横浜基地地下作戦指揮所。
そこに集まる軍上層部は誰一人として言葉を発していなかった。
大型モニターに映し出される戦闘記録。
横浜ハイヴ周辺。
かつて幾度となく人類を絶望させた死地。
そこをたった一機の戦術機が蹂躙していた。
白き騎士――トールギス。
その名は既に全員の知るところとなっている。
光線級のレーザーを回避しながら要塞級を撃破。
長大なライフルの一撃で戦線を消し飛ばす。
光の剣でBETAの群れを切り裂く。
その動きは人類の常識を逸脱していた。
「……」
篁唯依は無意識に拳を握る。
凄い。
そんな感想しか出てこない。
悔しいが認めざるを得ない。
今の自分達では絶対に辿り着けない領域だった。
隣では崇宰恭子も食い入るように映像を見つめている。
自分を救った騎士。
その正体。
その実力。
全てがこの映像に収められていた。
やがてトールギスが急上昇する。
弾薬切れ、あるいは推進剤不足だろう。
軍人達の間に安堵が広がった。
どれだけ強大な兵器であろうと無限ではない。
それが分かっただけでも収穫だった。
「帰投したか」
誰かが呟く。
その時だった。
映像がエクスシア格納庫内部へ切り替わる。
トールギスが着艦する。
コクピットが開く。
そして――
「……?」
唯依が眉をひそめた。
何かがおかしい。
ミストレスが機体から飛び降りる。
整備兵の姿はない。
代わりに無数のハロが忙しなく走り回っている。
そして彼女は迷うことなく格納庫奥へ駆けていった。
そこにいたのは、もう一機のトールギス。
「なっ……」
唯依が息を呑む。
青と白の装甲。
別機体。
予備機。
いや、同型機。
ミストレスは何の躊躇もなくコクピットへ飛び込んだ。
『トールギスⅡ、参ります!』
再び出撃。
わずか数十秒。
補給時間など存在しない。
「馬鹿な……」
参謀の一人が呻く。
「三段撃ちか」
斑鳩崇継が呟いた。
誰も否定しない。
否定できない。
機体そのものを交換する。
そんな発想を誰も考えなかった。
いや、考えたとしても実行できない。
トールギス級の機体を複数保有するなど正気ではない。
だが、悪夢はまだ終わらなかった。
映像が再び切り替わる。
トールギスⅡのコクピット。
戦闘中の記録映像が流れる。
ミストレスの呼吸が荒い。
額には汗。
頬は僅かに青白い。
そして――
「……え?」
唯依が固まった。
ミストレスが胸元から何かを取り出した。
拳銃。
そう見えた。
だが違う。
銃身に薬液の入ったシリンジが付いている。
銃型注射器だ。
それを、躊躇なく首筋へ押し当てる。
発射音と共に薬液が注入された。
「ッ……!」
ミストレスが苦悶の表情を浮かべる。
それは一瞬。次の瞬間には何事もなかったように操縦桿を握り直していた。
『よし』
小さく呟き、再び戦闘へ戻る。
映像が終了した。
部屋は静まり返る。
誰も口を開かない。
開けなかった。
先ほどまでの神々しさが吹き飛んでいた。
あれは奇跡ではない。
命を削って生み出している力だ。
「……あの馬鹿」
最初に口を開いたのは恭子だった。
怒りとも悲しみともつかない声。
映像の中のミストレスを思い出す。
優雅に笑う女性。
人を食ったような物言い。
掴みどころのない性格。
だが、誰よりも危うい。
「恭子様……」
唯依が不安げに声を掛ける。
恭子は答えない。
代わりに拳を強く握った。
救われた恩がある。
だからこそ見過ごせなかった。
あの女はまるで自分の命に価値を感じていない。
「神の遣い、か」
崇継が苦笑する。
「違うな」
視線はモニターの向こう。
横浜ハイヴへ向けられていた。
「ただの人間だ」
その言葉に誰も反論しなかった。
どれほど強大な力を持とうと。
どれほど常識外れの兵器を操ろうと。
薬を身体に撃ち込みながら戦うその姿は、どうしようもなく人間だった。
◇
そしてその頃、横浜ハイヴ上空。
「あー……いてぇ」
誰にも聞こえないコクピットの中で、神の遣いと呼ばれる女は盛大に顔をしかめていた。
「ライ、次の薬どこだっけ」
『右ポケット』
「サンキュ」
『あと二本しかないぞ』
「聞かなかったことにする」
『現実を見ろ』
「嫌だ」
そう言いながら、ミストレス・マーキスは再びドーバーガンを構えた。
BETAの群れを見下ろしながら、仮面の下で獰猛に笑う。
「さて…」
トールギスⅡのスラスターが咆哮する。
「もうひと頑張りといきますか!!」
◇
横浜ハイヴより約二十キロ。
帝国軍観測部隊は双眼鏡と各種センサーを用いて戦況を記録していた。
任務は単純、神の遣いを名乗る私設武装組織『ピリオド』の戦力評価。
だが、その任務に就いた全員が今や言葉を失っていた。
視界の先、そこには地獄が広がっている。
夥しい数のBETAの死骸。
戦車級。
要撃級。
突撃級。
要塞級。
その全てが無残な骸となって大地を埋め尽くしていた。
そしてその中心。
死骸の山の上に一機の巨人が立っている。
白い装甲。
鋭角的な頭部。
肩から立ち上る白煙。
返り血によって紅く染まった機体。
まるで血の海から現れた亡霊だった。
「……本当に、一機でやったのか」
誰かが呟く。
返答はない。
誰も信じられなかった。
だが現実として目の前にある。
白い巨人――トールギスはしばらく周囲を見渡すと、ゆっくりと空へ舞い上がった。
「帰投するようです」
「追跡を継続しろ」
「了解」
観測員が双眼鏡を向ける。
トールギスはそのまま空中戦艦『エクスシア』へと帰還した。
艦内へ消えていく白い機体。
そして訪れる静寂。
誰もが思った。
終わったのだと。だが――
「待て」
隊長が眉をひそめた。
「何だあれは」
エクスシア艦首。
巨大な砲門がゆっくりと展開している。
まるで獲物へ牙を向ける猛獣のように。
「砲撃準備? まさかっ!?」
その瞬間だった。
閃光が迸り、世界が白く染まる。
遅れて轟音が大気を震わせた。
観測員達は思わず耳を塞ぐ。
数秒後。ようやく視界が戻った時、誰もが絶句した。
「ハイヴが……」
巨大な横浜ハイヴ。
その外壁に、巨大な穴が穿たれていた。
「あり得ない……」
G弾ですら完全破壊には至らなかった構造物。
人類が長年攻略に苦しみ続けた巨大地下要塞。
その一部が消し飛んでいる。
「映像記録を続行!」
「は、はい!」
観測班は慌てて機材を操作する。
すると、穴の開いたハイヴへ向けて新たな機影が飛び出した。
「また別機体だ!」
先ほどのトールギスではない。
金色に輝く三又の前立て。
青白い機体色。
巨大な盾。
そしてトールギスのものより一回り巨大なライフル。
「識別不能!」
「新型か!?」
「不明です!」
機体は迷うことなく死骸の海を駆け抜ける。
そのまま巨大な穴へ飛び込み。
ハイヴ内部へ消えた。
それから数分、地上は静まり返った。
だが――静寂は長く続かなかった。
突然、大地が震え始めた。
「地震!?」
「違う!」
地震計を見た技術士官が叫ぶ。
「震源は横浜ハイヴです!」
「何だと!?」
全員がモニターを見る。
ハイヴ全体が揺れていた。
巨大な山が内側から暴れ回っているようだった。
岩盤が崩落する音。
何かが砕け散る音。
地中から響く爆発音。
観測地点にまで伝わってくる。
「中で何が起きている……」
誰にも分からない。
分かる者がいるとすれば、今まさにハイヴ内部で戦っている者だけだ。
そして、それは起こった。
轟音。
今までとは比較にならない爆音。
地平線の向こうで太陽が生まれたかのような閃光。
大地が跳ねた。
観測車両が浮き上がる。
「うわっ!」
「伏せろ!!」
衝撃波が通過する。
計器が悲鳴を上げる。
アンテナが激しく揺れる。
まるで天変地異だった。
数十秒。いや数分だったかもしれない。
永遠にも感じる振動がようやく収まる。
そして、ハイヴの巨大な穴から一筋の白い光が飛び出した。
「出た!」
双眼鏡を覗く観測員が叫ぶ。
そこにいたのは、白き巨人。
トールギスⅢ。
その背後で横浜ハイヴがゆっくりと崩壊を始めていた。
山が沈む。
大地が陥没する。
BETA反応が次々と消失していく。
誰も言葉を発しなかった。
ただ呆然と見つめる。
歴史が変わる瞬間を。
人類が初めてハイヴを力でねじ伏せた瞬間を。
白き巨人は夕陽を背に悠然と飛び去っていく。
まるで最初からそこにいなかったかのように。
後にこの日の記録映像は世界中へ流布されることになる。
そして人々は畏怖と共に語った。
横浜ハイヴを陥落させた白き騎士。
その名を――トールギス。
その日、人類は初めて神話が現実となる瞬間を目撃したのだった。