Q.一般探索者が黄色い触手を見た場合の反応を述べよ   作:お前の母ちゃんシュブ=ニグラス~!

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出来心からTwitterで本作の名前を検索したところ、幸せになれました。
ありがとうございます。



京都の時間

 積み上げられた歴史の街に、腰かける。

 吸い込む空気一つとっても、何やら"和"を感じさせる風情。

 それを息苦しいと思うよりも先に、退屈という毒が身体を満たした。

 

 故に、眼下一メートルに視線を浮かべる。

 沸騰するような人の波が、右から左へと川の様に流れていく。

 見知らぬ制服の、恐らくは自分と同じ立場の少年少女。

 忙しそうに人々の合間を縫って走るスーツの男性。

 何もかもが新鮮です、とでも言いたげな顔をした外国人。

 多種多様な人々の在り方、その一端を垣間見る。

 

 妙に装飾の凝ったガードパイプの上で、ただ、それを眺めた。

 知らず、自分がこの地に足をつける想像をすれば、何故かクラりと目が眩んだ。

 縮む脳の血管と、暗転しそうになる視界。

 それを、控えめに自己主張する太陽のせいと決めつけて、深く息をついた。

 

 天空も見れず、大地も見れず。

 だから、どこか遠くに意識を飛ばしてみることにした。

 肌を撫でた最後の春風に自分を乗せて、ソラへ。

 未来を求めた光速の視線。けれど、それを止めたのは、かつての遺物。

 

 齢千四百年以上を刻む、八坂の塔。

 意識は必然、その最上階層へと向かい、午後の予定に思いを巡らせる。

 班員たちと考えた暗殺計画。

 入念な計画と、それを実行する凄腕スナイパー。

 或いは一度きり、殺せんせーを殺せるのかもしれない、とまで考えて。

 …………けれど、やっぱりそれに意味は無いと結論を出して、頭を振った。

 

 その、視界の端で。

 

「──────あ、いたいた。秋野君!」

 

 丁度アイスクリーム屋から帰還した、渚君を筆頭とする、班員たちの姿を捉えた。

 表情と、手に持ったものから察するに、思い思いが買いたいものを買えたらしい。

 軽く右手を上げて挨拶を返す。

 すると、器用に人の隙間を縫って移動してくるクラスメイト達。

 暗殺の技術はこういうのにも活かせるのか、と感心したのも束の間。

 一分と経たずに、全員がこちら側へと辿り着いていた。

 

「おう、おかえり。抹茶アイス買えた?」

「買えたよ~。茅野ちゃんなんかホラ、"私今世界一幸せです"って感じの顔してんじゃん」

「本当だ、と言うか、もう既に半分くらい消えてる…………」

 

 美味しそうにアイスクリームを頬張る茅野少女。

 …………凄まじい勢いだが、頭痛くなったりしないのだろうか、ああいうの。

 なんて考えれば、彼女に名状しがたい表情が浮かび上がる。

 どうやら痛みは時間差でやって来たらしい。

 こっちまで頭痛がしそうだ、と眺めていれば、横から伸びる声が一つ。

 

「…………けど、いいのかな。暗殺もあるのに、こんなゆっくりしちゃって…………」

 

 神崎さんからの心配が飛んだ。

 主にオレのせいで波乱の開幕を遂げた修学旅行も、今日で二日目を迎えていた。

 現在目下、班別自由行動の真っ最中。

 恐らく他の班は、引率としてついて回る殺せんせーの暗殺を実行しているか、この先の暗殺に対する下見を行っているところだろう。

 しかし、我らが四班はこうしてアイス休憩中。

 彼女の懸念も尤もな話だ。だが、

 

「大丈夫だよ、神崎さん。僕たちの暗殺は午後からだし、時間には余裕があるから」

 

 今回、オレ達生徒の役割は、政府の雇ったスナイパー…………赤い視線、みたいな名前だったか?…………による狙撃暗殺の補佐、及び陽動だ。

 無論どの班も、いくつかのサブプランは用意しているだろうが、基本的にはここに集中することになる。

 察するにこれは、政府からの手心という奴だろう。

 せっかくの修学旅行に負担を掛けまいとする配慮、と言い換えてもいい。

 なので、暗殺が後ろに予定されている四班にすれば、午前中は一般的な修学旅行と変わらないものになる。

 ならいっその事、それを楽しんでしまおう、と考えた方が得というもので。

 

「何事もメリハリが大事ってね、午前は目一杯楽しんどくべきだと思うぜ?」

「…………そうかな………うん、そうかもしれないね」

「そうそう! 私たちはこうして、午後のための英気を養っているのだよ!」

 

 回復したらしい茅野さんからの言葉。

 一度、文字通りに痛い目を見ているのに、アイスを食べるペースは低下する気配を見せない。

 どころか、もう殆ど残っていない。

 恐れ知らずなのか、それとも甘味への執着が凄まじいのか。

 何となく後者だろうと直感した。

 

「────けど、言う割にアイスは食べないんだよな、秋野」

 

 杉野からの声が響く。

 跳ねる心臓を無理やりに宥め、努めて冷静であれと自分に言い聞かせる。

 事実として、この班の中で唯一、オレはアイスクリームを購入していなかった。

 予め用意していた返答を紡ぐ。

 

「…………実はオレ、アイスはともかくコーンがちょっと、な」

「もしかして秋野君、小麦粉アレルギーですか?」

「厳密には違うんだけど、まぁ、似たような所だな」

「ふーん、なんだかちょっと意外かも」

 

 スプーンを咥えた茅野さんが感心したような声を上げる。

 オレにすればコーンなんて難敵も難敵といった所なのだが。

 なにせ、微妙に硬くて何度も咀嚼しなくてはいけないし、乾燥しているのだ、アレ。

 ただでさえ食事が難しいのに、口の中の水分まで持っていかれては、嚥下も難しくなってしまう。

 

「そうだったんだ…………じゃあ、はい。僕のアイス、一口あげるよ」

「え、いや、悪いって」

「遠慮しないでよ、ほら」

「──────、っ」

 

 ずい、と差し出されるプラスチックのスプーン。

 まだ口付けてないから、という渚君の言葉。

 予測こそしていた。けれど、それが現実になったことに、少しだけ思考が止まる。

 周囲からの、和やかな視線が突き刺さる。

 ここで食べない方が、かえって不自然と言うものだろう。

 

「………………いただきます」

 

 舌の上に広がる、甘く冷たい抹茶の味。

 それに言い知れぬ不快感を覚えて、けれど、予想の範疇だと強引に飲み込む。

 何やら期待の籠った目を向ける渚君に、何でもないように笑ってから、親指を立てた。

 そんなオレの様子に満足したのか、話題は次のモノへと移っていく。

 

「────思ったのですが、こういったモノに毒を盛るというのはどうでしょう?」

「え"っ!?なんで!?!?」

「ほら、殺せんせー、甘いものに目が無いですから」

「いいねぇ、名物で毒殺!」

「昨日もそれで遅刻してたぐらいだしな…………アリか」

 

 確かに、この街でなら甘味には事欠かないだろう。

 先ほど口にしたアイスクリームは勿論、抹茶わらび餅や、生八つ橋、生ういろう。

 洋菓子なんかも含めれば、更に選択肢は広がる筈だ。

 

「殺せんせーに効く毒があればいいんだけど…………」

「あったとしても勿体ないよ! 抹茶アイスが!!」

 

 私絶対に許しませんからね、と言う風体のスイーツ少女。

 何が彼女をそこまで突き動かすのか、少しばかり不思議だが、年頃の女の子と言えばこんな物なのだろう。

 スイーツの価値は、百億円よりも重たいのだ。…………多分。

 

「でもさぁ、修学旅行の時くらい、暗殺の事忘れたかったよな」

 

 伸びをしながら、遠く八坂の塔を見つめる杉野。

 なんとなく釣られて、もう一度あちら側を眺めてみる。

 先ほどと変わらず、堂々と佇むその姿は、荘厳であると同時に得も言われぬ安心感を齎してくれる。

 

「いい景色じゃん。暗殺なんて、縁のない場所でさ」

「そうでもないよ────ほら、あそことか」

 

 渚君の指さした方向に、皆の視線が集中していく。

 対向車線の先、平日だというのに人だかりの出来ているそこ。

 

「………回転寿司いのしかちょう…………?」

「その隣かな。遠めだとわかりにくいけど、石碑が見えない?」

「あ~、そう言えばここら辺って」

「一八六七年、坂本龍馬暗殺…………"近江屋"の跡地だよ」

 

 辞書のようなしおりを片手に解説を始める渚君。

 簡潔かつ分かりやすい説明に、不覚にも聞き入ってしまう。

 それは直感的に、彼は教師などが向いている、と感じさせるような具合。

 何かの間違いで地球が存続すれば、そんな未来も有り得るのだろう。

 

「なるほどな~、言われてみれば、こりゃ立派な暗殺旅行だ」

「…………っと。もうみんな食べ終わったね、そろそろ移動しようか」

「いい時間だしな。オレ達の次の予定は…………八坂神社か」

 

 各々が近くのゴミ箱に紙とスプーンを捨て、人の流れに沿って歩き出す。

 それに少しだけ遅れて、オレも地面に降り歩みを再開する。

 歩を進めるたびに巡っていく血液に、若干の居心地の悪さを覚えれば、隣から声がした。

 

「ねぇ、秋野君。少し、聞きたいことがあるんだけど」

「神崎さんがオレに?」

 

 小さな声だった。まるで秘密のやり取りをする予兆のような。

 

「生憎だけど、京都の知識なんかは他の班員に聞いた方が……」

「ううん。そういうのじゃなくてね」

「………………?」

 

 記憶を掘り起こしてみるが、まるで見当がつかない。

 オレの小さな困惑をよそに、神崎さんは尚も言葉を紡ぐ。

 

「その、秋野君は────」

「──────おーい、二人とも、早くしないと置いてっちゃうぞ~!」

「八坂神社までの道中で甘ったるいコーヒーとか飲もうよ~」

「飲もう飲もう!!」

 

 茅野、赤羽の甘党同盟からの言葉。

 早いもので、他の班員たちは随分先まで足を進めていた。

 流石に、こうも人の多いところではぐれるのはシャレにならない、と。

 

「悪い、神崎さん。話はまた後で、アイツらに追いついてからにしよう」

「あ、うん…………」

 

 手を取って、小走りに彼らの下へと向かう。

 ──────結局その後も、彼女からの話は聞くことが出来なかった。

 

 ◇◇◇

 

 時は過ぎて、時針は十二時を少し回ったところ。

 耳に届く喧騒は、既にどこか遠くへと。

 仄暗い路地に、石畳を踏む音だけが響いている。

 往来の激しい大通りから逸れて暫く。

 広がった視界と、狭まった青空。

 知らず、目の覚めるような静謐な空気の中で、息を吸った。

 

「へー、祇園って奥に入ると、こんなに人気(ひとけ)ないんだ」

 

 前方を歩く少女の声。

 午前の観光も終わり、オレ達は遂に暗殺計画へと身を乗り出した。

 そして訪れた場所がここ、祇園奥の、ちょっとした路地裏だ。

 路地裏、と言っても、アングラな気配は微塵もない。

 京都で施策しているという景観条例の成果か、中々どうして風情を感じさせる具合。

 人影一つ見当たらない寂しさこそあるが、自分が人酔いする手合いであることを考えれば、むしろ上等といった所。

 密かに気分を良くするオレを他所に、先の言葉に対する返答が走る。

 

「うん、一見さんはお断りの店ばかりだから、目的もなくフラっと来る人もいないし、見通しが良い必要もない」

 

 だから私の希望コースにしてみたの、と神崎さんの説明。

 班員たちは強く納得したのか、ここでの決行に決めるらしい。

 勿論、オレとしてもそれには大賛成だ。

 何よりも第三者の介入を避けている、という所が気に入った。

 

 赤羽暗殺未遂の件もそうだったが、居るはずのない異分子は、存在するだけであらゆる計画を破壊する。

 立場がなんであれ、オレは嫌と言う程その手の事案を経験をしてきた。

 切り札の絵柄がジョーカーのような物で。

 今回は仕掛ける側に回った以上、可能な限りそれを排除するという考えには好感が持てる。

 

 事実として、道を逸れてから暫く、この最奥にたどり着くまでにかなりの時間を要した。

 言ってしまえば、ここは天然の…………いや、歴史の作った迷宮だ。

 侵入にも、脱出にも苦労してしまうような、ある種の異界。

 この際、結界、と言い換えてもいいだろう。

 空間と空間を結ぶ地点における深い断絶を生むのなら、魔術的なモノであれ物理的なモノであれ、それは結界と呼べる。

 

 その点で言って、この場所は優秀な結界だ。

 事象の隠蔽、人払い、そして、それらの効果を外部の誰にも気取らせない事。

 魔力/魔術に頼らない結界の利点を、これ以上なく高度に活かしている。

 むしろ、この手腕を見習いたいと思う程だ。

 

 …………だから、この結界に欠点があるとすれば、一つだけ。

 

「──────マジ完璧。なァんでこんな拉致りやすい場所歩くかねぇ?」

 

 強い目的意識を持った第三者の介入を防げない事だけだ。

 

 粗野な足音が響く。

 悪意に満ちた声の正体は、見知らぬ顔の学生。

 オレ達よりも平均的に体格が大きい事から察するに、恐らくは高校生だろう。

 下卑た笑顔を浮かべる姿には、醜悪と言う言葉がこれ以上なく似合って見えた。

 

「…………何、お兄さん等。観光が目的っぽくないんだけど?」

「男に用はねぇ、女置いておうちに帰────ガッ!?」

 

 言い切るよりも早く、そして速く赤羽は駆け出し、そして男を沈めた。

 顔を掴まれ、大地へと捻じ伏せられる高校生。

 先手必勝、一撃必殺。

 不意打ちにおける理想的な戦闘の流れ、その動き。

 口角を上げて、赤羽は語る。

 

「ほらね、渚君。目撃者のいないトコなら、喧嘩しても問題ないっしょ?」

 

 洗練された動作に感心すると同時に、彼我の戦力差を冷静に分析する。

 あちらの戦力はそれなりの体躯をした高校生が三名。

 一人が潰れ、他二人には小さな危機感が走っているようにも見える。

 対するこちらは、動ける戦力が赤羽のみ。オレを含めたとしても、たった二名。

 後方には女子が三人。先程の発言からするに、連中の目的は女子陣の誘拐。

 必然的に防衛戦の形になるが………恐らく問題はないだろう。

 ────現状見えている戦力差のままならば、の話だが。

 

「テメェ、刺すぞ!!」

「刺す? そんな気も無いのに────?」

 

 不良の一人が、どこからかナイフを取り出し赤羽へと肉薄する。

 喉元への最短距離を辿る白刃。

 けれど、その刃先は躊躇いに揺れていて。

 必然として、そんな物は彼の命に届くことなく、先と同様にして沈む。

 

 耳に異音が届いたのは、きっと同時だった。

 

「…………赤羽、避けろ!!」

「わかってんじゃんか!」

 

 彼の背後に飛来した黒い影と、虚しく溶ける忠告。

 自由落下する赤い頭髪は、事態の趨勢が逆転したことを告げていた。

 

「ホント隠れやすいな、ココ。────おい、女さらえ」

 

 四方から現れる、十人を超す高校生たちの群れ。

 恐らくは、周囲の狭い通路。

 オレ達の注目を最初の三人に集中させた上で行われた、奇襲作戦。

 予期できていたはずの事態、対処できなかった事実に苛立ちが募る。

 

 けれどその激情を叩き伏せ、今ある現実を、尚冷静に俯瞰する。

 不良の数と配置は、正面に二人、左右に三人ずつ、そして後方に四人の、計十二人。

 先ほど指示を出したことから察するに、顔に傷のある正面の男が主犯格だろう。

 見えうる限り、武器を持った人間は赤羽を倒した男のみ。

 ただし、先程のナイフの例から考えて、隠し持っている可能性は十分にある。

 

 得られる情報、限られた条件下で、自信の最適な行動を模索する。

 不良の撃退…………言わずもがな不可能だ。

 ならオレだけ逃げるか? 単独でなら、この袋小路の状態にあっても逃げ切れる自信がある。

 …………いや、駄目だ。その行動には何の意味も価値も無い。

 連中の目的を考えろ、最早完全勝利の道はない、ならば────。

 様々な考えが浮かんでは消えを繰り返す。

 いつしか、脳内で結論が導かれる。

 

 これから始まるのは敗戦処理だ。

 赤羽が倒れた以上、最早真っ当な手段での挽回は不可能。

 当然と言えば当然の帰結。

 如何な経験をしたところで、自らよりも体格の優れた相手を十人以上屠る術など、手に入る筈もない。

 奥歯を噛んだ真意は、自分にもわからない。

 

 視界をチラつく異端を振り払って、最悪の事態を想定し、行動に掛かった。

 

 反転、後方へと全力で走駆する。

 吹き抜ける一秒の突風。一息に過剰運動を開始する心の臓。

 鋼が如くに拳を握りこむ。

 狙いを一点に絞り込み、加速をそのまま…………悪意に歪んだ不良に対して振りぬいた。

 

「が、な──────!?」

 

 熱を帯びた息を深く吐いて、不敵に笑う。

 

「どうした、来いよ。中学生の女の子しか相手できません、なんて言ってくれるなよ?」

 

 全員が呆然とする刹那。

 風のような沈黙が過ぎ、不良たちの表情が憤怒に染まる。

 ここからが正念場。

 オレの体力が尽き果てるまでの勝負だ、と空笑いを浮かべて。

 ────眼前へと迫りくる拳を、紙一重で回避した。

 

 それからの事は、最早語るべくもない。

 その先に待ち受けていたのは、永遠にも似た遅滞戦術。

 己を削り、時間を生むことのみを至上とする、意味の無い持久戦。

 放たれる波状攻撃を、避けて、流して、また避けて。

 けれどいつしか、限界が来て。

 結局最後には、彼女らは攫われて。

 

 そのまま意識は、深く、暗闇の底に溶けていった。

 

 ◇◇◇

 

 霞がかった意識の中で、なんとなく、自分が生きていることを直感した。

 瞼を落とせば、消え行ってしまいそうな記憶の断片。

 雲の上で浮かぶような、曖昧な自己観念。

 

 オレを形作ったのは、きっと。くるくると、優しい手つきが右腕に乗った感覚だった。

 

 いつの間にか自分の家にいて、オレは自分を取り戻していた。

 不思議と安堵してしまうような、心許せるその動作に神経が向く。

 知っている。オレは世界の誰よりも、知っている。

 思い浮かぶ少女は、真実、向けた目線の先にいた。

 

 美しい銀糸の彼女に、告げるだけの言葉は無い。

 なのに、口を突いて出そうになる声だけが、喉元で停止する。

 それが何だかちぐはぐで、自分事なのに、クスりと笑ってしまう。

 

 彼女はオレの、そんな動作をどう思ったのか。

 何やら怒っている様子で、音の無い言葉を紡ぐ。

 やっぱりオレには返す言葉は無いのに、知らず、形のない声が宙を舞う。

 

 彼女の手にあった消毒綿が、傷口で止まる。

 そして思い至る。────そうだ、これは、ゆめだ。

 

 消毒液が染みて痛いはずなのに、どうしてだろう。

 オレなんかよりも、彼女の方が何倍も苦しそうで。

 だから、身体の傷よりも先に、心が締め付けられたんだ。

 …………ごめん、ごめんな。お前に、そんな顔をさせたかったわけじゃ無かったんだ。

 オレはただ、お前に──────

 

 言う資格のないセリフは、思念の波に掻き消えていった。

 

 ◇◇◇

 

「──────、ぁ」

 

 張り裂けてしまいそうな程に乾ききった喉は、意味の無い音を生むばかり。

 いつの間にか浮上し切っていた意識。

 視界いっぱいに広がった鈍色の空。

 肌へと伝わる感触は、ここが屋外であると告げている。

 …………どうやら、最悪の事態は免れたらしい。と。

 小さな安堵に包まれていれば、頭上から声がした。

 

「あ、秋野君。目が覚めたんですね!」

「大丈夫だった…………? はい、これ、お水」

 

 上下逆さまに映る二人の人影は、奥田さんと渚君だった。

 彼らの身体に、出血や土埃のような汚れは見当たらない。

 見たところ、どちらも目に見える怪我はしていない様だ。

 

「…………おはよう。二人とも、無事でよかったよ」

 

 軋みをあげる身体に鞭を打つ。

 上体を起こして、渚君からペットボトルを受け取る。

 少しだけ温いソレを胃の中に流し込もうとして、

 

「──────、けほっ、けほっ」

 

 ゆっくりと飲み込もうとした水分は、咳と共に吐き出されてしまう。

 痛みの根源を探してみれば、背中と腹部に、大きく一点ずつ。

 最後の記憶は腹部に拳が入った所だったから、恐らく追い打ちを食らったのだろう。

 妙に眩暈もするし、もしかしたら頭にも入れられたかもしれない。

 

「大丈夫!? どこか怪我とか…………」

「いや、問題ない。ちょっとビックリしただけ。それよりも、他の皆は?」

「こっちは問題ねーけど…………つか、一番やられてたのお前だし」

 

 既に起き上がっていたらしい、杉野の声。

 その方向を見るが、少々苦しそうに腹部を擦っている。

 残念ながら、杉野は奴らの魔の手から逃れる事は出来なかったらしい。

 聞く限りでは復調気味なのが救いだろうか。

 

 渚君から貰った水を、少しずつ胃に流し込む。

 今度は咽る事なく、温くなった液体が喉を通って落ちていく。

 それに言いようのない気持ち悪さを覚えると同時に、少しだけ視界が開ける感触がした。

 そして、奥で赤羽が起き上がる姿を認めた。

 この場にいないメンバーは二人…………つまり、そういう事だろう。

 

「…………ごめんなさい、思いっきり隠れてました」

「謝んないでよ、奥田さん。その為に時間稼ぎしたんだから」

「ああ。やっぱりアレって、そういう意味だったのな」

「渚君が無傷なの、杉野の指示か。良く分かったな」

「…………? すみません、意味が…………」

「あー、つまり………………」

 

 あの時点で、天地がひっくり返ってもオレ達に勝ちの目は無かった。

 だから、勝利するための行動から、最悪の事態を避けるための行動にシフトしたのだ。

 

 あの場における最悪のシナリオとは何か。

 それ即ち、オレ達全員が拉致されることによる事態発覚の遅延だ。

 "目撃者のいないところなら、喧嘩しても問題ない"という論は、ある種、諸刃の剣と言える。

 なにしろそれは裏を返せば、敗北した場合助けてくれる第三者が、欠如しているのと同じ事。

 

 幸いにしてオレ達には、防衛相と言うこれ以上ない後ろ盾がいる。

 一般人であるE組生徒にあんな無茶を依頼している以上、この程度の事案なら十全に対処してくれる。

 

「………………だから、奥田さんや渚君から目を逸らすためにボコボコにされたって訳」

「あ、危なすぎます…………! いえ、理由は理解できますが…………」

「ははは、でもまぁ、結果的に最悪は避けられたし、これで────」

「────いや、そう単純な話でもなさそうだよ」

 

 オレの言葉に被せるように、赤羽が不穏な声を上げる。

 それを横目に渚君から、彼が普段使っているペンとメモ帳を借りた。

 

「車のナンバー、隠してやがった。多分盗車だし、どこにでもある車種だし。…………犯罪慣れしてやがるよ、アイツら」

 

 ペンを走らせる音が、小さく響く。

 オレが赤羽の観察眼に驚嘆するのと同時に、皆の顔が暗い色に染まる。

 ナンバープレートの情報もなく、車という機動力を持った相手の特定は困難極まる。

 それほど時間は経過していないが、或いは、京都市外に出向くことさえあり得る。

 そうなってしまえばお手上げだ。

 同等以上の機動力を持たないオレ達に勝ち目はない。

 

「通報しても、すぐには解決しないだろうね。…………ていうか、オレに直接処刑させて欲しいんだけど」

 

 ペンを使う手が一瞬止まり、そしてすぐに動き出す。

 喉に刺さった小骨のような疑問が、消えていく。

 四月のあの事件。

 警察で碌に調査している気配がないと思えば、つまり()()()()()らしい。

 小さな納得に戦慄していると、横から声が掛かる。

 

「なぁ、秋野。さっきから渚のメモに何書いてんの?」

「ん、あぁ。あの高校生の制服についてたボタンを描いてる」 

「………………なんで? てか上手っ」

「あぁ~…………なるほどね。秋野、やるじゃん」

 

 赤羽はオレの行動の意味が分かったらしい。

 それに少しだけ自慢げな表情を浮かべて。

 スマホを取り出し、画像検索を掛ける────ヒット。

 あとは確認できた校章から、さらに学校そのものへと検索を掛けていけば、ほら。

 

「市立極楽高校…………東京の、所謂ヤンキー校だな」

「そっか、身元さえ分かっちゃえば学校に問い合わせて…………!」

「皆さん助かるんですね!」

 

 奥田さんの言葉に、こくりと頷いて見せれば、皆の顔が明るく変わる。

 オレ達を前に顔を晒し、所属を晒し、その癖口封じもしなかった間抜け。

 その代償は、どうやら高くつきそうだ。

 ………………だが。

 

「一つだけ、懸念点がある」

 

 確かにオレの挙げた方法は、確実に連中を破滅させるだろう。

 それは間違いないし、そこに罪悪感を感じているわけでもない。

 オレが問題にしているのは、事件解決までのスピード…………もっと言うなら、彼女らに残された猶予時間だ。

 "女にしか用はない"というセリフと、オレ達がここに残されたこと。

 察するところは、即ち。

 

「…………そうか、そう言う事ね…………」

 

 赤羽の声が重たい。

 あまりピンと来ていない人物が若干三名いるが、この際本質は分からなくてもいい。

 ただ、見えないタイムリミットがある事。それだけは理解してほしいと言い含める。

 

 とにかく、現状必要なのは速度だ。

 いち早く潜伏個所を暴き、二人を救出する必要がある。

 彼女らが、心を壊してしまうよりも早くに。

 

「さっきの泥仕合の最中に、連中の一人に小型のGPSを仕込んだ」

 

 指をスライドさせれば、目論見通りの反応が一つ。

 スマホの地図アプリ映るのは、郊外の廃墟。

 軽く調べたところ、元はビリヤード屋で、周囲からしてゴーストタウンになっている。

 潜伏場所としてはうってつけだろう。

 

 恐らくはここに、攫われた二人が居るはずだ。

 そして、先の不良たちも、同様に。

  

「ここに乗り込めば、もしかしたら、真っ当な方法よりも早く二人を助けられるかもしれない」

 

 沈黙が場を支配する。

 各々が混乱した表情を浮かべている。

 しかし当然だ、真っ当な人間なら、こんな事態にはまず直面しない。

 それに見合った対処も含めて、想定することすら無いだろう。

 

「あの…………これを警察に提出しては、ダメなんでしょうか?」

「あ、確かに。居場所さえわかるなら、僕たちじゃなくても────」

「生憎だが、オススメできない。大きな組織は、たかだか一歩を踏み出すのにも、莫大な労力を払うものだからな」

 

 通報のみなら半日で解決、と仮定した場合、一時間短縮できれば上等といった所。

 一刻を争う現在、そんな悠長な真似は看過できない。

 けれど、そんな闘争と無関係でいたい、と考えるのも正しい事だ。

 だからこそ、道を提示する。

 

「────それで、お前たちはどっちを選ぶ?

 時間こそかかるが、確実な事態収束か。或いは、リスクを掛けてオレ達で救うか」

 

 二者択一の言葉。

 彼らの返答は、とうに決まっていた。

 

 

 

 

 

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