国際連合本部。
世界各国の代表が一堂に会する特別会議。
普段なら各国の思惑が飛び交うこの議場も、この日ばかりは異様な静寂に包まれていた。
誰もが待っている。
横浜ハイヴを陥落させた、正体不明の組織――P.E.R.I.O.D。
その代表者を。
扉が静かに開く。
視線が一斉に集まった。
現れたのは、一人の女性。
純白のドレスを身に纏い、長い金髪を揺らしながらゆっくりと歩みを進める。
その顔を覆うのは、磨き上げられた銀色の仮面。
神々しいまでの美しさと、どこか近寄り難い神秘性が同居していた。
誰もが思う。
――この女性が。
――あの横浜ハイヴを。
――たった一隻の戦艦と一機の戦術機で攻略したというのか。
事前資料がなければ、誰一人信じなかっただろう。
彼女は演壇へ立つと、優雅にスカートの裾を摘まみ、一礼した。
「本日は、私達のためにこのような場を設けていただき、誠にありがとうございます。」
澄み切った声が議場へ響く。
「私はミストレス・マーキス。私設武装組織『P.E.R.I.O.D』の代表を務めております」
その所作は戦士というより、一国の王族を思わせる気品に満ちていた。
だが、その静寂を破る声が上がる。
「待っていただきたい」
ある国の代表が立ち上がる。
「対話を望むのであれば、まずその仮面を外していただきたい」
「素顔も見せぬ相手を信用しろというのか」
賛同するように数人が頷く。
もっともな意見だった。
しかし、ミストレスは微動だにしない。
銀の仮面が静かに議場を見渡す。
「……ごもっともなご意見です」
誰もが外すものと思った。
だが彼女は静かに首を横へ振る。
「ですが、お断りいたします」
議場がざわめいた。
「この仮面は、顔を隠すためのものではありません。私達が神の遣いとして生きる覚悟、その象徴です」
全員の視線が仮面へ集まる。
「仮面を身に着けること。それは己の自我を封じることです。神より与えられた使命に殉じると誓いの証」
その言葉に、先ほどまで反発していた代表も口を閉ざした。
「欲に流されぬため」
「名誉を求めぬため」
「権力を欲さぬため」
「私達は個人ではなく、人類のために存在する」
彼女は静かに胸へ手を当てた。
「ここに。私達P.E.R.I.O.Dは、私利私欲のために力を振るわないことを誓います」
一瞬。
議場が静まり返る。
その沈黙を破ったのは、ミストレス自身だった。
「私の素顔を知ることが、世界を救う助けになるのであれば、お見せいたします」
一呼吸置いて、
「ですが、皆様が今この場で判断すべきなのは、私という一人の人間ではありません」
誰も反論できなかった。
「横浜ハイヴ攻略により。私達がBETAと戦う力を有していることは、証明できたものと考えております。ならば今、この場で問われるべきは――」
「P.E.R.I.O.Dという組織が、人類にとって信頼に値する存在かどうかではないでしょうか」
彼女は各国代表一人ひとりへ視線を向ける。
「どうか私の顔ではなく、私達の歩みをご覧ください。そして私達が救った命を見てください」
「それが、P.E.R.I.O.Dという組織を評価する最も公平な基準であると、私は考えます」
演説は終わった。
拍手はない。
歓声もない。
ただ、誰もが言葉を失っていた。
彼らが見ていたのは仮面の女性ではない。
己の名誉も、地位も、素顔すら捨てて使命に生きる、一人の「神の遣い」の覚悟だった。
その瞬間、多くの代表が初めて理解する。
――あの銀色の仮面は、秘密を隠すためではない。
人間であり続けたい自分を封じ、人類のためだけに生きるという誓約そのものなのだと。
◇
「では、次の質問です」
静まり返った議場で、一人の欧州代表が立ち上がった。
「あなたは先ほど、その仮面は誓いの証だと述べられた」
「しかし、我々は既に報告を受けています」
会場の空気が僅かに張り詰める。
「あなたは日本において、一度その仮面を外している。それは事実ですか?」
世界中の視線がミストレスへ集まる。
嘘をつけば、すぐに見抜かれる。
榊首相も、悠陽も黙って見守っていた。
ミストレスは静かに頷く。
「……はい。事実です。」
議場がざわめいた。
「ならば先ほどの発言は矛盾している!」
「誓いと言いながら、都合よく外したのではないか!」
鋭い追及。
だがミストレスは少しも慌てない。
銀色の仮面へ、そっと手を添えた。
「皆様のおっしゃる通りです」
「本来であれば、この仮面を外すことはありません」
一度言葉を切る。
「ですが。人は時として、自らの信念を曲げなければならない瞬間があります」
その言葉に、議場は静まり返る。
「私は、あの日。神の遣いとしてではなく、一人の人間として。助けを求めました」
悠陽が静かに目を伏せる。
あの日の出来事を思い出していた。
仮面を外した少女は、神でも救世主でもなかった。
疲れ果て、一人で全てを背負い込もうとする、一人の女性だった。
ミストレスは続ける。
「煌武院悠陽殿下は、その弱さを責めませんでした」
「神の遣いではなく、一人の人間として私を受け止めてくださいました」
「だから私は、殿下を信頼しております」
その言葉に、悠陽はゆっくりと立ち上がる。
「僭越ながら、一言よろしいでしょうか」
議長が頷く。
悠陽は議場を見渡した。
「確かに私は、ミストレス殿の素顔を拝見いたしました」
各国代表の視線が集まる。
「ですが、私はそれを世界へ語るつもりはございません。なぜなら…」
悠陽は穏やかに微笑んだ。
「それは政治ではなく、人と人との信頼によって預けられたものだからです」
その一言に、多くの代表が言葉を失う。
「もし私がそれを利用すれば。今後、誰も他者を信じられなくなるでしょう。それは世界にとって大きな損失です」
榊首相も頷いた。
「日本政府としても同じ見解です。我々はピリオドの秘密を握っているから信頼されたのではない」
「信頼に値すると判断されたから、秘密を預かったのです」
静寂。
先ほどまで仮面を外せと迫っていた代表も、口を閉ざしていた。
その時だった。
ミストレスの中で、兄の声が静かに響く。
(……上出来だ)
妹は心の中で微笑む。
(兄様)
(はい)
(やっぱり、悠陽殿下を信じて良かったですね)
兄は少しだけ笑う。
(ああ)
(人を見る目だけは、俺も外さない)
ほんの数秒の沈黙。
外から見れば、ミストレスが静かに目を閉じただけにしか見えない。
そして再び顔を上げる。
「皆様、私は神ではありません。迷いもします。間違えることもあります」
「だからこそ。信頼できる方々の手を借りながら、人類の未来のために歩んでいきたいと考えております」
銀色の仮面が照明を受けて静かに輝く。
それは顔を隠すための仮面ではない。
使命を背負うための仮面。
そして、その仮面の下には――
誰かを信じ、誰かに支えられながら歩む、一人の人間が確かに存在していた。
◇
静寂を破るように、一人の代表が立ち上がった。
「ミストレス代表。貴方方の技術について伺いたい」
議場の空気が変わる。
仮面の話ではない。
世界が最も知りたいこと。
「横浜ハイヴを攻略した技術」
「新型戦術機」
「エネルギー技術」
「兵器開発」
「それらを日本だけへ提供するおつもりですか?」
各国代表が頷く。
当然の疑問だった。
もし日本だけが超技術を独占すれば、世界の軍事バランスは一変する。
しかし、ミストレスは少しも表情を崩さなかった。
「いいえ」
その一言に、議場がざわめく。
「元より、私達は人類へ技術を託すつもりでおります」
今度は各国代表が驚く番だった。
「では何故、日本だけなのです!」
鋭い追及にも、ミストレスの声は穏やかだった。
「皆様へ質問いたします。」
「もし本日、この場で。私達が保有する全技術を世界へ公開したとしましょう」
議場を見渡す。
「明日には各国が共同研究を始めるでしょうか?」
誰も答えない。
「……いいえ。恐らく、最初に始まるのは技術の奪い合いです」
沈黙。
誰も否定できなかった。
「新たな兵器」
「新たな動力」
「新たな素材」
「それらはBETAと戦う前に、人類同士の争いを引き起こすでしょう」
ミストレスは静かに続ける。
「私達は救世主ではありません」
「そのような悲劇を生み出すために来たのではないのです」
議場は静まり返っていた。
「故に。まず一国のみへ限定して技術を提供し、安全性を検証する」
「その後、段階的に世界へ公開する」
「それが最も犠牲の少ない方法であると判断いたしました」
一人の代表が腕を組む。
「……それで日本だった理由は?」
その問いを待っていたかのように、ミストレスは微笑んだ。
「理由は三つございます」
一本目の指を立てる。
「優秀な衛士が数多く存在すること」
二本目。
「島国であり、情報管理と技術管理が比較的容易であること」
そして三本目。
「ハイヴを抱え、最前線でBETAと戦い続けていること」
ゆっくり指を下ろす。
「私達が求める条件を、日本は満たしておりました」
榊首相へ視線を向ける。
「そして…」
「榊首相」
「煌武院悠陽殿下」
「お二人は、私達の信頼に十分応えてくださいました」
榊は静かに頭を下げる。
悠陽もまた、深く一礼した。
ミストレスは再び世界へ向き直る。
「信頼とは、受け取るものではありません。積み重ねるものです。日本は、それを示してくださいました」
一呼吸置く。
「ならば、今度は私達が誠意を示す番です」
議場全体を見渡す。
「今後、日本を技術協力の窓口とし、各国研究機関との共同開発を順次進めてまいります」
「独占ではありません。管理です」
「秘匿ではありません。秩序ある共有です」
その言葉に、先ほどまで険しい表情だった代表たちの空気が少し変わる。
彼らは気づき始めていた。
P.E.R.I.O.Dは「力を与える組織」ではない。
人類がその力を争いではなく未来のために使えるよう、慎重に橋渡しをしようとしている組織なのだ。
ミストレスは最後に静かに言葉を結んだ。
「私達の目的は、日本を最強の国にすることではありません」
「人類という種族を、生き残らせることです」
その一言は、国家という枠組みを超えた理念として、静まり返った議場へ深く響き渡った。