深刻な危機を迎える男が一人。

 

 椚ヶ丘の制服に身を包んだ、黒髪の少年。

 髪色同様の黒い瞳には、色以上の深い絶望が湛えられている。

 それをくしゃりと握りこむ姿は、今までになく感情を感じさせる所作。

 もしもその場に、彼を……秋野空を深く知る者がいれば、この本心からのこの行動を、珍しいと評するだろう。

 或いは教室の中にも、そういった手合いはいた。

 例えば──────

 

「…………その、大丈夫?」

 

 彼の隣に腰下した、彼女……速水凛香などがそうだった。

 心配五割、困惑三割、好奇心二割で構成された言葉。

 その声に、彼は嗚咽にも似た、返答とも呼べない返答を繰り返すだけ。

 彼女にすれば、こうも取り乱した秋野の姿は、意外極まるものだった。

 

 彼女から見た秋野空と言う少年には、実体がなかった。

 のらりくらりとした昼行燈。

 大真面目な顔で零点を記録し、その癖、先日の中間テストでは赤羽業に並ぶ高順位を叩き出す。

 軽口は叩くし、間の抜けた言動をすることもある。

 けれど、それがどうにも、彼女には空虚なものに見えていた。

 

 だからこそ、人の多いこの教室で彼がこんな姿を晒しているのが、意外だったのだ。

 

「………………速水さん、世界は苦痛に満ちているんだよ」

「どういう感情なの、それ」

 

 いつの間にか机に突っ伏した秋野。

 彼が久方ぶりに発した体系がかった言葉は、やはり意味の分からないものであった。

 彼女に分かるのは、それが彼なりに世を儚んだ言葉だという事だけ。

 それにしたって悲観主義が過ぎるように感じられるが。

 

「いいかい速水さん、一緒に修学旅行に行ける友人がいないと、人間はこうなるんだぜ」

「あぁ、そういう…………?」

 

 つまり、彼の絶望の根源はそこらしかった。

 思えば先程から、誰かを誘う様子も、誘われる様子も見て取れなかった。

 秋野自身に遅れる事、およそ十分ほど。

 彼女はようやく、彼がこのクラスで浮いている事に気が付いた。

 

 しかしそれも考えてみれば当然の帰結と言うもので。

 

「そもそも班決めに参加しないんじゃ、ね」

「うぐっ…………!」

 

 小さく響く苦悶の声は、図星を突かれた証だった。

 今朝方に行われた班の決定。

 あろうことかこの男、遅刻によってその機会を逃していた。

 気怠さに任せて、午後からの登校へと切り替える愚行。

 普段の行いによるツケが回ってきた形だった。

 

 けれど秋野も、そして彼女も、その理由は大したものではないと把握している。

 何故なら、例え公平な機会を損失したとして、不公平なりに機会は残るためである。

 班を決め損ねた人物がいたとしても、空いている班に入ればいいだけの事だ。

 

 もしも当人に、それだけの人望があれば、の話だが。

 

「あんまりクラスとコミュニケーション取ってこなかったもんね、秋野」

「うぐぐっ…………!!」

 

 二度目の正論は、より深々と突き刺さった。

 真実彼は、このE組での対人関係の立ち回りに失敗していた。

 その原因は単純明快、シンプルなコミュニケーション不足。

 

 秋野自身、態々数えるような真似はしていないが、総計十分以上会話した人間は殆どいない。

 赤羽が復学してきた際の情報源とした潮田渚と、偶然席が隣だった速水凛香。

 まともな会話と呼べる事をしたのは、この数十日で、この二人だけ。

 それ以外では、集団暗殺のブリーフィングに参加する程度。

 

 秋野がまともに会話するような相手と言えば、軒並み大抵、教師陣ばかり。

 その内容も、おおよそ真っ当と呼び難いものばかり。

 具体的に言えば、暗殺依頼と尋問、脅迫にも似たおねだり、と言った風情。

 どうあれ、常識的な学生のするようなことは一切なし。

 

 むべなるかな。この際、修学旅行へ碌に誘われなかったのは、当然の帰結と言えた。

 

「まぁ、それだけでもないような気がするけど」

「…………? なにが」

「別に。結局はあなた次第だったのだし」

「良くわかんないけどごめんなさい…………」

 

 これは、彼自身には自覚の無い事だが。

 元のクラスの出自が、彼の孤立を後押ししている節がある。

 椚ヶ丘学園におけるA組は、言ってしまえば、真の意味での"特別強化クラス"だ。

 E組のような、名ばかりのソレとは異なる、謂わば特進クラス。

 

 偏差値六十六を刻む椚ヶ丘中学校の、その上澄み。

 世代における最優秀生徒の集団。劣等生を虐げる第一線。

 彼がいた場所は、果たしてそんな場所だった。

 だからこそ、彼はこの場所に落ちてきた当初から、奇異の視線を浴びせられてきた。

 

 なにせ、エリート街道から隔離校舎だ。

 一体どれだけの理由があっての事か、と考えるのは、およそ人間らしい発想の発露だった。

 或いは陸上部の人間でもいれば、晴れる疑問もあったのだろうが。

 E組にそんな生徒は現れず、そして秋野は殆どの交流を断っていた。

 必然、無理解と言う断絶は、ただ深くなるばかりだった。

 

「速水さーん…………たのむよー…………哀れなオレを班にぃ………………」

 

 そんな事実を知る由もなく、情けない言葉を上げる若干一名、その正体は語るまでもなく。

 緩慢な動作で、彼女に対して手を合わせ拝む秋野少年。

 窓の先から、温かい陽光が差し込む。

 それは滔々と速水へ降り注ぎ、彼から見れば、さながら後光のそれに代わる。

 祈る神などは疾うに死んだ秋野をして、願望を持たざるを終えない相手。

 

 もはや彼に選択肢は残されていない。

 比較的関係の良好な、速水凛香の班に入れてもらう事。

 それだけが、彼に残された望み、なのだが───────

 

「私に頼まれても…………そもそも、班の人数一杯だし」

「──────」

 

 繋ぐ二の句は無し。死の宣告は瞬く間に。

 後光は一瞬にして、雲間に消えて姿を消した。

 さながら銃で撃たれたように、彼は脱力して天井を見上げる。

 元より祈る神などいないが、いよいよ死ぬまで行ったらしい、と。

 形ばかりに十字を切って、彼は己が運命を呪った。

 

 いよいよ彼の脳裏を過り始める、教師陣との修学旅行。

 間違いなく気を遣い、遣われる地獄の二泊三日。

 暗殺に参加できない事は良いにせよ、客観的に見てあまりにも無様だ。

 二人組作って:レベル九十九、といった所。

 

「もうだめだ、修学旅行の集合写真はワイプでよろしく」

「そ、そこまで…………?」

 

 思えば彼は、本校舎にいた頃も学秀か、その取り巻きの人間位としか話していなかった。

 クラスにおける会話に、それ程の価値を感じていなかったのは一つ。

 けれどそれ以上に、その在り方でも、不便が無かったのが問題だった。

 後悔をいくつ抱えたとしても、失った機会は二度と戻らず。得てして世界は無常なりや。

 

 背中に突き刺さる速水からの憐憫の視線。

 窓から差し込む灰色の光で、塵になって消え去りたい、なんて彼が考えた頃。

 不意に、

 

「──────秋野君、少しいい?」

 

 鈴のような声が響いた。

 秋野の目線の先にいたのは、確かにその声に見合う美少女。

 思わず見惚れかけるような黒髪のマドンナが、そこにいた。

 

 ────神崎有希子。

 真面目でおしとやかな和風美人。

 あまり主張をしないので目立たないが、クラスの男子は、軒並み彼女の事が気になっている節がある。

 吉田大成辺りは、彼女に話しかけられた時、聞いたことも無いような猫なで声を出すほど。

 秋野の隣に席を持つ彼女だが、速水ほどの関わりが無い事を、彼は念のため再確認する。

 

 一瞬だけ速水の方向を見るが、彼女もこの来訪は心当たりのないものである様子。

 彼は少しだけ警戒のギアを上げ、言葉を紡ぐ。

 

「時間には余裕があるけど、何か用?」

「うん、修学旅行の班の話なんだけどね」

「………………はい」

 

 思わず敬語が飛び出る秋野少年。

 このタイミングの、その話題は、彼にとって致命傷を抉る行為に等しい。

 既に、精神的には決着のついた会話。

 無感情な瞳で、速水は二人の会話を眺める。

 

「それで、まだ秋野君の入る班が決まってないって聞いて…………本当?」

「はい、最後の望みも絶たれた秋野少年とは、オレの事ですけど」

 

 八つ当たり気味の、拗ねたような感情が混じる声。

 言いながら、彼は自分の目が彩を失っていくのをありありと感じた。

 全くもって情けない話だが、そもそも格好いい男ならこんな状況には至っていなかった。

 胸を締め付ける虚無感。

 それをどう克服したものだろう、なんて現実逃避さえ脳裏を過る。

 

 一方神崎はと言えば、秋野の言葉に大して気を悪くした風でもなく。

 むしろ穏やかに微笑んで、彼を真っすぐに見つめてから。

 

「良ければ私の班、まだ空いてるんだけど、どうかな────?」

 

 彼は再び、祈る相手を得る事に成功したのだった。

 

 ◇◇◇

 

 それから話はトントン拍子に進み、オレは晴れて四班の仲間入りをした。

 メンバーは赤羽、杉野、渚君、茅野さん、奥田さん、神崎さんの計六名。

 それぞれが根明な生徒達だったのも幸いしてか。

 憂鬱だった修学旅行は、反転、心躍る程楽しみなものに変わっていた。

 ……それが。

 

「──────それがどうしてこうなんだよ、クソ!!」

 

 渾身の悪態は、人混みの中に溶けて消えた。

 こちらに視線をよこす人物さえいない。

 或いは、居たとしても直ぐに人混みへ流されて消え去っている。

 逃避染みたタイムスリップを終え、現実へと帰還する。

 目の前に現れたのは、変わらず絶望的な事態。

 

 東京駅、地下一階。

 大迷宮かと見紛うような空間で、オレは、人間の洪水に飲み込まれていた。

 

 碌に身動きも取れない中で、案内を確認するべく天井を見上げる。

 しかし望むものは無く、吊り下げられた時計が代わりに告げる、刻限五分前。

 人混みの中で悪化していく体調をよそに、時間は着々と進んでいく。

 焦燥に駆られる心を無理やりに宥め、次の一手に思考を割いた。

 

 目的地は東京駅二階、十七番線に待機しているであろう東海道新幹線。

 だから手始めに、地下からの脱出を急ぐべきだろう。

 …………などと考えたのは、これで六度目。

 言うは易く行うは難し。事の解決は一向に進まず、代わりに増していくのは後悔ばかり。

 

 「調子に乗って地下鉄なんかで来るんじゃなかった…………!」

 

 自業自得の、過去への怨嗟が零れ落ちる。

 修学旅行のしおり、十ページ目。"普段とは違う行動は可能な限り避けましょう"の言葉。

 前日に間違いなく確認したはずだが、しかし。

 いざ当日が訪れて、駅に着いてみれば、嫌な好奇心が全身を満たして、それで─────。

 

 後は語るべくも無い事だ。

 殺せんせーが避けろと言った理由を、もう少し考えるべきだった。 

 なにしろ、かれこれ何十分と人の海と格闘しているが、一向に階段が見える気配がない。

 横目に見える店々の風体が変わっていることから、恐らくは移動しているのだろう。

 だが、それでも突破口は一つと見つからない。

 

「せめて道連れがもう一人くらい居ればなぁ…………!?」

 

 今回の敗因は、先に挙げた地下鉄と、もう一つ。

 家が駅から近いからと、誰の付き添いもなくここまで来たことだ。

 やりようはいくつもあった。

 例えば、椚ヶ丘駅で班員と電車を合わせて合流するとか。

 そうじゃなくても、クラスメイトの誰かと一緒にいただけで違った筈だ。

 有り得ない話にはなるが、仮に浅野と来ていたなら、この様な無様は晒さなかっただろう。

 

「十分早起きはしたつもりだったが、これじゃ────」

 

 これでは意味がない、と悔恨の言葉が漏れる。

 ここ最近、失敗続きで嫌になりそうだ。

 赤羽の暗殺に始まり、ビッチ先生への尋問、理事長との交渉を経て、クラスメイトとの交友まで。

 どれもこれもが上手く行っていない。

 赤羽の件に関しては、まあ、失敗してよかったものとしても、だ。

 

 昔から運は比較的良い方だとは思っていたが、理事長の一件で焼きが回ったか。

 …………いや、そもそも幸運なぞではなく悪運の類だったか、と思い直す。

 なにしろ真っ当に運の良い人間なら、邪悪な事件の類には巻き込まれないのだし。

 

 不意にクラりと、視界が歪む。

 

「──────、っ」

 

 …………長く人混みに居すぎたか。

 いい加減、人酔いの不調も誤魔化しが利かなくなってきた。

 こんな事になるのなら、酔い止めの一つでも買っておくんだった。

 尤も、こんな状況じゃ口に入れるのも一苦労だろうが。

 

 だがなんであれ、無い物ねだりをしても仕方がない。

 今ある手札が全てだし、それを駆使していくのが人生だ。

 だから、使える手札があって、それで状況が打開できるのなら、そうするべきなのだが────

 

「かくなる上は霧の創造、だが…………」

 

 言葉にためらいが籠る。

 意図せず、眉根が歪に変形するのを知覚した。

 気分で物を決めるタイミングではないが、それにしたって気が乗らない。

 

 作戦はこう。

 一、オレが使える全魔力を注ぎ込み、可能な限り広域に"霧"の結界を張る。

 二、飲み込んだ人間全員を結界内に幽閉。

 三、そして内部の位相をずらし、オレは"霧"の中の東京駅構内から階段を探し、目当ての場所へと駆けあがる。

 

 問題は、魔術による"霧"の範囲が見当もつかない事。

 複雑かつ広大な地下は、それだけで効果範囲の検討を難しくする。

 そして尚且つ、"霧"の結界のキャパシティを、オレは知らない。

 指先ほどの空間に、人間一人を押し込められるのなら問題はない。

 だが、"霧"の体積そのままが最大容量だとすれば、展開時点ですでにギリギリ。

 外部から誰かが、ズラした位相に侵入してくる可能性もある。

 そしてなによりも。

 

 「この往来で魔術は………………」

 

 魔術とは超常であり、即ち異端の象徴だ。

 秘匿の義務はない、だが、この場所でそれを使うという事は、自分が異常者であると吹聴する行為に他ならない。

 それではまるで、かつてオレが見てきた存在達と同じだ。

 

 刻一刻と迫るタイムリミット。

 残り時間は多く見積もって二分程度。

 苦悩はどれほどか。

 けれど逡巡は、きっと一瞬にして。

 

 ────血管に紫電が走る感触。

 

 日常のために非日常を用いる決意を決めたところで、視界の端に何かが見えた。

 

「…………?」

 

 身長二メートルを優に超す巨体。

 よく見慣れたアカデミックドレスと、人間にしてはおかしな関節。

 それが人混みの中、何やら忙しくうねっている。

 

 まず間違いなく見間違いは無いが、念のために近づいて確認する。

 人ごみの間を何とか抜けて、前へ、前へ。

 そうしていつしかたどり着いた先で。

 

「うーん、この洋菓子、中々に先生好みですね。帰りにも買って帰りましょうか──────にゅや?」

 

 なんか、スイーツ買ってる神話生物がいた。

 

 ◇◇◇

 

 「秋野君、大丈夫かな…………」

 

 新幹線が最初の駅を出て、およそ五分ほど。

 電光掲示板に映る次の駅を横目に、少年はどこか遠くへ視線を泳がせる。

 時速三百キロ近いスピードで流れていく車窓の景色。

 それを見てぽつり、彼は溜息の様な心配を零した。

 

 彼────潮田渚の心配事はもっぱら一つ。

 刻限になっても現れない、最後の班員の事だった。

 彼にとってその班員…………秋野空という少年は、存外に愉快な人物像として映っていた。

 大真面目な顔をしながらトンチキな言葉を吐いて。

 たまに早く登校すれば、死んだ顔で大岩の上に座っていて。

 多少なり見えない壁を感じる事もあったが、思春期としてはむしろ健全なもの。

 

 渚からの人物総評としては、いい意味でも悪い意味でもE組に馴染める人間、といった具合。

 …………だからこそ、不安なのだ。

 遅刻魔、サボり魔、居眠り魔。

 悪い意味でE組に馴染めるとは、つまりそういう意味で。

 どうにも彼は、時間と言うものに若干ルーズな様子だった。

 

 ────いや、不安なのは厳密にはそこじゃない。

 

 その事態が見当ついた段階で、とうに対策は取ってあった。

 前日にはもう、十二分に言い含めたつもりだったし、事実彼も真剣そうな顔で頷いていた。

 いくら秋野にせよ、ここまでしてまさか寝坊なんてミスはする筈も無し。

 と、なれば。秋野に責のない形で遅刻している、と考える方が妥当で。

 

「考えたくないけど、事故、とか…………」

「んー、大丈夫なんじゃないの? ほら、スマホに連絡来てるわけだし」

 

 渚の不安を掻き消すような、少しだけ間延びした声。

 声の方向に振り向けば、燃えるような真っ赤な髪色と、咥えた『~煮オレ』がトレードマークの彼。

 殺せんせーの腕を唯一破壊した、E組随一の優等生。

 彼の真横に立つ人影は、赤羽業その人だった。

 

 そしてずい、と差し出される液晶画面。

 そこには確かに、次の駅から新幹線に合流する旨が記されていた。

 それに対し、渚の正面に腰かけた杉野友人からの声も飛ぶ。

 

「そうそう。多分大方、寝過ごして品川まで行っちまったとかだって」

 

 朝早かったし、正直俺も眠いし、と付け加える野球少年。

 それを聞いてから、数瞬、彼は考えて、その考え方に乗ることにした。

 だって、どこかで事故に遭っている、なんてものよりも実に平和的だと思ったから。

 そんな事を考えていれば、杉野が続けて言葉を紡ぐ。

 

「それはそうと、どっちかっていうと問題は殺せんせーの方だろ」

「──────なになに?殺せんせーの話?」

「あ、おかえり、三人とも」

 

 場に現れたのは、茅野カエデと杉野友人、奥田愛美、そして神崎有希子の三人。

 いずれの生徒も、E組のに来てから仲を深めた友人で、修学旅行を共にする班員たち。

 その内一人の姿を見て、杉野に小さな緊張が走るのが目に入る。

 が、それに誰が反応することはない。彼の恋慕は、当人らを除く公然の秘密だった。

 赤羽はソレを興味なさげに一瞥した後、茅野の問いに答えた。

 

「そういえば殺せんせー見てないって話。…………そっちは?」

「あー、確かに。殺せんせー目立つのに」

「隣の車両まで買いに行きましたけど、特にそれらしい影はなかったですね」

 

 奥田の言葉と共に、各人に配られる色のついた飲み物達。

 感謝と共にやり取りされる金銭。

 中でも赤羽は、早いものでもう二本目の『~煮オレ』に手を出していた。

 全員に物品が行き届いたのを見届けて、神崎が口を開く。

 

「でも、殺せんせーのスピード的に一分もあれば京都に着くのよね」

「そう考えると問題ないっていうか…………ちょっとズルい?」

「うん、改めてすごい話だよね、本当……………」

 

 しみじみと呟かれた渚の言葉には、そんな超生物を殺せるのか、という不安も含まれている。

 自分の班も、他の班だって殺す段取りを組んできたけれど。

 それでもやっぱり、少しだけ自信が揺らいでしまう、と。

 彼の弱気な気持ちを知ってか知らずか、閃いたように赤羽が声を上げる。

 

「そう考えると秋野もさぁ、仮に本気で遅刻してたとしても、リカバリー利くんじゃね?」 

「はは、地球を壊す超生物がタクシー代わりか!」

「──────あぁ。おかげで致命傷は免れたぜ」

「いくら殺せんせーといえどそれは…………うわぁっ!?」

 

 窓の外からの声。

 スクロールされていく景色の中で、影が二つ。

 片や窓に触手を張り付けるタコ型生命体、片や青白い顔でそれに捕まる一般人。

 どこをどう見ても、異常極まる光景だった

 

「なんで窓に張り付いてんだよ殺せんせー!! あと秋野君はなんでそんな所にいるのさ!?」

 

 潮田渚、全霊のツッコミが飛んだ。

 他の班員はあまりの出来事に絶句。

 しかし概ね同じ意見らしく、彼の言葉に、こくこくと首を振って頷いている。

 

「いやぁ…………駅中スウィーツを買っていたら遅れまして。次の駅までこの状態で一緒に行きます」

 

 あまりにも間抜けな弁明。

 …………どういうわけか、彼の中に殺せるという自負が戻ってきた。

 いや、本当。どうしてかは分からないけれど。

 

 どうあれ、殺せんせーの弁明を聞いたのなら、被告人はもう一人へと移っていく。

 必死に殺せんせーの服を掴む黒髪少年。

 そして、肝心な時に遅刻魔を発動させた彼は、スッと目を逸らして。

 

「調子に乗って地下鉄で東京駅行ったら見事に迷子になりました…………」

 

 通勤ラッシュ、マジナメてました、なんて、目も当てられないような失態を語る。

 事実として、渚は頭を抱えた。

 渚にすれば分からない事だが、他にもそうした生徒がいたかもしれない。

 修学旅行でやってはいけないミスの五指には入る行動。

 実際、秋野自身も確認した通り、修学旅行のしおり第十ページにはそんな旨が記されている。

 

「発車ギリギリになって、スイーツバクバク食べてた殺せんせー見つけたんで、連れてきてもらいました。

 ───────本当、ご迷惑をおかけしました!!!」

 

 行き当たりばったり、ここに極まれり。

 聞いたことのないような声量の謝罪も、ただ虚空に消えていくだけ。

 教師と生徒、揃いも揃って間抜けだった。

 渚は呆れて言葉も出ない、と言う風体。それを横目に、杉野が一つ。

 

「殺せんせー、仮にも国家機密だろ? 流石に新幹線の窓にいるのは目立つんじゃ……」

「あぁ、ご心配なく。保護色にしてますから、服と荷物が張り付いているように見えるだけです」

「それはそれで不自然だよ!!」

「ちなみにこの保護色、無駄に高性能なんで、オレの頭までコピーするぞ」

 

 ………………つまり?

 

「張り付いた服と荷物から、オレの頭だけ出ているように見える!!」

「より目立つじゃねーか!?」

 

 はーはっはっは、と高笑いを上げる被疑者その二。

 何とはなしに反感を持たせるような行動は、どうしてか渚には、作為的に見える。

 無理をしている、或いは、感情の波にも似たモノが、荒ぶっている。

 動揺や疲弊はよくあるが、しかしここまで表面化した感情を見るのは初めてだった。

 余裕がないというか、空元気じみてるというか、そもそも顔が青白いというか。

 

 違和感から渚が彼を見つめれば、それをどう受け取ったのか。

 秋野はやっぱり、バツが悪そうに顔を背けて。

 

「いや、その。生身で時速数百キロの移動は怖いっていうか…………無理にテンション上げないと、発狂しそうで…………」

「思いの外切羽詰まった理由だった!?」

「にゅや、であれば先生の触手で目隠しを……」

「あ、それだけはやめて下さいね、本当に」

 

 不意に、車内アナウンスが流れる。

 恐らくは後一分もせずに、次の駅へと到着するのだろう。

 

 ──────椚ヶ丘中学校、三年E組四班、波乱の幕開けだった。

 

 

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