【書籍化進行中】異世界で職業:ヒモとしてみんなにバフを撒いてたら完全に逃げられなくなっていた話   作:河葛幸狸/スーパー巨大特濃葛根湯

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書籍化作業の為、次の投稿はたぶん二週間後の予定になります。

感想、ここすき、お気に入り、全部とても励みになります。
ぜひどんどこお願いいたします。
特にここすきと感想は何度も見返して、みんながどんな話を求めてるかの参考にもしています。



【137】 大事なもの

「随分と大きくて頑丈そうなモンでしょう? なんでもエルフが我々の為に作ってくれた、土の精霊お手製だとか」

 

 貴重品の保管室となる予定の部屋で、彼女はツルリとした土気色の金庫をポンポンと叩いた。

 金庫といっても現代のダイヤル錠のようなものはなく、なんらかの金属製の分厚い箱に大きな錠前が付いたシンプルな物だ。

 とはいえこの鍵だって単なる南京錠ではなく、ネリッサさんのアジトの石板みたいな魔法的なロックなのだろう。

 そう考えるとこの世界の防犯技術というのは、地球よりもずいぶんと厳重なのかも知れない。

 ……まあ、アバカムとかがあるかも知れない事を思えば、泥棒の技術も高いだろうしあんま変わんねぇか。

 

「ここで働く多くの人間が日銭や月ごとの給金を得るために汗水を垂らした労力の結実が……昼夜を問わず途切れることなく、この金庫に注ぎ込まれるわけです。私たちの、この金庫に」

 

 そう言う彼女の瞳には、時折見せる猛禽類の様な鋭さがあった。

 収益を上げるということに関しては手を抜けないんだろう。

 そーいうとこもカッコよくて好き、どんどん好きなとこが増えてっちゃうな。全然困らん。もっといろんな面見してね。

 

 しかしまあなるほどねぇ、たしかにこりゃスゲーデカくてスゲー大きくてすごいや。

 ここまでくると先生でもないと動かせそうにないし、先生でもないと壊せそうにないぜ。

 つまり盗まれたら第一容疑者が自然と確定してしまうわけだが、先生は金庫から勝手に盗むよりも金庫の中身を勝手に追加する方がまだ可能性のあるお人だ。

 ならばこのセキュリティは防犯として完璧である。ならば犯行は内部の人間にしか不可能だ。つまりこの中に犯人がいます!

 そしてここには商会主一人と部外者一人しか居ないため、消去法で僕が捕まる事となるのだった。自首すな。

 

 

 

 今僕らは、商館予定の屋敷の内見をしていた。

 屋敷へ到着後、物珍しげにきょろきょろしていた僕に、彼女が案内役を買って出てくれたのだ。

 曰く『先輩のものでもあるのですから、私の独断で全て決めてしまうのは誠意に欠けますでしょう?』との事。

 ま、つっても既に話は山算金が九分九厘終わらせており、もうここでやるのはほぼほぼ決定してるっぽいんで、僕が今更なにか口出す気も無いのだが……頑張ってくれた彼女が、その成果を嬉しそうにお披露目してくれるというのなら、そりゃもちろんどこにだってホイホイ付いていかせて頂くさ。

 

 我らがブルーゴールド商会のケルセデク支店となるハコは、ボゥギフトの中央街とかでよく見る二階建てタイプのシンプルながら気品のある屋敷であった。

 使えるコネはもちろん余すことなく使う山算金は、風の方のパーティメンバーの一員として『お話』したため、トントン拍子でこのような一等地に店舗をかまえることに相成ったそうだ。

 まあ国を救った冒険者たちに対しての報酬と思えば、むこうもそれくらいのことはさせてくださいって感じだったみたいだから、問題もないのだろう。

 一階が店舗スペースと応接室に事務室、二階部分は執務室や貴重品の保管庫なんかにする予定らしい。

 ブルーゴールド商会は基本的に中流〜富裕層市民向けの商品を取り扱っているので、貴族御用達の店ほど店の建築様式にまでこだわって格式を出す必要もなく、顔を合わせず済むよう個室わんさか用意したりみたいな動線管理に気を使った構造にしなくていい。

 他の商会との商談は応接室でやって、店舗部分で市民がウィンドウショッピングみたいなことをする気軽なお店である。

 

 そういう商売をしてると話には聞いていたけれど、実際にこうして店に足を運んだのは初めてだから新鮮だぜ。

 なんせ本店であるバルツァンの商館は、居抜き前の商会関係者の処罰の関係で開店が僕らの出発と入れ違いになっちゃったし、ボゥギフトには支店がまだ無いからな。

 商会主が本拠地にしてる街に支店が存在しない商会も前代未聞だろう。

 まだちょっとボゥギフト商業ギルドの上の方と山算金の政争が片付いてない感じみたいなんだよね。

 

 まあでもそのいざこざも時間の問題だろう。

 ギギルガム家がバックに居て、なおかつ今回のことでケルセデクすら救った冒険者クランとなれば、いくら大きな都市とはいえボゥギフトの商業ギルドが太刀打ちできる権威ではない。

 僕らが吉報を手にボゥギフトへ帰りついたら、春を待たずボゥギフト支店が開かれることになるハズである。

 ……僕らの権威が大きくなるのが良いことか悪いことかは判断が難しいが、彼女を悩ます相手が減るのは喜ばしいことだ。

 いや楽しみだね、なんといってもブルーゴールド商会は好きな人のお店である上に、こちらの世界での僕のバイト先候補筆頭に躍り出た注目株だからさぁ。

 

 

 そう、ことアルバイトに関しては悪知恵の働く僕は、ついにヒモという呪われし職業の規約の抜け穴を見つけ出したのだ!

 

 ヒモは自分で労働をして金銭を得ず、養われなければならない。

 そして労働とは働きに見合った金銭を受け取り、対価としてマンパワーでタスクをこなす事だ。

 

 つまり僕が自主的に好きな人の店で給料を貰わずお手伝いする分には問題ネェってことだよなァ!?

 

 

 フフフ、我ながら思いついた時は震えたね。

 なんたるコペルニクス的転回……天才じゃったか……。

 

 たしかに日本に居た頃はお金が要るからバイトしてたが、この世界じゃお金よりも体面が必要だから働きたかったワケじゃん。

 なら、対外的にはお金を受け取ったフリだけして実質ボランティアをすれば、一挙に全ての問題が片付くな?

 好きな人の為に働けて、なおかつガクチカとして就活にも有利ときた。とんだ一石二鳥である。ついでに我が商会は飛ぶ鳥を落とす勢いなんで、キルスコアは自動的に三匹目まで伸びる。ワンターンスリーキルゥ……。

 高校時代はボランティア活動や他者とのコミュニケーションの他、魔王征伐の旅などにも力を入れていました!

 

 日本じゃ疲れ果てて働くのがちょっと嫌になってたってのに、こっちでは少しでも働かせて欲しくてしゃーないってんだから人間不思議なもんだぜ。

 やっぱお金以上のやりがいってのがあると、人間労働意欲が湧こうってもんさ。

 僕のお仕事が大好きな人のプライスレスな笑顔に繋がるなら、それこそが給与だよ。

 ヒモからブラック企業社畜への華麗な転身だ。我ながらアクセルがゼロヒャク過ぎる。

 

 

 

「ここは資料保管室になります。ま、今は棚しか置かれてないので見るものもないですが」

 

 しかしまあ内見つっても衛星集落に建てられた屋敷なので、エルフの里の住居とは違い他国と同じような普通の建物となっており、僕らみたいな只人族でも直感的に構造が把握しやすい造りとなっていた。

 こういうバックヤード覗くのとか大好きなんで興味津々ではあれど、造りとしちゃあ時たま店主に招待されて入れてもらうボゥギフトのお店とかとそう変わりはない。

 この館には他国の諜報員のアジトみたいな隠し通路も無いことだろうしね。

 

 ……ホントに無いのか?

 いや全然あるかも知れない。

 商会の株主ですらない僕は、マジで詳しい話はまったくノータッチだったからな。

 外国人が出入りする居留地の大きな屋敷なんて、なんだかんだ薄ら暗い部分がついてまわりそうなもんだ。

 なんとなーく「普通そんなモンあるワケないよね」と思ってるだけで、絵を若い順に並べないと鍵開かないみてぇな隠しギミックとかだってある可能性は否めないのか。

 

 とりあえず念のためステージ開始地点から進行方向と逆方向に戻り、隠しアイテムが無いかは確認しておきたいね。だてにフロムゲーやってないから。

 あと普通なら落下死するだろうな〜、ってとこにタルとかもあったりするし。ただタルから飛ばされた先に大きなハチ飛んでたりするから、射出されるタイミングは注意しなきゃいけない。タイヤ踏んで飛び上がったらボーナスステージ入れたりとかもね。いや僕見えるとこのバナナは全部取りたいタイプで……!(鳴り響くフレクサトーン(僕はニュータイプなので(ニュータイプなら勝ち魔獣を当てろ)))

 閃いちまったぞ……!

 これは完全な思い付きだがパリィという技は、その性質上反射的に入力が可能な体感的操作型コントローラーとの相性が抜群に良いんではなかろうか。

 つまりダクソに本当に向いているコントローラーって、実はタルコンガなんじゃ──

 

 

「あ、ここはセンパイの部屋ですよ。いえ、もちろんこの国でずっと暮らすわけじゃないですけど、やっぱり私と青海先輩の商会ですから、各支店に一部屋はご用意しておかなければ、ねぇ? ま、備えあれば憂いなしってヤツです」

 

 あるあるの合わせ技一本により、トンチキ縛りプレイで鬼畜ゲーをクリアする流れになっていた思考が、彼女の思いがけない一言で中断される。

 ビックリした顔で振り返ると、僕を驚かせたのが嬉しかったのか山算金はニッコニコな満面の笑みを浮かべていた。

 

「えぇ!? いつの間にかそんなの用意してくれてたの? うわー、気ぃ使わせちゃったかな、ごめんね」

「いえいえ、私が好きで勝手にしたことですから。フフ、サプライズは大成功のようで一安心です」

 

 マジ? 店に僕の部屋まで用意してくれてんの?

 全然そんな話なかったくない? 普通に丁稚とかと相部屋で良かったのに。

 つかなんなら物置の隅っことかに住み込みで下働きする気満々だったんだけど、まさか専用部屋をわざわざ用意してもらえるなんて思ってもみなかった。

 

 もはや働く気マンマンで、『義務教育を受けた現代人特有の「字が読めて計算ができる」というアドバンテージを活かした、チート無し商人成り上がりモノ』の方のライフプランを練り始めていたのに、それがまさか最初から個室待遇たぁ予想外だぞ。

 そんな身の丈に余る特別扱い受けちゃうと、同僚になる丁稚たちや上司の番頭さんに目をつけられねーか心配なトコだが……。

 

 将来的な職場での人間関係のトラブルを心配しつつ、僕はひょいと彼女が指し示した部屋を覗きこんだ。

 

 

 するとそこには、先程の部屋に置いてあった物よりも遥かに大きな、もはや部屋の中にもう一つ部屋があるのかと思っちゃいそうなサイズの金庫が鎮座しており。

 

 一目見れば高級品とわかる光沢を帯びた艶やかな木製の家具類が、開かれたその巨大な扉の中に、一人で生活するのに困らないだけ設置されていた。

 

 

 …………秘密基地みたいで良いね!

 男の子って、こじんまりした収納空間とかに入りたがるっていうか、押入れに漫画とかデスクライトとか持ち込んじゃうみたいな生態してっからさ、こういうのってドストライクよ。

 ただ用意してもらったものに文句つけるワケじゃないんだけど、せっかく二人の名を冠した商会で同じ建物に居るのに、それぞれ別の部屋で一人ぼっちなんて勿体なくない?

 どうせスペースを貰えるなら、僕は山算金と同じ部屋で、一緒にお話していたいかなぁ。

 なんせほら、僕って寂しがり屋なとこあるし。

 

「……それもそうですねぇ! なるほどたしかに、それは盲点でした。ついつい大切な物だからしまいこもうとしてしまいましたが、これでは片手落ちも良いところです」

 

 うんうん! わかってもらえたなら何よりだよ!

 

「ならばこちらを執務室として、金庫の前に私用の机を持って来させましょう。それなら顔を見てお話しながら仕事ができます。後でちゃんとバルツァンの方のも模様替えさせておきましょう。ンフーフ、考えただけで捗りそうですねぇ!」

 

 …………そっか、ナイスアイディアだね!

 ……既にあっちにもあるのかぁ。

 

 

 あまりにも朗らかな彼女の笑顔を見て、僕もニッコリと笑って相槌を打った。

 その笑顔を否定することなんて僕にはできないからだ。ボクは……弱えェ……。

 せっかく仲間が備えてくれたのに僕に憂いが発生するという致命的なバグが目の前で起きてしまっているが、もうこうなったらだましだましやっていくしかないだろう。

 もちろんこの場合だますのは『僕自身』をである。大丈夫だからね〜、心配ないからね〜。(ホント……?(ホントなワケない))

 

 世界樹来る以前の彼女なら、僕をからかう目的でこういうこと言う時が多かったんだけど、あの出来事以降ちょっとばかしマジっぽいんだよな。

 たぶん温度感を見るにこれでも実際狂気と正気のハーフ&ハーフ、半分冗談半分本気くらいの熱量なんだけど、半分も本気で監禁する気だったら十分まじぃのよ。

 ついにこの度「備えあれば憂いなし」をガチ口実として"狂気"へとレバーをガクンと傾け、本当に僕専用金庫をご用意しちゃったわけだし。

 

 うーん……むむむ……いやね、僕はこういうのも求められればイヤとは言わないんだけどさ。

 でもやっぱまっとうな生活をみんなとは紡いでいきたいってのが、正直な本心としてはあるんだよな。

 なぜならこういう愛情は、彼女自身の為にもならないからだ。

 相手を縛りつけるような情愛は、縛りつけた本人の心も蝕んじゃうもんだぜ。恋人を鎖でがんじがらめにしてる内に、どれだけ束縛すればいいのか自分でもわからなくなっちまう。

 不安を減らそうと強固な壁で覆い隠せば隠す程に、大事なハズの中の物が見えなくなってゆく。

 相手がどんな顔をしているかは、光の下でしか見れないんだ。

 

 ……とはいえ、そうは言っても彼女の気持ちだって僕はわかる気がしている。

 この世には存在しないんだと思っていた大切な物をようやく見つけ出した喜びが大きければ、それが手のひらからこぼれ落ちる時の喪失感もまた筆舌に尽くしがたいもので……いや、難しく言うのはよそう。

 めちゃめちゃ大好きな人が死にかけりゃ、どんな人間だって怖くて不安で心がガチガチに固まり過保護になるもんだわな。

 本当に悪いことをした。

 だから、その強ばりを解すのは僕の責任だ。

 

 

 徐々にハイライトが消えてゆく山算金の頭に手を置き、髪が乱れないようにゆっくりと撫でる。

 

「わひゃっ……! ……ンンッ、これまた急ですねぇ? いくら好き合っている相手であっても、こういう事をするなら事前に声をかけて頂きませんとぉ……こちらとしても、なんというか、心の準備というものがありますからねぇ?」

 

 普段の小悪魔っつーかイタズラ好きなナマイキ後輩成分が一気に霧散し、彼女は照れ臭そうにしどろもどろに口をもごもごさせた。

 あぁ^~、ダメダメ可愛すぎます。

 世の中の大半の男は、いつもはからかってイジってくる後輩女子の余裕が無くなると気が狂ってしまうとされているからな。たった今彼女が万病に効いている。

 

 

 おっとごめんよ、つい、ね。

 訪れられるかもわからない商館に、それでもわざわざ僕の部屋を用意してくれる健気な恋人を見てたら、居ても立ってもいられなくなっちゃってさ。

 ……これまで過ごしてきた街々に、いつ帰ってもいい僕の居場所があることが、なんだか無性に嬉しいんだ。

 素敵なプレゼントをありがとうね、山算金。

 本当に、僕にはもったいない女の子だ。

「……無欲な人。たったそれだけの事で、そんなにも喜んで……」

 

 「まったく、しょうがないですね」と呆れたように笑って、彼女はその部屋の扉を閉めた。

 

「この金庫以外にももう一部屋、先輩が好きにしていい部屋を作りましょうか。インテリアからなにから全て先輩のご趣味に合わせた、あなただけの部屋を」

「えぇ、ホント!? そりゃ嬉しいけれど、そんなにいっぱい部屋使っちゃって大丈夫かな。公私混同っていうか、お仕事の邪魔になっちゃわない?」

「大丈夫ですよ。ワンマン家族経営なんて大なり小なりそんなもんです。大きめのを頂いたんで部屋は余るくらいありますし、キャパとリソースをフルで使って荒稼ぎし過ぎたら国に目をつけられますから。バルツァンで軌道に乗ってる以上、力抜いてやってちょうどいいくらいなんで」

 

 手をヒラヒラと振って余裕綽々そう言ってのけると、「さ、次の部屋行きますよぅ」と山算金は歩を進める。

 その背からは、さっきまで彼女が押し隠していた焦燥感の気配が薄らいでいた。

 

 

 論点を金庫そのものではなく自室という性質へズラし、そこに焦点を当てて贈り物への素直な謝辞を返す。

 プレゼントを喜んでもらえたという事実は、彼女を少なからず正常な心理状態へ引き戻す上に、そんなに喜んでくれるなら自身の欲求に従っただけの金庫より、もっと相手に寄り添ったのを送ればよかったとわずかな後悔も同時に引き起こす。

 頭ごなしに否定をせずに、受け入れた上で彼女の気遣いに感謝を述べただけで、受け取り手側の心に変化をもたらすワケだ。

 贈り物貰っといてケチつけて罪悪感に漬け込むみてぇなズルいやり方だよな。

 けれど、それで我に返った彼女が、二人とも幸せになれる道を改めて選び直せるなら、そのズルさも必要悪として認めてもらえれば……ってのは、ちぃとムシが良過ぎるか。

 

 ゆっくりとコミュニケーションをとって彼女との距離感を調整し、穏やかな時間の中で不安を過去のものにしていこう。

 なに、後はボゥギフトに帰りさえすれば、こっから春まで用事は無いんだ。

 存分にのんびりイチャイチャすればいい。

 彼女の傍にずっといる時間も作るし、傍にいない時間もまた同じく設けよう。

 みんなと暮らすなんでもない日常への回帰は、『大切なもの』ってのが決して僕という存在だけじゃないのだと、彼女に思い出させてくれるハズだ。

 性急に愛を注いでも、逆に彼女の要求すべてをただ受け入れても、天秤をいたずらに不安定にさせちまう。

 不安で固まっちまった心は、ゆっくりと時間をかけて暖め、元通りに解してあげなきゃなんないからね。

 

 

 

 そうして全ての部屋を見終わり、最後の最後にこれまで避けていた扉の前で、彼女は立ち止まった。

 

「そしてここが……会頭の執務室になります」

 

 カチャリと小気味良い音を立てて開かれたドアの向こう。

 備え付けの暖炉に本棚が並ぶ広い部屋の中央窓寄り、日差しの差し込む最高の位置に、立派な執務机が据えられている。

 その机の表面をゆっくりと撫でながら回り込んだ彼女は、この部屋でたった一つだけ用意された椅子に腰を下ろす。

 重厚な無垢材でできたその天板に両肘をつき、組んだ指に小さな顎を乗せた彼女は、斜め下から見上げるように僕へと意味ありげな視線を送った。

 

 あなたの女にはここに座るだけの社会的地位と功績があるのだと誇示するようであり。

 そして翻って、それだけの女をあなたは手中に収めたのだと匂わせるようだった。

 

「こんな時代に国を跨いだ交易という大商いをしてのける、傑物のみが座る事を許された"高い"場所にある椅子……私とあなただけが座れる、特別な席です」

 

 彼女はゆっくりと紅い革張りのチェアにもたれかかると、こちらへと手招きした。

 

 足裏に感じるラグの思った以上の柔らかさに気後れしつつ歩み寄れば、するりと伸びた両手が僕の首を包むように触り──そのまま後ろで組まれ、ぐっと引き寄せられる。

 バランスを崩し彼女に向って倒れかけるが、咄嗟に背もたれの角を掴んだ。

 なんとか踏み止まった僕の目の前で、妖艶な紫の瞳がこちらを射貫いている。

 洋梨のような、軽やかでどこかあまい蠱惑的な香り。

 

 くらくらと眩暈がするほどに魅力的な目の前の女の子は、耳元へ唇を寄せて「ここで、しますか……?」と囁いた。

 

 他人の呼気の熱と湿気が、耳たぶを撫ぜる。

 

 

 

 

 

 そういうことになった。




6月20日【ヒモ】第一巻発売
新たな公開イラストはこちらになります。
すごいかわいい……。

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