それの発覚は奇しくも、ドイツでの生活に慣れてきた彩凪ミヤによるものだった。
魔術で誤魔化しながらも、ドイツでの日常会話を達成し、インターナショナルスクールなど無視して普通の学校に編入したのだ。友人もできたが、内二人は魔術師の卵という状態。
これはミヤがいじめ等にあった場合、カンピオーネが動かないかという不安のサポートによるものである。
「どうしたの?」
ミヤが友人の少女に声を掛けた。どうも体調が悪いという顔付をしていた。
どうにも、朝に吐き気があったそうなのだが、今は心配いらないと言った。
「あれ?」
「どうしたのさ、ミヤ」
話しかけたのは魔術師の子として関わりができた友人だった。彼女は「千の言葉」を習得しているので、辿々しいドイツ語と慰めの英語しか喋れなかったミヤには友人より恩人のような彼女に、日本語で答える。
「神様の気配?」
「……は!?」
彩凪ミヤは魔女である。
それは通常の魔術師とは別のものであり、西洋では随分と重宝され、日本では巫女として血筋を管理されている。
空を飛ぶ術、霊視、使い魔としての動物の使役。お伽噺の魔女の術は、真実魔女の血が入っていなければ扱えない。
ミヤは霊視ができない。しかし、降臨術士という神をその身に降ろすことが可能な、より珍しい力を手に入れている。そんな神様と近い位置にいる彼女は、友人から微かにする、特有の気配に気付いた。
「よく気付きましたね」
「……当たったんですね」
帰ったミヤに、マキエが言ったのは賞賛である。
外れていて欲しいというのが真実である。
「貴方の友人と関わりを持った神には私が対処しましょう。これを作成しなさい。医者として貴方の友人に飲ませるようにしますので」
ミヤの魔女としての技能は降臨術士だけでなく、薬の作成である。
魔女の秘薬。昔ながらの大鍋で怪しげな薬を作成するのは魔女の所業だろう。
例えば、「いもりの黒焼き」。これは惚れ薬として有名だが、医学的には否定されるべきものだ。しかし、ミヤはこれを惚れ薬として作ることができる。無論、技量によって効果の高さに差異が出る。
「このレシピって何の薬ですか?」
「堕胎ですね」
これはどう反応すればいいのか。
彼女は神という存在に、結構女遊びの激しい存在がいるのは認識している。一夫多妻制が当時存在していた国もあれば、神を示す現象を表すために一夫多妻であった場合。普通に不倫を繰り返す男性神も数多くいる。
まさか自分の友人は神様と大人の階段を登ったというのだろうか、とも考えたところで思春期真っ盛りな少女には毒気が強いと、なんとか考えを止める。
「さぁ、そこまでは。
医学的に見れば想像妊娠です。ですが、魔術的に見れば中から、良くて『神獣』、悪くて『まつろわぬ神』が産まれても可笑しくないというのが現状です。
問題はどのような方法での受胎か、ということですよ。では答えてみなさい」
考えなくとも記憶を読まれるのに、とは口にせずに思考を巡らせる。
「まずは、人間と同じ性交による受胎。日本神話の神の変生は『受胎』と関係ないので省きますね。
次に聖書にあるガブリエルの受胎告知ですよね。
ああ、あとケルト神話郡の、虫なりに生まれ変わったものを飲み込んで、というのもありますよね」
「よくできました。まぁ、あとは獣姦等がありますが除きましょう。
他には水に関わるもので、水浴び、飲水等で妊娠する。これは中国に多いですね。
後は仏教の摩耶夫人が、夢の中で象が胎内に入る夢を見て、というものがあります」
「性教育っぽい何かみたいなんで、早めに切り上げられませんか?」
カンピオーネ相手に随分な意見である。元一般人の意識はそんなものなのだ。
「……何にせよ。懐妊前に何があったかで関わる神は見えてきます。私はその娘さんの記憶を読み取った後、場合によってはそのまま神討伐に向かいます。
間に合わない可能性もありますし、神を倒しても関係なく出産する可能性もあるので、できうる限り早めに処方しなさい」
「そうですね。もし私がいきなり山羊とか牛とか出産したら発狂するかもしれませんし」
「緊急はアデーレが受け持ちます。もし、無理だと思えば友人の命は諦めて逃げなさい」
問題は、ミヤがその危険を察知できるか。彼女は魔女だが、神の恐ろしさも、カンピオーネの恐ろしさも真に理解はしていないのだから。
この世界はおおまかに三つに別れる。
まずは「現世」。説明するまでもなく、人々が生きて、生活し、等しく認識している世界である。
そして「不死の領域」、「アカシック・レコード」等と称される領域。人では決して踏み入ることができない領域。全ての神話が記録される故に、神々の領域である。
最期に、「幽世」、「アストラル界」。「生と死の間の領域」。人間が入り込むことができる領域である。
無論、人の居るべき領域ではない。
そこは一種の不安定な場だ。
三次元で座標が固定されている現世と、言ってしまえば情報という一次元で構築されている(勝手な人々の想像であるが)不死の領域の間では、人が入り込める空間が揺らめいて、自分という存在が幻想のように消えてしまうのではないか、という不安がある。
「まるで、太古の時代を描いた絵画のような風景ですね」
マキエは幽世にいるというのに、安定した大地を歩いていた。
人は大魔術によって幽世に渡ることができる。人々から知識という知識を収集する、悪癖とも呼べる権能を保持する彼女はその方法を識っている。
そうして立ち入った空間は、数々の魔女の記憶とは程遠い、一面の草原の奥に聳え立つ山を眺めている。
草花の香りがする。流れる雲に心が落ち着く。普通ならばそうだろう。
「安定しているのは、『神』が自分の領域を展開しているということ」
今回、神の子を孕んだ少女の記憶は曖昧であった。
イメージとして、「素敵な男性が枕元にいるという夢を見た」だけである。
「夢に出てくる理想の男性像をもって、異性との性行為を及ぶ魔物を、キリスト教圏では一般的に
その姿は偽りであり、本当は山羊と人間を合わせた醜い姿とされますが、それにはモデルが存在します。
ギリシア神話の『サキュロス』という半人半獣の怪物。キリスト教は異教の存在で、獣の混じった姿を醜いと断じ、性に奔放な様をもって『これこそ代表的な悪魔である』とさえ言ってのけたのが原因でしたか。
そのサキュロスですが、言ってしまえば種族名として扱われることがあり、一部ではその父親はとある神だとか」
その神は自らの正体が知られていると判断したからか、姿を見せた。
「そなたの考えたとおり、我はパーンである」
パーン。
その姿は髭を蓄えた堀の深い顔立ちの男。山羊のような角を頭から生やしている。下半身は山羊のように毛に覆われ、蹄がある。
マキエは、それを美形とは思わない。しかし、そこに強烈な雄を感じる。
言うならば、この神と交われば孕むという確信のようなものである。
「パーンは性豪で、多産の象徴でしたね。処女と羊飼いの男性を誘惑するかと思いましたが」
「それは違うぞ、神殺しの女よ。
『男を知る』が故の耐性というものだ。
真に魅力とは、性的知識を持たぬ、子作りという生態を知らずとも、引き寄せるもの。性的に未熟な少年は、己に潜む女が反応するのだ」
確かに、男女ともに異性的な一面というものがある。
しかしながら、人は獣ではない。強い繁殖力だけで伴侶を、また伴侶ではなく父親とすることができる社会からは外れているのだ。
「まあ、神殺し。神を殺せるだけの器で、我の子を孕めばその存在を許すのみである。
女が戦場に立つ。神代にもアルテミスやアテナと、男勝りな女が多かったがな。女には女の幸せがあるというものだ」
「私に戦場が似合う、似合わないはどうでもよいことです。
ただ、同じ女として、年端もいかない少女にサテュロスを出産させるのは賛同しかねるので、殺します」
マキエが一歩踏み出ようとすると、その足に蔦が絡まっているが、その蔦は鋭利な刃物を扱ったかのように切り裂かれた。
そのまま視線を媒介に「発火」の魔術でパーンを燃やそうとするが、やはり神である為に人間の魔術はまるで効かないように耐えてくる。
距離を一定に保つようにしながら、魔術による応戦。そもそもマキエは魔術師であり、武芸の心得など存在しない。カンピオーネの中では特に神に対する手段が少ないと思われがちである。
一方で、パーンが感じていたのは、周囲の火が強くなった、ということである。
魔術の「火」とは科学的なものとは違う。魔術の種類によっては水の中でも炎が上がるものも、炎であるにも関わらず木々の一切を焼かず、酸化現象の一切も起こさないものすらある。宇宙空間であろうが燃え続ける炎など出すことはできる。理論的には、という前提があるが、そのような術は存在する。
陰陽五行説の中では、世界は「木火土金水」と「陰陽」の要素に分割して考えられる。西洋魔術思想の一部では、「火水土風」のエレメンタルで考えるものもある。
言ってしまえば、過ごしやすい土地とは魔術的にそれらの要素のバランスが取れているとも考えられるのだが、現状では圧倒的に「火」の属性が強い土地となっているのがここなのだ。
よって、パーンの考えるマキエの行動は、「何らかの、魔術的な儀式の準備か何かか。はたまた権能の条件を整えている」ということを指しているのだ。
パーンの人面が、大きく口を開けた。そこから響いたのは、音としてあまりにも表現しづらいもの。音の大きさから爆音の分類にはいるのだろうが、雄叫びのようにも、雑音のようにも、何かを伝える為の唄のようにも。それがアストラル界に響き渡った。
「パニック」とはパーンが語源である。その雄叫びは、意味のない不安、混乱、更には山羊の突然死や不妊に至るまで、パーンの仕業であるとされていたのだ。
もし、この叫びが現実の世界で行われれば、社会不安による暴動、クーデター、その場所を中心とした経済危機が発生した可能性があるほどの権能である。
これがアストラル界にのみ響き渡ったのは不幸中の幸いであろう。
マキエはその権能を防ぐことなどできずに、その効果を存分に味わうこととなった。
カンピオーネならば誰もが保持する呪的防御の性能によって、突然死は免れている。しかし、頭は真っ白になり、計画性もなく、呪力をまき散らす。人間の魔術師であれば、場合によっては他のカンピオーネでさえも、即座に呪力の暴走から生命力の枯渇が起こっていた可能性が高い。
それを覆したのは、マキエの権能。「暴君の秩序」である。一気に最大半径まで広がり、無秩序に力を奪い出す。
「な、何だと!? ええい、まだ、まだだ!」
パーンは一気に自らの力が吸い取られたことに焦り、すぐさまに逃げ出した。
その領域において記憶であろうが、力であろうが問答無用で吸い尽くす権能によって、かの神が創りだした「牧歌的な空間」は消滅し、マキエはアストラル界に取り残されることとなった。
マキエは生きていた。
その実、戦闘からおおよそ三日は過ぎていたときである。
「ちょっとー、寝過ぎよ。おーきーなーさーいー」
マキエがぼんやりと目を開けると、そこには髪をツインテールにした、少女である。これを見て、「神」であると感じることができるのはカンピオーネ特有の直感なのだろう。
「あ、やっと起きた。でも初めての『生と死の間』でここまで適応し切るなんて、結構例外よね。マキエは。おかーさんびっくり」
「ああ、貴女がパンドラ、ですか」
「そうよー。ママでも、お母さんでもムッターでも好きに呼びなさい」
「ではお母様、現状で会いにきたのは何故でしょうか?」
「お母様」の段階で目に見えて喜ぶ姿がより子供らしい印象のパンドラは、笑いながら答える。
「ちょっと地上に問題があってねー。
実は『最強の鋼』って呼ばれている方がいるのよ。名前は誓約で教えることができないの。ゴメンナサイね」
「鋼」とは一部の神が持つ特性のようなものである。これはマキエも魔術師のときに知識へと入れている。
元来、金属器を司る神であり、歴史的に男性が政治の中心として活躍しだすので、男性神が圧倒的に多くなる。
「あの方は、今来るべき戦いに備えて休眠しているの。それを復活させようって考えているのがいるのよ。
そいつらは大地の力を集める道具を持っているわ。あの方に捧げるためにね。大体は子どもたちが倒したりしたのをかすめ取るのよね。けれど、パーン様に目をつけたのは拙いわ」
「確かに。まるで解っていない。悪手ですね」
「まぁ、マキエは権能をものすごい勢いで把握している。ううん、掌握している。
でも気をつけなさい。貴女のその権能は、貴女の存在を揺らがせるから」
「気付いていますとも。お母様の心遣いはありがたいですが、それでも止まらず、怯まない。それ故の貴女の子供らしさでしょう」
一方で、パーンを見ている少女がいる。十代前半であろう、金髪の巻き毛を揺らす少女。まさに人形のごとく完成された美しさを、ドレスにて一層強めている。
少女の名こそグィネヴィア。神祖の一人にして、「魔女王」と言うべき存在であり、聖杯の正当なる保持者である。
(しっかり気を持つのだ!愛子よ)
白馬にまたがり、苛烈な突撃槍の連撃を出す白い甲冑の騎士。ランスロット・デュ・ラックは魔女の守護者としてパーンと相対するが、そのグィネヴィアは聖杯に溜まっている筈の力をパーンに向け、差し出している。
これこそがマキエが、パンドラが悪手と断じた原因。パーンの権能は「女性信奉者を籠絡する」のだ。
相手の信仰の対象は一切合切の区別なく、女性であるならば貞操を、忠誠心を、金銭を。その想いを捧げるのだ。
無論、グィネヴィアも無抵抗でこの状態となったわけではない。
唯監視をしていただけに関わらず、パーンは彼女を捕捉し、逃げ隠れしようとも追いつき、叫び声で思考力を奪われるという激闘が存在した。
実質、衰弱していた筈のパーンは、聖杯から受け取った力で完全に回復、それどころか圧倒的に強化されて、ランスロットと真っ向から戦っている。
「全く、お母様の心配事は的中。私の考察も当たりましたか」
その供給を止めたのはマキエである。正確には奪いとっているのだ。
彼女の「暴君の秩序」は思考能力を持たない存在から力を奪えない。それでも聖杯から力を掠め取ることができたのは、封じられた神々の力に「意志」というものが残っているのか、それとも聖杯には何らかの思考能力が存在するのかは不明だが、そのような追求は知ったことではない。
ともあれ、彼女は神二柱と、神祖を前に体が最高潮になっている。今までで最も最強の状態と言えるだろう。
「パーンはアルテミスの女性信奉者を籠絡し、手篭めにしたことからその手の権能が存在していると考えておりましたが。話に聞いた魔女の王は尻が軽いと見えます」
カンピオーネの圧倒的な呪力を込めた魔術の爆発が、グィネヴィアを吹き飛ばす。
「あの時の神殺し。まさかあの状況から生還したか」
「無論です。若輩といえど神殺し。討滅にして返却しますので覚悟下さい」
天候が変化する。風の変化とともに雲が渦巻き、集まっては周囲が暗くなる。
「小父様……」
(正気に戻ったか!)
「ええ、結果としてはあの王に助けられた形となりました。
本当に、私としたことがあのような無様を晒したとは。我が主に顔向けできません!」
(しかし、聖杯の中身はほぼ空となったも同然。如何にする)
「この場は去りましょう。助けられた恩はありますが、あの神の権能の範囲にいてはこのグィネヴィアといえど贄に等しい」
雷鳴が轟き、雨が降り始めから既に大雨と呼べるものに。
その嵐の中に、一つの人影が見える。
「ほう。半人半獣の神と、確かグィネヴィアとかいう神祖とその守護者のランスロットとやらと言ったな?
それから、あそこにいるのはドイツで成りたての小娘か。名は知らんが、話には聞いているな」
「さ、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン! 現状、最古参の王たる御身が」
サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。通称をヴォバン公爵。
大凡、三百年ほど前から存在が確認されている最古参の神殺しである。昨今では、まつろわぬ神が彼を避けるとしていたが、パーンとランスロットの戦闘はヴォバン公爵に知れたこととなった。
「良い日だ。久方ぶりに心が踊る」
その権能「
暗くなる周囲に妖しく輝く緑の瞳に、マキエは土を盛り上げ壁を、グィネヴィアはランスロットが庇う。パーンはマキエの作った壁で難を逃れている。
「小父様!」
(右手を失ったが、いずれ戻る)
ヴォバン公爵の「ソドムの瞳」と呼ばれる権能は、その瞳で見た生物を塩の柱へ変える。
更には透視能力に千里眼まで含む力は、ランスロットの鎧を透過して、右手を塩化させた。
対してマキエは土壁に邪視除けの呪法を刻み込み、そこに呪力を流し込んだ。「ソドムの瞳」の透視能力は付加効果であり、魔術である程度防ぐことはできたのだ。
「ほう、ランスロットとやら。その鎧の中身は然りと見た。
ならば正体を隠す必要もあるまい。その守護者の法とやらを外し、まつろわぬ神として我に向かってくるといい。そちらの神祖も早々に龍蛇の封印を解くことだ。さすればまつろわぬ神は三柱。
あの草薙護堂とかいう若造との勝負で多少の無聊を慰めることはできたが、やはり神には劣るものだ」
雷が落ちる。そのとき、パーンがその手に法螺貝を持ち出し、吹き鳴らした途端に雷は消え、空は快晴となった。
ギリシア神話にとって、嵐というものを体現する存在はテュポーンである。パーンはテュポーンに対して幾つかの逸話がある。
一つ、テュポーンから逃げる際に、体の下半分をナイル川に浸けて、下半身が魚となった。
一つ、テュポーンに対して法螺貝を吹いて追い払い、法螺貝を象徴するために下半身を魚とした山羊を象徴とすることとなった。
全く真逆な説だが、パーンの法螺貝は嵐を消し飛ばす。
そして、嵐が消えた瞬間に大火が巻き上がり、全てを飲み込んだ。
「我は人の悪性を喰らうて、善に生まれたことへの義に背く悪者なり! 肩より生やした蛇は牙にて悪人の頭蓋を砕き、脳髄を喰らえ!」
言霊により権能を強化し、面々の呪力を吸い上げ、炎に抵抗する為の呪力を減らす。
「小癪がすぎるぞ!」
炎から出てきたのは、巨大な、銀色の毛に覆われた腕。それを避けると、その腕の続きが、三十メートルにもなる銀色の人狼が姿を表した。
これこそがサーシャ・デヤンスタール・ヴォバンの異名の一つ、「東欧の狼王」と呼ばれる所以。
「『
そういえば、賢人議会に挙がった報告にアポロンから簒奪したという新情報がありましたか」
ヴォバンは最古参の神殺しであるが故に、初期から持っている権能の情報が足りていない。
「貪る群狼」と呼ばれる権能もその一つ。狼の群れを操り、自身も巨躯の人狼へ変身し、他者を狼へ変えることも可能なこの権能。幾つもの推測があったが、奇しくも日本で草薙護堂との戦いの折に、霊視により看破された。
太陽神がモデルとなり、更に自らの肉体を変身させるこの権能は、生半可な炎では火傷一つ負わない。
逆に言えば、高々魔術にこの方法を取らざるを得なかった。
彼のよく扱う、エジプトのオシリスより簒奪した「死せる従僕の檻」がある。それはヴォバン自ら殺した者たちの魂を囚え、従者とするもの。古の魔術師たちに命ずれば、苦労なく防ぐことはできた。
しかし、従僕は自主的な防衛等はしない。元はヴォバンの暴挙に逆らおうと向かってきた戦士であり、勇者である。マキエの「暴君の秩序」に対応しようとせずに、出現から体を崩壊させるのだ。
「やはり神との戦いは良いものだ。
そこの神はアイギパーンか。有名所、大いに結構。その法螺貝に私の嵐はかき消された。内より気配を感じぬ。まぁ、一日、早くて半日か。費やせば元に戻るだろうが。
そこの小娘。まぁ、小娘と呼ぶような年でもあるまいが、貴様の権能は私の従者たちを尽く屠る」
その口調は、とても楽しそうだ。
「そして、一部の『鋼』の神格には神殺しが複数いた場合に膂力を増す権能の持ち主がいたな。かつて、『智慧の王』との戦いで知っていたが、久方ぶりだ」
ランスロットがその巨体に槍を叩き込み、雷鳴とともに吹き飛ばす。狼は綺麗な着地を見せ、その瞳を再度輝かせる。
「無駄です。そこの王が魔術で防げたこと、魔女王たる私が防げぬ通りはありません」
グィネヴィアはしかりと、「ソドムの瞳」に対応してきた。
マキエはこれでは乱戦が続くと考えた。ヴォバンは代表的な権能をよく使用するが、気に入っているだけでかなりの数の権能が存在する。更には、グィネヴィアとランスロットも厄介であるとも。
この二人にとっては、この戦いは逃げ戦である。そもそもに勝つ意味が、戦いを続ける意味がない。
そして、自身はパーンさえどうにかできればいいのだと。
マキエは、大きく息を吸う。肺がこれまで生きてきた中で一番大きく膨らんでいるのではなかろうと思えるほどに。
それを見て、パーンは口を開ける。それはマキエを一度は暴走させた狂乱の大権能を扱うために。
マキエはイメージする。自身に眠る怪物を。三つ首の蛇を。
そして一人と一柱が、吠えた。それは既に声という領域を超過しており、周囲の木々が軋みを上げ、空気が衝撃となってぶつかり合う。
グィネヴィアは吹き飛ばされ、耐えていたランスロットは彼女を助けるために飛んでいった。
ヴォバンもまた狼の咆哮を放つが、遅く、弱かった。自身の声は音の争いにならず、自身の体が吹き飛ばされる。その巨躯が倒れるに当たり、その原因を思い浮かべた。パーンは牧羊神であり、つまりは狼を対峙する存在であると。そしてマキエは、あれは生命を殺すための怪物であり、その声だ。
「怪物だな。人の出す声ではない」
「流石は神ですね。狼退治は慣れたものですか」
「アポロンの化身はそうそう倒せん。すぐに起き上がる」
「対してあの二人組は逃げましたね」
「私も逃げる」
「逃がしません」
パーンが刹那の内に姿を変える。山羊と、魚。それを組み合わせた姿。伝説の生物、「海山羊」、「カプリコルヌス」へと。
その刹那にマキエは近づき、持っていた魔術儀礼用の小刀を振りかざす。そのままでは刺さっていただろう小刀に対し、体を反転、蹄を振り下ろした。
咄嗟に腕で頭を守ったものの、小刀は避けられ、左腕を折られる。そこに捕縛の魔術が発動する。北欧神話のフェンリル封じを元に考案された魔術であり、実際に神獣退治の際に魔術師が扱うものである。
それでも、神を縛ることなど不可能である。捕縛の術をそのまま、パーンは駈け出した。捕縛の魔術と、共に囚われているマキエと共に。
マキエはその心臓に小型を突き刺した。
「まだ、命には届かんな。神殺し」
「そうでしょうとも」
マキエは呪詛を流し込む。元より、血筋と経験上で呪詛は得意分野であり、権能との相性もいいものである。更に、二度と離すまいと折れた腕を無理やりに小刀を持たせて、右腕を傷口に捻り込ませる。
「我が道に人がついて来られるなど、甘い考えであったと脳裏に残して死ぬがいい!」
目まぐるしく変わる景色。
カプリコルヌスは海から山、世界の全てに行くことができるとされる存在である。神話の一節では空に駆け上がって星座になったというほど。
山を掛け、森を抜け、海に潜るといっても八方何処にいるのかも判らない。とりあえずは海に潜っているので方向は下だと分かる程度である。水圧が強くなるが、それに対応する魔術を扱える集中力も、体力も持ちそうにないというとき、パーンはその存在を消滅させた。
後日。マキエとパーンの再戦より一週間が経っていた。
薔薇十字団では、既に自分たちの王は神と相打ちになったという空気であった。
ミヤの友人は、無事に回復。記憶も封印され、いつも通りの生活に戻ることになる。
マキエのいない薔薇十字団は、権力というものが薄い。本人が消えたことで、彼女の遺産ともいうべきものをどうするか、という話し合い。他組織からの介入など非常に忙しい日々が舞い込んできた。
「随分と時間が掛かりましたね。アデーレ、事後問題は起きていませんか?」
「問題だらけです。至急、魔王の発言を必要としております。マキエ様」
随分と久方ぶりになります。
久方ぶり過ぎてどうしようか悩むほど。
正直、書いていて人名、固有名詞が異様に繰り返されていて、何度書きなおそうか悩みつつ、やってみたら意外と変になったりして落ち着かぬ現状。
それでも年始までに投稿しておきたいから投稿しました。場合によっては更に改変します。