【書籍化進行中】異世界で職業:ヒモとしてみんなにバフを撒いてたら完全に逃げられなくなっていた話 作:スーパー巨大特濃葛根湯
感想、ここすき、お気に入り、全部とても励みになります。
ぜひどんどこお願いいたします。
特にここすきと感想は何度も見返して、みんながどんな話を求めてるかの参考にもしています。
僕らの目の前で突然ドラゴラムしたヒート嬢が、地を揺らす咆哮をあげながら天へと業火を吐き出した。
放出された炎の柱が大気を焦がし、周囲を熱しながら雲間を貫く。
そのガパリと大きく開かれた口元では、人智を超える超自然的な体系を取った未知の魔術言語で記される魔法陣が、空間そのものを灼くほどの超々高温で赫熱して紅く光り輝いている。
あれらの行動は人間のソーサラーが修練し会得するような魔術行使とは違い、竜という生物が生来体得している本能的な権能だそうだ。
例えるならば、猫が獲物を狩るように、イルカがエコーロケーションで会話をするように、竜は魔術を使い世界の理を歪める。
生き物としての隔絶された格の違いが、こういった基礎能力の時点で如実に表れる。
だからこそ人間はそれに対抗する為、個体数の多さを活かした"儀式魔法"を生み出したのだとか。
もちろん僕が異世界生物学を専攻しているハズが無いので、これはラウ爺さんの受け売りだ。
競魔場でミニチュアみてーなドラゴンモドキが出て来た時に、酔っぱらった彼が僕に講義をしてくれた。
周りの人はまたコイツやってるよという感じだったが、僕は正直めちゃめちゃ興味深い話だったのでいろいろ質問までしてしまったものだ。
もちろんそんな地上最強の生物種たるドラゴンさんが、頭でっかちな性能をしているワケもない。
地を深く抉り、容易く大地を引き裂いている爪だけで、僕の身長ほどはありそうだ。
太くもしなやかに伸びた尻尾は暴れ狂い、周囲の木々をまるでポッキーのように薙ぎ倒す。
その圧倒的なフィジカルは、最大までバフで強化された先生や明星先輩であっても対抗できるかは正直怪しい。
膂力に絞った腕相撲ならいい勝負をするかも知れないが、タッパが違いすぎて質量の差で負けてしまう目算が高いのだ。
今の彼女の形態は上体を起こせる四足歩行、不謹慎だがモンハンで言ったらちょっと太ましいミラ系っぽい。
いやこれはヒート嬢が太いとかそういう事ではなく、身体自体が"厚い"のだ。
そもそも生き物は大きければ大きい程強い。
純粋に熱量が貯められるのでタフネスがあり、脂肪や筋肉による防御が硬く、そして骨格そのものも頑丈になる。
例えば毒などのバステに対しても『1mgでゾウ何頭を殺せる毒』って表現がある通り、小さな体の生物よりも耐性が高くなる。
だからこそ、全長が長く身体が分厚く四肢が大きく鱗が硬い程、それは生き物として強い。
そういう意味で言うなれば、目の前のヒート嬢が変化した竜は、そういった"生物的な強さ"の化身とすら言えた。
虎が強い理由を突き詰めた果て。
『竜』は『竜』だから生物として一番強い。
理不尽ではなく、理が尽くされた論理的な最強。
地球よりも遥かに幻想的で、魔法がある分更に多様な生物群の頂点が、ここに君臨していた。
か、カッコいい……僕もエボルシャスしたらこうなりたい……けど、これ、大丈夫なのか?
あまりにも異世界ロマンな光景に、心中がカッコよさ:3 心配:6 これ言葉は通じるのか:1の円グラフとなる。
「ひ、姫様!? そのお姿は……!」
他の魔車に乗っていた騎士さんたちも、自身が仕える敬愛するお姫様の変貌に驚きを隠せていない。
つまるところこの変身は初めての珍事という事だろう。
しゃっくりみてぇに急に出ちゃう身体現象では無いらしい。
おそらくは僕のバフが、彼女の持つポテンシャルを最大限引き出して“しまった“結果がこれなのだろうけれど、しかし少し上振れが過ぎやしないか。
「えー!? ヒート様! どうしてそんなに大っきくなっちゃったんッスかぁ!?」
なんでやろなぁ、とは言うまでもなく原因は僕と鹿野ちゃんである。
とはいえ、もちろん彼女を責めらんねぇ。
つかホント鹿野ちゃんに一切の非は無いのだ。
この件は僕の能力が起こした事であり、その責任は何も考えずお金を受け取った僕にしか存在せず。
そして僕は自分の起こした事で誰かに責任を求めるほど恥知らずじゃあない。
そもそも本来は筋力とかが強くなって、おぉ確かにバフですね、くらいで終わる話だったのだ。
金級の冒険者のバッファーがことさら強いバフを持っていても、そりゃそうですよねで済む。
だからこそみんな鹿野ちゃんがヒート嬢に僕の話をするのも止めなかったし、お金を渡した時もなんならちょっと微笑ましく見てたくらいだ。
それがなんでかバフが効きすぎたのか、それとも彼女に素質があり過ぎたのか、このような事になってしまったわけである。
身体に害があるバフじゃ無かった事はひとまず一安心だ。
これでみんなの体になにがしかの後遺症なんかが残っていた日には、自責の念で狂ってもおかしくなかった。
彼女らが健康で幸せな生活が送れなくなるのは耐え難い。想像するだけで胸が苦しくなる。
これが……恋……? それはホントにそうかも。
その心配が杞憂に終わったのは良くても、しかし目の前で起きている大事件はそれはそれでたいへん良くない。
何事もアクシデント無く予定通りなんて僥倖は望めないとしても、ここまでのガバが起こるとは正直思っていなかった。
まさか小銭程度の扶養で、ココまでの強化がかかるとは思ってもみなかったのだ。
これが銀貨数枚ましてや金貨だったら、流石の僕も脳内の世間体アラートが緊急警報を発令し、反射的に手を引っ込められただろう。
けれどそれは、異世界という特殊な環境に来たクセに抜けていない、僕の認識の甘さだ。
思わず己の不甲斐なさに歯噛みしてしまう。
なにより……領地や領民の為を思って動ける、心優しいヒート嬢が変わり果ててしまう事が怖かった。
僕一人でよければ人身御供でもなんでもなるから、どうか怒りを鎮めて元の彼女に戻ってくれ……!
固唾を呑んで事の推移を見守る僕らにむけて、幾分落ち着いた彼女がとんでもない声量の聞き慣れた声で話しかける。
多分だがこれ、ヒート嬢の口元に浮かぶ魔法陣が声増幅させちゃってんな。
『ヴ、グゥ……いえ、もう大丈夫ですわ。初めてこの姿になって、猛り狂う本能を治められず思わず……お騒がせいたしました』
一通り炎を吹いて落ち着いたのか、ヒート嬢はまるで伏せのポーズを取るように地面へと腹這いになり、僕らに顔を近付けて話してくれる。
野外ライブかってくらい凄まじくデケー声なので顔を近付けなくても絶対に大丈夫だったが、しかしその気遣いや他者への思いやりは紛れもなく彼女の物だった。
先程まで炎を噴いていた彼女のお口が少し僕らに近寄るだけで、周囲はサウナもかくやと言わんばかりの熱気に満たされる。
一気に汗が噴き出てきた。
余熱でコレってマジ? 肉の火入れと同じ原理で、僕らの身にも十分な熱が入りウマいステーキになっちまうよ。生物としての位階の違いをまざまざと感じさせられるな。
彼女の心が無くなったワケではないという事実に、へたりこむほどの安堵がせり上がる。
気付けば震えていた足が、喪失してしまうかも知れなかったモノが僕にとってどれほど好ましい物だったかを表していた。
そして、今更になって気づいたが、あの大暴れの最中も彼女は僕らの事を守ろうとしていたのだろう。
そうでなければあんな大焦熱を前にして、付近一帯がドロドロに溶解していないハズがないのだ。
魔術的素養に欠ける僕にはわからなかったが、多分断熱や守護の魔術を、意識的にか無意識でかはわからないが周囲に展開していたのは想像に難くない。
そんな根は優しくて生物界最強な彼女は、自らの身体をしげしげと見下ろし、感慨深げにつぶやく。
『しかし、まさか私が先祖返りをするとは……。曽祖父様は完全な竜になる事ができたと、お父様から話にきいてはいました。けれどお祖父様もお父様も、ついにはこうなることは叶わなかったそうです』
その言葉に騎士たちが「おぉ……!」と感嘆の息を漏らした。
どうやら彼女はギギルガムの家系で数世代ぶりに産まれた、竜の血の濃い竜人であるという事らしい。
理性的に落ち着いた口振りで、彼女は自身に流れる血の力を説明してくれているが、どうしてもその心の中は興奮で溢れてしまうのか、丸太のような尻尾が幾度も地面を打つ。
一発で地盤調査のボーリングが済みそうな威力だ。
インパクトのタイミングでジャンプしてないと、怯みモーションに入っちまうタイプのボスステージギミックみてぇだぞ。
一定間隔で地面が揺れて隣に立つ先生が凄まじく揺れ気が気でない。
が、そんな圧倒的な存在を前にしても、僕はあまり怖さを感じなかった。
……念の為に言うと、この圧倒的な存在とは先生の胸元ではなく、竜になったヒート嬢の方だからね。
なんでドスケベ逆バニー重鎧聖騎士エルフの縦揺れ著しいメートルを超えた胸囲を怖がんなきゃなんねぇんだよ。まんじゅう怖いと同じ用法だろ、その場合は。
自分を遥かに凌駕する生命体と会話するなんて、現実となればかなりのストレスになりそうなものだが……まぁ、中身がよく知っている他人想いな幼子ともなればそりゃ話は別か。
「申し訳ありません、ヒート様。僕が考え無しにバフをかけてしまったばかりに……申し開きのしようもありません」
『あぁ! いえ、お気になさらないで下さい。あなたの能力は凄まじいものです! 私にこんな力が眠っていたなんて、今まで知りもしませんでした。あなたのおかげです。それに聞いた話では、普通の相手ではここまでの事にはならないのですよね? であればこれは、手前味噌な言い方ですが、私に流れる竜人の血によるものなのでしょう』
味噌あんのかよこの世界に、と思わず考えてしまうが、これは単に天使さんが僕らに用意してくれた翻訳の都合だろう。
今更生えている事に気づいたかのように翼を2、3度はばたかせて、今回の事は事故であったと当人は朗らかに擁護してくれる。
どうも単なる人間種である僕らには分からないが、翼というモノは突然与えられても自由に動かせるものらしい。エナドリは飲まないタイプだし生えたこと無いんだよね。
僕なんか指一本でも増えたら混線して絡まると思うのだけど、ヒート嬢は器用にもすでにコツを掴んでいた。
風を捉え強くはばたくと周りに突風が吹き荒れる事を理解しているのか、再び周囲に守護の魔法陣が張られようとしている。
『多分感覚的には自由に戻れそうですし、みなさんをお待たせするのは心苦しいですが、一度飛び上がって大怪鳥を天空から探してみても……あら?』
フッ、と世界が薄暗くなる。
まるで太陽が雲に隠れたかの様だが、しかし真上の雲は先程のヒート嬢のドラゴンブレスで吹き飛んだばかりだ。
って事は、つまり雲以外の何かが僕らと太陽の間を遮ったということで。
僕らはこの突然の出来事に、身に覚えがあった。
こ、これZ会でやったとこだ!
すぐさまパーティ全員が上空を見上げると、そこには空飛ぶクジラの姿があった。
アイツはゆうゆうと空を青い風斬り羽根で掻きながら、まるで獲物を狙うかのように旋回しこちらを睥睨している。
改めて見ても生物にあるまじきサイズしてんねぇ!
竜になったヒート嬢も大きいが、その比にならない巨体だ。
レウスとラオシャンロン、自家用車とバス。それくらいの絶望的なまでの体格差。
そして、『生き物は大きければ大きい程強い』。
かのバケモノは突然周遊航路を変え旋回すると、こちらへと急降下してきた。
しかし今アイツが見詰めているのは、矮小な僕らではなく。
もっと大きく、食べ応えのある餌。
『……ッ、狙われているのは私です!』
被捕食者となることに由来した背に走る悪寒に、戦慄した声音でヒート嬢が叫ぶ。
「お、お嬢様! お逃げください!」
クジラより小さい庇護対象よりさらに小さな彼らが、彼女の前に剣を抜いて居並ぶ。
無論、そんなものが何かの足しになるワケも無い。護る事あたわず、そのまま彼女ごとまるまま呑まれておしまいだ。けれど、それでも、百度繰り返せば百回とも、彼らはこうやって前に立ち庇いだてるだろう。
それが騎士というモノだからだ。
己が剣を捧げ守り抜くと決めた相手に命を懸けるという理が、彼らの心に埋め込まれている。
『……いいえ、征きますッ! 私はこの領地の為に、ギギルガム家の名の為に、お父様の力を頼って道理を曲げてここに来たのです! 討伐対象を前に尻尾を巻いて逃げる竜に、誰が敬意を払い頭を垂れますか!!』
電磁パルスが収斂し空気を揺らすようなブゥンという音とともに、いくつもの複雑な魔法陣が彼女の周りを覆い尽くし、風や地揺れも起こさずヒート嬢が翔び上がる。
はばたきは風を掴めども、しかしそれらが周囲へ荒れ狂う風をもたらすことはない。
極めて複雑な魔術による調和が、世界に波風一つたてず捻れた摂理を創り上げる。
“飛ぶ“が“周りに何も引き起こさない“。
親の力で道理を曲げたと自嘲する彼女は、今や自らの権能だけでたやすく世界の理法を捻じ曲げる。
凄まじい速さでぶつかりあう両者。しかしあまりにも違い過ぎる質量差に、ヒート嬢が弾き飛ばされる。
流石に空を飛ぶということには未だ慣れないようで、上手くハンドリングできていないのかギクシャクしているのは否めない。
吹き飛ぶベクトルを空中で体軸をひねり、急制動をかけて再びクジラへと肉薄。まるで銃弾やピンボールのように、直線的な動きで跳ねまわる。
かたや空飛ぶクジラは痛痒をまったく感じていないようで、何度も彼女へと歯を立てようと噛みついてかかる。
避ける。殴る。無意味。
避ける。引っ掻く。小さな傷。
避ける。ブレス。鬱陶しげに振り払われる。
今のところヒート嬢が皮一枚回避してダメージを受けてはいないが、けれど彼女の攻撃もクジラにはけして痛手を与えられずにいた。
革も肉も脂も、あまりに硬く魔法耐性が高くぶ厚すぎるのだ。
このままでは、どうやったってあのバケモノの命には届かない。
「お嬢様、お戻りくださッ……クソっ! お前ら、頼む! お嬢様に手を貸してくれ!」
自身の非力さを嘆くように、騎士たちが僕らに声をかける。
言われるまでもなくこちらもただ指を咥えて見ている気は無かった。
突然の事でめちゃめちゃになったが、この好機を逃す手はない。
「ッ……ダメっす! 前と同じくらい高い! あれじゃ当てても逃げられちゃいます!」
鹿野ちゃんがまるで迫撃砲のような角度で大筒を空へ向けるが、しかし未だ高度が高過ぎる。
当てられるかも分からなければ、下手をすればヒート嬢を撃ち抜いてしまいかねない。
前の焼き直しをしたところで、アイツが別の場所に飛んでってくれるかも不明なんだ。
ここでケリをつけなければ……!
『かまいません! 私ごと貫きなさい!』
人の範疇を超えた聴力で聞き取った僕らの会話に、クジラと取っ組み合いをしているヒート嬢が叫ぶ。
こちとらピッコロじゃねぇっつーの。貴様も一緒に消えてくれればなんて鹿野ちゃんが一番言わねぇ言葉だぜ。
なんてったってウチの子は、アンタと黄金の湯殿の温泉入って湯上がりに屋台巡りする予定まで立ててんだ。
しかしヒート嬢がクジラから離れても根本的な解決にはならない。
当てられない高さだし、逃げられればおしまいだし、なにより離れる事が今ヒート嬢にとって一番危ないのだ。
流石の竜鱗も、あれだけ大きなキバの前では厚紙の如く裂けてしまうだろう。
がっぷり四つに組み付いてヒレを掴み、クジラを地面へと叩き落とそうとしているが、しかしクジラは振り落とそうと大暴れしてスロットリールの如くとんでもない速さで横回転する。もはやあんなもん目の錯覚で色が混ざって見えてんぞ!
おそらくアイツは頭上のエンジェルヘイローによる魔術的補助で飛行している。
ヒレももちろん飛翔の一助にはなっているだろうが、それを封じただけじゃあ堕とすことはかなわないのだ。
手詰まりにも似た膠着状態に、僕はどうにかしてヒート嬢へ更なるバフをかけられないか必死に思考する。
けれど、こんなに距離がある上に、今の僕と彼女の関係性では有効打が見当たらない。
なんとか、なんとかしないと……どわぁッ!?
焦りに支配された僕の肩を誰かが引っ張り、ぐるりと回転した視界が大好きな人の顔で埋め尽くされる。
先生に、キスをされていた。
まるで時が止まったかのように、周囲から音が消え去る。
たった数秒の永遠の終わりに、銀の橋をかけて離れてゆく艶やかな唇。
僕と彼女の間を繋げる黄金のオーラが、まるで束縛されるが如く銀の鎖を纏う。
切なげにゆがめられた先生の眉が、力を込めた表情へと即座に移り変わる。
「明音ェ! 手ぇ貸せ! 跳ね上げろ!」
「ッ……ウス!」
一足で助走距離を取った先生が、鉾を持ったまま地を割らんばかりに強く踏み込んで明星先輩へと駆ける。
全てを理解した明星先輩は、まるでバレーのレシーブのような格好で深く腰を落とした。
「ヒート様ッ! 今から一人向かいます! キャッチしてください!」
『向かっ……!? わかりましたわっ!』
「っっだああああぁぁぁっ、らぁあぁああぁぁぁッ!!」
先生が局所的な地割れを引き起こしながら踏みきり、先輩の跳ね上がる手を足場に更に加速して、人間にできうるものを遥かに凌駕した驚異的な跳躍を成し遂げる。
それは到底ありえてはいけない速度で空を切り、僕の言葉に反射的に反応しクジラから離れたヒート嬢の背の突起を、ギリギリのところで掴んでみせた。
周囲に浮かぶ魔法陣のどれかが、ヒート嬢だけでなく先生の声も増幅させ僕らへと現状を伝えてくる。
『なんっつームチャを……! 私が反応できなかったら落ちてましたわよ!』
「謝罪は後だ! お嬢ッ、アイツが逃げちまう! 近づけ!」
『ッ、えぇ! 征きますッ!』
抵抗する餌を食べるのが面倒になったのか、クジラは身を翻し再び天へと昇ろうとしていた。
先生が背にしがみつくと、ヒート嬢は言いたいことを全て飲み込んで再び怪物へ向け空を駆ける。
そして最高速度でクジラへと迫ったその瞬間、先生は足でヒート嬢の身体を挟み込むと両手を離し、鉾を片手に騎乗の体勢を取る。
その様は正しく、ドラゴンライダーと呼ぶに相応しい。りゅ、竜騎士ガイア!?
そして上体を反らし大きく振りかぶると。
腹と背の筋力をフル稼働し、身体を折り畳む様に肩を振りぬいて。
投擲された鉾は、あやまたずクジラの腹へと吸い込まれた。
世界が振動する程の咆哮を上げて、クジラが大きく身体を波打たせる。
しかし、それでも。
あの巨体にとってその傷は、けして致命傷にもならなければ、墜落を許す程の深手にもなりえなかったらしい。
先程よりもゆったりとではあるが、しかし上昇は止まらない。
『ダメ! 逃げられる! 間に合わないッ……!』
「このまま下がれ! 高度を落とすんだ!」
『な、何を言ってるのッ!? 逃げられてしまう!』
「大丈夫だ! 今からアイツを引きずり堕とす! だけど……たぶんアタシだけじゃ足んねェッ!」
そう叫ぶと先生は何もない空中を掴み、そして身体を震わせながら渾身の力を込めて振り下ろす。
幾重にも束ねられた血管がゴム管のように姿を現し、普段は柔らかな脂肪の下に隠れている前腕筋群がまるで剝き出しになったかのように幾本もの筋を浮き上がらせる。
極度の圧を掛けられた血液で筋繊維が膨張し、その背が三割増し程膨らんだようにすら見えた。
「ッッがあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああぁぁァァッ!!!!」
瞬間。
天へと昇っていたクジラが、ガクンと体勢を崩して高度を下げる。
見れば先生の手からクジラへと、いつの間にか何かが伸びていた。
それは銀色の鎖。
つい先程僕らを繋いでいた銀の鎖が、今先生の手から神より賜りし鉾へと繋がっていた。
それは僕と彼女の誓約であり、神と彼女の契約。
本来であれば離れた武器を手元に引き寄せる意味合いをもつだろうソレを、今彼女は"釣り"に使っているのだ。
マイティソーの鯨漁じゃん……! このクジラは白くねぇけどさぁ!
鬼神の如き表情をした彼女は、喉が張り裂けんばかりに烈火の猿叫をあげて、船とも見まごう巨体をその身一つで引きずり堕とす。
からくりに気付いたヒート嬢が、おなじく鎖に手をかけ加勢した。
「『どおおおぉぉっりゃあああああぁぁぁっッッ!!!』」
エルフとドラゴンの剛腕によって、クジラは抵抗をしながらも徐々にその高度を下げ、地面へと緩やかに墜落してゆく。
今や魔法陣の助けを借りずとも、二人の叫びが聞こえる程だ。
けれど、あんな質量をたった二人の力で堕としきるのは無茶なのは言うまでもなく、先生たちの疲労も目に見えて溜まっている。
彼女らの苦しげな声が、僕の胸を締め付ける。
しかしこれだけ下がれば、我がパーティの小柄な砲術士には十分過ぎた。
「センパイ」
「え、あ、んうっ……」
再びの衝撃。
次は間違いなくみんながこちらを見ている中で、鹿野ちゃんに胸元を引き寄せられて、口づけを交わす。
ウチのパーティ以外のみんなは、もうなんと言えばいいのかわからないという表情で見つめてくる。
ひ、必要な事なので、どうかココは見逃して頂けませんか……。
「ウチも……勇気、もらうッス」
銀の鎖に指を絡めながら、熱っぽい口調で彼女が呟くと。
小さな手の中の、不釣り合いなまでに無骨な大筒が光を放ち変形してゆく。
僕の手助けはあれど、今再び彼女自身の意志の力によって大筒は姿を変える。
砲口の先端から更に細い先端がマトリョーシカの如く幾つも飛び出すと、最後には銃弾しか出ないような鋭くも口径の小さな銃口が覗くと、上部に普段よりも精巧なアイアンサイトが組み上がる。
今しがた変形したばかりだというのに、身体が覚え込んでいるかのように魔車の車輪を背に座り込むとぴったりと肩を壁に付け、緩く立てた膝でしっかと地面を踏みしめて銃身を両手で持ち上げ、透明なまでに真剣な表情で照星を覗き込む。
徐々に角度を変え、倒れこむように上へと砲口が傾いてゆく。
本来であれば反動で跳ねあがり絶対に当てられず、怪我をしてしまいかねない体勢で斜め上に狙いをつけて。
銃声。
その小さな銃弾は、寸分の狂いも無くクジラのヘイローを打ち抜き、いくつもの罅割れを起こして砕き割る。
魔力による補助を無くしたクジラが、憐れな鳴き声をあげながら先生とヒート嬢の剛力によって、地面へと叩き落され。
幾度も街道を襲い続けた大怪鳥が、ついに地へ沈んだのであった。