Q.一般探索者が黄色い触手を見た場合の反応を述べよ 作:お前の母ちゃんシュブ=ニグラス~!
ありがとうございます。
積み上げられた歴史の街に、腰かける。
吸い込む空気一つとっても、何やら"和"を感じさせる風情。
それを息苦しいと思うよりも先に、退屈という毒が身体を満たした。
故に、眼下一メートルに視線を浮かべる。
沸騰するような人の波が、右から左へと川の様に流れていく。
見知らぬ制服の、恐らくは自分と同じ立場の少年少女。
忙しそうに人々の合間を縫って走るスーツの男性。
何もかもが新鮮です、とでも言いたげな顔をした外国人。
多種多様な人々の在り方、その一端を垣間見る。
妙に装飾の凝ったガードパイプの上で、ただ、それを眺めた。
知らず、自分がこの地に足をつける想像をすれば、何故かクラりと目が眩んだ。
縮む脳の血管と、暗転しそうになる視界。
それを、控えめに自己主張する太陽のせいと決めつけて、深く息をついた。
天空も見れず、大地も見れず。
だから、どこか遠くに意識を飛ばしてみることにした。
肌を撫でた最後の春風に自分を乗せて、ソラへ。
未来を求めた光速の視線。けれど、それを止めたのは、かつての遺物。
齢千四百年以上を刻む、八坂の塔。
意識は必然、その最上階層へと向かい、午後の予定に思いを巡らせる。
班員たちと考えた暗殺計画。
入念な計画と、それを実行する凄腕スナイパー。
或いは一度きり、殺せんせーを殺せるのかもしれない、とまで考えて。
…………けれど、やっぱりそれに意味は無いと結論を出して、頭を振った。
その、視界の端で。
「──────あ、いたいた。秋野君!」
丁度アイスクリーム屋から帰還した、渚君を筆頭とする、班員たちの姿を捉えた。
表情と、手に持ったものから察するに、思い思いが買いたいものを買えたらしい。
軽く右手を上げて挨拶を返す。
すると、器用に人の隙間を縫って移動してくるクラスメイト達。
暗殺の技術はこういうのにも活かせるのか、と感心したのも束の間。
一分と経たずに、全員がこちら側へと辿り着いていた。
「おう、おかえり。抹茶アイス買えた?」
「買えたよ~。茅野ちゃんなんかホラ、"私今世界一幸せです"って感じの顔してんじゃん」
「本当だ、と言うか、もう既に半分くらい消えてる…………」
美味しそうにアイスクリームを頬張る茅野少女。
…………凄まじい勢いだが、頭痛くなったりしないのだろうか、ああいうの。
なんて考えれば、彼女に名状しがたい表情が浮かび上がる。
どうやら痛みは時間差でやって来たらしい。
こっちまで頭痛がしそうだ、と眺めていれば、横から伸びる声が一つ。
「…………けど、いいのかな。暗殺もあるのに、こんなゆっくりしちゃって…………」
神崎さんからの心配が飛んだ。
主にオレのせいで波乱の開幕を遂げた修学旅行も、今日で二日目を迎えていた。
現在目下、班別自由行動の真っ最中。
恐らく他の班は、引率としてついて回る殺せんせーの暗殺を実行しているか、この先の暗殺に対する下見を行っているところだろう。
しかし、我らが四班はこうしてアイス休憩中。
彼女の懸念も尤もな話だ。だが、
「大丈夫だよ、神崎さん。僕たちの暗殺は午後からだし、時間には余裕があるから」
今回、オレ達生徒の役割は、政府の雇ったスナイパー…………赤い視線、みたいな名前だったか?…………による狙撃暗殺の補佐、及び陽動だ。
無論どの班も、いくつかのサブプランは用意しているだろうが、基本的にはここに集中することになる。
察するにこれは、政府からの手心という奴だろう。
せっかくの修学旅行に負担を掛けまいとする配慮、と言い換えてもいい。
なので、暗殺が後ろに予定されている四班にすれば、午前中は一般的な修学旅行と変わらないものになる。
ならいっその事、それを楽しんでしまおう、と考えた方が得というもので。
「何事もメリハリが大事ってね、午前は目一杯楽しんどくべきだと思うぜ?」
「…………そうかな………うん、そうかもしれないね」
「そうそう! 私たちはこうして、午後のための英気を養っているのだよ!」
回復したらしい茅野さんからの言葉。
一度、文字通りに痛い目を見ているのに、アイスを食べるペースは低下する気配を見せない。
どころか、もう殆ど残っていない。
恐れ知らずなのか、それとも甘味への執着が凄まじいのか。
何となく後者だろうと直感した。
「────けど、言う割にアイスは食べないんだよな、秋野」
杉野からの声が響く。
跳ねる心臓を無理やりに宥め、努めて冷静であれと自分に言い聞かせる。
事実として、この班の中で唯一、オレはアイスクリームを購入していなかった。
予め用意していた返答を紡ぐ。
「…………実はオレ、アイスはともかくコーンがちょっと、な」
「もしかして秋野君、小麦粉アレルギーですか?」
「厳密には違うんだけど、まぁ、似たような所だな」
「ふーん、なんだかちょっと意外かも」
スプーンを咥えた茅野さんが感心したような声を上げる。
オレにすればコーンなんて難敵も難敵といった所なのだが。
なにせ、微妙に硬くて何度も咀嚼しなくてはいけないし、乾燥しているのだ、アレ。
ただでさえ食事が難しいのに、口の中の水分まで持っていかれては、嚥下も難しくなってしまう。
「そうだったんだ…………じゃあ、はい。僕のアイス、一口あげるよ」
「え、いや、悪いって」
「遠慮しないでよ、ほら」
「──────、っ」
ずい、と差し出されるプラスチックのスプーン。
まだ口付けてないから、という渚君の言葉。
予測こそしていた。けれど、それが現実になったことに、少しだけ思考が止まる。
周囲からの、和やかな視線が突き刺さる。
ここで食べない方が、かえって不自然と言うものだろう。
「………………いただきます」
舌の上に広がる、甘く冷たい抹茶の味。
それに言い知れぬ不快感を覚えて、けれど、予想の範疇だと強引に飲み込む。
何やら期待の籠った目を向ける渚君に、何でもないように笑ってから、親指を立てた。
そんなオレの様子に満足したのか、話題は次のモノへと移っていく。
「────思ったのですが、こういったモノに毒を盛るというのはどうでしょう?」
「え"っ!?なんで!?!?」
「ほら、殺せんせー、甘いものに目が無いですから」
「いいねぇ、名物で毒殺!」
「昨日もそれで遅刻してたぐらいだしな…………アリか」
確かに、この街でなら甘味には事欠かないだろう。
先ほど口にしたアイスクリームは勿論、抹茶わらび餅や、生八つ橋、生ういろう。
洋菓子なんかも含めれば、更に選択肢は広がる筈だ。
「殺せんせーに効く毒があればいいんだけど…………」
「あったとしても勿体ないよ! 抹茶アイスが!!」
私絶対に許しませんからね、と言う風体のスイーツ少女。
何が彼女をそこまで突き動かすのか、少しばかり不思議だが、年頃の女の子と言えばこんな物なのだろう。
スイーツの価値は、百億円よりも重たいのだ。…………多分。
「でもさぁ、修学旅行の時くらい、暗殺の事忘れたかったよな」
伸びをしながら、遠く八坂の塔を見つめる杉野。
なんとなく釣られて、もう一度あちら側を眺めてみる。
先ほどと変わらず、堂々と佇むその姿は、荘厳であると同時に得も言われぬ安心感を齎してくれる。
「いい景色じゃん。暗殺なんて、縁のない場所でさ」
「そうでもないよ────ほら、あそことか」
渚君の指さした方向に、皆の視線が集中していく。
対向車線の先、平日だというのに人だかりの出来ているそこ。
「………回転寿司いのしかちょう…………?」
「その隣かな。遠めだとわかりにくいけど、石碑が見えない?」
「あ~、そう言えばここら辺って」
「一八六七年、坂本龍馬暗殺…………"近江屋"の跡地だよ」
辞書のようなしおりを片手に解説を始める渚君。
簡潔かつ分かりやすい説明に、不覚にも聞き入ってしまう。
それは直感的に、彼は教師などが向いている、と感じさせるような具合。
何かの間違いで地球が存続すれば、そんな未来も有り得るのだろう。
「なるほどな~、言われてみれば、こりゃ立派な暗殺旅行だ」
「…………っと。もうみんな食べ終わったね、そろそろ移動しようか」
「いい時間だしな。オレ達の次の予定は…………八坂神社か」
各々が近くのゴミ箱に紙とスプーンを捨て、人の流れに沿って歩き出す。
それに少しだけ遅れて、オレも地面に降り歩みを再開する。
歩を進めるたびに巡っていく血液に、若干の居心地の悪さを覚えれば、隣から声がした。
「ねぇ、秋野君。少し、聞きたいことがあるんだけど」
「神崎さんがオレに?」
小さな声だった。まるで秘密のやり取りをする予兆のような。
「生憎だけど、京都の知識なんかは他の班員に聞いた方が……」
「ううん。そういうのじゃなくてね」
「………………?」
記憶を掘り起こしてみるが、まるで見当がつかない。
オレの小さな困惑をよそに、神崎さんは尚も言葉を紡ぐ。
「その、秋野君は────」
「──────おーい、二人とも、早くしないと置いてっちゃうぞ~!」
「八坂神社までの道中で甘ったるいコーヒーとか飲もうよ~」
「飲もう飲もう!!」
茅野、赤羽の甘党同盟からの言葉。
早いもので、他の班員たちは随分先まで足を進めていた。
流石に、こうも人の多いところではぐれるのはシャレにならない、と。
「悪い、神崎さん。話はまた後で、アイツらに追いついてからにしよう」
「あ、うん…………」
手を取って、小走りに彼らの下へと向かう。
──────結局その後も、彼女からの話は聞くことが出来なかった。
◇◇◇
時は過ぎて、時針は十二時を少し回ったところ。
耳に届く喧騒は、既にどこか遠くへと。
仄暗い路地に、石畳を踏む音だけが響いている。
往来の激しい大通りから逸れて暫く。
広がった視界と、狭まった青空。
知らず、目の覚めるような静謐な空気の中で、息を吸った。
「へー、祇園って奥に入ると、こんなに
前方を歩く少女の声。
午前の観光も終わり、オレ達は遂に暗殺計画へと身を乗り出した。
そして訪れた場所がここ、祇園奥の、ちょっとした路地裏だ。
路地裏、と言っても、アングラな気配は微塵もない。
京都で施策しているという景観条例の成果か、中々どうして風情を感じさせる具合。
人影一つ見当たらない寂しさこそあるが、自分が人酔いする手合いであることを考えれば、むしろ上等といった所。
密かに気分を良くするオレを他所に、先の言葉に対する返答が走る。
「うん、一見さんはお断りの店ばかりだから、目的もなくフラっと来る人もいないし、見通しが良い必要もない」
だから私の希望コースにしてみたの、と神崎さんの説明。
班員たちは強く納得したのか、ここでの決行に決めるらしい。
勿論、オレとしてもそれには大賛成だ。
何よりも第三者の介入を避けている、という所が気に入った。
赤羽暗殺未遂の件もそうだったが、居るはずのない異分子は、存在するだけであらゆる計画を破壊する。
立場がなんであれ、オレは嫌と言う程その手の事案を経験をしてきた。
切り札の絵柄がジョーカーのような物で。
今回は仕掛ける側に回った以上、可能な限りそれを排除するという考えには好感が持てる。
事実として、道を逸れてから暫く、この最奥にたどり着くまでにかなりの時間を要した。
言ってしまえば、ここは天然の…………いや、歴史の作った迷宮だ。
侵入にも、脱出にも苦労してしまうような、ある種の異界。
この際、結界、と言い換えてもいいだろう。
空間と空間を結ぶ地点における深い断絶を生むのなら、魔術的なモノであれ物理的なモノであれ、それは結界と呼べる。
その点で言って、この場所は優秀な結界だ。
事象の隠蔽、人払い、そして、それらの効果を外部の誰にも気取らせない事。
魔力/魔術に頼らない結界の利点を、これ以上なく高度に活かしている。
むしろ、この手腕を見習いたいと思う程だ。
…………だから、この結界に欠点があるとすれば、一つだけ。
「──────マジ完璧。なァんでこんな拉致りやすい場所歩くかねぇ?」
強い目的意識を持った第三者の介入を防げない事だけだ。
粗野な足音が響く。
悪意に満ちた声の正体は、見知らぬ顔の学生。
オレ達よりも平均的に体格が大きい事から察するに、恐らくは高校生だろう。
下卑た笑顔を浮かべる姿には、醜悪と言う言葉がこれ以上なく似合って見えた。
「…………何、お兄さん等。観光が目的っぽくないんだけど?」
「男に用はねぇ、女置いておうちに帰────ガッ!?」
言い切るよりも早く、そして速く赤羽は駆け出し、そして男を沈めた。
顔を掴まれ、大地へと捻じ伏せられる高校生。
先手必勝、一撃必殺。
不意打ちにおける理想的な戦闘の流れ、その動き。
口角を上げて、赤羽は語る。
「ほらね、渚君。目撃者のいないトコなら、喧嘩しても問題ないっしょ?」
洗練された動作に感心すると同時に、彼我の戦力差を冷静に分析する。
あちらの戦力はそれなりの体躯をした高校生が三名。
一人が潰れ、他二人には小さな危機感が走っているようにも見える。
対するこちらは、動ける戦力が赤羽のみ。オレを含めたとしても、たった二名。
後方には女子が三人。先程の発言からするに、連中の目的は女子陣の誘拐。
必然的に防衛戦の形になるが………恐らく問題はないだろう。
────現状見えている戦力差のままならば、の話だが。
「テメェ、刺すぞ!!」
「刺す? そんな気も無いのに────?」
不良の一人が、どこからかナイフを取り出し赤羽へと肉薄する。
喉元への最短距離を辿る白刃。
けれど、その刃先は躊躇いに揺れていて。
必然として、そんな物は彼の命に届くことなく、先と同様にして沈む。
耳に異音が届いたのは、きっと同時だった。
「…………赤羽、避けろ!!」
「わかってんじゃんか!」
彼の背後に飛来した黒い影と、虚しく溶ける忠告。
自由落下する赤い頭髪は、事態の趨勢が逆転したことを告げていた。
「ホント隠れやすいな、ココ。────おい、女さらえ」
四方から現れる、十人を超す高校生たちの群れ。
恐らくは、周囲の狭い通路。
オレ達の注目を最初の三人に集中させた上で行われた、奇襲作戦。
予期できていたはずの事態、対処できなかった事実に苛立ちが募る。
けれどその激情を叩き伏せ、今ある現実を、尚冷静に俯瞰する。
不良の数と配置は、正面に二人、左右に三人ずつ、そして後方に四人の、計十二人。
先ほど指示を出したことから察するに、顔に傷のある正面の男が主犯格だろう。
見えうる限り、武器を持った人間は赤羽を倒した男のみ。
ただし、先程のナイフの例から考えて、隠し持っている可能性は十分にある。
得られる情報、限られた条件下で、自信の最適な行動を模索する。
不良の撃退…………言わずもがな不可能だ。
ならオレだけ逃げるか? 単独でなら、この袋小路の状態にあっても逃げ切れる自信がある。
…………いや、駄目だ。その行動には何の意味も価値も無い。
連中の目的を考えろ、最早完全勝利の道はない、ならば────。
様々な考えが浮かんでは消えを繰り返す。
いつしか、脳内で結論が導かれる。
これから始まるのは敗戦処理だ。
赤羽が倒れた以上、最早真っ当な手段での挽回は不可能。
当然と言えば当然の帰結。
如何な経験をしたところで、自らよりも体格の優れた相手を十人以上屠る術など、手に入る筈もない。
奥歯を噛んだ真意は、自分にもわからない。
視界をチラつく異端を振り払って、最悪の事態を想定し、行動に掛かった。
反転、後方へと全力で走駆する。
吹き抜ける一秒の突風。一息に過剰運動を開始する心の臓。
鋼が如くに拳を握りこむ。
狙いを一点に絞り込み、加速をそのまま…………悪意に歪んだ不良に対して振りぬいた。
「が、な──────!?」
熱を帯びた息を深く吐いて、不敵に笑う。
「どうした、来いよ。中学生の女の子しか相手できません、なんて言ってくれるなよ?」
全員が呆然とする刹那。
風のような沈黙が過ぎ、不良たちの表情が憤怒に染まる。
ここからが正念場。
オレの体力が尽き果てるまでの勝負だ、と空笑いを浮かべて。
────眼前へと迫りくる拳を、紙一重で回避した。
それからの事は、最早語るべくもない。
その先に待ち受けていたのは、永遠にも似た遅滞戦術。
己を削り、時間を生むことのみを至上とする、意味の無い持久戦。
放たれる波状攻撃を、避けて、流して、また避けて。
けれどいつしか、限界が来て。
結局最後には、彼女らは攫われて。
そのまま意識は、深く、暗闇の底に溶けていった。
◇◇◇
霞がかった意識の中で、なんとなく、自分が生きていることを直感した。
瞼を落とせば、消え行ってしまいそうな記憶の断片。
雲の上で浮かぶような、曖昧な自己観念。
オレを形作ったのは、きっと。くるくると、優しい手つきが右腕に乗った感覚だった。
いつの間にか自分の家にいて、オレは自分を取り戻していた。
不思議と安堵してしまうような、心許せるその動作に神経が向く。
知っている。オレは世界の誰よりも、知っている。
思い浮かぶ少女は、真実、向けた目線の先にいた。
美しい銀糸の彼女に、告げるだけの言葉は無い。
なのに、口を突いて出そうになる声だけが、喉元で停止する。
それが何だかちぐはぐで、自分事なのに、クスりと笑ってしまう。
彼女はオレの、そんな動作をどう思ったのか。
何やら怒っている様子で、音の無い言葉を紡ぐ。
やっぱりオレには返す言葉は無いのに、知らず、形のない声が宙を舞う。
彼女の手にあった消毒綿が、傷口で止まる。
そして思い至る。────そうだ、これは、ゆめだ。
消毒液が染みて痛いはずなのに、どうしてだろう。
オレなんかよりも、彼女の方が何倍も苦しそうで。
だから、身体の傷よりも先に、心が締め付けられたんだ。
…………ごめん、ごめんな。お前に、そんな顔をさせたかったわけじゃ無かったんだ。
オレはただ、お前に──────
言う資格のないセリフは、思念の波に掻き消えていった。
◇◇◇
「──────、ぁ」
張り裂けてしまいそうな程に乾ききった喉は、意味の無い音を生むばかり。
いつの間にか浮上し切っていた意識。
視界いっぱいに広がった鈍色の空。
肌へと伝わる感触は、ここが屋外であると告げている。
…………どうやら、最悪の事態は免れたらしい。と。
小さな安堵に包まれていれば、頭上から声がした。
「あ、秋野君。目が覚めたんですね!」
「大丈夫だった…………? はい、これ、お水」
上下逆さまに映る二人の人影は、奥田さんと渚君だった。
彼らの身体に、出血や土埃のような汚れは見当たらない。
見たところ、どちらも目に見える怪我はしていない様だ。
「…………おはよう。二人とも、無事でよかったよ」
軋みをあげる身体に鞭を打つ。
上体を起こして、渚君からペットボトルを受け取る。
少しだけ温いソレを胃の中に流し込もうとして、
「──────、けほっ、けほっ」
ゆっくりと飲み込もうとした水分は、咳と共に吐き出されてしまう。
痛みの根源を探してみれば、背中と腹部に、大きく一点ずつ。
最後の記憶は腹部に拳が入った所だったから、恐らく追い打ちを食らったのだろう。
妙に眩暈もするし、もしかしたら頭にも入れられたかもしれない。
「大丈夫!? どこか怪我とか…………」
「いや、問題ない。ちょっとビックリしただけ。それよりも、他の皆は?」
「こっちは問題ねーけど…………つか、一番やられてたのお前だし」
既に起き上がっていたらしい、杉野の声。
その方向を見るが、少々苦しそうに腹部を擦っている。
残念ながら、杉野は奴らの魔の手から逃れる事は出来なかったらしい。
聞く限りでは復調気味なのが救いだろうか。
渚君から貰った水を、少しずつ胃に流し込む。
今度は咽る事なく、温くなった液体が喉を通って落ちていく。
それに言いようのない気持ち悪さを覚えると同時に、少しだけ視界が開ける感触がした。
そして、奥で赤羽が起き上がる姿を認めた。
この場にいないメンバーは二人…………つまり、そういう事だろう。
「…………ごめんなさい、思いっきり隠れてました」
「謝んないでよ、奥田さん。その為に時間稼ぎしたんだから」
「ああ。やっぱりアレって、そういう意味だったのな」
「渚君が無傷なの、杉野の指示か。良く分かったな」
「…………? すみません、意味が…………」
「あー、つまり………………」
あの時点で、天地がひっくり返ってもオレ達に勝ちの目は無かった。
だから、勝利するための行動から、最悪の事態を避けるための行動にシフトしたのだ。
あの場における最悪のシナリオとは何か。
それ即ち、オレ達全員が拉致されることによる事態発覚の遅延だ。
"目撃者のいないところなら、喧嘩しても問題ない"という論は、ある種、諸刃の剣と言える。
なにしろそれは裏を返せば、敗北した場合助けてくれる第三者が、欠如しているのと同じ事。
幸いにしてオレ達には、防衛相と言うこれ以上ない後ろ盾がいる。
一般人であるE組生徒にあんな無茶を依頼している以上、この程度の事案なら十全に対処してくれる。
「………………だから、奥田さんや渚君から目を逸らすためにボコボコにされたって訳」
「あ、危なすぎます…………! いえ、理由は理解できますが…………」
「ははは、でもまぁ、結果的に最悪は避けられたし、これで────」
「────いや、そう単純な話でもなさそうだよ」
オレの言葉に被せるように、赤羽が不穏な声を上げる。
それを横目に渚君から、彼が普段使っているペンとメモ帳を借りた。
「車のナンバー、隠してやがった。多分盗車だし、どこにでもある車種だし。…………犯罪慣れしてやがるよ、アイツら」
ペンを走らせる音が、小さく響く。
オレが赤羽の観察眼に驚嘆するのと同時に、皆の顔が暗い色に染まる。
ナンバープレートの情報もなく、車という機動力を持った相手の特定は困難極まる。
それほど時間は経過していないが、或いは、京都市外に出向くことさえあり得る。
そうなってしまえばお手上げだ。
同等以上の機動力を持たないオレ達に勝ち目はない。
「通報しても、すぐには解決しないだろうね。…………ていうか、オレに直接処刑させて欲しいんだけど」
ペンを使う手が一瞬止まり、そしてすぐに動き出す。
喉に刺さった小骨のような疑問が、消えていく。
四月のあの事件。
警察で碌に調査している気配がないと思えば、つまり
小さな納得に戦慄していると、横から声が掛かる。
「なぁ、秋野。さっきから渚のメモに何書いてんの?」
「ん、あぁ。あの高校生の制服についてたボタンを描いてる」
「………………なんで? てか上手っ」
「あぁ~…………なるほどね。秋野、やるじゃん」
赤羽はオレの行動の意味が分かったらしい。
それに少しだけ自慢げな表情を浮かべて。
スマホを取り出し、画像検索を掛ける────ヒット。
あとは確認できた校章から、さらに学校そのものへと検索を掛けていけば、ほら。
「市立極楽高校…………東京の、所謂ヤンキー校だな」
「そっか、身元さえ分かっちゃえば学校に問い合わせて…………!」
「皆さん助かるんですね!」
奥田さんの言葉に、こくりと頷いて見せれば、皆の顔が明るく変わる。
オレ達を前に顔を晒し、所属を晒し、その癖口封じもしなかった間抜け。
その代償は、どうやら高くつきそうだ。
………………だが。
「一つだけ、懸念点がある」
確かにオレの挙げた方法は、確実に連中を破滅させるだろう。
それは間違いないし、そこに罪悪感を感じているわけでもない。
オレが問題にしているのは、事件解決までのスピード…………もっと言うなら、彼女らに残された猶予時間だ。
"女にしか用はない"というセリフと、オレ達がここに残されたこと。
察するところは、即ち。
「…………そうか、そう言う事ね…………」
赤羽の声が重たい。
あまりピンと来ていない人物が若干三名いるが、この際本質は分からなくてもいい。
ただ、見えないタイムリミットがある事。それだけは理解してほしいと言い含める。
とにかく、現状必要なのは速度だ。
いち早く潜伏個所を暴き、二人を救出する必要がある。
彼女らが、心を壊してしまうよりも早くに。
「さっきの泥仕合の最中に、連中の一人に小型のGPSを仕込んだ」
指をスライドさせれば、目論見通りの反応が一つ。
スマホの地図アプリ映るのは、郊外の廃墟。
軽く調べたところ、元はビリヤード屋で、周囲からしてゴーストタウンになっている。
潜伏場所としてはうってつけだろう。
恐らくはここに、攫われた二人が居るはずだ。
そして、先の不良たちも、同様に。
「ここに乗り込めば、もしかしたら、真っ当な方法よりも早く二人を助けられるかもしれない」
沈黙が場を支配する。
各々が混乱した表情を浮かべている。
しかし当然だ、真っ当な人間なら、こんな事態にはまず直面しない。
それに見合った対処も含めて、想定することすら無いだろう。
「あの…………これを警察に提出しては、ダメなんでしょうか?」
「あ、確かに。居場所さえわかるなら、僕たちじゃなくても────」
「生憎だが、オススメできない。大きな組織は、たかだか一歩を踏み出すのにも、莫大な労力を払うものだからな」
通報のみなら半日で解決、と仮定した場合、一時間短縮できれば上等といった所。
一刻を争う現在、そんな悠長な真似は看過できない。
けれど、そんな闘争と無関係でいたい、と考えるのも正しい事だ。
だからこそ、道を提示する。
「────それで、お前たちはどっちを選ぶ?
時間こそかかるが、確実な事態収束か。或いは、リスクを掛けてオレ達で救うか」
二者択一の言葉。
彼らの返答は、とうに決まっていた。