停泊中のエクスシア。その艦橋に緊張が走る。
「横浜沖ニ艦隊接近」
オペレーター型ハロの無機質な声が響く。
大型モニターに映るのは水平線を埋め尽くす艦隊。
星条旗。
紛れもなく、アメリカ海軍だった。
「総数二十七隻……空母二、イージス艦八、強襲揚陸艦三……戦術機多数…」
ライは仮面の位置を直す。
「随分と景気のいい歓迎だな」
通信士が振り返る。
「艦長、通信デス」
「繋げ」
モニター画面に米軍将官の姿が映し出された。
『こちらはアメリカ合衆国統合軍である。横浜ハイヴを落とした戦術機の衛士、もしくは代表者との会談を要求する。拒否した場合、武力行使も辞さない』
沈黙が流れる。
それは交渉ではない。
脅迫だった。
艦橋の空気が一気に冷え込む中、ミストレスが静かに立ち上がる。
「トールギスを出しましょう。話し合いにならないのであれば、力で止めるまでです」
その一歩を踏み出した瞬間だった。
「待て」
低い男の声が制止する。
「兄様」
「堪えろ。ここで出たら向こうの思う壺だ」
「ですが!」
「武力を背景に交渉してきた相手へ、武力で返す。その瞬間、世界はこう判断する」
兄は一語一句区切るように言う。
「『P.E.R.I.O.Dは危険な武装組織』だ」
妹の拳が震えた。
「でも……私達は戦える。守れます!」
兄は首を横に振る。
「だから駄目なんだ。勝てるからこそ、撃っちゃいけない」
傍から見ればミストレスの一人芝居に見えるだろう。しかしライは知っている。これこそが彼女の真骨頂なのだと。
兄はモニター画面に映る艦隊を見つめる。
「あいつらは撃ちたいわけじゃない。
妹は唇を噛む。
トールギスなら、あの程度の艦隊止められる。
いや、壊滅させられる。
だからこそ、兄はそれを許さない。
「日本側の返答を待とう」
妹は息を呑む。
「……信じるのですか?」
「……俺は政治家は基本信用しない」
兄の発言に妹は驚く。
「でしたら!」
「だが、榊首相に煌武院悠陽。あの二人だけは別だ。自分の保身より国を選べる。俺はあの二人に賭けた。だから待つ」
その言葉に妹は目を閉じた。
しばらくして、ゆっくりと仮面に手を添える。
「……承知しました」
ミストレスは席へ座る。
艦橋に満ちた緊迫した空気が無散し、ライは安堵の息を吐く。
「兄ちゃんがいてくれて助かったぜ。嬢ちゃんだけだったら今頃、米軍艦隊は海の底だったな」
兄は肩をすくめる。
「だから役割分担だ。暴れるのは妹、止めるのは俺…」
その時だった。
通信士が声を上げる。
「日本政府ヨリ入電」
モニター画面に視線が集まる。
「榊首相ヨリ各国ヘ共同声明ガ発表サレマシタ」
ライがニヤリと笑う。
「来たか」
兄も静かに口角を上げる。
「……ほらな。信じて正解だったろ」
仮面の奥で、妹も小さく微笑んだ。
その眼差しは艦隊ではなく、日本という国へ向けられていた。
「ありがとうございます……首相。ありがとうございます……殿下」
誰かを信じて待つ。
それは戦うことより、ずっと難しい勇気だった。
◇
艦橋を包囲していた緊張が、ようやく解け始めていた。
「……米軍艦隊、反転ヲ確認」
オペレーターの報告に、艦橋中から安堵の息が漏れる。
「やれやれ」
ライは仮面を外し、乱れた前髪を掻き上げた。
「胃が痛くなる時間だったぜ」
戦えば勝てた。
それは理解している。
だからこそ、一発も撃たずに終わらせた価値は大きかった。
その時だった。
「日本政府ヨリ暗号通信」
「繋げ」
モニターに映し出されたのは榊首相だった。
疲労の色は隠せない。
だが、その目には確かな達成感が宿っていた。
『……どうにか、退去させることに成功した』
ライが小さく口笛を吹く。
「流石だな」
榊首相は苦笑する。
『とはいえ、完全な勝利とは言えん。条件を一つ飲まされた』
艦橋の空気が再び張り詰める。
『国連特別会議を開く。そこへP.E.R.I.O.Dの代表を出席させてほしいとの事だ』
静寂。
誰も口を開かない。
やがてライがミストレスへ視線を向ける。
「どうする?」
ミストレスは少しだけ考え、ゆっくり頷いた。
「承知いたしました」
榊首相が少し驚く。
『……よろしいのか?』
「はい。いずれ世界へ知られる存在になることは覚悟しておりました。」
彼女の声に迷いはない。
「私達が隠れて活動していたのは、世界を欺くためではありません。与えられた技術を、慎重に人類へ広めるためです」
悠陽も画面へ姿を見せる。
『慎重に……ですか』
「はい」
ミストレスは静かに頷く。
「急激な技術革新は、人を幸せにするとは限りません。力だけが先に広まれば、争いの火種になります。だから日本という国を、最初の窓口に選ばせていただきました。技術を理解し、安全性を確認し、人類全体へ橋渡しをする。それが最も被害を抑えられる方法だと判断しました」
悠陽は静かに目を閉じる。
『……そのような重責を、日本へ託してくださっていたのですね』
「ええ。ですから、今回の国連会議も予定が少し早まっただけのこと。何も問題はありません」
通信が切れる。
艦橋に再び静寂が戻った。
その時だった。
「妹よ…」
再びミストレスの口から低い声が響く。
兄人格だった。
「兄様」
「俺達の目的は何だ?」
「……人類を救うことです」
「そのために必要なのは?」
「技術を広めること」
「そうだ」
兄は肯定する。
「なら、日本だけが独占する必要はない。いずれ各国へ流れる。最初の窓口として日本を選んだだけだ」
「つまり。計画通りってことか…」
ライが腕を組みながら呟く。
「ああ」
兄はモニター画面を指差す。
そこには世界地図が映し出されていた。
日本
アメリカ
欧州
ソ連
中東
アフリカ
各国へ線が伸びている。
「どこも最終的には協力しなければBETAには勝てない。ならば――最初から敵を作る理由がない」
妹が微笑む。
「兄様らしい考えですね」
兄は肩を竦める。
「政治ってのは勝つことじゃない。味方を増やすゲームだ」
ライは吹き出した。
「相変わらず軍人らしくねぇ発想だ」
「だから軍人じゃねぇ。転生前はただの一般人だぞ」
その軽口に艦橋の空気が少し和らぐ。
しかし妹だけは静かに国連本部の方向を見つめていた。
「世界中の代表者が集まるのですね……」
その声には不安はない。
ただ、一つの覚悟だけがあった。
「でしたら…」
銀色の仮面に触れる。
「神の遣いとしてではなく、一人の人間として。皆様とお話ししてまいります」
兄は静かに笑った。
「それでいい。武器じゃ世界は変わらない。世界を変えるのはいつだって…」
兄妹は同時に言葉を紡ぐ。
「「言葉です」」
横浜ハイヴを陥落させた英雄は、今度は世界を相手に戦う為の一歩を踏み出そうとしていた。