【書籍化進行中】異世界で職業:ヒモとしてみんなにバフを撒いてたら完全に逃げられなくなっていた話 作:スーパー巨大特濃葛根湯
感想、ここすき、お気に入り、全部とても励みになります。
ぜひどんどこお願いいたします。
特にここすきと感想は何度も見返して、みんながどんな話を求めてるかの参考にもしています。
天井を突き破ったソレは、垂れ下がる身体をぐぅと持ち上げて、顔──そう呼んでよい部位なのか、判別に困るが──をこちらへと向ける。
まるで列車が意思を持ち鎌首をもたげたかのような巨体には、これまでも幾度となく見てきた小型の物をそのまま大型化したのではなく、更にボス個体として象徴的に、禍々しさを感じる特徴がいくつか見受けられた。
プレデターじみていた口元は鋭い牙がいくつも散りばめられ、テラテラと粘液を垂らす開口部から、更に触手のような摂食器官が覗く。
ヤバいって、こんなの出てきたら現実がR-18になっちまう。
白くブヨついたなめし革のような表皮にも所々、まるで意匠すらをも感じられるほど露悪的に尖った部分が点在し、見る者の心理的忌避感を誘引する。
そしてなによりも目を引くのは、その巨体を覆いつくす程に輝く、漆黒のオーラ。
魔王との繋がりを示す、走狗の証。
ノートの端に描く『ぼくのかんがえたさいきょうのもんすたー』にしちゃあ、随分と子供受けが悪そうなデザインだ。次のはもっとちいさくてかわいいのにしないか?
これには芋虫寛容派だった鹿野ちゃんも、しっかりおててでバツ印を作っている。すいませんがノーマネーでフィニッシュです。お帰り下さい。
そんな登場後早速不人気キャラの座を我が物とした仮称:ボスパラサイトワームは、突き破った天井から僕らとキングダムの間へと降ってきて……止まる事なく、そのまま床を完膚なきまでにぶち壊し姿を消した。
震脚で割れていた地面が、衝撃でまくれ上がり波打ってまるで津波のように押し寄せ、崩落してきた天井も合わせ、この広場そのものが完全に崩落を始める。
おわわわわ!!! つ、通過するだけ!? 急行は止まらない駅みたいな話!??!?!!? まさかお帰り下さいでホントに帰るとは思わねぇだろ!
怒涛の展開に目を回しそうなものだが、というか僕は完全にぐるぐるなのだが、キングダムはわかっていたらしく余裕を持って、ショウヨウも咄嗟の反応で地面から飛び上がり、空中の瓦礫を蹴って生き埋めから逃れていく。
むこうとしちゃ、これも作戦の内だったってワケかな。すごいことすんね。どうすんだよ勢い余ってみんな丸呑みされちゃったら。石化フェチの天使、丸吞みもイケるって言ってたしまた興奮されちゃうよ。
「大事な話し合いを虫が邪魔しないように、今しがた調合したばかりの忌避剤を出入り口に撒いておいたのですが……どうやらあのサイズには効きが悪いようですね」
目黒さんに抱きついて難を逃れている委員長が、不服そうに不満を漏らした。
キングダムとの戦闘中もまったく我関せずと言わんばかりのマイペースさで、薬研を取り出し隅っこでゴリゴリやっていた委員長謹製の、製薬会社垂涎な害虫忌避剤ですら、ボスには効果が無かったらしい。
流石は委員長だ! 彼女なりにこの戦闘が大事な話し合いであることを理解し、それを全うさせる為に必要な措置を冷静に取っていたんだね!
僕の窒息寸前くらい苦しいヨイショに、委員長は満面のドヤ顔でふんすとかわいい鼻息を漏らす。もちろんクソヤベーが、注意は後からでもできる以上、今は彼女が物事に含まれた真意を少しでも汲み取れるようになった事を褒めよう。
成長を祝われなきゃ、人は次へ進めないからな。
キングダムが、たとえ敵に回ろうと「まあ正親さんはしょうがないし……」と見て見ぬフリをしてくれていたのは、有り難い限りである。ウチのクランは全員彼女に対して理解があり過ぎる。
それだけで僕らにまだ歩み寄りの余地がある事がわかりますね。
華麗にバク転を決める先輩の腕の中から見る上下逆さまの広間は、もはや跡形も無くなっていて、落ちてくる天井と巻き上がった床が混ざり合った混沌としたものだ。
一回ご破算にしようって算段にしても、しかし当のボスパラサイトワームがどっか行っちゃったんじゃ、これじゃ仕切り直し程度にしかなんないんじゃないだろうか。
一度出し抜かれたが故に、これ以上の失態を重ねまいと思考を走らせるが、彼らの目的が見えてこない。
ボスがどっか行っちゃったのは、彼らにとって計算違いだったという事だろうか?
いや、知名君の杖は未だに光を放っている。つまりあのボスは未だ別の場所へ誘導を受けているのだろう。
操れないが、遠隔励起で別の場所へ呼び寄せる事ができるのは証明されている。
彼女らは目的をもって時間を稼ぎ、これを起こした。では、これの繋がる先は果たしてどこだ?
どうなれば、僕らは危機に陥って、彼女らは勝利条件を満たせる?
言うまでもなく彼女らの勝ちの目は僕ら全員の戦闘不能である。
この崩落に巻き込まれて生き埋めに……なんてのはあまりにも自爆特攻過ぎるし、なによりその程度であれば先生一人で跳ね返されかねない。
割れてない床すら破壊できるんだから、バラバラに砕けた瓦礫くらいなら世紀末覇者ポーズで全部吹き飛ばせるもんな。
そりゃこれがエルフさんたち相手とかだったら、一発で痛恨の一撃になっただろうけれど……ってか、こんなのバフも無いハーフエルフさんたちがヤバいんじゃ!?
そう気付いた僕が気絶したハーフエルフさんたちの方を見ようと、首を伸ばしてそちらへ視線を送った刹那。
「今だ!!」
「ᚹᛁᚾᛞᚨᛁᚱᛁᛊ ᚠᛚᛟᚹ」
微かに謳うような詠唱が耳朶を打ち、強く背を引かれる感覚があったかと思えば、僕は先輩の手元をすり抜けて宙を舞っていた。
お、おおおぉぉ!?
「……ッ、青海クン!」
跳躍中に無理矢理体幹を捻じ曲げて、悪王寺先輩がこちらへと手を伸ばしてくるのが見える。
咄嗟に僕もその手を取ろうと手を伸ばし。
「ᚨᛊᛁᚱ ᛟᚱᛁᚷᛁᚾ ᛊᛁᛚᛖᚾ ᚹᚨᛚᚢᚷᚱ!」
ぐにゃりと視界が歪む。
しかしそれはなにも絶望の隠喩ではなく、単に目の前の現象を端的に言い表したに過ぎない。
王城さんの合図に合わせた古代エルフ語での詠唱により、めちゃくちゃにミックスされていた内壁が意思を持ったかのように形を変えて、僕らを飲み込み始めたのだ。
砕けた床や天井を覆っていた透明で硬質な膜が、意志持つスライムの様に操作され、急ごしらえな地殻変動を巻き起こす。
落ちながらに見えたハーフエルフたちは、既に奇妙な形に組み上がった壁で守られ、この崩落を乗り切ろうとしていた。恐らくこれを起こしたのは、さっき護られていたハーフエルフの魔術師なのだろう。
そうして、僕とみんなの間にある破片が寄り集まり、壁となって分断しようとする。
ヤバっ……!
「青海ッ!! だっ、らああああぁぁぁァァァッッ!!!」
明星先輩が巨大な天井の板を蹴りつけてこちらへと飛んでくるのが、作り上げられた壁に視界を遮られる前に見えた、最後の光景だった。
その直後、岩盤を叩き割るかのような轟音が二度響き渡り……しかし、ついぞ目の前の壁が砕ける事は無かった。
こうして僕らは、こちらの世界へ来て初めて、バラバラになった。
数秒ほど続いた浮遊感の後、僕はどちゃりと腹から地面へ墜落した。おぶぇ、あててて……。
急いで起き上がり周囲を見回せば、まるで鍋の底みたいな窪地に僕は落とされていた。頑張れば登れそうな壁の上に、どこかへと続く道が見えている。
そしてこの場に仲間は一人も居なかった。みんなもどこかへと連れてかれてしまったらしい。
……マズく、ない? ……マズい、マズいマズい!!
「分断……これは、お前たちと敵対するとなった時、まず最初に第一段階目標として設定された事だった。それは無論、お前たちのチームワークを高く評価しての事でもあるが……どちらかといえば、一つの違和感が僕らの中にあったからだ」
コツコツ、と。
硬質な床を踵で叩く靴音が、背後から近付いてくる。
僕の他にたった一人だけこの部屋に存在した、悲しいかな現在
「これだけの力を有したパーティの中に、無能を入れておく必要がどこにある?」
何もかもを見透かしたかのように、彼は冷たい目で僕を見下している。
それは無能に対して嫌悪感を持つというよりは、むしろ。
あまりにも浅はかな猿知恵を蔑むような感情。
「あまつさえそれを頑なに庇護し、戦闘中も要人かの如く誰かが抱え、なにをするにしても意識を割いている様は、そうだな……言うなれば──『命綱』であるかのようだ」
神から『魔術師』の才能を授けられた秀才の眼前に立つは、たった一人では何もできない
これから何が起こるかなんて、火を見るよりも明らかだろう。
それこそ、教えてもらう必要すらない程に。
「あまり僕らを馬鹿にするなよ……お前はバッファーだ。お前こそがあのパーティの異様な力の源なのだろう。これほど簡単な証明問題もない。そこを自明の理たる公理とし、すべての計画は立案された」
くるりと回された杖は、先程までの戦闘時よりも強く青い魔力燐光を帯びている。
デスマーチじみたマルチタスクに割り振られていたリソースが、一本に束ねられて本来の力を取り戻し脈打った。
「業腹ながら夢の指図通り世界樹へ向かう途中で、その推測を聞いた彼女は僕に、たった一言『なんとかしろ』とだけ言いつけた。……そんな無茶振りも、王がそう命じたのならばやってやるのが下の役目だ。まあ、時間稼ぎもヘイト集めも自ら体を張るだけ、アイツは良い王様ですらあるのかもしれん。あの叫び自体は、半ば本気の自棄ではあっただろうがな」
そんな彼を前にして、僕の背に嫌な汗が伝う。
言いしれぬ嫌な感覚が、喉元で蠢いている。
これまで味わったことのない、どうしようもない絶望の足音が、どうしてか脳裏に響いた。
「そうしてやってきた世界樹にてアイツが従えた件のハーフエルフは、ダンジョンのアドミニスター権限を持つわけではないが、ボスパラサイトワームの能力の一部を魔王なる者から授けられていた。このダンジョン内部を覆う硬質化した膜を、液状化してある程度自由にできるのだそうだ。そんな隠し玉がある事を踏まえると……更にその手前にもう一つ、相手に『これが奥の手か』と思わせるような奇手を用意せねばならなかった。ジョーカーがもっとも有効に使えるのは、相手に『ジョーカーを使い切った』と思わせた直後だからだ」
語られるはこれまでの答え合わせであり、何も見抜けなかった劣等生へ押された不合格の烙印。
単純な力比べという戦術とも呼べぬ手段を、考え抜かれた戦略で覆した
出来損ないに送られる、落第点の通知表。
よくよく考えれば、そもそも地面との摩擦が小さい場合、蛇行するだけでは生き物はあれほど速く前進できない。
ワームたちが蛇行するだけで滑らかな地面を疾走できていたのは、地面そのものを流体として操作していたからなのだろう。
であればその力をフルで使えるボスパラサイトワームは、こんな硬い液体を剣とも盾とも使えるということか? 矛盾を一人で体現すんじゃないよ。
……いや、それはともかく、この感覚は……。
「そんな時思い浮かんだのは、この依頼の本来の目的の事だった。目の前に依頼の目的でもある強大な敵が現れれば、軽くあしらえる有象無象とお前らが思い込んだ我々に対する意識は薄くなろう……ただそもそも、恐らく群れのボスとなる巨大な個体がいるだろうという推測を言い出したのは、他ならぬお前だ。特別扱いを受けているお前の問題意識は、パーティ全員が共有しているだろう事は想像に難くない。結果、お前らがアレを見て動揺するかどうかは、賭けとなってしまった。賭けになるような策は、唾棄すべき下策でしかない。……とはいえ、知っていても顔をしかめざるを得ない化物が出てきて成功したのだから、まあ奴のご期待には沿えたとしておこう」
酷い耳鳴りがするのは、命の危機を前にした本能的なストレスによるものか。
それともなにか、脳が言語化された情報として把握していない事を感知した第六感が、必死に僕へ報せようとしているのか。
そうでなければ説明のつかない胸騒ぎが、心の表面を掻きむしる。
「……正直に言うと、呼びつけたワームの親玉が僕らを見逃すかどうかも、お前がひけらかした自論から推察した。『魔王には因縁のある相手を処刑人として選ぶ悪趣味さがある』と、お前は得意気に語ってくれたな? 敵から送られた塩であろうと、戦時は重要な資源物資になる。それに毒を入れるほどの知恵者が相手でないなら、尚更に」
ザァとさざめく漆黒のオーラが、彼の右手から左手へと駆けて空を踊り、小さな指の動きに導かれて杖へと集約する。
青白い燐光に、禍々しい黒い雷が瞬く。
火、氷、茨、石、光。
魔法陣すら抜きに、何もない場所へ生み出された五つのエレメンタルの結晶が、ウォームアップするように360℃を自由自在に周回し、最後に目の前に立つ愚者へと照準を合わせて止まった。
事ここに至って、僕はようやく本当の意味で現状を理解した。
この世界へ来てから、最もマズい事が起ころうとしている。
「……創作の中の登場人物が、ベラベラと得意気に自らの行いを語って聞かせる理由がわかった。これは存外、癖になるものだ。さて──割り振られた役目が終わったのなら、個人の目的を果たしても誰も文句は言うまい」
ッ゛……あ゛〜ッ、クソッ!!
僕は彼の言葉が終わるのを待たず、背を向けて駆け出した。
ダンジョンの内部構造が歪み、作り変えられたこの部屋の構造は、まるで立っていた地面が落ち窪んだみたいに、出口までひどく高低差がある。
表面はツルツルな素材ではあれど、それに覆われた中身の木そのものが砕かれているので、壁には掴んで登れそうな凸凹がいくつか存在していた。
これなら……!
そんな風に壁に縋り付き、取っ掛かりを手探りで探す僕の隙だらけな背中で、前触れも無く火の玉が爆ぜた。
「……本当にそんな事をして逃げられると思っているのか? もしも本気なら、あまりの極楽蜻蛉ぶりに目眩がするが」
「がッ……あ゛あ゛ァ゛ァ……ッ゛!!!」
衝撃波によって吹き飛ばされた僕は、そのまま壁で頭を削られながら足をもつれさせ、盛大に倒れ込む。
肺から吐き出されきった息を、再び吸い込むことができず、横隔膜が痙攣を起こして呼吸が止まる。
信じられない痛みに襲われているハズなのに、全身がもみくちゃにされすぎて、どこがどう痛いのか自分でも理解が追いつかない。
顔面を強く打って擦過もしたから瞼の上から血が流れ、世界が半分赤く染まり目に染みる。
人の命を爆散させるには足りないその火力は、命を奪うまではいかず革鎧を焼き切り吹き飛ばし、背の皮膚を爛れさせる程度に留まった。
僕の背中に、巨人族ヤンキーのマイセンによる根性焼きみたいな跡を残す程度か。
けれどそんな事はどうでもいい、今はそれどころじゃないから。
言う事を聞かない体の悲鳴を無視して、僕は無理矢理力を込めて壁を掴み立ち上がり、その突起に手をかけて登り始める。
そうして上へと伸ばした左手の甲に、背後からの光線が硬貨ほどの穴を穿った。
声にならない悲鳴が、噛み締めた口から漏れる。
「っ……ま、待って……知名、君……!」
「やめない。すがりつく虎を喪ったお前に、僕が現実という物を見せてやろう。どちらが上か、嫌でもわかるはずだ」
「そんなのは……どうでもいい……僕が下でいい、から……」
「……無様な命乞いは、見るに耐えんな」
「ちがう!」
文字通り血と共に吐き出した言葉に、彼の杖が励起の輝きを中断する。
あまりの痛みに、呂律が回らない。
自分勝手に縮こまろうとする舌を必死に動かして、それでも絶対に伝えなきゃならない言葉を紡ぐ。
「みんなへのバフが切れてる! 僕の命は好きにしていいから! みんなに、バフをかけに行かせて……!」
天職の力すら弾く不壊の障壁に隔てられ、僕と彼女たちの間に繋がっていたオーラが薄れ始めていた。
供給を絶たれたバフが刻一刻と弱まっていくのを、僕は今も感じている。
繋がりあっていた精神のパスが少しずつ消えてゆく実感に、気の狂いそうな焦りが僕の心を焦がす。
常に頭の中で空回っていた軽口が、何一つ出てこない。
それはまさしく、身を引きを裂かれるような焦燥と不安だった。
王城さんは土壇場で更なる覚醒をしていた。
闇無君は二人がかりに邪魔まで入ってなお、対等に渡り合っていた。
いや同郷の二人はまだしも、残ったハーフエルフたちについては彼女らの命を奪う事に、なんの躊躇いもないだろう。
そうでなくても、非戦闘職の誰かが孤立し、あの大きな虫に襲われれば……そう思うと内臓がひっくり返り、吐瀉物が口腔まで遡る。
バフが無くても僕なんかよりずっと強い人たちだ。
でも、けれど、もしも、万が一。
「みんなに何かがあったら……僕は正気じゃいられない……!」
足元の地面が崩れて、この世のどん底に、あの奈落の底に、再び落下してゆくような感覚があった。
喪失の恐怖が、僕の胸の中ではち切れそうなほどに肥大化していく。
異様な冷や汗が僕の額を伝い、血に塗れた眼球を舐めた。
ひどく寒いのは、けして出血によるものだけではない。
考えたくない事が、脳裏でずっと登場人物を変えて再生され続けている。
「ッ……こちらの世界へ来て以来、そもそもずっと命懸けだっただろうが! 行かせるわけが無いだろう! バフを断ち、弱体化したお前らを倒す作戦なのだから!」
うろたえたような彼の言葉が、僕の耳で像を結ばず過ぎ去ってゆく。
たぶん、なにか言っていたけれど、わからない。その事に思考を裂くことができない。たった一つの事だけが、思考を占拠している。
身体がひどく冷たくて動きにくいのが腹立たしい、流れる血に頭がくらくらするのが億劫だ。
今は、今だけは頼むから、血なんて引っ込んでてくれよ。
無言で再び壁へ向き合った僕の背中に、何かが突き刺さる。それが何なのかを確認する必要はない。重要ではないことは、後でいい。
「チッ……無駄な事をするな! 僕を見て戦え! 例え敵わぬとも、抗うくらいの事はしてみせろ!」
どうにかでっぱりを掴んで、少しずつ登り始める。
氷の棘が僕の顔の真横に刺さり、右耳が丸く削り取られた。血が目に入らない場所なら、登るのに支障はない。
右手を次のとっかかりへ伸ばす。
「そんな現実逃避は、単なる時間の無駄でしかないだろうが……こっちを見ろ、青海ィ! なぜ何もしてこない! 避けろ! 戦え! 反抗しろ!」
左足首に感じた事のない痛みが走ったが、そのまま次の段差へ足を掛けた。
出口が見えているというのに、僕の貧弱な身体じゃあ、あまりにもそこが遠過ぎて泣きそうになる。
そうしてほんの少し登ったところで、指先が血で滑り背中から落下してしまった。
先程背に突き刺さった何かが、その衝撃で身体の中へ深々と侵入したのを感じる。良くない場所にまで、異物が達したような感覚。
あ゛ぁ、クソッ、最悪……運動は苦手だけどさ、こんな時くらいマトモに動いてくれたって良いじゃないか……。
繋がりが絶たれて、バフが切れて、危険な目に陥ってるかも知れない、みんなのところへ。
早く行かないと、いけないのに────
そこまで考えて、意識が薄暗がりに呑まれ始める。
どうしてか全ての音が、まるで僕を置いていくかのように遠のいていく。
急がないといけないのに、どうしてか身体が石になってしまったみたいに動かない。
ほとんど村人と変わらないステータスをしている僕の命の蠟燭の火は、彼が放った魔法によって掻き消えようとしているらしい。
「は……? へ……う、嘘……だろ……? こ、こんな、あっけなく……? ど、どうして反撃しないんだよ……! だって、そんな、つもりじゃ……」
遠ざかる意識の中で、最期に誰かが泣きそうな声を絞り出したのが、かすかに聞こえる。
僕が彼の想定よりも遥かに、あまりにも弱かったらしい事実に、少しだけ申し訳なくなった。
……そうして、何もかもが消えてなくなる感覚の中。
突然、あたたかな温もりが胸元に灯る。
ぼやけた視界を自分の身体へ向ければ、焼け焦げ穴の開いた服の間から、揺らめくような黄金の光が漏れ出していた。
その揺らめきは、僕の心臓の代わりに拍動するかのようだ。
何かが、それをくれた誰かが、僕を遠い場所から手を取って引き戻した。
誰かとの、繋がりが。
鹿野ちゃんですら見通せぬ壁に断ち切られた、僕らを繋げる見えないテレパス。
しかし、それは今間違いなく僕の目の前で光り輝いている。
今もなお僕の中に彼女らとの繋がりが存在していたことの証明が、たしかにそこにはあった。
僕の願いに応えるように、再び何かがドクンと鼓動を打つ。
僕らには、これまで共にした旅路の中で、幾度も重ねてきたものがある。
僕がみんなから受け取ったものは、紛れもなく僕らを繋いでいた。
這いずるように体を動かし、どうにかしてよろめき立ち上がる。
揺れる視界の端に、知名君の動揺しきった顔が映った。
きっと幽鬼のような僕の、ズタボロの身体のどこかから発された光が、涙目の彼の眼鏡のレンズに反射している。
「あ、え……? な……? 死、死ん……? 生きて、る……?」
磨かれたレンズの中で、僕の胸が燃えている。
いや、違う。
肌身離さず懐に入れていた何かから、光と熱が放たれているのだ。
それが何か、僕はもうわかっていた。
全部覚えているから、どれが誰のかなんて考える必要すらない。
みんなから貰った物は、一つたりとも漏らさずに、僕の思い出の中で輝いている。
ボロボロに破れて、血に染まった服が光から放たれる熱で焼け落ちていく。
そうして熱源だけが、僕の胸の前で輝きながら中に浮かんでいる。
他の誰かから見れば、安っぽくどこにでもある小さな革の袋。
それが端から焦げて灰となり、その下に差し出した僕の手のひらへと降り積もる。
太陽にも似た熱量が、しかし荒れ狂う事なくただ静かに、僕の手の上でゆっくりと燃え尽きてゆく。
彼女がどんな風に僕をイメージしているのか、その過大評価にこんな時なのに苦笑いしそうになった。
リッチキングの時に目黒さんが投げ渡してくれた財布。
ボロボロと崩れていくその中から、中身が僕の手のひらへとこぼれ落ちる。
いくつもの銅貨に、何枚かの銀貨、そしていつの間にかコッソリ追加されていた一枚の金貨。
手の上に乗せられたそれらに、変化が起こる。
銅貨が燃え尽き灰となり、銀貨が朽ち果て粉々に砕け、金貨がドロドロに融解し焦げついて炭化していく。
僕にはもったいないほどにみんなが分け与えてくれたものたちが、何かに成ることも無く、無意味で無価値な塵として全て崩れさってゆく。
先生の話を聞いていた時に、なんとなくそんな気はしていた。
無為な浪費こそがヒモの本質であるのなら、きっと僕が最後に行き着く場所はここなんじゃないかと。
大事なみんなから貰った大切なものを、なんの価値もない塵芥へと変えてしまう、最悪の変換。
それがヒモという能力の、最も強い発動条件だ。
解きほぐされた銅貨が、強く輝く黄金のオーラとなって周囲に渦を巻く。
朽ち果てた銀貨が、絶対に千切れない銀の鎖となって光にまとわりつく。
そうして紡ぎあげられた真っ白な光を放つ糸に、崩れた金貨が注ぎ込まれた瞬間、頸木を離れたかのように出口へと射出された。
瞬きをする暇もない須臾の時を置いて、全員とのパスが回復していく。
これまでよりもずっと強く、取り返しがつかない程に深く、運命の糸が結びつけられる感覚。
僕の中の価値あるもの。
彼女がくれた
その度に、これまでの比ではない途方もない何かが、僕の周囲のオーラからみんなへと流れ込むのを感じていた。
得た物は、いつか喪くなる。
それは僕の理解した、人が生きる上で逃れられぬルールだ。
だから、もしも何かを喪う必要があるのなら、それは彼女たちの分まで僕が担おうと決めていた。
そして僕が持つ中でもっとも価値ある何かとは、言うまでもなくみんなから貰った物に決まっている。
貰いものを無くすのは礼儀に欠けるし、思い出の品を失うのは正直めちゃめちゃ惜しいけどさ。
またその穴を埋めるだけの何かを、一緒に過ごす時間の中で見つけていけばいい。
永久機関の発見だ。ノーベル愛と平和賞とイグノーベル不貞賞は堅いぜ。
なんせこっちも光と闇の融合を見せてかなきゃ、インフレに置いてかれちまうからな。
なお自分自身が強くなったりはまったくしていない模様。別に傷も治ってないし、普通にまだ死にかけてますねコレ。蘇生したのもたまたまかも。もしくは愛の力ってヤツか?
「なんだよ、それ……なにがどうなれば、そうなるんだよ……」
知名君がぼそりと呟く声が、光に満ちた空間に静かに響いた。