Muv-Luv 戦場に咲く雷花   作:マルク

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11平和な時間

 

 

「今日は休暇です」

 

崇宰恭子がそう宣言した時、ミストレスは本気で首を傾げた。

 

「休暇……ですか?」

 

「そう。今日は仕事は無し」

 

「ですが補給や整備が――」

 

「ライさんが見てる」

 

「技術提供が――」

 

「巌谷中佐が見てる」

 

「書類が――」

 

「全部後回し」

 

有無を言わせぬ勢いだった。

 

「今日一日は私に付き合いなさい」

 

ミストレスは小さく笑う。

 

「承知いたしました」

 

その笑みはどこか諦めたようでもあり、少しだけ嬉しそうでもあった。

 

 

街は賑わっていた。

 

横浜ハイヴ攻略の報せは日本中を駆け巡り、人々の表情には久しく見なかった希望が宿っている。

ミストレスはいつもの銀の仮面ではなく、大きめのサングラスを掛けていた。

それでも彼女の美貌は隠し切れない。

 

透き通るような白い肌。

長い銀髪。

凛とした立ち居振る舞い。

 

すれ違う人々が思わず振り返る。

 

「あの人、モデルさんかな?」

 

「外国の貴族じゃない?」

 

「綺麗……」

 

そんな囁き声が聞こえてくる。

恭子は苦笑した。

 

「サングラスだけじゃ隠せないわね」

 

「でしょうか?」

 

「でしょうか、じゃないの」

 

本人だけが自覚していない。

そんなところも可笑しかった。

 

「はい」

 

恭子は紙袋から温かな鯛焼きを取り出す。

 

「え?」

 

「食べてみて」

 

恐る恐る受け取るミストレス。

一口。

 

「……!」

 

サングラスの奥で紫の瞳が丸くなる。

 

「美味しい」

 

思わず零れたその一言に、恭子は満足そうに頷いた。

 

「でしょう?」

 

「餡がこんなにも優しい甘さとは……」

 

「そんなに気に入った?」

 

「はい」

 

もう一口。

嬉しそうに鯛焼きを頬張る。

普段はどこか神秘的で近寄り難い彼女が、子どものように幸せそうな顔をしている。

その姿に恭子は思わず吹き出した。

 

「そんなに笑わなくても」

 

「ごめん。でも…」

 

恭子は肩を震わせる。

 

「今のあなた、すごく普通の女の子よ」

 

その言葉にミストレスは少しだけ目を伏せた。

 

「普通……ですか」

 

「ええ」

 

「そう呼ばれたのは久しぶりですわ」

 

その一言が妙に胸へ刺さった。

 

 

二人は公園へ足を運ぶ。

 

子ども達が元気に駆け回る。

鬼ごっこ。

縄跳び。

笑い声。

少し離れた東屋では老人達が将棋を指していた。

風が木々を揺らし、葉擦れの音が耳に心地よい。

 

ミストレスはベンチへ腰掛ける。

何も言わない。

ただその光景を見つめていた。

 

「……綺麗ですね」

 

ぽつりと呟く。

 

「でしょう?」

 

「はい」

 

その瞳は子ども達を映している。

転んでは笑い、泣いてはまた立ち上がる。

何気ない日常。

ありふれた平和。

その全てが、彼女にとっては守るべき宝だった。

 

「この平和な時間が」

 

ミストレスが静かに呟く。

 

「いつまでも続けば良いのに」

 

恭子は隣でその横顔を見つめる。

誰よりも平和を望みながら。

誰よりも戦場に立つ人。

誰よりも優しいからこそ、自分を犠牲にしてしまう人。

だからこそ、恭子は心の中で誓う。

 

(この景色を、あなたにも守らせるだけじゃない)

 

(あなたにも、この中で笑って生きてもらう)

 

戦場ではなく。

病室でもなく。

薬に命を繋ぐ日々でもなく。

こんな何気ない休日を。

何度でも迎えられる未来を。

 

「ミストレス」

 

「はい?」

 

「また来ましょう」

 

ミストレスは少しだけ驚いたような顔をした。

 

「また?」

 

「ええ。また鯛焼き食べて、公園でのんびりして」

 

恭子は笑う。

 

「次は桜が咲く頃でもいいし、夏祭りでもいい」

 

未来の約束。

ミストレスはその言葉を噛み締めるように、小さく微笑んだ。

 

「……はい」

 

その返事は、いつもの「承知いたしました」ではなかった。

一人の女性として交わした、小さな約束だった。

 

 

夕暮れの横浜。

 

復興作業が続く街を、一人の男が雑踏に紛れて歩いていた。

表向きは貿易会社の社員。

その正体は某国情報機関所属の工作員である。

 

「……また空振りか」

 

男は小さく舌打ちする。

 

横浜ハイヴ攻略戦。

あの日現れた白い戦術機。

ハイヴに風穴開けた空色の空中戦艦。

世界中が映像を見た。

だからこそ、各国は血眼になって調査員を送り込んでいる。

だが――。

 

「写真は残っている。戦闘記録もある。目撃者も山ほどいる。なのに……製造工場がない」

 

設計者も。

整備兵も。

補給基地も。

輸送経路も。

金の流れすら掴めない。

まるで最初から世界に存在しなかった兵器だった。

 

男は公衆電話へ入り、暗号回線を繋ぐ。

 

「こちらフォックス」

 

『報告しろ』

 

「依然として進展はありません」

 

沈黙が流れる。

嫌な予感しかしない。

 

『貴様……無能か?』

 

「申し訳ありません!? しかし、現地協力者も同じ結論です!」

 

『言い訳は要らん!』

 

受話器越しに怒号が飛ぶ。

 

『たかが一企業も調べられんのか!』

 

企業じゃねぇよ。

男は思わず叫びそうになった。

 

企業ならまだいい。

工場がある。

社員がいる。

納税記録もある。

だがP.E.R.I.O.Dにはそれがない。

まるで幽霊だ。

 

『あと一週間だ。成果を出せ』

 

「了解」

 

ブツッと電話が切れる。

男はため息を吐いた。

 

「無茶言うな…」

 

隣の電話ボックスから別の男が出てくる。

目が合った。

互いに苦笑した。

 

「……お前もか」

 

「お前も? イギリス?」

 

「…違う、アメリカだ。そっちは?」

 

「ソ連だ」

 

二人とも笑った。

 

「同業だな」

 

「ああ」

 

もう隠す気も失せていた。

各国のスパイ同士。

敵国であるはずなのに、今では妙な連帯感すら生まれていた。

 

「成果は?」

 

「ゼロ」

 

「こっちも」

 

「叱られた?」

 

「さっきな」

 

「俺も」

 

沈黙の後に二人は同時に笑い出した。

 

「日本に逃げるか?」

 

冗談半分。だが、半分は本気だった。

 

「……案外悪くない」

 

「飯は美味いし、治安もいい。BETAも遠い。何より――」

 

男は苦笑した。

 

「P.E.R.I.O.Dがいる」

 

その一言が重かった。

横浜ハイヴを一日で落とした。

その事実だけで、日本は世界一安全な国に見え始めていた。

祖国へ帰れば――

成果なし。

責任追及。

左遷。

悪ければ処刑。

 

日本に残れば少なくとも命はある。

けれども家族の顔が脳裏をよぎる。

 

「……帰るか」

 

「帰らなきゃな」

 

「家族が待ってる」

 

そう言いながらも、足は重い。

 

その夜。

世界各国の情報機関本部では、似たような報告書が山積みになっていた。

 

調査対象:P.E.R.I.O.D.

所在地:不明。

補給経路:不明。

開発拠点:不明。

構成人員:不明。

資金源:不明。

結論:調査継続。

 

その報告書を見た上官たちは、一様に顔をしかめた。

 

「……世界中の情報機関が束になっても、何一つ掴めないだと?」

 

彼らはまだ知らない。

自分たちが追っている相手は、一国家や企業ではない。

 

歴史の表舞台に姿を見せる以前から、神の遺した技術とともに影で活動を続けてきた組織であることを。

だからスパイたちは無能なのではない。

相手が、諜報戦の常識そのものを通用させない存在だったのだ。

 

 

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