「ミストレス代表。」
米国代表がゆっくりと立ち上がる。
「確認したい。P.E.R.I.O.Dとは、君達二人だけの組織なのか?」
議場の視線が一斉に集まる。
誰もが知りたかった。
横浜ハイヴを陥落させた組織。
その全容を。
ミストレスは静かに首を横へ振った。
「いいえ。私達以外にも仲間はおります」
議場がざわつく。
「では何故、この場へ来ない?」
「現在、彼らには彼らの使命があります」
「使命?」
「戦場と言い換えても構いません」
その言葉に各国代表が顔を見合わせる。
「どういう意味だね?」
ミストレスは少しだけ目を閉じた。
(兄様)
(……話して構わない。ただし全部は話すな)
(はい)
数秒後、再び顔を上げる。
「皆様もご存知の通り。BETAは地球で誕生した生命ではありません」
誰もが頷く。
「つまり…脅威は地球だけの問題ではないということです」
静まり返る議場。
「各惑星には、それぞれ守るべき生命があります」
「そして、それぞれの世界には、それぞれの神がおられます」
その一言に、議場の空気が凍った。
「私達はその神々より遣わされた者です。私は数ある遣いの一人に過ぎません」
誰も息をしない。
米国代表が掠れた声で尋ねる。
「……つまり、他の星にも」
ミストレスは静かに頷く。
「はい。彼らはそれぞれの世界で戦っています」
その瞬間、議場から音が消えた。
誰もが同じ結論へ辿り着く。
――地球だけではない。
――宇宙そのものが。
――BETAとの戦場なのだ。
ソ連代表が椅子へ深く座り直す。
「冗談ではない…」
英国代表も顔色を失っていた。
「で…では、宇宙へ進出した先にも…」
「BETAがおります」
ミストレスは淡々と答える。
「正確には、人類がBETAと呼ぶ存在と同種、あるいは類似した脅威です。ですから、私達は地球だけを救うために存在しているわけではありません。宇宙に生きる命、その全てを守るために戦っています」
誰も反論できなかった。
その場にいた全員が理解した。
横浜ハイヴ攻略。
国連会議。
技術供与。
そんなものは――壮大な戦いの、ほんの序章に過ぎなかったのだと。
◇
国連本部正面口。
長い会談を終えたミストレスが姿を現した瞬間、建物の正面がどよめいた。
「ミストレス代表!」
「こちらを向いてください!」
「技術供与の詳細を!」
「神の遣いという発言について説明を!」
世界各国の報道陣が一斉に押し寄せる。
無数のフラッシュが白いドレスを照らした。
「下がってください!」
「道を開けろ!」
崇宰恭子を先頭に、日本政府のSP達が素早く壁を作る。
「ミストレス様、こちらです!」
「ありがとうございます」
ミストレスは小さく一礼すると、そのまま誘導されるまま進んでいく。
それでも記者達は諦めない。
「本当に他の惑星にも神の遣いがいるんですか!」
「BETAに勝てるんですか!」
「あなた方は人間なんですか!」
次々と飛ぶ質問。しかしミストレスは立ち止まらない。
ただ一度だけ振り返る。
「皆様」
その一言だけで、騒然としていた記者達が静まり返った。
「本日お伝えしたいことは、全てお話しいたしました。これ以上は、今は申し上げられません」
深々と一礼する。
「どうか未来を信じてください」
それだけ告げると、再び歩き出した。
その姿を誰も引き止められなかった。
やがて滑走路の先に空色の戦艦が待っている。
エクスシアのハッチが開く。
「お帰り」
中からライが顔を覗かせた。
「お疲れさん」
「ありがとうございます」
機内へ入った瞬間、ハッチが閉じる。
外の喧騒が嘘のように静かになった。
ライは既に湯気の立つティーカップを用意していた。
「ほら、温かいうちに」
「……いただきます」
一口含む。
張り詰めていた肩から力が抜けていく。
「ふぅ……」
思わず本音が漏れた。
「緊張しましたわ」
ライは苦笑する。
「国の代表どころか、世界中が見てたからな。お偉いさん相手によくやった。大したもんだ」
ミストレスは照れ臭そうに微笑む。
「兄様のおかげです。私一人では、とても…」
「いや」
ライは首を振った。
「最後に立って話してたのはお前だ。そこは胸を張れ」
その言葉に、ミストレスは少しだけ頬を赤らめる。
「……ありがとうございます」
しばらく穏やかな沈黙が流れる。
紅茶を飲み終えたミストレスが、ふと思い付いたように笑った。
「今度はライさんがやってくださいな」
ライの動きが止まる。
「……何を?」
「もちろん、国連での演説です」
ライは真顔でカップを置いた。
「お断りします、と」
即答だった。
一拍置いてミストレスは思わず吹き出す。
「ふふっ。残念ですわ」
「当たり前だ。俺は前線で戦う方が性に合ってる。それに…俺が喋ると余計なことまで全部言っちまう」
「兄様なら止めますわ」
「止めても無駄だ。だからお前が適任なんだよ」
ライは窓の外へ目を向ける。
眼下には、まだ国連本部を囲む無数の報道陣が小さく見えていた。
「あとは頼んだぞ」
誰にともなく呟く。
「人類」
エクスシアは静かに空へ舞い上がる。
世界中の視線を背に受けながら。
だが機内ではもう、英雄も救世主もいなかった。
そこにいるのは、任務を終えて紅茶を飲みながら一息つく、ごく普通の仲間たちだった。
◇
国連会議後――某国・極秘会議室
国連会議終了から数時間。
世界各国の首脳や軍関係者は慌ただしく帰国し、それぞれの国で緊急会議が開かれていた。
重苦しい空気の中、一人の閣僚が机を叩く。
「馬鹿な! 地球の外にもBETAだと!? そんな話は聞いていない!」
誰も答えられない。
国連中継は世界中へ生放送された。
今さら「聞き間違いだった」とは言えない。
一人の将官が苦々しく呟く。
「オルタネイティヴ5の前提が、崩れた……」
その一言で会議室が静まり返る。
地球を脱出する。
それが人類最後の希望だった。
しかし、その逃げた先にもBETAと同種の脅威が存在する。
ならば――計画そのものが成立しない。
「どうするつもりだ?」
閣僚の怒声が飛ぶ。
「人類はこの星で滅びるしかないというのか!」
科学顧問が資料を閉じ、静かに答えた。
「現時点では、P.E.R.I.O.Dの技術開示を待つしかありません。内容次第では新たな打開策が見つかる可能性があります」
「悠長な!」
椅子が音を立てる。
「そんな悠長なことを言っている場合か! 明日にもBETAが攻めてくるかもしれんのだぞ!」
「日本へ圧力を掛けろ!」
「一刻も早く技術を開示させるべきだ!」
数人が賛同するように頷く。
しかし外務大臣が静かに反論した。
「無理です」
「何?」
「国連会議をご覧になったでしょう」
「ミストレス代表は、技術は全世界へ提供すると約束しました。その窓口として日本を選んだだけです。」
「今、日本へ圧力を掛ければ世界はどう見るでしょう」
誰も答えない。
「『技術を独占しようとしている』そう受け取られます」
再び沈黙が流れる。
そこへ軍の情報部長が口を開く。
「問題はもう一つあります」
全員が視線を向ける。
「P.E.R.I.O.Dです。我々は彼らについて何も知らない」
「拠点」
「人数」
「補給経路」
「組織体系」
「何一つです」
資料を机へ置く。
そこには、たった一行だけ書かれていた。
《情報なし》
「これが現状です」
苦い笑みが漏れる。
「横浜ハイヴを陥落させた組織。しかし、どこにいるのかすら分からない」
その時、年配の首相がゆっくりと口を開いた。
「……負けたな」
誰も反論しない。
「武力ではない。情報戦で、だ」
「彼らは我々が欲しい物を見せた」
「そして我々が絶対に必要とする物だけを、日本経由で配ると言った」
首相は深く息を吐く。
「こちらから頭を下げるしかない」
その現実が、何より屈辱だった。
◇
その頃、日本・首相官邸。
榊首相は一通の報告書を読み終える。
「各国から技術開示の要請が殺到しております」
秘書官が苦笑する。
「予想通りですね」
榊首相も小さく笑った。
「いや、ミストレス代表の思惑通りだ」
窓の外を見つめる。
「世界はもう、戦うしかない」
「その覚悟を決めた」
その言葉には、安堵と責任が入り混じっていた。
遠く離れた空では、エクスシアが静かに雲を切り裂いて飛んでいる。
その機内では、世界中が大混乱に陥っていることなど知らないかのように、ミストレスが紅茶を片手にほっと一息ついていた。ライはそんな様子を見て肩をすくめる。
「世界は今ごろ大騒ぎだぞ」
ミストレスはティーカップを置き、くすりと笑った。
「でしょうね。でも――」
兄様の計算通りですわ
世界は混乱していた。
しかしその混乱は、「どうやって逃げるか」ではなく、「どうやって勝つか」を考えるための混乱へと変わり始めていた。