帝都近郊、斯衛軍基地。
執務室の中には重苦しい空気が漂っていた。
机の上には一枚の書類。
日米共同戦術機開発計画――XFJ計画への参加要請。
そして、その参加者として記された名前。
P.E.R.I.O.D。
篁唯依は何度目か分からない溜息を吐いた。
「どう考えても罠です……」
思わず漏れた本音に、向かい側に座る恭子も大きく頷く。
「でしょうね」
珍しく即答だった。
「むしろ罠じゃなかったら怖いわよ」
「だろうな…」
横浜ハイヴ奪還。
百式の技術供与。
高密度蓄電池。
日本は今や世界中から注目を浴びている。そしてその中心にいるのがP.E.R.I.O.Dだ。
各国が黙っているはずがない。
「どう考えても分断工作よ」
恭子が腕を組む。
「日本から引き離して直接接触したいんでしょ」
そこへ静かに紅茶を置く音が響く。
ミストレスだった。
「私もそう思いますわ」
「でしょ?」
「でしたら行きましょう」
沈黙が数秒流れる。
「いやどう考えても罠よ!?」
恭子が机を叩いた。
「唯依も何か言いなさい!」
「私も罠だと思います」
「でしょう!?」
「でも断れない、だろ?」
「でしょうね!」
結局そこに行き着く。
恭子は頭を抱えた。
外交というものは本当に面倒だ。
BETAの方がまだ分かりやすい。
「ですが…行かなければ唯依さんが危険に晒されるのでしょう?」
ミストレスは穏やかに言う。
思わず唯依が目を瞬く。
「私が?」
「ええ」
「……」
「日本だけが技術を独占していると各国が考えれば、その矛先は当然日本へ向かいます」
ミストレスは紅茶を口に運ぶ。
「その最前線に立つのは政治家と軍人ですわ」
「……」
「特に現地に訪れた唯依さんには色々と厄介事が舞い込むでしょう」
恭子が押し黙った。
反論できない。
「だから行きます」
ミストレスはあっさり言った。
まるで散歩にでも行くような口調だった。
「私も今が日本の立場を再認識させる好機だと考えます」
「立場?」
唯依が尋ねる。
「はい」
ミストレスは微笑む。
「今まで日本は支援を求める側でした」
「……」
「ですが今は違います」
横浜ハイヴ。
百式、Mk-2、デルタプラス。
蓄電池技術。
日本は初めて交渉材料を得た。
「世界に思い出していただく必要がありますわ」
「何をだ?」
ライが壁にもたれながら問う。
ミストレスは即答した。
「日本は
部屋が静まり返る。
我慢できなくなったライは思わず吹き出した。
「相変わらず容赦ねぇな」
「事実ですもの」
「外交官が聞いたら卒倒するぞ」
「だから私が行くのですわ」
平然としている。
唯依は頭が痛くなった。
この人は本当に外交向きなのだろうか。
それとも致命的に向いていないのだろうか。
判断がつかない。
「しかしよ。向こうも馬鹿じゃねぇ」
ライが言う。
「ええ」
「俺達を引き離そうとしてくるぞ」
「でしょうね」
「技術供与を迫るかもしれん」
「でしょうね」
「引き抜き工作もある」
「でしょうね」
全部肯定だった。
ライは肩を竦める。
「対策は?」
ミストレスは少し考える。
そして――
「念のためトールギスも持って行きましょう」
ピシリと空気が凍った。
堪らず恭子が叫ぶ。
「それ対策じゃなくて脅迫じゃない!?」
「失礼ですわね」
「違うの!?」
「交流ですわ」
「絶対違う!」
ライは額を押さえた。
「あー……」
嫌な予感しかしない。
「向こうもそれがお目当てでしょうし」
ミストレスは悪びれもなく言う。
「実物をご覧になりたいのでしょう?」
「まあそうだろうな」
「でしたら見せて差し上げましょう」
「……」
「近くで」
「やめろ」
その頃、太平洋を挟んだ向こう側。
XFJ計画関係者達は歓喜していた。
「参加承諾だ!」
「P.E.R.I.O.Dが来るぞ!」
「やったぞ!」
誰もが成功を確信していた。
直接接触できる。
技術も見られる。
もしかしたら機体のデータも手に入る。
夢が膨らむ。
しかしその報告書の最後の一文を見た瞬間、会議室の空気が凍った。
参加機体――トールギス。
沈黙の後に誰かが呟く。
「……あのトールギス?」
別の者が答える。
「横浜ハイヴを落としたやつだぞ」
さらに別の者。
「なんで持って来るんだ?」
誰も答えられない。
遠く離れた日本でミストレスは楽しそうに微笑んでいた。
「せっかくですもの」
窓の外、格納庫で整備される白き巨人を見つめる。
「世界の皆様にも、私の愛機を知っていただかなくては」
その言葉を聞いたライは確信した。
今回のXFJ計画。
胃を痛めるのは唯依だけでは済まないだろう、と。
◇
それから数日後、斯衛軍基地。
滑走路の向こうで空色の戦艦エクスシアが待機している。
その巨大な船体を見上げながら、年若い訓練兵達は息を呑んでいた。
何度見ても現実感がない。
横浜ハイヴを陥落させた空飛ぶ要塞。
その甲板には、トールギスと数機の戦術機が整然と並んでいる。
やがて推進器が唸りを上げた。
その様子を見守る恭子の前で、唯依が敬礼した。
「それでは行って参ります」
「ええ」
ミストレスは微笑む。
「またお会いしましょう」
「ええ、必ず」
ライは苦笑した。
「そんな堅苦しい顔すんなって」
「……」
「ちょっとアメリカに喧嘩売りに行くだけだ」
「売る気満々じゃないですか!」
唯依が思わず突っ込む。
ライは声を上げて笑った。
ミストレスも肩を震わせている。
そんな二人を見ていると不思議と緊張が和らぐ。
本当に大丈夫なのかもしれない。
そう思えてくる。
「恭子さん」
ミストレスが振り返った。
「何?」
「迅雷の方、よろしくお願いいたしますわ」
その言葉に恭子の口元が吊り上がる。
「任せなさい」
格納庫の奥。そこには新たな武御雷が眠っている。
武御雷、改め『迅雷』。
ミストレス達の技術協力によって改修された特別仕様機。
従来機を遥かに上回る性能を持つ試験機だった。
そしてそのテストパイロットに選ばれたのが恭子である。
「本当なら私も行きたかったんだけどね」
少しだけ不満そうに言う。
「お気持ちは分かりますわ」
「分かるなら連れてってよ」
「日本の守りが薄くなります」
「うぐっ」
痛い所を突かれた。
実際その通りだった。
今や恭子は斯衛軍の中でも重要人物の一人。
そう簡単に国外へは出られない。
「ですが…」
ミストレスは微笑む。
「次にお会いする時は、きっと私達が驚かされる側ですわ」
「当然」
恭子は胸を張った。
「帰ってきたら腰抜かすわよ」
「楽しみにしております」
ライが甲板へ向かう。
唯依も続く。
最後にミストレスが軽く手を振った。
「それでは」
「気を付けて」
「ええ」
「またね」
「はい」
ハッチが閉じる。
エクスシアの主砲が格納状態へ移行する。
推進器が眩く輝いた。
そして、轟音と共に巨大戦艦が加速する。
みるみるうちに空の彼方へ消えていった。
しばらく誰も口を開かなかった。
ただ青空を見上げていた。
やがて恭子が呟く。
「行っちゃったわね」
寂しさが少しだけ胸をよぎる。
だが、すぐに首を振った。
「よし」
踵を返す。
向かう先は格納庫。
そこには彼女を待つ新たな愛機がある。
格納庫の扉が開く。
無数の整備員達。
技術者達。
そして中央に鎮座する青白い武御雷。
迅雷。
その姿を見た瞬間、恭子の口元が自然と緩んだ。
「ふふっ」
整備主任が笑う。
「嬉しそうですね」
「当然でしょ」
恭子は機体を見上げた。
「向こうがトールギスなら…」
装甲に触れる。
冷たい金属の感触。
だがその奥には確かな可能性が眠っている。
「こっちは迅雷よ」
アラスカへ向かった親友達。
世界を相手に渡り合う英雄達。
確かに彼らは凄い。
だが、自分だって立ち止まるつもりはない。
「帰ってきたらびっくりさせてあげるわ」
そう呟いた恭子の瞳には、確かな闘志が宿っていた。
遥か彼方の空を飛ぶエクスシアに負けないほど強く、眩しく。
これにてTE前日譚は完結です。
とりあえずストックしていたのはここまで。
一度は筆を折っていた作品ですけど、ネタを思いついてはチマチマ書いていました。それがここまで評価してくれるとは思いませんでした。読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
また続きがある程度溜まったら投稿しようと思います。