【書籍化進行中】異世界で職業:ヒモとしてみんなにバフを撒いてたら完全に逃げられなくなっていた話   作:スーパー巨大特濃葛根湯

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特にここすきと感想は何度も見返して、みんながどんな話を求めてるかの参考にもしています。


【番外編 4】 ハニーグレーズと爽籟

「なーなー、アオミアオミ見てて見てて」

「ダメ! こっち! アオミこっちだよ! アーオーミー!」

 

 お、どしたどした。

 って、いやいや困るぜレンにメアリ。

 お兄ちゃんは今ココには居ないワケ。

 二人が話しかけてるのはどー見ても植え込みの一部でしょ? この声は天の声役を承った僕がナレーションしてるだけだから。

 おやおやレンさんメアリさん、そっちは単なる茂みですよぉ。つってね。

 

「えー? アオミバレバレだよ、だってお尻ハミ出てるもん」

「隠れるのヘタ! いいからこっち来てアオミー! ねーぇー!」

 

 ハァー!? 僕はかくれんぼめちゃめちゃ得意なんですけどー!?

 隠れてもねぇのに普段から見つかんなかった僕が満を持して隠れたら、もはや誰にも見つかるワケねーという理屈に裏打ちされた自信なんですがー!?

 

「? でも下手じゃん」

「うん、それじゃすぐ見つかっちゃうよ」

 

 おーん? オメェら、随分ハッキシ言ってくれるじゃねぇか。

 そこまで言うなら、僕より上手いこと隠れれるんだろね?

 うーし、言ったな! じゃあ教えてもらおうか、そのかくれんぼの秘技とやらをさァ!

 ほれ、レンもメアリもこっちゃ来い。一緒に植え込みん中入ろうぜ。

 あん? いやいやダメダメ、今から動いたらそれこそバレちゃうって。

 こういうのは秘密基地の中でやるモンって、相場が決まってらぁな。

 秘密のレッスン開始だ。ぜひ僕をかくれんぼマイスターにしてくれ名人ども。

 

 そう言うと、キャーキャーと楽しげに高い声を上げながら、植え込みの中へ二人が入ってくる。

 こんだけ大きな声で騒いでたら、まぁ早々に見つけてもらえるだろう。

 見つけやすいようにおケツはみ出させなくて済むようになった僕は、一気に手狭になった植え込みの中心部へといそいそと身を寄せた。

 

 

 

 とある晴れた日の正午。

 昨日の宴会があまりにも盛り上がり過ぎてヒダル&オーランドのオッサンペアとゲボ吐きながら朝日まで見ちゃった僕は、陽も南中に差し掛かったこんな時間にようやく起床をはたし一階への階段を降りていた。

 

 たしか今日はみんなそれぞれ用事で外に出ているから、昼ご飯は宿じゃなく各自で取る予定だったか。

 そうなると今んとこウチのパーティー以外宿泊客が居ないし、昼ご飯の用意は無いかもしんないなぁ。

 メイちゃんにちょっとお願いして、なんか軽く作ってもらうのもアリだ。いやでもちょっと気が引けるんだよな。

 これは無理なお願いをするのが嫌ってことじゃなく、なんでかわかんないけど、いやわかるけど、その理由がわかんないって話なんだけど、彼女は僕が時々遅めの昼ご飯とか夜食とかを作って欲しがると、鼻息荒く喜ぶ傾向があるのだ。

 ……多分だけど、ダメな男に家庭的な内容で頼られる事により不正なドーパミンを得ています。人にはそれぞれの嗜好があるんでとやかく言わんが、マジでこの宿の未来が心配になってきちゃうよ。

 でも喜ばれるのが嬉しくて、ついついこうして頼んじゃう僕も悪いのかも知れない。彼女がこのいけないアソビにドハマりしちゃう前に控えんとな……。

 

 しっかし今日はこっからなにしたもんかな~。

 冒険の予定も無ければ、競魔もめぼしいレースが無かった僕は、このままでは本格的に穀潰しの要件を満たしてしまう。

 競魔に行ったら穀潰しじゃなくなるのがヒモという職業の意味わからんところだが、真実そうなんだから仕方ない。

 無駄飯ぐらいが無駄飯を食うと発電するようになりめでたしめでたしみたいな話です。どういう話ですか? 心の中の正親さんが眼鏡をクイッとしつつ疑問を呈した。ワシにもわからん。

 

「今日は朝からボゥギフトを一回りお散歩しつつ買い食い、お昼を食べたら東町木工組合とこの子らとの約束、その後流れで解散し青海センパイお手製オヤツの予定が有るンすよねぇ。はぁ〜、忙し忙し」

 

 こ、この声はァ!?

 聞き覚えのある元気な声を聞きつけ食堂の方を覗いてみれば、そこには敏腕ベンチャー起業家バリの過密スケジュールで異世界生活を満喫している鹿野ちゃんが、大皿に余ったと思しきピリ辛腸詰めをパキッと齧りながら、傍らに座ったメイちゃんへ己の忙しさを嘆いておられるじゃないか。

 なお彼女の言っているお手製オヤツ云々に関してはアポを取られた覚えもまるでなかったが、いつでも言ってくれれば喜んでやりたいお仕事でありもはやWin-Winとすら言えるので無問題(モーマンタイ)だ。

 もちろんそんな神が誂えたかのようなBigChanceを見逃す僕じゃあねぇ。

 揉み手をしながら後ろから擦り寄り、彼女の肩へポンと手を置く。

 へへへ、聞こえましたぜ社長サァン……そんなお忙しいアナタ様には、必要な物がおありなんじゃあないですかぁ?

「そ、その声はァッス!? 喪黒福ぞ海センパイ!?」

 はァッス? どう発音してんのそれは。

 それは置いとき……多忙な鹿野ちゃんに必要なのは、もちろん敏腕秘書! 歩くToDoリストたぁ僕の事よ! ホーッホッホッホ!

 木工組合の子供たちに、高校生が本気で遊べばどれ程強いかを見せてやろうぜ……!

 あ、ごめんメイちゃんなんか残りもんある?

 え、いや、そこまでは、そこまではいいかな、その肉は多分晩ご飯用のヤツだから、なんか残ってるので、女将さんに取るべき責任についてまたお話しされることになっちゃうんで、パンとか、パンだけでいいから……

 

 

 と、そんな経緯から、今僕は鹿野ちゃんと肩を並べ近所の子どもたちの集団に堂々参戦し、かくれんぼで白熱した試合を演じているのだ。

 だいたい小学生くらいの、年齢にバラツキのある子供たちが町中で遊んで回れるんだから、ボゥギフトは都市部にしては大変治安の良い場所だってのがわかるぜ。

 人攫いなんて出ようもんなら、騎士道精神に溢れたこの街の衛兵さんが即座に虱潰しに巡回を開始し血祭りにあげちまうからな。

 平和でたいへん結構。ウチの鹿野ちゃんの遊び相手がいっぱい居てありがたい限りだよ。

 

「なー、アオミアオミ。アオミって働いてないの?」

 

 おっとぉ? なんだなんだ、誰に何を吹き込まれたレン。

 あのな、この世の中には言っていい事とわるい事があり、ヒモに就労の圧をかけるのは社会的に益となるいい事なんだぞ。じゃあ良いじゃん。困ったな、止める根拠がねぇ。

 的確に弱点たる心臓を白木の杭で貫かれたが、僕は吸血鬼ではなく無職だったので致命傷で済んだ。子供ってのは残酷だから、たまにはこういう嗜虐心が鎌首もたげる事もあるだろう。

 なに、悪気は無いだろうからさ、これくらいでへこたれませんよ。へこたれた方が良いかもな。屈強な精神を持つヒモは、働かぬという鋼の意思を持つ最悪の無職となり果てる素質が垣間見えちまう。

 

「母ちゃんが言ってたよ。アオミは良い人だから、無職やめて働けば甲斐性も出てみんなをお嫁さんにもらえるだろうにって」

 

 凄いとこまで踏み込まれてんじゃん。プロデューサーさん! プライベートですよっ! プライベートっっ!

 ……まあ大きな街とはいえ、未だ共同体として生きるのが当たり前なこの世界の価値観的に言えば、結婚適齢期のロクデナシが近所にいりゃ、お節介の一つでも焼くのが当然の事なのかも知れん。

 てかもう重婚になるのは町の人の中ですら前提になってんだ? もちろん法が許すなら正式にそうなりたいが、基本的に貴族や王族でもないんだから普通は1on1じゃなきゃ駄目だろ。普通の結婚のことを1on1と呼ぶ人間にだけはなりたくなかったなぁ……。

 ヒモだの重婚だの、子供の前で言うには教育に良くなさ過ぎますよ。いやこの場合は教育に良いのか? この子らの為になるならば、僕だって反面金八先生になる覚悟はある。

 オマエラ、良いかぁ? 人という字は「金貸して」と頼み込むヒモの合わせた手の形から来た象形文字だぞ、つってね。

 確か目黒さんにはお尻の形の象形文字だと教えた覚えがあるが、そこは諸説だ。

 

 コホン……あのね、レン。今日は昼間からこうやってレンたちと遊んでるけれど、僕は普段きちんと冒険者やってるワケよ。冒険者ってのはもちろん仕事だ。つまり僕は働いてる。

「でもヒモなんでしょ?」

 そうだねメアリ。でも働いてはいるんだ。うん、難しい顔になっちゃったね。うーん、ちょっと大人の話はまだ早かったかな?

「そんなことない! メアリわかるもん!」

 お、そうか流石はお姉さんだぁ! じゃ、僕が働いてることはわかったね? お兄さんなレンもわかったかな?

「うん!」

「おう!」

「ハイっす!」

 

 心臓が口から飛び出し、茂みからは再びおケツが飛び出す事になった。ここだけコロコロコミックか?

 

「先輩たち、みーつけた!ッス!」

 

 そんな僕を見て鈴を転がすように笑った鹿野ちゃんが、楽しげにゲームの終わりを宣言する。

 発見されたらオニ追加ルールでやってたら、どうやらいつの間にか最強のハンターが放出されていたらしい。

 

 「アオミのせいだ!」とドヤしてくるレンとメアリを宥めながら、僕らはすでに発見されたみんなが集まる広場へと向かうのだった。

 鹿野ちゃんがオニになった際はもちろん力をセーブしているのだが、それでも野生的な嗅覚が凄すぎてTASみたいな早さで終わっちゃうんだよな。

 そろそろ鬼ごっこに続いて、かくれんぼでも殿堂入りを果たしオニ免除の流れが来ちまいかねん。

 

 そうなる前に、彼女が混ざれる次の遊びをみんなに教えて回っとくか……。

 

 

 

 

 

 

 そうして遊び回った後、おやつ時になったタイミングで僕らは子どもたちの輪から離脱した。

 「お姉ちゃんもっと遊ぼうよ〜」という彼らに、「ふふん、ウチはこの後もスケジュールが詰ってるんスよ! デキる大人ってのは秒刻みで動くものっす!」と胸を張っていたが、この後の15:10からのタスクは『僕お手製のオヤツを食べる』である事は彼らには秘密にしておくべきだろう。

 専属秘書たる僕にはリテラシーとコンプラ意識がある為、当然の事ながら社長のスケジュールは社外秘に設定してあるのだ。

 

 さて鹿野ちゃん社長、こちら前菜の東街白麦通り名屋台、ルーニ団子屋のあまうまやーらか団子になります。

「うむ……ウマーい! 物件購入決定!」

 はいはい、後で買ってきておくのねん。

 

 おっきめのお団子を二つ同時に口に入れたから、もちもちの頬の中にまでもちもちを詰め込んだ鹿野ちゃん団子状態の彼女の手を引きながら、僕は脳内でここらへんの地図を広げる。

 さて、この近くでどっか腰を下ろせそうな場所はあったかね。

 前菜の方が全然格上とかいう終わってるコース作りではあるが、この後に彼女がご所望のメインディッシュとして僕お手製ハニーグレーズクッキーをお出しするにあたり、歩きづめってのもちょっと落ち着かない。

 まあ鹿野ちゃんは食べ歩きが趣味であれど、のんびり座っておしゃべりしながら食べるのも好きなのだ。

 『家族との食事は、座ってテーブルを囲まなきゃダメなんっす』とは彼女の弁。

 うーむ、こっからだと外壁上もちと遠いし、べスピムさん家の出禁はまだ解けてないし、ギルドは他の人が多過ぎるし……。

 

「あら、アオミさんにカノちゃん。二人でお散歩かい? 今日は天気も良いからねぇ」

 

 あ、シスターミランダ! どうもどうも、こんにちは!

 いやちょうど良かった。実はお恥ずかしながら新作のお茶菓子を作ってみたんですが、ちょっとみんなに振る舞うにはまだまだ未熟で照れくさくて。

 お口汚しかもしれませんが、よろしければ少し感想を頂けませんか。

 

「へー! 良いじゃないの! よし分かった、このミランダおばさんに任せときなさい。さ、入って入って。お茶も出させてもらうわ」

 

 と、いうわけで、僕らは無事ゆっくりと休める場所に更にお茶と茶飲み友達まで付けて頂き、おやつタイムと洒落込めることとなった。

 いやはや、あって良かった人の縁つってな。

 茶菓子が新作なのも誰かに評価して欲しかったのも全部ホントの事なので、家の軒先をお借りささてもらっても神様は許してくださるだろう。なんせ転移者がヒモである事を容認する、寛大なお方だもんなァ? この場合ヒモである事を受容してる僕の方が寛大な気もするが。

 念の為クッキーも一枚上納しとこう。こちらお供えになりやす、なーむ。

 

 

 しめやかに行われた新作お菓子試食会は、他のシスターさんからも大変ご高評。

 小さいとはいえ教会中のシスターが集まり大変かしましく、「ウマいウマい」「毎日食べたい」「太っちゃうでしょ」「男は厨房に入らず私の料理を食べてなさい」だのお褒めの言葉が飛び交った。

 ミランダさんからも「大変結構なお手前です。これなら屋台で十分やっていけます。カノちゃんたちも安心でしょう」と、いつの間にか心配されていたらしい将来設計の脆弱性をアプデで改善できてますというパッチノートも受領。

 いやー、流石に売りもんにゃできないっすよ。みんなへ出すものだから普通に原価高いし。

 

 そして本日の主役である鹿野ちゃんからは「こーいうガツンと甘いの、ウチはハッピーな気分になれて好きっす! もう一枚あるスか? 欲しい欲しい! また明日焼いてくれたらキスもしちゃうかも!」という、もーマジでめちゃめちゃ嬉しい最高の賛辞を頂いたぞ。やったね。

 自分の好きな物をこれでもかと開陳し、やってほしい事を次から次へと言ってくれる彼女が、僕は本当に愛おしい。

 無論初めての恋人の一人(ここカス不貞カルママイナスポイント(もう僕の所持徳は真っ赤だ(徳政令カードが待たれる)))である相手からのキスにもバチクソ釣られています。男子高校生なんかそんなもんだ。

 

 彼女のそんな大胆な発言に、周囲のシスターは黄色い悲鳴を上げて、口笛や「今ここでキスしろー!」「漢気見せろヒモー!」とヤジを飛ばしてくる。

 えぇい、神の家がこんな酒場と同じ民度で良いのか! 後ろの神像が血の涙を流す日もそう遠くねぇぞ!

 とはいえ別にファオルベルカの教義に『淑女たれ』という文言は無いので、下町の教会なんかだと賑やかな人も普通に多い印象があるね。

 

「え〜、照れちゃうっスねぇ〜! でもまぁみんながそ~言うならぁ〜、やっぱ期待には応えなきゃっていうか〜!」

 

 お、おっとぉ!?

 ノリが良いというか欲に素直というかあんま恥ずかしいモンも無いタイプで、煽てられなくても木くらい登るし人前でキスだってどうってことない鹿野ちゃんが、完全にその気になってしまってるのねん!

 彼女の思わせぶりな身のくねらせ方に、会場は大盛り上がり。

 シスターベールの下に隠された年頃の女の子を曝け出した彼女たちは、腕を突き上げて縦揺れしながら「キース!」「キース!」とライブと見まごうモッシュっぷりだ。

 

 ま、マズいですよ……! こりゃ僕が懐から大量のデッキの束を見せるくらいの小ボケじゃ収まりそうにねぇ!

 僕だって釣られたくらいなんだからやりたいけど、こんな観衆の目の前で公開していいっつーほど明け透けなワケじゃないっていうか!

 何がヤバいって、そんな事をしちゃった話がシスター経由で他のパーティーメンバーにバレたら、激烈ド甚大地雷になるのがホントに良くないんスよねぇ!

 し、しかし、しかしなにより鹿野ちゃんをガッカリさせたくない! あとマジでキスもしたい!

 ど、どうする!? どうする僕!?

 

「はいはい、そこまでにしておきなさい。あんまり人様の恋愛を見世物にしちゃいけないわ。なにより神聖な教会で公開キッスは、神が許してもこのシスターミランダが許しませんよ」

 

 パンパンとミランダさんが手を叩くと、出歯亀ちょいワルシスターズは、ちぇーと口を尖らせつつも潮が引くように引き下がってくれた。

 

 た、助かった……。

 後半はどちらかといえば僕の中の獣を抑えるのが大変だったけれど、鹿野ちゃんをガッカリさせたくないという気持ちもあって、普通に間違いを犯すところだった。

 口先でなんだかんだと誤魔化せる人間には、ここで誤魔化すのは誠意がないのではという疑いが常に必要となる。

 相手の、そして自分自身の本当の気持ちを見失わないように、いつだってその問いには慎重に応えなきゃならないのだ。浮気者が人前でチューするか迷った理由にしちゃ大きく出過ぎたわ。単に性欲と常識の狭間で揺れてただけの多情がなんか言うとる。

 

「むー……ミランダさんが言うならしょうがないッスねぇ。……あ、じゃあアレはどうっすか!?」

 

 アレ?

 口を尖らせた彼女は、何を見つけたのかテテテと歩いていくと、お茶をしていた小部屋を出て聖堂の隅を指差した。

 そこにあったのは教卓よりちょいデカいくらいの四角い箱と、その前に置かれた小さな椅子。

 それは……記憶にある地球の物とはいろいろと違うけれど、たぶんピアノに似た何かだった。

 いやでもよく見るとなんか全然弾くとこも形違うし、ペダルも無いし、コレはピアノとはまったく別のなにかな気もするが、それでも似たようなとこは無くも無いっつーか……。

 

「んー、なんか全然違うかも……でもまぁ音出るなら一緒かぁ……ここはコレで、ほんほん……」

 

 椅子にちょこんと座った彼女が、鍵盤にあたるらしき丸くて飛び出た部分を指でポチポチと押すと、多分打弦楽器ではあるような不思議な音が箱から出る。

 ピアノに近くもあるけれど、それよりももっと民謡的な、素朴さを感じさせる音。

 ピアノの祖先というか、曽爺ちゃんくらいの遠い親戚みたいな、それくらいの感じだ。

 

「いや、カノちゃん。それは玩具じゃなくて、かーなり高価いもんだから、遊んじゃ──」

 

 シスターの一人がそう言って止めに入ろうとするのを、ミランダさんがやんわりと手で止める。

 そうして次の瞬間、唐突に彼女の演奏は始まった。

 

 最初はまるで確かめるようにゆっくりと、そして確信を得たのかどんどん迷いが無くなっていくその指運び。

 けして激しくはない緩やかな音色は満ち足りた時間の安寧と、その裏に秘められたいつか来たる終焉への焦りを、時の移り変わりによる破綻に肉薄する危うさまでをも併せて、僕らへ見せつけるかのようだ。

 

 曲調が変わり最初の頃の穏やかさは鳴りを潜め、どこか激しくも大胆な運指によって、怒涛の如き人生の苛烈さとその鮮烈な華々しい美を映し出す。

 明るさや華やかさという「正の面」が内包する、一つ踏み間違えれば転げ落ちてしまうような危うさまでもが、この音楽には篭められている。

 

 それはまるで、自らが歩む道に対する彼女の心象風景。

 明るさの裏にある闇からは離れられず、賑やかな美に溢れたその曲がり角にすら、恐ろしい何かの気配を感じてしまう不安。

 

 そして、それら全ての演奏を通して、ただ一本存在した(ライン)

 それは切なくも、けして儚げではないという事。

 どんな曲調のどのタッチにも表現者の絶望や諦観が存在せず、大切な何かを胸に抱き手放すことはないという、決意にも似た静かな信念が音の波間を縫うように潜み、基軸となっている。

 

 演奏中の殆どを鍵盤を眺めるか、瞑目で演奏をしてみせた彼女。

 目の前に座った小さなこの子が、この曲をどういう意図で今ここでみんなに聞かせる事を選んだのか。

 そんな事は、この場にいる誰も疑問になどしていなかった。

 

 野暮な言葉の入る余地もない程に、白紙の恋文はあまりにも情熱的で、その言葉にされなかった想いに、この場に居るシスターたちと僕は引き込まれてゆく。

 名画の塗り重ねられた絵の具のほんの僅かな色使いから、見る者が画家の人生の悲哀に思いを馳せるように。

 鹿野ちゃんの5分にも満たない初めての楽器による演奏は、その音色だけで、彼女の小さな身の丈に合わぬ暗く熱く重い大きな感情を聴く者に伝えるには十分だった。

 

 

 流れるような打鍵が、ゆったりとしたリズムで余韻を残し響かせきると、つかの間の静寂があり。

 そして誰からでもなく、この場にいる全員からの拍手が、彼女へと送られる。

 

 嬉しそうな笑顔をして、飛び跳ねながら僕の胸の中に抱きついてきた小さな演奏家へ。

 熱に浮かされたみたいに、称賛というか敬意というか、敬虔とすら呼べる尊い思いを胸に。

 僕らは言葉にすることも出来ず、ただ手を叩き合わせ、称えることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

「センパイ、ウチ考えてたんすけどねぇ」

「んー? なぁに?」

「やっぱ新居にはすべり台が要ると思うんスよ。通学にも便利で、子供だって大喜び間違い無しッス」

「あはは、そっか、いいね。僕も滑ってる鹿野ちゃんが見たいから、付いてたら嬉しいかな」

 

 教会からの帰り道。

 「ぜひ次は集会でも弾いて欲しい」とミランダさんに頼まれたのを、照れくさそうに断った彼女は、"これから先"について楽し気に僕へ話しかける。

 

 涼しい風が、手を繋いだ僕らの間を吹き抜けてゆく。

 乾いていて爽やかな、けれどどこか寂しさを孕む秋の風。

 薄い雲が空のキャンバスに引き伸ばされている様に、過ぎ去った夏の熱をどこか惜しんでいるかのような寂寞を感じてしまうのは、きっと見ている僕自身がそうだから。

 肌寒さを嫌ってか、彼女はピタリと立ち止まると、つないだ指を解き腕を組んでぎゅうと密着する。

 半袖から覗く彼女の腕に肌が触れ合えば、基礎体温の高い彼女にしては珍しく、ちょっとヒンヤリとしていた。

 

「うー、寒いのは嫌っすねぇ〜……こっちは無理でも日本での新居には、部屋の真ん中に柱みたいな巨大ヒーターを備え付けたいっすね。常にカンカンに熱されてるヤツ。お餅もピザもお鍋も温めれるマルチクック家電っス! これは商機……!? 小金井さんに早速提案っす!」 

「ボイラー室みたいな部屋になっちゃうな。冬はいいけど夏持て余すのが目に見えるようだ。……石油ストーブとかなら、そういう調理もできると思うよ。そーだねぇ、餅やピザの焼けたのを摘みながら、おんなじ部屋でテレビやゲームなんかするのは確かに素敵だね」

「お、おおおお……! めちゃめちゃいーじゃないっすか! ウチ、想像しただけでなんかプルプルしてきたッス! 早く帰ってみんなで暮らしたいっすねぇ〜!」

「ふふふ……まずは住む場所を探すところからだし、その前にみんなの親御さんにご説明させて頂き、お許しをもらうとこからだけどね。その間はちょっと待たしちゃうのが申し訳ないや」

「え? いや、別に帰還後即日ウチの近場の別荘で全然良くないっすか? そりゃ最終的には新築戸建を設計するとは思うッスけど、まずみんなでのシェアハウスならぬシェアアオミからで! あ、でもでも、小金井さんが適切な不動産見つけたら、全然そっちでもいいって話になってるんすけど」

「あー、うーん、まあ親御さんが許せばね。てかもうそういう話になってるんだ。……となると、みんなにばかり提供してもらうのは悪いから、僕からもちゃんとなにかお返しを考えなきゃな」

「ん……まー、センパイは良いんじゃないっすか、そのままで。ヒモっすし、子育ては明音センパイに次いで適任だし、なにより……」

 

 

「これから先も、ずっとずーっとみんなに──ウチに、心からの愛を捧げてくれるんすから」

 

 

「うん、それはもちろん。……僕らを死が分かつまで、喜んで」

 色褪せた淀んだ瞳で僕を見つめる愛おしい人に、顔を寄せて唇を触れ合わせる。

 ……そんなことがみんなからの献身の代わりになるなんて、信じらんないアンフェアトレードだけど。

 それでも求められるならば、僕はいくらだってこの心から用立てるさ。てか別に捻出する必要すら無いぜ。

 

 みんなの事を知れば知るほどに、僕は取り返しがつかない深みまで、あなた達に惚れ込んでしまっていくのだから。

 

 傾き始めた陽を受けて、黄色く染まった三つ葉イチョウがキラキラと輝いている。

 すっかり秋色の世界の中。

 僕の脳裏にはずっと、切ないけれど、儚さからはかけ離れた情熱的な、あの愛の曲が流れ続けていた。

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