【書籍化】異世界で職業:ヒモとしてみんなにバフを撒いてたら完全に逃げられなくなっていた話 作:河葛幸狸/スーパー巨大特濃葛根湯
感想、ここすき、お気に入り、全部とても励みになります。
ぜひどんどこお願いいたします。
特にここすきと感想は何度も見返して、みんながどんな話を求めてるかの参考にもしています。
天を貫くような世界樹を望むなだらかな丘の上で、僕たちはかれこれ一時間ほど並んで立ち尽くしていた。
まあその程度の時間なら見飽きることもない程、花が咲き誇りたわわに巨大な果実を実らせた世界樹の威様は見事という他ないのだけれど……問題は僕たちがそれに背を向けて立ってなきゃいけないってことだ。
「……長ェな」
「「「なーーーーーーがいっすねぇ!!」」」キュオンオンオンオン
「まぁまぁ……もうちょっとしたら休憩だそうだから、鹿伏さんも明星さんも、もう少しだけ頑張って、ね?」
げんなりとした明星先輩と、もはや我慢の限界に達しつつあり微振動を始めた鹿野ちゃんを、苦笑した先生がなんとかなだめている。
微振動のあまりの速さに鹿野ちゃんの声がダブって聞こえたが、もしかしてこれ影分身してない? 回避率が上がった音も鳴ったし。
「ウッス……なんかこの国来てから待たされてばっかな気がすンぜ。やっぱエルフって寿命長い分気ぃなげぇんだよな」
「ハハ、たしかにそれはあるでしょうね。この程度など、立って寝ていればそれこそ瞬きのような時間ですから」
「……そりゃスゲーや。降参っすね」
種族に対する揶揄とも取られかねない危うい発言を、気分を害した風でもなく笑って受け流すラナスティルさんに、先輩は毒気を抜かれたように肩を竦めた。
ラナスティルさんだけではなく、僕たちの傍らには里長のみなさんも勢揃いしている。
今僕らは、前から言われていた件の絵画を描いてもらっているまっ最中であった。
現代日本であれば写真パシャーで済むが、もちろんこの世界にそんな便利な文明の利器は無い。いや魔法とかがある分、日本より便利な分野もあるんだけどね。怪我を治すポーションあったり、小銭でバフを受けれたり。
ただカメラを超える画期的な魔導具は未だ発明されておらず、国お抱えの芸術家さんが筆を振るってキャンバスに描き出してくれるのを、僕らは被写体として微動だにせず待つ必要があったっつーワケだ。
思い出の品ができるのはめちゃくちゃに嬉しいし、そこまでして頂けるのはありがたい限りではあるが、しかしこれがまあ時間がかかる。
当たり前だが、絵なんてのはそんなパパッと描けるもんじゃない。
教室の片隅でプリントの端に片目を描く練習ばっかしてたぽたく君になら分かってもらえると思うが、一発描きで「ね、簡単でしょ?」とはいきやしないのだ。
ストリートで似顔絵描きますってやってる人に書いてもらったって、そこそこ時間がかかるのだから、こうして歴史にも残りそうなモノを本格的に描くとなればそれこそいくらあっても足りないだろう。
とはいえ流石に短命種の僕らの寿命が尽きるまで立っとくわけにもいかないが、そこは魔法のある世界らしく数時間でモデルが無くてもなんとかなる形にできて、その後より精密に書き込むのに月単位で時間を費やすスタイルなのだそうだ。
今もその魔法を使っているのか、お団子髪の絵描きエルフさんが絵筆を滑らせる度に、それに追随してキラキラと煌めくオーラが跳ねたり散らばったり忙しなくキャンバスの上で踊っている。幻想的〜。
なんでもこの魔法が作られるまでは、何日にも分けてモデルさんは同じポーズを取っていたらしいというのだから、発明者さんには感謝してもしたんねぇや。
なんせ数日にも分けて長時間じっと動かないとか、鹿野ちゃんにとっちゃ拷問にも等しい苦行だろうからね。
ぜんぜん今だって完璧に我慢の限界で、僕の服に潜り込んでへそに指を突っ込んだりしている。そ、それ以上は入んないかも……!
いやでも走り回んないでくれるなら、もう構わねぇやそれくらい。
スマホ見てれば大人しくなるタイプとかでもないだろう鹿野ちゃんが、僕をいじくり回してる間は走らないでいてくれるんだ。
こうなってくると僕の手数の勝負である。次は変顔とかすりゃいいか? 腕が鳴るねぇ……!
「……なんだかこうしておると、いろいろと日本に居った頃を思い出して嫌になってくるな」
「もうちょい! もうちょい耐えて王城さん……! そしたら後で僕のヘソに指突っ込んでもいいから……!」
「どういう対価なのだそれは。ま、異世界の記念と思っておこう。ほれ、アオミが腹を痛くしてしまう故、カノもそれくらいでやめておけ」
「あー、まだ出口まで行ってないっすよぉ」
ないよ僕のヘソに出口は。
「ふふ、冒険者様方もお疲れのようですし、では一度休憩を挟みましょうか」
脇に手を入れられ、長く伸びるネコみたいな持ち方で鹿野ちゃんが回収されたタイミングで、絵描きさんも見るに見かねたのかブレイクタイムとあいなったのであった。
「お、手伝ってやるよアオミ」
すっかり固まった身体を背伸びしてぐーっと伸ばしていると、隣で同じ動きをしていた明星先輩が両手首を掴んで体を押し付けてきて、彼女の体に沿うように海老反りさせられてしまう。はわわわわ。
柔らかいやら痛いやら背骨が鳴るやら体温ぬくいやらで気が狂う! 先輩! 逆効果です!
「オイオイ、そう硬くなるから逆効果なんだろうが。ホラ力抜けって」
先輩はひどく楽しそうにニヤついて意味深なことを言うが、能動的なボディタッチに弱い僕がこんな事されて緊張しないハズがなく、無事さっき棒立ちしてた時よりもガチガチになるのだった。凍ったバナナみてぇに僕で釘が打てるぞ。
「王城センパイ休み時間っすよ!! 鬼ごっこしましょ! かけっこでもいーッスよ王城センパイ!! 肩車も捨てがたいかも! 王城センパーーーイ!!」
「ぬわーーーっ!」
長時間チャージした分強力になりウルトの持続時間も伸びてなんなら弾無敵までついた鹿野ちゃんは、王城さんにお任せしておいた。
すごい、王城さんの上を縦横無尽に登って降りて這い回っている。海外のリス動画みてぇな大暴れだ。
「ふむ、ではやはり祝祭が終わり次第帰還されるのですね」
「えぇ、すみませんが我々にはやる事がありますので」
「謝られんでくだせ。これまでのように、これからもやるだけだもんで。託してくだすった風の方に恥じぬよう、努めさせて頂きやす」
散らばってそれぞれ好き勝手羽を伸ばしている僕ら子どもたちとは違い、先生は里長連に捕まって肩のこりそうな敬われ方をされていた。お労しや……。
里長たちとお話しさせてもらうとかなら、僕だって興味深いから大歓迎なのだが、先生はこうなっても依然信仰の対象みたいな扱いなのは変わってないからな。
親しい人との会話ならともかく、無闇矢鱈と崇められるのは窮屈で仕方ないだろう。
先生が気疲れしちゃわないか気掛かりで、ついつい彼らの会話に意識が向いてしまう。
「……そう言えば。世界樹の件なのですが、その後の調査で一つ不可解な事が分かりました」
そうしていると、ふと思い出したようにアラノスさんが口を開いた。
「不可解、ですか?」
「えぇ、風の方や皆様方がワームと戦った広場から、根の部分にまで続く人工的な空洞が出来ていたのです。最初はあの大きなワームが掘り進めた穴かと思ったのですが、調べたところそれこそ皆様がワームと戦った後に作られたもののようでして。……結局その穴は土にまで繋がらず、先細った何もない袋小路となっておりましたが」
そう報告するアラノスさんの顔は、どこか薄気味悪そうな表情をしていた。
そのあまりにも作為的な痕跡に、何か意図のようなものを感じてしまうからだろうか。
何者かが裏で蠢動していたという事実が、背中に冷たいナイフを当てられたかのように、言いしれぬ危機感を抱かせる。
「そうですか……今の時点ではなんとも言えませんが、どうか引き続き警戒をお願いいたします。魔王が再びここを狙わないとは限りませんから」
「えぇ、もちろんです。ハーフエルフの中にも、時折こちらへ来て協力しても良いと言ってくれる者もおります。風の方の仰られたように、力を合わせて事に当たればあのような惨事はきっと回避できるでしょう」
「ま、そうですわね。すぐに親しくというのは難しくとも、むこうも思うところあってか自発的に申し出てくれておりますし、協力体制自体は問題なく組めそうですわ」
……とはいえ、この分ならケルセデク自体は問題無いだろう。
エルフとハーフエルフが未だぎこちなくはあれど手を取り合えば、少なくとも精霊魔法を封じるってメタ戦法だけで手も足も出なくなるような事態は避けられる。
いろんな問題がごたついたエルフの里騒動ではあったけれど、勇者が魔王の手下を倒して終わりっつーほど簡単明快にはいかずとも、しかしなんだかんだ良い形で収まったと言えるのではないだろうか。
様々な入り乱れた線は断たれる事なく解かれて、なんとかそれぞれの日常を取り戻し以前よりはマシな関係に落ち着いた。
雨降って地固まる……なんて言葉で〆ちまうと、ちと年寄り臭いか?
いやなんせさぁ、釣りに連れてってくれたバトラーさんが、僕の胴体くらいあるバカデカフナを釣る傍ら、めちゃめちゃいろんな昔話聞かせてくれたもんだから、そういう癖みたいのが移っちまってさぁ。
なんか亜空間タックルしそうな二本足ピラルクとかアダマンタイトオオグソクカブトガニとかプレシオサウルスとかもヒットしてマジで楽しかったぜ。闇無君たちもあんな事言わずに来りゃ良かったのに。
地球でも頑張ればああいうのも釣れるかな? 帰ったらネス湖までの道案内をSiriにでも聞いてみるべ。お金あんまないから、徒歩で行けるルートで頼むぜ。
「さ、そろそろ再開しますよー。あとほんの数時間でできますから、もうひと踏ん張りお願いしますね」
ゔあぁーい……。
そうこうしてるとあっという間に休憩時間は終了し、僕らはうめき声と命乞いと返事のちょうど中間みたいな声を出して、再び所定の位置にノロノロと戻ってゆくのだった。
夜勤の休憩終わりとかに見たことあるかも、この光景。
◆ ◆ ◆
その日の夜。
日が沈んですっかり人気の無くなった通りを僕は歩いていた。
とはいえいまだ家や店の中から陽気な音楽や人の声が漏れ出ているので、外に出てないだけでお祭り騒ぎは続行中なのだろう。
備え付けられた魔法街灯だけでなく、祝祭の祝いとして家々の軒先に吊るされたランタンが、エルフの里をより幻想的に照らし出している。
いくらなんでも景観良過ぎる。もしかして千と千尋のモチーフになったことあります?
もし僕が編集部ならるるぶケルセデク風精国の表紙はここで決まりだろう。今日もアホほど色々勧められて食べ過ぎたので、グルメ情報の方も任せてくれ。どうして大人って子どもにご飯をいっぱい食べさせたがるんだ……?
ありがたくて涙が出そうなのは掛け値なしの本音であるが、一緒にでちゃいけない物も口から出そうだ。
「ふーん、この時間でもけっこう楽しんでるのね。エルフってなんとなく清貧なイメージがあるから、夜遊びの音が聞こえてくるのがなんだか新鮮だわ」
「この前夜に出歩いた時はこんなじゃなかったんで、そのイメージで合ってると思いますよ。やっぱ普段しない分、こういうお祭りの時はしっかり騒ぐんですかねぇ」
パツンパツンにご飯が詰め込まれた爆弾おにぎり状態の僕の横を歩くのは、同じく歓待を受けていた先生である。こっちはご飯ってよりお酒を勧められてたので、ほんのり赤く頬を染めていつもよりぽやぽやした目をしていた。
神が500時間かけてキャラメイクした美の結晶たるエルフがそんなになってるもんだから、色っぽいなんて言葉では言い表せないレベルの、もうそういうSCPなんじゃないかってくれぇの大人の色香を放っており、じっと見ていたら破滅してしまうと直感した僕は思わず目を逸らしてしまい無事173に首をおられるのであった。ハメ技やめろ。
絵のモデルをし終わった里長たちに誘われ、突発的に開催される事となった会食に参加した帰りである。
直接的に誘われたのは大人である先生だけで、他のパーティーメンバーは参加自由な感じだったんだけど……どうもみんな「まだアラノスさん達とならともかく、他のお偉いさんと飯食っても味わかんねぇよ」と一様に遠慮する姿勢ぽかった。
王城さんと悪王寺先輩なんて、肩組んでエルフ美人を探しに行く気満々だったからな。
ここんとこ毎日、あの二人は各里を回って美形のエルフっ娘にチヤホヤされ行脚してんだよね。
僕も一日駆り出され、黒髪ウルフカット演劇部王子様系女子と金髪ボブカット長身武道家王様系女子に挟まった異物として、具が貧相過ぎるサンドイッチ状態で美形揃いのエルフさんたちにもてなされたりもしたし。空間美人濃度が高過ぎて酸欠になるとこだった。
最初同族嫌悪してたとは思えねぇ意気投合っぷりに、僕としても大好きな人と大事な友人が仲良しで大変嬉しい。互いに変な矢印が向いてない限り、相性は間違いなく良いと思ってたんだよなぁ。
で、それはともかく里長連からのお誘いに生徒が誰も手を挙げないとなると、先生がたった一人里長連に囲まれて崇められながらご飯を食べることになってしまうので、「えぇ〜!? 会食っすかぁ、美味しいご飯良いなぁ〜! オラもご相伴に預からせて下せぇよごすじんしゃまぁ〜(意訳)」と、空気の読めない卑しい出の下男として僕もオマケで連れてってもらったのだ。
なんせあのままじゃ先生だけエネルギー吸収アリーナに引っ張りこまれるハメになってたからな。ストレスで胃に穴が空いちまうよ。
流石に恩師が胃潰瘍になるか否かの瀬戸際を見過ごすことはできねぇ。後まあ普通にエルフさん達とおしゃべりもしたかったし、絶対ご飯も美味しいし。
そんなワケで拙者自身の欲望に忠実侍、義によって助太刀致すとばかりに同行し、最終的に腸詰めみてぇにパンパンの肉袋として帰宅している最中である。卑しい出の下男過ぎるだろ。
「……良ければ、あそこで少し休まない?」
先生の指差した先にはなだらかな傾斜で、下から頂上までは見えない程度の高台があった。
木々があまり生えていないこの場所はいわば町中にある公園みたいな感じなのか、茂み以外の場所は下草も芝くらいの生育に抑えられており、天気が良ければ昼間なんか寝転がって日向ぼっこなんかしても良さそうだ。
そして日の落ちた今では、夜の森の上に輝く星々とまあるく満ちた瞳月が、夜空の天蓋を飾っている。
重たいお腹を抱え苦しげな息を吐く僕を見かねてか、先生はそこでちょっと休憩していこうと提案してくれたのだろう。
たしかに、斜面に寝転べば楽そうだ。
「わ、ありがたいです。ちょっと一休みしたら、消化もできると思うんで」
「そう、ならちょーっとだけ登っちゃいましょうか。失礼するわね」
「へ?」
彼女はそう言うと、適当な場所に腰掛けようとしていた僕を軽々とお姫様抱っこし、そのまま足取り軽く登り始めた。
あ、そういう感じ? すいませんね、先生もほろ酔ってらっしゃるのに。
この旅で新たに「抱っこ慣れ」という成長をした僕は、この状態で今更なにか言っても無駄と理解しているので、大人しく一番抱えやすい格好を取るのだった。成長の実感がこんなにも空しい事あっていいのか?
そうして僅かな時間で辿り着いた高台の頂上は、森でできた街の中にぽかりと開いた空間だった。
芝の上に腰掛け後ろに手を付き空を眺めれば、視界が星空で埋まる。一部世界樹で隠れて見えないが、それくらいは誤差と言えるほどの絶景だ。
純粋な夜闇を薄めて濁らせる人工的な光の少ないこの世界の夜空は、宇宙に瞬く星の光をあまりにも鮮烈に僕らの眼球にまで届けてくれる。
その量と明るさは綺麗さや美しさよりも前に、迫力をもって夜の闇の中に浮かび上がって、本物の宇宙を知らない現代人の僕を圧倒した。
世界樹がなにか作用しているのか、この国の空気はボゥギフトやバルツァンよりもとても澄んでいるんで、それもあっての光景なのだろう。
「わぁー……! すっごいわねぇ。ウチの実家の山で見るより、全然クッキリと……こうして夜に木の無い場所に来たこと無かったから、この国の星空がこんなに綺麗だなんて知らなかったわ」
いや僕もです。こーりゃすげぇや……現代知識チートしようとしてプラネタリウム作った学生が居ても、商売上がったりですねこれじゃ。
「もっと手頃な題材がいくらでもあるでしょうに。そんな商才じゃ何屋をやっても時間の問題で潰れちゃいそうだから、その子には堅実に他の道を歩む事を進路相談で指導させてもらうわ」
軽口を叩いてクスクスと笑い合いながら、僕たちはしばし真上を向いて空を眺めていた。
背後の街から聞こえる楽器の演奏も、なんだか少し遠くに篭って聞こえて、まるでこの空間を邪魔しないBGMみたいだ。
「……気を遣わせちゃって、ごめんなさいね。みんな帰ったのに、一人だけついてきてくれて」
ふと、先生がそんな風にこぼした。
思わず隣に座る彼女の顔を見れば、彼女はどこか思い詰めたような、後悔の滲む表情をしている。
いやいやなにもそんな深刻に受け取らなくても、全然このくらいなんでもないっていうか、むしろ美味しいご飯も食べれて面白い話もいっぱい聞けてラッキーなくらいですよ。
「それは、まあ……そうかも知れないけど。たしかに皆さんすごく青海君のこと可愛がってたし、なんかミドルネームも結局里ごとに付ける事になってたものね」
そうなんだよな、今や僕は『青海・フィオレン・アズレア・ニール・ヴィリディクト・サフィロス=蒼』だ。長い長い長い長い。こちとらピカソじゃねぇんだぞ。
貰ったもんに文句言いたくないっていうか、新愛の証にケチはつけませんけど、でも「一つに絞ってくれたら良かったんでは……?」とは思わないでも無いですよ流石に。
「それだけ気に入られたってことよ……私にばかり負担がかからないように、いーっぱいおしゃべりしてくれたものね」
気に入ったら何しても良いワケじゃないんスけどね……。
でもまあ、そういう意図が無かったとは言いませんが、ああして話した言葉は全て僕がそもそも里長の皆さんに聞きたかったこと言いたかったことですから、本当にあんま気にしないでくださいよ。
しかし先生は僕の言葉に軽く首を振った。
それだけじゃないの、とでも言うように。
儚く消えてしまいそうな、今まで誰にも見せてこなかった弱った顔をして、彼女は俯く。
「……あなたは、そう言ってくれるでしょうね。けれど気にもするわよ。だって今回のことは、全部私がエルフになったせいで招いた騒動だったんだもの。……エルフの国に目を付けられたのも、種族間のイザコザに板挟みになったのも、魔王の走狗と戦うハメになったのも。ぜーんぶ、私のせい。結局みんなの力でなんとかなったけど……終わり良ければ全て良し、とはいかないわ。こんな、私のせいで転がり込んできた因縁に、あなたたちを巻き込んでしまって……やっぱり大人として、とてもやるせないの」
それは……かなり酷い暴論だった。
そもそも先生は自分からエルフになる選択をしたワケでも無ければ、生徒を守っていたら勝手にエルフ側が噂を聞きつけただけで、更には魔王の走狗にいたっては地球に帰るためにも倒すべき相手だ。
全部不可抗力のことだし、その責任を先生に帰結させようなんて道理を弁えない人間は、僕らクランの中には一人も居ない。
だからこれは外から与えられたのではなく、内から湧き出た感情なのだ。
先生の矜持というか、大人としての理念、思い込みにも似た強迫観念。
目指すべき理想像とのギャップが、当たり前に完璧ではない彼女を苦しめてしまっている。
それ自体はきっと誰しもに訪れる苦悩というか、地に足つけて夢に向かい歩いて行くしかない類のものだと思う。
だけどそれを吐き出す場所すらないのは、たぶんとても辛く苦しいことだ。
このまま内側へと感情を押し殺したままいたら、いつか心を壊してしまうだろう。
先生だからと、今でも厳しく自分を律している彼女には、ストレスや愚痴のはけ口も無ければ、そもそも吐き出す時間すら与えられていない。
さっきまでの彼女がエルフの夜遊びしてる姿に新鮮な驚きを感じていたのは、つまり世界樹の問題が解決した祝祭の間もなお、夜に出歩いたりしていなかったという事の証明だ。
僕らみたいな子どもではなく、教師をやって何年目かの社会人である先生が、そんな風に禁欲的というか、行動を制限されているのは、ずっと生徒の前で教師をしているからに他ならない。
そうさせてしまっていた事を、それに気付くことも出来ていなかった事を、申し訳なく思う。
特に僕なんかはそれ差し置いて飲み歩いてるんだから、最も反省せねばならない問題児筆頭だ。ホントに申し訳ない話じゃん。浮かばれねぇよ先生が。カス生徒すぎる。退学処分も視野に入れられては如何でしょうか。
まあ、だからこそ……思うだけじゃなく、行動で示そう。
「……ごめんなさいね。なんだか、しめっぽくなっちゃって。あーぁ! 普段はこんなじゃないんだけどな!」
今もまた垣間見せた弱音を急いでしまいなおし、無理して明るく笑おうとする聖さんの手に、自分の手を重ねる。
突然の僕からのアプローチに驚いたのか固まっている彼女は、先生の顔でも元ヤンの顔でもなく、異世界に突然連れて来られて不安定になっている、一人の女の人だった。
いつも守られてばかりの、僕が護ってあげたい人。
「いいですよ、いくら言ってくれても。誰にも言えない事や、他の人には言いにくい事も全部。あなたの中に貯まった感情のなにもかも、僕は聞かせて欲しいです」
それくらい言っても良いじゃないですか、なんてこの人の教職としての矜持を思えば、軽くは言えないけれど。
でも、気を張り詰め続ければやはりどこかで切れてしまうものだから。
僕は意を決して、一番ズルく、けれど考えうる限り相応しい言葉を言うために口を開く。
「ちょっと言い方違うかも知れないですけど……なんていうか、そういった事を言ってくれるのも嬉しい、かも知れません。……他の誰にも見せない聖さんを、僕にだけ見せてくれるのが。……特別な関係の相手である、僕の前では……時々こうやって、いつもと違う姿も見せてほしい、かも、です」
流石に少し気恥ずかしくて、夜空に視線を移してそう告げる。
しかし重なり合った手から伝わる体温が急激に上昇するのを感じて、どうやら大外しして白けられることはなかったようで安心した。
語彙の選択がとても難しいというか、こんな超絶自意識過剰な表現は顔面から火を吹きそうなものだけど。
彼女が安らげる時間が作れるのなら、それこそ使えるものはなんでも使うべきだし。
なにより、先生から貰っている想いを偽りだとも言いたくなかった。
心のどこかにある、他者と比べるみたいな醜い喜びの気持ちを、素直に吐露すべき時もきっと存在するのだ。
……あ、あれ?
いつまで経っても反応が無いのを不安に思い、夜空を見上げる視線を下げて先生に向けると、飛び込んでくる圧倒的な物量が視界を埋め尽くしていた。
柔……凄……避……無理!! 否 死
顔面に柔らかいを通り越した何かが覆いかぶさって、心臓に近い体の中心部特有の温もりに包み込まれる。普通に息しただけで筆舌に尽くしがたい良い匂いがするので、呼吸するのがためらわれて自然息を止めてしまった。
「これがミニヨギボーですか? 200個買います」みたいな、ダメ人間をダメにする包容力に、脳味噌が処理しきれない幸せホルモンの過剰分泌でホワイトアウトしかけている。
「……今でも、あなたとの繋がりが途絶えた瞬間の事を夢に見るの」
包み込まれた頭に震えが伝わってきて、ショートしかけていた思考が潮が引くように落ち着く。
掻き抱く力はぎゅうと締められるように強く、彼女の気持ちが込められている。
どこに回すにしても短い自分の手を呪いながら、彼女の柔らかな肩に手を添えた。
間違いなく僕はここに居ますよと伝えるようにやわやわとさする。
「あの子達に動転したところなんて見せられないから動揺は抑えきったけれど、正直あの時私も頭が真っ白になったわ。……また幸福が私の手の内から零れ落ちていくことに、居ても立っても居られなくて叫び出しそうだった」
ずっと溜めこんでいた気持ちが、彼女の中から溢れ出す。
誰にも言えるハズが無かった、けれど僕が言って欲しいと願った言葉。
この人の本当の形が、今目の前に曝け出されている。
不安定に揺れ、今にも倒れてしまいそうなこの愛おしい人を支えるためならば、なんだってしてあげたい。
それが許されないことだと言うのなら、その咎も全て僕が背負おう。
「……そして、暖かなあなたの繋がりが胸の中に再び飛び込んで来た時、崩れ落ちそうなほどに安堵した。……でも、それがあんなにも簡単に消えてしまうものだという事実が、まだ私の中にあまりにも強く刻み込まれてる」
かけられる力がゆっくりと強くなって、そのまま芝生に押し倒される。
満天の星空を背景に、ほのかな月明かりに照らされた彼女の髪は、まるで夜闇を映すように透き通って黒く見えた。
聖さんの手が僕の胸元を這って、するりと服の中に潜り込む。
「今こうしてあなたの心臓が動いていることに、私はなによりも安心してる……でも、それだけじゃ足りない。もっと、ちゃんと、感じていたいの。……あなたが生きている証を……私に、分けて欲しい……」
しなだれかかった彼女の髪が、天蓋のように僕らと世界を分かつ。
二人だけの夜が、僕と彼女の間に在った。
「……今夜、これからほんの数時間だけ……私のことを、先生と呼ばないで」