昔はよく母と一緒に寝ていた気がする
血に染まった一室と 気を失い床に伏している母
今までと何も変わらなかったのに
ソイツはいきなりやってきた
見つめられ 触れられる
その全てが気持ち悪かった
僕は怖くなって逃げだした
恐怖の存在など今までなかったというのに
誰もかれも やさしさとともに生きていた
僕の血も彼らのそれと同じく温かいこと知る
流れ出すそれはああ…どうにもできない事を悟る
逃げ出す 初めての息切れ 血が止まらない
ゆっくりと歩みを進めるソイツ
こちらを見て歯を見せニタリと笑う
月下の凶刃は何も写さない
彼は事のすべて知っていたし 何も知らなかった。
胸を埋め尽くす衝動 すべてを自分で染め上げたい
反発し訴えかける本能 おまえは自分じゃない
月が満ちる日に世界は変わり 月をのぞき込めば自分も変わる
始まりは過ちか それともそれ以前なのか
自分は何も分からない
ただ胸を焦がすのは 命を奪う穢れた歓喜
運命の時はまだ遠い
目覚めの訪れはいつも突然だ。真昼間の、それも平日の中途半端な時期で人が少ない電車はやたらと快適に感じる。体を揺らす一定の振動や音も普段ならストレス源であるがこういう時には最高の旅のお供だ。
ズレたメガネの位置を戻しスマホをいじっていると目的の駅にすぐに着いた。思っていたよりも長時間眠っていたようだ。目的地は九州の端も端、地名など人に言っても基本的にピンとこないだろう。
あらかじめ予約を入れておいたタクシーに乗って家の近くの海を運転手に伝える。暇な地元の小中学生は一度は遊び場に使ったことのある場所だ。少しだけ言葉を交わし少しの荷物を積んで乗り込んだ。
「
呟いたのは俺、
ゴールデンウィークと夏の長期休暇の間…なんて中途半端な時期に実家に呼ばれたのは祖父が急逝したためである。顔も朧げな母や祖母と違って昔から一緒にいる時間が長かったのでとてもショッキングであった。
「あんな300年は死ななそうな爺さんがねえ…」
なんて冗談交じりな感傷に耽っている内に目的に着いていた。一面に広がる青い海はすべての悩みを受け入れてくれるようで小さく揺れる水面と潮風は少しだけ傷心を癒してくれた。
なごやかな景色に満足した俺は家へさっさと帰ることにした。
久しぶりに見る屋敷は記憶のそれよりも数段厳かに見えた。俺は小学校6年生のときに中高一貫校を受験し親戚の家で長期間お世話になっていたからここで過ごした時間は比較的そう長くはない。ただ少しの懐かしみすらも抱かせない、鳥のさえずりすら聞こえない静まり返った敷地内は現世から浮いた異様な空気感をかもしている。
少しくらい、懐かしさも感じるだろうと淡い期待を抱いていたけれど。
空気感に押され扉の前で立ち尽くしていると和風の給仕服を着たお手伝いさんが出てきて
「そのようなところでどうかなさいましたか、奉文様?」
と聞かれた。長身に反射で青く見えるほどきれいな黒髪、鋭い目つきなど切れた印象を与える人だ。実家に入りづらいなんて見覚えのない顔に変なことを言い出せなかったのでかなり気まずくなりもしたが何とか事情を説明することに成功し自分の部屋までの案内をしてもらった。
昼は過ぎていたものの夕飯まではかなりの時間があった。帰ってきて家族に顔も見せずに出かけるわけにもいかない…けれどし久しぶりに会う厳格な親など自分から会いに行く気にもなれなかった。
案内された慣れない畳張りの自室で出された緑茶を飲みながら本を読んで夕飯までの時間をつぶしているとさっきのお手伝いさんの声が聞こえてくる。
「奉文様、
父さんだ。
軽い返事を返して書斎までいく。道中に見える屋敷の中はやはり落ち着かない様相ではあったものの、自室が手入れをされながらもそのまま残っていたという安心感からかかなり威圧感は和らいだように感じる…そう思っていると突然お手伝いさんが襖の前で立ち止まった。
「辰史様、奉文様をお連れしました。」
と報告の後に「入れ」と短く返事。正直もう、逃げ出してしまいたかった。
襖を開けて入ると壁には沿うように本棚がそびえたち、分厚い背表紙には何処の言葉化も良く分からないようなタイトルが記されているものがズラリ。
「二人にしてくれ。」
父さんが言うと会釈してお手伝いさんは部屋から出る。
十年近くも会ってないというのにその放つ空気感から自分の父親その人であると疑いようもなく理解した。
「久しいな、奉文。暑い中遠くからよく来てくれた。」
なんて軽いあいさつを交わした後、親子らしく互いの近況について話し合った。
こっちはかなり忙しかったらしく今までコッチの長期休暇に合わせて会いに行こうとはしていたものの中々時間をとることができずにいたらしい。
母さんが居なくなったこともあり体のいい厄介払いだと思われているのだと思っていたが謝る父の姿や声色には欺瞞がないことが感じ取れて少し嬉しかった。
「まあまあ、お互い忙しかったんだしさ。それより静葉は元気にしてる?」
と辛気臭い話も切り上げて妹についても聞いてみる。
「ああ。小学校を卒業するころには体も強くなり始めてな。近くを散歩するくらいなら問題はないそうだ。」
まあそれでもまだまだ油断はできないがな、と付け加える父の声色には隠し切れない心配を感じる。」
「夕飯の時に新しく雇った給仕もまとめて紹介しよう。それまでは屋敷の中を自由に歩き回って暇をつぶすといい。」
妹に会えるのはもう少しだけ先になりそうだと思った刹那、思い出したかのようにくぎを刺すかのように父は語る。
「ただし、一人で外を出歩くのは極力控えるようにしなさい。近頃、このあたりでは物騒な事件が起きているからな。」