帝国陸軍技術廠。
百式の解析が始まって数週間。
技術者達の顔から生気が消え始めていた。
「中佐……」
「何だ」
「徹夜三日目です」
「私は五日目だ」
「負けました……」
「勝負していたのか?」
そんな不毛な会話が交わされるほど、現場は混乱の極みにあった。
ムーバブルフレーム。
全天周囲モニター。
リニアシート。
理解したと思えば新たな壁が現れる。
だがその日、技術者達はさらに大きな衝撃を受ける事になる。
「ミストレス殿、本日はお越しいただきありがとうございます」
巌谷榮二中佐は応接室で頭を下げた。
対面には優雅に紅茶を飲むミストレス・マーキス。
「解析は順調ですか?」
「順調とは言い難いですが、皆楽しそうに苦しんでおります」
「それは何よりですわ」
全然何よりではない。
巌谷は心の中でだけ突っ込んだ。
そして本題へ入る。
「本日お呼びした理由ですが…」
「ええ」
「百式の動力について確認したいのです」
ミストレスは首を傾げた。
「動力?」
「はい」
巌谷は資料を差し出した。
「我々は当初、核融合炉だと考えておりました」
「なるほど」
「ですが、内部構造を調査してもそれらしい物が見当たりません」
そこでミストレスは少し考えるような仕草をした。
「ああ」
納得したように頷く。
「それは当然ですわ」
「当然?」
「百式は核融合炉を搭載しておりませんもの」
沈黙。
数秒間、巌谷の顔が固まった。
「……はい?」
それから十分後、技術廠の会議室にて。
主要技術者達が集められていた。
ミストレスは大型モニターの前に立つ。
「つまりですね」
端末を操作する。
表示されたのはエネルギーセルの構造図。
「こちらが百式の主電源です」
室内が静まり返る。
「蓄電池……ですか?」
「ええ」
「バッテリー?」
「はい」
「これで動いているのですか?」
「そうですわ」
技術者達は顔を見合わせた。
誰も信じられない。
百式は十八メートル近い巨大兵器だ。
そんなものを電池で動かす?
冗談ではない。
だがミストレスは淡々と続ける。
「理論上の連続稼働時間はこちら」
数字が表示される。
全員の動きが止まった。
「待て」
「おかしい」
「桁が違うぞ」
「計算ミスでは?」
巌谷は額に手を当てた。
自分も最初に見た時はそう思った。
だが何度計算しても結果は変わらない。
「エネルギー密度は現在の皆様の蓄電池のおよそ数百倍」
さらりと言う。
室内が凍った。
数百倍。
数百倍である。
「充電速度は?」
誰かが震える声で尋ねる。
「設備次第ですが数十分ほどですわね」
今度は何人かが本気で椅子から転げ落ちそうになった。
「中佐」
若い研究員が青い顔で振り向く。
「何だ」
「これ軍事技術ですか?」
巌谷は資料を見る。
再びミストレスを見る。
そして答えた。
「違うな」
「え?」
「これは革命だ」
会議終了後、技術者達は資料を抱えて走り回っていた。
「発電所に応用できる!」
「基地の非常電源が変わるぞ!」
「避難民キャンプにも使える!」
「戦術機の稼働時間も延びる!」
誰も彼も興奮している。
その様子を窓越しに眺めながら、ミストレスは満足そうに微笑んだ。
「わざわざバッテリー式に改造した甲斐がありましたわ」
「オリジナルのままだと事故って爆発した時が怖いからな。でも良かったのか?
隣に立つライが尋ねる。
「何がです?」
「こんな技術を渡して」
ミストレスは肩を竦めた。
「私達だけが便利な暮らしをしても意味がありませんもの」
「相変わらずだな」
「それに…」
彼女は窓の向こうを見る。
技術者達が夢中で議論している。
疲れ切った顔。
だが、その瞳だけは輝いていた。
「人類が前へ進む姿を見るのは好きですわ」
ライは苦笑した。
横浜ハイヴを落とした英雄。
トールギスを駆る最強のパイロット。
けれども彼女が本当に嬉しそうな顔をするのは、戦場ではなくこういう時なのかもしれない。
その後、P.E.R.I.O.Dから提供された高密度蓄電池技術は日本中へ広がった。
工場。
基地。
研究施設。
避難民居住区。
あらゆる場所で活用されるようになる。
そして後年、歴史家達はこう記す。
横浜ハイヴ奪還は人類反攻の狼煙であった。
しかしP.E.R.I.O.Dがもたらした蓄電池技術こそが、人類社会を再び前へ進ませた最初の一歩だったのである。
その頃のミストレスはというと――
技術廠に運び込まれた次の教材、ガンダムMk-Ⅱを前にして、
「さて、皆様に新しい教材ですわ」
と笑顔で言い放ち、巌谷中佐を盛大に頭を抱えさせていた。
◇
国連極東方面会議。
各国代表が顔を揃える会議室には、普段とは違う空気が流れていた。
議題はただ一つ。
P.E.R.I.O.D。
そして彼らがもたらした技術である。
「日本は情報を秘匿しすぎている」
ある国の代表が口火を切る。
「横浜ハイヴ攻略に使用された技術は人類全体の財産であるべきだ」
すぐさま別の代表が同調した。
「我々も同等の情報開示を要求する」
「技術独占は国際協調に反する」
会議室に賛同の声が広がる。
榊是親は黙って聞いていた。
反論もしない。
怒りもしない。
ただ静かだった。
その様子に各国代表は内心で確信する。
押せば譲る。
いつもの日本だと。
「榊首相」
アメリカ代表が言う。
「貴国も人類の未来を考えるのであれば――」
そこで榊が口を開いた。
「では確認したい」
穏やかな声だった。
だが会議室が静まり返る。
「横浜ハイヴ攻略作戦において、貴国は何名の戦死者を出されたのですかな?」
突然の質問だった。
「それは……」
「何名です?」
代表は答えられない。
当然だ。
作戦に参加していないのだから。
榊は続ける。
「ではこちらはどうでしょう」
資料を開く。
「日本帝国軍戦死者数」
数字が並ぶ。
「京都防衛戦」
「佐渡島戦役」
一つ一つ積み重ねられた犠牲が並ぶ。
会議室から言葉が消えた。
「我々は独占するつもりはありません」
榊は静かに言った。
「ですが、技術を提供する義務もありません」
各国代表の顔色が変わる。
いつもの日本ではない。
「ならば見返りを求めると?」
ソ連代表が険しい表情で問う。
榊は即座に頷いた。
「当然です」
今度は彼らが言葉を失う番だった。
「日本は島国です」
榊は資料を閉じる。
「資源に乏しく、補給路に依存しております」
誰も反論しない。
事実だからだ。
「技術が欲しいのであれば対価をお支払いください」
「……」
「食料でも構いません」
「……」
「資源でも構いません」
「……」
「共同防衛条約でも構いません」
会議室の空気が変わる。
これは拒絶ではない。
交渉だ。
そして各国代表は気付く。
日本は門を閉ざしていない。
むしろ開いている。
ただし、ただでは通さない。
会議終了後、各国代表は疲れた顔で席を立った。
だが誰一人として怒ってはいなかった。
なぜなら彼らも理解していた。
日本の要求は極めて合理的だったからだ。
会議室に残った榊は窓の外を見る。
帝都の空。
そこに浮かぶエクスシアの姿は見えない。
だが――
「なるほどな」
小さく呟く。
ミストレス・マーキスの言葉を思い出していた。
せっかく得た有力な手札です。どうか安売りなさいませんように。
あの時は半信半疑だった。だが今なら分かる。
彼女は正しかった。
秘書官が声を掛ける。
「総理、本日の成果は?」
榊は珍しく笑った。
政治家らしい笑みだった。
「上々だ」
そして机上の報告書へ視線を落とす。
各国から提示された譲歩案。
資源供給。
食料支援。
共同研究。
防衛協力。
どれも以前なら日本が頭を下げて求めていたものばかりだった。
「横浜ハイヴを落としたのは彼らだ」
榊は静かに言う。
「だが、その戦果を最大限に活かすのは我々の仕事だろう」
その日、日本はただ横浜を奪還しただけではなかった。
失われ続けていた外交上の主導権を、ほんの少しだけ取り戻したのである。