Muv-Luv 戦場に咲く雷花   作:マルク

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11平和な時間

 

 

「今日は休暇です」

 

崇宰恭子がそう宣言した時、ミストレスは本気で首を傾げた。

 

「休暇……ですか?」

 

「そう。今日は仕事は無し」

 

「ですが補給や整備が――」

 

「ライさんが見てる」

 

「技術提供が――」

 

「巌谷中佐が見てる」

 

「書類が――」

 

「全部後回し」

 

有無を言わせぬ勢いだった。

 

「今日一日は私に付き合いなさい」

 

ミストレスは小さく笑う。

 

「承知いたしました」

 

その笑みはどこか諦めたようでもあり、少しだけ嬉しそうでもあった。

 

◇

 

街は賑わっていた。

 

横浜ハイヴ攻略の報せは日本中を駆け巡り、人々の表情には久しく見なかった希望が宿っている。

ミストレスはいつもの銀の仮面ではなく、大きめのサングラスを掛けていた。

それでも彼女の美貌は隠し切れない。

 

透き通るような白い肌。

長い銀髪。

凛とした立ち居振る舞い。

 

すれ違う人々が思わず振り返る。

 

「あの人、モデルさんかな?」

 

「外国の貴族じゃない?」

 

「綺麗……」

 

そんな囁き声が聞こえてくる。

恭子は苦笑した。

 

「サングラスだけじゃ隠せないわね」

 

「でしょうか?」

 

「でしょうか、じゃないの」

 

本人だけが自覚していない。

そんなところも可笑しかった。

 

「はい」

 

恭子は紙袋から温かな鯛焼きを取り出す。

 

「え?」

 

「食べてみて」

 

恐る恐る受け取るミストレス。

一口。

 

「……!」

 

サングラスの奥で紫の瞳が丸くなる。

 

「美味しい」

 

思わず零れたその一言に、恭子は満足そうに頷いた。

 

「でしょう?」

 

「餡がこんなにも優しい甘さとは……」

 

「そんなに気に入った?」

 

「はい」

 

もう一口。

嬉しそうに鯛焼きを頬張る。

普段はどこか神秘的で近寄り難い彼女が、子どものように幸せそうな顔をしている。

その姿に恭子は思わず吹き出した。

 

「そんなに笑わなくても」

 

「ごめん。でも…」

 

恭子は肩を震わせる。

 

「今のあなた、すごく普通の女の子よ」

 

その言葉にミストレスは少しだけ目を伏せた。

 

「普通……ですか」

 

「ええ」

 

「そう呼ばれたのは久しぶりですわ」

 

その一言が妙に胸へ刺さった。

 

◇

 

二人は公園へ足を運ぶ。

 

子ども達が元気に駆け回る。

鬼ごっこ。

縄跳び。

笑い声。

少し離れた東屋では老人達が将棋を指していた。

風が木々を揺らし、葉擦れの音が耳に心地よい。

 

ミストレスはベンチへ腰掛ける。

何も言わない。

ただその光景を見つめていた。

 

「……綺麗ですね」

 

ぽつりと呟く。

 

「でしょう?」

 

「はい」

 

その瞳は子ども達を映している。

転んでは笑い、泣いてはまた立ち上がる。

何気ない日常。

ありふれた平和。

その全てが、彼女にとっては守るべき宝だった。

 

「この平和な時間が」

 

ミストレスが静かに呟く。

 

「いつまでも続けば良いのに」

 

恭子は隣でその横顔を見つめる。

誰よりも平和を望みながら。

誰よりも戦場に立つ人。

誰よりも優しいからこそ、自分を犠牲にしてしまう人。

だからこそ、恭子は心の中で誓う。

 

(この景色を、あなたにも守らせるだけじゃない)

 

(あなたにも、この中で笑って生きてもらう)

 

戦場ではなく。

病室でもなく。

薬に命を繋ぐ日々でもなく。

こんな何気ない休日を。

何度でも迎えられる未来を。

 

「ミストレス」

 

「はい?」

 

「また来ましょう」

 

ミストレスは少しだけ驚いたような顔をした。

 

「また?」

 

「ええ。また鯛焼き食べて、公園でのんびりして」

 

恭子は笑う。

 

「次は桜が咲く頃でもいいし、夏祭りでもいい」

 

未来の約束。

ミストレスはその言葉を噛み締めるように、小さく微笑んだ。

 

「……はい」

 

その返事は、いつもの「承知いたしました」ではなかった。

一人の女性として交わした、小さな約束だった。

 

◇

 

夕暮れの横浜。

 

復興作業が続く街を、一人の男が雑踏に紛れて歩いていた。

表向きは貿易会社の社員。

その正体は某国情報機関所属の工作員である。

 

「……また空振りか」

 

男は小さく舌打ちする。

 

横浜ハイヴ攻略戦。

あの日現れた白い戦術機。

ハイヴに風穴開けた空色の空中戦艦。

世界中が映像を見た。

だからこそ、各国は血眼になって調査員を送り込んでいる。

だが――。

 

「写真は残っている。戦闘記録もある。目撃者も山ほどいる。なのに……製造工場がない」

 

設計者も。

整備兵も。

補給基地も。

輸送経路も。

金の流れすら掴めない。

まるで最初から世界に存在しなかった兵器だった。

 

男は公衆電話へ入り、暗号回線を繋ぐ。

 

「こちらフォックス」

 

『報告しろ』

 

「依然として進展はありません」

 

沈黙が流れる。

嫌な予感しかしない。

 

『貴様……無能か?』

 

「申し訳ありません!? しかし、現地協力者も同じ結論です!」

 

『言い訳は要らん!』

 

受話器越しに怒号が飛ぶ。

 

『たかが一企業も調べられんのか!』

 

企業じゃねぇよ。

男は思わず叫びそうになった。

 

企業ならまだいい。

工場がある。

社員がいる。

納税記録もある。

だがP.E.R.I.O.Dにはそれがない。

まるで幽霊だ。

 

『あと一週間だ。成果を出せ』

 

「了解」

 

ブツッと電話が切れる。

男はため息を吐いた。

 

「無茶言うな…」

 

隣の電話ボックスから別の男が出てくる。

目が合った。

互いに苦笑した。

 

「……お前もか」

 

「お前も? イギリス?」

 

「…違う、アメリカだ。そっちは?」

 

「ソ連だ」

 

二人とも笑った。

 

「同業だな」

 

「ああ」

 

もう隠す気も失せていた。

各国のスパイ同士。

敵国であるはずなのに、今では妙な連帯感すら生まれていた。

 

「成果は?」

 

「ゼロ」

 

「こっちも」

 

「叱られた?」

 

「さっきな」

 

「俺も」

 

沈黙の後に二人は同時に笑い出した。

 

「日本に逃げるか?」

 

冗談半分。だが、半分は本気だった。

 

「……案外悪くない」

 

「飯は美味いし、治安もいい。BETAも遠い。何より――」

 

男は苦笑した。

 

「P.E.R.I.O.Dがいる」

 

その一言が重かった。

横浜ハイヴを一日で落とした。

その事実だけで、日本は世界一安全な国に見え始めていた。

祖国へ帰れば――

成果なし。

責任追及。

左遷。

悪ければ処刑。

 

日本に残れば少なくとも命はある。

けれども家族の顔が脳裏をよぎる。

 

「……帰るか」

 

「帰らなきゃな」

 

「家族が待ってる」

 

そう言いながらも、足は重い。

 

その夜。

世界各国の情報機関本部では、似たような報告書が山積みになっていた。

 

調査対象:P.E.R.I.O.D.

所在地:不明。

補給経路:不明。

開発拠点:不明。

構成人員:不明。

資金源:不明。

結論:調査継続。

 

その報告書を見た上官たちは、一様に顔をしかめた。

 

「……世界中の情報機関が束になっても、何一つ掴めないだと?」

 

彼らはまだ知らない。

自分たちが追っている相手は、一国家や企業ではない。

 

歴史の表舞台に姿を見せる以前から、神の遺した技術とともに影で活動を続けてきた組織であることを。

だからスパイたちは無能なのではない。

相手が、諜報戦の常識そのものを通用させない存在だったのだ。

 

 

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