傷の深さはどこまでも。愛の深さもどこまでも。 作:人権を得た魚
「おはよ〜……」
早朝に来てみた。朝の4時。まだ日は半分も見えてない。
ギリギリおじさんのラジオ体操の時間かな?
さすがに仕事机に先生はいない。
「仮眠室かな……?」
シャーレの仮眠室はどこか独特だ。全ての家具が部屋の角に配置されていて真ん中には埃一つもない。
ベットには黒くて透けないカーテンがかかっていて、部屋の中でも異質なオーラがある。
「あっ、いた」
音を立てずに階段を降り、カーテンを静かに開く。
ベットの上でも向き関係なく部屋の角に丸まっている。
「(そりゃその寝相じゃ寝れないんじゃないの?)」
睡眠の先輩からのアドバイスだよ〜。
ちゃんと体はまっすぐにして寝ようね〜。せんせ〜。
「(あ、寝返りした)」
寝返りした先生の顔は今までに見た事ないほど穏やかだった。
いつもの不安げで決して笑うことの無い顔。今は口角が上がっていい笑顔だ。
「(……かわいッ!)」
「ひゃっぅ! 」
少し顔を見たくてベットの上に乗り出していると、手を伸ばした先生に体を持っていかれた。
「(だ! 抱き枕にされてる!!)」ドキドキ……
「……ん……」
「(……起きないんだ)」
抱きしめられる力は弱い。体温も私よりは低い。ひんやりとしている。私は抱き枕としては良いのかな?
お腹の辺りに回された手を触る。ちょっと焦る。ちょっと変な気持ちになってる自分に焦ってる。このまま起きたらどうしようかなんて思ったりする。
抱きしめる腕は細くて……
「(……あっ)」
抱きしめている腕には無数の切り傷の痕と、深い火傷の痕。黒く浮き出た血管。いつも長袖を着ていたから気づかなかった。夜は暑かったのか、今は腕まくりをしている。
手のひらは黒くえぐれた箇所が複数あり、ゴツゴツとしている。
なんとも言えない気持ちになる。
銃撃だけじゃこのような傷はできない。受けたとしてもこんな痕になるまで放置できるわけが無い。
「……えっ……」
「……ん……」
先生は起きない。どころか抱きしめる力がさらに弱くなる。
少し不安になる。手を少し握って見るが反応はかえってこない。
起こさないようそっと離れる。ベットの傍から先生を眺める。
せんせい……。
カーテンを閉め、1度その場を去る。
色々思うことはある。でも、今聞くことでは無い気がした。
「昨日の残りをやろうかな……」
お手伝いに戻った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「……んあ〜……」
一日が始まります。おはようございます。さて、時刻は5時。
いやはやすぎるでしょ。まだ寝具店のシャッターすら上がってないよ。
早起きは三文の徳! 昨日の仕事の続きをやろう。あんだけの書類全部ホシノに任せて行ったらさすがに嫌われそう。
私みたいな自己肯定感皆無の奴は自分にされたことは覚えてないけど、自分がしたことと後悔だけは絶対に忘れないんだ。
されたことの加減にもよるけど。
「あれ、仮眠室の電気つけっぱだったっけ」
カーテンを開けてみれば電気が付いている。昨日消し忘れたんだろう。馬鹿だなあ。死にポイントです。
ある事情でお金がめっちゃ必要だから、こういうところでもなるべく節約しなきゃなのに……
コーヒーには角砂糖を死ぬほどいれる。苦い食べ物は苦手だ。
ひとつだけ、すごく覚えている記憶がある。
子供の頃に野菜オンリーのお好み焼きを食べさせられ吐いた記憶。
もちろんソースもないし、野菜も黒ずんでいた。
親が虫を見るような目でゲロを拭かせたのは印象深い。
「せっかく作ったんだけど……食べれないんだ」
その日の蹴りはちょっとだけ強かった。親の足の爪が割れて今でも体の中にある。
「あ……」
「お、せんせい早起きだね〜」
「ホシノ……?」
あまりにも早起きがすぎる。びっくりして固まってしまった。コーヒー片手にボサボサの髪、清潔感は印象と好感度に大きな影響を与えると施設で学んだ。嫌われないことを第1に動く私には考えうる最悪の状況だ。
ホシノはどうにも元気抜群のよう。あったはずのアルプスのような書類が既に整理されまくっている。
「せんせ〜、ほとんど終わっちゃった〜」
「えっほんと?」
「うん〜」
うちのホシノさん優秀すぎます。いやうちのでは無いです。
あの量の整理された書類っていうのは分類分けされただけじゃなくて処理済みなのか……
「ホシノ、本当にありがとうね」
「〜♪ いいよ〜」
「えっと、その、ゴメンなんだけど、先にシャワー浴びてきても良いかな?」
「いい「いや、やっぱりいいや。なんでもない。ごめん」
思わず口から出てしまったが、ホシノが仕事を手伝ってくれているのに自分だけ優雅なシャワーをすることは許されない。
自分の発言を否定するのは早い。
自分がなにか欲することは罪なのだ。そう学んだ。
「いや、ほんとにいいよ〜? まだ早朝だしさ〜」
「……そう? 大丈夫?」
「そんなに気にしないでよ〜。この時間に来た私が悪いしさ〜」
「でも……「いいの〜」
「……それじゃ、ごめんね。すぐ手伝うよ」
へりくだり戦争には負けてしまった。
シャワーを浴びる。
傷だらけの体にシャンプーが染みる。いつになっても消えないのだ。この痛みは想像かもしれない、だからこそ痛みを感じるのかもな。
身体中の深い切り傷は、まだ赤い。
「……あれ?」
シャワーを上がると書類はもう4分の1も無かった。
10分ほどで急いで来たのにこの進みは異常だ。いや、ホシノが凄すぎるのか。
「うへ。せんせ〜おかえり〜」
「おかえりって、まあうん。ありがとうホシノ」
ここまで任せていると、ホシノに裏では私は無能だと思われていないかなんて思う。これだけ仕事をさせてしまった罪悪感が積もる。
「……本当にありがとうね、ホシノ」
「!? そ、そんな涙目にならないでよ〜。おじさんの好きでやったんだよ〜……」
この涙目は喜びの涙目だ。
ホシノが駆け寄ってきて抱きつかれる。
「!? ごめん!」バッ
「うへっ、?」
「はあっ……はあっ……」
「せ、先生?」
一瞬だ。一瞬だった。鳥肌が立つ。身のうちから沸きあがる拒絶感と恐怖感が止まらない。一瞬の女性の肌と触れただけでこの様相だった。私は自覚のない何かに侵されている。
なぜだ、ホシノが嫌いなのか。そんなわけない、大切な、生徒、だ。
「ごっ……ごめん。なんでもない。ごめんね」
「先生……」
すごく悲しいそうな目をしてくる。その目をやめてくれとは言えない。私が無理にホシノを突き放したからだ。仕方ない。ばかだ。ああ、実にバカだ。
泣きそう。嫌われたくない。ああ、こんなことで……
でも泣かない。後で1人で泣く。死にポイントが大きくたまる。
「ホシノごめん……」
「大丈夫、大丈夫だから、謝らないで」
「……」
鳥肌が収まって恐怖感が消えると、ホシノにもう一度謝って開店時間まで仕事を再開した。
気まずい雰囲気はホシノ側から薄めようと話しかけてきてくれ、私の罪悪感も段々と薄まった。私よりもよっぽど大人なホシノには頭が上がらない。
会話ができるぐらいまでには気まずい空気は和らいだ。
「ねね、先生?」
「ん、?」
「枕、買いに行くんだっけ?」
「ああ、うん」
「私も連れて行ってよ」
「え、ええ?」
私はカルボナーラが好き。ジェノベーゼも好き。
思ったより先生の自信のなさは酷いな。